いま、 私は東京の自宅でこの原稿のパソコシをたたいています。 ここは

退職 。別府 ・東京一雑感
岡 田
茂
い ま、私 は東京 の 自宅 で この原稿 のパソコンをたた いてい ます。 ここは、関東 平野 の一 角、多摩
川の中流 に近 いマ ンシ ョンの 5階 です。大 きな団地 の南側 の端 にあ り、 日の前は中学校 の校庭 と公
園 で、み ど り濃 い木 々の向 こうに多摩丘陵 と丹沢 山塊 、その右手 に晴れて いれば富士 山が 見 え ま
す。 とは言 つて も、その 中学校 の先 は別 のマンシ ョンで、 これ らの山 々 は我が 家か ら見 える景色 の
一 角 にす ぎませんどそれで も天 さえ
気
良ければ富士 山が見 える部屋 は、いまの東京 では景色 の良 い
部類 に入 るで しょう。
私 は、 3月 に別府大学 を定年退職 して、 5月 に この 旧居 に戻 って きました。西 日本 図書館学会
大分県支部 の皆 さん方 には ゆっくりごあ いさつす る機会がな くて、たいへ ん失礼 をしました。 この
紙 上 を借 りてお詫びいた します。定年 と言 うのは人生のひ とつの区切 りで、好 む と好 まざるとに関
わ らず 直面 せざるを得 ません。いろいろの考 えがあるで しょうが、私 は この区切 りはあった方が良
い と思 つています。人生 80年 と言 い ますが、 どんな人で も何 回か の 区切 りがあるで しょう。私 は、
定年は 2度 目で、ご承知 のよ うに、紀伊 国屋書店で 二度 目の定年 一一 これは、38年 間 の長 い在職 の
結果 の定年 で した。別府大学 での定年 は、 5年 半 と言 う比較的短 い期 間 での定 年 で した。 私 の人
生は、ものごころ付 いてか ら、中学高校 時代、大学時代、紀伊 国屋書店時代の前半、そ の後 半、別
府大学時代 と言 う区切 りを経 過 しました。 私 は、 リタイア とか余 生 とか言 う言葉 はき らいで、 一
方、生涯現役 と言 うのも 自分 には無理だ と思 うのです。今は、 これ か らの人生 をひ とつの区切 りと
考 えて、 どう組 み立てようか と模索 中です。 引越 しがや っと片 付 いた ところですか ら、今後半 年 ぐ
らいの間 にバ ランスよ く組み立てたい と思 い ます。 もちろん もう66才 ですか ら、8時 間勤務 の職業
ではな くて、ある程度 の社会的な仕事 と、趣味的 な時 間 と、もし出来れば若干 の収入 とを組み合わ
せた過 ごし方 を組み立てるのが 目標 です。 これ は不可能な ことで しょうか。或 いは、無理な希望 で
しょうか。私 は可能性 はある と思 って い ます。60代 か ら70代 にか けて の人はみんな こう言 う人生
を希望 しているのではないか と思 い ます。 日本 の社会は老人に冷た くて、老人が意欲 を失 うような
はな しがあふれています。 しか し、私 たちは、敗戦 の焼 け跡か ら立 ち上が って、何 らかの分野 で、
今 日の 日本 を築 いて きた世代 です。現在 の健康や条件 に個 人差 はあるとして も、今 日の この 日本社
会 の 中で もう少 し年齢 にふ さわ しい存在 の場 を与 え られて も良 いので はな いで しょうか。 この年齢
の人 々 はみんな、歳 をとってか らも社会的つなが りのある人生、 自分 の過去 の経験 をそれな りに評
価 して もらえるよ うな人生 を望んで い ます。私 もこのよ うな希望 を実現す るために、 これ か ら多少
努 力す るつ もりでいます。
このよ うな今後 の人生の構築 には、山登 りにた とえると、ル ー トファイ ンデ ィ ングの努 力が必要
です。山を歩 くときは、最初 は登 山路や道標 、ガイ ドブ ックを頼 りに歩 きますが、少 し出奥 に入 る
と、ケル ンや錠 日、踏みあと、磁石 な どによって 自分 の現在地 を確 かめ、ルー トを探す場面 に道遇
する ことがあ ります。私 も20代 30代 の ころは、奥秩 父や南 アルプスで、薮 こぎ 。沢登 りな ど、 こ
のよ うなル ー ト探 しの登 山を経験 しました。路 に迷 って ビバ ー ク した ことも何度かあ ります。 い ま
人生 60代 の後半 になってみると、私 のこれか ら探 る路 は、道標やガイ ドブ ックは通用 しな くて、銘
日 ・踏みあ とに頼 る山登 りのようなものです。頼 りになるのは、経験 と勘、先 輩友人 か らのア ドバ
イスな どです。 これ らを頼 りになんとか路 を探 して、有効 な組み立てに成功 した いと思 っています。
それ にして も、別府 での約 6年 間は、私 の これ までの人生では画期的な もので した。初めての東 京
以外 での生活 、大学 図書館 と言 う職場、九州 の歴史 と風土、 これ らはあ らためて私 に 日本 は広 い
と言 うことを教 えて くれ ま した。特 に私が言 いた いのは、 人 と人 との付 き合 いに 「
ゆ とり」力Sある
ことですも東 京 での 「
ゆとり」 の無 さとの比較で非常 に印象深 く感 じました。それは、田舎 とかの
んび りとか言 うこととは少 し違 うものです。別府 で も、テ レビ、車 、パ ソ コン、イ ンター ネ ッ トな
どの社会生活 はそれほ ど東 京 とかわ りません。ネ ッ トワー クを通 じた情報 の伝達は、当然の ことな
が ら、東京 で生活 して いる圧倒 的多数派 のネ ッ トワー クに接続 していない人々よ りも早 くな りま
すも図書館 の世界 も、私は県立 図書館 を利用 していたので一 革 は運 転 出来な いので 、電 車 で 西大
分か ら通 つて い ましたが 一―Vヽまの住 ま いでの、府 中市立図書館 よ りはず っと便利 で 有効 で した。
ちなみに府 中市立図書館 は、20年 以 上 まえに建て られた もので、県立 と市立 の違 い もあ り、蔵 書
数 も設備 も大 分県立図書館 にはるかにおよびません。 この図書館 の分館は私 の住 まいか ら歩 いて 10
分 くらいの ところにあ りそれな りに便利 ですが、蔵書 は小説が主で知的要求 にこたえるには きわめ
て不充分 です。 このような現代生活上 の利便性か ら言えば、別府での生活がそれ ほど田舎なわけで
はあ りません。私 の言 う 「
ゆ とり」 とは、 このよ うな利便性 はそれな りにあることを前提 としなが
ら、更 に、別府 の方が人間関係 に時間的な余裕があると言 うことです。た とえば、路 を歩 く人はあ
くせ くして いな くて、電車やバス も座れるし、のんび り出来 る温 泉 も多 くて、なによ りも人の数が
面積空間 にたい して少ないことです。 このような環境 の中では、 自分が ものを考 えた り、意思決定
した り、人 と付 き合 った りす る際 に気分的なゆ とりが持てます。逆 に東京 は人 の数が多す ぎて、何
をするにも人 の多 さを意識せざるをえません。時間があるのに、無 いよ うな気が して しまいます。
東京 へ の一極集中、過密都市化 の弊害な ので しょうか。 もっとも、 この別府観 には私 の趣味嗜好 に
関わ る次 の よ うな点 もあ ります。 二般 に、地 方都市 で不充分な ものとして、映画、演劇 、音楽会 、
美術展 な どがあげ られるのですが、私 は芸術音痴 で この分野 の不充分 さはあま り気 にな りません。
また、別府ではほとんど近所付 き合 い をして い ませんので、面 倒な人間関係 には関わ らないで済ん
でいたので しょ う。 ともあれ、私 は別府が好 きで、東京 よ りも住み良いと思 つています。 出来 る こ
とな らあ と10年 ぐらい してか ら、 もし生 きていた らもう一 度別府 に住 みた い と言 うのが率直な希
望です。
これか らもときどき東 京か ら寄稿 したいと思 い ます。
(おかだ しげる)
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