国連と安全保障 ―「現実」を越えるための試験的考察― 東京大学教養学部文科一類 2 年 向山直佑 *はじめに 「国際連合」―それは他に類を見ない国際機関である。昨今非政府組織(以下、NGO)や非営利団体 (以下、NPO)などの国境を超えた活動が活発化してきたと言われ、様々なフィールドでの活躍が連日 報道されているが、こうした団体と国際機関には本質的に定義上の差異がある1。その中でも国際連合は、 地球上の殆ど全ての国家(未承認国家の問題は置くにしても)をその構成員とし、政治・経済・文化等 の面で世界の政府の総意を代表する意味で最も強力な権威を持つ、他のどの国際機関とも性質の違う存 在である。それだけに、設立以来、いや国際連盟の時代から、寄せられる期待は非常に大きかった。中 でも国家の、あるいは人々の安全を保障するという点において、悲惨な大戦を引き起こした反省から集 団安全保障を志向した国際連盟が第二次世界大戦の勃発を食い止められずに惨めな失敗に終わったこと を受けて、大幅に強化され集権化された集団安全保障体制を打ち立てた国際連合への期待は、設立当初 非常に大きく、そして理想に満ち溢れていたに違いない。 しかしながら、冷戦に伴いまたもや国連の下での集団安全保障体制が機能不全に陥ったのは、周知の 通りである。安保理は大国の利害対立によって麻痺し、国連軍の設立という当初の構想は顧みられない まま、本来憲章が想定していなかった国連平和維持活動(以下、PKO)によって、部分的な平和への貢 献が為されるに留まった。それでは冷戦の終結によって国連の貢献度は飛躍的に向上したのだろうか。 確かに、冷戦の終結と湾岸戦争での成功によって集団安全保障体制への期待は再び大きく膨らんだ。だ が旧ユーゴスラビア、ソマリア、ルワンダなどでの PKO を経て、現実はそれほど単純ではないことが世 界に思い知らされ、それ以降国連は成功と失敗を繰り返して今日に至っている。 「成功と失敗」―この表現が成立する限りそこには成功・失敗それぞれの原因が存在しなければなら ない。病名がわからぬ限り処方箋を書くことはできないのと同様、現在に至る国連の安全保障体制の問 題が見つからぬ限り、それを改善することはできない。結論から先に言えば、筆者は国連の志向する安 全保障体制、その体制それ自体が転換されるべき時期に来ているのではないかという問題意識を抱いて いる。個々の PKO の失敗を受け、対症療法的に繰り返されてきた「改革」も、それでは解決できない問 題に目を向けざるを得ない段階に入っている。 そこで本稿では、今回の論題に即して、PKO を中心としたこれまでの国連の下での集団安全保障体制 のその沿革を概観し、その問題点を指摘した後、国連が果たしてきた役割を 2 つの側面から考察し、最 後に問題点に対する解決策を一つのビジョンとして提示する。集団安全保障体制あるいは PKO について は膨大な数の先行研究があり、深い考察が既に多くなされていることから、本稿は詳細な事実の検討と いうよりは巨視的に見たビジョンの提示という部分に重点を置いていることを付言しておく。 1 国際組織(国際機関)は、国家をそのメンバーとする組織であり、国家間の合意に基づいて創設された、一定の機能を遂行するための 帰納的団体であり、常設的な機関を保持するものである。一方 NGO などは、個人ないし私人を構成員とし、依拠する合意は国家による ものではない。小寺他(2004) 181-183 頁 1 構成 1.国連集団安全保障体制の概観 2.国連集団安全保障体制の問題点の整理 3.解決策の提案 4.結語に代えて―「理想と現実」の歯がゆさ 1. 国 連 集 団 安 全 保 障 体 制 の 概 観 ブリタニカ国際大百科事典によれば、集団安全保障とは「対立している国家をも含め、世界的あるい は地域的に、すべての関係諸国が互いに武力行使をしないことを約束し、約束に反して平和を破壊しよ うとしたり、破壊した国があった場合には、他のすべての国の協力によってその破壊を防止または抑圧 しようとする安全保障の方式」と定義される。国際連合の下での安全保障の理念に関しては、国連憲章 6 章「紛争の平和的解決」と 7 章の「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動」の規定 が表しているが、このうち 7 章中の 42 条が国連の軍事的措置について記述しており、そこでは「安全保 障理事会は(中略)国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍又は陸軍の行動をとること ができる。」とされており、また 43 条ではすべての国連加盟国が安全保障理事会の要請に基づき特別協 定によって兵力・援助及び便益の提供を行うことが想定されている。これらの規定により描き出される のがいわゆる「国連軍」である。 しかし周知のように冷戦下の対立によって 43 条は死文化したため、戦後史の中で「国連軍」という名 称が正式に使われたのは朝鮮戦争時のただ一度のみであり、しかもこの「国連軍」も実際は米軍指揮下 の反共同盟軍に過ぎなかった2。このように安全保障理事会が機能する必要最低条件であった大国間の協 調が非現実的極まる夢物語となる中で、苦慮の末案出されたのが PKO であった。この PKO が、個別的 自衛権、集団的自衛権が幅を利かせる時代の中で冷戦下の集団安全保障体制の中心を担っていくことに なる。 PKO は冷戦期と冷戦後で大きく性格が変化すると言われるが、伝統的な(第一世代の)PKO は 1956 年のスエズ動乱の際に設置された第1次国連緊急隊(UNEFI)に遡る。イギリス・フランスという五大 国の一角がエジプトを空爆するという事態のもと、従来の安全保障理事会体制は有効な手段を打てない 中、国連事務総長のハマーショルドとカナダ外相ピアソンによって考案されたのがこの第1次国連緊急 隊であり、特にイスラエルとエジプト間の敵対行為の停止を確保し監視する任務を任された。これが後 に PKO と呼ばれ同様の実績が積まれて発展していくのだが、この伝統的な PKO は国連憲章が想定して いたような軍事的措置に訴える国連軍とは性格が全く異なり、紛争の解決には直接的に関係しない。そ の任務は「合意原則」(当事者全ての同意に基づかない限り派遣されない)・「中立原則」(PKO 自体が中 立を損ね交戦主体に成り下がってはいけない) ・ 「自衛原則」 (必要最低限の武装を行い、先制攻撃を避け る)の三原則によって貫かれ、平和を強制することではなくまさに維持することこそが求められていた といえる3。 2 3 中山(1996) 34-35 頁 本段落では石塚(2004) 4-6 頁を参照した。なお、三原則は筆者の言葉で定義した。 2 冷戦期には国際連合コンゴ活動(ONUC)を例外としてこの三原則が厳守されていたが、冷戦後に集 団安全保障体制は質量共に大きく変化することとなった。冷戦が終結したことで五大国の協調が有り得 ないことではなくなり、安保理において常任理事国の合意が得られやすくなったことに加え、希望的観 測から国連の平和への役割に期待が高まったことが PKO の量の増加に直結したが、これまで東西対立の 中で抑えられてきた民族あるいは宗教上の違いに起因する紛争(多くは内戦)が増加したことにより質 的にも大きく集団安全保障体制は変化せざるを得なくなった4。一般にこれらアイデンティティーを巡る 紛争では相手に最低限の合理性も想定できないため、紛争は完全なゼロサム状況になり、悲惨な結果を 生むことが多い5。しかも内戦においては PKO の合意原則を満たすべき主体が明確でないか存在しない ことがしばしばであるから、従来型の PKO では対応不能である6。それに対応する形で、国際人道法お よび人権法の違反が「国際の平和と安全に対する脅威」として認定されることになった7。同じ背景から、 新たに 2 つの実行形態が生まれた。一つは湾岸戦争を代表例とする、安保理による多国籍軍への授権で あり、もう一つは国連憲章第 7 章を適用した「平和強制」型の PKO の登場である8。前者は、安保理が 特定の加盟国に対し国際社会としての目的達成のためにあらゆる必要な処置を取ることを許可するもの で、国連が正統性、加盟国が実行力を提供する仕組みである9。後者に関しては、ソマリア・旧ユーゴで の PKO を指すが、ソマリアで PKO 部隊自体が交戦主体となって犠牲者を多く出した失敗によって挫折 し、PKO に大規模な軍事行動を行わせる政治的無理を露呈した10。なお、その後にも第 7 章を援用した PKO が多く行われているが、それらはあくまで従来の枠組みの中での自衛の強化と捉えられるべきであ り、平和強制型とは本質的に異なるものであるとされる11。井上実佳は冷戦後の PKO を混迷期(旧ユー ゴ・ソマリア・ルワンダ)、転換期(中央アフリカ・シエラレオネ・東ティモール・コンゴ民主共和国)、 進展期(リベリア・コートジボワール・スーダン・ハイチ・ブルンジ)、現在(ダルフール・チャド・中 央アフリカ・コンゴ民主共和国)に分けている12が、試行錯誤を経て現在の PKO は概ね、従来の三原則 を維持したまま、自衛の権限を強化され、また複合化した役割(「平和構築」と呼ばれる分野)を持ち、 多国籍軍や NGO 等との協働関係にある。 2. 戦 後 集 団 安 全 保 障 体 制 の 問 題 点 の 整 理 前項で述べたようにそもそも「想定外」であった PKO を中心に支えられてきた国連憲章下の集団安全 保障体制には、いくつかの大きな問題があった。以下ではそれを列挙し、それぞれについて整理するこ とで、次章で述べる解決策に至る前提を作る。 2.1 大国による国連の政治的利用と非国連化 元国連大使の波多野敬雄は「国連とは平和を守る機関として神棚に崇め奉るような、清廉な存在では なく、 (中略)一九一の加盟国が自国の国益を守るために、そして国益を推進させるために手練手管を要 4 中山(2002) 73 頁 藤原(2007) 189 頁 6 すでに国際連合コンゴ活動においてその点が問題になっていた。詳しくは滝口(1997)を参照のこと。 7 清水(2006) 258 頁 8 杉山(1999) 96-97 頁 9 杉山(1999) 102 頁 10 杉山(1999) 110 頁 11 中山(2005) 72 頁 12 井上(2011) 110 頁 5 3 する、非常に泥臭い国際機関」だと述べている13が、その言葉の通り国連はその掲げる理想とは裏腹に、 極めて政治的な場として利用され、中でもその設立に中心的に携わったいわゆる五大国特に米ソによっ て、その活動を麻痺させられることもしばしばであった。設立後しばらくは加盟国の中で西側を支持す る国の数が圧倒的であったことから、アメリカは国連、とくに数の論理が効く総会を積極的に利用して いたが、やがて独立した旧植民地がアメリカの期待に沿わず非同盟路線あるいは親ソ路線を取るように なり、先進国と途上国の対立が深まると逆に国連から離れる、あるいは国連を否定するようになった14。 この動きを河辺一郎は「非国連化」と呼んでいる。以上は一般的な話だが、安全保障分野においてもそ の権限が大国の思惑に常に左右されてきた。二度の大戦への反省から国連に安全保障上の権限を集中さ せることが当初の理想であったが、実際には冷戦下で NATO やワルシャワ条約機構という、集団安全保 障ではない集団的自衛権の枠組みによって武力行使の役割が担われることとなった15。国際の平和と安全 の維持という精神を共有していながら、自国にとって国連が都合の悪い機関であるときには国連にその 実行を許さない姿勢がとられたのである16。そうした大国の政治的思惑に可能な限り左右されないために も作られたのが PKO であったが、国連の安全保障上の機能が安保理に集権化されていることから PKO ですら大国の影響を免れ得なかった17。国際人道法および人権法の違反が「国際の平和と安全に対する脅 威」として認定されるようになったことは前述の通りだが、一方でこの脅威は定義上非常に曖昧で恣意 的な解釈の余地を多分に残す概念である18。全く同じ人権蹂躙であっても、それが脅威として認められる 場合と、国際社会から無視される場合がありうるということだ。それを認定する権限が安保理にあり、 その安保理が常任理事国という存在を認めている限り、必然的にその認定は大国の政治的意思の影響を 免れ得ない。例えば、東ティモールの PKO において、紛争の当事者とも言えるインドネシア軍に治安維 持を委ねており、予想できた人権抑圧をみすみす許してしまった例があるが、この背景には諸外国のイ ンドネシアという大国との経済、政治及び軍事的関係の維持の重要性の考慮と、アメリカやヨーロッパ 諸国はコソボ紛争に、そしてロシアは CIS 諸国の紛争により大きな関心を寄せていたために東ティモー ルへの関心が薄かったことが挙げられるという19。またそもそも PKO が派遣されている紛争と同程度あ るいはそれ以上に人権抑圧が行われている紛争であるにも関わらず派遣されないケースが、表面に出て いないだけで存在することは容易に推察できる。 加えて、前述の多国籍軍への授権の場合にも、当然大国の政治的意思を多分に反映する仕組みが出来 上がっている。例えばコソボやアフガニスタン、イラク戦争において、軍事行動は正式に授権されてい たわけではなかった。前の二例では多くの国からの支持を得ていたものの、イラク戦争においては多数 の反対があったにも関わらず、アメリカやイギリスが個別的な軍事行動に踏み切った点で批判が絶えな かった20。桔梗(2008)ではこうした個別的な軍事行動を後から合法化するための理論的試みが幾つか存在 し、その中でも「集団的意思の個別的執行」という理論が有力であると紹介されているが、著者自身も 指摘しているように何が集団的意思であり、どういう状況において正当化されどのように執行されなけ 13 波多野(2003) 96-97 頁 河辺(2004) 第二章から第四章参照 15 河辺(2004) 78 頁 16 河辺(2004) 85 頁 17 石塚(2004) 21 頁 18 中山(2005) 62 頁 19 石塚(2004) 5 頁、21 頁 20 桔梗(2008) 154-158 頁 14 4 ればならないのかが厳格に規定されない限り、国連は大国に無条件に正当性を与える機関に堕してしま う21。事態が一刻を争う場合、既に存在する「集団的意思」を迅速に執行する個別的軍事行動は効果的だ が、自国の個別的軍事行動を事後的に「集団的意思に基づくものであった」と正当化するのは論理の順 序が逆である。またこうした「お墨付き」を得られるのは軍事的に有力な国に事実上限られることも同 様に指摘されている22。 2.2 国連憲章の恣意的解釈の余地 2.1 で大国が「平和に対する脅威」(国連憲章第 1 章第 1 条)を恣意的に認定する場合があることを指 摘したが、裏を返せばそのように恣意的に運用される可能性を持つ概念そのものが問題であるとも言え る。その「平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略行為の存在を決定し、並びに、国際の平和及び安全 を維持し又は回復するために、勧告をし、又は第四十一条及び四十二条に従っていかなる措置をとるか を決定する」権限を国連安全保障理事会が有している限り、何が「平和に対する脅威」なのかを明確に 規定しなければ恣意的な運用は避けようがない。極端な例で言えば、現行の制度でアメリカの行動が「平 和に対する脅威」として認定されることは「平和のための結集決議」を考慮してもまずあり得ないであ ろう。先進国の多くは互いを信用しているため無意識にそうした状況を当然と考えがちだが、先進国と 途上国の間にはそのような信頼関係が無い場合が多く、途上国側は不公平を感じることになる。繰り返 されてきた議論になるが、これが安保理改革とも繋がる議論であることがわかるだろう。 国連憲章は諸国の政治的立場の「最大公約数」のようなものであるから、文言が曖昧になるのはある 意味当然である。しかしながら、 「平和に対する脅威」が明確になるか、その認定が特定の国に特権を与 えない方法によって行われない限り、「総意」を騙った国益追求がまかり通るのは自明である。 2.3 PKO の根拠規定の不在、性格の不確定 現在では国連の平和実現へのアプローチとして主要な位置を占めている PKO だが、周知のようにこれ はそもそも憲章で予定されていたものではない。憲章 43 条に定める特別協定の締結が事実上不可能にな った冷戦期、国連軍の設立が夢物語と化す中で安保理の機能麻痺を補完するものとして PKO が案出され たのである23。厳密に言えば、そうして PKO が案出されたのではなく、妥協の産物として生まれた国連 の行動が実行を重ねる内に体系化され、PKO と呼ばれるようになったと言うべきだろうか。 そうであるから必然的に、PKO の憲章上の根拠は薄い。明文規定は無論存在せず、そのために PKO をどのような性格のものにするかという方針が時期によって大きく変化してきたのは、1.1 で述べた通り である。近年方向性がかなりの程度固まってきたのは確からしいが、多国籍軍や地域機構との役割分担、 NGO や市民団体との協働などの面において、その存在自体が曖昧であった PKO がどこまで必要である のかが今後問われていく可能性も考えられるのではないだろうか。 2.4 PKO の実務的諸課題24 21 桔梗(2008) 172-173 頁 西浦(2009) 83 頁 23 杉山(1999) 95 頁 24 「国際連合平和活動に関するパネル報告書」(A/55/305 - S/2000/809)(ブラヒミ報告和訳) (http://unic.or.jp/security_co/pdf/a_55_305_j.pdf) 22 5 PKO が平和実現への主要手段であると認めるとしても、その実行手段においては多くの課題が指摘さ れてきた。ここでは、その中でも本稿がカバーすべきと考える内容のうちで特に注目すべきと考えるも のを抜粋したい。国連事務局は冷戦後の PKO の度重なる失敗の中で、改革の方向性を模索し、何度か専 門家を交えて報告を行わせている。代表的なものに 2000 年にアナン事務総長(当時)によって設置され た専門家パネルによるブラヒミ報告、そして 2009 年に PKO 局とフィールド支援局によって発表された 「A New Partnership Agenda: Charting the New Horizon for UN Peacekeeping」がある25。後者は前者を 参考にして書かれている点が多いため、前者を中心に抜粋していく。10 年弱の年月を経ても尚記述に重 複があること自体、改革が一筋縄ではいかないものであることを物語っているとも言えよう。 *安保理と国連事務局との関係 PKO は安保理によるマンデートを受けて国連事務局が具体的な準備・執行を行う形をとっているが、 安保理がコンセンサス方式で決定を行うため必然的に内容が曖昧になり、それが事務総長・事務総長特 別代表・現地の司令官などそれぞれに都合よく解釈することを許してしまう恐れがある。兵力規模や権 限も安保理が決定するが、国連は自前の軍を持たないためその兵力を確保できるかは加盟国との交渉次 第になり、実現が可能かすら毎回不透明である。 *情報収集・分析能力の不足 PKO を派遣する前段階において情報収集と分析は決定的に重要である。そもそも当該事例が本当に PKO の派遣に適した案件なのか、どの勢力が協力的で、どの勢力が不安要因なのか、どれほどの規模が 必要なのか、どれほどの装備が必要なのかなど、事前に共有しておかなければならない情報は多く存在 するが、その情報収集を専門的に行う機関が存在しない。 *配備の所要時間 紛争、特に深刻な人権侵害が行われている場合には、介入が 1 日遅れるだけで犠牲者が激増する恐れ もあるだけに、PKO の派遣の迅速性は最も重要な目標の一つである。しかし現況では、安保理決議を受 けてから加盟各国との人員派遣の折衝に入らなければならず、しかもその結果各国が応じるという保証 もないため、配備が遅れてしまうことが多々ある。 *人員不足 A New Partnership Agenda: Charting the New Horizon for UN Peacekeeping の中に Critical Shortages in 2009 という項目があり、その中で指摘されている 9 点のうち 7 点は人員に関するものであ る。人員を各国の拠出に頼らなければならない現状や、専門性を必要とする特殊性を帯びた任務の内容、 また雇用体系の不安定さなどから、確保に苦労しているものと思われる。 *派遣国の偏り/装備等での先進国と途上国の部隊の格差 A New Partnership Agenda: Charting the New Horizon for UN Peacekeeping (http://www.un.org/en/peacekeeping/documents/newhorizon.pdf) 25 外務省ウェブページ「国連 PKO の現状」(http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/pko/katudo.html) 6 PKO 局が毎月発行している PKO への要員派遣の国別統計の推移を見ると、大まかに言って 1990 年時 点ではカナダや北欧諸国、イギリスなどの先進国が中心であったのに対し 1990 年台半ばにはインド・バ ングラデシュ・パキスタンやアフリカ諸国などの途上国が数を伸ばし始め、2012 年 12 月時点では上位 からパキスタン・バングラデシュ・インド・エチオピア・ナイジェリア・ルワンダ・ネパール・エジプ ト・ヨルダン・ガーナ・ブラジル・ウルグアイ・南アフリカと続き、いわゆる G8 に含まれる主要国とし てはイタリアの 20 位が最高である26。途上国がこうした国際平和の枠組みに積極的に参加することそれ 自体は歓迎すべきだが、実際はそう単純ではない。例えば、大庭(2009)によれば、国連ルワンダ支援団に 派遣されたバングラデシュの部隊は「基本的な食料すら持参せず(中略)練度も士気も非常に低いとい う状態であり、訓練の一環として PKO を利用しているとの印象」を指揮官のダレールに与えたという27。 全ての途上国が先進国の部隊よりも劣っているという議論は事実ではないであろう暴論だが、このよう に実戦経験を積むという利己的な意識で PKO に臨む例があればそれだけ部隊の質も下がり、執行に差し 障ることになる。 問題は、事務総長側には派遣国を選ぶ自由が実質的にないということである。事前にその部隊の練度 や士気を見極めることは出来ないし、人員を確保できるかもわからない状況で特定の国からの派遣を断 ることは難しい28。 *指揮系統・コミュニケーションの問題 PKO においては各ミッションに軍司令官・警察長官等が任命されるが、基本的にアドホックな性格か らその指揮系統を明確にすることが難しい。特に、本国からの指示との「二重の忠誠」問題は深刻であ る。先述のルワンダの例において、バングラデシュ部隊は副司令官からの、現地人避難民の受け入れや 保護のための出動を、本国からのルワンダ人を救うために部隊を危険にさらすなという命令のために拒 否した29。このように極端な例ではなくとも、部隊の展開において、日頃命令を受けていない、多くの場 合は外国人である上官と意思疎通することは極めて難しいに違いない。特に、言語的に問題がある場合 は深刻である。 3. 解 決 策 の 提 案 3.1 総論 国連の安全保障へのアプローチの歴史を概観した時に浮かんだ言葉は、 「本音と建前の倒錯」であった。 その高尚な「建前」を実現できないために、 「本音」で最低限対処する、あるいは「本音」では実行した いことが叶わないために、 「建前」として間に合わせを作り、それがさも「本音」であるかのように振る 舞う、そうした構図に国連はあふれているように思われるのだ。憲章で国連軍を想定しておきながらそ れができないから PKO で間に合わせる、自前の軍隊がないから特定の国に武力行使を授権する、そして それらがさも当初から意図してきたことであるかのようにそれを前提とした考え方をするようになる。 冷たい言い方をすれば、認知的不協和を解消しようとしているかのように見える。 26 United Nations Peacekeeping Troop and police contributors archive (1990 - 2012) http://www.un.org/en/peacekeeping/resources/statistics/contributors_archive.shtml 27 大庭(2009) 65 頁 28 滝口(1997) 45-46 頁 29 大庭(2009) 65-66 頁 7 国連は冷戦時に作り上げた、その当時の現実に適応したその在り方を、冷戦後にも度々修正を加えな がらやりくりしてきた。しかしそれによって生まれた整った制度を重視するがあまりそれが依って立つ 基盤の部分、すなわちかつて仕方ないと諦めた「現実」を変更できる可能性を顧みていないように思わ れる。 具体的に言えば、短期的には以下の様な変更が可能であると考える。 ①安全保障理事会からの独立性の確保 ②専門的調査機関の設立 ③即時配備可能な部隊の確保 ④「平和に対する脅威」の定義の確定 長期的には、 ⑤より中立的な安保理の誕生 ⑥いわゆる国連軍の設立 が可能になるかもしれない。 一方でこれらが達成できない場合、全く逆のオプション、すなわち「国連の非国連化」が考えられる。 ① 武力行使の多国籍軍や地域機構への完全なアウトソーシング ② 平和構築の NGO や市民団体への完全なアウトソーシング 前者は国連が行動する主体として機能することを目指す場合、後者はそれを諦めた場合に効率性の面 から国連を正統性を提供する単なる「場」としてしまう場合である。各項目を見ていくと、 ①安全保障理事会からの独立性の確保 これまで述べてきた通り、安保理が PKO の派遣を決定する限り、常任理事国と拒否権という制度があ ればその政治的意思の反映はまず避けられない。そのためにこれまで国際社会が辛酸を舐めてきた例は いくつもある。しかしこの状態は、論理的な正当性から見れば明らかにおかしい。一部の国、それも世 界の上位五大国とも必ずしも言えないような国々の政治的な意思に全ての国が最終的に左右されること はあまりに理不尽である。世界のパワー分布の「現実」として目を背けられてきたこの理不尽を短期的 に変えることは出来ないが、ある程度独立性を確保することは出来るのではないか。 具体的に言えば、まず PKO の任務の内容、権限の付与などに限って安保理から事務総長に権限を移行 することが挙げられる。あくまで「平和に対する脅威」を認定するのは安保理でも、それに対するアプ ローチを決定するのは事務総長である方が、実際の状況に対応しやすい。またルワンダのような一方的 な虐殺や、化学兵器生物兵器の使用などの絶対悪と呼べる事件が起きている場合には、安保理での議論 を待たずとも事務総長の権限で必要な措置が取れるようにすべきである。こうした場合には特に一刻を 争うわけであるから、それを PKO が行うにせよ、多国籍軍が行うにせよ、常任理事国の関心が薄いから と言って見過ごされることのないような仕組みが必要であると考えられるからだ。 ②専門的調査機関の設立 8 情報収集・分析能力が欠けたままに PKO が行われてきたことは既に述べた。しかし効果的な平和維持・ 平和構築を行う上で、こうした能力は必要不可欠である。そこで、ブラヒミ報告でも指摘されているこ とだが、潜在的紛争の把握、紛争地帯の状況の常時確認、PKO の派遣に適した案件かどうかの見極め、 各勢力の性格の把握、作戦に必要な規模・装備の見積もりなどを行える専門的な調査機関を設立する必 要がある。独自の機関を設立出来なければ、既存のシンクタンクや NGO にアウトソーシングすることも できよう。 ③即時配備可能な部隊の確保 配備の所要時間、人員不足、派遣国の偏り/装備等での先進国と途上国の部隊の格差、指揮系統・コ ミュニケーションの問題は全て、即時配備可能な部隊の確保によってかなりの程度解決される。ブラヒ ミ報告で既に「国連待機部隊制度」が提言されているが、必要に応じて必ず招集できる部隊が存在すれ ば、たとえそれが国連の常備軍ではなくとも、明確な指揮系統・コミュニケーションの下、決まった装 備を持った、PKO 業務を行うための特別な訓練を積んだ部隊を即座に配備することが出来るようになる。 ブラヒミ報告では各国に待機者のリストを作らせることが想定されているが、二重の忠誠を防ぐために も国際公務員として雇用すればよいのではないだろうか。全ての部隊をそこから賄う必要は短期的には ないだろうが、少なくとも指揮系統の中枢を担う人材をも毎回外部から調達するというのは、非効率的 であるように思われる。部隊全体のコアとなる部分を自前で提供できるようにすることが、第一歩であ る。これは警察・あるいは文民の専門家等にも言える。PKO の特殊な業務に十分対応した人材を常にあ る程度揃えておくことが重要だ。勿論コストの面では困難が予想されるが。 あるいは国際公務員として雇用しなくとも、即時配備可能な人員の提供を各国の持ち回りにすること が考えられる。数年の任期を設定し、その期間は当該国が人員を決められた人数必要に応じて提供しな ければならないという責任を課すのだ。その際最も合理的で皮肉の効いた方法は、安保理の理事国をそ の任に当たらせることである。安保理が現在の仕組みを維持する限り、最も有利な立場にあることにな る五大国は、もしその立場をあくまで手放さないというならそれに見合う責任を国際社会に対し果たす べきだ。非常任理事国に関しては、任期の間その任に当たればよい。 ④「平和に対する脅威」の定義の確定 「平和に対する脅威」が恣意的に認定される危険がある点はよく指摘されるが、これを防ぐための手 段は恣意的決定を許さないこと、即ち決定主体をより中立的・客観的なものにするか、決定主体は変え られなくとも定義を明確にするかである。前者については①に述べた通りである。後者についてだが、 国連憲章自体が多くの解釈を許すような文章であることは責めることが出来ない。多数国間の「最大公 約数」が、国連憲章であるからだ。しかし後から附則を設けることで、それを補う努力を諦めるのは間 違いであろう。現に恣意的な解釈を許している今、安易な「現実」の受け入れは許されない。 「平和に対 する脅威」に含まれる事象を列挙する形で、かなり明確に定義が出来るはずである、もっともそれを確 定する過程のどこかで拒否権が行使されれば、元も子もなくなるのだが。 一方未だ理想に過ぎない長期的な展望を述べれば、 ⑤より中立的な安保理の誕生 9 長期的に見れば現在の安全保障理事会の仕組みは改革を避けられまい。 「五大国」の相対的な地位の低 下はいずれ誤魔化しの効かないものになるだろう。そうなった際、より中立的な新しい安全保障理事会 が生まれればそれに服することが出来よう。具体的には、常任理事国の撤廃が最もリーズナブルである。 ⑥いわゆる国連軍の設立 ⑤が可能になれば、憲章 43 条を実行に移すことは既に難しくないはずである。③で述べたような限定 的な待機人員のみならず、PKO を真に担えるだけの人材と装備を揃えることが出来るだろう。その際、 地域機構や多国籍軍との役割分担が課題になるだろうが、それはこれまでの問題に比べれば大きな問題 にはならないだろう。 逆に、国連が既に変わった過去の「現実」を受け入れ続けるのならば、現在の国連の機能を中途半端 に国連が担っている必要はあるのだろうか。国連が寄せ集めで任務を行うよりも、専門的な機関にそれ ぞれの機能を任せ、国連はそれにオーソリティを与えることに専念したほうが、よほど効率的ではない だろうか。 ① 武力行使の多国籍軍や地域機構への完全なアウトソーシング 現在でも平和強制の部分は多国籍軍や地域機構が担っている例が多いが、平和維持に関しても、各国 の寄せ集めとしての国連部隊が行うのと、同じ各国の寄せ集め、ただし地域的に近い国々の寄せ集めで あり得る多国籍軍や地域機構が行うのを比べた場合、前者の方が望ましいとする理由は一体どこにあろ う。国連が厳密な審査と評価の下に正統性とアドバイスを与えてさえいれば、よほど後者の方が望まし いのではないだろうか。何より地域の国々には紛争に対する強い問題意識・当事者意識があるであろう から、PKO の場合のように必要な人員が確保できるか否かで苦慮することはおそらくない。一国毎に折 衝するよりは、地域単位で折衝する方が効率的であるし、地域の安定を地域で支える仕組みが整い、平 和構築のノウハウも各地域・各国に浸透していけば、強いてその任務を国連が実行する必要はない。勿 論近隣の国家の介入が逆に嫌われる場合もあろう。その時こそ国連が、別の地域機構あるいは多国籍軍 に任務を与える役割を果たせば良いのではないか。どの国も関心を示さない事例が可能性としてはあり 得るが、それは現状でも変わりのないことだ。 ② 平和構築の NGO や市民団体への完全なアウトソーシング ① によって平和強制あるいは平和維持が行われるのと組み合わせて、平和構築の機能には NGO や市 民団体が中心的役割を担えばよい。近年の NGO の活躍は世界中で報じられることであるし、国連との協 働関係も築かれている。国連は各任務にそうした団体・組織を任命し、必要に応じてアドバイスをする だけでよい。実行機能は、彼らが担うことになる。むしろ一部のエリートだけではなく、草の根の社会 貢献への関心を活かすことが、これからの時代に必要であるのではないだろうか。 前者と後者のオプションに、絶対的な優劣はない。しかしどちらが人々の国連への期待に応えること になるかと言われれば、前者であることは自明であろう。だからといって、人々にとってより良いこと だという結論には直結しないのだが。 10 4. 結 語 に 代 え て ― 「 理 想 と 現 実 」 の 歯 が ゆ さ 「理想を語るのは簡単だ、それを実行に移すのが難しいのだ」―ありふれた、当然のような言葉であ る。しかし私はこう言い換えたい。「理想を否定するのは簡単だ、それを持ち続けるのが難しいのだ」。 依然国際政治は国家を単位とした秩序に基づいていることからしても、国連が世界を実効的に統べる ような構図は単なる妄想に過ぎない。しかしそれでも、恐らくは名目上であっても世界の政府の連合体 としての国連が、普遍的な理念を提示する上で最も強い正統性を有していることには議論の余地がない。 国際人権規約、難民条約、ジェノサイド条約など、国際理念としての条約締結において国連が世界にビ ジョンを提示する最も重要な役割を担ってきたことは、疑いようがない。むしろ我々が国連という存在 を無意識に信用できる頼もしいものだと感じるのは、国連が何か実際的な行動を起こすからというより も、それが理想を掲げているからであった。それがあるがゆえに、国連は度重なる実行面での機能麻痺 と失敗が有っても、今日までその地位を維持してきたのに違いない。その意味で、国連の生命線は加盟 国のコンセンサスに基づく「最大公約数」としての理想の提供にあったのではないだろうか。 研究者、あるいは各国政府関係者が国連の「現実」を指摘するのは当たり前の事である。しかし国連 自身は、それを決して言ってはいけないだろう。国連は建前であっても、高尚な理想を掲げて生まれた。 人々が期待を寄せるのも、厳しい現実に支配された世界の中で少なくとも国連には理想を感じられると 思うがゆえである。だから国連が理想を諦め「現実」に対応し続けるならば、そのような期待は消え去 るに違いない。そしてそのような組織は、現実が変わりつつあることにも気付きはしない。 以前ニューヨークの国連 PKO 局を訪問したことがある。そこで話を伺った職員の方に国連軍の可能性 について恐る恐る尋ねてみた。すると言下に「ありえない」と否定されたのである。言われた当時は自 分の無知を恥じた。 「現実」を知らないことを恥だと思った。しかしどこかに引っ掛かりがあったのも事 実である。今回の論文課題を吟味する中でふと思い出したこの記憶を再検討してみると、今度は違和感 の源がはっきりしてきた。すなわちなぜ、 「国連に」現実を教えられなければならないのだろうか。外部 の人間であるから、国連職員と国連を同一視することに関してはご容赦願いたい。当人もそれを国連の 見解として外部に理解されても仕方ないことを覚悟して意見を言っていてしかるべきだからである。も し 43 条が復活することが実現可能だとしても望ましくない選択肢なのだとすれば、前述の発言も頷ける。 だがそれならばこの条項を早々に消し去ってしまうべきである。そうでなければ、やはり国連が理想を 捨てて目先の現実をとっているのではないかという違和感を、拭うことは出来ない。 仮に国連が理想を捨てたあくまで現実主義の組織になったとして、そのような国連に存在価値はある だろうか。裏切り、見殺し、不正、そういったものとは無縁の組織だと思うからこそ、人々は国連に期 待を寄せるのではないか。それを非現実的だと断じるのは外部の人間には許される、しかし内部の人間 には決して許されてはならない。紛争に生活を踏みにじられる人達が最後にすがることができるのが、 国連ではないのか。理想の追求を途中で辞めることは、彼らを足蹴にすることである。国連には、たと え他のどの機関が諦めても、掲げた理想を追求することを、やめないでほしいと感じるのは、私だけだ ろうか。 本稿を執筆するにあたり、自分の知識不足には反省を禁じ得ず、またまさに非現実的であったり、方 向性のずれた議論も、あるいはあったかもしれない。今回列挙した解決策のそれぞれについて、仔細に 11 検討し、今後の国連と安全保障を巡る情勢に注目し続けることを今後の課題として、本稿を終えたい。 *参考文献リスト 【書籍・論文】 秋山卓哉. 2007. 「人道主義に基づく国連平和維持活動--国連コソボ暫定行政ミッションと現地社会の対 立.」 『コスモポリス』 (1):27-41. 秋山卓哉. 2010. 「冷戦後における国連平和維持活動の変容 : 国際組織における組織文化とリーダーシッ プの役割.」 『法学会雑誌』 no. 50 (2):299-333. 石塚勝美. 2004. 「PKO とその課題点 : 冷戦期、ポスト冷戦期を通して.」 『共栄大学研究論集』 no. 2:1-28. 石塚勝美. 2006. 「国際社会の平和維持軍設立への迅速対応に関する問題:1999 年の東ティモールのケー スから.」 『共栄大学研究論集』 no. 4:1-15. 石塚勝美, 森久保俊満. 2012.「国際平和維持活動の武力行使に関して : MONUC と KFOR をケースに.」 『共栄大学研究論集』 (10):23-46. 井上実佳. 2011. 「1990 年代以降の国連平和維持活動の変遷 -国連憲章第 7 章下の任務に着目して.」『修 道法学』 no. 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