1地震報告―5(5月22日現在) 地震発生後およそ一か月が経とうとしているが、依然として余震は続いて 5月12日の余震はドルカ、チャリコットなどカトマンズ北東部に大きな被害 をもたらした。又。都市部でも4月25日の地震で崩壊を辛うじて免れた建物の 全壊が目立った。 1.余震の被害 被害の様子が寄せられている、チャリコット、ドルカ、シンガテイ、などでは 総計すると100名以上が死亡しているが土砂崩れで村全体が埋まって しまっている為行方不明者も含めて実数は把握されていない。 4月25日の地震で大きなダメージを受けていたこの地方に救援物資を 運んでいたトラックが土砂に埋まってしまたケースもある 現地警察からは ”Almost no house standing"という報告もあるそうだ。 。 2. 避難所 避難所は主にテント、タープ、木材と波板、防水シートの組み合わせである。 カトマンズ盆地では木材の入手が難しい為 テント、タープが多く、丘陵地帯の被災地には木材を利用した避難小屋を見かける。 テント、タープの配布された主な地域 ( テント・タープ ) (全・半壊の家屋 ) (充足率) カトマンズ 71641 87726 棟 81% シンヅパルチョック 59328 66636 棟 89% ドルカ 52000 65618 棟 79% 47108 62143 棟 75% カブレ 47065 73647 棟 63% ゴルカ 39597 58080 棟 68% パタン 22196 39415 棟 ヌワコット 56% 以上の数字は5月20日現在であるが、数字を発表する機関(政府、軍または 外国メデイア)によって大きく異なる場合があり、あくまで参考程度としたい。 例えばシンヅパルチョックは別の発表で 約 68000 棟の家屋のうち約 63000 棟が 全壊したとしている。 3. 震災の様子 ----シンヅパルチョックの場合 カトマンズ北東約20kmに位置するシンヅパリチョックは最も被害の 大きかった地域である。震央のゴルカから東に若干離れているが4月29日 の第2波、5月12日の第3波ハマグニチュード 7 を 超える余震がこの地域 に壊滅的な打撃を与えた。3323 名の死者が確認されている。 カトマンズから近くアクセスも容易なことから救援,復旧は進んでいるが、 CDO ( Chief district Office 郡庁,Agriculture Service Center ,警察署 DAO( District Administration Office など政府機関は全壊し 557 の学校と 57か所の診療所も倒壊しテントで診療を続けている。商店街である チョータラ・バザールでは倒壊を免れた家屋のさらなる倒壊の恐れがある為、 近寄ることも禁止されている。 被災者はすべての財産が埋まってしまった為、何とか掘り出そうとしているが、 重機無しでは無理のようである 4. ドルカ(シンガテイ)の場合 カトマンズ北東約80kmのこの地方はロールワリンのトレッキング、 登山で人気の地域である。40年も前スイス政府が援助で建設した山岳道路 (通称スイス道路)を大きな街ジリに向かう中間点チャリコットの町から ロールワリンに向かう地方がドルカである。被害のほとんどは、地震による 大規模な土砂崩れで地域の11の村落が全く消息なく、全体が土砂で埋まった ものとされている。また、救援物資を運んでいたトラックや大勢の乗客を乗せた バスなどが消息を絶っておりこれも同様に土砂に埋まったものと思われる。 また、救援活動をしていたアメリカ海兵隊のヘリコプターが8名の隊員 を乗せて遭難に会い、現在原因に究明にあたっているが土砂崩れが原因とも 言われている。 5. ランタンの場合 ランタンはカトマンズ北方の約20kmトレッキング・コースとしては人気の 地域であり、ランタン・リルンをはじめ周辺の山々は日本登山家が最も 活躍した地域である。 当時偶然現場に居合わせた日本人登山家によれば、落石の雨あられでたまたま 森林帯の岩場の陰に避難できた為助かったということである。彼らの10分 ほど先を歩いて いた外人トレカーは行方不明である。現在までに110名の 外人トレカーと多数の村人が行方不明である.ランタン村をはじめとするあらかた の 村落は雪崩と土砂崩れで埋まってしまい早期の復旧は無理である。またトリスリ から ドンチェ、シャブルベンシ にかけての街道も復旧作業は続いているが土砂崩れの 可能性は避けられないようである。 6.2階建て以上の建物の新築は禁止 全壊、半壊家屋、などの撤去作業を受けて政府は7月15日まで2階建て以上の 建物の建設を 禁止した。この間地方開発庁やカトマンズ市当局は新しい 建築基準法の策定を計画しており 合わせて耐震や火災などを考慮して 旧市街区を近代化することになる。 半壊した高層ビルデイングの撤去作業を行っているが現場からは、クレーン等 重機の不足と ビルの取り壊し作業の手順がわからず国際社会の応援を求めてい る。 現在、地震工学(建物)の世界的権威である宮本 英樹博士がネパールに来ておられ 多くビルなどの 検査を行っておられる。博士はハイチ地震では5年間現地で 復興助力をしておられた。 7 土砂災害 6月も中旬になるとモンスーンの季節となる。測候所の予測では本年のモンスー ンは 雨量が少ないとのことであるが、政府災害対策本部では今回の地震で多くの土砂 崩れ による災害を経験し、トリブヴァン大学や鉱山局の地質専門家はこの雨季には 3000か所以上の土砂崩れの可能性を指摘している。カトマンズとインド国境 をつなぐ幹線道路は山肌を通過する箇所が多く危険が指摘されている。もし長時 間 この道路群が閉鎖されるとカトマンズ盆地が孤立することは必定である。 8. 日本からの支援 1) 緊急資金援助 約16億8000万円 2) 緊急援助隊 救助隊( 外務省、警察庁、消防庁、海上保安庁)70名 医療隊 46 名 救援・医療隊 (自衛隊) 114 名 9 在ネパール日本大使館の活動 1) 2) 4月25日地震発生を受けて館員召集、対策本部立ち上げ、情報取集 安否確認 長期滞在者 約1100名 短期滞在者 約 550名 3) 4) 邦人保護と被害 1. エベレストBC 死者1名(中国隊の参加した日本人〉、負傷者1名 2. ランタン 2 グループ(9名) ヘリにより救出 3. そのた ルクラ等グループ救出 援護など 1. 大使館を避難所として開放 最大時約50名、延べ136名収容 2. 国際電話、ホットライン、寝食、の提供 3. 医務官による健康診断、診療 4. 定期的な情報提供 5. 空港にジャパン・デスクを開設 6. 緊急援助物資、援助隊の受け入れ なお、小川大使は地震発生当日東ネパールに国内出張されており、 航空機便が無い為危険を承知で約12時間かけ、夜を徹して車にてカトマンズ に帰ってこられ指揮にあたられた。 10. 復興援助会議のスケジュール 政府は PDNA( Post Disaster Needs Assessment )を立ち上げ復興に関する 6月10日までの日程で施策の検討に入った。また6月22日には援助国 、国際機関などと会議を持ち7月8日までには復興予算を決定したいとしている。 以上。 大津 昭宣
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