新 年ご 挨 拶 学 校 法 人 理事長・総長 鶴 衛 そんな馬のことを考えているときに、 平 素より鶴 学 園の教 育 運 営に多 大 ピック委員会総会で「TOKYO 2020」 と なるご理 解ご協 力をいただいておりま 発表された瞬間を、 わが事のように喜ん 元 聖 心 女 子 大 学 教 授で、現 在は国 際 す皆 様に、遅くなりましたが、新 年のご だのは私だけではないと思います。 文 学 療 法 学 会 会 長を務めておられる また、2 0 2 0 年 は、安 倍 晋 三 首 相 が 鈴木秀子先生が、安岡章太郎の短編 昨 年 9月にわが 国の財 政 赤 字を黒 字 小 説『 サアカスの馬 』について解 説さ 新 年をお迎えのこととお喜び申し上げ 化 すると、国 際 社 会に宣 言した年でも れているエッセイに出会いました。 ます。 あります。 挨拶を申し上げます。 皆 様 にお か れましては 、健 や かに 今 年の三 が日は、穏やかな3日間で しかし、2 0 2 0 年と言えば 、私たち教 『 サアカスの馬 』 という本は、教 科 書 にも取り上げられた名 作ですが、簡 単 にあらすじをご紹介します。 乗せ、 イキイキと、鍛え抜かれた巧みな 曲芸を見せる馬を見ました。 この馬は、 サーカス団の花形だったのです。少年 はつぶやきます。 「いったいこれは何としたことだろう。 れるのです 。…そうした思いちがいに 陥って自分の可能性を狭めてしまわな した。私は元 旦に自宅 近くの小 高い山 育 界に身を置く者にとってとても重 要 へ 行き、初日の出を拝むことができまし な節目の年になります 。その年を境に この小説の主人公である少年は、 ま あまりのことに僕はしばらくアッケにとら いためには、 まず自分が何らかの思い た。今年は、 このように平穏な一年とな 再び、わが国の1 8 歳 人口が減 少に向 ったく取り得 のない中 学 生でした。小 れていた。けれども、思いちがいがハッ ちがいをしていないかと、時 折 客 観 的 陵 中 学 校( 現 広 陵 高 校 )の 校 長を務 ることを願っています。 かうからです。 説の一 文を紹 介します。 「 成 績は悪い キリしてくるにつれて僕の気 持ちは明 に振り返る習慣を持 つとよいでしょう。 めていた鶴虎太郎へ訴えたとき、虎太 1 8 歳 人 口 はここ2 0 年 、1 9 9 2 年 の が絵や作文にはズバ抜けたところがあ るくなった。 自分の考えが絶対正しいという思い込 郎は、 「その騒ぐ子は私が責 任を持っ 世界各地で水害や干ばつ、竜巻などの 2 0 5 万 人をピークに 急 速 に 減 少し 、 るとか 、模 型 飛 行 機 や 電 気 機 関 車の 息をつめて見まもっていた馬 が、い みを捨て、物 事に対して、 これは駄目、 て入 学させた子 供です 。他の学 校は 自然 災 害が猛 威をふるい、安 心・安 全 2 0 0 9 年からは1 2 0 万 人 前 後の横ばい 作り方に長じているとか、 ラッパかハー ま火の輪くぐりをやり終わって、ヤグラ あれは 悪 いと簡 単に決 めつけないこ 受け入れてくれません。最 後まで育て が脅かされました。11月、 フィリピンを直 期に入っています。それが2 0 2 0 年、再 モニカがうまく吹けるとか、そんな特 技 のように組 み 上 げた三 人 の 少 女を背 と。 もっとたくさんの違った見 方 がある る責 任 があります 。その点 、お母 様の 撃した台 風 3 0 号では死 者 が6千 人を び 減 少に転じ、今 世 紀 半ばには8 0 万 らしいものは何ひとつなく、なかでも運 中に乗せて悠々と駆け廻っているのを ことを認識することが大切です」。 お子さんは立派な生徒なので、他の学 超えました。わが国でも伊 豆 大 島で1 0 人を割り込むと推計されています。 まさ 動ときたら学業以上の苦手だった。」 みると、僕はわれにかえって一 生 懸 命 私は、 『 サアカスの馬 』 という作 品と 月、台風26号による土石流災害で39人 しく 「2020年問題」にほかなりません。 このように主 人 公の少 年は、何かに 手を叩いている自分に気がついた」。 鈴 木 先 生の解 説を通して、たくさんの お母さんのお子さんも最 後まで責 任を 当然ながら18歳以下の年少人口の 秀でて周りから尊 敬を集めるような存 この作品は、 ここで終っています。少 違った見方があるという考えを再確認 持って卒 業させたいのです が、 どうし 昨 年 一 年 間を振り返ってみますと、 もの死者・行方不明者が出ました。 2 鶴 学 園 校 へ 行っても十 分にやっていけます 。 国 際 情 勢も同 様で、世 界 各 地でテ 減 少 が 早く訪れます 。大 学はもちろん 在でもなく、かといって人から白い目で 年は、活発に演技するサーカスの馬に しました。なぜなら、たくさんの違った見 ても騒ぐ子と一 緒なのが 問 題ならば 、 ロ事 件が相 次ぎ、シリアでは内 戦が深 小中高 校や専 門 学 校を含め、私 立 学 見られる不良少年というわけでもありま 衝 撃を受けたはずですが、そのところ 方があるというのは、私たち教 育 現 場 お母様のお子さんが転校されることは 刻 化しました。わが 国も近 隣 国と緊 張 校に再編・淘汰の荒波が押し寄せるこ せんでした。 はあまり書 かれていません。そこを少 にいる教職員にとって、忘れてはならな できませんか」 と答えました。 した状態が続きました。 とは必至です。抜本的な改革に手をこ そんな少年の口癖は、 「まあいいや、 どうだって」でした。 年になって想 像 することが、この小 説 い 基 本 的な考えだからで す 。私 たち この話は、私たちに子 供を想う愛の を読む意味があるところだと思います。 は、多くの学生、生徒、児童を前にする 深さを感じさせます 。何 か 大きな壁を と、子 供たちをパターンで見る傾 向 が 乗り越えている考えだと思います。 国内では、大胆な金融緩和をはじめ まねいていてはとうてい生き残ることは とする第 二 次 安 倍 政 権による経 済 政 できません。小学校から大学まで6つの ある日、少年が通う中学校に隣接す 策「アベノミクス」が功を奏して景況は 学 校を擁 する本 学 園にとってもまさに る空き地に、サーカス団がやってきまし あります。気をつけなければならないこ 私立学校にとって厳しい時代を迎え 上 向きました。 しかし、消 費 税 が 8%に 正 念 場を迎えている、 と言っても過 言 た。少 年は、サーカス団に肋 骨がすけ 「まあいいや、 どうだって」という印象を とで す 。学 生 、生 徒 、児 童 のことを想 るなか、本 学 園の教 職員は一 体となっ アップしたらどうなるか、T P P( 環 太 平 ではありません。 て見えるほどやせていて、つやもない、 抱いていた馬 が、目の覚めるような演 い、可 能 性を常に見るという姿 勢を忘 て決 意を新たに、鶴 虎 太 郎の遺 訓で れてはなりません。 そして、この 作 品 のキーワードの 一 つが、 「 思いちがい」という言 葉です 。 洋 経 済 連 携 協 定 )で産 業 や 暮らしは さて、今年の干支は馬です。馬は、私 いたいたしい姿の馬を見 つけました。 技を披 露して、人々から大きな喝 采を どう変わるのか… 。先が見 通 せないま たちにとって古くからとても大切な動物 少 年は、その馬は自分のように怠けて 浴びています。 「思いちがい」について ま、新年を迎えました。 です。遠くへ 早く移 動 するための乗 馬 何も出 来ないので、サーカスの人 から 鈴木先生はこう解説しています。 ある建 学の精 神“ 教 育は愛なり”、そし そして私は、鈴 木 先 生のエッセイを て学 園 創 立 者 の 鶴 襄 が 掲 げ た 教 育 読んでいるとき、自然と本 学 園の校 祖 方 針“ 常に神と共に歩 み 社 会に奉 仕 そうした中、明るい話題のトップは何と だけでなく、農 業 、運 搬 、 さらに最 近で いつも怒られているのだろうと想像しま 「この場 面は、私たちが平 素いかに である鶴 虎 太 郎 の、教 室で騒ぐ子 供 する” に則った教育を実践し、学生、生 言っても2020年東京オリンピック・パラリ はホースセラピーという言葉があるよう した。そしてその馬が、 「まあいいや、 ど 多くの思いちがいに支 配されて生きて に対する愛情の話を思い出しました。 徒 、児 童 の 可 能 性を最 後まで全 力で ンピックの決定でしょう。東京での開催は に、精神的にも助けてくれる存在です。 うだって」とつぶやいているような印 象 いるかということ、そしてその思いちが 教 室でよく騒ぐ子 供 の同 級 生 の 母 引き出して 参 る所 存 で す 。皆 様より 56年ぶりのことで、9月にアルゼンチンの 今年は、活発で元気な馬のように、発展 を抱きました。 いを消し去ったところに、広々とした地 親が、 「あの子がいると授 業の邪 魔に 益々のご指 導ご鞭 撻を賜りますようお ブエノスアイレスで開かれた国際オリン 飛躍する年になることを願っています。 平 がひらけていることを気 づか せてく なるので転 校させてもらいたい」と、広 願い申し上げます。 ところがある日、少年は、人間を背に 3
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