新 年ご 挨 拶 学 校 法 人 鶴 学 園 理事長・総長 平 素、鶴 学 園の教 育 運 営に多 大な く、そして一日一日をまじめに精進して する工 学 技 術 の 進 化 や 社 会 的 ニー るご理解ご協力をいただいております いかなければならない、 ということを改 ズなどに応える人 材を養 成することを 皆様に、遅くなってしまいましたが、新年 めて教えられました。その姿 勢は、本 目的としています。 のご挨拶を申し上げます。 学園の建学の精神「教育は愛なり」と さて、今 年はどのような年になるの 程は、外からの攻 撃によるものではな 教 育 方 針「 常に神と共に歩み社 会に でしょうか? 日本 経 済は、内 憂 外 患の く、内 部 からの 社 会 的 崩 壊 から始ま る、 ということを教えてくれています。 日 皆 様 におか れましては 、健 や かに 新年をお迎えのこととお喜び申し上げ 奉 仕 する」を具 現 化しているように感 状 況だと言われています。世 界に目を ます。 じます 。被 災 者の皆 様の心に敬 服い 向ければ、ユーロ圏の債 務 危 機や新 本も同じような過 程をたどっているの たします。 興国の経済減速懸念といった不安が ではないでしょうか。 昨 年は、 日本の歴 史に残る悲しい1 年となりました。3月11日に発生した東日 昨 年は、本 学 園の広 島 工 業 大 学と 広がっています 。 また、主 要 国で国 家 私は、 この歴 史の教 訓を『日本の自 始したのである。… 繁 栄と福 祉 の 絶 本大震災は、大地震と大津波により未 中 学 校 が、創 立 5 0 周 年を迎えたとい のリーダーを選 ぶ 選 挙 が目白 押しで 殺 』という論 文 から学 びました 。この 頂に達したと錯 覚していたときに、ロ 曾有の大災害をもたらしました。マグニ う大きな節目の年でした。広 島 工 業 大 す 。選 挙 の 結 果 は、世 界 経 済に大き 論 文は、昭 和 5 0( 1 9 7 5 )年 2月に発 行 ーマ 社 会 の 芯 は 腐り始 め、ローマ 人 チュードは日本 観 測 史 上 最 大の9 . 0を 学 では、9月1 7日に創 立 5 0 周 年を記 な影響を及ぼす可能性があります。 された文 芸 春 秋にありました。そこに の魂は衰 弱し、ローマの没 落 が 確 実 に始まっていた」のです。 記録し、大津波は場所によっては波高 念した式 典・祝 賀 会を開 催し、旧ラグ 国内に目を向ければ、急激な円高と は、かつて地 中 海 沿 岸 全 域とその周 10m以上、最大遡上高は40mにも及ぶ ビー場をラグビー、サッカー、陸上競技 公 的 債 務の増 加に加え、震 災 復 興に 辺 地 域を制 圧し、 “ 永 遠の都 ” とまで 1 9 8 0 年 代 終わりから1 9 9 0 年 代 初 い、 自分のことばかりを考えてはならな 凄さでした。死者・行方不明者は約2万 ができる人 工 芝のグラウンド “グリーン か かる莫 大な資 金 が 国 家 財 政 の 悪 呼ばれたローマ帝国の没落は、 まさに めまでバブル経 済に酔 いしれていた い、人を思いやる心を持って欲しい、 と 人、被災者は10万人を超えました。 けない 、人に迷 惑をかけてはいけな フィールドH . I. T. ” に改 修しました。今 化に拍 車をかける恐れがあります 。こ ローマの繁 栄の絶 頂 期に始まってい 日本人の姿が、かつてのローマ人とダ いった基本的な規範を教え、額に汗し さらに、地震と津波による被害を受け 年の春には、学 生のクラブハウスを旧 の状 況を打 破するためにリーダーシッ たと書かれています。 ブッて見えるのは私だけでしょうか。 て努力することの大切さを伝えなけれ た東京電力福島第一原子力発電所で 広 島 高 校 北 校 舎 へ 改 装 移 転 する予 プを発 揮しなければならない政 治は、 ばならない、 という想いです 。本 学 園 いかにしてローマは滅 亡したか。そ 先ほど 述 べましたように、この論 文 混迷するばかりです。今年も厳しい年 の最 大の理 由は、 “ パンとサーカスの は昭 和 5 0 年に発 刊されています 。当 の教 育 方 針にある「 神と共に歩む」と となりそうです。 要 求 である” と記されています 。つま 時 の 筆 者たちは、すでに日本 の 政 治 いうこと、 「社会に奉仕する」ということ はこういうことだと思います。本学園創 は、全電源を喪失したことにより原子炉 定です 。学 園 創 立 5 0 周 年のときには を冷却できなくなり、大量の放射性物質 「 三 宅 の 森 N e x u s 2 1 」を建て、学 生 の放出を伴うという重大な原子力事故 へ の 教 育・学 習の 整 備を行 いました この状況を打ち破るためには、大胆 り、巨 大な富を集中し繁 栄を謳 歌した 的 、経 済 的 、社 会 的な沈 没を危 惧し が 発 生しまし た 。発 電 所 から 半 径 が、 この度は、学 生のキャンパスライフ な行 財 政 改 革を行うとともに、 日本 人 ローマ市 民は、 「 大 土 地 所 有 者や政 ています 。 しかしながら現 代 社 会の日 立 者の鶴 襄が逝ってから5 年がたち 20km以内に住んでいた人々は、長期 の充実を考えた教育環境整備です。 がかつて世 界に誇っていた伝 統ある 治 家 の 門 前 に 群 がって“ パン”を求 本 人は、バブル経 済 崩 壊 以 降も筆 者 ますが、私は今 、 この遺 訓の深さと今 中学校は、広島工業短期大学附属 文 化に基づいた上 質な日本 人に戻る め、大 土 地 所 有 者 や 政 治 家もまたこ たちの警告を全く無視するかのように 日性を噛みしめています。 の避難を余儀なくされています。 また、 関東・東北地方をはじめ、電力不足は 中学 校として開 学し、今は広 島なぎさ 努 力が 必 要だと思います 。稲 盛 和 夫 れら市 民 大 衆の支 持と人 気を得るた 振 舞ってきたように思われます 。残 念 一 人 でも多く、上 質 な日本 人を育 全国に広まりました。原子力による災害 中学校へとつながっています。中学校 氏の言 葉をかりれば、 「たとえ経 済 的 めにひとりひとりに “パン” を与えたので ながら、私もその 現 代 社 会 の日本 人 て、日本 社 会を内 部 から立 て 直して は、 とりわけ広島市民の心を強く締め付 の 5 0 周 年を祝う会 は、広 島なぎさ高 に豊かではなくても高 邁に振る舞い、 ある。 このように働かずして無料の “パ の 一 人 で す 。このように昨 年 末に私 行きたいものです 。教 育という仕 事に けます。 校の5 0 周 年も考 慮して計 画したいと 上に媚び ずに下には 謙 虚に接し、自 ン” を保 障されたかれら市 民 大 衆は、 が 考えていましたところ、本 年 1月1 0 こそ、それができます。今、教育は日本 考えています。 己 主 張 することもなく、他に善 かれか 時 間を持て余さざるを得ない。 どうし 日の 朝日新 聞 が『 明日の 社 会に責 任 にとってことのほか 重 要なものになっ しと思いやる」そんな美 徳を持った日 ても退屈しのぎのためにマス・レジャー をもとう「日本 の自殺 」を憂う』という ていると思 います 。本 学 園 の 教 職 員 亡くなられた方々に心よりご冥福を申 し上げますとともに、被災された皆様の 今 年 、広 島 工 業 大 学は、新 たなチ 心が1日でも早く落ち着くようにお見舞 ャレンジを始めます 。情 報 学 部にある が 必 要となる。かくしてここに “サーカ 特 集を組んでおり、同じ論 文を引用し は、常に学 園の教 育 理 念を心に抱い い申し上げます。 健康情報学科を改組し発展させ、4月 日本は、戦 後の急 速な経 済 発 展を ス”が登 場することとなるのである。… て私の懸 念と同じ内 容の指 摘をして て、それぞれの役 割に取り組んでいき から生 体 医 工 学 科と食 品 生 命 科 学 成し遂げ、物 質 的な豊かさを得ました こうして無 償で “パンとサーカス”の供 いました。 ます 。そして、転 機を迎えた日本の将 この大災害から立ち上がろうと努力 2 鶴 衛 本人です。 しておられる東 北 地 方をはじめとする 科から構成される生命学部をスタート が、逆に精神的な豊かさを失い、上質 給を受け、権 利を主 張 するが 責 任 や この論文に接し、私は改めて私たち 来のために、新しい教 育 創りをすると 被災者から私は、人間の命は有限であ させます。生命学部は、高齢社会と食 な日本 人 が 減 少していったようです 。 義務を負うことを忘れて遊民化したロ にできることは何か?と問うてみました。 いう目標に向かって努 力して参ります り、その限られた命を大切に守り、他 者 糧問題が世界的規模で進展すること 世 界 史をひも解いてみますと、繁 栄し ーマの市民大衆は、その途端に、恐る 私の胸をついて出てくるのは、子 供た ので、皆 様より益々のご指 導ご鞭 撻を の 命を尊 重し決して 傷 つけることな が 予 測されるなかで、生 命 科 学に関 た国 家 がやがては没 落をしていく過 べき精 神 的 、道 徳 的 退 廃と衰 弱を開 ちの教育においては、嘘をついてはい 賜りますようお願い申し上げます。 3
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