Untitled

イリヤー・プーシキン
寝る前に読む物語と
目覚めの後読む詩
エルサレム・2009
修正:南雲誠一
藤田理世
装丁:シモーナ・ヴェイスべルグ
Jerusalem, Ilya Pushkin © 2009
目次
寝る前読むに物語 .................................5
行ったきりの日本語の授業................................ 7
イスラエルのお医者さんのための日本人の妻................ 14
日本から愛を込めて...................................... 20
上野から蝶々............................................ 34
日本語の叙情詩には気をつけよう (危険な詩集の発行).... 37
ゼロ戦のもう一つの戦闘飛行 (古い上野のおとぎ話)....... 48
部屋の床に何かある...................................... 51
学生の冗談.............................................. 52
誰にも話さないでおきましょう............................ 53
普通の家族のありふれた物語.............................. 59
目覚めの後読む詩 .................................67
3
寝る前読むに物語
行ったきりの日本語の授業
1.
私はロシアから来たとき、自分の専門の仕事を見つけること
ができなかった。イスラエルでは日本語の研究はちょっと特殊な
専門分野であった。数ヶ月の職探しの後、警察での仕事を見つけ
ることができた。
最初は交通整理の職務から始まった。
三週間経った後、私は二度とこんな仕事はやりたくないと思
うようになっていた。
上司に「私にはこの職務を続けることはできません!」と言
った。
ふと上司は私の顔を見て微笑んでいった。「確か君の専攻は
日本語だったよな?」
「はい、そうですが」と私は答えながら、それがどうかした
のだろうかと思った。
「パヴリク!」と彼は誰かを呼んだ。
すぐに背の高い大柄な若い警官が近くに現れた。
「この
った。
日本人
に例の事件を説明してやれ」と、上司は言
「君はもう少しがんばれば、予審判事になれる。もちろん、もっ
と勉強しなければならないけれどな。」と、彼は私に言った。
このパヴリクとは、ジムで顔見知りであった。私たちは彼の
部屋に行った。
「コーヒーでもいかがですか?」と、彼は聞いた。私がコー
ヒーを飲み始めると、彼は事件について話を始めた。
大学の学生がいなくなっている。ここ半年で六人失踪した。
男性も女性もいるが、彼らに共通するのはみんな日本語を専攻し
ていた点である。
最初はだれもいなくなったことに気を止めていなかった。単
なる若者の気まぐれ程度に思っていた。でも彼らの蒸発後何ヶ月
か過ぎて、親戚や友達が心配し始めた。パブリクは六人の若者の
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写真をテーブルの上に置いた。私は写真をよく見ることにした。
手がかりとなるものはなく、共通点としては、ある若い日本の女
子学生からプライベートレッスンを受けていたことぐらいだ。
そしてパヴリクは私に、 日本語のレッスン
見せた。「みえこ」と書いてあるのが読めた。
のお知らせを
「私たちは自分達の仲間を、彼女のもとへ 日本語を勉強さ
せるために 送る事を決意した。あなたは日本語ができるので、
その役に適している。」とパブリクは話した。「何がおきている
のか調べてきてほしい。」
2.
きれいな色の浴衣を着た若い女性が、私のために戸を開けた。多
分美人とはいえない女性だけど、彼女にはある魅力が感じられた。小
さく礼をして、「どうぞ、お入りください!」と彼女は言った。私は
「おじゃまします」と言いたかったけど、「シャロム!」とヘブライ
語で答えた。「私は日本語ができないんだった!」と、ちょうどその
時私は思い出した。
「みえこです」と彼女は自己紹介した。「そちらへどうぞ」部屋
を指した。
彼女の部屋は和室ではなかったけれど、茶の湯のために用意され
た道具があった。「たいてい私は茶道から私の授業を始めるんです」
と女性は言った。低い椅子を指して、「そこにおかけください」と彼
女は言った。
みえこさんは黙ってゆっくりと茶道の儀式を行っていた。やがて
彼女はお茶の入った茶碗を差し出し、微笑みながら「どうぞ」と言
った。
「どうもありがとうございます」と私は言った。茶の湯の精神的
な本質の深さに強く影響されてしまったので、私は警察の任務を忘
れ、つい日本語で話してしまった。
お茶を少し飲んだとき、突然みえこさんの部屋がなくなり、気が
つくと私はある知らない街の通りに立っていた。
ガラスと鉄で作られた高層ビルのネオンサインには「銀座」と書
いてあった。私は東京の通りに立っていた!私の周りでたくさんの日
本人が、忙しそうにどこかへ急いで歩いていく。突然誰かが私を呼ん
だ。後ろを向くと、そこには六人のいなくなった若者たちがいた。
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「あなたたちはここで何をしているんだ?」と私は聞いた。
「知りたかったら、一緒に来ればいい」と彼らは言った。
私が彼らについて行こうとした瞬間、私は再びみえこさんの
部屋にいるのに気がついた。私が考えをまとめることができない
でいるうちに、
「授業を始めましょう。」と、彼女は微笑みながらいった。
「これは鉛筆です。」と、みえこさんは鉛筆を取り上げてい
った。
ずっと昔に私が日本語を習い始めたときと、まったく同じ文
だった。
どうして日本語の先生は鉛筆が好きなのだろうか?
私たちの授業は問題なく進んでいった。私は優秀な生徒だった。
みえこさんは何回も、「よくできました!」と私に言った。
私は嬉しかった。
授業が終わって部屋から出ようとしたとき、私は棚の上にあ
るいくつかの面白い根付に気を留めた。私はその根付を見つめて
いるうち、その根付がいなくなった学生たちの顔に似ていること
に気がついた。
戸を開けてみえこさんは、「お疲れ様でした!」といいなが
ら会釈をした。
3.
「幻覚か?」とパブリクは言った。
「多分、彼女はお茶に麻薬でも入れたのだろう。東京へのトリッ
プは楽しかったかい?」と、パブリクがからかう調子で言った。
私は黙ってパブリクにあるものを渡した。それは、私が 東
京にトリップ したときにそこで拾った マイルドセブン の空
き箱だった!
4.
疑問と謎が増えたけど、取調べは進んでいないようだ。
みえこさんが借りたアパートの主人もいなくなったという事
がわかった。毎月みえこさんは彼の預金口座に家賃をいれている
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けれど、もう長い間誰も引き落としていない。アパートの主人
は、日本で外交官として働いていた。三年前イスラエルに帰った
後、いなくなった。しかし彼には親戚がなかったので、誰も彼の
蒸発に気がつかなかった。
私たちはみえこさんのアパートを調べることにした。そのア
パートには三つの部屋があった。客間とみえこさんの寝室のほか
にもう一つ、常に鍵のかかっている部屋があった。授業は客間で
行われ、ほかの部屋には入ることができなかった。
「明日みえこさんが大学に行ったら、私は彼女のアパートを
調べることにする」と、パブリクは言った。それは合法的ではな
いけれど、いなくなった人を見つけるためにはそれもやむを得な
いだろう。
翌朝パブリクはそのアパートに行ったあと、そこから戻らなかっ
た。彼の携帯電話も繋がらなくなった。彼は家にも帰らなかった。
パブリクもいなくなった。
その晩私が日本語の授業に行くと、もう一つの根付が棚の上
にあるのに気がついた。その根付の顔はパブリクが驚いている顔
であった!
5.
意識が回復したとき、私はとある和室にいた。そこにはいな
くなった学生とパブリクもいた。彼らのほかに、紅白の和服を纏
った神主らしき人物もそこにいた。
床の間には大輪の真っ白な菊と真っ赤な椿が、一見無造作、
しかし部屋に調和するように活けてあった。
神主は、「煩悩から解放されるために強い精神の集中が必要
だ」といった。「至高の領域に到達するためには」。
そのとき突然みえこさんが、「この原則を次回までに身につ
けておいてください!」といって授業を終わらせた。
6.
この件はとても複雑なので、鋭い洞察力のある人に相談する
ことが必要だ。
シモニー先生は、イスラエルで一番有名な日本学の専門家
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だ。その方は唯一私を単なる警官として扱わず、いつも同業者と
して敬意を払ってくれた人物である。
シモニー先生のお宅を訪れたとき、先生の部屋に紅白の和服
を纏った神主さんがいた。それはあの時の神主だった!
私が先生にこれまでのこと全てを打ち明けると、先生は物思
いにふけり始めた。
少し経ってシモニー先生は、「このかたは鎌倉から来られ
た、甘縄神明神社の神主さんです。数年前、その神社から神聖な
鏡が盗まれました。そのことは秘密です。その鏡がイスラエルに
有るという情報を得たので、この方がこちらに出向かれた次第で
す。鏡が盗まれたとき神様は怒りました。いろいろな悪霊が解放
されてしまいました。おそらく、みえこさんのアパートの家主が
鏡を盗んだのでしょう。今、鏡はその鍵のかけられた部屋にある
のでしょう。神主さんに鏡が返されるとき、いなくなった人たち
も戻ってくるでしょう」
「何で彼らはいなくなったのでしょう?」と、私は聞いた。
「神聖な鏡を見てはいけないのです。あなたも鏡をのぞいたら戻
ってくることはできなくなります」とシモニー先生は答えた。
「それでは、みえこさんは誰ですか?」と私は聞いた。
その問いに対してシモニー先生は、私のほうを見て微笑むだ
けだった。
私が先生のお宅から出るとき、シモニー先生は「炒り豆を持
っていくのを忘れないように」と、言った。私はなぜ炒り豆が必
要なのかわからなかったが、先生にその理由を聞くのをためらっ
てしまった。理由はともかくシモニー先生のいうことなので、私
は炒り豆を準備することにした。
7.
さて、私は三回目の日本語の授業に出た。私は鏡のために白
くてきれいな布を持ってきた。私のポケットの中には、炒り豆の
入っている袋があった。
今回みえこさんはめがねをかけ、飾り気のないロングスカー
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トをはいていた。彼女は私にすぐ「あなたは日本語を知っていた
のに、なぜ私の授業を受けに来たのですか?」と聞いた。
「私は警官です。いなくなった学生たちの行方を追っている
のです。」と、私は答えた。
「鍵のかかっている部屋に入るのを手伝ってください。」
「それは危な過ぎます。止めてください。」
みえこさんは私の袖を摑んだ。彼女の目から涙がこぼれ始め
ていた。
そのとき、私は彼女に対して強いやさしさを感じていた。「
あなたは誰?」と、私は聞いた。
「私は狐です。でも、あなたに魔法をかけるはずだったの
に、あなたが好きになってしまったのです。」
おかしな愛の告白である!
私は鍵のかかっている戸に近寄った。戸の向こう側から唸り
声が聞こえた。戸の隙間から煙が出てきた。銃や柔道の心得など
何の役にも立たないと感じた。ポケットからシモニー先生の炒り
豆を取り出した。戸のノブに手をかけた。鍵はかかっていなかっ
た。私は戸を開けた・・・
8.
パブリクと一緒に、パブでビールを飲みながら今回の事件に
ついて回想した。パブリクは、
「呪術や炒り豆や狐などは本当なのか?そんなものを信じら
れるのか?」と聞いた。
「あなたのほうがよくわかっているはずだ」と私は答えた。
9.
みえこと結婚した日は、とても晴れていたのに雨が降ってい
た。空を見上げたが雲ひとつなかった。
愛する狐との結婚生活とはいえ、私は時々ちょっと怖くな
る。私が悪い夫になれば、彼女は私を根付にしてしまうだろう。
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10.
私は警察の仕事を辞め、大学でシモニー先生と一緒に博士論
文を書いている。
論文の主題を知りたいですか?もちろん、炒り豆についてで
すよ。
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目覚めの後読む詩
秋の雨の詩
俺が君のメールを開いたら
そこは豪雨だった。
いつか俺たちは
一つの傘の下に隠れて
お互いのぬくもりを感じるために寄り添う・・・
片目の達磨
達磨はたくさん集まったけど、
君は帰らない。
白い目から涙は流れない。
*
今晩君に逢えるという希望は
夕日と共に沈んでいく
私は夕日に「待ってくれ」と言い
夕日と一緒に君を待っている。
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*
私の妙な詩は
愛の矢みたいに
容赦なく
あなたの心に
突き刺さることがある。 私のうるさい詩は
金槌で叩かれた釘のように
容赦なく
あなたの頭に
突き刺さることがある。 *
海岸に残ったアメリカ人の船長は 涙を通して
日本人の蝶々さんの
出ていく船を見ている・・・
私の筋書きでは、
アメリカ人の船長が
日本人の蝶々さんに
失恋して自殺する。
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猫の詩
1.
子猫がなじるような目をしないために
私はミルクを買うが
君のなじるような目を見ないためには
どうしたらいいのだろうか?
君の優しい鳴き声を聞くためには
どうしたらいいのだろうか?
2.
子猫とはいつでも少しのミルクと
少しの優しさを交換することができる。
ミルクを欲しがる子猫からは
いつでも優しい「お帰りなさい」
という鳴き声を聞くことができる。
しかし君の「お帰りなさい」からは
優しさを感じることができなかった。
君がミルクではなくお酒をのんでいたからだろうか?
3.
子猫がミルクの変わりにお酒を飲めば
「ニャン」といわずに「乾杯」というのだろう。
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4.
この寒い夜、
遠い国で
暖かい私の毛布の下は
いつまでも
やさしい猫ちゃんを
待っている。
君のやさしい「ニャン」を
私はいつも聞きたい。
*
君の袖の上に
太陽の光によるきらめきがある。
君は私の生活の上に映える
太陽の光の輝きかもしれない。
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一万の女性と文通 僕が君にメールを送るとき、
誰が答えるのか予知できない。
君のアドレスからなのに
たくさんいろいろな女性が
メールを送ってくる。
今日届いたメールが
親切な看護婦から来たものでも、
明日のメールは鬼婆からのかもしれない。
僕が優しい恋人からのメールで
喜んでいたのに、
すぐに親の敵からの
メールも受け取った。
君と文通するのは
一万のいろいろな女性と文通しているようだ。
すこしのあいだでいいから、
一人の女性になっていて。
僕が君に答えるための
時間がほしいから。
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忙しい女性の愛情
君の心に隙間を
見つけたけど、
君の予定表に隙間を
見つけることができない。
ある日
計画していなかった
激しい愛情が
あなたを訪れて
重要な予定表を
ちぎれちぎれにするし
あなたの心もずたずたに切る・・・
春の天国によじ登り
私の日本で生活できるという希望は
遅い雪どけと一緒に
消えた。
私の天国に滞在するための許可証は
桜の花弁に書かれたので
散ってしまった。
天使にでもなれなければ
煉獄に残るしかないのだろうか。
鬼婆への愛
1.
彼女が射た毒矢が
私の心に突き刺さった、
私は倒れながらも
微笑む。
2.
私がこの岩から淵に飛び降りても、
この岩は泣きも笑いもしない。
彼女の心はこの岩よりも冷たい。
生活を変えたい女性へ
詩人と結婚したければ、
まず課長と別れなければならない。
いつか詩人は
お金持ちになるかもしれない。
課長は絶対詩を書かない。
75
さようならの詩
1.
私たちの生活は
君の「さようなら」と
「さようなら」の間に存在する。
私は別れては一緒になるの
繰り返しに疲れた。
君の次の「さようなら」まで
このきれいな夕焼けで
楽しむのだろうか?
2.
窓の向こうで
冷たい雨が降っている。
そして、あなたの「さようなら」は
頭に浴びさせられた冷水だ。
3.
私たちの文通で
愛する彼女の「さようなら」が届いたとき、
私はこの「さようなら」と文通をし続ける。
春の愛
梅の花が咲き始めた。 私たちが
三月に逢うなら、 梅の花が咲く時期と
桜の花が咲く時期の間に
私たちの愛が咲き始めるだろう。
*
私にとって
旅行者に
日本を見せるのは
見知らぬ男に
自分の妻の美しさを
見せるかのようだ。
建国記念日のこと
日本よ、
あなたは私にとって夢の国!
あなたの建国記念日は
私の「建夢記念日」となった。
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