No.11

無
無 倦
倦
平成27年5月
NO 11
校長
伊
藤
順
一
「21世紀型の学校」の成立基盤とは・・
知識基盤社会への対応
生産労働に従事する労働人口が激減し、知識情報産業の労働市場(情報、経営、金融)と対人サービスの労
働市場(福祉、医療、教育、文化)が飛躍的に拡大している社会では、学びの主体としての学習者を育てる必
要性に迫られており、創造的な思考や探究を行い、他者と協同するコミュニケーション能力を育てることが要
請されているため。
成熟した市民社会への対応
ポピュリズムによる民主主義の危機、公共的道徳の崩壊、利己主義と個人主義による利害の衝突と訴訟の激
増により、人々は公共的関心を失う。そうなると民主主義は機能せず、弁護士とカウンセラーに依存する訴訟
社会、カウンセリング社会へと転落する危険がある。21世紀型の学校では、世界市民、国家市民、地域市民
の三つの「市民性」を育てる「市民性の教育」が中心課題の一つ。
「21世紀型の学校」における教育の様式の変化とは・・
「プログラム型」から「プロジェクト型」へのカリキュラムの移行
「プログラム型」を「階段型」、「プロジェクト型」を「登山型」と呼んでいる。「プログラム型」は、階段
を一段一段のぼるように組織され、〈目標-達成-評価〉の活動単位によって単元が構成されている。それに
対して「プロジェクト型」は、〈主題-探究-表現〉の単元によって組織されたカリキュラムであり、登山の
ように学びの道筋がいくつもあり、学びの経験それ自体の発展性が追求される。さらに、「プロジェクト型」
では学びの経験の「意味」が追求され、その「価値」が質的に評価される。さらに、「プログラム型」では、
学びの過程が一方向的で狭いのに対して、「プロジェクト型」では、学びの過程が複合的で多様である。
一斉授業から協同的学びへの転換
小学校1、2年生は円座を組んで座る全体学習の協同的学びとペア学習、小学校3年生以上は、男女混合4
人グループの協同的学び。
学校の機能の変化
〈質と平等の同時追求〉は、教師の職業能力の高度化と専門職化を推進して、今や学校は、教師が教育の専
門家として学び合うところとなり、地域共同体の文化的センターの役割を担うにいたっている。
『学校を改革する 学びの共同体の構想と実践』(佐藤学著 岩波ブックレット)より
民主主義の哲学
学校ほど民主主義の重要性が強調される場所はないが、学校ほど民主主義が機能していない場所もない。
職員会議でいつも発言者が限られている学校、大きな声の教師の意向で学校運営が遂行されている学校、授
業協議会で一言も発言しない教師が存在する学校は、決して民主主義的な学校とはいえない。声の大きい教
師に優れた教育の実践者はいない。優れた教師は誰もが、もの静かな教師である。
学校と教室に民主主義を実現するためには、子どもと子ども、子どもと教師、教師と教師の間に「聴き合
う関係」を創造しなければならない。学校ほど対話の重要性が叫ばれる場所はないが、学校ほど対話が実現
していない場所も少ない。
卓越性の哲学
ここでいう卓越性とは、他の人と比較して優れるという意味ではない。どんな条件にあっても、その条件
に応じてベストを尽くすという卓越性である。子どもの能力が低いからと言って学びのレベルを下げたり、
家庭環境が厳しいからと言って学びのレベルを下げてはならない。教師の条件も同じである。自分の体調が
悪いからとか多忙だからと言って、授業のレベルを下げてはならない。子どもにも同様のことを要求する必
要がある。どんな条件であっても、丁寧さと細やかさを大切にして、最高の学びを追求することを習慣にす
る必要がある。
一般に、教師たちの授業におけるレベルは低すぎる。課題のレベルが高すぎて失敗した授業はほとんど見
たことがない。ほとんどの授業の失敗は課題のレベルが低すぎることによって生じている。課題のレベルを
上げて卓越性の哲学を追求することは、教師にも子どもにも、学びにとって最も重要な論理である謙虚さを
育てることにもなる。
学びの共同体の活動システムとは・・
学びの共同体の学校改革は、前記のヴィジョンと哲学にもとづき、その実現のために三つの活動システム
で構成されている。教室における協同的学び、職員室における教師の学びの共同体と同僚性の構築、保護者
や市民が改革に参加する学習参加である。そして、これらの活動システムが有効に機能するためには、一つ
の条件が準備されていなければならない。対話的コミュニケーションである。学校に対話を成立させる根本
的基礎は、「聴き合う関係」が教室にも職員室にも、学校と地域との間にも築かれていることにある。聴き
合う関係が対話的コミュニケーションを実現し、それによって子どもと教師の学びが実現し、学びの共同体
が創造される。「他者の声を聴くこと」は学びの出発点であり、対話的コミュニケーションで構成される民
主主義の基礎である。
学校(教師)の公共的な使命と責任とは・・
小グループの学びがもたらすものとは・・
学校が果たすべき中心的な責任は「特色ある学校をつくること」ではなく、学校改革の中心的目的は「学力
向上」や「国際競争に打ち勝つ人材の育成」でもなく「優れた授業の創造」でもない。
「一人残らず子どもの学ぶ権利を保障し、その学びの質を高めること」にあり、学びの〈質と平等の同時追
求〉によって「民主主義社会を準備すること」にある。
学びの共同体の学校のヴィジョンとは・・
学びの共同体の学校は、子どもたちが学び育ち合う学校であり、教師たちも教育の専門家として学び育ち合
う学校であり、さらに保護者や市民も学校の改革に協力し参加して学び育ち合う学校である。
学びの共同体の哲学とは・・
公共性の哲学
学校を公共空間として機能させるためには、最低年に1回は自らの授業を公開し、すべての同僚と共に、子
どもを育てる関係を築く必要がある。
-1-
第一に、協同的学びは、学びの本質である。どんな学びも個人で行われることはない。個人で行えるのは、
〈練習〉と〈記憶〉だけである。あらゆる学びは新しい世界との出会いと対話であり、対象・他者・自己と
の対話による意味と関係の編み直しであり、対話と協同によって実現している。
第二に、一人残らず子どもの学びの権利を実現するためには、協同的学びによって子ども同士が学び合う
より他に方法はない。一斉授業であれば、聞いているそぶりをして学びを怠ることが可能である。4人以下
の小グループという学びの強制機能は、一人残らず子どもの学びを成立させる上できわめて重要である。
第三は、小グループの協同的学びが、学力の低い子どもの学力を回復する機能を発揮することである。低
学力の子どもへの対応として、教師の指導の改善で克服しようとする教師が多いが、現実には、教師だけの
努力で低学力問題が解決した事例は乏しい。
第四は、協同的学びが、学力の高い子どもにも、より高い学力を保障することである。ただし、これには
条件がある。協同的学びが、〈ジャンプの課題〉と呼んでいる高いレベルの課題への挑戦を含んでいなけれ
ばならない。
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