第89号 - 鈴廣かまぼこ

ごとし「如」
第 89 号 平成 22 年3月1日発行 第三種郵便物認可 編集 株式会社鈴 蒲鉾本店 ごとし編集室 編集人 鈴木博晶 発行所(株)
鈴 蒲鉾本店 神奈川県小田原市風祭 245 〒250-0032 電話 0465
(24)
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(代)印刷所 日立インターメディックス
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本体
2
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Ô
小田原からのメッセージ
魚資源の保護と漁獲ルール
古来、海の資源は
〝早い者勝ち〟〝獲ったもの勝ち〟
が
まかり通ってきました。
それが際限のない漁獲競争を生み、資源枯渇をもたらしています。
科学的に割り出された許容量を定め、それを守れば
資源が維持されるはずなのですが、漁獲規制の方式の違いで
成果に大きな差が出ることは一般には知られていません。
漁獲規制には、
ITQ 方式とオリンピック方式の二つがあります。
ITQ は個別割当方式といわれ、漁船単位あるいは組合単位に
個々に漁獲制限量を割り当てるもの。
オリンピック方式は、制限総量だけ決めて
すべての漁船の漁獲量合計がそれに至れば操業終了、
全船引き揚げとする方式です。
すべての漁船が解禁日に一斉によーいドンで漁を始め
魚が大きかろうと小さかろうと選ぶ暇なく、総量に達するまで
我先に網を入れ続けます。
それに対して、
ITQ ならば、最も好ましい魚群を選びながら
シーズン内にマイペースで操業することができます。
ノルウェーなどの漁業先進国はITQ が主流になっていますが、
日本国内漁業はほとんどオリンピック方式のままです。
競争に勝つため、漁船の性能や漁具は高度化しましたが、
市場価値の低い稚魚まで獲り、資源の枯渇に拍車をかけているのです。
一刻も早く漁場へ行こうと、高速で漁船を走らせ、
燃料の浪費を日常化することにもなりました。
﹁海の資源は人類共同の財産﹂であることを思えば、
どちらの方式がいいかは明らかでしょう。
目次 ﹁如﹂第八十九号
平成二十二年春
小田原からのメッセージ
足柄茶
尾 川 欣 司 さん
小田原 箱 根 風 土記 / 戊 辰 戦 争 、 箱 根 山 崎 合 戦の跡 を 歩 く
小田原 箱 根
筍の力
江 戸 時 代の食 風 景
文・永山久夫
ル・ベンケイ
オーナーシェフ
トーク&とーく
濱舘
寛 さん
イパダガラス工房
村 木 未 緒 さん
小田原にんげん紀 行
文 ・ 祖 父 江一郎
緑 茶 でかまぼこに楽 しいデコレーション
板わさアレンジ
霧が育てる滋 味
日本 食 記
魚 資 源の保 護と漁 獲ルール
44
44
如 倶 楽 部 イベント
第 十四回かまぼこ板 絵 国 際コンクール
小 さな 美 術 展
作品募集
R
E
P
O
R
T
!
健 康 歳 時 記 /フレッシュな〝 香 味 野 菜 〟のちからで
美 味 しく 健 康 的 な 食 卓 を
道 具 / おひつ
かまぼこ博 物 館 ・ 手づく り 体 験 記
I
N
F
O
R
M
A
T
I
O
N
霧が育てる滋味
足柄茶
す。一芯二葉︵新芽と二枚の若
﹁教えれば子どもでも手伝えま
だ。
もづれで参加するからにぎやか
てきた在来種のお茶だ。
の小田原ミカンを足元から支え
年分をまかなってくれる。名産
近い今も、親戚一同の飲む量一
の木は、ミカンをやめて四十年
奥さんの暁実さんが、手でつ
こうして、ね﹂
富士山に
や わ ら か い 葉 を 摘 み 取 り ま す。
見守られて育つ
﹁足柄茶﹂
家 用 な の で そ れ に こ だ わ ら ず、
葉︶を摘むのが理想だけど、自
話題のカテキンをはじめ、
数々のヘルシー効果が注目の的。
ずっと親しんできた日本茶が、
今、新たに見直されています。
﹁足柄茶﹂もそろそろ一番茶の季節。
富士山が見守る茶畑で
新芽が伸びてきました。
名産のミカンを
支えてきた
小田原のお茶
八十八夜には少し早いけれど、
四月と聞けば気になる 〝走り新
茶〟
。初 物 好 き の 日 本 人 が、と
りわけ待つのが新茶だ。新芽が
芽吹く力にあやかりたい。そん
小田原・石垣山のふもとでシ
るに摘み取った葉がたまったら、
乾くのを待って摘み始め、大ざ
茶摘み当日は、茶葉の朝露が
茶葉は、一日中陽のあたる場所
視界いっぱいに富士山が広がる。
道 を た ど り、茶 畑 ま で 登 る と、
の中だ。曲がりくねった山腹の
﹁足柄茶﹂の故郷・山北町は山
イタケを栽培する廣川公一さん
近くの加工場へ持ち込み、急い
だと育ち過ぎて硬くなりやすい
まんで教えてくれた。
宅でも、毎年八十八夜が近づく
で蒸してもらって茶葉の酸化を
が、このあたりのように、山の
な気持ちがせかせるのかも知れ
と、親戚一同が集まって本家の
止める。これにより日本茶特有
陰になって日照時間の少ないと
ない。
茶摘みに精を出す。
のきれいな緑色と、ビタミンな
遠くへ嫁いだ人たちも、子ど
う。
ころでは、やわらかく育つとい
蒸し終わったらすぐに冷却
たときにお茶の出がよくなるの
とで茶葉の組織をこわし、淹れ
揉みながら乾燥させる。揉むこ
の
〝浅蒸し茶〟
である。
山吹色になる。足柄茶は、伝統
淹れたお茶は透きとおった淡い
くてよいので、香りが失われず、
︵色 や 味 の 成 分 を 固 定 す る︶し、 やわらかい葉は、長く蒸さな
だそう。
こ う し て〝 荒 茶 〟が で き る。 ダ ム 湖 や 川 と、水 が 豊 富 で、
﹁昔は、ここまですべてを各家
って、渋みが少なく、旨味成分
春先に立つ霧が天然の覆いとな
昼夜の寒暖差が大きい気候風土
庭でやったそうで、姑の話では、
のテアニンを増す。口に含むと、
この後、仕上げに乾燥させて美
炭火を使った焙炉で、蒸した茶
すっきりしていながら、芳醇な
も 足 柄 茶 を 美 味 し く し て い る。
葉を揉むのは熱くて大仕事だっ
味わいが広がった。栽培品種は
しい新茶の出来上がりだ。
たそうです﹂
割を占めている。
段々畑のミカン農家だった昔、 ﹁や ぶ き た﹂が 中 心 で、ほ ぼ 九
土留めのために植えられたお茶
足柄茶で淹れる
﹁すすり茶﹂
足柄茶の美味しさを、古くか
らの淹れ方﹁すすり茶﹂で楽し
んでみませんか。古来、中国茶
の飲み方からきたといわれます。
急須を使わず、茶葉を器に直接
入れて湯を注いでいただきます。
二煎目は、茶葉の半分くらいまで湯を
入れて、蓋をしてすぐいただく。甘みと
渋味が入ってくる。ここでお菓子をいた
だく。
三煎目は、湯を器の上の方まで入れる。
さわやかな苦みを楽しむ。
*残った茶葉に、酢醤油をたらしてい
ただく。またはじゃこをのせて生醤油を
かけても。茶葉の歯ごたえを楽しめる。
監修:
(株)
神奈川県農協茶葉センター
奥より足柄茶のくき茶、煎茶、粉茶。
一煎目。湯を湯冷ましに移して 用意するものは、器に入れた足
60℃くらいまで冷ます。湯を 柄茶 3gと湯(90℃くらい)
。
茶葉に注ぐ。茶葉の山が隠れる
程度に。蓋をして2分ほど待つ。
湯を吸った茶葉が開き、色が鮮
やかになる。
蓋を少しずらして、指で押さえ
ながらふたの隙間から口をつけ
て、お茶を口にふくむ。濃厚な
香りと旨味が広がる。
どの栄養素が残るのだという。
お茶の風味を料理にも。左から鯛と平目の手まりずし新茶風味、足柄茶の豆腐、
アジの新茶包み揚げ。
から最新の仕上げ技術を導入さ
せるなど応援を惜しまなかった
という。
という足柄茶。茶どころとして
でお茶の種子を配って根づいた
村︵現・山北町︶が農家に無償
復興事業として、足柄上郡清水
もともとは、関東大震災後の
葉を入れ、湯を注いでしばらく
を提案してきた。茶碗に直接茶
おうと、数年前から﹁すすり茶﹂
茶の美味しさを広く知ってもら
県農協茶業センターでは、足柄
売を一括して行ってきた神奈川
昭和五十九年以来、生産・販
名高い静岡県川根町︵現・川根
おき、蓋をずらしてすする。ウー
震災後の
復興事業で根付いた
﹁足柄茶﹂
市︶に地形が似ていることも幸
ロン茶を飲む、中国の蓋碗と同
や原野を開墾した痩せ地ばかり。
菜のおひたしに似たフレッシュ
茶葉に醤油を少量たらすと、青
じだ。おまけに、飲み終わった
﹁茶の種は、五俵くらいの割り
な味わいを楽しめるというもの。
ら二俵蒔いて、後は内緒で風呂
で焚いてしまった﹂と、当時を
しのぶ話も残っているほど。す
ぐに収入が得られるものではな
く、説得しても茶栽培に踏み切
る農家は少なかったらしい。
手揉みでつくった頃は、売る
ほどの量にならなかったが、機
械茶になって最初の荒茶は山を
越えて沼津へ売りに行った。昭
和に入ってからのことである。
ある店で、
﹁これは良いお茶だ。
うちでは買い切れないが、小田
原の江島屋は良いお茶を買うか
ら行ってみなさい﹂と励まされ
て、清水村のお茶は大きく前進
した。江島屋当主十五代平八は
お茶は、平安時代中期、中国
に留学した僧たちがわが国にも
たらしたのが初め
だ が、本 格 的 な
と、きわめて低かった。そこで
亡率が全国値の約五分の一︵男︶
根本町︶では、胃がんによる死
有名な静岡県中川根町︵現・川
は〝 ヤ ー パ ン セ ン チ ャ 〟や〝 ヤ ー
茶の効用が注目され、ドイツで
ーロッパでも、ここのところ緑
酵茶である緑茶に最も多い。ヨ
他の成分に変化するため、不発
胃、十 二 指 腸、大 腸、肝 臓、肺、
彦 三 郎﹂と あ だ 名 し た と い う。
その地域を中心に緑茶をどのく
パ ン バ ン チ ャ 〟と い う 名 で 市 販
が豊富だが、最近特に注目され
普及は、鎌倉時代に臨済宗開祖
研究に力を注ぐあまり全財産を
カテキンは、紅茶やウーロン
に近い竹やぶの北側にあった茶
ら い 飲 ん で い る か を 調 べ る と、
されて日本茶ブームだという。
すい臓、膀胱の発ガンが抑制さ
の栄西禅師が茶の種子を持ち帰
失いながら、明治四十年頃、丈
抗ガン作用もその一つ。ある
茶にも含まれるが、発酵により
中でも苦味はお茶になくては
の木であったことから付けられ
茶葉を頻繁に取り替えて、やや
古くから私たちの生活に深く
ているのが渋み成分・カテキン
ってから。栄西はその著書﹃喫
夫で味も香りも優れた木を発見
調査によれば、茶どころとして
ならないもので、心臓に効くと
た そ う。現 在 の 改 良 技 術 で も、
濃い目のものを日に何杯も飲ん
関わってきた日本茶。美味しさ
れたことが報告されている。
茶 養 生 記﹄に、
﹁茶 は 養 生 の 仙
し、これが後に﹁やぶきた﹂と
している。当時のお茶はさぞ苦
これに勝る品種を作り出すのは
でいることが明らかになった。
とともに効用も取り入れて健康
の働きだ。
薬なり﹂と記し、お茶が薬とし
なる。
かったのだろう。坐禅中の眠気
難しいといわれる。
ちなみに、この名は、彼の家
覚ましとして使われていたので
はなかろうか。
﹃吾妻鑑﹄には、栄西がお茶で
中国、米国でも研究が進めら
メリック(黄色)なども、
あざやかな色あいでおすすめです。
ヨーロッパも
注目する日本茶の効用
す。粉末茶のほか、スパイスのパプリカ(赤色)や、ター
源実朝の二日酔いを治したとい
らし、静かに型紙をはずせば…きれいに模様が浮き立ちま
に役立てたい。もちろん美容にも。
茶を振りかけます。刷毛などを使ってパウダーを均一にな
える。
て珍重されていたことがうかが
取引してくれたばかりか、静岡
源実朝の
二日酔いを治した
栄西のお茶
当てが来たが、せいぜい一俵か
けれども、最初は桑園の跡地
いした。
右奥より時計まわりに「緑茶シフォンケーキ」「緑茶のエクレア」「小倉あんと生クリームの緑茶ブッセ」「かまぼこのピンチョス」「緑茶ギモーブ」「緑茶ムース」「緑茶ロールケーキ」
れ、カテキンのガン予防作用で
をつくります。かまぼこの上に型紙をのせて、上から粉末
緑茶にはビタミンやミネラル
す。好きな型を厚手の紙に描き、カッターで切り取り型紙
う記述も残っている。
センスをふりかけてみませんか。作り方はとっても簡単で
﹁やぶきた﹂を発見した
杉山彦三郎
ご家族やお仲間の集いの食卓に、オードブル感覚の一品と
今、最も多く栽培されている
お 茶 の 木 は﹁や ぶ き た﹂種 だ。
日本の茶産地で作っていないと
ころはないといわれ、生産量の
八十二パーセント︵平成十九年
農水省調べ︶を占める。
﹁やぶきた﹂を発見したのは明
いつもの板わさに、ちょっとひと工夫。おしゃれなエッ
参考文献:「足柄茶五十年史」(発行・足柄茶五十周年記念事業実行委員会)
山北町の山腹に広がるお茶畑。
茶摘みを待つ、一番茶の美しい新芽。
して、ぜひお試しください。
治 の 茶 業 研 究 家・杉 山 彦 三 郎。
アメリカやカナダへのお茶の輸
出 ブ ー ム に 湧 く 周 囲 を よ そ に、
静岡で地味な品種研究に取り組
んだ彼は、珍しいお茶の木を探
して歩いた。これはと思う木を
見つけてはすぐさまとびつくそ
の姿をみて、人々は﹁いたちの
緑茶でかまぼこに
楽しいデコレーション
文・祖父江一郎
さん︵三十五歳︶
は
ま
だ
て
ひ
ろ
し
む
ら
き
み
お
さん︵四十歳︶
展、
グループ展を数多く開く。
成 18 年、小田原市風祭にイパダ
濱舘
寛
村木未緒
ガラス工芸と聞いて土地の人
ガラス工房を設立。国内外で個展、
夫 婦 で 風 祭にイパダガラス工房 を 設 立 、
制 作 活 動 を 通 じて蛍 光 灯のリサイクルや
うとう好奇心を抑えかねて近所
の人がやってきた。
﹁ここは何屋さんなの。あんた
と家を購入して若い夫婦が引っ
は首を傾げた。小田原といえば
ガラス工芸研究所研究科卒業
18 年、小田原市風祭にイパダ
後、独立して創作活動に入る。
平
ガラス工房を設立。国内外で個
て、あのままだったらガラス工
グループ展を数多く開く。
街 おこしに取 り 組 むガラス工芸 作 家
ゆたかねえ、
こういうのって
越してきた。土地の人たちが見
鋳物か寄木細工である。ガラス
ら、何をする人?﹂
るともなしに見ていると、作業
工芸というのはあまり聞かない。
平成十八年の夏、風祭に土地
場らしき土間に配管してコンク
﹁どうして、こんな田舎を選ん
して創作活動を始める。平成
得したような、鉄のわらじを履
出られるなんて、なんかすごく
すから。それでいてすぐ街中に
にはゲンジボタルが湧くそうで
という思いだったのだろう。
の に え ら い が、大 丈 夫 か い な、
感心して寛さんを眺めた。若い
て、土地の人は半ば危ぶみ半ば
全 部、手 造 り で や る と 聞 い
だというんだ。すなわち、変わ
﹁青森の方言で変わり者をいぱ
﹁何、それ﹂
﹁イパダ、ガラス工房でどう?﹂
たとき、寛さんがいった。
いて三千世界を旅してとうとう
未 緒 さ ん は﹁こ の 変 わ り 者﹂
った工房﹂
﹁俺っちでやれることがあった
ら手 伝 う か ら 遠 慮 な く い っ て
見つけたという感じで、実にほ
くほくした気持ちですよ﹂
かにかこつけてはだれかが顔を
その日はそれで去ったが、何
りに魅かれて見学に訪れた学校
引きずり込んだのが、ものづく
寛さんをガラス工芸の世界に
という気持ちで賛同した。
などおりはしない。
出し、道具がなくて行き詰まっ
の裏手に捨てられたガラス作品
よ﹂
﹁蓼 食 う 虫 も 好 き 好 き と い う
たりすると家からあり合わせの
の残骸だった。生徒が捨てた作
おらが郷土をそうまで気に入
し、まあ、昔から住めば都とも
道具を持って来て、たちどころ
品の残骸に創作意欲を触発され
ってもらえて気を悪くする人間
いうから﹂
に難問を解決してしまう。ある
気にふくらんだ。すぐれた作品
て、
﹁自 分 だ っ た ら こ う や る の
キュウリにしてもトマトにし
に触発されて一念発起するのが
いはまた未緒さんを玄関先で見
てもスーパーで売られているも
普通なのに、寛さんの動機はそ
に﹂と、その場でアイデアを思
のとは格段に味も匂いも新鮮で
のようにいっぷう変わってい
かけると声をかけていく。
生々しい。日々いのちを吹き込
た。その寛さんと奇しくも同期
い浮かべて、貪欲なばかりに創
まれる感じであった。未緒さん
となった未緒さんは、テキスタ
﹁大根は足りてるのか。なけれ
は寛さんと食卓を囲みながら満
イルプランナーからガラス工芸
作欲が一度に目覚め、構想が一
ち足りた思いで述懐した。
の世界に転身してきた人であ
て、未 緒 さ ん は 研 究 科 に 残 っ
た。そ し て、寛 さ ん が 卒 業 し
して二人はお互いを知らなかっ
る。しかし、大勢の生徒に埋没
﹁ゆたかねえ、こういうのって﹂
彼がこのまま
育ったら
窯の組み立てに着手したのが
ています。
いう灼熱と極寒が繰り返され
℃、夜はマイナス一五〇 ℃と
わずかで、昼はプラス一〇〇
水が存在しているとしても極
の距離は地球と同じですが、
ちなみに、月は、太陽から
担っているのです。
ないよう温度調節する働きを
た季節によって劇的に変化し
水は地球の温度が朝と夜、ま
が下がり過ぎるのを防ぎます。
夜は蓄えた熱を放出して気温
気温が上がりすぎるのを防ぎ、
たる昼間は熱を吸収して蓄え
しています。水は、太陽が当
質が気候の安定に大きく関係
ている地球では、水のこの性
地表面の約七割を水が覆っ
います。
熱を蓄えやすい性質を表して
が温まりにくく冷えにくい、
を必要とします。これは、水
八〇カロリーものエネルギー
ラムの氷を水にするためには
一グラムの水を氷、逆に一グ
めには一カロリー必要とし、
水一グラムを一 ℃上げるた
地球に水が
なかったら⋮
芸に別々に打ち込んでいたはず
リ ー ト を 打 ち 始 め た。や が て、
スタジオに勤務、その後、独立
工芸を志す。
平成 12 年、東京
ときは春だった。外装も気に入
だんだね﹂
ス工芸研究所卒業、彩グラス
を緩めた。
鉄工所みたいに鋼材を切断して
イルプランナーを経てガラス
りました。小川越しにお寺の茅
﹁二年前からずうっと捜してき
まれる。平成 11 年、東京ガラ
沢市で育つ。
平成 9 年テキスタ
の二人が、一年後、彩グラスス
箱状に組み立てたりする光景が
昭和 49 年、青森県弘前市に生
っ た よ う に 仕 上 が っ て、さ て、
て、なかなかこれはという場所
昭和 44 年、
横浜市で生まれ、
藤
﹁ここに窯を据えて、ここを吹
見 ら れ る よ う に な っ た。し か
を模索中。問い合わせや連絡は FAX0465
(23)
7640 へ。
葺屋根が見えて、小川のせせら
と建物がなくて決められなかっ
ーゼで行ったのを皮切りに、街おこしの一環としてさまざまな文化活動
工房の名を何としようかとなっ
し、鉄工所とは違うらしい。と
創作活動を続ける傍ら、地元の木工作家と共作する試みを小田原城ミュ
十月、半年かけて窯が完成した
14。箱根登山鉄道風祭駅下車。徒歩 5 分。夫婦ともガラス工芸作家として
き場にするんです﹂
半信半疑ながら土地の人は頬
濱舘寛さん、村木未緒さん夫婦が主宰。
所在地は小田原市風祭 874 番地
ぎは子守唄みたいだし、梅雨先
たんですけど、ようやく見つか
イパダガラス工房
ば置いてくぞ﹂
02 年オランダワークショップにて。アメリカグラスアートソ
サエティ公式デモンストレーターとして参加。
字で制作上のアイデ
んは密かに自負して思う。
る。今は慧眼であったと未緒さ
するのは社会という器であっ
代の現況であった。デジタル化
ログのかたまりである。使う機
て、一個の人間は全身これアナ
アみたいなことが走
り 書 き し て あ っ た。
入ったばかりの風呂
官が退化したら五感まで衰えて
会が少なくなってアナログの器
ガラス工芸作家として世に出
し ま う。こ の ま ま で は 危 な い。
もとから備わった力を
炙り出す
ぐったり、寝る前に
た夫婦にとって﹁ハンドルの遊
から出てきて書きな
急にメモを取り始め
もとから備わった力を炙り出す
未緒さんの記憶に蘇ったのが
び﹂的な役割を果たすのが食前
ながら味を論評したり、街おこ
初めてガラス細工を手がけたと
たり、今も変わらず
なのだが、もちろん、当時は内
しについて議論したりするうち
きの驚きと好奇心であった。窯
にはどうしたらよいか。
タジオがより高度な技術を教え
容まではわからなかった。
に、資源リサイクルから蛍光灯
食後のひとときだ。地酒に酔い
るために開いた講座で再び出会
﹁共通項は情熱。このまま育っ
に行われていること
ったとき、劇的にお互いを意識
の中でオレンジ色に溶けたガラ
スを棒の先にからめて取り出し
のガラスを素材に用いることが
話題になった。
て、細工道具で突いたときのあ
たら、彼はどうなるんだろう﹂
自分の創作活動とは別次元の
﹁蛍 光 灯 に 使 う ガ ラ ス は、案
し急接近した。
未緒さんはどちらかというと
こととして、未緒さんはとこと
こうしてどちらから言い出す
硬くて割れると尖って危な
暗示的でダイナミックという
それに対して寛さんはどうで
ともなく始まったのが、蛍光灯
い。それが千二百度の熱でどろ
の﹁ぐにゅっ﹂という驚くべき
あった。寛さんは暮らしの場面
あ っ た か と い う と、そ こ は そ
の廃ガラスを再生して素材に用
どろに溶けるとオレンジ色に発
外、高品質なんだよ﹂
にぽんと置いたとき、えもいわ
れ、阿 吽 の 呼 吸 と い う か、
﹁士
いる取り組みであった。資源の
光し、水あめ状、ゼリー状にな
ん見届けたくなった。
れぬ諧謔性が滲み出るといった
はおのれを知る士のために死
リサイクルにもなるし、品質の
か、俗にいう大作向きの作風で
作風に持ち味がある。作風は明
す﹂であった。
﹁ガラス工芸を広めるというよ
い。
あるかと思うと、判読不明の文
たデータがびっしり書き込んで
応するガラスの加工特性といっ
作工程の説明図、窯の温度に対
ていた。彼のノートには窯の制
ったし、いつもメモばかり取っ
変して鬼神が乗り移った感じだ
なのに、現場に立つと表情が一
らかでのんびりしている寛さん
物事にこだわらなくて、おお
それは何だったのだろう。
のものを形にして表現すること
を感動的に描く。造形家は愛そ
歌い、小説家は男女の愛の機微
れこそ嘘偽りのない事実であ
てようやく正式に入籍した。こ
風祭に本拠を構える場面に至っ
うに、外国で高い評価を得て国
渡来芸術の分野がそうであるよ
あるが、その後の二人は多くの
る力は、今もって検証中なので
二人を結びつけた摩訶不思議な
う ほ ど 強 い 動 機 で は な か っ た。
事実に相違するし、あったとい
恋愛感情はなかったといえば
ないくらい条件に応じて実に微
するといっても少しも大袈裟で
ガラスという素材は千変万化
えた力が衰えていくデジタル時
い求めすぎて人間が本来身に備
めつづけてきたのが、便利を追
作 家 と し て 地 歩 を 築 き な が ら、 未緒さんが懸案として胸を痛
内デビューを飾り、ガラス工芸
妙 な 違 い が 生 ま れ る。た だ し、
て、次は?﹂
﹁そ れ は 今 後 の 検 討 課 題 と し
いいのだろうけれど﹂
﹁小田原でリサイクルできると
った県外にしかない。
除く設備も金沢とか埼玉とかい
収するシステムも不純物を取り
ができる。ただし、蛍光灯を回
よい素材を低コストで得ること
う﹂という。
日 々、
﹁悔 し い け ど、あ り が と
バ ル と し て の 連 れ 合 い を 愛 し、
を 愛 し、互 い に 育 て 合 う ラ イ
ちを 掘 り 起 こ し た と き の 感 動
すべてを注入しなければならな
のわずかな時間に持てる能力の
工は不可能だから、そうなる前
状になる。芯まで固まったら細
り、外から硬くなってだいふく
感触 ……
。
らかに違うのに、なぜか未緒さ
り、まず驚いてもらう、好奇心
はあまりしないようだが、創作
料理のようにレシピに従って味
んは寛さんから共通するものを
を持ってもらう、そこから始め
の原動力は何かといえば、やは
見しながら調理できるものでも
強烈に感じ取った。
て、やおら、もとから備わった
り愛であろう。愛情が創作に向
塩のミネラルは
味の決め手
すますいいな。
こういうのって、いいな。ま
力を炙り出す試みというか﹂
での温度差、時間差のはざまで
ないから、熱してから冷えるま
でも、わたしたちの場合、愛
かわせるのである。
未緒さんがほとんど口から出
任せに近い感じでいうと、寛さ
ら﹁これだ﹂というものをつか
化学実験みたいなことをしなが
今 な ら 答 え ら れ そ う で あ る。
み取っていくほかないのであ
って何だろう。
と、いっても、相思相愛などと
る。日々﹁熱して不思議、冷め
んが瞳を輝かせて興奮気味にい
﹁おっ。それいいよ。絶対にい
い う 単 純 な こ と で は な い。近
ておもしろい﹂の繰り返しであ
った。
いよ﹂
頃、未 緒 さ ん が 密 か に 思 う の
るが、ときとして既存のノウハ
ガラス体験教室であった。
こうして始まったのがイパダ
は、われらが﹁夫婦﹂の絆はミ
ウだけでは解決がつかなくなっ
る。そんなとき、どちらかがふ
いえば、塩です。たんぱく質
ュージシャンが歌うラブソング
愛ともまたちょっと趣を異にす
と思いつきを口にしていう。試
を溶かして独特の弾力をつく
て、はたと行き詰まることがあ
る よ う だ、と い う こ と で あ る。
しにやってみると、すんなり解
常に危ういシチュエーションな
う日常は、実は夫婦としては非
プ展と共有することが多いとい
み、発表の場も二人展・グルー
く し、作 業 場 で 同 時 に 取 り 組
ガラス工芸という分野を同じ
ぴり伴った、こうした営みこそ
バルとしてのペーソスをちょっ
り返されてきた。すなわちライ
的に交錯し、ひっきりなしに繰
たいな思いが夫婦の間で双方向
こんなふうに作用と反作用み
う。悔しいけど、ありがとう﹂
は百種類以上のミネラルが含
役目を果たします。海の水に
ません。ミネラルをたっぷり
塩の働きはそれだけではあり
り上げるからです。しかし、
歯ごたえに欠かせないものと
曖昧で手探り、新しい驚きと不
決してしまう。
かまぼこのしこしことした
思議に満ちた日常への愛とでも
﹁な ぜ 気 づ か な か っ た の だ ろ
の愛とも違う、小説家が描く恋
悔しいけど、
ありがとう
ミュージシャンは好んで愛を
いおうか。
のだそうだ。夫婦であってもラ
物の豊かさなどでは得られない
です。
おいしさの決め手でもあるの
である天日塩は、かまぼこの
まれています。海からの恵み
れると、味をマイルドにする
ですが、それらが微量に含ま
好ましい味はついていないの
などのミネラルそのものには、
マグネシウムやカルシウム
ててくれるのです。
含んだ塩は、味を一層引き立
イバル関係が高じた結果、片方
未緒さんは思う。ガラスとい
人生の機微の妙というか、豊穣
しい。わたしたちはどうだろう
う素材を愛し、ガラス工芸の不
が淘汰されるかたちで異分野に
か。未緒さんは念のために考え
思議を愛し、理屈を超えたかた
の源ではないだろうか。
てみた。
作業中の濱舘さん。
09 年小田原城ミューゼ特別展にて。
追いやられる例が少なくないら
ガラスに細工を施す。
尾川
欣 司 さん
大和郡山から。
真摯なまなざしで
食の明日を探り続ける
ル・ベンケイ
オーナーシェフ
開業から、今年で三十五年。素晴らしいお店に育て上げながら、
多店舗化もテナント出店も眼中に無し。
オーナーシェフとして厨房に立つかたわら、
かの弁慶さんさながらのまなざしで食のありかたを見つめ、
広めておいでです。
お濠跡を渡り、城下町の面影を
鈴木 郡山城址の石垣をながめ、
ご馳走をいただけるかなと胸を
おしゃれをして、今日はどんな
はと思って、でした。ちょっと
としたお食事場所を作らなくて
と、おもてなしに使えるきちっ
ものが奈良にはまだ無かったの
歳のとき。フランス料理という
で、この店を作ったのが二十九
調理場が遊び場で
続いた日本料理店。
私の実家は四代
喜ばれています。
のお客様にも大変
ん の こ と、外 国 人
お客様にはもちろ
い ま す。日 本 人 の
調理するなどして
鈴木智恵子
そのままに残す道筋をたどって
ときめかせる、食事にはそうし
取締役会長
到着した ル「・ベンケイ さ」んは、
育ったようなもの。
聞き手
株式会社鈴
蒲鉾本店
石造りの佇まいがヨーロッパの
たうれしさ、楽しさ、喜びがな
料理店の息子なら
﹁こんなふうに
料理してくれ﹂と、
食材が語りかけてきます
お城を思わせます。
かったらダメでしょう?
尾川 生まれたときから料理の
ことから?
ラン経営を志されたのはどんな
の尾川さんが、フレンチレスト
一方、今となっては懐かしい思
代で、開店当時はお客様を待つ
馴染みを持っていただけない時
たし、まだまだフランス料理に
でも、オイルショック直後だっ
料理してくれ﹂と語りかけてき
料の方から私に﹁こんなふうに
肉・魚にしても、一目見れば材
てもらってます。野菜にしても
ではの味覚体験をいっぱいさせ
てもうれしいことです。そのか
わざお越しいただけるのは、と
しいと、こんな片田舎までわざ
﹁ル・ベンケイ﹂の料理が美味
というのは難しいことですね。
ないでしょう。料理の味や感性
日本料理店の老舗にお生まれ
世界しか知らないので、とにか
ます。日仏料理の出会いは、ご
ろんのこと、サービスや調度品
なるわけですよね。料理はもち
客様は、期待を持ってお越しに
わり大きな責任があります。お
い出です。
来は?
尾川 郡山城址、桜御門の石垣
の一角に、大きな凹みのある石
とえば野菜などは日本人の味の
の調理法を開拓したのです。た
尾川 自分の感性を信じて、私
スタイルで評判になりましたね。
食べるフランス料理は、斬新な
り入れた 創「作洋風懐石 、」箸で
鈴木 日本料理の四季折々を取
前をいただきました。
われているんです。そこから名
だくんですが、勿体ないことで
尾川 よく出店のお誘いをいた
営業を貫いておいでです。
お、生まれ育った大和郡山での
のお店に育て上げてこられてな
方々も珍しくないという超一流
か。国内外の賓客や皇室関係の
のお料理をお出しになられたと
奈良へお越しの折に、尾川さん
鈴木 中国の胡錦濤国家主席が
ければなりません。 当然社員教育からスタートしな
て な し、気 遣 い と い う も の は、
リティといいますが、本当のも
おもてなし、最近はホスピタ
たら大変な失望をされます。
ておいでです。それが現実と違っ
すべてに自分の描いた姿を持っ
原点である昆布とかつおの出汁
すがお断りしています。出店し
があって、
〝弁慶の足跡〟だとい
で 軽 く 下 味 と 火 を 入 れ て か ら、
ますと、誰かに任せないといけ
尾川 こんなオーナーシェフの
﹁ル・ベンケイ﹂の
メニューにあるのは
金額だけです
フランス料理の手法やソースで
﹁ル・ベンケイ﹂の
尾川欣司の味を
守りたいのです
く 食 べ る こ と が 好 き な ん で す。
石造りの館がどっしりとしたフレンチ
レストラン「Le BENKEI」
。アーチを入
ると美しい中庭です。
く自然なものでした。
おがわ・きんじさん
1945 年、奈良県大和郡山市生まれ。
1975 年、オーナーシェフとしてレストラン
「BENKEI」をオープン。日本料理のエッセン
スを織り込んだ、箸で食べる新しいスタイル
のフランス料理を世に問い、注目を浴びる。
2000 年、リニューアルに伴い「Le BENKEI」
と改称。スローフード奈良コンヴィビウム会
長、国際観光日本レストラン協会副会長、奈
良県食育推進会議副会長など各種団体のリー
ダー役を歴任、大学では食育やフードコーディ
ネーターの講師もつとめ、講演活動も多忙。
鈴木 ﹁ル・ベンケイ﹂の名の由
落ち着いたしつらいのダイニングルームで。
理名はなくて、問わ
ーでも、小難しい料
今日のランチメニ ュ
鈴 木 そ う い え ば、
︵笑︶
。
なあ、と思いますよ
身、わがままな店だ
たのだから、自分自
三十五年間やってき
ニューです。これで
お任せの気ままなメ
書いてない。完全に
何をお出しするかは
名 と プ ラ イ ス だ け。
ニューには、コース
理は、正直言って大変です。
しかし、三○○坪余りの畑の管
ブ は と て も 香 り が い い で す よ。
少量多品目に。摘みたてのハー
はなく、あくまでも旬のものを
すべての量がまかなえるわけで
農園ですからレストランで使う
収穫、みな自分でします。自家
ますが、土作り、種まき、草引き、
してるの?﹂って、よく訊かれ
尾川 ﹁ほんまに尾川さん、百姓
ました。
て に
」 使われているとうかがい
和肉鶏と大和野菜のサラダ仕立
とか。さきほどいただいた、大「
畑へ出て、野菜を作っておいで
そで、腹いっぺえだ っ」ていうよ
そうのことです。え「れんなごっ
原地方の言葉で、いろんなごち
〝えれんなごっそ〟とは、小田
ました。
んな ごっそ﹄をオープンいたし
にビュッフェレストラン﹃えれ
ずっと考えておりまして、昨夏
産地消レストランを作りたいと、
産の新鮮な魚や野菜を使った地
この恵みを生かして食材に地元
海山の自然の豊かなところです。
鈴木 私のふるさと・小田原も、
お任せでさせていただくなんて、
ことなしに、一○○パーセント
ますかとお聞きする
んです。何になさい
任あるよ﹂と、言う
尾 川 ﹁こ れ は、責
でした。
ちらにするかくらい
して認定されるまでは、このま
いのですが、大和の伝統野菜と
ニューにも使い、とても美味し
た く さ ん あ り ま す。う ち の メ
和の丸茄子など在来種の野菜が
も大和まな、宇陀金ごぼう、大
菜はよく知られますが、奈良に
自家農園を始めたのです。京野
ず し て、野 菜 を 語 れ る か と
」 、 かまぼこづくりで発生する魚
うに。
魚肥で、土を汚さない
農業ができる
れたのはアレルギー
二○年 ほ ど 前 に 野「 菜 を 知 ら
店だからこそできることがある
有難いことですよ。
までは消えていくのでは、とい
もあります。
ローフードの国際理事会で、あ
昨年六月の、イタリアでのス
ております。
のある限り、講演に駆けずり回っ
て農業の現場、流通へと、時間
さらに、水耕栽培などの野菜
このままではいけないと誰か
御身御大切に、ご活躍されま
「何十年先も色褪せない建物づくりを目指しました」
の有無と、肉と魚ど
んですよ︵笑︶
。
鈴木 お品書きに料理名を書き
う 不 安 が あ り ま し た。で、す た
高い魚肥﹁うみからだいち﹂を
尾川 今、大地は化学肥料で地
ら た め て﹃大 地 を 取 り 戻 そ う﹄
鈴 木 有 意 義 な お 話 の 数 々 を、
かすから、使いやすくて効果の
い食材によって毎日メニューが
連ねて、金額は時価というお店
その日その日手に入る美味し
変わります。ホテルさんのグラ
れてからでは取り返しがつかな
の強い思いから、スローフード運
固定在来種の保護と地産地消へ
の 野 菜 や 果 物 に こ だ わ り た い、
いと、訴え続けたんです。郷土
は多いですけれど、ね。
二カ月と、ずっと同じメニュー
でお出しできれば楽かも知れま
せんが、私にとっては苦痛でしょ
うね。
製造発売いたしました。地元の
力を失い、野菜は昔に比べ三分
との提案が打ち出されたようで
楽しく聞かせていただきました。
動へとつながっていったのです。
農家さんにまず使っていただき、
の一のミネラル分しか持たない
す。世界中の食料危機への警鐘
鈴木 多忙な中、朝早く起きて
いずれは鈴 のレストランで召
といわれます。
てを、この魚肥で育てた野菜や
が工場生産されてきました。コ
が声をあげないと。食べものの
大和郡山までお訪ねした甲斐が
果物で調製できたらと計画して
ンピュータ制御で、トマトやイ
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ありました。
おります。
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アミノ酸補給に
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ですね。
し上がっていただく料理のすべ
だから、
﹁ル・ベンケイ﹂のメ
大和の伝統野菜。
すたれてからでは
取り返しがつかない
ンドメニューのように、一カ月
食の大切さをテーマにした講演活動は20年を重ねる。
お母さん方から大学まで、そし
運動の30分後と就寝直後は成長ホルモンが多く分泌されるため、体のリカバ
リーの「ゴールデンタイム」
と呼ばれます。
このタイミングに体内にアミノ酸がある
ことが理想とされ、
体を効果的にリカバリーすることができます。
は食べ物ですか?
■筋肉修復のゴールデンタイムを有効利用。
常な循環を取り戻すお手伝いで
サカナのちからで リカバリー
筍の力
江戸時代の 風景︵その ︶
永山久夫
る。生のまま刺し身にしてわさ
いし、味噌をつけるとのどが唸
ころから、﹁竹蜷﹂と呼ばれ、
名をミナという︶に似ていると
諸説あるが、筍の形が巻貝︵古
菜﹂、あるいは﹁竹身菜﹂など
るとアクが抜ける。
っぷりの熱湯で一時間ほどゆで
トウガラシを二本ほど入れ、た
縦に包丁目を入れ、米ぬかと赤
食文化史研究家
西武文理大学客員教授
び醤油で楽しむ風流もある。
転じて﹁たかむな﹂になったよ
たけみな
現在、食膳に供されるのは、
うである。
おすすめはカツオ節で煮込ん
な
ほとんどは孟宗竹の筍。孟宗竹
﹃古事記﹄には、悪霊よけの食
で醤油で味をつけ、熱々のうち
みずみずしい
天然の甘味
の原産地は中国の江南地方で、
物として記されている。イザナ
にカツオ節をたっぷりかけて器
のは筍だ。
しかし、食材としてはあまり
想的。大地から一生懸命に吸収
たいがいの筍は食用になるが、
古くは﹁たかむな﹂といった。
ほどの美味だったのである。
筍は、悪霊たちをとりこにする
にしてもよいし、フキともよく
カツオ節は欠かせない。天ぷら
若筍煮もよい。これも味つけに
う ち に 脱 出 す る こ と が で き た 。 相性という点では若布と煮た
たけみな
戦国時代に琉球を経て九州の薩
ギノミコトが黄泉の国から地上
に盛るだけの料理。筍のうま味
のびたのは困る。地表に顔を出
したか出さないかというすれす
したエネルギーをぎっしりと貯
古代は主として真竹︵マダケ︶
桜の頃になると、筍がどっと
わかめ
め込んでいるから、うま味も濃
と淡竹︵ハチク︶で東北地方に
モウソウチク
冷たい土の中から一気に芽を
摩へ移植され、やがて全国に広
に逃げ帰る時に、頭の櫛を投げ
がストレートに味わえ、春のぬ
春の到来をいちばんよろこぶ
のばし、春の陽気の中でぐんぐ
がっていった。
つけたところ筍になり、追って
くもりが体中に広がっていく。
い。みずみずしい天然の甘味も
まり細かく切らないで、醤油、
合う。そして、筍飯だ。筍をあ
買ってきたら、穂先を五セン
砂糖、だし汁で軽く煮込んでか
出盛る。
は寒冷地でも育つフネマガリダ
チほど切り落として皮の上から
五月以降にとれる真竹、淡竹に比べて孟宗竹は
桜の頃にとれたため、江戸っ子の初物好きから
絶大なる支持を得たようです。
防止には理想的である。
物繊維が含まれており、肥満の
2
ケがあってうまい。
﹁たかむな﹂の語源は﹁竹芽
ら米といっしょに炊き合わせる。
旬の頃に一度は食べたい季節の
味わいだ。
江戸時代に﹁初物七十五日﹂
ということわざがあり、初物を
食べると七十五日長生きできる
といわれ、若い娘たちが初物の
筍掘りによく出かけたものであ
る。面白い川柳もある。
ンB、C、E、それに豊富な食
タンパク質やカリウム、ビタミ
という。カロリーが低い半面で
ストレスを緩和する働きがある
の神経伝達物質のひとつであり、
ロシンというアミノ酸で脳の中
筍のうま味成分のひとつがチ
皮ごと焼いて、
野趣ある味わいを楽しむ
「焼き筍」。筍飯もいい。大きめに切った筍を炊き込めば、
春の息吹が味わえる。
掘りたてだと皮ごと焼いて、
そのまま食べてもほくほくうま
たけめ
ある。
れのずんぐりむっくり体形が理
筍は﹁初物七十五日﹂
ん成長することができるからだ。
﹁たけみな﹂から
﹁たかむな﹂
きた悪霊がむさぼり食っている
73
ともに官軍と戦うことを小田
原藩にすすめるも、倒幕と佐幕
いまま遊撃隊はいったん沼津へ
宗福院の一角に、官軍慰霊碑が
で藩論は定まらず、返答を得な
小
田
原
戊辰戦争、
箱根山崎合戦の跡を歩く
箱根登山鉄道沿いの各所に、維新をめぐるドラマの跡が残っています。
す。
箱根山崎で戦った遊撃隊などで
今回の箱根・小田原歴史散歩は、その一つ、箱根山崎合戦地跡をたずねます。
徳川三百年の
恩顧に報いて
慶応四年三月十四日の勝義邦
あります。苔むして碑銘もさだ
東征大総督有栖川宮が江戸へ
去りますが、五月十七日、彰義
り江戸の町は兵火を免れました
発った翌日、四月十二日の小田
箱根の関所を強引に通過した
﹁板橋のお地蔵さん﹂に
残る官軍慰霊碑
が、佐幕の強硬派は江戸城無血
原へ、入れ違いに伊庭八郎隊長
かには読めなくなっていますが、
開城を不満とし、慶応四年五月、
さて、慶応四年に話を戻すと、
湯本早雲寺に眠る
九人の遊撃隊士
この間、小田原藩軍と遊撃隊
暴挙を知った新政府側は直ちに
遊撃隊は、二十二日には小田原
は、元箱根に陣をとる官軍宿舎
れた遊撃隊は、いったん湯本茶
小田原藩に問罪使を入れ、督戦
箱根登山鉄道・箱根板橋駅で
屋あたりまで退きますが、小田
を襲撃。小田原藩の変節を知ら
下車し、国道一号線沿いの板橋
原藩の出撃を知ると引き返し、
隊を派遣します。わずか四日で
郵便局右脇を入ると東海道旧道
伝える早雲寺。周辺の町並みは、
山崎に砲台を築いて待ち受けま
小田原藩勢は、高台に陣取る
爪先上がりの狭い坂道が、山の
筋。﹁板橋のお地蔵さん﹂とし
遊撃隊から藩兵の動きがまる見
温泉街らしい雰囲気をとどめま
す。
えという状況の中、後方からは
す。
と戦火を交えます。
勝敗の帰趨は容易につかず、
日の落ちるころには猛烈な白兵
恩義を貫くべく、自ら脱藩し、
府軍を相手に転戦した二十歳の
藩士五十九人を引き連れて新政
根山崎に散った遊撃隊。これが、
譜代大名がいます。千葉県木更
二○分ほど歩いた早雲寺に、小
藩中で唯一取り潰しとなります
戊辰戦争後、請西藩は全国の
じょうざい
世に伝える戊辰戦争箱根山崎の
津市にあった旧請西藩主林忠崇
笠原長七郎以下九人が眠る遊撃
が、忠崇は流転と困窮にありな
です。
隊士の墓があ
な句を残しています。
九十二歳まで生きました。こん
がら剣道や絵、和歌に親しみ、
箱根湯本駅で下車、温泉街を
合戦です。
徳川三百年の恩顧に報いて箱
遊撃隊は敗走しました。
戦となり、まる半日の激戦の後、 遊撃隊隊長には、徳川家への
琴となり
下駄となるのも桐の運
官軍に監視されながら、遊撃隊
て、地元の人々の信仰を集める
ぬ軍監中井範五郎以下官軍兵士
率いる旧幕府軍残党の遊撃隊が
隊挙兵の報に勇を得て、再び箱
早雲寺
今も花が絶えないとか。
山崎合戦跡の石碑
根へ兵をすすめます。
箱根湯本
小田原城
形勢が逆転し、小田原城を追わ
各地で兵を興しました。上野の
︵海舟︶と西郷隆盛の合意によ
入生田
小田急線
箱根登山鉄道
1
箱根
板橋
十三名を討ったのでした。
入城に至ります。
現在の箱根山崎付近。
「錦絵 山崎合戦図」−部分− 早川徳次郎画 ( 光円寺蔵 ) 真鶴港から上陸してきます。 幕府への恩顧と、勢いを増す倒幕派との間で
藩論がさだまらず、小田原城内は揺れていた。
彰義隊、甲州勝沼の甲州鎮撫隊、
小田原・城山公園の桜
風祭
ります。
他にも、北
条五代の墓や
連歌師・宗祗
の碑があり、
歴史の数々を
国立印刷局 小田原工場の桜
遊撃隊士の墓が残る湯本早雲寺。その昔、小田原
合戦に豊臣秀吉が本陣としたことでも知られる。
小田原かまぼこ桜まつり
板橋地蔵尊
■3 月下旬∼ 4 月上旬
桜並木の通り抜けといえば大阪の造幣
局が有名だが、ここ小田原の桜も見事。
樹齢 70 年を越す 500 本のソメイヨシ
ノのアーチに心奪われる。見頃につい
てはお問い合わせを。
■場所:小田原市酒匂 6-2-1
■交通:JR 鴨宮駅徒歩 15 分
国立印刷局 小田原工場 総務グループ
0465・47・2111
「板橋のお地蔵さん」宗福院境内の官軍慰霊碑。
■3 月 27、28 日
かまぼこ名人によ
る 手 づ く り 実 演、
き き か ま 大 会、か
まぼこ板積み競争
「一夜城合戦」
、この
まつりだけのかま
ぼこの限定品販売
など、催しものがいっぱい。
■場所:小田原城二の丸広場
■交通:小田原駅徒歩 10 分
小田原市産業政策課
小田原蒲鉾水産加工業協同組合
0465・22・4068
■3 月下旬∼ 4 月上旬
小高い山の公園が 350 本の桜で埋め尽
くされる。ぼんぼりの光で愛でる夜桜
は格別の眺めだ。小田原っ子にすっか
り定着した花見スポットのひとつ。
■場所:小田原市城山 3-30
■交通:小田原駅徒歩 10 分
0465・33・1583
小田原市緑公園課
るでしょう。
違い、まさに味の名脇役といえ
いけれど、あるとないとでは大
役買ってきました。主役ではな
指します。
引き起こしやすくなった状態を
症、糖尿病などの生活習慣病を
型肥満により、高血圧や高脂血
フレッシュな〝香味野菜〟のちからで
美味しく健康的な食卓を
魚の臭み消しに活躍
食中毒防止にも
香味野菜とは、料理に香りや
めです。
おそばをいただくときの薬味、
刺し身をいただくときのツマ、
い香りは、昔から毒消しや強壮
けられています。香味野菜の強
けでなく、その効能にも目を向
味野菜の香りを上手に料理に取
ただ減塩に努めるのでなく、香
この香味野菜が力を発揮します。
塩分の取り過ぎを防ぐためには、
かげで、うす味を感じにくくし
いのですが、その強い風味のお
み消しとして使われることが多
大葉。これらは魚や肉料理の臭
と く に 高 血 圧 の 要 因 で あ る 、 たとえば、しょうがや青ネギ、
また、お料理の仕上げにトッピ
や健胃などの働きがあるとされ
てくれます。このとき、米酢や
辛 味 を つ け る た め の 野 菜 で す 。 この香味野菜、ただ味わいだ
ング感覚で使われるハーブなど、
り入れると、美味しく減塩につ
とくに、刺し身のツマや薬味
てきました。
て役として、欠かせません。ま
に使われる、おろしわさび、し
﹁香味野菜﹂は、料理の引き立
た、いまでは一年中手に入る大
ょうが、にんにく、大葉、みょ
保温兼用の電気釜の普及で、おひ
その七
かまぼこの蒸し上がりを待っている間に、ビ
ュッフェレストラン「えれんな ごっそ」でお食
り下げて飯の旨さを保ちました。
飯櫃を使い、風通しのいい場所に吊
保温できました。夏季は竹で編んだ
ぶ︶を利用することで、十時間程度
ひつ入れ︵ワラコ、イシコなどと呼
さらに寒い季節には、わら製のお
皮側です。
は芯に近いほど匂いが強くなるので、
りもあって珍重されます。使う部分
って、木目がつみ、木肌が美しく粘
す。特に木曾産の椹は﹁本椹﹂とい
と、木の香りが飯に移らないからで
用います。木目が密で狂いがないこ
おひつは檜や椹︵さわら︶の木を
を除いてくれるから。
気に触れることで、余分な熱と水分
れる所以です。理由は、移す時、空
入れ物ではなく、調理器具だといわ
がっていました。おひつは、単なる
ふっくらした美味しさと風味に仕上
きあがったご飯はおひつに移され、
家族が起きて食卓に着く頃には、炊
ご飯をおひつに移したのです。朝、
おひつは必需品でした。釜で炊いた
電気釜、保温器がなかった時代、
葉も頭にないかもしれません。
十代以前の若い人は﹁おひつ﹂の言
黒酢、バルサミコ酢などのお酢、
葉やみょうがなどは、本来夏の
うがなどすべてに、殺菌効果と
にはたいへんな技術がいると思いました。
なげることができるのでおすす
もの。季節感を演出するにも一
つなど無用という時代。三十代、四
たが、穴ができてしまったりして、商品にする
た食べ方をしてきたのです。こ
ていましたね。蒸し上がりは家でいただきまし
れから夏にかけて気になる食中
みえて、最後はオリジナルのお魚の形に仕上げ
毒対策としても、ツマ類は残さ
たのですが、主人の方は、途中であきらめたと
ずいただきたいものです。
方が教えてくださったのに習い、忠実につくっ
最近は、健康を語るうえで、
おひつ
2チームに分かれて挑戦。私のチームは、係の
﹁メタボ﹂という言葉が浸透し
ています。メタボ=メタボリッ
クシンドロームとは、内臓脂肪
変えるだけで中華風の味わいに。
さらに、和の香味野菜だけでな
く、香菜︵シャンサイ︶などを
使うと、エスニックな風味とな
り、目先もちがう、新しい味わ
いを楽しめます。
また、香味野菜は、免疫力の
向上にも関係があることがわか
っています。 血液中の白血球が活発に働く
と、病気に対する抵抗力が増す
のですが、香味野菜を摂取する
かったですね。娘それぞれに私と主人がついて、
います。昔の人は、理にかなっ
防腐作用があることが知られて
レモンやスダチなどのかんきつ
類、またトマトなど、酸味を一
緒に使うと、その相乗効果でさ
らに風味がアップします。
免疫力アップにも
効果あり
さくで買ってきたお刺し身を、
そのまま醤油でいただくほかに、
たまには香味野菜を使ったドレ
ッシング風のたれで召し上がっ
てみてはいかがでしょう。
と、白血球を刺激して数を増や
かまぼこ博物館では手づくり体験教室への参加記念と
してお客様をデジタルカメラで撮影し、後日Eメール
でお写真をお送りするサービスを行っております。ご
参加の折にはぜひスタッフまでお声をおかけください。
しょうゆ少々にワインビネガ
年輩の方の中には、ご飯の微妙な
http://www.kamaboko.com
し、活性化につながります。免
TEL(0465)24-6262
鈴 ホームページ
ーとオリーブオイルを混ぜてた
美味しさを味わいたいとおひつを求
かまぼこ博物館
疫力をアップさせるには、睡眠
くっていただけたらと思っています。
っぷりの青ネギやしょうが、大
める人もぼつぼつ。曲げわっぱで現
お問い合わせ先
代的なデザインのおひつも出回って
このような食の体験企画を、ぜひほかにもつ
や運動などのバランスも大切で
は、子どもたちの大好物なんです。
葉を加えた中に刺し身を入れ、
実際につくってみて、かまぼこの方は、難し
すが、毎日の食生活にも工夫を。
聞き、インターネットで申し込みました。竹輪
味がなじんだところでレモンを
社の人から、竹輪の焼きたてが美味しかったと
います。
とがなく、よかったです。
香味野菜の美味しさを、積極的
よく行きます。かまぼこの手づくり体験は、会
に取り入れてみてください。
事をして過ごしました。子どもたちも飽きるこ
アジのたたき サラダ仕立て
松田さんご夫妻と双子の姉妹、馨子︵か
おるこ︶ちゃん、撫子︵なでしこ︶ちゃん。
家族で、みかん狩りなど体験型のレジャーに
まわしかけていただきます。ま
松田富士子様(神奈川県横浜市)
た、オリーブオイルをごま油に
手づくり体験記
体験型イベント、参加者募集中!
ーデンマム︵西洋菊︶を鑑賞。
ートピア﹂を訪ね、咲き誇るガ
その後、﹁あしがらフラワーユ
どんをお昼にいただきました。
P8∼でご紹介しています。
した。 *お二人のご活躍の様子は、
をゆっくりつくることができま
くださり、好みの色や形の作品
今回は昨年十一月から今年一月にかけて行われたイベントの模様をご紹介しましょう。
市が地元農家や住民と協力し、
十一月
十一月五日︵木︶開催
出来た作品は、ゆっくり
と時間をかけて冷却。
毎回、皆さまからたくさんの
お便りを頂戴し、誠にありが
とうございます。今回は、そ
の中からご紹介させていただ
きます。
︻お便り︼
いつも内容が盛りだく
さ ん で、楽 し く 拝 見 し て
い ま す。お 料 理 の 写 真 の
カラーがとてもきれいで、
お皿や盛りつけを参考に
させていただいています。
かまぼこの美味しいアレ
ンジやレシピがもっと知
り た い で す。一 覧 で 見 る
こ と が で き る と い い な、
と思っています。
︻如倶楽部事務局より︼
ありがとうございます。
かまぼこ簡単レシピの
紹 介 は、鈴
蒲鉾ホーム
ページにて閲覧できます。
食卓の一品としてご活用
いただければ幸いです。
今後ともよろしくお願
いいたします。
ふくずみ
福住﹂さんへうかがい、建物見
学とお食事を楽しみました。
﹁かながわの建築物一〇〇選﹂
築と西洋の技法や意匠を融合し
は、伝統的な数寄屋風の日本建
一月十七日︵日︶開催
﹁萬翠楼 福住﹂
建物見学とお食事、温泉
一 月
フラワーユートピアの
見学と金太郎人形づくり
み﹁フラワーユートピア構想﹂
遊休農地などに花を植栽する試
﹁足柄山の金太郎﹂で知られ
について、南足柄市役所の古屋
また、造形作家の府川泰行さ
る﹁南足柄市﹂を満喫する一日
屋根の古民家風の佇まいの﹁足
んの指導のもと、金太郎の粘土
富雄さんから説明を受けました。
柄古道万葉うどん﹂へ。〝夕日
人形づくりにも挑戦。熊に乗っ
を企画しました。まずは、茅葺
の滝より流れ落ちる冷涼な水〟
た金太郎など、思い思いの作品
が完成しました。
十二月
ガラス工房で
吹きガラスに挑戦
十二月十八日︵金︶開催
千世倭樓 お食事処﹁美藏﹂で
温かいおそばをいただいた後、
濱館寛さんと村木未緒さんが主
に選ばれ、平成十四年には現役
た擬洋風建築と呼ばれるもの。
創業寛永二年の同旅館の建物
宰する﹁イパダガラス工房﹂で
旅館として初めて国の重要文化
小田原市風祭にあるガラス作家
吹きガラス体験をしました。お
随所に施された職人芸は、当
ばんすいろう
お好みの景品を進呈
財建造物に指定された﹁萬翠楼
四月
足柄茶 すすり茶体験
四月二十八日︵水︶
午前十一時∼午後四時
●
●
びし、すすり茶についてのレクチ
日本茶インストラクターをお呼
1∼4に加え、特別会員様にはさらなる特典やサービスをご用意しました。
二人がマンツーマンで指導して
特別…特別会員様 一般…一般会員様
でこね上げるという、手打ちう
時の趣そのままをとどめ、参加
された皆さんが、思わずため息
をもらすほどの風格が伝わって
きました。特別に温泉も使わせ
ていただけるとのことで、ご希
望の方は、くつろぎのひととき
ャーをしていただきます。茶園の
見学など、風薫る新茶の季節にぴ
宅配便送料特別割引
3 ご贈答用にもご利用いただける
ったりのイベントを計画しました。
参加費/特別 三千円
一般 四千円 五月
MOA美術館&
えれんな ごっそでのお食事
五月十九日︵水︶
●
正午∼午後四時
●
特別展
源義経と浄瑠璃御前の
巻と、葛
恋物語を描いた伝岩佐又兵衛筆
飾北斎の代表作﹁富嶽三十六景﹂
TEL:0465-23-0880 フリーダイヤル:0120-5104-66
﹃浄瑠璃物語絵巻﹄全
や歌川広重の代表作﹁東海道五十
三次之内︵保永堂版︶﹂を鑑賞。
お食事は﹁えれんな ごっそ﹂へご
案内します。
参加費/特別 千五百円
一般 二千五百円 参加お申し込み・お問い合わせ
り日は開催日の十日前とさせてい
各イベントのお申し込み締め切
ただきます。ただし、定員に満た
ない場合は引き続き募集します。
また、お申し込みが定員を超えた
場合のみ、抽選となります。抽選
結果は電話、はがきでご連絡いた
します。お申し込み・詳細のお問
株式会社 鈴 蒲鉾本店 如倶楽部事務局
6 特別な一日を如倶楽部がご案内
〒250-8790 神奈川県小田原市風祭245
かまぼこの里ご利用券進呈
2 かまぼこの里で楽しく過ごす
を楽しみました。
次回イベント予告
あなたも参加しませんか?
三月以降のイベントスケジュール
は次のとおりです。
三月
原魚からつくろう
かまぼこ体験教室
三月十六日︵火︶
午後一時∼午後四時
●
●
通常はすり身をご用意してかま
ぼこづくりを体験していただきま
すが、今回はお魚ですり身をつく
るところから体験していただきま
す。かまぼこをつくった後は、
﹁汐
い合わせは、下記の如倶楽部事務
局まで。参加費は当日頂戴いたし
ます。
いずれも会員規約をよくお読みになり、
ご承認の上お申し込みください。
鈴 蒲鉾本店を始めとする特定店舗にて、ラウンジの優先ご利用など
をご用意しております。
(更新時に別途2年会費が必要となります。
)
ポイントサービス
1 楽しく貯めて楽しく使う
会員様限定特別サービス
ご入会時に<2 年会費 2,000 円>をお申し受けます。
4 ささやかなおもてなしでお迎え
◆特別会員
宅配送料の 5%を割引きいたします。
(2年間ご利用履歴がございませんと、
会員資格を失います。
)
ご清算時の提示でご利用 100 円(税込)ごとに1ポイント加算(100 円未
満切り捨て)
します。
造形作家の府川先生。
風デザート﹂の喫茶でひと休み。
参加費/特別 三千円
一般 四千円
お皿づくり。ここからガラス
をもっと広げていきます。
入会申込書に必要事項を記入するだけでご入会できます。
四季折々の多彩なイベントを開催
7 鈴 の季刊誌 『如』をご自宅にお届け
E-mail [email protected]
説明に耳を傾ける皆さん。
濱舘さんに見ていただき
ながら作業。
ご入会方法
500 ポイント貯まるごとにかまぼこの里ご利用券
(1,000 円相当)
と交換します。
◆一般会員<年会費無料>
一般会員様・・・1∼4 特別会員様・・・1∼7
如倶楽部は、鈴 を日頃ご愛顧いただいております皆さまに、また
これからご利用いただく皆さまに、なお一層鈴 を楽しみ、ご満足い
ただくための会員制倶楽部です。会員となられますと、ポイント加算
システムによるお楽しみ、特定店舗における特別サービスなどの特典
をご利用いただけます。あなたもぜひ如倶楽部にご入会ください。
12
5 ポイントに応じたお楽しみ
如倶楽部についてのお問い合わせは
建具一つひとつに、職人技
が光る。富士山や花などが
描かれた天井画も見事だ。
ホームページ http://www.kamaboko.com
●個人情報の収集・使用・開示・提供……ご提供いただきますアンケートに記載される氏名などの情報(以下まとめて「個人情報」)は、法的義務を伴う開示請求を受けた場合を除き、今後のサービス・品質改善以外の目的には使
用致しません。
(また、統計処理をした結果を必要に応じて第三者に提供することがありますが、個人を特定できる形で第三者に提供することはありません。)●個人情報の保管・破棄……第三者がお客さまの個人情報に不当に触
れることが無いよう、合理的な範囲内で厳重に管理いたします。また、お客様の個人情報は、使用目的が達成され、継続して保管する必要がなくなったと判断した場合は再生不可能な形で、できる限り速やかに破棄致します。
●お問
い合わせ先……ご提供いただきましたお客様の個人情報の訂正・変更・その他のお問い合わせは、右記窓口までご連絡ください。
(株)鈴 蒲鉾本店 如倶楽部事務局 TEL0465-23-0880 神奈川県小田原市風祭 245
個人情報の
お取り扱い
について
金太郎人形は、作った本人に似てしまう、
と盛り上がりました。作品は焼いていた
だき、後日ご自宅へお届けしました。
ごとし「如」
第 89 号 平成 22 年3月1日発行 第三種郵便物認可 編集 株式会社鈴 蒲鉾本店 ごとし編集室 編集人 鈴木博晶 発行所(株)
鈴 蒲鉾本店 神奈川県小田原市風祭 245 〒250-0032 電話 0465
(24)
3141
(代)印刷所 日立インターメディックス
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本体
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