国際経済制度における中国の協調性

国際経済制度における中国の協調性
-銀行規制と財政金融政策の事例分析-
和 田 洋 典
(青山学院大学国際政治経済学部准教授)
【要約】
グ ローバ ル金 融危機 後の 中国の 台頭 を受け て、 従来、 米欧 中心に
運 営されてき た国際経済 制度が機能 不全に陥る のではない かとの 懸
念 が広く抱か れるように なった。だ がその一方 、国際銀行 規制を 担
うバーゼル委員会や主要国の財政金融政策を協議する G20 について
み れば、危機 後の一連の 対応で制度 的な合意か ら逸脱しが ちだっ た
の は、米欧主 要国の側で あり、中国 はむしろ従 順といって よいほ ど
協 調的な行動 に終始した 。本稿では これら通説 的な理解と は異な る
展開を示した事例をとりあげ、バーゼル委員会や G20 のような非公
式 制度におけ る規範と力 の関係とい う視角から 分析する。 そして 、
規 範に基礎づ けられた力 (階層)関 係において 、中国は米 欧主要 国
に 対して新参 者としての 地位に立っ ており、そ れゆえ国際 制度上 の
合意に影響される程度が相対的に高くなったとの理解を提示する。
キーワード:非公式制度、規範と力、銀行規制、財政金融政策協調
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問題と研究
一
はじめに
近 年の新 興大 国、な かで も中国 の経 済的台 頭が 、これ まで 米欧中
心 的に運営さ れてきた国 際制度とど う関わって ゆくのかと いう問 題
は、研究者や政策担当者の大きな関心事となっている。特に 2000 年
代 のグローバ ル金融危機 は、米欧を 直撃するも のだっただ けに、 米
欧 の力を相対 的に低下さ せるととも に、その経 済社会モデ ルの正 当
性 に疑義を突 きつけた面 がある。そ の行き着く 先について の悲観 的
な シナリオに は、従前い わば米欧共 同覇権の下 で成り立っ てきた 制
度的な協調が危殆に瀕するというものもある。代表的なものとし
て、伝統的な覇権安定論を援用してリーダー不在の状況を G ゼロ世
界として描き出したブレマー(Ian Bremmer)は、近年の中国などの
台 頭について 、従来、ア メリカの覇 権的リーダ シップの下 で成立 し
ていた各種領域のガバナンスを機能不全に陥らせる要因の 1 つに位
置づける 1。同様に金融危機後のアメリカ単極構造の終焉を予測する
レーン(Christopher Layne)は、中国がアメリカ中心的な国際経済秩
序 に参画して いることは 、必ずしも 中国の動機 が協調的な もので あ
る ことを意味 しないと指 摘する。そ の根拠とし て挙げるの は、中 国
と アメリカは 主権や内政 不干渉とい った国際秩 序の根幹に 関わる 見
解を異にしていることである 2。
だ がその 一方 、金融 危機 後の国 際制 度の展 開に おいて 、最 大の新
興 国・中国が 米欧主要国 よりも高い 程度の協調 性を示した 分野も あ
る。すなわち、国際銀行規制を担うバーゼル銀行監督委員会(以下、
1
Ian Bremmer, Every Nation for Itself: Winners and Losers in a G-Zero World (London:
Portfolio, 2012).
2
Christopher Layne, “This Times It’s Real: The End of Unipolarity and the Pax Americana,”
International Studies Quarterly Vol. 56 (2012), pp. 203~213.
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バ ーゼル委員 会)や各国 財務相・中 央銀行総裁 および首脳 がマク ロ
的な財政金融政策などを協議する G20 では、国際的な政策目標に照
ら して逸脱的 傾向を示し たのは米独 という主要 先進国であ った。 対
す る攪乱要因 と目された 最大の新興 国・中国は 、後述する ように 、
むしろ従順といってよいほど協調的な態度をとり続けたのである。
本 稿では 、こ のよう に通 説的な 理解 に照ら し逆 説をは らむ 国際銀
行 規制と財政 金融政策協 調の事例を とりあげる 。そして、 逆説的 な
展 開がいかな る要因の組 み合わせに より生じた のかを描き 出し、 そ
の ことを通じ て通説的理 解で看過さ れてきた中 国の国際制 度との 関
わり方や理論的要因間の関係について示唆を得ることを目的とす
る。以下では、まずバーゼル委員会や G20 の国際制度としての特徴
が その顕著な 非公式性に あることを 述べる。つ いで非公式 制度に お
け る規範と力 の作用につ いて分析視 角を導出す る。そして 、事例 分
析 を通じて銀 行規制と財 政金融政策 における米 欧主要国と 中国の 協
調 性の程度の 違いは、両 者のもつ権 力資源の差 に由来する 階層性 の
反映として把握可能なことを明らかにする。
二
非公式制度としてのバーゼル委員会と G20
バーゼル委員会や G7/G20 などの各種 G 会合は、ブレトン・ウッ
ズ体制の終焉後に重要性を増した非公式制度の代表的な存在であ
る 。ここでい う非公式性 とは法的拘 束力を備え る明示的な ルール で
はなく、規範、慣習に依拠する程度の大きいことをいい、「緩やか」
と ほ ぼ 重 な る 意 味 を も つ 3。 こ の 両 制 度 は 、 1970 年 代 に 成 立 し て 以
3
非公式性の要素として他に常勤の事務局・スタッフの不在や乏しさを挙げる場合も
ある。Vabulas Felicity and Duncan Snidal, “Organization without Delegation: Informal
Intergovernmental Organizations (IIGOs) and the Spectrum of Intergovernmental
Arrangements,” The Review of International Organizations Vol. 8, No. 2 (2013), pp.
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来 、非公式性 の長所であ る柔軟性を 活かしつつ 、拘束力の 弱さを 少
数 の先進国間 における規 範の共有に より補うこ とで、金融 市場や マ
クロ経済の動態への対応で成果をあげてきた。
両 制度の 非公 式性に つい てもう 少し 詳しく 述べ ると、 まず 、国際
銀 行規制に関 して中心的 な役割を担 うバーゼル 委員会は、 その成 り
立 ち、組織、 成果のいず れの面から みても、非 公式性の高 い制度 で
ある。そもそも 1970 年代に米独で生じた銀行破たんを機に、委員会
の設立を決めた G10 財務相・中央銀行総裁会合自体、国際決済銀行
の 定例会合に 付随した慣 習的なもの であった。 しかも委員 会の組 織
や 手続きに関 する文書は 公表されて いない。成 果である各 種規制 も
法的拘束力を備えない勧告にすぎない 4。その意味でバーゼル委員会
の 定める規制 の実効性は 、関係国の 規範的合意 に依存する 部分が 大
きくなっている。
G20 についても同様である。財務相・中銀総裁や首脳が集う各種
G 会合は、ブレトン・ウッズ体制の終焉後、主要国の財政金融政策
協調の場となった。そのうち近年重要性を増す G20 は、アジア金融
危 機後に財務 相・中銀総 裁レベルで 設けられた 。その後リ ーマン シ
ョックを受けて初のサミットがワシントン DC で開催されたのを機
に 、新興国を 交えた財政 金融政策協 調の場とし て重視され るよう に
なる。そして 2009 年 9 月のピッツバーグ・サミット以来、「国際経
済協力の第 1 のフォーラム」として位置づけられている。
G20 では、先行する G 会合の伝統を受け継ぎ、首脳や閣僚、総裁
間 の自由な意 見交換と信 頼醸成を可 能にする非 公式性が意 識的に 保
193~220. 古城佳子「『緩やかな国際制度』と遵守:IMF のコンディショナリティティ
ーを事例として」
『国際法外交雑誌』100 巻 2 号、35~62 ページ。
4
中川淳司『経済規制の国際的調和』
(有斐閣、2008 年)
、8 章。
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た れている。 その半面、 ときに「記 念撮影の場 」とも揶揄 される ほ
ど 、拘束力が 欠如する状 況を補い合 意内容の実 効性を確保 するう え
で は、目的や 手段に係る 規範、政策 アイディア の共有が鍵 となっ て
きた 5。
こ れら非 公式 制度に おい ては、 前節 で述べ た新 興国の 台頭 による
形骸化の懸念は WTO や IMF のような公式性の高い制度の場合より
も 大きいと考 えるのが自 然であろう 。というの も、法的な 拘束力 を
欠 く非公式制 度の場合、 その実効性 はメンバー 間の規範の 共有に よ
り支えられる面が強い。それゆえ、国家資本主義と称されるように、
西 欧的な経済 自由主義を 共有しない とみられる 中国の参与 の影響 は
よ り深刻だと 予測される からである 。しかし前 述のとおり 、この 予
測 と、国際銀 行規制と財 政金融政策 協調の実際 の展開は異 なるも の
と なっている 。そのこと が示唆する のは、他の 多くの分野 で米欧 的
な規範に挑戦している中国に対して、現状(status quo)の尊重を促
す ような何ら かの力の要 因が働いて いるのでは ないかとい うこと で
あ る。こうし た点につい て考察を深 める手がか りを得るべ く、次 節
で は国際制度 における規 範と力の関 わりについ て理論的な 検討を 行
い、本稿の分析視角を導出する。
三
分析視角―規範の供給者と需要者
ま ず、規 範と 力の結 びつ きにつ いて 整理し てお こう。 一般 に、国
際 制度のうち 特に非公式 なものほど 規範に依拠 する部分が 大きい の
は 既述のとお りである。 その場合の 規範の働き について先 行研究 の
多 くでは、一 種のリベラ ル・バイア スと呼ぶべ き暗黙の前 提―規 範
5
Ngaire Woods, “The G20 Leaders and Global Governance,” GEG Working paper 59 (Oxford
University, 2010).
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の 伝播は公平 な国際関係 や地球全体 の公共善に 資する―が 抱かれ て
き た。それに 対し、近年 、現実主義 的構成主義 として括ら れるべ き
規 範と国際的 な力関係な いしは階層 性を結びつ ける立場が 注目さ れ
ている。そのうち経済・金融をとりあげたベスト(Jacqueline Best)
によれば、近年 IMF はコンディショナリティを通じて構造調整を押
し 付ける手法 に代わり、 推奨する政 策パッケー ジをベスト ・プラ ク
テ ィスとして 公表し、開 発途上国な どによる自 発的な採用 を促す 構
成主義戦略(constructivist strategy)を採用するに至ったという 6。こ
こ で政策アイ ディアは、 金融市場に おいて自由 主義的な財 政金融 運
営 を健全とみ なす認識を 広めること を通じ、各 国に政策変 化を促 す
権 力資源とし て用いられ ている。こ の種の力の 構成主義的 な作用 に
つ いて、様々 な問題領域 を跨ぐグロ ーバル・ガ バナンス全 般への 適
用を企図して編み出された概念に、創出的パワー(productive power)
が ある。この 概念におい ては何らか の認識が広 まることが 、アク タ
ー の社会的な 立場と能力 を創りあげ ることを通 じ、力関係 に転化 す
ると される。具 体的には、「信頼できる 国」「民主主 義国」など の 範
疇 分けがグロ ーバルな社 会的空間に おける地位 や行為能力 を規定 す
るという事態が挙げられる 7。
こ れらの 力と 規範の 関わ りの分 析か ら抽出 でき る知見 は、 規範の
伝 播が関係ア クターを適 切な行動や 政策選択に ついて発信 する側 と
受容する側に分かつ効果をもつということである。本稿ではその 2 つ
6
Jacqueline Best, “Bringing Power Back In: The IMF’s Constructivist Strategy in Critical
Perspectives,” in Rawi Abdelal et al. eds., Constructing the International Economy (London:
Cornell University Press, 2010), pp. 194~210.
7
この概念の経済問題への適用例として Jeffrey Chwieroth, “Managing Capital Inflows:
An Exercise in Productive Power,” in Benjamin Cohen and Eric Chiu eds., Power in a
Changing World Economy: Lessons from East Asia (London: Routledge, 2013), pp. 69~85.
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の 立場につい て、前者を 規範の供給 者、後者を 需要者と呼 ぶこと に
し たい。この 供給者とは 、国際制度 の対象とす る課題に係 る規範 や
政策アイディアを、国際機関などを通じて他国に拡散する国であ
る 。対する需 要者は、課 題への対応 において他 国や国際機 関の提 示
す る規範や政 策アイディ アを受け入 れる国をい う。またこ こでい う
規範等の「受け入れ」には大別して 2 つの段階がある。1 つはアクタ
ー が規範等を 内面化し、 いわばそれ に従うこと を自明視す るに至 っ
ている状態である。もう 1 つは内面化がそこまで進んでいないもの
の 、規範等が 利益認識を 形成し、そ れがアクタ ーの行動に 影響し た
り 、アクター が規範等に 従うことを 自らの利益 とみなして 規範整 合
的な行動をとったりする状態である 8。この規範の供給者と需要者の
関 係は、規範 、政策アイ ディアのも たらす正当 性と技術的 知識を め
ぐ り、供給者 は教導的な 立場に立つ 一方、需要 者は追随的 な立場 に
置かれる、という階層性を帯びたものになる 9。
あ る国が 供給 者であ るた めには 、国 際制度 の対 象とな る課 題に適
用 できる自ら の規範、政 策アイディ アを確立し ていること が前提 と
な る。その確 立につなが る要因に、 国内で生成 された高水 準の経 済
学 、社会科学 的知見や、 経済・市場 の発展への 対応を通じ た政策 経
験 の蓄積が考 えられる。 自らの規範 、政策アイ ディアを確 立した う
え で、つぎに 重要なのは その拡散に 活用可能な 制度的資源 の存在 で
8
規範受容の段階については、以下を参照。足立研機『国際政治と規範』
(有信堂高文
社、2014 年)
、19 ページ。
9
本稿において正当性は、規範に則った行為へ付与される社会的な承認ないしはそう
した承認として具現化されるところの規範の「正しさ」という意味で用いられる。
大矢根聡編『コンストラクティヴィズムの国際関係論』
(有斐閣、2013 年)
、21 ペー
ジ。山本吉宣「有志連合と国際システムの構造変化」
『青山国際政経論集』68 号、2006
年、22~23 ページ。また規範と政策アイディアは互換的に用いられるが、政策アイデ
ィアという場合、特定の政策選択を導く程度の高さに力点が置かれる。
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ある 10。通常それに該当するのは、国際社会・市場において高い権威
を 有する規制 機関や自国 を支持する 傾向の強い 国際機関で あり、 報
告 書や事務局 幹部、所属 エコノミス トの講演、 論文が規範 等の拡 散
径 路として機 能する。さ らに各機関 の活用は、 規範等に政 治的中 立
性や技術的立場の装いを付与し、正当性を高める効果をもつ。
そ れに対 し、 需要者 は経 済・市 場自 体とそ れを 分析す る学 術的、
政 策的知見の 未発達から 、国際制度 の課題に適 用可能な規 範、政 策
ア イディアを 確立できて いない。あ るいは何ら かの規範等 を抱い て
い ても、それ に自信を持 つに至って いない。そ こで課題へ 対処す る
政 策選択の正 当性や選択 の根拠とな る技術的知 識について 、供給 者
や その影響下 にある国際 機関の提示 する規範、 政策アイデ ィアを 受
容 することで 調達しよう とする。か りに自らの 規範等を抱 くに至 っ
た 場合も、そ れを支持、 拡散する制 度的資源の 不備から、 その規 範
等は自己利益の表出と解されやすく、説得力は低くなりがちになる。
つ ぎにこ うし た力関 係な いしは 階層 性が非 公式 制度に どう 体現さ
れるかについては、ストーン(Randall Stone)の議論が参照できる。
そ れによれば 、構造的な 力をもつ国 を取り込ん で形成され る国際 制
度では、一種の非公式ガバナンス(informal governance)として、そ
の 国が死活的 利益の関わ る場合にル ールの制約 から免れる ことを 許
容 せざるをえ ない。そこ でいう構造 的な力は、 強国が何ら かの政 策
目 標の追求に あたり、当 該国際制度 以外に地域 主義、有志 連合、 単
独 主義といっ た代替手段 をもつこと をさす。半 面、それら の代替 手
段 を欠く他の 国々にとっ ては、強国 による時折 のルール逸 脱を許 容
し てでも、強 国を制度に つなぎとめ 、それに働 きかける機 会を確 保
10
Stephen Bell, “The Power of Ideas: The Ideational Shaping of the Structural Power of
Business,” International Studies Quarterly, Vol. 56 (2012), pp. 661~673.
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することに利益が見出されるという 11。
以 上得ら れた 知見の 組み 合わせ によ り、非 公式 制度に おけ る規範
と 力に関して 、つぎのよ うな仮説的 見通しとし てまとめる ことが で
き る。まず規 範、政策ア イディアの 伝播に依拠 した非公式 制度の 形
成 は、社会科 学の水準や 政策経験の 差に応じ、 規範等につ いて供 給
者 と需要者へ の階層分化 を伴う過程 でもある。 階層分化の アクタ ー
の行動への顕れとしては、供給者のルール逸脱が時折発生する一
方 、正当性や 政策技術を もたらす規 範等の需要 者はなお協 調的で あ
り 続けようと するという ものが考え られる。次 節以降、こ の見通 し
を 念頭に、銀 行規制と財 政金融政策 に係る中国 の行動を米 欧主要 国
と 比較しなが ら分析して ゆく。比較 対象として とりあげる 米欧主 要
国 は、銀行規 制について はアメリカ であり、財 政金融政策 につい て
は ドイツであ る。世界最 大の経済大 国であるア メリカと経 済面で 欧
州 を主導しつ つあるドイ ツは共に、 各イシュー において大 きな影 響
力 を有する。 それに加え 、以下詳述 するように 、アメリカ は銀行 規
制 において、 ドイツは財 政金融政策 に関して規 範・ルール に逸脱 し
た 行動をとっ た経緯があ る。ゆえに いずれのイ シューにお いても 相
対 的に高い協 調性を示し た中国の行 動の特徴を 浮き彫りに するう え
で適した事例であると考えられる。
四
バーゼル銀行規制の事例
二節で述べたとおりバーゼル委員会は非公式性の高い制度であ
り 、そのとり まとめる各 種ルールに 法的拘束力 は備わって いない 。
に もかかわら ず、実際に は自己資本 比率を定め たバーゼル 合意は 、
11
Randall Stone, Controlling Institutions: International Organizations and the Global
Economy (Cambridge: Cambridge University Press, 2011).
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委員会加盟国を越える 100 か国以上で導入されるなど、銀行規制の
国 際標準とし ての地位を 獲得してい る。その場 合、合意の 非公式 性
を 補い遵守を 促す要因と して、銀行 の損失への 耐性を強化 し、リ ス
ク をとる誘因 を抑えるう えでの技術 的な有用性 を、各国当 局が規 制
に見出してきたことがある 12。
そ れに加 えて 以下の 規範 の共有 があ る。ま ず、 バーゼ ル合 意の根
本 の目的であ る国際的な 金融システ ム危機防止 の必要性で ある。 海
外 拠点をもつ 銀行におい ては、本国 での資本の 毀損は通常 、外国 の
支店や子会社の健全性の問題に直結する。さらに異なる銀行間で
も 、各国金融 システムの 連結性の向 上や信用不 安の広まり やすさ か
ら 、破たんが 国境を越え て伝染する 傾向は近年 強まってい る。こ う
した状況では、1 国の規制監督の不備は国際的に負の外部性をもたら
す 可能性が高 い。それゆ え、先端的 な監督経験 のつまった 国際標 準
の受容の必要性は共通認識となっている 13。
もう 1 つの規範は、競争条件の公平性(level playing field)である。
多 くの銀行に とって預金 は、公的な 保証や決済 機能の具備 、公衆 の
貯 蓄習慣から 低コストの 資金調達手 段である。 それに対し 、自己 資
本 の中核をな す株主資本 は、配当や 市場動向へ の脆弱性に よりそ の
相 対的なコス トは大きい 。そのため 一部の国の みで銀行に 資産の 一
定 比率の自己 資本保有を 義務づけれ ば、その国 の銀行の国 際競争 力
は 低下しかね ない。ゆえ に、少なく とも主だっ た国際的銀 行の母 国
当局が並行して規制の導入を進める必要性が生ずるのである。
こ れらに 加え 、バー ゼル 合意の 基準 が金融 市場 参加者 の間 で健全
12
Charles Goodhart, The Basel Committee on Banking Supervision: A History of the Early
Years 1974-1997 (Cambridge: Cambridge University Press, 2011).
13
久保田隆「国際銀行監督に関するバーゼル合意の法的課題」『早稲田法学』81 巻 1 号
(2005 年)、213~219 ページ。
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性 の指標とし て間主観的 に共有され ることで働 く市場規律 も重要 で
あ る。じつは 資本積み増 しによる銀 行融資への 制約やそれ を通じ た
経 済成長への 負荷は明白 である一方 、基準が銀 行の健全性 を担保 す
る 指標として 有効なのか はそれほど 定かではな い。合意の 中核で あ
る 8%という自己資本比率は実証的な裏付けを欠き、交渉の紛糾を招
いた経緯がある 14。ラテンアメリカの危機を契機に導入されたバーゼ
ル合意が以後、90 年代の日本とアジアの金融危機や今次グローバル
金 融危機を防 げなかった ことも、そ の効果を疑 わしいもの にして い
る 。それにも かかわらず 一旦、国際 規制の公表 等を機に証 券市場 や
銀 行間市場の 参加者に基 準を満たさ ない銀行は 不健全との 認識が 広
ま り、かつそ の認識の広 まりという 事態を各参 加者が認識 する状 態
に 到れば、基 準を下回る 銀行に資金 は流れなく なる。この ように 共
有 認識が自己 実現的に市 場行動を規 定する効果 が働く。だ から、 各
国 は客観的な 根拠は不明 瞭であって も基準の遵 守を促され ること に
なるのである 15。
バーゼル委員会の加盟国は、2009 年、G10 中心の先進 13 か国から
G20 全体を含む 27 か国・地域へと増加した。この加盟拡大は、規制
の実効性にいかなる影響をおよぼしたのだろうか。ありうる 1 つの
筋 書きに、国 有銀行中心 の金融シス テムなど国 家資本主義 を採る 中
国 などの参与 は、米欧中 心のクラブ 時代に培わ れた規範の 共有を 脆
弱にし、実効性を低下させるというものがあろう。
14
Howard Davies and David Green, Global Financial Regulation: The Essential Guide
(Cambridge: Polity, 2008), p. 38.
15
金融市場における間主観性については、D. マッケンジー『金融市場の社会学』岡本
紀明訳、(流通経済大学出版会、2013 年)。たとえば実際には操作されていたロンド
ン銀行間取引金利は、
「真実」の金利を表すと信じられたことで、グローバルな指標
として通用したという。
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と ころが 、実 際に生 じた ことは これ とまる で異 なって いる 。バー
ゼル合意は、1980 年代に自己資本比率規制の原型となるバーゼルⅠ
の策定後、2 度、大きな改訂が行われた。2004 年にまとまったバー
ゼルⅡは、アメリカの連邦準備(Federal Reserve)の主導で、銀行自
身 のリスク管 理手法を取 り込んだこ とが主な改 変点である 。この バ
ー ゼルⅡにつ いて、欧州 と日本が合 意どおり導 入に踏み切 ったの に
対し、アメリカは独自案の公表など迷走の末、導入を一方的に 1 年
遅らせることとし、結局それも金融危機の進行でうやむやになった。
類 似した 経過 はバー ゼル Ⅲにつ いて も再現 され る。中 核的 な株主
資 本の割合を 高めるなど 自己資本の 質・量の向 上を柱とす るバー ゼ
ルⅢは、銀行救済に反発する世論に直面した米英両国の主導で 2010
年にまとめられた。ところが、アメリカは 2012 年 11 月、合意され
た導入開始時期の先送りを決め、のち 1 年遅れでの開始を表明する。
導 入の遅れや 頓挫は国際 的な監督の 空白を生む ほか、競争 条件の 公
平 性の観点か ら、他国に 逸脱や対抗 の誘因を与 えて規制の 形骸化 を
招 く行動であ る。現にア メリカの先 送りに際し て、欧州銀 行連盟 は
欧 州委員にバ ーゼルⅢに 相当する資 本要求指令 Ⅳの先送り 要望を 提
出している。ドイツ連邦銀行副総裁のラウテンシュレーガー(Sabine
Lautenschläeger)も、米銀の欧州拠点への監督強化という対抗措置を
示唆した 16。このように欧州ではアメリカがきちんと実施するかにつ
い て疑念が抱 かれており 、以後もア メリカの態 度次第で遵 守の誘 因
が低下する怖れがある。
こ れに対 し、 中国は バー ゼル委 員会 加盟前 から 、バー ゼル 合意を
国内規制に取り入れてきた。そして、2009 年の加盟後は銀行業監督
16
“German Bankers Critical of US Stance on Basel III Rules,” BBC Monitoring European, 25
November 2012, ProQuest.
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管 理委員会( 以下、銀監 会)と中国 人民銀行を 中心に前の めりと も
い える積極姿 勢でバーゼ ルⅡとⅢの 並行的な導 入を進めて いる。 と
りわけ 2011 年 5 月に公表されたバーゼルⅢに関する当初方針では、
バ ーゼルⅢを 上回る中核 的自己資本 の比率を設 定したほか 、導入 開
始と完全実施の前倒しを盛り込んでいた 17。2013 年 1 月には国際合
意 より厳しい 中核的自己 資本の水準 を維持した 内容で、中 国版バ ー
ゼルⅢと呼ばれる商業銀行資本管理弁法(試行)が施行されている。
こ の間、アメ リカによる 導入先送り が明らかに なった際も 、銀監 会
副 主席の王兆 星は、中国 はその影響 を受けるこ とはなく、 国際金 融
社会の一員として金融改革に参画すると述べ 18、合意への忠実さを強
調した。
1
米中の相違
米 中両国 の対 照的な 行動 はどの よう に理解 でき るだろ うか 。中国
に よる積極的 な導入姿勢 の背景には 、金融と財 政の未分離 という 計
画 経済の遺制 がある。中 国の商業銀 行は、財政 が逼迫しつ つも高 成
長 を追求する 地方政府や 国有企業に より、採算 性を欠く投 資事業 へ
の融資を半ば強いられてきた 19。その結果、不良債権や経済構造の非
効 率性が深刻 化するに至 っている。 かかる状況 を改め、商 業性の 範
囲 で貯蓄と投 資を仲介す るという本 来の機能を 銀行に発揮 させる た
め には、リス ク管理能力 や企業統治 の確立が不 可欠であり 、バー ゼ
17
関根栄一「中国版バーゼルⅢの公表と中国銀行セクターへの影響」
『中国資本市場研
究』5 巻 2 号(2011 年 7 月)
、80~89 ページ。
18
周鵬峰「銀監會:中國監持實施巴塞爾 III」『上海證券報』2012 年 11 月 21 日、
http://news.xinhuanet.com/finance/2012-11/21/c_123978534.htm
(2015 年 2 月 10 日アクセ
ス)
。
19
柯隆『中国の不良債権問題』(日本経済新聞出版社、2007 年)
。
-131-
第 44 巻 2 号
問題と研究
ル合意はその重要な手段として位置づけられている。
そ の半面 、規 制導入 のコ ストが 中国 に意識 され ている こと も事実
で ある。当初 のバーゼル Ⅲ実施を前 倒しする方 針に対し、 元銀監 会
副 主席の唐双 寧は、合意 で認められ た過渡期を 利用して競 争力向 上
に努めるべきとし、慎重さを求めている 20。当局の方針表明に応じて
銀 行株が下落 する現象も 生じており 、いわば証 券市場でも バーゼ ル
Ⅲ は銀行の収 益圧迫要因 であるとみ なされてい る。国務院 発展研 究
セ ンター・金 融研究所副 所長の巴曙 松は、反景 気循環的な 資本追 加
な ど、米欧の 都合による 規定が途上 国の不利益 になる点を 「西洋 が
病を得て東洋が薬を呑む」と批判した 21。
ア メリカ の先 送りに 際し ても、 財政 部副部 長の 朱光耀 は、 中国で
も 規制強化に よる銀行貸 出の抑制を 警戒すべき と説いてい る。こ れ
は金融仲介の大宗を銀行が担う中国にとって、GDP への下方圧力に
直 結する問題 である。農 業銀行首席 経済学者の 向松祚も、 バーゼ ル
合 意が過去の 金融危機と 銀行の高リ スク行動を 防げなかっ たこと に
鑑み、急進的なバーゼルⅢ導入は不要と断じた 22。
以上をふまえれば、中国当局が単純にバーゼル合意の導入によ
り 、危機の防 止や銀行の 経営改善が 可能とみな していると は考え づ
ら い。したが って、中国 の積極姿勢 を理解する には、中国 がバー ゼ
ル合意について、技術的有用性以外につぎの 2 点にわたる正当性の
20
『第一財經日報』2012 年 3 月 23 日、http://www.yicai.com/news/2012/03/1556703.html
(2014 年 4 月 2 日アクセス)。
21
巴曙松「巴塞爾 III 的相關要求在發展中國家缺乏適應性」國務院發展研究中心、2012
年 9 月 12 日、http://www.drc.gov.cn/qwfb/20120912/4-459-2869580.htm(2014 年 4 月 2
日アクセス)。
22
朱玥「歐美不玩中國獨舞?」『英才』2013 年 1 月 30 日、http://www.talentsmag.com/
article.aspx/5263(2015 年 2 月 10 日アクセス)。
-132-
2015 年 4.5.6 月号
国際経済制度における中国の協調性
源泉としてとらえていることを考慮する必要がある。第 1 に、資本
規 制のもたら す融資の慎 重・厳格化 は、国有企 業や地方政 府をは じ
め とする融資 の受け手の 利益と対立 する面が大 きい。銀行 自身に と
っ ても、資本 積み増しに よる経営へ の負荷は小 さくない。 それら 潜
在 的な抵抗を 乗り越える うえで、当 局にとって 国際機関の 合意が 備
える高い正当性は、外圧として活用可能な手段となる。第 2 に、バ
ー ゼル合意が 市場で健全 性の指標と して間主観 的に共有さ れるこ と
の 効果がある 。とりわけ 中国のよう に、銀行の 国際進出の 本格化 を
見 込む状況に おいては、 合意の忠実 な実施によ り、国際金 融市場 で
の 資金調達や 国際金融取 引に耐える 健全性につ いてお墨付 きを得 る
意義は大きいだろう。
中 国側の バー ゼル合 意の 正当性 を尊 重する 姿勢 は、規 制対 象とな
る銀行にも共有されている。金融安定理事会(FSB)により、システ
ム 上重要な金 融機関とし てバーゼル Ⅲに上乗せ する規制の 対象に 中
国銀行が選定された際、
「喜びと憂いが相半ばする」という銀行側の
受けとめが報じられた 23。この規制強化への半ば肯定的な反応は、大
手米銀 JP モルガン・チェース CEO が FSB 理事長に表明した「バー
ゼルⅢは反米的だ」という不満とは著しい対照をなす 24。これらの動
き からは、中 国が国内改 革や国際市 場における 認知向上の ために 、
正 当性や技術 的知識をも たらす政策 アイディア を需要する 側に立 つ
ことは明らかだろう。
で はアメ リカ の行動 はど う理解 でき るだろ うか 。自ら ルー ル策定
を 主導しなが らその実施 で劣等生に なるという 行動は一見 、理解 し
23
劉蘭香「中行“中彩”入選系統重要性銀行喜憂參半」
『21 世紀經濟報導』2011 年 11 月
8 日、第 9 版。
24
Tom Braithwaite and Patrick Jenkins, “JPMorgan Chief Says Bank Rules ‘Anti-US’,”
Financial Times, 12 September 2012, p. 1.
-133-
第 44 巻 2 号
問題と研究
が たい。とり わけバーゼ ルⅡは、ワ シントンに 本拠を置く 国際金 融
協 会や全米銀 行協会の要 望を反映し ながら、連 邦準備が主 導した 規
制 緩和という 性質をもつ 改定である 。そうした 背景がある にもか か
わ らず、バー ゼルⅡが実 施されなか った直接的 な要因に規 制監督 権
限 の分散があ る。アメリ カの銀行規 制監督は、 持株会社を 担当す る
連 邦準備、国法 銀行を担当 する通貨監 督庁( OCC) に加え、預 金 保
険公社(FDIC)
、各州当局に分掌される。それゆえ規制改革では、地
域 ・中小行の 不利化を避 けるといっ た観点から 調整が錯綜 しがち と
なる。
そ れに加 え、 そもそ も国 内調整 を優 先可能 な要 因とし て、 アメリ
カ がバーゼル 合意の基礎 となる政策 アイディア の供給者で あるこ と
は 重要である 。実際、累 次のバーゼ ル合意の策 定過程は、 アメリ カ
の 規制監督経 験の輸出と いう面が強 い。バーゼ ル合意の骨 格をな す
資 本の区分法 や資産のリ スク加重は 、アメリカ 国内で歴史 的に用 い
られてきた手法である 25。このように技術的知識を教示する側に立つ
こ との帰結と して、正当 性の面でも 銀行の健全 性を金融市 場に認 め
さ せるうえで 、バーゼル 委員会のお 墨付きを得 る必要性は 相対的 に
小 さい。なぜ なら、バー ゼル合意の 規制手法は 元々連邦準 備など 国
内 機関に備わ っており、 合意の受容 により国内 機関の能力 と信認 が
高 まるという 関係にはな いからであ る。むしろ 最大の金融 市場の 監
督経験から得られた先端的な知識は、国内各機関に蓄積されており 26、
そ のことはア メリカの金 融機関や投 資家を枢要 な参加者と する国 際
25
Bryce Quillin, International Financial Co-Operation: Political Economics of Compliance
with the 1988 Basel Accord (New York: Routledge, 2008), pp. 106, 180.
26
当局者自身の認識として、元預金保険公社総裁によるバーゼルⅢを拒否した判断の
自賛について、Sheila Bair, Bull by the Horns: Fighting to Save Main Street from Wall Street
and Wall Street from Itself (New York: Free Press, 2012), p. 40.
-134-
2015 年 4.5.6 月号
国際経済制度における中国の協調性
金 融市場でも よく認識さ れている。 要は銀行の 健全性を市 場に認 め
さ せるうえで 、アメリカ は国内機関 による規制 監督の遂行 をアピ ー
ル するという 、バーゼル 合意の忠実 な実施に代 替する手段 をもっ て
いるのである。
翻 って中 国の ような 需要 者は、 連邦 準備の よう な権威 ある 機関を
中 心にまとめ られたルー ルの正当性 と技術的知 識を政策目 的の実 現
や 国内調整の ために必要 とする。そ れゆえ国際 合意以上に 急進的 な
規 制強化に伴 う銀行経営 への負担や 供給者側の 逸脱や遅延 により 、
国 際競争上、 不利になり うる状況を も甘受せざ るをえない 立場に 置
かれているのである。
五
G20 における財政金融政策協調
前述のように各種 G 会合において、合意された政策方針の実効性
は関係国の規範的合意に依存する。グローバル危機後の G20 におけ
る 政策協調の 場合、実効 性を支えた 規範的要因 としてまず 挙げら れ
る のは、ケイ ンズ主義の 復活である 。新自由主 義に覆われ ていた 国
際 経済論壇に おいて、危 機後は市場 に内在する 不安定性に 関する ケ
インズ(John Maynard Keynes)
、ミンスキー(Hyman Minsky)の洞察
の再評価や、スティグリッツ(Joseph Stiglitz)、IMF 主席エコノミス
トのブランシャール(Olivier Blanchard)らニュー・ケインジアンの
説得性の高まりといった事態が進んだのである 27。
さらに元来、1 国単位の不況対策として構想されたケインズ政策の
国際協調的な実施については、1930 年代の再現を回避すべきという
規範により支持される 28。近隣窮乏化政策の蔓延をはじめとする歴史
27
Robert Skidelsky, Keynes: The Return of the Master (New York: PublicAffairs, 2010).
28
G20 ロンドン・サミット声明は「通貨の競争的な切り下げを回避」
「過去の保護主義
-135-
第 44 巻 2 号
問題と研究
的 経験からす れば、危機 後のような 世界景気の 後退局面で は需要 を
め ぐるゼロサ ム・ゲーム の構図が生 じやすい。 すなわち各 国が単 独
で 財政資金を 費やし需要 を創出する と、その一 部は輸入増 を通じ て
他 国にただ乗 りされる問 題がある。 この集合行 為のジレン マを回 避
するうえで、協調の確保が必要とされる 29。
以上の規範的潮流のなかで、2008 年 11 月の G20 ワシントン・サ
ミットの際には、危機を「ケインズ的景気後退」と位置づける IMF
専務理事のストロスカーン(Dominique Strauss-Kahn)により、世界
GDP の 2%相当規模の財政刺激策が提案された。イギリスのブラウ
ン(Gordon Brown)首相も 200 億ポンド規模の景気対策を公表し、
EU でも協調的な財政政策を推し進めた 30。オバマ政権で国家経済会
議議長に就くサマーズ(Lawrence Summers)は、次回会合における
グローバルな需要創出策の議題化を主張する 31。かくして米英両国や
IMF というかつての新自由主義の唱道者が軒並みケインズ主義を提
唱しだしたのが危機後の状況であった。
2009 年 4 月のロンドン・サミットは、財政金融政策協調が最高潮
に 達した場と 位置づけら れる。その 最大の成果 は、自国の 巨大な 経
常 赤字を各国 によるアメ リカ市場へ のただ乗り とみなすア メリカ と
議長国イギリスの推す拡張策の実施が声明で確認されたことであ
る。声明には、翌年末までの 5 兆ドルの財政拡大と GDP 4%拡大とい
という歴史的な過ち」等戦間期の教訓を記す。
29
Joseph Stiglitz, Freefall: America, Free Markets, and the Sinking of the World Economy
30
Henry Farrell and John Quiggin, “Consensus, Dissensus and Economic Ideas: The Rise and
(New York: WW Norton, 2010), ch. 8.
Fall of Keynesianism during the Economic Crisis,” Center for the Study of Development
Strategies (2012).
31
Chrystia Freeland and Edward Luce, “Summers Backs State Action,” Financial Times, 9
March 2009, p. 1.
-136-
2015 年 4.5.6 月号
国際経済制度における中国の協調性
う具体的な数値も盛り込まれた。
このような展開において、ドイツは EU 内でも政策協調を要求さ
れ ていた状況 を受け、累 次の景気対 策を決めて 歩調を合わ せた。 そ
の 半面、自ら 決めた分を 超える財政 出動義務を 負わないこ とにも 注
力する。サミット前の EU 会合では、ドイツの反対を受け、イギリ
ス の求めた財 政出動の上 積みが議題 から外れて いる。アメ リカが サ
ミ ットで推し た財政計画 の追加にも 反対し、そ れが合意を みなか っ
たことについて、シュタインブリュック(Peer Steinbrück)財務相の
「非常に有益」とのコメントが報じられた 32。
そ れに対 し、 中国は 当初 から協 調的 な姿勢 を顕 示して いる 。まず
国際的な絶賛を浴びた動きに、ワシントン・サミットの約 1 週前に
公表された 4 兆元(5860 億ドル)の景気対策がある。これは GDP
の 12%を 超 え る イ ン フ ラ ・ 住 宅 整 備 や 産 業 技 術 へ の 投 資 計 画 で あ
る。2009 年 3 月の G20 ロンドン財務相・中銀総裁会合前日にも、温
家宝総理は新たな景気対策をいつでも打ち出せると表明した 33。
独中両国の姿勢の違いは一層鮮明になってゆく。2009 年 9 月の G20
ピ ッツバーグ ・サミット 時における アメリカの 問題意識は 、経常 収
支 不均衡是正 と成長のた めの「応分 の負担」を 経常黒字国 に求め る
という、かつての日米独機関車論以来のものであった。IMF のブラ
ン シャールも グローバル な需要のア メリカ一極 依存を脱す る必要 を
唱 え、これに 呼応する。 イギリスの ブラウンも 、景気刺激 策の継 続
に関する「グローバルな盟約」を提起した 34。これら圧力に直面した
メルケル(Angela Merkel)首相は、サミットの焦点は輸出主導国の
32
“Germany Politics: Defending its Interests,” EIU ViewsWire, 2 April 2009, ProQuest.
33
高橋哲史「転機の中国 09 全人代 下」『日本経済新聞』2009 年 3 月 16 日、6 面。
34
Alistair MacDonald and Bob Davis, “Brown Sees Need for Stimulus Continuing,” Wall
Street Journal, 22 September 2009, p. 2.
-137-
第 44 巻 2 号
問題と研究
成 長モデルの 調整ではな く金融規制 強化にある と反発し、 成長は 財
政 の持続性と 両立すべき と訴えてい る。この時 期、ドイツ はイン フ
レ ーションを 招く拡張策 の出口戦略 を進めるべ きという米 英と真 逆
の主張を展開していた。
他 方、同 様に 黒字国 とし て対応 を迫 られた 側の 中国の 姿勢 は、米
英や IMF の推進する政策協調の論理に忠実なものであった。胡錦濤
国家主席は、ピッツバーグ・サミットで成長の促進とそのための
G20 の活用と協調的な景気刺激策の継続を訴えている。この訴えを
中 国の経済的 利益のみに 還元して解 するべきで はない。と いうの も
こ の時期、国 内で投資バ ブルやホッ トマネーへ の懸念が高 まって お
り、出口戦略も提起されていたからである。当時の 8%の GDP 成長
目 標達成は確 実視されて おり、景気 対策の国内 的な必要性 も小さ か
っ た。また、 胡は貯蓄投 資バランス や貿易収支 に絡めつつ 均衡あ る
世 界経済発展 の必要性を 唱え、輸出 主導成長モ デルの調整 をも受 け
入れる態度をみせた 35。
結 局サミ ット の声明 は、 米独間 の妥 協から 経常 収支不 均衡 是正と
絡 めた需要管 理について 黒字国、赤 字国双方の 義務を記し 、出口 戦
略 の準備を求 めつつその 尚早な実施 は回避する とするよう に、不 一
致の兆候を隠さないものとなった。
続く 2010 年 6 月のトロント・サミットは、主要国の自国ないし地
域 優先の姿勢 が明確化す る会合とな った。その 背景に、欧 州債務 危
機 の進展がド イツの推す 緊縮優先の 規範の説得 性を高めて いた状 況
が ある。アメ リカは依然 、協調的な 拡張策を志 向しており 、事前 に
ド イツに対し て出口戦略 の危険性を 訴えていた 。それに対 しドイ ツ
のショイブレ(Wolfgang Schäuble)財務相は、より危険なのは財政
35
胡錦濤「全力促進增長 推動平衡發展」『人民日報』2009 年 9 月 26 日、第 1 版。
-138-
2015 年 4.5.6 月号
国際経済制度における中国の協調性
赤字とインフレーション高進であると主張している 36。アメリカの意
向 はどうあれ 、債務危機 の渦中でド イツ国債の 利回りが低 位で安 定
し たことは、 欧州域内で ドイツの推 す緊縮策へ の収斂圧力 として 作
用した。欧州中央銀行(ECB)総裁のトリシェ(Jean-Claude Trichet)
は 、サミット に臨み景気 刺激策に反 対する寄稿 を行ってい る。イ ギ
リスのキャメロン(David Cameron)政権も、ギリシャ化の懸念を掲
げ財政再建路線に転じていた。
こ の状況 を受 けてア メリ カは妥 協を 迫られ る。 すなわ ちサ ミット
の 宣言では、 財政刺激策 の遂行が確 認された半 面、先進国 の財政 赤
字半減と政府債務の GDP 比の安定化・低下が明記された。以上の経
過 から、トロ ント・サミ ットは、ケ インズ主義 的政策協調 の終焉 が
もたらされた場として位置づけられる 37。
他 方、亀 裂が 明確に なっ てゆく 局面 にあっ ても 、中国 はア メリカ
の 推進する規 範に忠実な 姿勢を貫い た。トロン ト・サミッ トを控 え
た G20 財務相・中銀総裁釜山会合で、財政部長の謝旭人は積極的な
財 政政策と適 度な金融緩 和の継続に 加え、内需 拡大の促進 と経済 発
展モデル転換の意向を表明している 38。そしてサミット 1 週前に中国
は 、金融危機 以来、固定 してきた人 民元レート の弾力化措 置を公 表
し た。これは 、ドイツと 並び経常収 支不均衡の 是正に絡む 圧力の 対
象となる事態を避けるための行動と解される 39。
36
37
Henry Farrell and John Quiggin, “Consensus, Dissensus and Economic Ideas,” p. 41.
Mark Blyth, Austerity: the History of a Dangerous Idea (New York: Oxford University Press,
2013).
38
「謝旭人周小川在 G20 峰會上闡述中國立場」『新華網』2010 年 6 月 5 日、
http://finance.sina.com.cn/j/20100605/18188067387.shtml(2015 年 2 月 10 日アクセス)。
39
上海発行の党機関紙は、トロントで中国が話題にならなかったことを肯定的に評価
している。宰飛「中國沒成話題」
『解放日報』2010 年 6 月 29 日、第 6 版。
-139-
第 44 巻 2 号
問題と研究
1
中独の相違
中 独両国 の行 動の違 いは どう理 解で きるだ ろう か。中 国の 拡張策
へ の積極姿勢 が自国の景 気を主眼に 置いたもの であること は間違 い
な い。輸出主 導成長を遂 げてきた中 国にとり、 政策協調と 自国の 利
益 の重なりは 小さくない 。それでも なお、結果 的に政策協 調の論 理
に 高い整合性 を示した中 国の行動に は経済的利 益に還元し きれな い
部分が残るように思われる。
先述のとおり、財政金融政策協調は集合行為の性質を備えてい
る。とりわけ今般の危機後のように公的債務が深刻化する状況で
は 、各国は他 国の財政支 出にただ乗 りする誘因 をもちやす い。関 連
し て政策協調 は調整コス トの押し付 け合いとい う側面をも つこと に
も 留意が必要 である。す なわち世界 経済上の目 標に向けて 財政金 融
政 策を調整す ることには 、本来の目 標である国 内均衡(安 定成長 )
を一部損なうというコストが伴う 40。この構図の下では特に経常黒字
国 が、危機下 でも「余力 」を見込ま れることや 経常収支不 均衡是 正
の観点から、内需拡大の圧力を受けやすくなる。G5/G7 の政策協調
の 論理に沿っ て内需拡大 を促進し、 バブル経済 に陥った日 本を過 大
な 調整コスト を負った典 型とみなす 解釈は広ま っており、 中国で も
反面教師としてしばしば参照されてきた 41。このような分配的な構図
を ふまえれば 、中国にと って政策協 調への参画 に際し、国 内均衡 以
外 の考慮の排 除による調 整コストの 最小化、す なわち経済 過熱や 公
的 債務拡大の 回避を優先 目標に含め ることが、 より利益整 合的で あ
るといえよう。
40
Benjamin Cohen, “The Macrofoundations of Monetary Power,” in David Andrews ed.,
International Monetary Power (New York: Cornell University Press, 2006), pp. 31~50.
41
王延春、章敬平「從鄰家的不幸中吸取教訓」『經濟觀察報』2006 年 9 月 18 日、第 23
版。
-140-
2015 年 4.5.6 月号
国際経済制度における中国の協調性
だ が中国 の実 施した 景気 対策は 国内 均衡上 望ま しい水 準を 明らか
に 超過するも のであった 。膨大な資 金が「影の 銀行」など を介し て
地 方政府主導 の開発に注 がれた結果 、設備・不 動産投資と 債務の 過
剰 化という弊 害はいまや 極大化して いる。経常 黒字も危機 後ピー ク
時 より半減し 、結果的に 内需拡大を 通じて経常 不均衡是正 にも貢 献
したかたちとなった。元工業情報化部長の李毅中は、2013 年の政治
協 商会議の小 組で景気対 策の弊害を 指摘し、危 機対応の経 験不足 と
教訓を総括すべきと発言している 42。
こ のよう に調 整コス トを 大きく 伴う 行動を 理解 するう えで は、財
政 金融運営の 経験の浅い 中国が規範 の需要者で あった点を 考慮に 入
れ る必要があ る。一連の 財政金融政 策協調を通 じて、中国 は規範 へ
の 準拠により 得られる米 欧や国際機 関の承認を 非常に重視 してい た
よ うにみえる 。事実、中 国は重要な 会合前とい ったタイミ ングで 政
策を公表してきており、そのことで称賛を浴びてきた。4 兆元の対策
公 表を受け、 ストロスカ ーンは「世 界経済の需 要を支え、 グロー バ
ル・インバランス是正に役立つ」と激賞している。2009 年 2 月の G7
財 務相・中銀 総裁ローマ 会合の声明 でも、中国 の財政措置 への歓 迎
が 明記された 。これら称 賛を国営メ ディアで盛 んに報じて いるこ と
も、国際的な承認に対する中国の高い感応性を裏づけている 43。
か かる承 認の 重視は 、中 国が承 認の 基とな るケ インズ 主義 的政策
協 調の規範を 受け入れた ことを示唆 している。 そうであれ ば自国 経
済 の利益を図 る動機以外 に、自らの 遂行する政 策が規範に 準拠す る
42
「四万億決策內幕:總理要拉動經濟 財長叫苦沒錢」
『環球網』2013 年 3 月 7 日、
http://finance.huanqiu.com/china/2013-03/3712113.html(2015 年 2 月 10 日アクセス)。
43
たとえば、“China Draws World's Attention ahead of G20 Summit”『新華網 News』2010
年 6 月 25 日、http://news.xinhuanet.com/english2010/indepth/2010-06/25/c_13369339.htm
(2015 年月 2 月 10 日アクセス)
。
-141-
第 44 巻 2 号
問題と研究
と の認識やそ の点につき 得られた承 認に引きず られること で、国 内
均 衡を逸脱し てしまった 部分がある と考えるの は自然であ ろう。 実
際 、こうした 見方は中国 国内でも抱 かれている 。社会科学 院・数 量
技 術経済研究 所長の汪同 三は、アジ ア金融危機 時に周辺国 に追随 す
る通貨切下げを自制した経過と今次の 4 兆元の景気刺激策を併せ
て 、国際的な 称賛を受け た行動のい ずれも結局 中国の損に なった と
総括した 44。2013 年の夏季ダボス会議で李克強総理は、7%台の安定
成 長をもって 世界への貢 献とし、世 界経済成長 に関し中国 の責務 は
発展水準に相応するものにとどまると釘をさしている 45。14 年 2 月
の G20 財務相・中銀総裁会合でも桜継偉財政部長が、中国の世界経
済成長への貢献度は約 30%と既に高く、危機時並みの 50%の再現は
不可能と訴えた 46。これらの言動からは、国際的な承認に傾斜して国
内均衡を見失った事態への後悔の念が窺える。
他 方、ド イツ は国内 均衡 優先の 姿勢 を堅持 して おり、 各会 合でケ
イ ンズ主義的 政策協調の 限定や終了 を主張する 行動からは 、その 規
範 に基づく承 認を重視し ていないこ とは明白で ある。シュ タイン ブ
リ ュックは、 危機対応の 鈍さへの批 判について 、ドイツへ の支出 要
求 の鎮静化に 努める我々 への批判は 理解できる と述べ、意 に介さ な
かった 47。危機後ドイツが「独り勝ち」とされた経常黒字拡大を続け
た ことも、部 分的には政 策協調の論 理に沿った 内需主導へ の転換 の
44
「中國經濟正在打造“昇級版”」
『社會科學報』1369 期、2013 年 8 月 3 日、1 頁。社会
科学院世界経済政治研究所員からの聴き取り、2013 年 8 月 8 日。
45
李克強「以改革創新驅動中國經濟長期持續健康發展」
『人民日報』2013 年 9 月 12 日、
第 3 版。
46
周小苑「指責中國貢獻率下降很荒唐」『人民日報海外版』2014 年 2 月 26 日、第 2 版。
47
“‘It Doesn’t Exist!’: Germany’s Outspoken Finance Minister on the Hopeless Search for ‘the
Great Rescue Plan’,” Newsweek, Vol. 152, No. 24 (December 2008), p. 23.
-142-
2015 年 4.5.6 月号
国際経済制度における中国の協調性
意志の希薄さを暗示していよう。
で はなぜ ドイ ツの行 動は 、経常 黒字 大国と して 同様の 圧力 に直面
した中国と異なり、G20 で推奨される規範による制約を受けにくい
の か。それは ドイツが規 範の需要者 ではないか らである。 換言す れ
ば ドイツは財 政金融政策 に関する規 範を確立し ており、政 策選択 に
際 して国際制 度を通じた 教示を求め てはいない 。ドイツの 中核的 信
条 として、戦 間期のハイ パー・イン フレーショ ンの経験に 由来す る
物 価安定への 固執がある 。政策協調 を基礎づけ るケインズ 主義は 物
価 上昇を喚起 する面があ るため、こ の信条との 親和性は低 い。加 え
て ドイツの輸 出主導成長 モデルも、 賃金と物価 の抑制を要 する点 で
反ケインズ主義的である 48。
関 連して 秩序 自由主 義と いうド イツ の経済 制度 を基礎 づけ る思想
で は、自由な 市場はカル テルや利益 集団の活動 に脆弱なた め、独 立
性 の高い中央 銀行や競争 当局など市 場秩序を護 る制度的措 置を必 要
とするとされる 49。そうした措置は、市場の自律的な調整機能の発揮
に 主眼を置い ており、調 整機能の不 備を裁量的 な政府介入 で補う ケ
インズ主義とは方向性を異にする。
さ らに欧 州地 域の制 度的 資源の 支持 を得る 局面 では、 ドイ ツは地
域 諸国を射程 に規範の供 給者の役割 をも担いう る。金融危 機後当 初
は EU 内でも景気対策への支持が強く、ドイツが孤立する場面もみ
ら れた。だが 危機の進展 するなかで ドイツ経済 が頑健さを 保った こ
とで、フランクフルト所在の ECB をはじめとする地域機関は、ドイ
ツ 流 の 保 守 的 な 経 済 運 営 へ の 支 持 を 強 め て ゆ く 。 ト リ シ ェ は 、 G20
48
49
Mark Blyth, Austerity, pp. 138~141.
雨宮昭彦『競争秩序のポリティクス:ドイツ経済政策思想の源流』(東京大学出版
会、2005 年)
。
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第 44 巻 2 号
問題と研究
財 務相・中銀 総裁釜山会 合の際にも 、アメリカ からの内需 拡大要 求
に 対し、先進 国の財政再 建と成長は 矛盾しない と主張した 。レー ン
(Olli Rehn)経済担当欧州委員もトロント・サミットを前に、財政
再建戦略の妥当性を訴えている 50。地域機関のこうした行動は、ドイ
ツ にとって政 策選択に係 る正当性を 調達するう えで、アメ リカの 主
導する国際制度を代替する手段にもなっている。
以 上の考 察か ら明ら かな のは、 独自 の規範 とそ れを支 持す る制度
的資源の有無が、2 つの経常黒字大国の異なる階層への帰属につなが
る重要な要因であったということである。
六
おわりに
2000 年代のグローバル金融危機により米欧経済は大きな打撃を受
け る一方、当 初、新興国 経済の相対 的な堅調さ が目立った 。その こ
と で、危機後 には従来米 欧が運営を 担ってきた 国際制度が 機能不 全
に 陥るのでは ないかとの 懸念が抱か れるように なった。そ れに対 し
本 稿では、米 欧主要国よ りも国家資 本主義を掲 げ、自由主 義的な 秩
序 への挑戦者 として警戒 される中国 のほうが高 い協調性を 示した 事
例 に着目した 。そして、 その逸脱的 事例の説明 として現実 主義的 性
格 を併せ持つ コンストラ クティヴィ ズムと国際 制度論の知 見を単 一
の 分析視角に 織り込む作 業を通じ、 規範の共有 による非公 式制度 の
形成は、供給者と需要者への階層分化を伴うとの理解を提示した。
事例分析の 結果をまと めると、国 際銀行規制 については 、政策 ア
イ ディアの供 給者であり 、技術的知 識と正当性 を自ら備え るアメ リ
カ は、国内調 整を優先し て導入の遅 延を繰り返 し、今なお 規制の 形
50
Ralph Atkins, “Europe’s Hard Sell for Fiscal Tightening,” Financial Times, 24 June 2010, p.
2.
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2015 年 4.5.6 月号
国際経済制度における中国の協調性
骸 化を招く潜 在要因であ り続ける。 それに対し 、国内政策 目的の 達
成 と国際金融 市場の認知 獲得のため 、正当性と 技術的知識 を帯同 す
る 政策アイデ ィアを需要 する中国は 、忠実に合 意の導入を 進めた 。
そ して中国の 忠実な姿勢 は銀行経営 や経済全般 への悪影響 が見込 ま
れ た局面でも ゆるがなか った。しか もバーゼル 合意の効果 の不確 か
さ は、中国で も承知され ていた。以 上の点は、 中国の行動 が経済 的
利 益のみに還 元されるわ けではない ことを物語 っている。 加えて バ
ー ゼル委の新 規加盟国の うち最大の 新興国・中 国が国際規 制を尊 重
す る姿勢を鮮 明にしたこ とは、その 安定性と持 続性の強化 に資し た
と評価できよう。
財政金融政 策協調につ いては、歴 史的経験に 根差す規範 を有す る
ド イツは、正 当性や技術 的知識を求 めてケイン ズ主義的政 策協調 の
規 範を需要す る側にはな かった。そ のことで、 自らの規範 とそこ か
ら 定義される 利益に基づ く行動を優 先し、地域 制度の支持 を受け る
局 面では対抗 規範を拡散 することも 可能になっ た。それに 対し、 政
策選択に際し正当性、とりわけアメリカや IMF の承認を調達したい
中 国は、他国 が近隣窮乏 化や調整コ スト転嫁の 誘因をもち うる状 況
の なか、国際 的な規範を 受容し、そ の推奨する 拡張策を支 持し続 け
た 。そうした 中国の行動 は国際制度 の推進する 政策協調に 大きく 貢
献 するものだ ったといっ てよい。具 体的には世 界経済がマ イナス 成
長に陥った 2009 年にも中国は 9%以上の成長を確保し、とりわけ世
界の投資(固定資本形成)への寄与度は 9 割にも達したという 51。こ
れ らの点は、 必ずしも中 国の行動の 動機に自ら の経済的利 益の追 求
が 含まれてい たことと矛 盾するもの ではない。 とはいえ、 拡張的 な
財 政金融政策 によって中 国が地方債 務や過剰投 資という深 刻な調 整
51
内閣府『世界経済の潮流』
(財務省印刷局、2012 年)
、2 章、2 節。
-145-
第 44 巻 2 号
問題と研究
コ ストを負っ たことは強 調に値する 。その点に 鑑みれば、 少なく と
も 中国の一連 の行動を経 済的利益だ けに還元す るのは一面 的な評 価
にすぎよう。
以上の分析 の主眼は、 あくまでと りあげた事 例それ自体 の理解 に
あ り、分析結 果が国際制 度全般にお ける中国の 行動に当て はまる と
主 張すること にはない。 また今回の 事例はいず れも中国が 参加し て
か ら年月の浅 い分野であ り、そのこ とが中国を 規範の需要 者にと ど
めていた面は大きい。それゆえ、中国がより多くの経験を蓄積して、
自 らの規範を 抱き、それ に自信を深 めることで 自己主張を 強めて ゆ
く という展開 は大いに考 えられよう 。そのうえ で、他分野 の研究 に
も参考になりうる含意を 2 点挙げておきたい。第 1 に、中国の国際
制 度をめぐる 行動につい て、一概に 米欧覇権へ の挑戦とい う構図 で
と らえること には慎重で あるべきと いう点であ る。中国が ブレト ン
・ ウッズ機関 をはじめと する既存国 際制度にお ける米欧優 位に不 満
を 募らせてい ることはた しかである 。とはいえ 、中国が新 参者と し
て の立場を自 認する分野 においては 、その不満 の表明と現 状打破 に
向 けた動きに 一定の歯止 めがかかる 可能性があ る。巷間、 米中対 立
の顕現化としてとらえられるアジアインフラ投資銀行(AIIB)の設
立 にしても、 中国が主要 先進国をメ ンバーとし て迎え入れ ること で
その経験から学ぼうとしている点を看過すべきではない 52。第 2 に理
論 的な含意と して、規範 に依拠する 国際制度の 形成が、関 係国の 有
す る権力資源 の差に応じ た非対称的 な関係を維 持、再生産 する要 因
に もなりうる という視点 の重要性が 挙げられる 。既存の規 範や制 度
の 研究におい ては、国際 制度を通じ た規範の伝 播は国家間 の相互 利
52
香港中文大学の林和立の指摘による。Willy Lam, “The Unpublicised Agenda of President
Xi Jinping,” CIW Public Lecture, Australian National University, 27 Apr 2015.
-146-
2015 年 4.5.6 月号
国際経済制度における中国の協調性
益 や国際公益 の増進に資 するという リベラル・ バイアスが 共有さ れ
て きた。それ に対し、今 後はコンス トラクティ ヴィズムや 制度論 に
リ アリアズム を相補的に 取り入れる 視座が重要 になってゆ くもの と
思われる。
(投稿:2015 年 3 月 20 日、再審:2015 年 5 月 25 日、採用:2015 年 6 月 15 日)
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第 44 巻 2 号
問題と研究
中國於國際經濟制度之協調性:
以銀行管制與財政金融制度為例
和 田 洋 典
(青山學院大學國際政治經濟學部副教授)
【摘要】
全 球金 融危機 後, 受到中 國的 崛起的 影響 ,以往 以歐 美為中 心運
作 之國際經濟 制度,是否 將無法運作 ,受到廣泛 地質疑。然 而,另 一
方 面負責國際 銀行管制的 巴塞爾委員 會,以及協 商主要國家 財政金 融
政策之 G20,在金融危機後一連串之對策易違反制度性共識的是歐美
主 要國家,中 國反而可謂 順從,自始 至終進行協 調。本文提 出異於 通
則理解之例證,並由此角度分析巴塞爾委員會與 G20 等非正式制度之
規 範與權力關 係。其次, 在制定基礎 規範之權力 (階層)關 係上, 相
對 於歐美主要 國家中國是 處於新加入 者之地位, 所以受到國 際制度 共
識之影響程度相對高。
關鍵字:非正式制度、規範權力、銀行管制、財政金融政策協調
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2015 年 4.5.6 月号
国際経済制度における中国の協調性
China’s Cooperation in International
Economic Institutions
Hironori Wada
Associate Professor, School of International Politics, Economics and
Communication, Aoyama Gakuin University
【Abstract】
The rise of China is widely viewed as undermining liberal international
regimes, largely because it does not share democratic capitalist values. This
crisis is generally thought to be more severe in informal institutions such as
the Basel Committee and the G20 because of their extensive reliance on
normative consensus. However, recent developments in international
economic governance reveal a different picture. Throughout the process of
deliberation, German opposition significantly affected the G20 agenda for
macroeconomic policy coordination. With respect to banking regulations, the
United States repeatedly delayed the implementation of rules agreed upon by
the member states. In both cases, however, Chinese compliance and
cooperation was relatively good. In order to explain this unexpected
occurrence, in this article, the author offers an analytical framework of
normative hierarchy drawn from the realist regime theory and a constructivist
analysis of power. Using this framework, this article will illustrate that
informal regimes are endowed with a hierarchy in which subordinate member
states such as China are more vulnerable to criticism and praise, since they
are more in need of policy ideas and legitimacy, as provided by superordinate
Western member states.
Keywords: Informal institutions, normative hierarchy, banking regulations,
macroeconomic cooperation
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第 44 巻 2 号
問題と研究
〈参考文献〉
足立研機『国際政治と規範』(有信堂高文社、2014 年)
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