TESTI CLASSICI A1. 古 事 記 故、所避追而、降出雲國之肥河上、名鳥髪地。此時箸從其河流下。於是須佐之 男命、以爲人有其河上而、尋覓上往者、老夫與老女二人在而、童女置中泣。 A2.万葉集 1. Poesia N. 338 験無、物乎不念者、一坏乃、濁酒乎、可飲有良師 2. Poesia n. 351 世間乎 何物爾将譬 3. Poesia N.377 青山之 嶺乃白雲 A3. 竹 取 物 旦開 朝爾食爾 榜去師船之 恒見杼毛 跡無如 目頬四吾君 語 いまは昔、竹取の翁といふもの有りけり。野山にまじりて竹を取りつつ、よろ づの事に使ひけり。名をば、さかきの造となむいひける。その竹の中に、もと 光る竹なむ一筋ありける。あやしがりて寄りて見るに、筒の中光りたり。それ を見れば、三寸ばかりなる人、いとうつくしうてゐたり。翁いふやう、「我あ さごと夕ごとに見る竹の中におはするにて、知りぬ。子となり給べき人なめり」 とて、手にうち入れて家へ持ちて來ぬ。妻の女にあづけて養はす。うつくしき 事かぎりなし。いとをさなければ籠に入れて養ふ。 竹取の翁、竹を取るに、この子を見つけて後に竹とるに、節を隔てゝよごとに 金ある竹を見つくる事かさなりぬ。かくて翁やうやう豊になり行。この兒、養 ふ程に、すくすくと大きになりまさる。三月ばかりになる程に、よき程なる人 に成ぬれば、髪上げなどさうして、髪上げさせ、裳着す。 A4. 古今和歌集 - かな序 やまとうたは、人のこころをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける。 世中にある人、ことわざしげきものなれば、心におもふことを、見るものきく ものにつけて、いひいだせるなり。花になくうぐひす、水にすむかはづのこゑ をきけば、いきとしいけるもの、 いづれかうたをよまざりける。ちからをもい れずして、あめつちをうごかし、めに見えぬおに神をもあはれとおもはせ、を とこをむなのなかをもやはらげ、たけきもののふの心をも、なぐさむるはうた なり。 A5. 伊勢物語 - (六段 芥川) 「むかし、男ありけり。女の、え得まじかりけるを、年を経てよばひわたりけ るを、辛うじて盗み出でて、いと暗きに来けり。芥川といふ河を率て行きけれ ば、草の上に置きたりける露を、「かれは何ぞ。」となむ男に問ひける。行く 先遠く、夜も更けにければ、鬼ある所とも知らで、神さへいといみじう鳴り、 雨もいたう降りければ、あばらなる蔵に、女をば奥におし入れて、男、弓・や なぐひを負ひて、戸口にをり。はや夜も明けなむと思ひつつゐたりけるに、鬼 はや一口に喰ひてけり。「あなや。」と言ひけれど、神鳴るさわぎに、え聞か ざりけり。やうやう夜も明けゆくに、見れば、率て来し女もなし。足ずりをし て泣けどもかひなし。 白玉かなにぞと人の問ひしとき露と答へて消えなましものを」 A6. 更級日記 あつまぢのみちのはてよりも、猶おくつかたにおいゝでたる人、いか許かはあ やしかりけむを、いかにおもひはじめける事にか、世中に物がたりといふ物の あんなるを、いかで見ばやとおもひつゝ、つれづれなるひるま、よひゐなどに、 あねまゝはゝなどやうの人々の、その物がたり、かのものがたり、ひかる源氏 のあるやうなど、ところどころかたるをきくに、いとゞゆかしさまされど、わ がおもふままに、そらにいかでかおぼえかたらむ。いみじく心もとなきまゝに、 とうしんにやくしほとけをつくりて、てあらひなどして、人まにみそかにいり つゝ、京にとくあげ給て、物がたりのおほく候なる、あるかぎり見せ給へと、 身をすてゝぬかをつき、いのり申すほどに、十三になるとし、のぼらむとて、 九月三日かどでして、いまたちといふ所にうつる。年ごろあそびなれつるとこ ろを、あらはにこぼちちらして、たちさはぎて、日のいりぎはの、いとすごく きりわたりたるに、くるまにのるとて、うち見やりたれば、人まにはまいりつゝ、 ぬかをつきしやくし仏のたち給へるを、見すてたてまつるかなしくて、ひとし れずうちなかれぬ。かどでしたる所は、めぐりなどもなくて、かりそめのかやゝ の、しとみなどもなし。すだれかけ、まくなどひきたり。 A7. 枕草子 春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲 の、細くたなびきたる。夏は、夜。月のころは、さらなり。闇もなほ。螢のお ほく飛びちがひたる、また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも、 をかし。雨など降るも、をかし。秋は、夕ぐれ。夕日のさして、山のはいと近 うなりたるに、烏の、ねどころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛びい そぐさへ、あはれなり。まいて、雁などの列ねたるが、いと小さく見ゆるは、 いとをかし。日入りはてて、風のおと、蟲の音など、はたいふべきにあらず。 冬は、つとめて。雪の降りたるは、いふべきにもあらず。霜のいと白きも、ま た、さらでもいと寒きに、火などいそぎおこして、炭もてわたるも、いとつき づきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白き灰がちにな りて、わろし。ころは、正月、三月、四月、五月、七、八、九月、十月、二月、 すべて、をりにつけつつ、 一年ながらをかし。正月。一日はまいて。空のけし きもうらうらと、めづらしうかすみこめたるに、世にありとある人はみな、姿 かたち心ことにつくろひ、君をもわれをも祝ひなどしたる、さまことにをかし。 A8. 新古今和歌集 n.38 春の夜のゆめのうき橋とだえして峰にわかるる横雲のそら n. 149 花は散りその色となくながむればむなしき空にはるさめぞ降る n. 363 見わたせば花も紅葉もなかりけり浦のとま屋の秋の夕暮 n.1206 かへるさのものとや人のながむらんまつ夜ながらの有明の月 n.1336 しろたへの袖のわかれに露おちて身にしむ色の秋風ぞふく n.1686 わくらばに問はれし人も昔にてそれより庭の跡はたえにき n.1937 色にのみ染みし心の悔しきを空しと説ける法のうれしさ。 A9. 方丈記 ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかた は、かつ消えかつ結びて、久しくとゞまりたる例なし。世中にある人と栖と、 またかくのごとし。 たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を爭へる、高き、いやしき、人の住ひは、 世々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋れば、昔しありし家は稀 なり。 或は去年燒けてことしは造り。あるは大家ほろびて小家となる。住む人もこれ におなじ。所もかわらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、 わづかにひとりふ たりなり。あしたに死に、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の 泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへ か去る。 又知らず、かりのやどり、誰が為にか心を惱まし、何によりてか目をよろこば しむる。その、あるじとすみかと、無常をあらそふさま、いはゞ朝顔の露にこ とならず。或は露おちて花のこれり。のこるといへども朝日に枯れぬ。或は花 しぼみて、露なほ消えず。消えずといへどもゆふべを待つことなし。 A10. 徒然草 いでやこの世に生まれては、願はしかるべき事こそ多かめれ。御門の御位は、 いともかしこし。竹の園生の末葉まで、人間の種ならぬぞやんごとなき。一の 人の御有樣はさらなり、たゞ人も、舎人など給はるきはは、ゆゝしと見ゆ。そ の子・孫までは、はふれにたれど、なほなまめかし。それより下つかたは、ほ どにつけつゝ、時にあひ、したりがほなるも、みづからはいみじと思ふらめど、 いとくちをし。 法師ばかり羨ましからぬものはあらじ、「人には木のはしのやうに思はるゝよ」 と清少納言が書けるも、げにさることぞかし。いきほひまうに、のゝしりたる につけて、いみじとは見えず、増賀ひじりの言ひけんやうに、名聞ぐるしく、 佛の御教にたがふらんとぞおぼゆる。ひたぶるの世捨人は、なかなかあらまほ しきかたもありなん。人は、かたち・ありさまのすぐれたらんこそ、あらまほ しかるべけれ。物うちいひたる、聞きにくからず、愛敬ありて、言葉おほから ぬこそ、飽かず向はまほしけれ。めでたしと見る人の、心おとりせらるゝ本性 見えんこそ、口をしかるべけれ。 A11. 仮名草子 浮世物語・巻第四 di 浅井了意 Asai Ryôi, 5 libri, 1661 七 名月の狂歌の事 今は昔、八月十五日夜は、名に負ふ月の滿てる時分なり。この夜は、日と月と さし望む事の正しければ、月の光も殊更に明らかなる故に望月とも云なり。又、 眞圓に滿る故に餠月といふとも申し傳へし。詩作り・歌詠みども、日頃より含 句を拵へて、只今作りし様にもてなし、うめきすめきて詠み出だす。さる儘に 日暮より雲渦巻きて雨ふり出でしかば、かねて作りける詩歌相違して、夜更く れども一首も出でず。 『浮世房、いかにいかに』と仰せられしかば、仰のき俯き 麥穗の風に吹かるゝやうにして案じける折節、鳫の渡る聲聞えければ、 『雲外に 鳫を聞て夜る聲を』と唱へさまに、不圖思ひ寄りてかくぞ詠みける。 雨ふれば三五夜中の眞の闇二千里渡るくらかりの聲 A12. 源氏・桐壺 いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむご となき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。 はじめより我はと思ひ上がりたまへる御方がた、めざましきものにおとしめ 嫉みたまふ。同じほど、それより下臈の更衣たちは、ましてやすからず。朝夕 の宮仕へにつけても、人の心をのみ動かし、恨みを負ふ積りにやありけむ、い とあつしくなりゆき、もの心細げに里がちなるを、いよいよあかずあはれなる ものに思ほして、人のそしりをもえ憚らせたまはず、世のためしにもなりぬべ き御もてなしなり。 上達部、上人なども、あいなく目を側めつつ、 「いとまばゆき人の御おぼえな り。唐土にも、かかる事の起こりにこそ、世も乱れ、あしかりけれ」と、やう やう天の下にもあぢきなう、人のもてなやみぐさになりて、楊貴妃の例も引き 出でつべくなりゆくに、いとはしたなきこと多かれど、かたじけなき御心ばへ のたぐひなきを頼みにてまじらひたまふ。 父の大納言は亡くなりて、母北の方なむいにしへの人のよしあるにて、親う ち具し、さしあたりて世のおぼえはなやかなる御方がたにもいたう劣らず、な にごとの儀式をももてなしたまひけれど、とりたててはかばかしき後見しなけ れば、事ある時は、なほ拠り所なく心細げなり。 A13. 義経記 かやうに出で立ち給ふことは正月の末、御吉日は二月二日なり。判官殿の奥州 へ下らんとて、侍どもを召して、 「かやうに出で立つといへども、猶も都に思ひ 置くことのみ多し。中にも、一条今出川の辺にありし人は、未だありもやすら ん。連れて下らんなど言ひしに、知らせずして下りなば、さこそ名残りも深く 候はんずらめ。苦しかるまじくは、連れて下らばや。」と宣ひければ、片岡・武 蔵坊申しけるは、 「御供申すべき者は、みな是に候ふ。今出川には誰か御わたり 候ふやらん。北の方の御事候ふやらん。」と申しければ、。。。 TESTI PREMODERNI B1. 雨月物語 1776 出版 菊花の約 『青々たる春の柳、家園に種ることなかれ。交りは輕薄の人と結ぶことなかれ。 楊柳茂りやすくとも、秋の初風の吹くに耐へめや。 輕薄の人は交りやすくして亦速なり。楊柳いくたび春に染れども、輕薄の人は 絶て訪ふ日なし。 播磨の國加古の駅に丈部左門といふ博士あり。清貧を憩ひて、友とする書の外 はすべて調度の絮煩を厭ふ。老母あり。孟子の操にゆづらず。常に紡績を事と して左門がこゝろざしを助く。其委女なるものは同じ里の佐用氏に養はる。』 B2. 女大学 1。夫、女子は成長して他人の家へ行、舅・姑に仕るものなれば、男子よりも、 親の教ゆるがせにすべからず。父母寵愛して恣に育ぬれば、夫の家に行て必気 随にて、夫に疎まれ、又は舅の誨正しければ、難堪思ひ、舅を恨誹り、中悪く なりて、終には追出され、恥を曝す。女子の父母、我訓なき事を謂ずして、舅・ 夫之悪きと而己思ふは、誤りなり。是皆女子の親のおしへなき故なり。 B3. 源氏物語玉の小櫛一 中むかしのほど、物語といひて、一くさのふみあり、物がたりとは、今の世に、 はなしといふことにて、すなはち昔ばなし也、日本紀に、談といふ字をぞ、も のがたりと訓たる、そを書に名づけて、作れることは、繪合の卷に、物語のい できはじめのおやなる、竹取の翁に、うつほのとしかげを合せてとあれば、此 竹取やはじめなりけむ、その物語、たがいつの代につくれりとは、さだかには しられねども、いたくふるき物とも見えず、延喜などよりは、こなたの物とぞ 見えたる、そのほかかのたぐひなる、古物語ども、此源氏のよりさきにも、か ず/\多く有しと聞えて、その名ども、あまたきこえたれど、後の世には、傳 はらぬぞおほかめる、 B4. 高等小学読書教本巻四 國體の精華 (明治28) 我が國體の精華とは、そもそも如何なることを指すぞ。白雲と見まがふ、ばか り、櫻の咲きみちて、美しく朝日に匂へるさまをいふか富士山の四時白雪を戴 き、氣高く東海の表に峙てるさまをいふか、はた琵琶湖の廣く湛へて、恰も鏡 の如く、比良の峰に映せる姿をいふか。まことに是等は、我が國固有の風景な るには相違なからん。されど、是のみならば、ことごとしく世界に向ひて、我 が國體の精華ぞと誇るに足らぐ(ず)。 B5. 小学読本 明治八年 (1875) 第一回 凡ソ天地間ニ、現ハル、物體ハ、森羅万象ニシテ、其數、際限ナシト、雖モ、 之ヲ大別シテ有機體、無機體の二種トス、面シテ之ヲ講究スル學ヲ、博物學ト 謂フ。 有機體トハ、猶活物ト謂フカ如シ、皆生活運營ノ力ヲ具フルモノニシテ、動物、 植物ノ二種ナリ。 此類ハ自然造化力ノ外、叉自己ノ營養ヲ以テ、生育長茂シ、且種子アリテ、生々 相續キ、永世絶エザルモノナリ。 無機體トハ、生機活力無クシテ、生シタルモノヲ謂フ、即金、石、水、土、空 氣ノ類ナリ。 此類ハ、同質、同性ノ物、外面ヨリ附著、凝集シテ、次第ニ、増大ヲナシ、榮 枯、死生ノ變アルコトナシ。 B6. 学問の進め (1873) 福沢諭吉 『學問とは、唯むづかしき字を知り、解し難き古文を讀み、和歌を樂み、詩を 作るなど、世上に實のなき文學を云ふにあらず。これ等の文學も自から人の心 を悦ばしめ随分調法なるものなれども、古來世間の儒者和學者などの申すやう さまであがめ貴むべきものにあらず。古來漢學者に世帶持の上手なる者も少く、 和歌をよくして商賣に巧者なる町人も希なり。これがため心ある町人百姓は、 其子の學問に出精するを見て、やがて身代を持崩すならんとて親心に心配する 者なり。』 B7. 新聞 明治40年12月 (1907) 漢字タイプライタ-の發明 「速記者若林。。。氏が漢字の印字機を發明せんとて苦心し居る事は、豫て報 じたるが、牛込區市ヶ谷船河原町四篠原勇作氏(二十六)なる人其先鞭を着け、 精巧なる印字機を發明したり、氏は長野縣佐久郡北岩田村の産にて、去る三十 六年法政大學を卒業し、一昨年文官試驗及第、爾來大藏省銀行課に勤務し居た るが、同省に在つて種々の報告其他の書類等を製作する際、非常なる勞力と時 間とを要するを見、何とかして印字機の如き便利なるものを發明し此煩を救は んと企て、昨年十一月職を辭し、全力を此發明に傾注し、本年一月兩手を使用 する漢字の印字機を製造したるが、更に簡單なるものに作り上げんと、熱心研 究の結果、四月に至つて理想に近きものを作成し得、同月十三日專賣特許の出 願をなしたるに、十月末其許可を得たり、。。。」 B8. 新聞 大正5年(1916) BRANO 1: 人口は殖える、學校は足らず 澁谷などは毎年一千名の學齡児童 _ いつ迄も二部教授で我慢するか _ 東京の小學校が不足して居ることは今に始まつた事ではないが當分は依然とし て二部教授を繼續して行かねばならぬ、二部教授ををやって居る學級數は大正 二年度に三百一級、同三年度も二年級以上には減じて居るけれど一年級に増加 して居る結局三百一級であった、同四年度のも同じ位のもので。。。 BRANO 2: 歐州大戰亂 獨逸對葡宣戰 獨逸は葡萄牙に對して宣戰を布告せり。 獨逸對葡宣戰別報。 獨逸は葡萄牙が同國港灣内に抑留せられたる獨逸船舶引渡を拒絶せる結果葡國 に對して宣戰を布告せり。 獨逸は是まで幾度か葡萄牙に向つて宣戰せんとし、葡萄牙政府も亦幾度びか開 戰を決し、之れが爲に一時議會を召集し、動員準備さへも行ひたる事ありしも。 遂に今日迄何事もなかりしが曩に葡萄牙が其領土内のタガス河口に遁竄せる三 十六隻の獨墺船舶を押収するや、。。。 B9. 新聞 大正5年 (1916) 國字國文改良の急務 『日本が此の頃世界の他の國民によりて強い期待と少なからぬ好意とを以って 迎へられて來たのは、お互喜ぶべきことである。が、歐羅巴人にせよ、亞米利 加人にせよ、まだ日本人の眞相と云ふものを十分に理解して居ない。デ、理解 する迄には、まだ餘程距離があるやうに思ふ。 日本人と歐羅巴、亞米利加人との間には絶えず貿易交通の上に於いて相接觸し て居るにも拘らず、日本及び日本民族の眞相なるものが彼等に理解されて居な いと云ふのは、一體何ういふわけであらうか。云ふまでもなく國語國字の罪で ある。自國人でありながら、名前の讀み方さへ正確にわからぬ文字を使つて居 る爲である。其の結果日本は今日政治外交經濟貿易の上で、どれだけ不利益を 招いて居るか知れない。それに國内に就いてみても、日本の子供、日本の青年 は、此の漢字教育のために莫大なる損失を招いてゐた。』 B10. 新聞 大正14年 (1925) 小學校の生徒に性教育を教へよ 近来小學校を初め、中學校、女學校の教員間に風紀が極度にみだれ、男女教員 間の醜聞、花柳のちまたに出入するもの、甚だしきは教へ子を犯すなど教育界 腐敗の聲が次第に盛んになつて來た。そのため廓清會ではこの際徹底的にその 根源を絶たんがために實行委員を擧げ決議文を作つて十二日高島米峰、三輪田 道元兩氏によつて文部省大臣にもたらしその實行を迫つて引き上げたが、今後 更に連續的にすべての方面から、全國にわたつて教育界かく清の運動を試みる ことになつた。 さらに同會ではこの際小學校の男生徒に性道徳に關する徳育を施すべしとて上 級生の修身教科書に一夫一婦制度に關する課目を設けられたいとの建議をも提 出した。 B11. 新聞:(昭和12年)1937 原油輸入の必要なく 航空揮發油製産完成 我國防止に大貢献(海軍の大成功) 燃料問題の極めて重要性を帯びている折柄海軍ではかねて徳山燃料厰で水素加 工による航空揮發油の産出に關し研究を重ねてゐたが廿六日大成功裏に實驗を 終了し、別項公表の如くわが國防上一大貢献をなすに至つた、即ち從来は航空 揮發油産出のためには優良な原油を米國より輸入を仰ぎつゝあつたため。。。 B12. 新聞:昭和二十年八月十五日 (1945) 戰争終結の大詔渙發さる 詔書 朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲 シ玄ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク。 朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメ タリ... B13. 日本国憲法 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらと われらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって 自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為を宣言し、この憲法を確定する。そ もそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来 し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受す る。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。 われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
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