滝沢村の文化財

滝沢村の文化財
滝沢村教育委員会
刊行にあたって
秀峰岩手山の麓に抱かれたこの滝沢村には、豊かな自然に恵まれた大地が
広がっています。その大地には先人の人々の生活が営まれてきた長い歴史と
文化があります。
そのような中で文化財を取り巻く環境も変化しており、長い歴史に培われ
た郷土の遺産である文化財を広く村民に理解していただき、後世に残すため
に関係者の協力により保護が図られ、守られてきましたことに改めて感謝申
し上げます。
また、教育委員会としても文化財の保護に努め、後世に引き継いでいくの
が重要な責務と考えており、保存と整備、そして活用に努めております。
このたび、平成₈年に湯舟沢環状列石が村指定文化財に指定されて以来、
平成22年₃月29日に、考古資料から「大釜館遺跡₇号溝跡出土土器19点」と
史跡からは「八幡館山遺跡」が指定されました。
本村の主要な国、県および村指定文化財等を紹介することは、文化財の保
護の観点と村の歴史、文化を理解する上での一助となれば幸いと考えており
ます。
最後に、本書の刊行にあたり、ご指導、ご協力をいただきました村文化財
調査委員の皆様をはじめ、関係機関及び関係者に深く感謝いたします。
平成23年₃月
滝沢村教育委員会 1
2
もくじ
国 指 定 文 化 財
○天然記念物
₁ 岩手山高山植物帯������������������������� 2
○名勝
₂ イーハトーブの風景地 鞍掛山(滝沢村)、七ツ森、狼森(雫石町)、釜淵の滝、
五輪峠、イギリス海岸(花巻市)、種山ケ原(奥州市・住田町)������ 4
○記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
₃ チャグチャグ馬コ������������������������� 6
岩手県指定文化財
○史跡
₄ 雫石街道日向一里塚������������������������ 8
○無形民俗文化財
₅ 篠木神楽�����������������������������10
滝沢村指定文化財
○考古資料
₆ 大釜館遺跡7号溝跡出土土器19点�������������������12
○無形民俗文化財
₇ 川前神楽�����������������������������14
₈ 滝沢駒踊り����������������������������15
₉ 大沢田植踊り���������������������������16
○史跡
10 餓死供養塔�����������������������������18
11 追分けの碑�����������������������������20
12 鹿角街道菊塚一里塚�������������������������22
13 湯舟沢環状列石���������������������������24
14 八幡館山遺跡����������������������������26
○天然記念物
15 春子谷地湿原植物群落������������������������28
16 田村神社のスギ・カツラ�����������������������30
17 角掛神社の五龍のフジ������������������������32
18 山神神社のスギ・クリ・ベニイタヤ������������������34
19 チョウセンアカシジミ������������������������36
1
1
国指定天然記念物
いわ
て さ ん こ う ざ ん しょく ぶ つ た い
岩手山高山植 物帯
指定年月日 昭和₃年₂月₇日
所 有 者 農林水産省盛岡森林管理署
所 在 地 岩手山国有林93林班二₄小班
指 定 面 積 28ha
岩手山(2,038m)は、滝沢村、八幡平市、雫石町にまたがるコニーデ式火
山で、岩手県第一の高峰である。昔から信仰登山の対象となっていてその美
しい姿は南部片富士ともいわれ、岩手県のシンボルとなっています。
主に、₇月から₈月にかけての登山シーズンにはエゾツツジ、ウコンウツ
ギ、ユキワリコザクラ、タカネウスユキソウ、ハクサンシャジンなど数々の
高山植物が咲きみだれ、登山者の目を楽しませてくれますが、岩手山の内で
も特に頂上(火口を含む13ha)と九合目の不動平(15ha)が高山植物帯として
国の天然記念物に指定されており、その大部分が滝沢村に入っています。
頂上は新しい時代の噴火によりできたもので火山砂礫であり、土壌や腐植
質ができていない上に肥料分や水分が少なく、植物にとって最も生育条件が
悪い所です。そんなところでも生育する植物があり、その代表は高山植物の
女王といわれるコマクサである。その他イワブクロ、オヤマソバ、イワスゲ、
コタヌキラン、タカネスミレ、ミヤマイワニガナ、キバナノコマノツメ、イ
ワテハタザオなどがあり、丈が10~20㎝位しかなく、しかもまばらにしか生
えていない。
一方不動平は古い時代の噴火によりできたもので、植物が生え出してから
の歴史が長いため、土壌や腐植質ができていて、多くの高山植物が見られ、
その中でも代表するものは₁m前後のハイマツである。その他にハクサン
シャクナゲ、ミヤマハンノキ、オオバキスミレ、ミネヤナギ、ハクサンチドリ、
イワギキョウ、コケモモ、コガネギク、マルバシモツケ、ミヤマハンショウ
ヅル、ベニバナイチゴ、ハクサンボウフウ、ミヤマカラマツ、ヨツバシオガマ、
トウゲブキ、ミネアザミ、ウサギギク、などが生え、お花畑といわれている
天上の楽園をつくっています。
このように、頂上と不動平とでは植生が異なっており、それを同時に観察
でき、しかもその移り変わりのようすが誰でも判ることは学術的にも価値が
高いといわれています。
2
岩手山高山植物帯見取図
指定区域
市町村界
登 山 道
山頂
(2,038m)
八幡平市
滝沢村
鬼ケ城
不動平
九合目
(1,828m)
雫石町
元気象観測所
八合目
(1,770m)
①
②
①
②
③
④
③
コマクサ
トウゲフキ
ツバメオモト
イワカガミ
Information
交通 馬返し駐車場滝沢IC、分れ車20分(約10㎞)
見学 馬返し登山口から山頂登山₄時間30分、山
頂から登山口下山₃時間30分、植物帯は₉
合目不動平及び山頂部分です。
【山開き】毎年₇月1日
連絡 文化スポーツ課 ℡ 019-684-2111
④
3
2
国指定名勝
ふうけい
ち
イーハトーブの風景地
鞍掛山(滝沢村)、七ツ森、狼森(雫石町)、釜淵の滝、五輪峠、
イギリス海岸(花巻市)、種山ケ原(奥州市・住田町)
指定年月日 平 成17年₃月₂日、ただしイギ
リス海岸は平成18年₇月28日追
加指定
所 有 者 滝沢村
所 在 地 岩 手郡滝沢村字上岩手山268-5
ほか指定面積 1,157,400㎡
相の沢牧野から鞍掛山を望む
宮沢賢治の作品の源泉となった本村の鞍掛山を含む岩手県内₇カ所の自然
景観が「イーハトーブの風景地」として、景観の重要文化財にあたる国指定名
勝に指定されています。
鞍掛山は岩手山の南西に位置し、馬の背に乗せた鞍のような形状をした標
高897mの山です。賢治は、その立地と形状から岩手山に先行して形成され
た成層火山の山体の一部が残存したものと指摘しています。また、彼は鞍掛
山とその麓の「おきな草」が咲く草地を愛したとされ、
「白い鳥」など複数の散
文詩に「鞍掛山」の風景を詠んでいます。
「鞍掛山」に関する宮沢賢治作品を挙げてみると、
「くらかけの雪」、
「小岩井
農場パート1」
、
「小岩井農場」下書、
「滝沢野」
、
「白い鳥」、
「一本木野」、
「国立公
園候補地に関する意見」
、
「くらかけ山の雪」
、
「春谷暁臥」下書、
「つめたい風は
それで吹き」などがあり、鞍掛山は賢治のなかでは有名な山々と同列あるい
はそれ以上の意味があり、賢治作品のなかで「鞍掛山」は重要な価値があると
いえます。
近代文学の舞台が名勝になるのも、離れた地域を「一群」で名勝指定された
のも初めてです。賢治が暮らし、作品に描いた素朴な風景が文化財として保
存されています。
4
くらかけの雪
たよりになるのは
くらかけつづきの雪ばかり
野はらもはやしも
ぽしゃぽしゃしたり黝(くす)んだりして
すこしもあてにならないので
ほんたうにそんな酵母(かうぼ)のふうの
朧(おぼ)ろなふぶきですけれども
ほのかなのぞみを送るのは
くらかけ山の雪ばかり
(ひとつの古風(こふう)な信仰です)
詩集 春と修羅 より
相の沢キャンプ場駐車場敷地にある碑
Information
交通 相の沢キャンプ場駐車場盛岡IC車30分(約18㎞)
見学 相の沢キャンプ場から登山80分、下山60分
【山開き】毎年₄月29日
連絡 【鞍掛山の自然】たきざわ自然情報センター ℡ 019-691-6555
文化スポーツ課 ℡ 019-684-2111
5
3
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
うまっ
チャグチャグ馬コ
選定年月日 昭和53年1月31日
保存団体名 チャグチャグ馬コ保存会
チャグチャグ馬コ同好会
チャグチャグ馬コ振興協賛会
所 在 地 滝沢村・盛岡市
岩手県は古くから良馬産出地として知られ、軍馬や農耕馬として人々の生
活と密着し活用されてきました。
鬼越蒼前神社には旧暦₅月₅日の端午の節句を迎えると近郷の人々は一日
仕事を休み、愛馬に飾りをつけ、朝早くからチャグチャグの鈴の音を響かせ、
馬をつれて参拝し、人馬の無病息災、家内安全、五穀豊穣などを祈願します。
この行事が本格的に復活をしたのは昭和23年のことで、地元が中心になり、
伝統の長いチャグチャグ馬コを続けようと、この年に保存会を結成しました。
ここから伝統行事の保存とともに観光行事として普及、全国的に知られるよ
うになりました。
さらに昭和33年から毎年田植えのころにあたる旧暦₅月₅日を新暦の₆月
15日にあらため実施されましたが、平成13年には₆月第₂土曜日に変更され
ました。今日では早朝、鬼越蒼前神社に参集し、お参りをすませた後、馬コ
たちは午前₉時に出発、沢山の見物客の集まった滝沢村から初夏の鈴の音を
響かせて、盛岡市の繁華街まで約15kmの道のりを行進、午後、途中盛岡市の
中の橋中津川河畔で小休止するが、その後、終着の八幡宮で参拝して解散し
ています。
いまでは県内外から沢山の観光客がチャグチャグ馬コを見るために訪れる
が、華やかな装束をまとって行進する馬の晴れ姿やこれに続く仔馬の可愛ら
しさ、乗り手には絣の着物に菅笠姿のあねこや子供を乗せて、その子供たち
の愛くるしい素朴さや動作が見る人の目を楽しませています。
神社出発
6
岩手山と馬コ
みみぶくろ
まびさし
くびよろい
まんじゅう
はなかくし
くら
ふたのぶとん
ゆいあげ
しりがい
はづな
なりわ
むながい
たれ
くさずり
さがりぎれ
チャグチャグ馬コの装い
Information
見学 6月第2土曜日、鬼越蒼前神社から盛岡八幡宮まで約15㎞をパレード
連絡 チャグチャグ馬コ保存会事務局:滝沢村商工観光課内 ℡ 019-684-2111
7
4
岩手県指定史跡
しずく い し か い ど う
ひ なたいち
り づか
雫 石街道日向一里塚
指定年月日 昭和44年₆月₆日
所 有 者 滝沢村大釜字八幡前82番地
日向昌一
所 在 地 滝沢村大釜字中道131番地₄
南部氏の居城盛岡と佐竹氏の居城久保田(秋田)を結ぶ最短の道である秋
田街道は、江戸時代においては雫石までは「雫石街道」と呼ばれ、雫石では
「秋田往来」と呼んでいました。雫石へ通じる道は、以前は篠木坂峠や大沢坂
峠、鬼古里坂峠などいずれも七ツ森の北側を通るものでしたが、江戸時代に
なって大釜を経由して七ツ森の南を通る街道が整備されました。
雫石街道は盛岡城下から夕顔瀬橋(明和2年、
1765年までは舟渡し)を渡り、
ますかた
まえかた
新田町の舛形で盛岡から出ますが、現国道46号線と異なるのは、前潟から土
淵を通って北方を迂回し、大釜の竹鼻で現国道に合流する点です。
現存する一里塚
滝沢村
消失した一里塚
御番所跡
峠
推定される道筋
現在の国道(過去の街道と一致する
場所は点線で示す)
鬼古里坂峠
大沢坂峠
篠木坂峠
橋場御番所跡
国道46号線バイパス
高前田一里塚
赤渕一里塚
8
生森一里塚
日向一里塚
ひ なた
「日向一里塚」は竹鼻から現国道を西に向かい中道の道路北側に一基残存し
ています。南側の塚は取り壊されてあとかたもありません。塚の規模は東西
径₈m、南北径8.5m、高さ₂mで、一基ながらよく原形をとどめています。
おいもり
雫石街道の一里塚は、日向一里塚から4.6㎞
(42町)の位置に「生 森一里塚」
2基(雫石町)
、
さらに4.2㎞をおいて「高前田一里塚」2基(雫石町)があり、
昭和44年に「雫石街道の一里塚」としてまとめて県史跡に指定されました。こ
の雫石街道の整備と一里塚の築造は江戸時代の前期で、慶長9年(1604)以
降寛永17年(1640)までの間と考えられていますが、確実な年代は不明です。
雫石街道・秋田往来は、京・大阪から日本海・秋田湊経由で入ってくる物
資の輸送路として、また、幕府、諸藩の馬買役人が仙北郡(秋田県)から国見
峠をこえ、雫石経由で盛岡に入る道としても重要で、これらの一里塚は昔の
街道往来の歴史をもの語る史跡として重要です。
国道282号線
菊塚一里塚
国道 4 号線
分れ
鍋屋敷一里塚
塚ノ根一里塚
夕顔瀬橋
鍛冶丁一里塚
(基点)
前潟一里塚
盛岡城
Information
交通 県交通「仁沢瀬」下車
見学 国道46号線沿いで、歩道からご覧ください。
連絡 文化スポーツ課 ℡ 019-684-2111
9
5
県指定無形民俗文化財
し の
ぎ
か
指定年月日 平成23年₄月
保存団体名 篠木神楽保存会
所 在 地 篠木地区
ぐ ら
篠木神楽
やまぶし
みやぶり
せりふ
た
が
岩手県の神楽は、山伏神楽・社風神楽・科白神楽・多賀神楽に四大別され
るという。その内、修験者集団の組織した山伏神楽は最も古く芸も古雅であ
る。山伏神楽の要素を吸収しながらも、唯一神道の芸能として南部藩の社風
神楽(南部氏36代利敬の造語)で、盛岡市本宮の大宮神楽や滝沢村の篠木神楽
(注1)
がそれであるといわれています。
岩手山大権現社の宮司には岩手郡三十三郷の工藤氏の一族が担当していた
が、文祿元年(1592)以降、この地の支配は南部藩に変わりました。
山岳神に対する信仰は古くから強烈濃厚であり、女人禁制で、「御山かけ」
の出来る青年を一人前とみなし、春祭りの陰暦₅月25日から同27日まで山麓
の新山で祭りが行われ、28日御山開きで、山伏の先達により登山参詣し、這
松の梢を折って帰り、家内の無病息災と安全、五穀の豊穣の祈禱札を田畑に
立てて祈願しました。
すなわち山岳神は村の農業と万民の多幸を守って下さる神であり、その神
は山の奥の岩手山の山頂に鎮りますものと信じていました。
かくのごとく民衆の信仰をあつめている岩手山の登山口は三カ所あり、そ
れぞれの登山口に別当がおり、それぞれの神楽が伝えられてきました。
(注2)
これが雫石口の雫石神楽、平館口の平館神楽、盛岡口の篠木神楽です。
滝沢村篠木の斎藤家は岩鷲山厨川口新山の禰宜として知られており、南部
藩から公認された社人です。
斎藤家は坂上田村麻呂の家来斎藤五郎兼光の子孫といわれ、鎌倉初期以来、
岩手郡三十三郷大領厨川城主工藤氏の被官と伝えられる古い家柄です。
岩鷲山大権現社の厨川口新山は、工藤氏が衰退して南部氏になると別当権
をめぐる争いがおきるが、篠木の斎藤家は別当権の正当性を主張するととも
に京都ト部家から神道の裁許を受けたり、南部藩から岩鷲山大権現社禰宜の
資格の承認を得たりしていました。
いずれ篠木の斎藤家は江戸時代を通じ、代々神官としてことある毎に神楽
を伝奏してきたが、やがて「秘伝」
・
「秘流」として後世に伝える伝授書をまと
(注3)
めたと思われる記録がのこされています。
この伝授書に記された斎藤淡路守藤原正吉が万治₃年₈月、神道管領長ト
部兼連から裁許状を下附された人物と同一人であるとすると篠木神楽は江戸
初期の頃には活動の基盤がほぼ作られていたといえます。
斎藤家代々の秘流とされる神楽は、天の岩戸開き、鳥舞、八幡舞、山神舞
10
など諏訪までの十二番、それに追加された分と合わせて三十番は下らないと
思われます。
(注1)岩手百科事典 岩手放送発行「神楽」
(注2・3)滝沢村誌 滝沢村「篠木神楽」
Information
見学 旧暦₆月16日田村神社で奉納、そのほかチャグチャグ馬コまつり、村郷土
芸能まつりで見学できます。
連絡 文化スポーツ課 ℡ 019-684-2111
11
6
村指定有形文化財 考古資料
おおがまだて い せき
ごうみぞあとしゅつど ど き
てん
大釜館遺跡7号溝跡出土土器19点
指定年月日 平成22年₃月29日
所 有 者 滝沢村
所 在 地 滝沢村滝沢字湯舟沢327-13
滝沢村埋蔵文化財センター
大釜館遺跡は雫石川河岸段丘に立地し、大釜字外館他に所在します。
村の区画整理事業に伴ない記録保存のための発掘調査が、平成₃年から平
成₇年の₅ケ年にわたって本格的に実施されました。
平成₅年の調査で検出され、₇号と名付けられた溝跡は、北西から南東方
面に走る長さ約40m、上幅約1.2m、下幅約0.8m、深さ0.4mの規模を確認
でき、溝の南東で₉世紀前半の墓を囲む₄号円形周溝の南側に重っており、
₇号溝の方が新しい遺構です。
₇号溝跡出土の土器19点は、溝の南東部分10mの間に列点状に並んで、溝
の底に近い埋土中から出土したもので、意図的に置かれたか、もしくは一括
廃棄されたものと思われます。
は
じ
き
これらの土器は、考古学では土師器と呼ばれ、酸化焔焼成と言われる焼き
方で、空気中の酸素を十分送り込んで燃料を燃やす焔をあげて焼きあげる最
も初期からの方法で焼かれたものです。また、全ての土器は、ロクロを用い
て形成し回転糸切り痕が底に認められます。
19点中の₁点は、土器の内外を黒色処理とヘラミガキ調整をし、低い高台
が付けられた埦です。口径15㎝、底径7.7㎝、器高6.5㎝の大きさです。
17点は、橙系の色あいをした素焼きのままの埦です。器の内面は、なめら
かに調整した仕上がりになっており、台状に形成した底部を持ち、底部から
なだらかに傾斜しながら立ち上がるものと、胴部の下半でやや屈曲して立ち
上がるものの二つのタイプがあり、数的には前者が多く、大きさの平均値は、
口径15.4㎝、底径6.4㎝、器高5.7㎝、器の厚さ0.6㎝と比較的厚い土器です。
₁点は小皿で、埦と同じような仕上げをしており、口径9.4㎝、底径4.6㎝、
器高2.6㎝の大きさです。以上が₇号溝跡出土の土器群の概要です。
19点の土器群と同類の土器が出土している岩手県内の遺跡は岩手町沼崎遺
じゃのめり
跡、花巻市 蛇 蜒 遺跡、宿遺跡、金ヶ崎町西根遺跡、鳥海A遺跡、奥州市白
鳥遺跡、一関市河崎の柵擬定地などがあります。また、滝沢村八幡館山遺跡
からも同類の土器片を採取していますが、今のところ県内でも出土例が比較
的少ないです。
県内におけるこれら遺跡の中で、金ヶ崎町西根遺跡と鳥海A遺跡は、古代
末期の11世紀中半にあった前九年合戦(1051~1062)の経緯を記述した『陸
奥話記』によれば、当時、北上川中流域の奥六郡に勢力をもっていた安倍氏
とのみのさく
一族の長、頼時の子息の宗任が構えていた安倍氏の主柵の一つ、鳥海柵であっ
12
たことが確認されています。
つまり、大釜館遺跡₇号溝跡出土の黒色処理高台付埦₁点、素焼き埦17点、
小皿₁点、合わせて19点の土師器は、古代末期の11世紀後半の土器で、安倍
氏の権勢と前九年合戦と言う歴史的背景の中で、今後の歴史解明に資する貴
重な資料に位置づけられます。
①
① ₇号溝跡土器出土状況全景
② 出土状況
③ ₇号溝跡出土土器
(最前列左端:内外面内黒処理土器)
②
③
Information
交通 大釜館遺跡は大釜駅徒歩₅分で、遺跡の跡は現在団地になっています。
見学 土器は滝沢村埋蔵文化財センターで保存しています。
連絡 村埋蔵文化財センター ℡ 019-694-9001(月曜日は休館日です)
13
7
村指定無形民俗文化財
か わ ま え
か
ぐ ら
川前神楽
指定年月日 昭和52年12月10日
保存団体名 川前神楽保存会
所 在 地 川前地区
川前神楽は岩手山神社の神楽として、川前地区に伝えられる神道神楽です。
その由緒・由来については適切な資料に欠けるため、いまひとつ確実性に
乏しいが、今日まで伝承されてきたものを分析してみると概要は次の通りで
す。
1 川前神楽演舞の内、鳥舞をはじめ伝承されてきたものの大部分が篠木神
楽に伝えられているものと同じです。
2 その昔、秋の収穫後、川前地区回りをしていた篠木神楽を観た地区民が
篠木神楽を習ったという言い伝えがあります。
3 岩手山神社の祭事の際に登場する坂上田村麻呂は篠木の田村神社の祭神
でもあります。
このようなことから川前神楽は篠木神楽と系統がほぼ同じで、篠木神楽か
ら分かれたものといえます。舞が演じられるなかで、衣装や手にする小道具、
舞での振り付けなどで、多少のちがいはあっても全体の動きが同じというの
は、とりもなおさず同系列神楽であることを示しています。
Information
見学 ₈月第₁土曜日岩手山神社で奉納、そのほかチャグチャグ馬コまつり、村郷土芸能まつ
りで見学できます。
連絡 文化スポーツ課 ℡ 019-684-2111
14
8
村指定無形民俗文化財
た き ざ わ こ ま お ど
滝沢駒踊り
指定年月日 昭和59年₆月19日
保存団体名 滝沢駒踊り保存会
所 在 地 川前地区
遠く南部領内では畜産がさかんに行われて、南部馬の名声を高めていたが、
この踊りは青森県八戸地方から岩手県北部一帯の旧大野村・軽米町・岩手町
(注)
にかけて伝えられています。
内容は、放牧中の馬の動作を基本にして逞しさと愛らしさを巧みに表現し
た踊りです。古くは野馬取りを擬して始められたともいわれています。やが
て江戸時代の子供たちの玩具として流行した竹馬遊びが集団化したのが現在
の駒踊りの起こりとなりました。
滝沢村の駒踊りは、旧大野村から大正時代に盛岡郊外の外山牧場に伝わり、
昭和に入って外山から来たものです。
踊りの型は、放牧している馬の様々な動きを捉えたもので、
①放牧地でゆっくり歩いているところ
②放牧地で歩きまわり、歓びたわむれているところ
③水飲みに集って来たところ
④水を飲んで一段と元気になって牧場を駆けめぐり遊んでいるところ
⑤遊び疲れて歩いて帰るところ
踊り手の駒七頭に駒曳きが一人つき、ササラと木馬の手綱についた鈴の音
を響かせて踊るしぐさは、子供たちだけの踊りとしても勇ましく、また近隣
市町村の馬の守護神として信仰される鬼越蒼前神社、及び馬を曳いて蒼前参
りをした牛馬の無病息災を祈願するチャグチャグ馬コなど、馬にゆかりの深
い滝沢村にとって貴重な文化財といえます。
(注)岩手百科事典 岩手放送発行「こまおどり」
Information
見学 ₆月第₂土曜日チャ
グチャグ馬コ行進前
に鬼越蒼前神社で奉
納、その後滝沢村役
場前、盛岡駅前、盛
岡市肴町で演技を披
露します。また、チャ
グチャグ馬コまつ
り、村郷土芸能まつ
りで見学できます。
連絡 文化スポーツ課
℡ 019-684-2111
15
9
村指定無形民俗文化財
おおさわ
た うえおど
大沢田植踊り
指定年月日 昭和61年₇月26日
保存団体名 大沢田植踊り保存会
所 在 地 大沢地区
大沢田植踊りを伝承する大沢地区は、村域の南部で、北西から南東に長く、
北西部は丘陵地帯で、南東部は東流する雫石川の氾濫原にあたり綾織越前広
信が天正年間(1573~92)に開削したと伝えられた越前堰によって開墾された
水田卓越地帯、東端は盛岡市に接する地域です。
田植踊りは稲の豊穣を祈る予祝芸能で、毎年、小正月を中心に踊られてき
ました。以前は、
「春祈禱」を兼ねて地区内ばかりか、近隣の村々、遠くは雫
石や盛岡の上田あたりまで「門打ち」を して回りました。
また、旧村社の熊野神社(熊野大権現)の例祭、旧₆月15日には、昔から奉
納し、今でも境内の神楽殿で踊っています。その他、年間十回ぐらいの随時
公演を行っています。
大沢田植踊りの由来は、古記録がなく、確かな来歴や伝播経路など不明。
ただ、古老の伝承では、文書では明治₃年(1870)まで遡ることができたはず
で、口承によると300年位前に上鵜飼から伝わったとされ、雫石町の葛根田
田植踊りにも指導したこともあるという。
かつては、村内に、大沢のほかにも上鵜飼と下鵜飼とに田植踊りが伝承さ
れていたが、ともに消滅してしまい、現在では大沢が唯一の踊組となりまし
た。その関連について、
「滝沢村誌」には、
「藤倉勘蔵氏によれば、紫波郡煙山
の高橋三之助氏より、鵜飼の藤倉百松氏が伝授され、その子勝太郎に教授さ
れて、鵜飼谷地上の田植踊りとなり、更に大更方面まで広まった」という。
その伝播経路や継承系譜を裏付けできる伝授書などの資料はなにもない
が、踊りの芸態からみて、稗貫・紫波、岩手地方で広く行われている「中踊り」
と「早乙女の笠ふり」に大きな特徴があり、稗貫・紫波地方から岩手地方へ伝
播してきたものと推定できます。
大沢田植踊りの現在の太夫は、斎藤賢一氏であるが、先代は沢目岩次郎、
先々代は斎藤武夫、先々々代は斎藤栄吉で、その前の斎藤元吉(明治41年に
61歳で亡くなったという)まで、系譜をたどることができるという。
今、大沢田植踊りの伝承・保存のため、保存会を中心に地区民一体で取り
組んでいる。
田植踊りは、厳しい自然条件の中で農作業に励んだ農民の豊穣への祈りが
込められ、また、数少ない娯楽の一つとして営々と培われてきた民俗芸能で
す。
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Information
見学 旧暦6月15日熊野神社で奉納、そのほかチャグチャグ馬コまつり、村郷土芸能ま
つりで見学できます。
連絡 文化スポーツ課 ℡ 019-684-2111
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10
村指定史跡
が
し
く ようとう
餓死供養塔
指定年月日 昭和42年₃月₁日
所 有 者 滝沢村
所 在 地 滝沢村鵜飼字狐洞96番地
(1)寛政12年(1800)₄月18日建立
(2)文化12年(1815)₄月16日建立
(3)天保₃年(1832)₄月28日建立
(4)安政₂年(1855)₇月16日建立
江戸時代に米が財政の基盤となり、水稲栽培がおし進められると、冷涼な
気候の南部藩ではたびたび凶作・飢饉にみまわれました。なかでも元禄₈年
(1695)
、宝暦₅年(1755)
、天明₃年(1783)
、天保₄年(1833)の飢饉は悲惨で、
これを南部四大飢饉と称しています。
宝暦₅年には19万₉千₇百石の減作となって収穫皆無の所が多く、藩内全
人口の17%にあたる54,227人が餓死し、天保の飢饉は₃年から₉年までの₇
年間にわたる大規模なもので、毎年80から90%以上の減収という未曾有の大
飢饉でした。藩の救済は全くなすすべもなく、農民は飢えに苦しみ、村を捨
てて離散するものも多かったのです。
村民の餓死者の数は不明ですが、この碑は打ち続く凶作の犠牲になった
人々の供養のために建てられたものであり、祖先の苦難の歴史をもの語る史
跡です。
(1)と(3)は鵜飼村第24地割字笹森(一本柳)の柳の大木のそばに建てられ
ていたものを道路改良のために昭和54年10月₃日に柳の一部とともにこの地
に移されたものであり、
(4)は滝沢第₃地割字高屋敷72番地₂にあったものを
昭和54年12月歩道整備工事のために移転したものです。
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碑文
天保三年(一八三二)
高一二〇㎝ 幅一一〇㎝
天保三壬辰年
碑文
文化十二年(一八一五)
高一二六㎝ 幅六〇㎝
文化十二年己刻
右ハをにこり道
有無両縁
卍餓死供養塔
○餓死供養塔
四月廿八日
鵜飼村中
四月十六日
左ハ三日月道
三界萬霊
安政二卯年
たき沢村中
幅一一〇㎝
安政二年(一八五五)
高一一五㎝
鵜飼村中
寛政十二年(一八〇〇)
高一五八㎝
幅七〇㎝
念仏供養塔
○餓死供養塔
寛政十二年 鵜飼村
○餓死供養塔
七月十六日
石工市郎
庚申四月十八日 連中
Information
交通 県交通「滝沢ニュータウン中央」下車徒歩5分
見学 供養塔が4基ありますので、静かにご覧ください。
連絡 文化スポーツ課 ℡ 019-684-2111
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村指定史跡
おい
わ
指定年月日 昭和54年10月₁日
所 有 者 滝沢村滝沢字大石渡396番
岩手山神社
所 在 地 滝沢村滝沢字巣子258番地21
ひ
追分けの碑
追分けとは道の分岐のことで、そこに立つ道標を追分け石といいました。
この地は明治期に整備された新陸羽街道(国道₄号線)と鹿角街道(国道282
わか
号線)の分岐点で、滝沢鵜飼の本村及び滝沢駅方面にも通じ「分れ」の通称で
親しまれていますが、同時に岩手山参道の入口でもあります。この追分け石
は鹿角街道と岩手山参道(柳沢口)との角に立ち、岩手山参道の入口を示すも
のです。
岩手山は岩鷲山大権現として崇敬され、奥宮は山頂にあり、柳沢、雫石、
平笠(八幡平市)の登山口にはそれぞれ里宮(新山宮)があり、柳沢口は盛岡
からの正参道であるので柳沢の新山宮(岩手山神社)はその中心で城下にもそ
の新山宮(岩手山神社)置かれています。
盛岡の町人講中により文政₂年(1805)には登山口から山頂まで道しるべ
十本が建てられ、安政₄年(1857)には道しるべと頂上お鉢に三十三観音石
ない し りゃく
像が奉納されました。
『内史畧』には「丁巳同年(安政₄年)閏₅月12日惣市中
かねがね
兼々信仰の者より、岩鷲山へ麓より御殿(頂上奥宮)迄の間、参詣の道しるべ、
三十三観音の像、石にて彫奉納。右講中同日白木綿に観音の像を背に染め、
上着に用い参詣。夕顔瀬片原丁に神楽等これ有り、往来筋大いに賑ひ参詣群
集す。比賦方人足七百人也と云々」とあり、当時の盛んな岩手山信仰が知ら
れています。
安政₃年の追分け石は、この三十三観音の前年に同じ盛岡講中により建て
られたもので、文化₄年の追分け石とともに、岩鷲山正参道の入口を示し、
往時の岩手山信仰をしのばせる史跡として重要です。
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碑文
文化四年(一八〇七)
文化四年
右かつの道
奉納正一位田村大明神
左おん山道
卯 五月吉日
碑文
安政三年(一八五六)
(右)
五穀成就(人名)
右 鹿角道
(正面)
鷲 山
左 柳澤道
安政三丙辰
(
左 (人名)
) 三月吉祥日
Information
交通 県北バス「分れ」下車
見学 路傍にあります。車にご注意ください。
連絡 文化スポーツ課 ℡ 019-684-2111
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村指定史跡
か づのかいどうきくづかいち り づか
鹿角街道菊塚一里塚
指定年月日 昭和56年₅月28日
所 有 者 独立行政法人
家畜改良センター岩手牧場
所 在 地 滝沢村滝沢字加賀内390番地
鹿角街道は城下盛岡から鹿角へ通じる領内の脇街道で、その先は津軽に通
じることから明治以降は津軽街道ともいわれ、現在は国道282号線となって
います。
金や銅などの鉱山地帯として重要な鹿角との街道の整備は、宮古街道や雫
石街道など他の脇街道と同じく寛永年間(1624~1644)に行われたものと考え
られ、承応₂年(1653)にはその破損状況調査が行われています。
鹿角街道は盛岡夕顔瀬橋を渡った橋の西詰で雫石街道から分岐して、ここ
か
ではじめて「鹿角街道」となるものですが、領内脇街道の里程の元標は城下鍛
じ ちょう
冶丁(現紺屋町)所在の一里塚と定められており、鹿角街道の一里塚も元標
からの里程で設置されています。奥州街道本道の36町(約₄㎞)一里制に対し
て、領内街道は42町(約4.6㎞)一里制でした。
鹿角街道最初の一里塚は盛岡市上堂四丁目の「塚ノ根一里塚」で、現在は全
く消滅しています。2番目は巣子の入口で盛岡市鍋屋敷地内の農林水産省林
業試験場内に西側1基のみ遺存しています。
鹿角街道は分れから現国道282号線をはさんで西に東に若干蛇行しつつ一
でんどう
本木野の原野を北上し、大更松川を経て最初の宿場田頭に至りますが、その
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間、滝沢村地内には3つの一里塚がありました。
「菊塚一里塚」は基点から3番目の一里塚で、分れから北上し現国道282号
線からかなり西側に入り込んだ独立行政法人家畜改良センター岩手牧場内に
あります。道筋は農地となって全く痕跡もありませんが、塚部分のみが遺存
しています。この塚径は約₆m、高さ1.5mでほぼ原型を保っています。築
造は街道の整備が行われた江戸前期の寛永年間と考えられ、村内にのこる鹿
角街道の一里塚のうち唯一明確な一里塚として貴重です。
Information
交通 県北バス「盛岡農高西門」下車
見学 独立行政法人家畜改良センター岩手牧場の敷地内にあり、見学はできません。
連絡 文化スポーツ課 ℡ 019-684-2111
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村指定史跡
ゆ ぶ ね ざ わ か ん じょう れ っ せ き
湯舟沢環状 列石
指定年月日 平成₈年₃月27日
所 有 者 滝沢村
所 在 地 滝沢村滝沢字湯舟沢
湯舟沢Ⅰ~Ⅹ遺跡は、大規模住宅団地「あすみ野」の造成に伴ない昭和57
年から58年の₂ケ年で、滝沢村教育委員会と㈶岩手県文化振興事業団埋蔵文
化財センターが調査しました。
その後、造成計画の変更によって、当初調査対象外であった湯舟沢Ⅱ遺跡
の一部もくみ込まれ、平成₂年に第二次調査として滝沢村教育委員会が実施
しました。この第二次調査で発見されたのが湯舟沢環状列石で、いっしょに
出土した土器から縄文時代後期(約₄千年前)の時期と判明し、「あすみ野団
地」内の北西で最も奥まった場所に所在します。
環状列石はストーンサークルとも呼ばれ、湯舟沢環状列石は、大人が₂人
から₃人ほどで持てる大きさから、手のひらに載るほどのものまで、形も偏
平なもの、円いもの、多角形のものなど、近くで産出する石英安山岩を運び
込んで地面に配置しています。
配置の形状も、部分的に観ると半円状、直線状、弧状、小円状などで、そ
れらの組み合わせの集合体として、南北方向に長径20m、東西方向に短径
15mの楕円状の環状列石となります。
配置した石の下には土壙(縄文人が掘った穴)が確認されており、環状の列
石で北から南に直線状に走る列石の東側に並行して連鎖してつながる土壙な
ど、環状列石内で石の配置しない場所でも100ケ所以上に及ぶ土壙が発見さ
れています。つまり土壙には、
石を伴うものと、
無いものの二種類があります。
うち24ケ所の土壙から採取した土を脂肪酸分析したところ、いずれからも高
等動物の脂肪酸が検出されたとの分析結果を得た事から、墓であろうと推定
しています。
また、環状列石内の全域から焼土や細かい炭が出ていること、列石に使用
されている岩石の大半が後に火熱を受けていることから、この場所で火を用
いて祭りごとをしていたと推定されます。
環状列石の南側斜面には、蛇行する六筋の道路跡があり、道幅0.5mから1.5
m、道路面はアスファルト状に硬くしまり、縄文人が頻繁に往来したことが
想像されます。
湯舟沢環状列石は墓であるとともに、火を用いたまじないやいのりなど祭
祀の場と考えられ、西方に望まれる標高528mの谷地山の円錐状の山容は、
縄文時代と変わらず環状列石と調和し、埋葬と祭祀の場としての縄文の原風
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景をかもし出しています。
発掘調査の結果、湯舟沢環状列石は保存状況が良好であること、全体の形
が発見されたことから、列石の築かれる過程や時期的変遷を知る上と、列石
の立地とムラとの関係、縄文人の精神生活などの視点から学術的に貴重な遺
跡と認められ、滝沢村では現状を保護する工法で埋めもどした上で保存する
に至りました。
これによって、地上には調査記録に基づき湯舟沢環状列石と同質の石材を
用い、原寸大で復元した上で、史跡公園として整備し、隣接地には環状列石
のガイド施設も兼ねた埋蔵文化財センター「縄文ふれあい館」を設置し、埋蔵
文化財の調査、普及活用など教育活動に資しています。
史跡公園全景
講演会
埋蔵文化財センター
Information
交通 県 交通「あすみ野中央口」下車徒歩
₃分
見学 村埋蔵文化財センター側に「史跡公園」
として整備公開されています(無料)
。
連絡 村埋蔵文化財センター
℡ 019-694-9001(月曜日は休刊日です)
体験講座
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村指定史跡
はちまんたてやま
い
せき
八幡館山遺跡
指定年月日 平成22年₃月29日
所 有 者 個人及び法人
所 在 地 滝 沢村大釜字白山50-21ほか 指定面積87,636㎡
八幡館山遺跡の所在する大釜字白山の八幡館山は、標高246.8m、山頂と
麓との標高差は70から80m、北から南に走る尾根の先端部がくびれた独立し
た様相の山になっています。尾根から平野部に下る手前にあたり、山頂から
の眺望は良く、東方に開ける平地は遠く盛岡方面までの一帯を見渡せます。
南麓には、雫石川が西から東に流れ、それに沿うように近世の秋田街道で
ある現国道46号線やJR田沢湖線と併行する秋田新幹線が通っています。ま
た、雫石川の川幅も比較的狭く渡河にも容易であったと思われます。ここは
雫石川が広い北上盆地へ流れ出る前の狭窄部となっており、古来から雫石盆
地や秋田方面に通ずる交通の要衝でした。
このような環境にある八幡館山遺跡は、現状の景観からは中世末の16世紀
までに使用された山城で、全体として東西約170m、南北約130mの広さがあ
り、山頂部は径40mほどの不整円形の平場になっています。そこから一段低
いところで、南から東側にかけて平場があり、更に一段下がって帯曲輪が全
体を巡り、この帯曲輪の東と西側の縁辺に土塁が認められます。この帯曲輪
に囲まれた範囲が城の主郭と考えられます。
主郭の外は、南西から南を巡り南東側に二段から三段の平場が造成され、
その下に堀が巡り、そこから五本の縦堀を造り出しています。
また、西側斜面にも一部堀状になる帯曲輪が認められます。東側の小尾根
には五段ほどの平場が造成され、下段の先端は二重の堀りで切られています。
この東尾根の南斜面には複数の縦堀が畝状にあります。二重の堀切北端から
北斜面と西斜面の中腹に犬走りが通路のように巡り、平場となっています。
既述したように中世の山城としての外観をもつ八幡館山遺跡で注目すべき
点は、古代末の11世紀後半の特徴をもつ土器(土器の内容やその歴史的背景
については、大釜館遺跡₇号溝跡出土土器19点を参照)が土器片で189点、う
ち実測可能な埦48点、小皿₉点が採取されていることです。
土器は前九年合戦(1051~1062)に関係する安倍氏の時期のもので、岩手
県内でも同類の土器が出土した遺跡は少なく、しかも、八幡館山遺跡を除く
と、全ての出土遺跡が河川近くの河岸段丘上や沖積地に立地している点から
して、本遺跡の出土例は希少であるとともに、八幡館山遺跡が古代末にも活
用されていた証左です。
つまり、八幡館山遺跡は、
『陸奥話記』などに記述される安倍氏関連の遺跡、
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例えば、盛岡付近に所在しただろうと考えられるが、場所の特定されていな
うばとのさく
い厨川柵や嫗戸柵などとの関連の有無や、その果していた機能、更に古代末
から中世に至る山城の変遷を解く鍵を握る謎を秘めた遺跡です。
全景(東から)
山頂より望む大釜地区
Information
交通 大釜駅下車徒歩30分
見学 遊歩道があり約15分で山頂に着きます。
連絡 文化スポーツ課 ℡ 019-684-2111
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村指定天然記念物
はる こ
や
ち し つ げ ん しょく ぶ つ ぐ ん ら く
春子谷地湿原植 物群落
指定年月日 昭和44年₄月26日
所 有 者 滝沢村
所 在 地 滝沢村滝沢字岩手山268番地₆
春子谷地は、岩手山登山口の柳沢から姥屋敷方面へ約₃㎞行ったあたりに
あり、岩手山南東の鞍掛山山麓に開けた湿原で、標高450m前後あり鞍掛山
(897m)からの伏流水の湧水により成りたっています。この湿原は有史以前
に奥羽山脈の山麓地帯の広い範囲にあったと思われる湿原を代表するものの
一つであるといわれているにもかかわらず、湿原にははとんど人の手が加え
られることがなく、自然状態が良く保存されています。
湿原に生えているもののうちで分布の上から珍しいものは、シロミノハリ
イ、シラカワスゲ、ホソコウガイゼキショウ、イトナルコスゲ、ホロムイク
グ、ホソバノシバナなどであり、特にシロミノハリイは日本における分布の
南限となっています。この他に主な植物をあげるとミズゴケ、ヨシ、ヌマガヤ、
ヤチスゲ、サギスゲ、ワタスゲ、ミズバショウ、キンコウカ、ノハナショウブ、
エゾノヒツジグサ、モウセンゴケ、ナガボノシロワレモコウ、ハイイヌツゲ、
ミズオトギリ、エゾリンドウ、ミツガシワ、サワギキョウ、ミズギクなどです。
また、トンボ類にも珍種類が多く、まずハッチョウトンボ、ついでカラカ
ネイトトンボがあげられます。さらに、オゼイトトンボ、エゾイトトンボ、
ハラビロトンボ、ヨツボシトンボ、キイトイトトンボ、コフキトンボなどです。
蝶類では、ナガボノシロワレモコウを餌とするゴマシジミ、県下で産地が
二箇所という希少種です。また、ヒョウモンチョウ、ミドリシジミ、ハヤシ
ミドリシジミ、ゴイシジミなどが産出します。
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ワタスゲの群生
ハッチョウトンボ
ミツガシワ
アギナシ
Information
交通 滝沢IC、分れ車20分(約10㎞)
見学 春子谷地湿原は岩手県自然環境保全
地域に指定されており、周囲からご
覧ください。
(湿原への立ち入りは禁止です。)
連絡 文化スポーツ課 ℡ 019-684-2111
ナガボソワレモコウを食するゴマシジミ
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村指定天然記念物
た むらじんじゃ
田村神社のスギ・カツラ
指定年月日 昭和42年₃月₁日
所 有 者 田村神社
所 在 地 滝沢村篠木字上篠木12番地
スギ
樹齢は千年以上であり、目通周囲7m、目通直径2.23m、樹高29mで本村
で最大の老樹です。
スギは、本州、四国、九州に分布し、日本では、最も重要な建築材として
知られていて、天井板、柱など身近なものにいろいろと使われているほか、
葉は線香の原料ともなります。また、本種は、世界的な長寿としても有名で、
屋久島(屋久スギ)には、樹齢が数千年になるものもあるという。スギは、幹
が直立していることにより、す
(直)き
(木)
、または、すくすくと立つ木の意
味です。
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カツラ
樹齢は5百年以上であり、目通周囲₆m、目通直径1.91m、樹高22mで本
村のカツラでは最大の老樹です。
カツラは、北海道、本州、四国、九州の水湿ある渓谷林に生え、材は軽く
軟らかいが狂いが少なく工作が容易で、器具、楽器、彫刻など広く利用される。
カツラのカツは、香出(カズ)という説があります。
平成22年12月剪定及び腐朽部処理を実施したので現状と異なります
Information
交通 大釜駅下車徒歩15分
見学 境内にあります。カツラは剪定等により写真と一部異なります。
連絡 文化スポーツ課 ℡ 019-684-2111
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村指定天然記念物
つのかけじんじゃ
ご りゅう
角掛神社の五龍のフジ
指定年月日 昭和53年10月₂日
所 有 者 角掛神社
所 在 地 滝沢村滝沢字湯舟沢34番地
フジの花
樹齢がおよそ₂百年から₃百年の老大樹が₅本もそろって自然のままに生
えているのは県下でも珍しく、その姿はあたかも五頭の龍が大空に舞い上が
る姿を思わせることから五龍のフジと命名されています。
昭和53年に測定した樹高と目通周囲は次のとおりです。
№1 樹高約 16m 幹周囲 1.7m №2 樹高約 18m 幹周囲 1.9m
№3 樹高約 19m 幹周囲 1.4m
№4 樹高約 16m 幹周囲 1.4m
№5 樹高約 17m 幹周囲 1.4m
№5
№4
社務所
№3
№2 №1
社殿
土俵
鳥居
神楽殿
フジ棚
角掛神社配置図
(現在は№₁、₂は藤棚に、№₃~₅は一部剪定により昭和53年に測定した樹
高とは異なります。
)
昭和58年の強風により№₁、₂は倒木したことから、平成₄年12月鉄骨構
造の藤棚を設置して保護整備をしました。
その後、平成20年11月、それぞれのフジを、剪定、害虫防除、材質腐朽部
処理などの処置を行い、№₄と№₅は支柱を設置し落下防止結束などの保存
整備を行いました。
なお、平成20年11月の保存整備は「岩手大学滝沢演習林維持経費活用補助
金」を活用して整備しました。
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№₄
Information
交通 県交通「根堀坂」下車徒歩10分
見学 境内にあります。
開花時期:5月下旬から6月上旬
連絡 文化スポーツ課 ℡ 019-684-2111
№₅
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村指定天然記念物
やまがみじんじゃ
山神神社のスギ・クリ・ベニイタヤ
指定年月日 昭和54年₄月18日
所 有 者 山神神社
所 在 地 滝沢村鵜飼字姥屋敷
30の₁の内の₃
スギ
樹齢は約600年で、目通周囲4.37m、目通直径1.39m、樹高35m、枝張り
15mであり、樹齢や大きさはそれほど珍しいものではないが、まっすぐに立っ
た形の良さは、古くから開けた姥屋敷地区の人々の心の支えでもあり、シン
ボルです。
34
クリ
樹 齢 は 約300年 で、 目 通 周 囲
3.81m、目通直径1.21m、樹高25
m、枝張り20mであり、樹齢や大
きさはそれほど珍しいものではな
いが、スギと同様に姥屋敷地区の
シンボルとなっています。
クリは北海道(西南部)
、本州、
四国、九州に分布し、材は堅くて
腐れにくいので枕木や家の土台な
どに使われたが、今では建築材が
取れるような大木は山ではあまり
見られなくなりました。クリは黒
実(クロミ)からという。甘栗の原
料となるのは、中国、朝鮮原産の
シナグリです。
ベニイタヤ
谷沿いの肥沃地に大木が多いと
言われているが、この木は樹齢が
約300年 で、 目 通 周 囲3.91m、 目
通直径1.25m、樹高25m、枝張り
15mあり、これほどの大木は珍し
い。
ベニイタヤは北海道・本州それ
に南千島に分布し、材は堅く、強
靱で家具、彫刻、楽器などに使わ
れる。春の芽出しが赤いところか
ら付いた名です。
Information
交通 小岩井農場まきば園車5分
見学 境内にあります。
連絡 文化スポーツ課 ℡ 019-684-2111
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19
村指定天然記念物
チョウセンアカシジミ
指定年月日 昭和62年₆月30日
生 息 地 滝沢村滝沢字巣子
チョウセンアカシジミ=学名コレアナ・ラフアエリスは、その名が示すよ
うに、朝鮮半島を原産とするシジミチョウ科に属する小型の蝶であり、開い
たときの羽の大きさは、3.5~₄㎝ほどで、色は赤黄色、外縁は黒色です。
餌となる食樹はデワノトネリコで、川沿いや湿地に好んで生育します。
チョウセンアカシジミの生息分布は、アムール川流域、ウスリー川南部、
中国大陸北東部、朝鮮半島及び日本列島の一部で、日本海をとりまく状況に
あります。このことは、遠い昔、日本列島と大陸が陸続きであったことを物
語る貴重な証明の一つであると言えます。
日本列島では、新潟、山形、岩手三県の中でも、きわめて限られた地域に
のみ確認されていますが、昭和28年に、岩手県田野畑村で初めて発見される
まで、日本には生息しないものと思われていました。
岩手県内の生息分布は、沿岸北部の宮古市から久慈市にかけてと、内陸の
奥羽山脈麓の滝沢村と雫石町です。
滝沢村で生息が確認されているところは、
「分れ」付近の国道₄号線東側で、
南に流れる巣子川沿いの雑木林です。この地は食樹のデワノトネリコが植生
し、生息に適した条件を備えています。
チョウセンアカシジミの一生は、₇月上旬ごろ、母蝶が食樹デワノトネリ
コの根元に近い幹や枝の樹皮に生んだ卵から始まります。卵は₉ケ月の後、
翌春の₄月中~下旬ごろ、孵化し幼虫が一齢幼虫で、以後、脱皮するごとに、
二齢、三齢、四齢の幼虫期を数えます。
やがて幼虫は、₆月上旬ごろに木から降りて、近くの石や落葉の下などで
蛹になります。蛹の多くは、₆月下旬ごろに羽化し、成虫となって、交尾、
産卵し、およそ₂~₃週間で寿命を終えます。₇月下旬にはとびまわる姿を
見ることはできなくなり、一世一代で完了します。
最近、各地の生息地で、河川改修や河川端の道路改修などをはじめ、開発
工事による食樹トネリコの伐採など、人為的、自然的な影響でチョウセンア
カシジミの生息環境の悪化により、生息数の減少が心配されています。
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さなぎ期
チョウセンアカシジミの成虫
幼虫期
卵期
発生場所
Information
交通 滝沢IC、滝沢村分れ南東付近
見学 巣子川沿い雑木林で、岩手大学の敷地と民有地になっており、立ち入りはご遠慮ください。
連絡 文化スポーツ課 ℡ 019-684-2111
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38
お山の湯
たきざわ
自然情報センター
春子谷地湿原
植物群落
岩手山神社
滝 沢 村
鞍掛山 897m
イーハトーブの風景地
岩手山高山植物帯
2,038m 日本の百名山
岩手山
八幡平市
追分けの碑
滝沢
鹿角街道
菊塚一里塚
282
4
盛岡大学
たきざわ
岩手県立大学
岩手産業文化センター
アピオ
4
しぶたみ
すご
チョウセンアカシジミ
運転免許センター
໊‫׳‬ऌȄǩǽ
ఊ ఒ ௚
雫
石
町
こいわい
小岩井農場
線)
新幹
田
(秋
湖線
沢
田
まきば園
雫石街道
山神神社
スギ、
クリ、
ベニイタヤ
八幡館山遺跡
日向一里塚
岩手看護
短期大学
◎
大釜館遺跡
おおがま
田村神社
スギ、
カツラ
滝沢総合公園
46
盛岡
餓死供養塔
鬼越蒼前神社
チャグチャグ馬コ出発地
蒼前神社跡
角掛神社
五竜のフジ
あおやま
滝沢ふるさと交流館
埋蔵文化財センター
湯舟沢環状列石
(ストーンサークル)
かみもりおか
盛 岡 市
くりやがわ
もりおか
すご
IG
Rい
わて
銀河
鉄道
新
幹
線
東北自
動車道
39
文化財の体系
文化財の種類
有形文化財
重要なもの
特に価値の高いもの
重要文化財
指定
国宝
指定
[建造物]
[美術工芸品]絵画、
彫刻、
工芸品、
書跡、
典籍、
古文書、
考古資料、
歴史資料等
※重要なものを重要文化財に、
世界文化の見地から価値の高いもので、
たぐいない国民の宝たるものを国宝に指定
[建造物]
[美術工芸品]
無形文化財
登録有形文化財
登録
※保存と活用が特に必要なものを登録
重要無形文化財
指定
※重要なものを重要無形文化財に指定
[演劇、音楽、
工芸技術等]
重要無形民俗文化財
民俗文化財
※特に重要なものを重要無形民俗文化財に指定
指定
[無形の民俗文化財]
衣食住・生業・信仰・年中行事等に
関する風俗慣習、
民俗芸能、
民俗技術
[有形の民俗文化財]
無形の民俗文化財に用いられる
衣服、器具、
家具等
登録
重要有形民俗文化財
※特に重要なものを重要有形民俗文化財に指定
登録有形民俗文化財
文化財
※保存と活用が特に必要なものを登録
史 跡
指定
特別史跡
※重要なものを史跡に、
特に重要なものを特別史跡に指定
記 念 物
名 勝
指定
[遺跡]
貝塚、
古墳、
都城跡、
旧宅等
[名勝地]
庭園、
橋梁、
峡谷、
海浜、
山岳等
[動物、植物、
地質鉱物]
指定
特別名勝
※重要なものを名勝に、
特に重要なものを特別名勝に指定
天然記念物
指定
特別天然記念物
※重要なものを天然記念物に、
特に重要なものを特別天然記念物に指定
登録記念物
登録
※保存と活用が特に必要なものを登録
都道府県又は
市町村の申出
に基づき選定
[地域における人々の生活又は生業及
び地域の風土により形成された景観地]
棚田・里山・用水路等
文化的景観
伝統的建造物群
市町村が
条例等に
より決定
[周囲の環境と一体となして歴史的風
致を形成している伝統的な建造物群]
宿場町・城下町・農漁村等
文化財の保存技術
[文化財の保存に必要な材料
制作、修理・修復の技術等]
埋蔵文化財
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選定
重要文化的景観
※特に重要なものを重要文化的景観として選定
伝統的建造物
群保存地区
市町村の
申出に基
づき選定
重要伝統的建造
物群保存地区
※わが国にとって価値が特に高いものを重要伝統的
建造物群保存地区として選定
選定保存技術
※保存の配置を講ずる必要があるものを
選定保存技術として選定
執筆者一覧
大矢邦宣【元滝沢村文化財調査委員】
「雫石街道日向一里塚」
「餓死供養塔」
「追分けの碑」
「鹿角街道菊塚一里塚」
北上弥逸【元滝沢村文化財調査委員】
「岩手山高山植物帯」
「春子谷地湿原植物群落」
「田村神社のスギ・カツラ」
「山神神社のスギ・クリ・ベニイタヤ」
「チョウセンアカシジミ」
小島 俠【元滝沢村文化財調査委員】
「篠木神楽」
「川前神楽」
「滝沢駒踊り」
吉田 努【滝沢村文化財調査委員】
「大釜館遺跡₇号溝出土土器19点」
「大沢田植踊り」
「湯舟沢環状列石」
「八幡館山遺跡」
長嶺正治【滝沢村教育委員会事務局文化スポーツ課】
「イーハトーブの風景地」
「チャグチャグ馬コ」
「角掛神社の五龍のフジ」
執筆協力者
滝沢村文化財調査委員 名久井芳枝、吉田 努、土井宣夫、根口 勉、四井謙吉
掲載写真
₁ 岩手山高山植物帯(根口勉氏提供)
₃ チャグチャグ馬コ(滝沢村観光協会提供)
15 春子谷地湿原植物群落(根口勉氏提供)
19 チョウセンアカシジミ(根口勉氏提供)
上記以外の写真は滝沢村教育委員会事務局文化スポーツ課及び埋蔵文化財セン
ターが所有する写真を掲載しました。
尚、本文は平成13年₉月28日発行した旧版に一部加筆等しました。
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滝沢村の文化財
2011年₃月発行
発行 滝沢村教育委員会事務局文化スポーツ課
〒020-0192 岩手県岩手郡滝沢村鵜飼字中鵜飼55番地
電話 019-684-2111㈹ FAX 019-684-2126
http://www.vill.takizawa.iwate.jp
E-mail [email protected]
印刷 株式会社杜陵印刷
〒020-0122 岩手県盛岡市みたけ二丁目22-50
電話 019-641-8000
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表紙写真╱鬼越蒼前神社