その3 もうひとつの義を貫く ~西郷軍と反対の立場をとった伊佐市地域の

映画「半次郎」先駆け上映会 in 伊佐市 特別企画
平成 22 年 7 月
伊佐市地域における映画「半次郎」の時代
その3 もうひとつの義を貫く ~西郷軍と反対の立場をとった伊佐市地域の人々~
昨年、伊佐市でロケが行われた映画「半次郎」(伊佐市出身の俳優・榎木孝明氏企画・主演)の先
行上映会が、平成22年9月11日(土)・12日(日)の両日、伊佐市文化会館で開催されます。
その関連企画として、ここでは映画「半次郎」をもっと楽しむために、作品の主な時代背景となる西
南戦争について、特に西郷軍と反対の立場をとった伊佐市地域の人々をご紹介いたします。
文責:伊佐市教育委員会 文化スポーツ課(伊佐市文化会館:0995-22-6320)
○ 旧城下士と旧郷士の対立
西南戦争に際し、鹿児島城下の旧城下士が
西郷軍に積極的に参加したのに対し、伊佐市地
域など地方に居住する旧郷士のなかには西郷軍
に批判的な者もいました。
この傾向は、明治維新後の士族対策が旧城下
士に有利に取り扱われた事に対する反感が、旧
郷士にあったものと考えられます。地方に居住す
る旧郷士のなかには西郷軍と反対の立場をとる
者もありました。
・ 有村 隼治
有村隼治は大口郷で「郷士年寄」という身分の
高い家格をもち、堀之内良眼坊とともに川内川開
削工事を推進したほか、木崎溜池の構築など伊
佐市地域の産業振興に尽力した実力者でした。
また、藩と交渉し農耕用牛馬の費用を調達し
たり、大口郷の農業振興の守り神として、戦国時
代の武将・新納忠元を祭神とする忠元神社の建
立も推進しています。
有村隼治が構築に尽力した木崎溜池のひとつ・上ノ池
現在も農業用水の確保に活用されている。
木崎溜池のひとつ・中ノ池に建立された水神碑
(碑に有村隼治(正心)の名前を確認することができる)
政府軍が大口地方に迫りつつあった明治10
年5月3日の夕刻、隼治は妻とともに同じ大口郷
の旧郷士から「球磨まで御用がござる。急ぎ我等
と同道せられよ。」と誘い出され、現在の大口上
青木の梨ノ木山付近で夫妻ともに惨殺される事
件が起こりました。
『大口史蹟伝説めぐり』(昭和42年9月)等によ
ると、有村隼治は西郷隆盛が私学校を開校した
当時、表面はあえて反対することはなかったもの
の内心では余り賛成ではなく、西南戦争が起きる
と、同士とともに西郷軍の情報を政府軍に密かに
伝達し、それが西郷軍に協力する私学校徒の知
るところとなり惨殺されたと記録されています。
また、伝承によると、有村夫妻の襲撃時は雨が
降っており、刺客の一人は隼治の妻・スマ子に、
「おばさん、この期に臨んで傘どんせてないごっ
な」(傘を差して、どういうつもりか)と詰め寄ったと
ころ、スマ子は傘をたたみ、「女ながら妾にも武器
さえあれば、おまんさあ達におめおめ討たれはし
もはんけれど」と言い、しばらくの間、傘で刺客た
ちの刀を防いでいたがその傘がバラバラになっ
てしまい防ぎようがなくなり、ついに切られてしま
ったと伝えられています。
竹之助は西郷隆盛とも親交があったものの、
西南戦争には反対の立場をとって政府軍に入り、
戦闘中、流れ弾に当って戦死したと伝えられてい
ます。享年34歳でした。
墓は菱刈田中に所在しますが、鹿児島市・祇
園ノ州の官軍慰霊碑にも竹之助の名前を確認す
ることができます。
なお、この有村隼治・スマ子夫妻は、伊佐市大
口出身の歴史作家・海音寺潮五郎氏が執筆した
作品『二本の銀杏』に登場する、北郷隼之介・お
国夫妻のモデルと伝えられています。
○ もうひとつの義を貫いた人々
このように、有村も山下も伊佐市地域の産業振
興・農事開発に尽力した人物でした。
山下竹之助は田中開田事業記念の石灯籠(明
治5年建立・画像参照)に、その志を下記のように
記しています。
・山下 竹之助
山下竹之助は菱刈郷の旧郷士で、『北伊佐
史』(大正15年)によると、その性格は「豪放闊達、
事に当たれば必ず成し遂げざれば止まざる底の
人で、古英雄の風貌があった。」と伝えています。
郷の要職にあり、菱刈田中の開田事業や菱刈
前目の孝子萬太郎の墓の修復、川内川の川岸
に居住する住民を洪水被害を受けない場所へ移
住させるなど、菱刈地方の産業振興事業に大き
く貢献した人物でした。
特に菱刈田中の開田事業においては、楠本
川に井堰を構築して水を堰きとめ、用水路を引
いて開田を行っており、現在も楠本川に構築され
た井堰は「山下堰」と呼ばれ、その業績が伝承さ
れています。
かつ
「嘗 て聞く。国の宝、民なり。民の宝、土地なり、
こう や
へいぜん
ひら
と。今、嚝野(平原)を開き、平苒(草原)を拓け
る(開拓する)より急なるはなし。
所謂、農は天下の大本なり。〔中略〕
日夜苦慮し、この荒野を開拓せんと欲す。」
歴史家の原口泉氏は、有村や山下のような旧
郷士層の篤農家(農業に携わり、その研究・奨励
に熱心な人)的人物・産業開発者が、鹿児島県
下各地で西南戦争に批判的態度を示している傾
向は指摘し、旧城下士と違い地域の旧郷士は
「武士としての特権は失っても、彼らには守るべき
土地がある。〔中略〕(彼らの行動は)”裏切り”で
はなく、人と土地を守るという中立の立場であ
る。」と分析しています。(『NHK かごしま歴史散歩』)
このように県下の地方行政に従事し、地域の
実態に精通していた人々は、旧城下士とは違っ
た角度から西南戦争を捉え、対応しました。
【参考文献】
・
『菱刈町郷土誌 改訂版』(菱刈町、2007年3月)
・
有川国千賀編『北伊佐史』(1926年)
・
海音寺潮五郎『二本の銀杏』(昭和34年10月~36
山下竹之助が尽力した田中開田事業の記念
石灯篭(画像左側)と水神碑
年1月、東京新聞連載)
・
『大口史蹟伝説めぐり』(1967年9月)
・
原口泉『NHK かごしま歴史散歩』(1986年 5 月)