第 11 章 教育分野における参加型開発政策の一考察 -世界銀行の政策分析- 尾崎由比 主要課題文献: World Bank. “The World Bank Participation Sourcebook.” http://www.worldbank.org/wbi/sourcebook/sbhome.html 1. (July 20, 2004) はじめに 発展途上国における教育援助の動きは、その効率性と質の向上という課題の中で援助受 益側のキャパシティーをいかに理解し、持続可能な開発を促進できるかに視点が置かれる ようになってきた。このような動きの中で、DAC開発援助委員会が 1990 年代の開発戦略 一つとして掲げた参加型開発の概念もまた、教育援助分野で注目されるべき開発アプロー チの一つであると考える。シューマハーによると、開発は物理的な財貨によってではなく、 「人間と、その教育・組織・訓練によってはじめられる。これら 3 つすべての資源がなけ れば、潜伏した手つかずの可能性のままである。」という 1 。つまり教育は、個人の育成、 社会の統合、国民国家の形成に関わる「開発の核心」2 であり、新しい開発アプローチとし ての参加型開発アプローチの有用性が最も効果的に表れると考えられる。 参加型開発は NGO 主体による草の根的な活動の中で多く取り上げられてきたが、今日 では国連や世界銀行を始め、多くの開発を担う国際機関で議論される開発アプローチであ る。参加型開発が注目される理由として、第 1 にその概念が人権の尊重を重視していると いう点が考えられる。つまり、自らの生に関わる問題を自らの参加によって意思決定する ことができるという点で人権的であるとする。第 2 に、コミュニティーや地域住民などと いったミクロなレベルの参加が、国の政策決定などといったマクロ・レベルにおいても重 要な影響を与える可能性があり、参加の影響力の拡がりが期待される点があげられる。第 3 に、過去の開発援助からの反省という視点からも、参加型開発が注目される意味がある。 つまり、過去の開発プロセスにおけるキャパシティーの不理解や過剰な開発援助といった 反省が、開発プロセスを修正した方法論の一つとして参加型開発という理念を生んだ、と いう点である。 以上のような理由を含め、参加型開発は農村開発や貧困削減の分野だけでなく教育開発 分野においても、その援助プロセスが注目されるべきであると考える。よってここでは、 社会開発戦略の一部として積極的に取り組んでいる世界銀行の政策分析を通して、教育開 発分野における参加型開発アプローチの有用性とその限界を考察したい。まず 2 では、開 発パラダイムと共に発展してきた参加型開発理論の経緯を述べたい。3 では世界銀行の全 般的な参加型開発政策を見ていき、4 では世界銀行による教育分野の参加型開発政策を分 析したい。5 では分析の中から得られた教育分野における参加型開発の効果とその限界を 考察する。 教育分野における参加型開発の実例を分析・考察することは、内発的発展やエンパワー メントなどといった概念が一層重要視されるようになった今日の開発プロセスを見直し、 さらには社会開発の課題として残されている人間を中心とした援助アプローチの模索に貢 献するものであると考える。 2. 参加型開発の発展経緯 参加型開発は、開発におけるパラダイム転換の中で生まれてきた開発アプローチである。 モノ中心の古い開発パラダイムがうまく機能しなくなると、人間中心の開発へ移行した新 しいパラダイムが展開されるようになり、その中で援助の受益側が開発に参加することが 重視されてきた。ここでは歴史的な開発パラダイムの流れと共に、参加型開発概念の発展 経緯をみておきたい。 参加型開発の原型とも呼ばれるのは、1970 年代に登場した「コミュニティー開発」アプ ローチであるといってよい 3 。60 年代の『国連開発の 10 年』によるトップダウン型の開発 の失敗をうけ、コミュニティー開発アプローチは人々の基本的ニーズを守ろうというベー シック・ヒューマン・ニーズ(BHN) 4 概念の高騰と共に発展してきた。 『第 2 次国連開発 の 10 年』では「人口のすべての部分が開発プロセスに参加すること」が目標として掲げら れ、ボトムアップ型の開発政策に目が向けられるようになった。 80 年代になると、経済危機や世界経済の低迷を契機として開発援助の焦点は世界銀行・ IMF主導による構造調整政策へと移行した。BHN戦略も世界的な財政の低迷によって大幅 に後退し、経済成長が開発政策の大目標として再び認識されるようになったのである。一 方 80 年代には、イリイチやフレイレといったラテンアメリカの教育学者による低開発に対 する議論が注目され、開発援助への社会的考察も行われるようになった。特にフレイレは、 「沈黙の文化」 5 から人々(特に貧困層)を解放することによって、彼らが自発的に開発活動に 参加する必要を説き、開発における人々の参加を重視した。このような理論的基盤が、現 場レベルでの援助実践法の一つとしての参加型開発手法を生んできたといえる。 90 年代に入ると経済開発と共に社会開発が開発の課題としてクローズアップされ、さら にUNDP(国連開発計画)を中心として「人間開発」概念が提唱された。人間の視点から 開発を捉えようとする人間開発の概念は、開発の受動者が主体的な担い手となることを目 指す点で参加型開発の概念を補っているといえる。また参加型開発の急先鋒とも呼ばれる チェンバースは、開発受動者が主体となって参加型アプローチを実践するためにはまず援 助側が変わらなくてはならないことを説いてきた 6 。 このような開発パラダイムの流れの中で、参加型開発は開発援助政策の一つのアプロー チとして注目され、今日では特に農村開発分野・保健分野で積極的に取り入られるように なってきた。 3. 世界銀行の参加型開発政策 2 ここでは世界銀行の参加型開発政策の取り組みを、そのアプローチの概要・貧困への取 り組み・今後の課題という 3 つの視点に分けて紹介する。以下は『The World Bank Participation Sourcebook』の中の「Reflections: What is Participation?」を引用し、分析を試み たものである。 (1)スタンスとしての参加型アプローチ 参加型開発アプローチは、従来までの世界銀行の取り組みとは性質を異にする開発アプ ローチである。従来までの世界銀行の取り組みとは、開発の調査・政策作り・援助計画の 全ての段階において外部の専門家がトップダウンで開発政策を押し測る開発アプローチの ことであり、参加型アプローチと区別する意味で、“external expert stance”(外部の専門家に よる開発アプローチ)と呼ばれている。90 年代に入り、開発援助に分野において「参加」 がキーワードとして注目されるようになると、世界銀行においても従来のトップダウン型 の開発アプローチの見直しが図られた。つまりプロジェクトにおいては、受益者が中心的 主体となって開発に参加するボトムアップの開発政策、すなわち参加型開発アプローチへ と関心が向けられるようになったのである。 世界銀行の定義する参加型開発とは、 「受益者が開発のイニシアティブや決定力・影響力 を行使し調整するプロセス」であるとしている。参加型開発アプローチは開発手段の一つ というより、資金提供者や開発立案者・活動家などといった援助側によって取り入れられ る開発プロセスの“stance;姿勢”として位置付けられるという。世界銀行は参加型開発の 実践的方法論を以下の 4 段階に分けている。 ・分析:受益者が既存の政策や援助システムの長所と短所を自覚・分析すること。 ・目標設定:受益者のニーズを理解し、政策の目標を設定すること。 ・政策構築:政策上・制度上の合意や優先順位を決定づけ、効率的で実践可能な政策を構 築すること。 ・政策達成:政策上の計画・目標設定・予算・などを管理し、それらを持続性のある開発 政策へと発展させること。 また世界銀行は、参加型開発アプローチの要素として、対話と協議・社会学習・社会発 見・連携という 4 つのプロセスを順序立てて列挙している。 ①対話と協議 参加型アプローチにおいては、開発専門家と受益者の間の“対話と協議”は必要不可欠 であるとする。いかに資金提供者や開発立案者によるプロジェクト計画が適切なものであ っても、受益者のニーズを聞かなければ本来の開発目標である弱者のための開発目標は達 成できないからである。プロジェクトを立案する際は、 “誰が何を学ぶことを必要としてい るか”に注意深く気を配る必要がある。 ②社会学習 次になぜ地域の制度を変更しなければならないのかを受益者自身に理解してもらう必要 3 がある。すなわち地域制度の中にいる人々が、新しい社会への転換にどのような価値と理 論的根拠を見出すことができるか、という点である。世界銀行がその効果的な方法として あげるのは、人々があらゆる情報から参加型アプローチの先行事例を考察し、その有益性 を彼ら自身が学ぶことであるとしている。その過程を“社会学習”と呼ぶ。しかしながら、 従来までの開発アプローチの多くは専門家主導・トップダウン型の開発アプローチであり、 現在ある経験事例が社会学習を押し測る情報源として有効な情報でない場合がほとんどで あることは事実である。 ③社会発見 世界銀行は、 “社会学習”は“社会発見”を導くと主張する。その過程で、受益者は外部 者や専門家の助けなくして、開発目標を達成するための新たな方法や政策を発見するから である。受益者はプロジェクトの本質部分を形づくるから、開発専門家は何が受益者にと って実践的で便益的な方法であるかを見極めることに配慮すべきであるという。地域制度 を理解しようとしない専門家の政策は、住民の可能性を妨げる場合もあることを忘れては ならない。社会発見において開発専門家が最も留意すべきは、受益者の自発性の変化にい かに早く気付くことができるかという点である。 ④コミットメント 従来の開発アプローチではほとんどの場合、開発受益・援助間のコミットメントの欠如 がみられる。つまり受益者に開発の意図が十分に伝わっていなかったり、受益者自身が自 らの可能性を十分に理解していないため、援助側のコミットメントを十分な形で受けられ ないことがあるという。しかしながら、開発目標の達成のために参加型アプローチを用い ることによって、人々はコミットメントを促進していくことができる。 世界銀行は開発プロジェクトを進めるにあたり、受益者との相互理解を最も重視してい る。開発受益者の潜在力や関心・資質は多様だからである。問題はそのような受益者の多 様性を見極めることが困難な点にあり、そのような多様性が優先度や関心をめぐる住民間 の闘争を引き起こす場合も想定できる。参加型開発アプローチはこのような危険性も孕ん でいることも認識しなければならない。 しかしながら、開発において社会的弱者の「参加」を促すことができる点は、参加型ア プローチの優位点である。社会的弱者の「参加」は、従来まで開発の周辺にいた彼らがそ の中心的主体として開発に参加するプロセスであるから、富や教育・民族やジェンダーと いった問題の不公平さへの改善に効果的である。貧困削減が開発の課題として長期にわた って議論されている今日、参加を通して社会的弱者を開発の中心的主体として組み込むこ とは明らかに必要になってきた、と世界銀行は主張する。 (2)貧困への検討 世界銀行によると参加型開発アプローチは、開発を最も必要とする人々を中心とする開 発アプローチであるから、社会的弱者としての貧困層への到達度の高い開発アプローチで あるとしている。つまり貧困層への開発の浸透度は、彼らが開発に「参加」することによ 4 ってますます促進されるとしている。貧困層は開発政策の決定において優先されるべき開 発の主体なのである。貧困層とは遠隔地の貧しい地域の人々をさし、特に女性と子どもが その大半を占めている。彼らは民族や人種・伝統的価値観によって軽視される存在である。 貧困層を巻き込みながら、彼らのニーズや優先順位を知ることができるアプローチを“ボ トムアップ”アプローチと呼ぶが、貧困層への到達度を重視する参加型アプローチもまた、 ボトムアップアプローチの一つであるということができる。世界銀行は、参加型開発アプ ローチにおいて忘れてはならないことは“貧困層から学び、貧困層と共に協力すること” であるとしている。貧困層を開発への参加に引き込むことで、援助側もそこから学んでい ることの意識を持つことが重要であるということである。つまり参加型アプローチは、政 策決定などの外に置かれていた開発受益者が、自らの開発意欲や決定能力・キャパシティ ーを行使する権利を認められるという面と、開発援助側が正しいニーズやキャパシティー を理解し、適切なインプットができるという面の双方において効果的なのである。世界銀 行は、貧困層のキャパシティーが理解されることは、彼らの声に耳が傾けられるようにな った証拠であるとしている。 (3)未だ学習されるべき課題 世界銀行は全ての参加型アプローチにおける開発政策の計画に理想的なモデルを提供す ることはできないとしている。つまり、参加型アプローチの完璧なモデルはないというこ とである。なぜなら参加型アプローチの形成は、社会の環境や独自性といった多様化する ニーズに強く影響を受けるものであり、参加型アプローチはその多様性に柔軟に応えてい くべきものだからである。 途上国の開発における参加型アプローチの研究は、今もなお取り組まれている。世界銀 行は、この研究は様々な開発セクターにおける課題を一つずつ克服していくのに役に立つ だろうとしている。 4. 世界銀行の教育セクターにおける参加型開発アプローチ 以上は世界銀行の参加型開発に関する政策的な取り組みを分析したが、4 では世界銀行 の教育セクターにおける参加型開発アプローチの優位点とその問題点、またその成功条件 を紹介したい。以下の(1)-(3)は『The World Bank Participation Sourcebook』の中の 「Working Paper Summaries: Participation in the Education and Training Sector」から、(4)は 同書の「Sharing Experiences-Examples of Participatory Approaches: Chad」から引用し、分析 を試みたものである。 (1) 参加型開発アプローチの優位点 教育セクターにおける参加型開発アプローチは、特に発展途上国において効果的とされ る。なぜなら、社会的弱者のケイパビリティーを保護し地域のキャパシティーを尊重しな がら開発を促進できるアプローチだからである。さらに教育セクターにおける開発事業の 質も、政府や教師・地域コミュニティーや両親などといった学生を取り巻く環境にいる人々、 5 もしくは学生自身の「参加」によって大幅に改善されるという。 世界銀行は、教育セクターにおける参加型アプローチについて、具体的に以下の 5 つの 点で有益であるとしている。 ①教育の質の改善 教育における参加型開発アプローチは、教育の質の改善に有益である。特に基礎教育に おける質の改善には家族や地域コミュニティーなど、生徒を取り巻く人々の参加が最も大 きな効果をもたらすという。人々の参加は教材・カリキュラム・教育制度などを地域に根 ざした教育資材へ改善できるばかりでなく、教師や学生自身の出席率の向上・中退・落第 率の減少やスコアの向上など、教育の意識上の変革にも重要な役割を果たすことが期待で きるからである。 高等教育や職業教育においても同様に、参加型開発アプローチは住民のニーズにあった 教育プログラムを立案・監督できるから、地域の雇用機会の拡大や社会のコミュニティー 作りに貢献すると考えられる。つまり参加型発アプローチは、人々の真のニーズを理解す るという過程を通して開発の適切性・有益性・持続性を保障し、同時に教育の質も向上さ せる。 ②オーナーシップと合意 社会的・政治的・文化的分野と同様に教育分野においても、利益集団間の争いに対処す るためには、受益者は政治的な政策対話に関わっていく必要がある。それは全ての集団か らの理解と支持を受けることでもある。政策の見直しは、教育専門家が多様な階層からの 重要な情報や新たな社会的視点を引き出す場合もある。 ③社会的弱者への到達度 参加型アプローチは、開発の重要な政策決定に参加できなかった周辺の人々、つまり社 会的弱者を巻き込む開発アプローチである。教育分野における社会的弱者は多くの場合、 貧困層や女性を指すが、彼らが教育開発に参加する姿勢を促進することが参加型アプロー チの意図である。特に貧困層への教育機会の拡充や女子教育を促進してきたのは、コミュ ニティーベースの援助活動を行ってきた NGO であり、彼らが参加型開発アプローチを採 用してきた点は評価すべきである。 ④財源の柔軟性 教育における参加型開発アプローチの費用負担は複雑である。中央政府の影響力が及ば ない遠隔地では、財源や学校建設の労働力などという一般コミュニティーの参加が開発へ の成功を生むからである。つまり、住民や一般コミュニティーの参加は、制度・政策づく りから学校運営、さらには財源づくりに貢献する。財源への参加は、効果的学校づくりへ のインセンティブを促すものにもなる。 ⑤キャパシティーの尊重 6 教育分野における受益者の参加は、キャパシティーの尊重を強化することによって長期 的な利益、すなわち持続可能な効果をもたらすことができるとしている。参加型開発のプ ロセスは、個人に対するエンパワーメントを促進させ、広範な開発プロセスに貢献する可 能性を高めるという。しかしながら、このような有益性は測定するのが困難である点であ るから、多くのプロジェクト分析によって推論されるべきである。 (2)参加型アプローチの問題点 世界銀行は参加型アプローチの遂行過程において、その費用と危険性の問題点を認識す る必要があるとしている。 ①費用 参加型アプローチは、社会調査やコミュニティーの活動・ワークショップなどの活動が 主であるため、費用が高くかかるという。例えば貧しいコミュニティーでは、学校建設の 費用負担が大きく、個人やコミュニティーで賄える範囲を越えることもあるという。よっ て個人やコミュニティーの費用負担の限度を見積もることは、参加型アプローチの前提と なる。 ②危険性 また参加型アプローチは、プロジェクトリーダーのカリスマ性を減少させる可能性があ るばかりか、個人や地元のエリート層、利益集団による基金の乱用といった危険性ある。 また住民参加のプロセスにおいて、予想しないような社会混乱や政治的闘争など危険性も 否定できない。 このような費用と危険性があるにもかかわらず、参加型プロジェクトの危険性は従来の トップダウン型の教育プロジェクトの危険性よりもずっと軽視されてきた点は認識してお くべきである。 (3)参加型アプローチの成功条件 世界銀行は、教育セクターにおける参加型開発アプローチの成功にあたって、重視すべ き条件として、政治的意志/制度/情報と対話であるとしている。開発専門家はプロジェ クトの成功にむけて以下の点を考慮すべきであるとしている。 ・ 早期の受益者分析と調査 ・ 受益者間の対話と情報交換 ・ 基金・時間調整・計画規模の柔軟性 ・ 制度の強化 ・ モニタリングと評価/アカウンタビリティーの適切なシステム (4)参加型開発アプローチの事例-チャドの教育事例より- ①背景 チャドの教育に対する意識はもとより高く、教育に対する地域の貢献も古くから積極的 に行われていた。特に、1979 年から 82 年の戦争において破壊された教育システムの回復 7 にも、地域コミュニティーの貢献は大きかった。一方、1990 年 12 月の国家混乱はチャド の教育省にも大きなダメージを与え、国内の学校事業もその被害を蒙った。それまで教育 省により保管されていたチャドの教育に関わる全てのファイルや記録が、その混乱によっ て奪われたからである。国家混乱によって破壊された教育システムを作り直すため、チャ ド政府は 1990 年から 2000 年にかけて教育政策の充実をはかった。1991 年にはチャド政府 が世界銀行を始めとする援助機関に支援を求めたのである。 当初よりチャド政府は、地域の人々を巻き込み、地域のニーズを尊重した新たな教育プ ロジェクトを用意しており、政府局職員と市民による地域レベル・国家レベルの話合いの 場も積極的に設けていた。チャドの教育支援を依頼された世界銀行は、チャドの中央政府 と協力し合いながら教育プロジェクト計画を立案することになった。 ②参加型アプローチを用いたプロジェクト計画 世界銀行は参加型アプローチの方法として、ドイツの援助団体の志向を起源とする“目 的達成型プロジェクト計画(Objectives-oriented project planning:OOPP)”をプロジェクト の手本として採用した。OOPP のようなプロジェクトは世界銀行では新しい試みであった 為、計画当初はまず世界銀行内において OOPP の有益性を十分に説明する必要があった【組 織内部理解】 。 プロジェクト作りの第一段階としては、受益者のニーズを十分に調査・理解しておく必 要がある。世界銀行はチャドの公政府のニーズでなく、実際に支援を必要とする人々;ジ ェンダー、民族、社会的差別などの問題を抱える人々のニーズを把握することを試みたと している【ニーズ理解】 。また、チャド政府によって開かれた中央政府の公職員・学校監査 員・学校管理者や教師・地域の学校団体のメンバーや NGO・女性グループによって構成さ れた地域会議では、世界銀行とチャドの地域レベルとの親密な協力関係が必要であること も確認されたという【連携理解】。 以上のような【組織内部理解】、 【ニーズ理解】、【連携理解】の過程を事前に経て、世界 銀行はいよいよプロジェクトの具体的な話し合いを国家間レベルで行った。この国家 OOPP 会議において世界銀行は、プロジェクト計画までのプロセスを以下のように順序立 てている。 z ニーズの把握:会議に参加する一人一人に従来の教育システムの問題点や要望を聞く など、教育に対する意識調査や分析を行った。 z ニーズついての十分な議論:1 で列挙された問題点や要望について話し合った。 z プロジェクトの目標決め:2 の議論を体系化してプロジェクト目標を設定した。チャ ドの場合は、地方分権の強化(地域コミュニティーが学校事業に責任を持つというこ と)が目標として決定付けられた。したがって、中央政府はその財政的・技術的な支 援を担うものとの認識に達した。 z プロジェクトの遂行方法についての議論:3 の決定目標をどのように成し遂げるかに ついて話し合われた。また世界銀行はその遂行過程にどんな役割を果たすのか話し合 われた。 z フレームワーク作り:4 の議論をもとにプロジェクトのロジカル・フレームワークを 作りが行われた。5 の段階では「参加型アプローチは小さなグループを越え、お互い 8 の協力をもってあらゆる目標を達成することである。世界銀行もまた、いくつかの小 さなグループの一つである。」との認識が確認された。 このような過程を経て、世界銀行はチャドの教育プロジェクトに対し、クラス建設や修 復/教科書や教授法資料の配布/教師訓練の改善/学校経営と管理の強化/女子教育の見 直し/私立校の教育方法の改善/父母会のキャパシティー強化/教育省の強化という支援 を行うこととしたのである。 ③プロジェクト考察 参加型アプローチを用いた目標達成へのプロセスは、地域レベル・援助ドナー・国レベ ルが“彼ら自身”でできることを模索・遂行することを導く。教育分野における参加型ア プローチはもし政府や地域レベル間の綿密な連携さえあれば、世界銀行の枠内でも十分に 関与できる開発アプローチであることをこのチャドの事例は証明しているといえる。開発 の受益者も参加者である一方、 “彼ら”のプロジェクトに関わる世界銀行もまた、その一部 として参加するという認識が必要である。 5. 教育セクターにおける参加型開発の優位点とその限界 3、4 の世界銀行の開発政策分析から得られた知見から、5 では教育セクターにおける参加 型開発の優位点とその限界を考察したい。 (1) 教育セクターにおける参加型開発の優位点とその限界 世界銀行も挙げているように、参加型開発は開発手段の一つではなく、プロジェクトの 進行過程におけるスタンスである。参加によって人間重視の考え方を取り入れようとする スタンスは、人々のニーズの多様化・ケイパビリティーやキャパシティーの尊重などが叫 ばれる今日の開発援助において、ますます重要視されるようになってきた。ではなぜ参加 型開発が教育セクターの開発援助において重要視され、今後もますます学習されるべき課 題の一つとして挙げられるのであろうか。この問いに答えるものとして、世界銀行のレポ ート分析より導いた参加型開発の優位点を以下にあげたい。 z 効率性:参加者のニーズを知ることは、誤解や意見の不一致を埋めることができるか ら、その費用・時間の労費が少なくてすむと考えられる。つまり労力・費用・時間を 最小限に抑えながら、開発の高い効果を生むことが期待できる点が優れていると考え る。オークレーは、 「参加によって、開発プロジェクトに提供される資源がより効率的 に用いられる可能性が高まる」と明確に提示している 7 。 z 持続性:人々のケイパビリティーに配慮した開発目標やそのプロセスは、参加者のキ ャパシティーに合わせて作られたものであるはずだから、そのプロジェクトが早期に 実行可能なばかりでなく、将来への持続性を持っている点が優れている。オークレー は、参加は「民がプロジェクトの原動力を維持するという点で」、 「解毒剤」8 であると し、その継続効果を指摘している。 z 柔軟性:生徒を取り巻く人々の参加を促すことは、教育事業の財源やコミュニティー 9 範囲を広げるという意味で柔軟であるとする。また、従来まで開発の周辺にいた社会 的弱者の参加を促すことは、ニーズの多様性を知ることでもあるから、多様なニーズ に応えるための柔軟な開発アプローチを模索できる点で優れていると考える。 z 独自性:参加型開発アプローチは個人やコミュニティーを主体とし、彼ら自らが教育 の開発目標やプロジェクト計画を決定できるため、独自の政治・文化・民族・宗教面 を尊重できるという点で優れていると考える。 z 依存性:他者とのコミットメントを重視する参加型アプローチは、プロジェクトの遂 行過程において、政府などとの縦のつながりや学校間などの横のつながりを学習し、 お互いに協力し合う依存関係を築くことができる点で優れていると考える。 z 公平性:従来まで開発の周辺にいた社会的弱者の参加を促すことができる参加型開発 アプローチは、住民としての個人に貧困・民族・制度的差別なく公正に政策の決定権 や機会を与えることができる点で優れていると考える。 以上、参加型開発の優位点を列挙した。しかしながらそれは、開発のスタンスとしての 優位点であって、人々の「参加」の実現がその開発プロジェクトを必ず成功に導くとは限 らない。そこに参加型アプローチの実践における限界が見えてくる。4 の(2)では、世 界銀行は教育セクターにおける参加型の問題点として費用と危険性を挙げているが、ここ では費用と危険性の背景となる参加型アプローチの問題点を行政的問題と社会的問題とい う側面から考察する。また実践における参加型アプローチの限界を知ることは、その効率 性にも貢献すると考える。 z 行政的問題:政治環境は国家の開発事業に大きな影響を及ぼすものである。すべての 政治的イデオロギーが教育政策に意欲的で、参加型開発の理念を受け入れるものであ るとは考えにくい。特に中央集権的な政治的体制を強いている国家では地方の行政メ カニズムが弱く、名目上の住民参加プロジェクトが受け入れられたとしても、住民の 公平な参加は実行される場合が少ない。つまり、参加型開発の実践段階において、政 治的な権利や制度が乱用される場合がるという問題点を考慮しておく必要がある。 z 社会的問題:伝統的に根付いている価値観は、参加型開発を実践する際には大きな壁 になると考えられる。例えば、彼らの生活のなかに歴史的に深く染み込んだ従属の精 神構造があげられる 9 。つまり、村落の貧困者は決定や主導を彼らの「指導者」に委ね るように慣らされているということである。経験不足による指導力やプロジェクト推 進力の欠如は、参加の要請にほとんどの住民が応えられないことを意味している。彼 らにとっては、より良い生活を望む意識より、今を生きていくことの方が重要であり、 彼らが教育開発に参加することのインセンティブを自ら見つけていくことは容易なこ とではないと想像できる。このような住民の価値観などの社会的問題を、開発促進側 は確認しておく必要があるだろう。 (2) 参加型開発の批判的議論 参加型開発はその優位点の広さから肯定的な議論が行われる場合が多いが、一方で批判 的な議論が全くないわけではない。 まず、参加型開発も単なる「開発援助業界」のスローガンにすぎないとされる場合があ 10 る 10 。参加型開発の歴史を見ても、そのアプローチが先進諸国を中心とする国際機関によ って発展してきた概念であることは間違いない。よって、開発を批判的に捉える立場から すれば、援助側が自己を正当化するものとして発展させた概念にすぎないと批判されるの である。 またアプトフは「擬似的な参加」という言葉を用いて、多くのプロジェクトにおける参 加は現実というよりも幻想であると批判した 11 。つまり参加は援助側による口先だけのア プローチであって、実践な現場ではほとんどの責任を政府が負うという従来までの開発ア プローチと何ら変わりがないというのである。 また一部の研究者の間では、参加に向けての議論を「大衆的な流行好き」 12 として片付 ける傾向もあるという。参加型開発アプローチが今後の開発にいかに貢献するかを考える 上でこのような批判的議論に耳を傾け、これらの批判にどう応えていくのか模索していく 必要があると考える。 6. おわりに 世界銀行の教育セクターにおける開発協力は、世界銀行がユネスコ・ユニセフ・UNDP と 共に 1990 年のジョムティエンでの「万人のための教育世界会議」を開催したことを契機と (EES, Education して積極的に取り組まれてきた 13 。1999 年には『世界銀行の教育開発戦略』 Sector Strategy)を発表し、教育セクター援助についてのグローバルな指針を築いた。 開発における参加型開発アプローチもまた 90 年代に入って注目されるようになった開 発アプローチであり、世界銀行が従来までの開発アプローチの殻を破って、このような新 しい開発アプローチに取り組んできたことは評価されるべきである。 しかし参加型開発のアプローチ事態には、未だ様々な課題が残っている。そもそも参加 型開発をどのように定義するのかが明確に示されていないため、参加という言葉だけが先 走りしてしまうなどの点である。また開発に関わる人をどのように定義するのか、つまり 開発の主体は誰であり、開発援助側の位置付けはどこに置かれるのかもあやふやなままで ある。いかにすれば開発専門家の影響力を維持しつつ、開発の目指すところの社会的弱者 の参加を促進できるのか、という議論がされなければならないだろう。開発の核心として 評される教育は、以上のような開発の課題にどのように取り組んでいくかを模索していく ことができる主要なセクターであると考える。 <注記> 1 Schumacher,1973,p141. 江原、2001、p1. 3 国際協力機構、2003、p149. 4 ベーシック・ヒューマン・ニーズの定義・・・「『一家族の私的消費のために最低限必要な一定量-適当な 食糧、住居、衣服、および家計に必要な一定設備・家具』と『一般的に社会により、また社会のために提 2 11 供される基本的サービス-飲料水、衛生、公共輸送、保健、教育・文化設備』」(西川、1997) パウロ・フレイレ、2001。 6 ロバート・チェンバース、2000。 7 ピーター・オークレー、1999、P29. 8 同上、p30. 9 ピーター・オークレー、1993、p25. 10 斎藤文彦、2002。 11 Uphoff、1986. 12 ピーター・オークレー、1993、p27. 13 斎藤泰雄、「世界銀行と発展途上国への教育協力」、『開発と教育』2002 年 5 <参考文献> 黒田一雄、2001、 「教育開発戦略の行方-世界銀行とユニセフの政策報告書の比較から」、江原裕美編、 『開 発と教育-国際協力と子どもたちの未来』、新評論、287-300 頁。 国際協力機構国際協力研修所、2003、 「援助の潮流がわかる本-今、援助で何が焦点となっているか」、国 際協力出版社。 斎藤文彦、2003、「参加型開発-貧しい人々が主役となる開発へ向けて」、日本評論社。 斎藤泰雄、2001、「世界銀行と発展途上国への教育協力」 、江原裕美編、 『開発と教育-国際協力と子ども たちの未来』、新評論、121-138 頁。 佐藤寛、1994、「経済協力シリーズ第 172 号 援助の社会的影響」、アジア経済研究所。 パウロ・フレイレ、2001、「希望の教育学」、里見実訳、太郎次郎社。 ピーター・オークレー、1993、 「国際開発論入門-住民参加による開発の理論と実践」、勝間靖・斎藤千佳 訳、地書館。 ロバート・チェンバース、2000、 「参加型開発と国際協力―変わるのはわたしたち」、白鳥 清志・ 野田 直 人訳、明石ライブラリー。 12
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