新・百物語 その八十・八十一「長雨の怪の話」

新・百物語
その八十・八十一「長雨の怪の話」
畠山
拓
雨男、雨女、という言い方があるが、百物語では雨降りに現われる妖怪の話
だ。
長雨が続く。古い家に湿気がたまり、雨女が現われる。姿がはっきりしないの
で、女というのも変だが。
寝ている枕もとに来て、息のあいまに、体に忍び込む。風邪をひくこともあ
り、一度に吸い込むと、命を落とす事もある。
雨男の話もある。
雨の夜道、亡くなった、父母や、子供の面影を思い出したりして歩く。傘の
中にふいと入ってくる。見ると、今思っていた人の顔がある。
「そのまま、傘を預けて、もと来た道を引き返すと良い」
「引き返さなかったら、どうなる」
たぶんあの世に連れて行かれると思う。
私は雨が嫌いだ。雨の朝は、窓を閉めていても、雨音がしなくても、雨だな、
と分る。何となく体がだるく、眠り足りない感じがする。
一日中頭が重く、何かをするという気が起こらない。
心理学の解説書を読むと「季節性の鬱病」と言うものがあるらしい。気候が
精神疾患の原因という説である。私は肯定する。季節・気候により人間の心理
が左右される。
雨の記憶は大抵、楽しいものではない。童謡のようには行かない。
私の子供の頃、雨の思い出は、家の前の谷川が増水して、田んぼに水が入り、
どんどん膨らんでいった事だ。家の者達は騒いでいたが、私は家が流される事
を期待した。家がふかふかと水に浮いて、谷をとおり、町をとおり、海まで流
される。新しい世界が開けるのだ。あれだけは楽しかった。
青年の頃、雨の思い出は映画「シェルブールの雨傘」だ。その頃私は恋をし
ていた。幼い私の分別から、恋人を失ってしまった。
後悔しているわけではないが、私はどうすべきだったか分らない。人の人生
は少しの事でも変わるのだろう。少しの雨でも。
雨と妖怪は似合っている。雨の日が嫌いな人のほうが、多いだろう。陰気、薄
暗、じめじめしている。
雨が嫌われる条件は揃っている。
「やらずの、雨」と、も言うが、特別な情況の事だ。
雨の話が、何処かに流れそうだ。水に流そうよ。