海外研修報告 - 土木工学専攻

海外研修報告
土木・環境工学科 3年 金森 一樹
1.はじめに
2012 年 9 月の約 3 週間,土木・環境工学科の海外体験研修制度を利用し
て,私はトルコとギリシャを周遊した.具体的に訪れたのは図 1 の赤点に
ある場所である.イスタンブールから今回の周遊を開始し,バス,フェリ
ー,鉄道を利用しながら各都市を訪れ,アテネを最終目的地とした.
高校で学んだ世界史の中では,ギリシャ世界はかつて繁栄を極め,はじ
めて民主主義という考え方を生み出し,西洋文明の源となったと説明され
ていた.今回ギリシャが目的地の 1 つなってい
るのは,私は世界史の中でそれを学んだ頃から
いつかは訪れてみたいと考えていたことが一番
の大きな理由である.また,周知のとおりギリ
シャは深刻な財政問題に直面しており,デモや
ストライキの様子が日本でもニュースとして取
り上げられる.特に今年に入ってからは,ユー
ロからの離脱もあるではないかという懸念も出
てきていた.このような状況から友人にギリシ
ャに行くといった時に,ギリシャって今大丈夫
なのかという反応を示した.私もギリシャはど
うなっているのだろうかと若干の不安を感じて
図1
訪問都市
いたが,その反面,自分の目で確かめてみたい
という興味も湧いていた.このような好奇心からも今回ぜひ訪れてみたいと思った.
また,トルコにも訪れたのはギリシャとトルコが地理的に近いということも理由の 1 つである.
この他にも,トルコはかつてオスマン帝国としてギリシャを支配し,そこから多くの歴史的遺産
を持ち出し,現在でもそれらがトルコに保管されているという経緯から,ギリシャについてより
深く知るためにもトルコを訪れることした.また,トルコは昨年の専攻・学科だよりでも OB の
方が紹介されていたボスポラス海峡横断鉄道トンネルなどのインフラ整備が進行し,経済成長も
著しく,ギリシャと比較して見てみるのもよいではないかと感じたからである.
このような理由からトルコ,ギリシャの両国を 3 週間かけて周遊した.紙面の都合上,主に印
象に残った経験や体験を述べていく.
2.トルコ
2.1 イスタンブール,マルマリス
今回の周遊ではギリシャをメインに見ることを考えていたので,時間的にトルコはイスタンブ
ールを中心に見た.イスタンブールというとアヤソフィア,ブルーモスクやトプカプ宮殿が有名
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どころであり,私ももちろん訪れたが,一番私が印象に残っているのはエジプシャンバザール周
辺の問屋などの商店の活気であった(写真 1).トルコはアジアとヨーロッパの結節点に位置するの
で,地域的な括りも中東を含めたアジアとして出てきたり,ヨーロッパの方で出てきたりもする.
しかし,これら商店の活気を見ると,ここは完全にヨーロッパではなくアジア的な活気に満ち溢
れていたと感じた.街で見かける若いトルコ人は流行なのか,皆 TOMMY HILFIGER のポロシャ
ツを着ていると思っていたが,商店ではこのポロシャツをはじめ,大量の偽ブランドのシャツ,
靴,バック,時計などが販売されていた.またエジプシャンバザールでは日本人だからとって声
をかけてくる人も多かったが,一歩その雑踏の中に入ってしまえば,皆商品を選んだり売ったり
するのに真剣そのものであり,一切声をかけてくる人もいなかった.観光地されていると感じた
イスタンブールであるが,ここではトルコ人本来の活気を感じることができた.
イスタンブールの他には,ロドス島へのフェリーが出ているマルマリスという港町も訪れた(写
真 2).マルマリスはリゾート地であるらしく街の雰囲気もイスタンブールに比べてのどかであっ
た.欧米系の観光者が多く,特にレストランやお土産物屋さんの看板を見てみると,トルコリラ
の横にイギリスのポンドで値段が書かれており,イギリス人の向けのリゾート地であることが何
となく感じられた.
写真 1
商店の様子
写真 2
マルマリス
2.2 イスタンブール~マルマリスの移動について
マルマリスへはイスタンブールからバスで 13 時間以上かけての移動であったが,トルコの長距
離バスは清潔で車内サービスが充実しているとネットなどで書いてあるように,バスではアイス,
チャイ,おかしなどが出てきた他,航空機のように各座席に TV がついており,車内環境につい
ては日本の高速バスよりも快適であった.しかし,バス乗り場のおじさんは遅れるのは当たり前
だと言っていたが,バスは定時から 2 時間近く遅れての出発で,本来なら後発の出発時刻でもお
かしくないなど,日本との時間に対する違いを実感した.
3.ギリシャ
3.1 ロドス島
旧市街の街すべてが世界遺産に登録され,多くの観光客がバカンスにやってくるギリシャ屈指
の観光地である.もちろん街中を見て回ったが,ここではそれ以外に印象深い体験をした.都市
の海沿いにはリゾートホテルが並んでいるが,学生の自分が泊まれるようなユースホステルを探
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しているときに,たまたま私と同じようにユースホステルを
探していたトルコ人と一緒に部屋をシェアすることになっ
た.年齢的には中年ぐらいであったが,政治史を研究してい
る先生で,今は本の執筆中ということであった.驚くべきこ
とは,このトルコの人は今までに 82 か国も訪れたことがあ
り,日本を含めた東アジアや東南アジアにはまだいったこと
が無いものの,全世界 200 ヵ国以上に訪れることが目標で
あると熱心に語っていたことである.まだ 10 か国も訪れた
写真 3
中世の街並みの残る旧市街
ことが無く,そのような目標も考えたことのない自分としては,82 か国という数字,そしてこの
ような目標を真剣に考えている人がいるということにただ圧倒されるばかりであった.
この他にも,トルコ人の 99%はイスラム教徒ということで,このトルコの人もその例外ではな
く 1 日 5 回のお祈りは欠かしていなかった.私が起きる前や寝た後にも,きっちりとお祈りを行
っており,思いがけずギリシャでイスラム文化に触れることができた.
3.2 アテネ
私が今回の周遊の中で一番訪れたかったのがこのアテネである.パルテノン神殿をはじめとし
た数々の遺跡や考古学博物館において,かつて世界史の教科書で出てきたものを実際にこの目で
見ることができ,このような研修に応募して良かったと実感した.しかし,その遺跡なのだが,
まさかのストライキにより入場ができない日があった.写真 4 はパルテノン神殿があるアクロポ
リスに行こうとした時に入口にあった張り紙だが,ゼネストによりアテネ市内にある遺跡すべて
が閉鎖されていた.ギリシャではストライキが多いと聞いていたが,私が滞在していた間に,こ
の大規模なゼネストと地下鉄の 24 時間ストを経験した.それでも,やはり観光がメインの産業で
あることから,本来なら入場料がかかるものの,ちゃんと次の日には無料で開放されるという配
慮がなされていた.また,デモの際には警官隊とデモ隊の小競合いの様子がニュースになる国会
議事堂前でも,普段は観光客のためにギリシャ伝統の衣装をまとった衛兵と一緒に写真が撮れ,
観光客に対するサービスの良さは,さすが観光が産業の中心の国だと感心してしまった.
写真 4
ストライキの告知
写真 5
国会議事堂
(衛兵と写真を撮るために集まった観光客)
3.3 クレタ島~アテネの移動について
ロドス島~クレタ島,クレタ島~アテネについてはフェリーを利用して移動した.ロドス島~
クレタ島は 14 時間ほど移動だったので 1 部屋に 4 ベッド付のチケットを購入した.しかし,クレ
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タ島~アテネは 9 時間ということで,安く上げるためにも座席だけでも大丈夫だろうと思い,ベ
ッド付ではなく座席だけのチケットを購入した.首都アテネを結ぶ航路だけあってフェリーの内
装もきれいに整っており良かったが,乗ってしばらくしていると警察官が数多くこの船に乗って
いることに気付いた.やがて,警察官 3,4 人に囲まれて手錠を付けた人が私のいた大部屋を通り
抜けて行った.その時には,ただ無賃で乗船したのがばれたのかとだけ思っていたが,その後も
何度かそのような光景を目にし,さすがに不安に感じ始めていた.そこで,警察官らが出てくる
部屋を何気なく見に行ってみると,そこにはなんと手錠に繋がれた人々が大勢座っており,その
数はざっと見ただけで 10 人単位の数であった.このように民間のフェリーで護送されるという日
本ではまず目にできないであろう体験をできたという意味でこのフェリーでの移動は貴重な体験
となった.
4.総括
以上まで述べてきたことは,今回の周遊の中で経験したことの一部であり,それらをつなぎ合
わせたためにまとまりのないものになってしまったが,この他にも忘れられない体験を数多くし
た.はじめに述べたように,ギリシャは財政危機にあり訪れるには大丈夫なのかと感じていたが,
実際に訪れてみて,ストライキはあったものの空や海は青く,遺跡など見て回ったりするに最上
の国であった.また,今回最初に訪れたトルコのイスタンブールはギリシャの首都アテネと比べ
ても非常に活気に溢れる街であった.そして今回の研修を総括するならば,小アジアで生まれた
鉄,インド・中国・日本にまで影響を与えたギリシャ美術様式などの技術や文化が相当な時間を
要して,ユーラシア大陸の端に位置する日本に伝来してきたという壮大さを一番感じた研修であ
った.ジャレド・ダイヤモンドの「銃・病原菌・鉄」の中で,南北方向への文化の伝来よりも東
西方向の方では気候的制約が少ないため文化の伝来が速かったという旨のことが書いてあり,私
の中ではこれがとても印象的に残っている.気候的制約が東西方向には少なかったとはいうもの
の,インターネットを介せばすぐに世界中の情報・状況が伝わる現代に比べれば,地中海や小ア
ジアで生まれた文化・技術が相当な月日を費やして,今住んでいる日本まで伝わってきたのだと
いうことを,遺跡や発掘物を見ているときに感じずにはいられなかった.
また,英語力の向上が海外体験研修制度の創設の目的にあるように,周遊期間中には英語を積
極的に使うように心がけた.その結果,Speaking の力が弱いというのを改めて実感した.昨年も
今回と同様の制度で海外を訪れた先輩の報告書でも,この点が指摘されていたが,私もこの力が
非常に弱かったと感じた.相手の言っていることは分かるのだが,どうしてもそれに返す言葉が
瞬間的に出てこず,自分が伝えたくてもそれをうまく言葉にできないもどかしさというのを常に
会話中に感じた.大学に入るまでの英語といえば,Reading,Writing,Listening が主なところで,
そのつけが今になって効いていると痛感したので,これを集中的に鍛え直して,ぜひまた海外に
いってみたいと思う.
最後になりましたが,今回の研修制度を利用するにあたっての補助を提供していただいた土木
工学科同窓会「丘友」の皆様には大変感謝しております.この制度を利用したことで,数多くの
貴重な体験を積むことができました.本当にありがとうございました.
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