どうぞ で しょう 。 。 御詠歌は真 言宗 の金 剛流で、最 後は必ず南無大師遍照金剛でした そ の頃鎌倉に大変御詠歌の素晴らしいお 寺の奥様がおられるとの評判が、我が金沢 にも流れ、 一度鎌 倉 に有志で行 って みよう 若くて美しいお 寺 の奥様の鈴を鳴 。 結果、 是 非御教授をお願 らすような 声 量に人々は圧倒され、感銘を 受 けたそう です 講の皆様には 行く末も案じられた時代に、永代名誉 総師 年を迎えます 流派という意味合い で いえばどうかな、 ました され、 それから何回も通 って御指導を 受 け いしたい旨を、申し上げたところ快く了承 平成二十八年 範をお勤めになられた報国寺 寺 庭の菅原久 とも思いますが、いいものはいいという進 まだ我が日本が戦いに敗れ、 丙申の年をお 子先生が、御住職の義道和尚とともに、荒 。 健やかに迎え 取の精神が 当時の御詠歌の人々の心に宿 ご b の fこユ っ 廃した人心を清めようと御詠歌の研績に努 そ してまた久子先生の 御詠歌に、今ま で にない新しい時代の到来 。 られたことと 昭和三十年頃と思いますが、 て いたのでしょう 。 ザ日 。 。 教え 今 年一年の皆様のご健勝を も 立派、教え ら れた講中の人 々 ったのではないでしょうか を感じ取 "ν 横浜市 金 沢区 ) でも御詠 伝憶 統し 的て ない ・ か 私の寺 ( 長昌寺 ております 。 。 ということに話がまとまり、報国寺を訪ね 。 。 が殆どありませんので、 臨済宗 ill長守派 ました 鎌倉市 1 11 ノ 内 八番地 皆様にご迷惑をおかけし • さて鎌倉流の詠歌講は本年 で創流六十五 よろしくお願い申し上げます ないよう精進努力いたす所存です 平成-一十八年を迎えて 宗務総長石津彰文 干 24 7-8525 められたのが、鎌倉流の原点であると伺 っ 鎌倉流詠歌 詠歌講 fr 管長祝下の補佐として建長寺の屋台骨を支 玄 i民 た久子先 生 私は昨年十二月に、十二年間にわたって 。 鎌倉流 f丁に 歌講や念仏講が盛んで、大きな数珠を皆さ 尊いことです 。 . n 。 えられ、諸伽藍や境内外の整備に力を発揮 の記 も立派、 いつの世にもチャレンジする心は 地心 域に された前宗務総長官向井正俊師の後任として、 んで念仏を唱えながら回しているのを子供 切に願います 羊 .,>u. 拝察申し上げます 題字吉田正道老師 牢 し 。 事す と 総長に着任いたしました 大変光栄とは思 いますが、高井師とは違い本山の勤務経験 行ま 第37号 ヱド成 28年 2 月 1 5 日 詠歌講たよ り 祈体制役員図 詠歌講たより 第37 ~). 鎌倉氏泳教講 支部長 ・ 鎌倉地区 ( 5 支部) 長 田寺 豊長かよ子 千葉春道 報国寺 菅原義久 向陽院 消徳寺 独園寺 満願寺 山ノ内 森恭子 Ili長尾喬山 永井朱美 荒井久二子 法伝寺 内藤ふで予 報本寺 富永則子 多摩東地区 ( 6 支部) 南養寺 佐伯富美子 津久井地区 ( 9 支部) 流泉寺 伊藤秀子 中野祥泉寺 天利品紀 大正寺 安藤良道 清雲寺 北僚友利 子 fPi有;i寺 稲正寺 永福寺 玉体寺 白川牧子 鈴木夏代 鈴木美枝子 伊藤秀子 宝福寺 福王寺 石川崎子 瀧口政恵 湘南寺 来迎寺 長福寺 長成寺 栃木地区 ( 東光寺 山田 文央 北僚友利子 安藤やよ 藤井弘範 3 支部) 伊東桃禅 桐生束禅寺 菅原ー真由美 多摩西地区 ( 12支部) 明光寺 津村蔦子 宗建寺 棚橋宗親 (活動休止} 玉泉寺 北村と もみ 宗禅寺 禅林寺 高井淑子 岡崎容子 地蔵院 棲梧昭子 珠陽院 生 田 恵稔 (活動休止) 千手院 服部幸子 埼玉地区 ( 3 支部) 正法寺 岩 田秀子 東禅寺 稲生院 滝本洋子 野本幸靖 勝音寺 稲徳寺 奥田弘子 能満寺 伊藤美恵子 南光寺 長尾艶子 (活動休止) 岩 田智道 金錫寺 山本美和子 山梨地区 ( 8 支部) 円福寺 峨 l昭子 全昌寺 佐藤和子 小田原地区 ( 7 支部) 耕雲寺 長谷川節子 (活硲休止) 清雲寺 北傍蓮代 西光寺 福泉寺 能満寺 小揮妙子 佐藤善子 能満寺 松本克代 (活動休止) 了義寺 武山 景子 小滞純子 福 昌寺 光禅寺 威光寺 安藤公子 小津妙子 小津妙子 法輪寺 長泉寺 一徳寺 本場 由衣 山田 恭子 山田恭子 川崎地区 ( 5 支部) 茨城地区 ( 2 支部) 長松寺仰心会村田寛子 向上庵 三 ツ井辰円 安楽寺 三 ツ井候江 伊豆地区 ( 7 支部) 宇久須 ・ 明泉寺 村松可郷 今井浜 ・ 真乗寺 村松弘康 青龍寺 外岡ななゑ 玉林寺 大塚喜美代 潮音寺 壁敏枝 香林寺 岡本京子 i原正寺 永井千澄 開設予定支部 東光禅寺 小津昌 弘 [ 臨済宗建長寺派大本山建長寺 > (2016 年 l n 現花 敬称略順不同 ) 管 長 ・ 吉田正道老 師 宗務総長 ・ 石津彰文 教学部長 ・ 長尾宏道 総 監 ・ 山本 莞 山 ο 参与 ・ 佐伯啓史 /伊藤秀子 /滝本洋子 総師範 ・ |犠 l昭 子 副総監 ・ 森裕行 /村松弘康/村松可郷 副総ん 北村ともみ/小津妙子/高井淑子 詠導師 ・ 森 裕行/松本隆行/本場文竜/天利品紀 瀧口全英/野呂真格/佐伯啓史/大井博文 永井宗明 /村田 靖哲/大塚高道/鈴木康文 岩田智道/ 山 本莞 山 /蟻英訓 /伊東光禅 天利保永/巌省山 /村松可郷/堤正恋 村松弘康 │ │ │ 諒導師補 小i華大吾/川野泰周/綾部慈徳/安藤良道 佐伯貴元/前川宗玄/巌崎宗獄/山本宏道 師範峨昭子/滝本洋子/伊藤秀子 北村と Ð~/小津妙子/高井淑子/安藤や よ 師範繍 服部幸子/佐伯富美子/森恭子/永井朱美 小津幸子/富永則子 地区代表荒井久二子(鎌倉地区) /本場由衣(小田原地区) 瀧口政恵(津久井地区) /大塚喜美代 (J 1 1崎地区) 白井牧子(多摩地区) / 山本美和 子 (埼玉地区) 三 ツ井辰 円 (茨域地区) /1犠 l昭 子 (山梨地区) 伊東桃禅 (栃木地区) /村松可郷 (伊豆地区) 議員の皆さん フ 総監就任挨拶 新年あけましておめでとうございます 講員各位におかれましてはご清栄の事と存 加する事を願っております ます 。 。 建長寺派として、各行事に御詠歌が 。 唱えられる事を切に願う次第です 「一曲 私と御詠歌の縁は、正法寺の故岩 田宗純 。 師より勧められたのが始まりです 当 時の 礎を築き、若い 。 覚えたらすぐ教えなさい 」で した 半年もすると御詠歌にも 。 詠導師を導いた 年か通いました 講習は本山で行う支部長講習会のみで、何 。 当初は講員募集も住職が積極的に働きかけ 慣れ、皆についていけるようになりました して、 一人減り の皆様が寺に対して非常に協力的になって 、 御詠歌をやっていて良かった点は 講員 。 ないとなかなか集まりませんでした 多い時の半分以 二 人減りして、 講員も高齢化 上げます 功績に深謝申し 。 下さ るとい、主事ですまた、支部長同士の 下になりました これ以 上減らな 横の繋がり、寺庭同士の交流も生まれ、寺 。 今後は開 山忌、達磨忌をはじめ、検定試 われます を守る立場で互いに役立っているように思 。 いこと、更に増 。 支部長さんを 建長寺派二百七十ヶ寺の内、御詠歌を行 。 験や毎月の支部長講習会、師範師範補、詠 。 」との菅原先生の考え方から歌い継 :・ 。 。 どうぞよろしくお願い 申し上げます でもお役に立てたらと願っております 。 。 協力をいただきながら御詠歌の発展に少し 方や詠導師、支部長の皆株方の御指導と御 研錆を積み、総監先生をはじめ師範の先生 微力ではございますがこれからも私 自 身 きな魅力であると存じております に応じたお唱えの仕方があり、その事が大 この様に御詠歌は、それぞれの年齢と人 唱えにも心揺さぶられ深い思いが致します しっとりとした味わいの深さ、いずれのお 方の張りのあるお唱えの響き、年配の方の 然に身についてくる御詠歌の調べは、若い 中に日々の努力と精進を積み重ねる事で自 。 である・:」との教えがありますお稽古の 私達の禅宗には「日常生活の全てが修行 ますよう努める所存でございます 広く一人でも多くの皆様に唱えていただき がれた心と調べの太い幹を守りながら、幅 じて 「 御詠歌は音楽学校ではないので、人に応 。 はじめ講員のほとんどが女性です 寺庭様 昭子 そ して努めたいと思います 導師詠導師補講習会、春秋の巡拝、支部長 その任ではあ また、既に御詠歌を行っている をはじめとする女性が参/加を希望される場 。 、 。 蟻 致します 前総監先生には詠歌講を長 円領寺 ますが、その責任の重さに 。 身の引き締まる思いが致し ております その折 先生方の ら 私は、平成十年五月に本 。 山の初級講習 会に途 中か 参加致しました 、 当時の師範の先生方が交替 で御指導下され それぞれのお唱えの味わい をお聞かせいただき、その 。 教えの 中 に多くの事を勉強 させていただきました の事が後に大変役立ち、有 難い事であったと存じてお 、 存であります ります 子先生と継承されました鎌倉流ですが、近 故菅原久子先生、伊藤秀子先生、滝本洋 。 支部も再募集をして頂ければと思っており 総師範就任挨拶 、 鎌倉流詠歌講の皆様 新年あけましてお 。 日を もちまして総師範を拝 めでとうございます この度七月一 。 。 ました 山本 莞 山 と申します っている寺は七 十 ヶ寺です 山 懇談会等、「和の心」をもって御詠歌を通 。 7G 合 和尚様方のご支援を是非宜しくお願い 。 会!; りませんが、詠歌講の為一生懸命頑張る所 じ上げます 山 本 きにわたり多額の御寄進や発展と安泰の伴、 。 この度、佐伯啓史前総監の後を引き継ぎ 金 錫 寺 年は講員数の減少傾向が著しいように 思い 。 4 5 わ ぐラ ます 掌 命致しました 山梨地区円福 寺支部の蟻 昭子 。 で ご ざ い ま す 身に余る光栄と存じており メ』 口 第 37 号 詠歌講たより 、 , EF-- . ,,, ノ , J , ノ , - 、 日 urLU周 E 一アh し トr zk 『ILl IL EI sl ご昇進おめでとうございます。 今後も頑張ってください。 平成 二十七年九 月 二 伊豆地区 詠司 神谷久子 松浮正恵 鈴木東亜子 工藤貞枝 市屋恵子 平成 二 ト 宇久須・明泉寺支部 七年間川二日 伊豆地区 少詠 正 年九川卜問日 一徳寺 畏 ・ 泉寺支部 平成二十 十 日 卜 宇久須明 ・ 泉寺支部 一川 。 じ日 七年五 月 ト 三 日 じ年 卜 平成 二十 七年六月 三 準詠 司 準詠正 {円津敦子 平林一肘チ 前中純チ 加藤晃子 野志満子 上 並木淑 rr 平成 二 伊豆地区 中詠 正 藤井ヱん子 情山えい子 ・ .平成一 ト七年 hハ川 十 日 山ノ内支部 小林節チ 赤尾順子 鎌倉地区 準詠司 安木市子 準詠正 rr 山行崎校 満願寺支部 山口恭チ 絞部磨須代 荒井邦子 中間六チ 鎌倉地区 ト じ 十七 日 報本寺支 部 じ年十- 一 川十日 年卜 一川 二 鎌倉地区 準詠 司 小浮大吾 千成 ニ 詠司 村上文敏 神保邦子 比野玲子 神保明美 ト 神足佐忠美 . 平成 ニ 伊豆地区 準 詠正 富永則子 東光禅寺支部 鈴木内代子 r r - 松下明美 十 七 内田益子 平成 二 小田原地区 中詠 正 日 永福寺支部 一月 六 山出香織 杉崎絢子 -れ井文子川口澄チ 卜 高橋昌子 野地八重子 北村典子 平成 二十七年 多摩東地区 準詠 正 玉泉寺支部 菅沼いつ子 中村弘子 多摩西地区 説包括的譲治 E 話 芸 6 7 t公 準 野 準 イ記 録 IU 詠 典 正 陥 司 山ノ内支部満願寺支部東光蝉寺支部 光 (111 宏M.\根テ米京 司 子子子史的ル子子 チチ子 玉泉寺支部 ,J; 栗原知子 今村幸代 子子 永福寺支部 字久須 ・ 明泉寺支部情能寺支部 わ 。 芳博 正 教階昇進検定合格者 教階昇進検定合格者 田 川 依 原肯 中 第 37 号 詠歌講たより m~ 1F.I,.,_:qzpx27~12F.1~ ~~一一ー一 平成二十七年五月十九日 /於一宗禅寺 。 声の厚みが一 。 ほと 。 一斉奉詠 言葉寺伊藤美恵子 中級は 三一十 七名、 「 楽土、建長寺御本尊 身代わり地蔵菩薩縁起和讃」を滝本総師範 。 時間をずらしながら 集まる各支 部の講 員さ 。 ありがとうございました 。 そこでも長泉寺、山ノ内各支部長 先生、小津先生、真乗寺和尚様に教えてい します 。 ん達を宗禅寺支部の方が会場案内 百余名 。 ただく グループに別れて決められた席に着く 。 。 各部屋からの詠唱が、会場を包み込み、 お寺全体がまるで極楽浄土のようだ 講習途中でのトイレ休憩も時間差で利 用 ズに対応 ー 「三宝和讃 」 を北 し、腕章をつけた案内係が スム はじめて講習は九名、 村先生、清徳寺和尚様に教えていただく 道具の持ち方から始めると聞いていたが、 。 講習終了頃にはしっかりとまとまった詠声 が聞こえていた 初級は 二十一名、「釈迦牟尼如来降誕和 御詠歌の所作を南 。 讃・御詠歌」を験、高井両先生、金錫寺和 尚様に教え ていただく 。 養寺、長松寺、報本寺支部長に間ごとに入 って見ていただく 思えば当初は途方に暮れ、みんなで考え とに 和尚様方、お手伝いいただいた支部長様方、 最後に、本山教学部、地区の支部長様方、 。 出し合って集ま った事等、それら全てが報 。 西国霊場札打和讃」を伊藤先生、総監先生 。 。 メ』 口 も素晴らしかった 昼 食 後 、 本 堂 において開会式 後に総監先生より「一人ひとりの講員、和 尚様、支部長さん達が、あらゆる衆生に呼 びかけて、仏様の心を声に出して唱え、共 に喜び共に悲しみ、幸せになっていくこと 。 教学部永井和尚様の絶妙 を皆様とお誓いして」とのお言葉をいただ き、写真撮影へ 。 の掛け声でみなさんにっこりここで講員 さんは解散 午後の部の支部長講習会も無事終了し、 最後の挨拶を任され 。 。 力に只々感謝感謝感謝の思いで一杯だった ~事 広間いっぱいに広がり、所作も揃ってとて 携わっていただいたす べての皆様に感謝致 んど白一民をお持ちの講員さんの鈴と声が大 山梨能満寺各支部長に見ていただく われる思いがした かく円滑に無事に円成できるように意見を 。 。 られることを話し合い、詰めた日々 。 た時、開催にあたりたくさんの方々のご協 会場を移して懇親会 。 が「はじめて」「初級」「中級」「上級」の 天気予報の傘印が外れて花曇りとなり、 第八回移動支部長講習会を終えて に聞に入って見ていただく 体となって隣りの本堂まで響いていた れ に教えていただき、了義寺、清徳寺、香林寺、 上級は四十四名、「達磨円覚大師和讃、 。 8 9 第 37号 詠歌講 fこより 。 。 響き渡る読 今 日の街は勝尾寺の 。 。 長泉寺 総勢 山 田恭子 参加二十支部、 八十二名、四月十 三 日よ 兵 ・ り三泊四日の行程で京都 のお守を中心に大阪 服と十 三 ヶ寺に参拝した 。 駅構 一日日、卜時半過ぎ京 都駅に降りると雨 お経、御詠歌を唱え 昼食 。 るお寺で、生け花発祥の地である 。 。 平安 初日最後の行願寺を参拝し 、 .4 がんじ 京の真ん中を示す六角形のへそ石が本堂 前にある あなおじ 。 十六時半頃宿に若く。明 日は天 気になり ますようにと祈りながら休む 。 本 一日 一 日、宿を出発すると 穴太寺へ。御 本尊は身代わり観音と呼ばれている AV - 慢でてお参 堂内に大きな木像釈迦但繋像が横たわり 。 よしみねで 病を癒す 「撫で仏 」 がある L 。 。 。 パスの 長い階段を上りきると 昼食は嵐山にて 。 。 渡月 午後最初 。 次の H 「勝運の寺」と 吾川 わ 薩で火除け観音とも呼ばれている の総持寺の本相は砲に乗った千手観音菩 ぞうじ 立ち止って写真を撮っていた 橋を渡る私達の姿が珍しいのか外国人が が迎えてくれた 日の前に天然記念物の見事な「遊龍の松」 道を通り抜ける りし、智和やかな顔で苦峯寺へ 新緑 内で問結式を行い 三台の 。 中で御詠歌の練習をしなが ら扶い竹林の 。 の楓の下を通り本堂へ入 る がん 次の札所は元 。 参拝を済ませる頃 。 ると雨の音も心地よくさ 。 え感じた けいじ 慶寺 には同も本降り 札所勝尼寺、ここは かつおうじ の「いもぼう平野屋」に 。 一瞬、幻想を 勝ダルマがたくさん置いてある の前に広がる庭園を比た時 、 れ L ハ 品川きほっと一息も点の問、 ・ーもほうじ 次の国法寺へ本堂が この辺りは標高が 霧が流れ込み 凡ているような気がした 。 角形であることからしハ角 美しい風景が見えた 。 立と呼ばれ京都の中心に ? 円なお城、 。 これも 皆疲れた顔を見せず 。 。 いつでも観背様の優しいお顔のよう 観立円様の御利益だと感慨深かっ 無事にお参りが出来た ご-コ:号、、 て JJAHM ナJ あいにくの天候の中での巡拝 姫路駅へ向かう 。 いの 一一 一一 円 昼 一食後解散式を行い 附からの眺望はまさに素附らし 引を終えた点 高いせいかお参りへの途中、満開の桜を 。 りがとうございました 。 。 に巡作が出来たこと感謝いたします あ 和尚様方、旅行社のは門様のお訟で無事 に過ごせるよう努均したいと思う た 守 初の札所観音寺へ パスに分かれて出発し最 。 あり唯一平らな場所にあ 雨も上がり急収 。 l 組に分かれて笠 ここでは徒歩、 シ る を一時間かけて往復 の 日刊 皆に滑らないように注意しながら 。 日 H 五 十年に 一度の改修工 天 ~'--t- する も自分で滑り尻餅をついてしまった 。 食後、清水寺、 一乗寺と参拝し 三 行程を終え夕刻に街へ 最終日、 そっと窓を開けて見ると晴れ 今回巡拝最後の 本堂摩尼殿は舞 ロープウェイで四分程登 。 台造りで西岡札所の西端にあり 「丙の比 叡山」とも呼ばれ、 山頂か らの眺望はよ 。 u タ ク 無事に円以後のお参りも済ませ、 昼前に姫路城へ メ主、 見ることができた 宿坊にて 翌朝、勝尾寺本堂で朝謀 特別に御本尊十 一面観音 経、太鼓を聞くと寒さも忘れ、心洗われ 。 次に向か と す る り八百メ ートル程歩く る る思いだった 。 御本尊も両脇仏も十一面観 っ ^。 菩薩を御開帳してお参りさせていただき、 。 清々しい気持ちで山を下った なかやまでら うは中山寺 音で三体合わせて三十三面、西国札所と エスカ 寺L ほ 。 。 。 教 ;一石 し、 同 数 に な る 安 産 祈 願の寺である 。 次は札所番外の花山院 レーターが備えてあるのは、妊産婦への 配慮であろうか 回 え zy ら し 、 1 0 1 1 寺渡 U i f ! 第37 号 詠歌講たより 。 清徳寺 恭子 第二十八番成相山 成相寺聖観世音書薩 利而の急な道一腕の扶い見事なへ アピン c 。 修行を行なってい こういう道を廿の巡礼者はみ カ iブを一一-つ四つ、事もなげに運転千さ んは進む んな歩いたんだから 。 けつこうな雨 。 御本尊のお前立ち様のき るという怠識が抜ける事なく巡拝できま す様にと祈る 。 。 パスの中からきれいな紅葉 H 日) 天の橋立が見える 。 第二 一月十日 ( れいな事 卜 雨の京都 を眺めつつ、約一時間 。 。 なんてラ 。 そし 偶然でしょうが、ここは背様の 走り 出 したとたんに強くなる ッキー 行いが良いという半にしておこう 。 ありがとね 。 flh L骨 r rr 川 ---h ヨ vt」, hf ' 、 寸 saF E 込 i- λ氏 以 -F A 事動的刊 M ・S A4べ 」一一一法 b 針月掛頃一 fv -h14 て山の棋が数匹、次に向う私達を 見 送っ てくれた 第三十番厳金山 宝厳寺千手千眼 観世音普薩 。 竹生 :'il 』 生きものを 山々が織りなす 年配の方の 。 する 。 船若場への集合共 合もすこぶる良く 。 天候 ら殻スジかの光が差 し、神々しい の回復のお礼も込め 、 第四 日 H 日( 。 - t1 日) 。 」 、 と 。 ここが最後の けやきの大木や桜の老木、そして、ま つ亦な楓が迎えてくれる 。 。 。 、 J っ 、 、 T r 、 l 。 必円慌 徒歩で 若物姿で写 もう 思う 。 個人的に、 一度この旅 。 hp ノ1 イ 4HJJl ふ匂ノ色、 公竺 Tf: の対.曲 。 あ 八年前の自分と 相変わらずの失敗、 失態、多々反省 修行の旅終わる の顔も晴れやか晴れやか 巡った先人達の喜びが感じられる 。 数えきれないほど積み上げられたおい お寺と気持ちもしまりお唱えが始まる 。 jfb 噌t、e‘.6Eh HF 一則 /JL iF l a) ‘副 琵琶湖をフェリ密造へ ーで約お分 品者乗船の時は 雲も低く、お参りがすむまで 何 とかもっ てほしいと願っていたら、なんとうれし 。 ご本尊の千手観音 つ 第二十九番青葉山 ・ い事、雲の切れ間から円が差して米た 1 十 一月十 二 「おもしろかったね 品終 本堂で座って、お経、御詠歌をお唱え これえ皆様の 松尾寺馬頭観世音菩薩 。 その話し方が、 お寺の従業員の方が御本尊様をとても r 寧に説明してくれる このお寺を大切に、そして誇りに思って 。 八年前、ここを訪れた もうれしくなる 。 昨夜の宴会は 余韻を残す会話をしつつパスは 山 発 。 しかし 甘 かった 。 お守の名前も長 。 それでも、皆織がんばっ 。 きっとご利佐がある 一面観世音書薩 第三十一番旗締恥山 。 : 感 華厳寺十 第三十三番谷波山 命与 て一段 一段足を上げた 又またきつい は笠りやすいとの事 バスの 小 で説明された八百八段の石段 長命寺千手十一面観世音菩薩 じた 様が 干 の拍 手 で迎えてくれている様に感 お削えの声もよし 呆観よし、空気よし、皆線の顔もよし 到達した時の喜びも大 参拝中、止んでいた雨が、 パスに乗り 捨ててはいけません日一 に大きくなった事だろうと 。 行って参ります」 第四回 二 百段あ 。 。 ー を降り、 白の巡礼 帰りの船の巾板から 。 時、子丈が捨てられていたけれど、ここ 耐時 々くもり 十 、 と本尊様に伝え、曇天の いるという事がよく伝わってきて、何と 第 一 日目 ) 一月九日 ( 、 見える竹生向に空か 「世俗を離れ巡礼の旅に 。 。 のお寺の人ならばきっとあの子犬は元気 宅、京都駅着 る 姿できれいに並びエスカレータ 。 就寝 ) 陥天 。 続いて八百八段ある、長 日目 がんばって登ろう 。 自 然石の階段で千 島を後にする -が 一始まった 主に山り、見知った改札を 山 。 一 西国巡拝結願の旅 深く合掌 きて明日は 。 る、観音正守 命寺 十 一月十 一 日 ( 第三 さい先よし 。 ホテルの窓から、雲に邪魔される事な く、きれいな 日の出 を拝める 第三十二番撒山 観 音 正 寺 千 手 千 眼観世音菩薩 こ の石段道 聖徳太チを開基とす 幾千万の人が 。 長い年 川、風 雪にさらされ崩壊のひど 。 い自然石の石段道 るお守の一つ 。 ずるや杖、背傘、千羽鶴 だから 銘を受ける 登ろうとする安を目の当りにし、来たし 。 まだ:? 汗の染み込んだ てを ている満願参拝の古い記念写真 。 苦しい 流れる汗 。 .や代手 全, て、自分がその年齢に達した時、気持ち 。 まだかあ 切れる息 に汗を落した事だろう みに '1に~ 石、 土、 私の 汗 もここの ・十 にし 染みていく 。 f かみの を奮い立たす事ができるだろうか 。 ・: ? 天 森 そんな事を考えながら登っても、きつい、 きつい まだ l 町j を振り返ろう 1 3 ー 員~3Î 号 . 詠歌講たより 詠歌講たより 第 37 号 〔平成~:~年~附)鎌倉流詠歌講年間講習日程表 平成二十七年 閉山忌 13時~ 詠導師 支部長 地区名 会議・研修・巡拝等 その他行事 詠歌講講習会 師範補 >| d 18( 月)役員会 1 月 2月 5(金) 1 2( 金) 3月 4(金) 10(木) 4月 13 (水) 20(水) 13 (水)詠歌講合 同検定 5月 17(火) 26(木) 10(火)- 13(金)詠歌講秩父巡拝 6月 2(木) 22( 月 ) 21 (火)-22 (水)移動支部長講習会 れ 23(土)開山忌詠歌講奉詠大会 7月 1(木)寺庭婦人会 7(水) 10 月 11 (火) 17 ( 月 ) 11 月 8(火) 2 1( 月) 8(火)詠歌講合同検定 28( 月) 12 (月) 6(火)- 7(水)支部長懇談会 懇談会 報交換の場にもなります ので 、ぜひ本山へお出掛け下さい 。 ※講習 H 程 ・ 行事等 は円程が11::. むなく変更する場合もご ざいます。 予めご了 添の程お願い致します。 ( i~t 久井 大正寺 多摩東 広福寺 多摩東 永福寺 1 1 4 ) 5 6 奉詠幽 先代萩和讃 ・ 御詠歌 法の深 山 崎 香林寺 津久井 湖南寺 釈迦牟尼如 来 |年 誕布 l 賛 因 果手11 讃 jfif 六道能 化地 蔵菩薩和讃 命の讃歌 ア 津久 井 正法寺 i青雲寺 8 栃木 来光寺 )11 崎 玉林寺 川 崎 i原正寺 多摩束 南養寺 釈迦牟尼如来降誕 和賛 ) 11 自奇 i朝膏寺 iilt久井 長福寺 ニ 宝手II 讃 命の讃歌 9 10 1 1 12 1 3 1 4 15 16 王 白隠禅師坐禅手IJ 讃 六道能 化地 蔵苔薩和讃 t奇王 金錫寺 岩舟地蔵菩薩和讃 多摩来 流泉寺 大般若経御詠歌 i1t ク、 4 1ニ 中野祥泉寺 多摩東 裕正寺 釈迦牟尼如来降誕布l賛 二 宝初讃 地区名 支部名 長泉寺 小田原 一徳寺 2 伊豆 3 多 摩凶 報本寺 西国霊場札打手fI讃 玉泉 寺 先代萩手II 讃 4 伊豆 長 田寺 乙女和讃 5 多摩西 能 i荷 寺 二 宝讃歌 6 鎌倉 山ノ内 i原尖朝公和讃・御詠歌 ア 小田原 法 輪寺 白隠禅師坐相jí平fI讃 8 多摩西 千手院 西国霊場第五番紫雲 山 ~"I:寺御 詠歌 9 帝 n、l 両光寺 山 aAw、l 光禅 寺 威光寺 奉諒幽 大般若経御詠歌 西国 霊 場第 一 番那智山 背厳 il主寺御詠歌 10 多 摩西 稲生寺 追善 1Jt1安和讃 11 稲日 ミ子 法の深 山和 讃 山梨 12 多摩凶 w:禅寺 達磨円覚大日Ili 御詠歌 13 伊 豆 今井浜真乗寺 釈迦牟尼 如 米!皮道和讃 満願寺 1 4 鎌倉 大塔宮護良親王手fI ~賛 ・ 御詠歌 15 多摩西 宗 禅寺 六道能化地蔵菩薩 布l 讃 16 17 1 8 ,f 山 山梨 達磨忌 ン h』官四 ヨ ヨ 。 リ ご供養させていただきます 井 上 謹んでお 悔やみ申し上げますと共に心より ご冥揺を祈念し、詠歌講の過去帳に記し、 湘南寺 堀 江 平成 二十七年一月 二 十 一 日 津久井 南養寺 平成 一一十七年 二 月二十四日 多摩東 平成二十七年五月二十六日 演 中 晴子 コ乙 地蔵院 キ 多摩西 池和田キヨ ( 順不同 ) 戸 松 十七年七月五日 平 成 一一 満願寺 福正寺 平成 一一十七年十月二 十四日 多摩東 鎌 倉 血i 平成 二十七年 ※講 F司 会 は、なるべく参加しましょう 。 一度宵得した出!日でも、さらに積み重ねが必要 です 。 その他、情 1 5 3 支部名 長松寺偽 心 会 西国霊場巡礼和讃 小川原 5(水)達磨忌詠歌講奉詠大会 16 (水)- 1 8 (金)詠歌講沖縄巡拝 12月 2 崎 平成 27年鎌倉流詠歌講登壇ガイド 8月 9月 川 1 9 20 21 22 山 梨 伊主1 山 能満寺 悠長寺開基北総l侍頼公讃仰和讃 ・ 御詠歌 宇久須 l珂泉寺 釈迦牟尼如来降誕和讃 梨 布Ii 泉寺 多摩凶 地厳院 茨域 向上庵 伊豆 ìl; 伝寺 伊 豆 青龍寺 山 2AFE、l 円 福寺 乙女和讃 追善供 ft和讃 静御前和讃 ・ 御詠歌 釈迦牟尼如来降誕和讃 小llI J京 了義寺 大土答?守護良親王和讃 ・ 御詠歌 23 鎌倉 i背徳寺 建長寺開基北篠l時頼公讃仰布1 讃 ・ 御詠 歌 ※ 皆憾のご質 liil ・ ご相談 ・ ご要望をお待ちして おります。 御詠歌に I刻すること で した ら 何 で も結締 です、本部ま で お気宇佐に ど う ぞ。 1 4 。 います 。 長尾宏道 誠に 栃木 一部東光寺での移動支部長講習 会 で 支所長として参加させて頂いた際には、皆 しあげます 。 メ』 仁3 掌 。 。 =司 鈴 - 編集後記 ・ 。 まだまだ親として未熟ですが、親から子へエ 。 。 すのでどうかこぞ 。 、 。 、 ってご参加ください 。( 禅) す 議員さんも年々高齢化 減少傾向にあります が、続から子へ伝えるように、皆織のご協力で次 の世代、若い世代へと伝えていただき 是非とも 鎌倉流を盛り上げていきましょう 今春の巡拝は秩父三+四観音です 。 多少駆け足 になるかと思いますが、関東圏であり一度の旅で まわれます 。行かれた方も、まだの方も、足腰に 不安のある方も詠歌議体育部がサポートいたしま 。 さて、鎌倉流詠歌講も七月には新総監先生、総 師範先生を迎え、十一月には西国巡拝の旅も無事 結願となりました 更に十二月には、新総長、新 教学部長のもと新体制がスタートしました 。菅 原 義道和尚、久子先 生よりゆずり葉の如く受け継が れて来た鎌倉流御詠歌も今年で六十五年を迎えま と思うこの頃です ールを送りつつ自分の学ん だ事を伝えていければ す った道を今は子供が歩んでいること実感していま 、 平成二十七年も犠々な出来事がありましたが皆 様の一年は如何でしたでしょうか? 私事になりますが、我が家では長男が昨春より 上京 一人暮らしを始めました 右も左も分から ぬ田舎者が果たしてどんな暮らしをしていくもの か本人以上に心配したものですが、何という事も なく子供は貌の想像以上に成長しているものです ね 抽苦情官話が当たり前の時代、連絡を取る気に なればいつでも取れるのですが、連絡がないのは 元気な証拠という言葉を味わい、かつて自分も通 鉦 教学部長 詠歌講の皆様のご活躍は、七月の開山忌 や十月の達磨忌に本山へ登山されまして、 。 日頃の心持ちをご閉山様にご披露下されて いる姿を拝見させて頂いております 尊いことと共にありがたく感じております 鎌倉流詠歌講は、報国寺の菅原義道、菅 この六十五年間には、歴 原久子名誉総師範から始まり、本年は六十 。 代の総監さんを始め御重役の皆様の並々な 五年を迎えます の行事等に御協力と御理解を頂き、誠にあ らぬ御努力があり、建長寺派の教化の源泉 り が と う ご ざ い ます さて、平成十一年四月より教学部員とし て、平成二十四年十 二月より凶年問、建長 。 私は栃 寺派教学部長を務められた、大西龍彦和尚 の後を引き継ぐこととなりました 。 これからも、益々発展され、講中の皆様 。 の教学部長の皆様は、教学部での長い経験 方の輪が広がり多くの縁がつくられるよう 様の熱心なご指導に感銘を受けました を積まれた方ばかりであり、経験不足の私 に、不慣れなところや何かとご迷惑をおか 精 進 し て 参 り た いと思います ぐ すが、鎌倉流詠歌講の名を汚さぬ様に努力 けすると思いますが、何卒宜しくお願い申 には行き届かぬところが多々あると思いま 木 一 部 願 成 寺 ・ 長尾宏道と申します 歴代 として、檀信徒の皆様の心の中へ浸透して 。 鎌倉流詠歌講の皆様には、日頃より本山 就任ごあい さ つ 第37号 16
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