GOD WITH US Part 1: The Great Blessing Genesis - Deuteronomy February 28 & March 1, 2015 Message 3 – Abraham and Sarah: The calling of one family to bless the whole world Genesis 12: 1-25-: 11 神は我らと共に パート1:大きな祝福 創世記―申命記 第三メッセージ:アブラハムとサラ:一家族を用いて 全世界を祝福される使命 はじめに アブラハムとサライの物語は、創世記の中で一番長いと同時に重要な部分で もある。この物語は、イスラエルの民の基盤を形成し、神の全世界のための ご計画の内にあるイスラエルの民の役割を説明する。前の章(創世記)で、 世界中に散らばってしまった民族にとってどのような希望があるのであろう か?唯一の希望は、全ての人が歓迎される贖いの王国を神が築いてくださる という約束である。イスラエルの民は、神の恵みによって、罪と闇の中に失 われてしまった世に神の愛を仲介する、「司祭の王国」となる。アブラハム の使命は、神の裁きの下にあり、罪と反乱に満ちた世界への、神による救い の贈り物である。 アブラハムの使命:12:1-9 物語は、神がアブラムと言う名の男に、(後に「アブラハム」と改名)彼の 故郷を離れ、新しい土地に移動することを命じられるところから始まる: 12:1 時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族に別れ、父 の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。 12:2 わたしはあなたを大いな る国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福 の基となるであろう。 12:3 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、 あなたをのろう者をわたしはのろう。地のすべてのやからは、あなたによ って祝福される」。(創世記 12:1-3) 神とアブラムとの間で交わされた契約は、聖書全体の神学的基盤となる。 神は、全世界の人々を祝福されたいと願っておられる。神は、そのご計画 を、まず、イスラエルの民にご自分を現されることによって実行された。神 とアブラムの契約は、次の 4 つの具体的な約束に携わる: 1)大いなる 国民。2)大いなる土地。3)大いなる名。4)国々への大いなる祝福。 すべての国の人々は、イスラエルの民の神を礼拝する生活に参加することに よって、神との個人的な関係に入ることを歓迎されていた。ある意味、旧約 聖書時代のイスラエルは、新約聖書時代の教会に似た役割であったと言え る。丁度、今日、人々が生活の中で教会(キリストの体)による証言や秘跡 を通して、神を知る人が生まれるように、旧約聖書の時代の人々は、イスラ エルの人々の生活を通しての証言と秘跡に繋がることによって神を知ること が出来た。生まれながらのユダヤ人でなくても、「改宗」(転換)して、 ユダヤ教信仰者となる事が出来た。アブラムは75歳の時に故郷を離れ カナンの地へと向かった。アブラムと妻のサライは、道中、甥のロトを始 め、広い世帯の奴隷たちを獲得した。彼らは、共に、カナンの土地へと旅立 ち、神は、偉大な土地に関する約束を改めて表明された。 12:7 時に主はアブラムに現れて言われた、「わたしはあなたの子孫にこの 地を与えます」。アブラムは彼に現れた主のために、そこに祭壇を築い た。 12:8 彼はそこからベテルの東の山に移って天幕を張った。西には ベテル、東にはアイがあった。そこに彼は主のために祭壇を築いて、主の 名を呼んだ。(創世記 12:7,8) 常に、私たちを祝福されたいと願われているのが神の根本的な気質である。 いつの時代も、神は人類に、罪からの赦しと神との関係を修復する方法を備 えてくださった。また、いつの時代も、人類には、神の優雅な救いの恵みの 提供に、神が規定された条件を提出することによって応答する責任があっ た。ヨハネの福音書には、神の提案と私たちに要されている応答の方法が 明確に描写されている:「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛 して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得 るためである。 神が御子を世につかわされたのは、世を裁くためではなく 御子によって、この世が救われるためである。 彼を信じる者は、裁かれな い。信じない者は、すでに裁かれている。神のひとり子の名を信じることを しないからである。」(ヨハネの福音書3章16-18節)。 アブラムのエジプト滞在: 私たちが神から目をそらせ、物事を自力で解決しようとするとき、自分自身 だけでなく、共に歩む者たちをも危険にさらすことになる。なぜなら、私た ちは「神の保護の傘」の外に出てしまっているからである。あなたが常に神 に目を向けることによってあなたの一門を守りましょう! 12:10-20 アブラムとサライ(後のサラ)の最初の主要な出来事は、飢饉のために エジプトに一時的に強制滞在したことであった。当時のアブラムには、人生 の問題に直面した時に、神に信頼する姿勢が十分に発達していなかった。 アブラムは、自分の安全のためにサライを犠牲にした。 12:11 エジプトにはいろうとして、そこに近づいたとき、彼は妻サライに言 った、「わたしはあなたが美しい女であるのを知っています。 12:12 それで エジプトびとがあなたを見る時、これは彼の妻であると言ってわたしを殺 し、あなたを生かしておくでしょう。 12:13 どうかあなたは、わたしの妹だ と言ってください。そうすればわたしはあなたのおかげで無事であり、 わたしの命はあなたによって助かるでしょう」。(創世記 12;11-13) 恐れどおり、パロは、サライの美しさに彼女をハレムに連れて行った。この 監禁から逃れられる唯一の方法は、神にあった。 12:17 ところで主はアブラムの妻サライのゆえに、激しい疫病をパロとその 家に下された。(創世記 12:17) 最終的に、パロはアブラムに妻を返しただけでなく、沢山の所有物までも返 した。こうしてアブラムとサライは、偉大な神の御力によるパロの家への 攻撃のお陰で、沢山の所有物を持ってエジプトから抜け出すことができた。 聞き覚えありませんか?この物語は、400年後にイスラエルの民に起こる エジプト脱出の予兆である。そこで、神はご自分に属する花嫁をエジプト 監禁から解放されるためにパロの家を大きな災いをもって攻撃される。その 大きなエジプト脱出の時も、イスラエルの民は同様の方法で、沢山の所有物 を持ってエジプトから脱出する。 神の救出のご計画が昔々の民族長とその妻によって予兆されていたというこ とを知ったイスラエルの民(モーセの主な聴衆)は、この体験によってどれ だけ勇気付けらたことでしょう。 アブラムとロトの別れ: 13:1-18 アブラムも甥のロトは、子孫と所有物ともに神から恵まれていた。最終的に は、群れのが膨らみ過ぎたため、それぞれは分裂して行った。アブラムは 視覚によってではなく、信仰によって歩んでいたので、ロトに先に所有地を 選ばせた。 13:8 アブラムはロトに言った、「わたしたちは身内の者です。わたしとあ なたの間にも、わたしの牧者たちとあなたの牧者たちの間にも争いがない ようにしましょう。 13:9 全地はあなたの前にあるではありませんか。どう かわたしと別れてください。あなたが左に行けばわたしは右に行きます。 あなたが右に行けばわたしは左に行きましょう」。 13:10 ロトが目を上げて ヨルダンの低地をあまねく見わたすと、主がソドムとゴモラを滅ぼされる 前であったから、ゾアルまで主の園のように、またエジプトの地のよう に、すみずみまでよく潤っていた。 13:11 そこでロトはヨルダンの低地をこ とごとく選びとって東に移った。こうして彼らは互に別れた。 13:12 アブラ ムはカナンの地に住んだが、ロトは低地の町々に住み、天幕をソドムに移 した。(創世記 13:8-12) ロトが移動した後(ソドムに向かって!)、神はアブラムとその子孫に土地 の最良の部分を与えてくださることを保証してくださった。 13:14 ロトがアブラムに別れた後に、主はアブラムに言われた、「目をあげ てあなたのいる所から北、南、東、西を見わたしなさい。 13:15 すべてあな たが見わたす地は、永久にあなたとあなたの子孫に与えます。 13:16 わたし はあなたの子孫を地のちりのように多くします。もし人が地のちりを数え ることができるなら、あなたの子孫も数えられることができましょう。 13:17 あなたは立って、その地をたてよこに行き巡りなさい。わたしはそれ をあなたに与えます」。 13:18 アブラムは天幕を移してヘブロンにある マムレのテレビンの木のかたわらに住み、その所で主に祭壇を築いた。 (創世記 13:14-18) どんな人間の推論やたくらみも、神のアブラムとその子孫への約束を果たす ことから避けられるものはこれまで無かった。アブラムの役割は、ただ信仰 によって神のご計画に沿って歩むのみであった。神の役割は、約束をお守り になることであった。 「人が見て自ら正しいとする道でも、その終りはついに死に至る道となるも のがある。」(箴言 14:12)私たちは、頻繁に、人生においての重要な決断 を自分にとって何が正しいと考えられるか、という自己判断に基づいて決め がちである。それがロトのやり方であった。もう一つの方法は、謙虚に神を 見上げ、神の導きと指導に頼る方法である。アブラハムの方法がまさにそう であった。信仰に頼る道はアブラムを約束の土地へと導き、視覚に頼る道 は、ロトを問題の土地へと導いた。あなたはどのように人生の道を決断して いるでしょうか? 王の間での戦いとアブラムのロト救出: 14:1-24 創世記14章は、カナンの土地を争うための国際戦争の勃発を描写してい る。戦争はソドムの町と親類のロトに大きな影響を与えた。この時点での アブラムは、彼の神、ヤハウエを信仰する男であった。ロトが捕虜となった と聞いて、アブラムは世帯からの318人という鍛えられた男で小さな軍を 結集してロトを捕虜に捕えた王たちを追求した。 祝福することを望んだ。それに対するアブラムの対応が重要である。 セーラムの王であり、いと高き神の司祭である、メルキゼデクがアブラムの 上に聖職者の祝福をするために現れた: 14:19 彼はアブラムを祝福して言った、「願わくは天地の主なるいと高き神 が、アブラムを祝福されるように。14:20 願わくはあなたの敵をあなたの手 に渡されたいと高き神があがめられるように」。アブラムは彼にすべての 物の十分の一を贈った。 (14:19,20) アブラムの反応?彼の人生において神の祝福を確認し、彼の所有物の十分の 一をメルキゼデクに、いと高き神への供え物として捧げた。対照的に、 ソドムの王はアブラムにあらゆる世俗的な物を勝利を伴ったお礼として与え ようとした。それに対するアブラムの反応は? 14:22 アブラムはソドムの王に言った、「天地の主なるいと高き神、主に手 をあげて、わたしは誓います。 14:23 わたしは糸一本でも、くつひも一本で も、あなたのものは何にも受けません。アブラムを富ませたのはわたし だと、あなたが言わないように。(14:22,23) アブラムは、人間のプライドの罠に落ちることはない。神によって祝福さ れ、成功への道へと導かれている誉れを誰の手にも奪わせることを許さな い。栄光が神にのみあるように! 14:15 そのしもべたちを分けて、夜かれらを攻め、これを撃ってダマスコの 北、ホバまで彼らを追った。 14:16 そして彼はすべての財産を取り返し、 また身内の者ロトとその財産および女たちと民とを取り返した。 (創世記 14:15,16) 新約聖書のへブル書の著者は、メルキゼデクにより深い重要性を示している (参照:へブル書5-7章)この王‐司祭は、初のキリストの面影を形成し ていた重要人物であった。メルキゼデクはどのような点でイエス・キリスト の面影を形成していたのでしょうか? 明確に、神の力は、アブラムとその一族の上にあった。神の助けによって 彼らは、最強の敵を倒した。特にこの物語は、手ごわい敵が待ち構えている 約束の地に向かって進んでいる出エジプト世代にとっては大きな励ましとな ったに違いない。神のアブラムへの約束は:あなたを祝福する者をわたしは 祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地のすべてのやからは、あな たによって祝福される」(創世記12:3)。 -彼は、比類のない王であり、また祭司であった。イエスもそうであった。 -彼は「義の王」であった(「メルキゼデク」)。イエスは、私たちに 彼の義を与えてくださる「義の王」である。 -彼は「平和の君」である(「セーラムの王」)。イエスは、私たちに父な る神との間の平和をもたらしてくださる君である。 -彼は、アブラムから十分の一の供え物を受け取った。イエスは、私たちの 生活全体の十分の一の供え物を受け取られる。 この物語の最後に、アブラムが二人の王と対話をしているところが見られ る。両王とも侵略者を倒し勝利へと導くために大きく貢献したアブラムを 旧約聖書の中の多くの物語、人々、儀式や、行事は、神のアブラハムの子孫 を通して世界を祝福してくださるという約束の究極の実現となってくださる お方であるキリストに私たちの目を向けてくれる。 は、唯一神の時に依存するものであり、アブラムの時に依存するものではな いということを示している。実際、唯一、神のみ果たすことが出来る一方的 な契約である。 自己依存精神は:「私が、やりました。」「私の手柄ある。」「私は受ける に値する。」「私は持続する。」等と言う。神に依存する人は:「神がして くださった。」「神のお陰。」「神の執事であることを光栄に思う。」「神 に依存する関係の感謝の印として神にお返しします。」等と言う。アブラム は、聖書の中に登場する、十分の一献金を実行した最初の人であった。新約 聖書は、神が全ての所有者であることを認め、惜しみなくお返しすることの 実施を肯定している;私たちは、神の財産の管理人であり、神の資源を神の 目的のために支配する執事である。 15:17 やがて日は入り、暗やみになった時、煙の立つかまど、炎の出るたい まつが、裂いたものの間を通り過ぎた。 15:18 その日、主はアブラムと契約 を結んで言われた、「わたしはこの地をあなたの子孫に与える。エジプト の川から、かの大川ユフラテまで。15:19 すなわちケニびと、ケニジびと、 カドモニ人、 15:20 ヘテ人、ペリジ人、レパイム人、 15:21 アモリ人、 カナン人、ギルガシ人、エブス人の地を与える」。(15:17-21) 約束・契約の儀式の報酬: 15:1-21 この章は、神がアブラムになかなか子供を授けられないために、アブラムの 心の内の神との格闘から始まる。神の言葉によって、神にはアブラムの心の 中でなにが起きているか全てお見通しであることが分かる。 15:1 これらの事の後、主の言葉が幻のうちにアブラムに臨んだ、「アブラ ムよ恐れてはならない、わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報い は、はなはだ大きいであろう」。(15:1) アブラムは即時にアブラムとサライにはまだ子供が授けられていない問題を 定義した。アブラムではない、広い世帯の誰かが神のお約束された相続人に なるということではないのかと提案した。それに対する神の返事は明確かつ 確固たるものであった。 15:4 この時、主の言葉が彼に臨んだ、「この者はあなたのあとつぎとなる べきではありません。あなたの身から出る者があとつぎとなるべきで す」。 15:5 そして主は彼を外に連れ出して言われた、「天を仰いで、星を 数えることができるなら、数えてみなさい」。また彼に言われた、「あな たの子孫はあのようになるでしょう」。 (15:4,5) 神はアブラムと正式な契約の批准儀式を制定されて。この儀式のあいだアブ ラムは深い眠りに入れられたことに注目しましょう。これは、契約の達成 ここに神の約束実現のタイミングについての重要な新しい詳細が記されてい る。アブラムとサライは、実の息子を産み、その子を通して偉大な王国が 築かれる。しかし、その道のりは長く、神は他国のためにも同様に継続的 ご計画と同時進行で一緒に織り込まれていかれるのである。 15:13 時に主はアブラムに言われた、「あなたはよく心にとめておきなさ い。あなたの子孫は他の国に旅びととなって、その人々に仕え、その人々 は彼らを四百年の間、悩ますでしょう。 15:14 しかし、わたしは彼らが仕え たその国民をさばきます。その後かれらは多くの財産を携えて出て来るで しょう。 15:15 あなたは安らかに先祖のもとに行きます。そして高齢に達し て葬られるでしょう。 15:16 四代目になって彼らはここに帰って来るでしょ う。アモリびとの悪がまだ満ちないからです」。(15:13-16) -異国の地で400年間の弾圧が起こる。(エジプト) -神はその弾圧から彼らを勢いよく救出される。(出エジプト) -アブラムは、長寿を全うし、安らかに死ぬ。(更に175年生きた!) -4世代にわたって、アブラムの子孫がその土地を占有する。 -アモリ人(カナン人)の罪は、神が彼らを立ち退かせられるに至るまでの 尺度に達していなかった。 神のやり方は大変複雑である。私たちには理解できないことが多いが、神は 同時に多くの要因を全て扱い織り交ぜていらしゃるということを知る必要が ある。アブラムは、疑問に思ったに違いない:なぜ私の子孫は、約束の土地 を受け継ぐまでに、更に400年もの間待たなくてはならないのか? それは、神がカナン人のために、悔い改め神に帰る猶予の400年と言う期 間をお与えになったからである。アブラムの人生の中で、神は約束してくだ さったことをお守りになられる忠実な神でいらっしゃるということをアブラ ムは学ぶ必要があった。また、神のご計画と目的は、アブラムの人生よりも はるかに壮大なものであるということを信頼する必要があった。これは決し て易しい教訓ではない。私たちはアブラムに見ることができるように、「神 の働きを助けよう」という誘惑にかられるものである。しかし、私たちが 自分のやり方で神の働きを助けようとする時、それは神の邪魔になるだけで あり、結局、トラブルに終わる結果となる! アブラム、サライとエジプト人の女中、ハガル: 「神は見てくださる」私の状況 を、そして、私への愛を拡張してくださる。 神に命じられた通り、ハガルはアブラムとサライの元に帰り彼らに服従 した。このようにして、イシュマエルは、アブラムの家族として育った。 後に、話が展開していくように、ハガルとイシュマエルは、サライとその 息子、イサクにとって継続的なライバルとなってしまう。この相互の家族間 の対立は、最終的には国際紛争へと発展する。イシュマエルの子孫はイサク を通してのアブラムの子孫において永遠のとげとなる。 16:1-16 子供を授かるまでに10年待った後、アブラムとサライは、神のご計画の実 現を助ける決心をした。サライが、エジプト人の女中である、ハガルに母親 の代理として彼らのために子供を産ませるという計画を提案した。この極め て重大な決断を下すにあたって、アブラムとサライは、祈りによって神の御 心を求めることを忘れてしまった。彼らの計画は完璧のように思えた・・・ 子供が生まれるまでは。 16:4 彼はハガルの所にはいり、ハガルは子をはらんだ。彼女は自分のはら んだのを見て、女主人を見下げるようになった。 16:5 そこでサライは アブラムに言った、「わたしが受けた害はあなたの責任です。わたしの つかえめをあなたのふところに与えたのに、彼女は自分のはらんだのを見 て、わたしを見下げます。どうか、主があなたとわたしの間をおさばきに なるように」。 16:6 アブラムはサライに言った、「あなたのつかえめは あなたの手のうちにある。あなたの好きなように彼女にしなさい」。 そしてサライが彼女を苦しめたので、彼女はサライの顔を避けて逃げた。 (v. 4-6) ハガルの逃亡中、神がハガルのに現れ、彼女の息子から大いなる国民を お作りになられるというご計画を約束された。優しいやり取りの中、神が ハガルの息子に名前を与えてくださった。そして今度は、ハガルが神にお 名前を捧げた。 Ishmael(イシュマエル) = “God hears” = 「神は聞いてくださる」 利用されて、見捨てられた女としての私の叫びを。 Elroi (エルロィ) = “ God sees” = 私たちは頻繁に、長い試練を通過中、神の愛に不信を抱き、自分は忘れられ ていて、私の問題を見ても、気にしてもくださっていないかのように思える 時がある。ハガルの物語は、私たちが闇と疑いの真っただ中にいる時、神は 私たちの状況を見てくださっており”God sees”(El-roi)、神は私たちの叫び を聞いてくださっている”God hears” (Isham-El) 。神は、決してご自分の子 どもたちから目を離されることはない! 約束の更新・割礼;改名: 17:1-18:15 更に13年が経過したが、アブラムとサライにはまだ子供が授けられていな かった。再び神は、すっかり年老いたアブラムとサライに約束した事柄を 実現されるご意志を再確認するために来られる。 17:1 アブラムの九十九歳の時、主はアブラムに現れて言われた、「わたし は全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。17:2 わた しはあなたと契約を結び、大いにあなたの子孫を増すであろう」。 (17:1,2) 神の御意志のさらなる証拠の印として、アブラムとサライの約束された将来 を反映する名前に改名された: 17:4「わたしはあなたと契約を結ぶ。あなたは多くの国民の父となるであろ う。17:5 あなたの名は、もはやアブラムとは言われず、あなたの名はアブ ラハムと呼ばれるであろう。わたしはあなたを多くの国民の父とするから である。(17:4,5) 17:15 神はまたアブラハムに言われた、「あなたの妻、サライは、もはや 名をサライといわず、名をサラと言いなさい。 17:16 わたしは彼女を祝福 し、また彼女によって、あなたにひとりの男の子を授けよう。わたしは 彼女を祝福し、彼女を国々の民の母としよう。彼女から、もろもろの民の 王たちが出るであろう」。(17:15,16) 明確に、彼らには、神がこれから自分たちの子供を授けてくださり、その子 によって国家が築かれるという約束をはたされるご計画を信じることが出来 なかった。彼らの息子の「イサク」と言う名は、二人に、神の約束は奇跡的 であり驚くべきであることを永遠に思い出させるものであった;が決してふ ざけた冗談ではなかった。 「アブラハム」とは、「群衆の父」と言う意味である。 「サラ」とは、 「王女」と言う意味である。したがって、神はアブラハムを大いなる国民の 父とされ、王女のサラを通してすべての国が祝福されるということを確認さ れた。 創世記17:9-14では、神とアブラハム(イスラエル)から生まれる 国民との間の契約の永久の印として、全ての男の子孫に生まれて8日目に 割礼を受けることをアブラハムに命じられたことを記録している。この章 は、アブラハムの世帯がその指令に従ったことを記して締めくくられている (17:23-27)。 神は、さらにもう一つ重要な名前を夫婦に与えられた。間もなく生まれよう としている息子に「イサク」(笑い)と名付けられた。なぜそのような名前 が与えられたのでしょう?来年アブラハムは、息子を授かると聞いたとき、 彼は驚きのあまり(高齢のため)、イシュマエルを通してそのご計画を実行 されることを提案した。彼は不信のあまり笑ってしまった! 創世記18:1-15では、アブラハムとセラの天幕に主が個人的に訪問さ れたことが記録されている。これはイサクが生まれる約一年前、17章と同 じ時期に起こった出来事と思われる。 17:17 アブラハムはひれ伏して笑い、心の中で言った、「百歳の者にどうし て子が生れよう。サラはまた九十歳にもなって、どうして産むことができ ようか」。 17:18 そしてアブラハムは神に言った、「どうかイシマエルが あなたの前に生きながらえますように」。(17:17,18) 旧約の時代は、“ Theophanies” 「セオファニエス」(神の出現)が頻繁に 記録されている。三位一体の二番目のお方、父なる神の御子が受肉以前の形 で登場していっらっしゃった可能性が高い。この特定な例についてあげる と、神はアブラハムとサラに2人のみ使いと共に現れた。アブラハムとサラ は、ソドムとゴモラに対する神の裁きの実行のための訪問を中止させようと しているように伺える(18:16-19:38)。 再び、次の章において、サラが懐妊するという神のご計画を聞いたときに、 サラも笑っってしまった。神はそのことについてサラを呼び出された! 18:11 さてアブラハムとサラとは年がすすみ、老人となり、サラは女の月の ものが、すでに止まっていた。 18:12 それでサラは心の中で笑って言った、 「わたしは衰え、主人もまた老人であるのに、わたしに楽しみなどありえ ようか」。 18:13 主はアブラハムに言われた、「なぜサラは、わたしは老人 であるのに、どうして子を産むことができようかと言って笑ったのか。 18:14 主にとって不可能なことがありましょうか。来年の春、定めの時に、 わたしはあなたの所に帰ってきます。そのときサラには男の子が生れてい るでしょう」。 18:15 サラは恐れたので、これを打ち消して言った、 「わたしは笑いません」。主は言われた、「いや、あなたは笑いまし た」。(18:11-15) 神は、ご計画の実行を急いでおられるわけではない。アブラハムは初子の 息子を授かるまでに25年間待った。モーセはイスラエルの民を導く使命を 受けるまでに、砂漠で40年間過ごした。ダビデはティーンエイジャーの時 に油を注がれたが、王になったのは30歳になってからであった。 パウロは主要な使徒として出現する前に、14年間アラビアで過ごした。 イエスは、3年間の宣教活動のために、30年間かけて成長された。趣旨は 何か?神は、あなたを通してなさろうとしていらっしゃることよりも、 あなたの内でなさろうとしていらっしゃることに、より関心を持って いらっしゃる。神はたとえ神の目的達成のご計画の実行が数年、いや数十年 遅れたとしても、忍耐深く彼に仕える者たちを成長させようとしてくださ る!神は非常に忍耐強いお方である。 ソドムとゴモラに対する神の裁き: 18:16-19:38 アブラハムの物語のこの箇所には、二つの主な目的が秘められている: 1)出エジプト世代がモーセの指揮下でカナンの地へと向かうにあたって の警告である。その土地は、不義で満たされている。イスラエルの民は カナン人の不義に陥ってはならない。彼らは、神の律法に従い、「司祭の 国民」、「聖なる国民」として際立たなくてはならない(創世記19:5, 6)。そうでなければ、ソドムとゴモラと同様に、神の裁きが彼らの上に 下される。2)また、この箇所はアブラハム一人を通して神の祝福と保護 が他へと広められる仲介者及び仲裁者としての役割を強調している。 -仲裁者、アブラハム: 18:16-33 神がソドムとゴモラをお裁きになるというご意志を知ったとき、アブラハム はそこに宿る残った義人のために代わってとりなした。以前ソドムに落ち着 いた彼の甥であるロトとその家族のことが頭にあったことは確実である。 アブラハムは神に質問した:不義人と共にいる義人も裁かれるのですか? もし50人の義人がいる場合ば? いいえ! もし45人の義人がいる場合 ば? いいえ! もし40人の義人がいる場合ば? いいえ! もし30人 の義人がいる場合ば? いいえ! もし20人の義人がいる場合ば? いいえ! もし10人の義人がいる場合ば? いいえ! 要点は明確である:神が人類に裁きをもたらされる際、神は絶対的に公正か つ正確であられる。神は人類の罪に対する裁きの執行において決して間違い を犯されることはない。次に続く場面の実行のさい、神は、アブラハムの 質問よりも更に先に行かれ、4人を裁きから免じられた。 -ソドムとゴもらに対する裁き: 19:1-29 ロトをソドムから救出された後、神の道徳的な教えから極端に外れてしまっ たことが原因で、神の裁きが、この町々と低地全体に下された。この物語に は、ソドムの住民は冷酷であり、自己中心であり、あらゆる形で性的不道徳 に夢中になっていたという事実を疑う余地は全くなかった。彼らは、2 人の 男性訪問者をレイプし性的虐待行為を犯す目的に手渡すことを要求しなが ら、ためらうことなくロトの家を攻撃した。ロトとその妻、そして2人の娘 たちは、二人の男(御使い)によって速やかにその町の外へと誘導された。 ロトの妻は、明確であった命令に背いた:「後ろを振り返ってはならな い。」(19:17)逃走中に、彼女は振り返ってしまった。本文の読み取 り:「彼女は塩の柱になってしまった。」ロトの妻はソドムを(切望の思い で)振り返ってしまっただけでなく、引き返してしまい、その低地の町々の 上に天から落ちてきた神の火の裁きに巻き込まれてしまった可能性がある。 -ロトの娘たち、近親相姦を犯す: 19:30-38 ロトとその娘たちとの関係は、機能障害のよい例であった。以前ロトは、 欲望に満ちた悪党らに、2 人の男の訪問者の身代わりに、娘たちを提供する ことによって彼女たちを辱めた。「好きなようにしてください。」(19: 8)。ソドムの破壊の後、娘たちは父親と洞穴に隠れ住みながら、これから 一体どのようにして夫を探し子を無むことが出来るだろうかと不安に思った (彼女たちの婚約者であった二人の男はソドムに残り破壊によって死んでし まった。)。彼女たちにとって、不安の解決策は神に信頼し委ねることでは なかった;むしろ父親を陥れ、酔わせ、性的関係を持つことであった。これ らの近親相姦の結果が何世紀も後の、イスラエルの民にとっての永遠の敵国 となるモアブ人とアモン人が約束の地の侵略を求めることであった(19: 37,38)。モーセは出エジプト世代に彼らの神の約束の内にある祝福の 起源のみならず、何世紀も前にさかのぼり、信仰によって生きることが出来 なくなった罪深い男たち、女たちの苦闘の起源も説明する。 モーセ五書における偉大な教訓の一つは、現在の私たちの行動は、将来の 世代に影響を与えるということである。私たちの義の行いによる結果も、 罪深い選択による結果も、今は目にすることはないかもしれない。しかし ほぼ確実に、神は父親の罪と父親の義さえも、第三世代、第四世代の子供た ちへと受け継がされる。(出エジプト34:6,7)あなたは未来の世代が 開けられるために何の贈り物を用意しているでしょうか?神聖なる祝福の贈 り物でしょうか?それとも神聖なる懲罰の贈り物でしょうか? アブラハム、サラについてアビメレクに偽る: 20:1-18 アブラハムは再びここで自分を守るために罪深い戦略を使い、自分の妻であ るサラのことを「自分の妹」であると偽った。ゲラルの王であるアビメレク は、当時十分に美しかったサラを自分のものにした。神はその後アビメレク の世帯に裁きをもたらされた。サラがアビメレク、その妻、そして奴隷たち のものとなっていた間、彼らは栄えなくなってしまったので、最後に アブラハムは彼らのために取り成した。ここでのいくつかの教訓: 1)アブラハムの信仰は、彼の人生のこの段階においても、まだまだ進行 形であった。2)たとへ彼らが神の道の内を正確に歩けていない時でも、 神の支持と保護はアブラハムとサラの上にあった(15章での神とアブラハ ムとの間の契約は一方的なものであったことを思い出しましょう;その契約 はアブラハムの忠実さにかかっていたのではなく、唯一、神の忠実さに依存 していた。)。3)再び、ここで神の祝福はアブラハムを仲介者として、 他へと広められる、その役割が浮き彫りになっていることが分かる。 イスラエルの国民が後にこの役割を受け継ぎ、神の祝福を世に広める仲介者 となる。 イサクの誕生;ハガルとイシュマエルは追い出される:21:1-34 ついにアブラハム(100歳)とサラ(91歳)に息子が生まれる!喜び 「笑い」(イサク)と名付けた。サラは、その名前の由来を自分で作り替え た:「神は私を笑われました。聞くものはみな私に向かって笑うでしょ う。」(21:6)実際神が彼らの子供に「イサク」と名付けるように仰っ たとき、まったく違う理由があったことを思い出しましょう(参照:17: 17、18:11-15)。 イサクの誕生は、サラとエジプト人の女中、ハガル(以前、アブラハムに 息子を産んだ。参照:創世記16章)との間に更に緊迫した関係をもたらし た。アブラハムにとっては、息子であるイシュマエルを手放すということに 「大いに悩まされた」が、神は、イシュマエルを祝福されることをお約束に なられ、ハガルとイシュマエルを追い出すことをお許しになられた(21: 8-21)。実際、神はハガルの息子を祝福され、彼の偉大な国家を作られ ることを2度約束してくださった(21;13,18)。確かに、イシュマ エルの子孫はたくさんの大いなる国々となり、その中のいくつかの国々は、 何年も後にイスラエルのライバルとなる。 アブラハム、イサクを犠牲にするように命じられる: 22:1-25 神がアブラハムにその息子をいけにえとして祭壇に捧げることを求められた とき、アブラハムにとって彼の信仰の歩みの定義の場面が訪れた。これは、 アブラハムの神への無条件の愛が試される機会であった(22:12)。 アブラハムは速やかに正確に神によって与えられた命令に従った。どうして アブラハムには、神が大いなる国民をお約束してくださった息子をいけにえ にすることが出来たのでしょう?新約聖書によるこの出来事についての説明 から、ァブラハムは、神には必要ならばイサクを死から蘇えらせることが出 来るお方であることを信仰によって信じていたということを学ぶことが出来 る。へブル人への手紙の著者は次のように説明している: 11:17 信仰によって、アブラハムは、試錬を受けたとき、イサクをささげ た。すなわち、約束を受けていた彼が、そのひとり子をささげたのであ る。 11:18 この子については、「イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ば れるであろう」と言われていたのであった。 11:19 彼は、神が死人の中から 人をよみがえらせる力がある、と信じていたのである。だから彼は、いわ ば、イサクを生きかえして渡されたわけである。 (へブル人への手紙 11:17-19) 最後の瞬間に、神がイサクの代わりの供え物(近くの茂みにからまった 雄羊)を備えてくださった。この神聖なる贈り物を褒め、アブラハムは神と その山に”Yahweh-jireh”「神は備えてくださる」と名付けた。 神は私たち一人一人から無条件の愛を求めていらっしゃる。神は、私たちの 人生の優先順位において2番目、3番目、4番目ではなく、1番目でありた いと願っておられる。時おり、神は、私たちの一番尊いものに手を置かれ、 私たちの心を試されることがある。その時、神が本当に求めていらっしゃる ことが何であるかを感知しなくてはならない: 私たちの心の完全な献身で ある。神があなたを試されるとき、あなたのイサクを祭壇にささげなければ ならない。何らかの方法で、神はあなたの心の真の必要をそなえてくださ り、彼があなたのための行く手になってくださる。 アブラハムとイサクのこの場面は、イエス·キリストの別の気質、もしくは イメージを与えてくれる。神は、イサクの身代わりとなる捧げものを備えて くださった。イエスこそが、私たちの代わりに死んでくださり、身代わりの 捧げものとして神が備えてくださった雄羊である。私たちは皆、アブラハム とイサクとともに” YAHWEH-JIREH!” 「神は備えてくださる!」と叫び喜ん でよいのです。神は、私たちの救いのために必要な捧げものを備えてくださ ったのです。 サラの死と埋葬: 23:1-20 サラは127年生き、カナンの地で死んだ。この章の目的は、ただ単に彼女 の死と埋葬を記録することではなく、むしろアブラハムが定めた埋葬の過程 を記録することにあった。アブラハムは、慣習に従って彼女を先祖の土地に 埋葬するのではなく、埋葬のためにカナンに土地を購入した。アブラハム は、この時点まではその土地に何も所有するものもなく仮の住まいとしてき た。そして、サラの死をきっかけに、彼はヘテの息子に属するフィールドを 購入した。 23:17 こうしてマムレの前のマクペラにあるエフロンの畑は、畑も、その中 のほら穴も、畑の中およびその周囲の境にあるすべての木も皆、 23:18 ヘテ の人々の前、すなわちその町の門にはいるすべての人々の前で、アブラハ ムの所有と決まった。 23:19 その後、アブラハムはその妻サラをカナンの地 にあるマムレ、すなわちヘブロンの前のマクペラの畑のほら穴に葬った。 23:20 このように畑とその中にあるほら穴とはヘテの人々によってアブラハ ムの所有の墓地と定められた。 (23:17-20) メッセージは、この日、アブラハムは、神がイスラエルの民に約束されてい た偉大な土地の最初の割り振りを与えられたということである。 イサクの妻探し: 24:1-67 24章はアブラハムが息子のイサクのめに妻を探し与える過程を詳細に記し ている。アブラハムは息子がカナン人を妻に娶らないように導くことによっ て信仰を行使した。アブラハムは彼の一族から息子の妻を見つけるために僕 を故郷に送り返す決心をした。アブラハムはその僕に2度命じた:「何があ っても息子のイサクをあの土地に連れて行ってはならない!」強力なメッセ ージ:イサクは、神が約束してくださっているカナンの地の相続人である。 私たちの故郷のウルの地へイサクが戻ることは決してあってはならない。 その僕はアブラハムの親戚が住んでいたメソポタミアへと戻る長い旅に 出た。神はその僕を、アブラハムの兄弟ナホルの孫娘リベカへと導かれた。 僕はアブラハムの親族に主が主人を大いに祝福されたことを語った。彼ら は、リベカの結婚において、神の御手による働きを感知し、イサクの妻、ま た神の約束の相続人となるためにリベカを送り出した。その僕とリベカが イサクの待つところに到着した時、その場面は、ロマンチックな色調へと展 開し彼らの最初の出会いを記述している。紛れもない、一目ぼれであった! 24:63 イサクは夕暮、野に出て歩いていたが、目をあげて、らくだの来るの を見た。 24:64 リベカは目をあげてイサクを見、らくだからおりて、 24:65 しもべに言った、「わたしたちに向かって、野を歩いて来るあの人はだれ でしょう」。しもべは言った、「あれはわたしの主人です」。すると リベカは、被衣で身をおおった。 24:66 しもべは自分がしたことのすべてを イサクに話した。 24:67 イサクはリベカを天幕に連れて行き、リベカをめと って妻とし、彼女を愛した。こうしてイサクは母の死後、慰めを得た。 (24:63-67) 物語は、神がアブラハムとサラに約束された相続人であるイサクとリベカの 人生へと継続していくためにステージの設定が整った。彼らの物語は、 創世記の物語の次のパネルを形成していく。 アブラハムの死: 25:1-11 アブラハムには沢山の息子と娘がいた;しかしその全ては、約束の地にイサ クだけを残すために送り放たれてしまった。唯一イサクの種にのみ、神の 約束の充足がある。 アブラハムは、175歳で死に、彼がへテの息子から購入した土地の埋葬 区画の妻リベカの隣に葬られた。彼の人生では、神の祝福がすべての国民に 行きわたるための基礎が築かれた。 旧約聖書が指す「アブラハムの子どもたち」とは、イスラエルの民のことで ある。新約聖書の「アブラハムの子どもたち」の概念は、アブラハムの 信仰を分かち合うすべての人(ユダヤ人も異邦人も)へと広がった。だから パウロはガラテヤ人の教会に宛てて手紙を書く:3:7 だから、信仰による者 こそアブラハムの子であることを知るべきである。 3:8 聖書は、神が異邦人 を信仰によって義とされることを、あらかじめ知って、アブラハムに 「あなたによって、すべての国民は祝福されるであろう」との良い知らせ を、予告したのである。 3:9 このように、信仰による者は、信仰の人 アブラハムと共に祝福を受けるのである。(ガラテヤ人への手紙3:7-9) もしあなたが救い主でおられ、身代わりの捧げもとなってくださった イエスに信仰をおくならば、その時、あなたは、この一人の男を介してすべ ての国民を祝福される神の約束を喜ぶ真のアブラハムの子供となる。
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