2016 年 2 月 1 日 №95 『悪霊との闘いに備えよ』 酒匂キリスト教会 牧師

№95
『悪霊との闘いに備えよ』
2016 年 2 月 1 日
酒匂キリスト教会
牧師 勝俣慶信
【今週のみことば】
終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。
悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けな
さい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配
者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。
(エペソ人への手紙 6 章 10 節~12 節)
聖書は、悪魔や悪霊などを観念としてではなく、霊的実存者として教えます。因みに、
悪魔は悪霊の長のことです。
悪魔は、もともと神様に仕える御使いの一人でした。ところが、神様に仕えることを喜
びとせず、自分が神の座に着こうとし、神に背いて追放され、闇の下に閉じ込められたの
です。(ユダの手紙 6、Ⅱペテロ 2:4)。
聖書では、神様から愛を注がれ、その愛に応答し、神様の御心が前進していく世界を「神
の御国=天国」と呼びます。私達は日常生活の中で神の国を体験することができます。
一方、神様を忘れて高慢になり自分が一番で、したいことだけ追い求める生活をする時、
そこに本当の愛はなく(自己愛だけ)、憎しみ、争い、犯罪、死の絶えない滅びの世界が生ま
れます。これを「暗闇の世界=罪の世」と呼ぶのです。これもまた日常生活に溢れています。
「神の国」や「罪の世」は、死後の世界と今の世との対比ではなく、
『自分が今ある状態』
であると言えます。ですから聖書に、
「あなたは、どこにいるのか(創世記 3:9)」との神様
の呼び声が、最初から地の上に響いています。
神様に背く悪魔・悪霊の力は、次のように私達の日常に働きかけます。
1. いのちの方向にではなく死の方向に向かわせる。(死にたい、殺したい)
2. 神様の喜びに生きるより、自己中心に生きたい。
3. 神様の内にある感謝より、この世の虚栄心、豊かさ、名誉、権力などを求めさせる。
4. 赦し、和解、一致へ向かうより、破壊の方向に向かわせる。(不平不満、無視、陰口、
分裂など)
5. この世の権力者に特に働き、人々を死と滅びへ導いていく力となる。
神様は、最初の人アダムを神の園エデンに置き、
「あなたは、園のどの木からでも思いの
まま食べてよい。
」(創世記 2:16)と言われました。これは、
「欲するまま自由に」という大変
気前の良い言葉です。
「神は愛なり」ですから、愛する子に、良きものを注ぎたくて仕方な
い。それほど熱い愛の心をおもちだと分かります。更に分かるのは、
『欲』そのものは、決
して悪いものではないということです。それは、神様がお与えくださった成長には欠かせ
ない、生命力でさえあります。
ところが、この『欲』に、悪霊は日常的に働きかけてきます。そこを見分けられないと、
私達はあっと言う間に心を乗っ取られ、気づいたら神様から引き離され、神様が喜ばれな
い罪の中を生活しているということが起こりかねません。
今日のみことばを、もう一度ご覧ください。
私たちは霊的な戦い、即ち、私の心を神様の御霊で満たしていただこうと祈るのか、悪
霊の支配を許してしまうのか、重大な戦いに常に立たされています。そして神様は、私達
が与えられている『欲』を神様に向かって健全に働かせ、「神様、あなたの霊に、あなたの
心に満たして守ってください」と祈り、神様と共に歩む生活を願い求めることをこそ期待
して待っておられるのです。与えられている『欲』の力を、私の意思で、神様に向かって
用いていける自由こそ、悪魔や悪霊から解放されている自由です。
信仰の胸当てをいつもつけ、御霊の与える剣である、神のみことばを日々、新しく頂い
て、祈りつつ進みましょう。その人は、悪霊に支配されることも負けることもありません。
むしろ、神様からの恵みと祝福、そして良き働きが更に増し加えられるのです。