某企業グループにおけるAED設置状況と 工場内設置AEDによる1救命例

松仁会医学誌46
(2)
:135∼139,2007
某企業グループにおけるAED設置状況と
工場内設置AEDによる1救命例
亀田孝夫,鎌倉恵美子*
松下健康管理センター予防医療部生活習慣病科,
*
松下電器産業株式会社松本工場健康管理室 要旨:松下電器グループでは,2005年6月から各事業所内へのAED(Automated
External Defibrillator)の FR2の設置を開始し,現在208台ある.これらのAEDは設
置当初,AHA(American Heart Association)ガイドライン2000年版(G2000)準拠
であったが,2006年夏には,すべてのAEDを新しい日本版救急蘇生ガイドライン準
拠に変更した.2007年3月には,工場内で発生した43歳男性の心停止に対し,工場内
設置のAEDにより除細動に成功し,職場復帰した例が出ている.
キーワード:AED,工場,職場復帰
はじめに
領域での死亡率を10年間で25 %改善することを目
標にすると発表した.また,この目標値を達成す
日本では平成17年に非医療従事者のAEDの使用
るための中心手段を「プレホスピタルケア水準の
が認められ,まず,多くの人が集まるところを対
向上」とし,そのために「多くの一般市民にAED
象にAEDの設置が始まった.そして数カ月後,愛
使用ができるようにすること」を目指していくと
知万博におけるAEDによる救命例が報道され,一
いう方針が示された.
般市民にもその存在が知れ渡るようになった.こ
この一般市民のAEDの使用推奨は,「非医療従
れらの状況下で,学校や企業においてもAED導入
事者による自動体外式除細動器(AED)の使用の
が始まったが,松下電器グループにおいても全国
あり方検討会報告書」に基づくものであり,これ
165の事業所に208台のAEDを設置した.そして今
に沿って平成16年7月1日に出された各都道府県
回,事業所内で心停止を起こした社員に対し,
知事あての厚生労働省通達,医政発第0701001号
AEDを使用し,救命・社会復帰した例を経験した
「非医療従事者による自動体外式除細動器(AED)
が,事業所内設置AEDによる救命例の報告はおそ
の使用について」の中には,「職域や教育現場で
らく本邦で初と思われるため,これまでのAED導
実施される講習も含め,多様な実施主体により対
入経緯とともに救命例につき報告する.
象者の特性を踏まえた講習が実施される等によ
り,AEDの使用に関する理解が国民各層に幅広く
導入経緯と設置状況
行き渡るように取り組みいただくほか,…」との
記載があった.これらの状況から,この後,企
厚生労働省は,平成16年8月31日に,救命救急
医療の体制強化に乗り出すことを決め,救急関連
2007年6月11日受付
連絡先:〒570-8540 大阪府守口市外島町5-55
松下健康管理センター
予防医療部生活習慣病科(亀田孝夫)
業・職域において,AEDの使用に関する講習・設
置が奨励されることとなった.
一方,当時の松下電器グループの職域における
「在職中に急性心筋梗塞や不整脈で突然死をきた
す社員数」は毎年10人以上であった.この数は心
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亀 田 孝 夫 ほか
停止後に蘇生された者は含んでおらず,また,発
状況の情報でAEDの使用状況を容易に把握できる
症場所の確認ができなかったため,事業所内での
ようにした.そして2005年9月からAED(FR2)の
勤務中の心停止発症数も不明ではあったが,事業
設置を開始し,2カ月以内に全国165事業所への
所内にAEDを導入した場合,突然発症する心停止
設置を完了した.各事業所内の設置場所について
に対し,効果を発揮することが予想される人数で
は,食堂・送迎バス発着所などの人の集まるとこ
あった.
ろや,守衛室,健康管理室前などが多かった.
また,当時,既に,アメリカ松下電器ではニュー
そして2005年末にAHAの心肺蘇生法ガイドライ
ジャージーの本社内に9台,支社も含めると50台
ン2005年版 3)が発表され,続いて2006年4月末に
のAEDが設置されており,朝,本社に出社した直後
日本版の「わが国の新しい日本版救急蘇生ガイド
に心停止になった社員が社内に設置されたAEDの
ライン」の骨子4)が発表され,その蘇生の指針が,
使用によって蘇生されたという実績1)もあったこ
従来の3回連続除細動から「1回の除細動を実施
とや,愛知万博でもこれによって救命された例が
し,その後すぐにCPRを2分間(または5サイク
あったことなどもあり,松下電器グループ全国各
ル)実施すること」に変更となり,これに合わせ
事業所へのAED導入に向けての検討が行われた.
てAEDのプログラムを変更する必要が生じた.こ
導入については,①大量購入によるコスト削減,
のため,松下電器グループでは,2006年7月から
②同一時期に消耗品補充などができるメンテナン
9月の間に,新しいガイドラインに準拠させるべ
スの効率性,③取り扱い方法の同一性などを考え,
く,当時設置していた208台の全AEDへのプログ
松下グループ内で同一時期に同一機種を導入する
ラム変更を実施し,また,この変更を周知するた
こととした.
め,変更内容を明示した通達とともに「新しい日
AEDの機種選定においては,①当時のAEDは,
AHAの心肺蘇生法ガイドライン2000年版(G2000)
2)
本版救急蘇生ガイドライン」に基づいたDVD付の
一次救命処置のテキストを各事業所に配布した.
に準拠した蘇生プログラムであったが,導入開始
時期を2005年の夏と想定したため,その後,発表
AEDを用いた一次救命処置の教育
されるAHA心肺蘇生法ガイドライン2005年版に準
拠するように変更できること,②低エネルギーで
導入後,各事業所では,AEDを用いた一次救命
心筋へのダメージが少なく,除細動効率も高い二
処置の社員への教育を開始した.実技については,
相性波形であること,などを考慮した結果,フィ
大阪の松下健康管理センターでCPR訓練用の人形
リップス社のFR2を導入することにした.また,
3体,および,AEDトレーナー3台を用意し貸出
設置場所を明確に知らしめることと管理の問題を
しをしていたが,AED導入が各事業所ともほぼ同
考え,壁掛け式のボックスを設置し,その中に収
じ時期であったため,貸出し要望が集中し,結果
納することとした(図1).また,納入を一社に限
的には,多くの場合,各地の消防署に依頼して,
定することにより,そこからだけのパッドの補充
蘇生訓練用人形,AEDトレーナー,指導者ともお
世話になることになった.
しかし,初期救命に関して経験も知識もない社
員に一度だけの講習を実施して,事故発生時にう
まく対応できるとは限らないこともあり,事業所
によって教育対象者の選定に差が生じ,全員に実
技講習を受けさせるところ,各職場単位で数名ず
つ受講させたところ,限られた人に複数回受けさ
せる事業所,などがあり,また,事業場内で行っ
た救急救命士による初期救命講習を受講した従業
員を対象に初期救命に関する知識・意識・技能の
3点につき講習の効果の評価を行ったところなど
図1 AED設置ボックス
もあった.また,広い構内で1台しかAEDを設置
AED設置状況と工場内救命例
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していない場合,AED設置場所の最寄の部署に電
AED設置場所から倒れた場所までの距離は約
話を入れ,自転車に乗ってAEDを運ぶことを決め
100m.AED到着後,看護師は,人事担当者に電
ている事業所もあった.
源を入れてもらい,続いてパッドの取り出しもし
AEDを用いた心肺蘇生法の教育訓練状況を把握
てもらい,その間,胸骨圧迫を継続.AEDの記録
するため,2006年2月にAEDを設置している事業
(図2)によるとAEDの電源を入れたのが11時25
所に対し,電子メールにてアンケートを送信し,
分26秒.AEDパッドのコネクターを接続したのは
返信を得た.その結果,従業員に対するAED使用
方法の講習については,設置したほとんどの事業
所が実施していたが,「心停止が発生したときに
AEDが多分使用される」と答えた事業所は,47 %
であった.ただし,大規模事業所では,各建物に
までAEDは設置されておらず,心停止がAED設置
場所の近くで発生すれば多分使用されると答えた
事業所が10%あった.
また,我々が主体で実施している一次救命処置
指導では,実技などに加えて,狭心症・心筋梗塞
の症状についても説明し,同時に,これらの症状
がある人は申し出るようにと話をしているが,受
講者の中で1名,これにより,典型的な狭心症の
症状があったにもかかわらず,それを危険な兆候
と認識していなかったため医療機関に受診してい
ない人が見つかった例があった.
症例
社員480人で敷地内に4棟の工場がある松下電
器産業 M 工場での,事業所内に設置したAEDに
よって救命・職場復帰しえた例を以下に提示する.
なお,症例の発表については患者本人の承諾を得
ている.
患者は43歳の男性.2007年3月5日11時18分頃
(推定),工場内で同僚と普通に立ち話をしていて,
自分の机に戻ったところで崩れるように倒れた.
目撃者がすぐ事業所内健康管理室に電話をし,
連絡を受けた看護師が現場に向かって走った.こ
の途中,看護師は人事担当者に応援を呼びかけ,
追従を依頼.
看護師が現場到着時,患者は,事務所内の自分
の机の傍に横たわっていて体動なく,同僚が患者
周囲にいたが何も出来ず見守っていた.
看護師が呼吸・脈拍を確認し,心肺停止状態と
判断.胸骨圧迫心臓マッサージを開始しながら人
事担当者に,119番 通報と食堂に設置してある
AED(FR2)を取り出して持ってくるように指示.
図2 AEDによる11時25分26秒から11時27分47秒までの
波形(1列は10秒)心室細動の状態に除細動をかけ,15∼
16秒後に心拍再開(5段目)
.その20秒(7段目半ば)く
らいから体動に伴うと思われる基線の動揺が出現してい
る.なお11時26分53秒から4秒間(9段目の後半)はパッ
ドのコネクターを一時的にはずしたため波形が途切れて
いる.10段目はその4秒後にコネクターを再接続した続き
の波形.
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亀 田 孝 夫 ほか
図3
11時46分の救急隊に引き渡す直前のAEDによる波形
11時25分31秒.
なかったと話をしていた.しかし,たった一度の
今回使用したAEDは心電図波形表示をしない
受講であれば,たまたま目の前で倒れた人がいた
タイプであったが,後に解析した波形では,心室
としても,なかなか積極的に心肺蘇生を開始でき
細動が認められており,パッド接続の約8秒後に
ない人が多いのが実情と思われる.今後,こういっ
ショック適応の音声がでて,その約8秒後に充電
た状況を解消するために,より多くの受講を重ね
完了.この5秒後(11時25分52秒,パッド接続
るのが理想ではある.しかし,理想は全員受講で
の22秒後)に除細動を実施.倒れてから除細動ま
はあるが,事業所内実施講習という限られた受講
で7分程度は経過していたと推定される.
枠しかない場合,しかも,市中にはまだAEDがほ
除細動実施後約15秒(パッド接続後約37秒)で
とんど普及していない状況下では,目撃したなら
初回の心拍出現.おそらくこの後と思われる時期
必ず手助けするという強い意志と行動力を持って
に体動が出現し,開眼,自発呼吸が出て,脈拍も
いそうな人を選び,少数精鋭を目指すほうがいい
触知.しきりに起き上がろうとするので同僚が押
かもしれない.
さえて寝かせたが,問いかけには返答はなし.こ
この症例の一次救命処置に関しては,救助者の
の時の心電図波形の基線の揺れが大きいのは,体
心理的抵抗感から人工呼吸は実施せず,胸骨圧迫
動によるものと思われる.心拍再開後,45秒の時
のみで実施された.そして今回の教訓からAED設
点で同僚が「体動も出てきたのでAED不要」と思
置箱の中に,レスキューマウスピースを配置する
い,パッドのコネクターをはずしてしまうが,看
ようにした.また,患者が発生した工場は敷地内
護師にはずさないようにと指摘され,約4秒で再
に4棟の工場があり,AEDが設置されていたのは,
度コネクターを接続.この間,心電図記録は空白
たまたま患者が発生した棟だけであったが,これ
になっている.
を機に,交替制職場の76人全員に一次救命処置の
通報から10分程度で救急車が到着し,除細動
後20分の時点で救急隊に引き渡すが,この時点
での意識レベルは,Japan Coma Scaleで「3」
であった.
教育をし,ただちにAEDを他の1棟にも1台設置し,
残り2棟もAEDを設置することにした.
今回の症例では,心拍再開後,45秒程度経過
してから,体動が出てきたことに安心した同僚
患者は,医療機関に搬送され入院・冠インター
がパッドのコネクターをはずしてしまい,それを
ベンションなどの処置を受けたが,同年4月19日
看護師に指摘され5秒以内に再接続しているが,
には,元の職場に復帰し,通常勤務をしている.
初めての経験であればある程度仕方ないと思われ
る.しかし,これについては,繰り返し,AEDトレー
考察
ナーを用いての練習を積んでいけば改善が見込
まれる.また,当グループ企業内では事業所で
この事業所ではAEDを用いた一次救命処置の
の朝会などの集会時にAED使用に関する短時間
180分の講習を所轄消防署に依頼して86人が受講
の説明を繰り返し,効果を期待している事業所
していたが,看護師到着時には,同僚が患者周囲
もある.
にいたが救命処置は開始されていなかった.この
平成18年度の消防庁発表によると,119番通報
周囲にいた人たちの中にも救命処置の受講者が何
から救急隊員の現場到着までに要する時間は平均
人かいたが,この人たちは後日,怖くて何もでき
6.5分5)とされているが,建屋内部の構造の複雑な
AED設置状況と工場内救命例
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工場内で心停止が発生した場合においては,救急
2)Guidelines 2000 for Cardiopulmonary
隊が工場入り口に到着してからも迅速に現場に向
Resuscitation and Emergency Cardiovascular
かうことは困難なことが多いと思われる.また,
Care. Circulation 2000: 102(Supplement).
今回は平屋の工場であったが,高層ビルの上層階
3)2005 American Heart Association Guidelines
においても,エレベーターで救急隊員が現場に到
for Cardiopulmonary Resuscitation and
着するまでの時間は,かなりかかるものと予想さ
Emergency Cardiovascular Care. Circulation
れる.これらの状況では,救急隊員の到着までの
2005: 112(Supplement).
間に現場に居合わせた者によって心肺蘇生・除細
4)日本版救急蘇生ガイドライン策定小委員会編
動が速やかになされなければ,救命困難になる可
著:救急蘇生法の指針2005−医療従事者用.
能性が高く,事業所においても,CPRトレーニン
グに加え,AED設置が望ましいことは明白である.
今後,各企業においても,順次,AEDが設置され
東京:ヘルス出版;2006.
5)平成18年版救急・救助の現況.平成19年1月31
日発行.総務省消防庁.
ていくことを期待する.
文献
1)Implementing an AED Program with Life
saving Results. Occupational Hazards; 2004:
35 - 37.
The Placing Condition of AEDs in A Corporate Group
and One Resuscitated Case by AED Placed in the Factory
Takao Kameda and Emiko Kamakura*
Department of Cardiovascular Disease, Life-style Related Disease Section of
Matsushita Health Care center
*Matsumoto Health Service Section, Matsushita industrial Co. Ltd.
We placed Automated External Defibrillators (AEDs) based on American Heart Association (AHA) 2000
guidelines in almost every factory and office in Matsushita Corporate group since Jun 2005. Now, we have 208
AEDs and the software was changed based on the new guideline making the device for ready to go if any employee
needs it. Furthermore, many employees have been trained in CPR and AED use.
【Case】In Mar. 2007, an employee found a fellow employee lying on the floor, and alerted the company nurse in
the factory. When the nurse arrived, she found that the employee had collapsed in sudden cardiac arrest. The
nurse began to CPR and alerted surrounded employees to call 119 and bring the AED placed in this factory. After
one shock from the AED(FR2), life sustainable heart beats were reestablished. Emergency services with an
ambulance arrived and transported the employee to the hospital. After a hospital stay, the patient recovered and
has returned to the workplace.
AEDs in the workplace would frequently be able to resuscitate sudden cardiac arrest patients, who would
otherwise die. We hope that many AEDs will be placed in all workplaces.
Key words: AED, Factory, Return to workplace