アリエル・シャロン首相の戦争 −「パレスチナ問題(その2)」として− 小林

アリエル・シャロン首 相 の戦 争
−「パレスチナ問 題 (その2)」として−
小 林 宏 紀 (こばやし・ひろき)
近 代 シ オニズム運 動 は 、ディア スポラのユダヤ人 が、エレツ ・ イスラエル(Eretz
Isreal;イスラエルの地 )に帰 還 し、ユダヤ人 の国 家 を建 設 することを実 現 させた。
ただし、この地 のどこまでをユダヤ人 の支 配 地 域 とするかについては、シオニスト
各 派 によって微 妙 な差 がある。大 イスラエル主 義 者 は、現 在 のイスラエルおよび
ヨルダン川 西 岸 とガザを合 わせた土 地 を越 え、ヨルダン川 東 岸 をも含 めた広 域 を
エレツ・イスラエルと捉 える。1967年 の第 三 次 中 東 戦 争 で、イスラエルが、ヨル
ダン川 西 岸 、ガザ、ゴラン高 原 、シナイ半 島 まで占 領 した際 には、多 くのユダヤ教
徒 が大 イスラエル主 義 に宗 教 的 確 信 を得 たという。しかしその広 大 な占 領 地 を
返 還 しなければならなかったことへの反 対 意 思 は、パレスチナ・アラブの側 への入
植 拡 大 を実 行 していく意 思 となった。
イ ス ラ エ ル の ア リ エ ル ・ シ ャ ロ ン (Sharon,Ariel) 首 相 は 、 米 国 ブ ッ シ ュ
(Bush,George W.)
大 統 領 の掲 げた対 テロリスト戦 に協 和 する形 で、パレスチナ自 治 区 への軍 事 侵
攻 を強 めてきた。シャロン政 権 下 のイスラエル軍 は、テロを指 導 しているとしたイ
スラム組 織 の指 導 者 暗 殺 を公 然 と目 標 に掲 げて、民 間 人 もろともミサイル攻 撃
による殺 害 を実 行 してきた。シャロン政 権 によってテロ集 団 であると決 めつけられ
た組 織 も含 め、そもそもパレスチナのイスラム組 織 が何 をされて、何 をしてきたの
か、ここで詳 細 は論 じえないが、パレスチナ紛 争 の長 い道 程 の中 で、シャロン首
相 は今 日 まで何 を行 なってきた人 であるか、これを知 る時 、昨 日 今 日 だけの彼 の
言 説 からは計 れない、一 貫 した意 思 が見 て取 れるのである。
1928年 、パレスチナに生 まれたシャロン首 相 は、イスラエル建 国 後 、軍 の中
で力 をつけていった。1950年 代 には司 令 官 としてアラブ諸 国 への奇 襲 を決 行 。
第 三 次 中 東 戦 争 ではシナイ半 島 占 領 に貢 献 し、ガザでも大 量 破 壊 を行 なった。
第 四 次 中 東 戦 争 では劣 勢 を逆 転 させた。民 間 人 の殺 傷 も厭 わなかった。198
2年 には、ベギン(Begin,Menachem)内 閣 の国 防 相 としてレバノン戦 争 を実 行 。P
LO(Palestine Liberation Organization;パレスチナ解 放 機 構 )の武 装 勢 力 を全
滅 させた。この戦 争 では、民 間 のパレスチナ人 とレバノン人 数 万 人 が犠 牲 になっ
たとされている。この時 、ベイルートのパレスチナ難 民 キャンプで、キリスト教 右 派
民 兵 組 織 による難 民 虐 殺 事 件 も発 生 する。一 説 には1800人 以 上 が殺 害 され
たといわれている。当 時 国 防 相 だったシャロン首 相 は、この右 派 民 兵 の虐 殺 行
為 を認 めていた。これは包 囲 下 の人 々を守 らなければならないとする1949年 の
ジュネーブ条 約 に違 反 するものでもある。近 年 においてはヨルダン川 西 岸 のジェ
ニン難 民 キャンプでの虐 殺 も起 きている。シャロン首 相 は難 民 虐 殺 への関 与 を
巡 ってベルギー法 廷 に告 訴 された。
2 0 0 0 年 7 月 、 米 国 の キ ャ ン プ ・ デ ー ビ ッ ド で 、 米 国 ク リ ン ト ン (Clinton,William
J.)大 統 領 、イスラエル・バラク(Barak,Ehud)首 相 、パレスチナ自 治 政 府 アラファト
(Arafat,Yasser)議 長 が、イスラエルとパレスチナの最 終 地 位 交 渉 を行 なうも、合
意 には至 らず、ひとたび交 渉 は閉 会 となった。こうしたデリケートな時 期 であった
同 年 9月 、当 時 リクード党 首 だったシャロン首 相 は、武 装 した護 衛 の者 達 を自 分
の回 りに置 いて、エルサレムのイスラム教 の聖 地 である神 殿 の丘 に足 を踏 み入
れ、イスラム教 徒 と衝 突 する。これを発 端 としてヨルダン川 西 岸 とガザの広 範 囲
でイスラエル軍 とパレスチナ人 の衝 突 が激 化 していった。治 安 回 復 にも失 敗 した
バラク首 相 は、2001年 2月 の選 挙 に負 けて首 相 の座 を降 り、今 日 まで続 く騒
乱 を招 いた張 本 人 のシャロン・リクード党 首 がイスラエルの首 相 となった。
シャロン政 権 下 のイスラエル軍 は、イスラエル市 民 をテロから守 ることを目 的 に
あげて、先 述 の通 りイスラム組 織 の指 導 者 を暗 殺 し、これに伴 い、パレスチナ自
治 区 の社 会 そのものも破 壊 してきた。米 国 のイスラエルへの多 大 な軍 事 支 援 の
実 態 は周 知 の通 りである。日 本 は、国 連 開 発 計 画 (UNDP)経 由 で、あるいは国
連 パレスチナ難 民 救 済 事 業 機 関 (UNRWA)経 由 でパレスチナ支 援 を行 なってき
ており、1993年 から2001年 までの日 本 からの支 援 総 額 は6億 2000万 ドルに
達 する。この支 援 はパレスチナ自 治 区 のあらゆる分 野 をカバーしたことをパレスチ
ナ人 自 身 も認 めている。しかし2000年 9月 に始 まった騒 乱 の中 、イスラエル軍
の攻 撃 により破 壊 されたパレスチナ社 会 を再 構 築 するには、これまでの日 本 の
支 援 総 額 を越 える費 用 が必 要 となるとの見 積 もりも出 ている。ここで、1991年
の湾 岸 戦 争 後 、イラクのインフラは日 本 の支 援 によって構 築 されたという事 実 も
想 起 しないわけにはいかない。この上 で昨 年 日 本 政 府 は米 英 軍 のイラク攻 撃 を
支 持 したのである。
2004年 3月 25日 、国 連 安 全 保 障 理 事 会 で、イスラエル軍 がイスラム組 織 指
導 者 を暗 殺 したことを受 けてのイスラエル非 難 決 議 案 に米 国 は拒 否 権 を行 使 す
る。去 る4月 14日 には、ブッシュ大 統 領 は、ヨルダン川 西 岸 の大 規 模 ユダヤ人
入 植 地 の存 続 を容 認 する発 言 を行 なう。日 本 政 府 は、この米 国 を支 持 してい
る。
シャロン首 相 が実 行 してきた戦 争 に重 ねて、日 本 国 民 がパレスチナ問 題 と繋
がっていることの一 つの訳 として、支 援 の事 実 をも記 した。使 われた税 金 の末 路
に、政 策 の本 質 が見 えてくる。無 論 、パレスチナ紛 争 下 で奪 われた人 命 の甚 大
さに比 しては、語 れることなど無 い。
(2004年 5月 11日 )