リレーションシップ・マーケティング における電子マネーの意義

リレーションシップ・マーケティング
における電子マネーの意義
指導教員名
:水越
康介准教授
学修番号
:07159230
氏名
:来間
枚数
:20 枚
真悠子
リレーションシップ・マーケティングにおける電子マネーの意義
目次
【要旨】
1、序論
2、リレーションシップ・マーケティング、囲い込み戦略
2-1、海外におけるリレーションシップ・マーケティングの歴史・研究背景
2-2、日本でのリレーションシップ・マーケティングの研究
2-3、パーソナライゼーション
3、企業通貨マーケティングの可能性
4、Suica の戦略
4-1、Suica 導入の経緯
4-2、鉄道業界の現状・JR 東日本のポジション
4-3、Suica の成功要因
4-4、戦略としての Suica(MOT 的考察より)
4-4-2、Suica における価値創造
4-4-3、Suica における価値獲得
4-5、Suica の活用
4-5-1、範囲の経済
4-5-2、パーソナルサービス
4-5-3、商品開発への活用
4-6、今後の戦略的課題
5、分析(理論と現実のギャップ)
6、考察
参考文献
2
【要旨】
リレーションシップ・マーケティングの視点から電子マネーを考察することで、電子マ
ネーによる顧客囲い込みの効果と電子マネーという新技術によってリレーションシップ・
マーケティングにどのような変化が生じたのか考察した。
結果、電子マネーによる顧客囲い込みは有効ではあるが、電子マネー自体を顧客が保有
するまでにコストがかかることや電子マネーの利便性追求のために提携会社が増加するこ
とで逆に競争環境に不確実性が生まれるというジレンマを抱えていることが分かった。
しかし、電子マネーから得た顧客情報をマーケティングに生かすなど、今後の電子マネ
ー戦略には発展の可能性が秘められていると考えられた。
1、序論
本論文の目的は、企業における電子マネーの意義をリレーションシップ・マーケティン
グの観点から明らかにすることである。
近年、我々の周りには現金以外の通貨が増加した。中でもここ数年で急速に増加したのが
電子マネーである。日本で初の電子マネーとなったプリペイ型の Edy(ビットワレット)、
Suica(JR 東日本)や PASMO(株式会社パスモ)を中心とする交通系電子マネー、nanaco(セ
ブン&アイ・ホールディングス)や WAON(イオン)といった流通系電子マネーなど種類も
豊富である。電子マネーを中心とする企業通貨の特徴はお金とほぼ同等の価値があること
に加え、登録情報から企業が顧客情報を研究し、企業のマーケティングに活用できる可能
性を秘めている。
当初は顧客の囲い込みのために導入された電子マネーであるが、開発当初から電子マネ
ーから得た顧客情報を新商品の開発等のマーケティングに活用しようと目論んでいた企業
もあるという。(平井、2005)しかし現時点で、その情報を活用した商品開発が行われてい
る例はあまり聞かれない。莫大な開発費・施設費をつぎ込んで投入した電子マネーが、企
業にとって有効なマーケティング・ツールになっているのかということに疑問を抱いた。
そもそも企業はどのような意図をもって電子マネーを導入したのかも、業界・企業によっ
て異なるのではないかと考えた。
中でも注目したいのが、交通系電子マネーを導入した鉄道業界である。それは鉄道業界
が社会インフラという競争が見えにくい業界において、電子マネーをどのような位置付け
で投入したのか興味を持ったからである。現在少子高齢化等が原因で乗客数は頭打ち状態、
これからも本業の輸送業からだけでは減収が見込まれるという厳しい状況にある鉄道業界
が、単純に利便性のためだけに導入したとは考え難い。鉄道業界が電子マネーから得た顧
客情報を各企業が有効に使うことができているのかを考察したい。
本稿は以下の構成をとる。まず、電子マネー市場の現状を紹介した後、第2章でリレー
ションシップ・マーケティングの先行研究を紹介する。次に第3章では先行研究から考え
3
られる仮説を立てて、第4章で具体的事例を紹介する。最後に第5章で仮説が事例に当て
はまるのかを考察する。
その前に、現在の電子マネー市場について簡単に触れておこうと思う。
現在の電子マネー市場の現状としては、2000 年代に入ってから急速な伸びを見せた電子
マネー市場は市場規模の拡大に伴い端末設置費等の設備費などが軽減され、市場がさらに
拡大するという好循環を見せている。そのため電子マネー市場(非接触型 IC を利用して商
品やサービスの決済を行った金額の総計)は 2006 年度の 1,754 億円から 2021 年度には 3
兆 2,695 億円まで拡大すると予測される。
(野村総合研究所企業通貨プロジェクトチーム、
2008、p.33)
2010 年 4 月には電子マネー発行枚数は 1 億 3 千万枚を超えた。
(日本銀行決済機構局、2010、
p.1)また 2010 年に日本銀行決済機構局が行った「最近の電子マネーの動向について(2010
年)」では、
『電子マネーは決済件数・金額ともに前年比で 4~5 割の高い伸びを続けている。
また、流通系電子マネーの利用拡大に伴って 1 件あたりの決済金額が上昇するなど、利用
される店舗や支払対象の広がりに変化が窺われつつある。「駅ナカ」から「街ナカ」、グル
ープ内企業から外部提携への展開を反映して、端末台数は増加ペースを速めており、こう
した利用環境の改善が市場規模の拡大を後押ししている。また、市場規模の拡大は、端末
設置・運用コストの軽減に繋がるという好循環をもたらしつつある。もっとも、現金やそ
の他の決済手段と比較すると、電子マネーの決済金額や残高(カード上に入金されている
金額)の規模は依然小さい。日本銀行が行ったアンケート調査でも利用地域や年齢層に偏
在が窺われるなど、家計部門による経済取引全般のなかでの利用はなお限定的といえる。
電子マネーは引き続き普及の途上にある。(p.1)』 としている。
また野村総合研究所が 2007 年から毎年行っている「電子マネーに関する調査」において
も、保有率・買い物利用率ともに増加しているという結果が得られ、
『決済手段としての電
子マネーが存在感を強めてきているという状況がうかがえる。』と評価されている。
これらのことから、電子マネー市場は確実に伸びを見せながらも、同時に改善すべき課
題も多く、それゆえに今後が期待されているということが分かる。
2、リレーションシップ・マーケティング、囲い込み戦略
電子マネーを含めたポイントプログラムなどの企業通貨は、基本的には顧客の囲い込み、
また優良顧客の識別などのためのツールとして考えられてきた。(『ゼミナールマーケティ
ング入門』、2004、p.385-420)自社店舗のみで利用できる電子マネーを発行することによ
って、利用者に対してのみポイントを発行してそのポイントがたまると新たなサービスが
受けられるといった施策を行うことで顧客が選択的に自社店舗に来店するように囲い込む
のである。
本章では、実際に電子マネーが企業にとってどのような役割を果たしているのかを知る
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前に理論上のリレーションシップ・マーケティングや囲い込み戦略について考えていきた
い。
2-1、海外におけるリレーションシップ・マーケティングの歴史・研究背景
最初に、リレーションシップ・マーケティングが注目され始めた歴史とリレーションシ
ップ・マーケティングの研究に注目が集まるようになった背景を紹介する。
1970 年代初めまでのアメリカのマーケティングの考え方として主流だったのは市場交換
を想定したものであった。そのため、企業にとって重要だったのは自社の製品が市場に合
っているかどうかということであり、取引相手との関係といったことには関心が薄かった。
しかし南(2005)では、Johan Arndt を紹介しながら内部化された市場概念(domesticated
market)を次のように指摘している。『市場の発展段階において、企業はすでに継続的な取
引関係にある相手との取引を行うことを志向するようになり、実際に米国が欧州、北欧、
日本とそのような取引関係がよく見られる。(南、2005、p.7)』
また、同じく南(2005)では Robert F. Dwyer,Paul H. Schurr,and Sejo Oh を紹介しな
が ら 、 市 場 で の 離 散 的 取 引 (discrete transaction) と の 対 比 概 念 で あ る 関 係 的 交 換
(relational exchange)も同様に主張している。
南(2005)では、『彼らの主張は従来の米国流マーケティングである市場交換を想定したも
のに対するアンチテーゼ的な意味合いを持ち、取引相手との継続的関係への注目を喚起す
るものであった。(南、2005、p.8)』としており、米国においても関係性マーケティングの
研究が進められる流れとなったのである。
そして南(2005)は Leonard L. Berry(1983)や Gronroos(2000)を紹介しながらリレ
ーションシップ・マーケティングを『顧客を惹きつけ、顧客関係を維持すること、築くこ
とに関わること(南、2005、p.9)』と定義しており、企業間以外にもサービス業にとって
非常に重要になってくるとしている。これは当時のアメリカで経済がサービス化していた
ことも大きく関係していると考えられる。
さらに南(2005)では Atul Parvatiyar and Jagdish N. Sheth を紹介しながら、リレー
ションシップ・マーケティングを『直接顧客および最終顧客との、相互に経済的価値を上
げ、コストを削減する、協調的、協同的活動に従事する、前進的なプロセス(南、2005、p.13)』
と再定義し、アカデミックな領域でのリレーションシップ・マーケティングの再評価と統
合の動きとは独立に、戦略的な顧客志向というトレンドがマーケティングの実践に影響を
与えていったことが指摘されている。
その要因として考えられることは、サービス経済化における顧客関係の重要性という点
であるという。Atul Parvatiyar and Jagdish N. Sheth の主張によると、サービス化が進
行し、技術が複雑化する環境下、顧客との関係を管理することが重要であり、製品を販売
することがビジネスの終結なのではなく、顧客が満足し続けることが次の取引につながっ
ていくということを強調している。
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上記のように研究が進められてきた中でリレーションシップ・マーケティングを実際に
企業戦略に取り入れることで成功した事例を紹介する。
ウォルマートの事例
アメリカの大手小売企業ウォルマートは、自社の店頭で把握した POS(販売時点情報管理)
情報を取引先のメーカーに無償で公開したことで知られている。全国手金大きな売り上げ
をもつ大手小売企業の POS 情報は、メーカーにとっても重要なマーケティング情報だが、
メーカーがそれを直接、手に入れることはできない。したって、小売企業にとって POS 情
報は、メーカーとの取引を有利に導くための重要な武器となる。こうした情報は、交渉を
通じて相手に小出しに提供するというのが普通である。(石井他、2008、p.390)
しかし、ウォルマートは、POS 情報を取引先のメーカーに無償で全面公開した。これは POS
情報により自社の生産やマーケティングを効率的に行えるというメーカー側にとって大き
なメリットとなった。しかし実は、小売企業であるウォルマートにも大きなメリットがあ
ったのである。それは①POS 情報をメーカーに公開したことによって、店頭における商品の
補充や配置を売り場単位でメーカーに委託することができ、販売効率を高めることができ
る。②メーカーが自社内の生産やマーケティングの管理システムをウォルマートの POS 情
報の利用を前提に構築したことによって、関係維持のためにメーカーはウォルマートから
の仕入価格の引き下げなどの要求を拒絶するのが難しくなった。つまりウォルマートはメ
ーカーに対する POS 情報の全面公開により、小売企業がメーカーより優位に立つことに成
功したのである。
この事例では、企業間で取引相手との関係をうまく築くことによって取引上優位に立つ
ことが可能になるなどのメリットを生み出すことができたということが分かる。
2-2、日本でのリレーションシップ・マーケティングの研究
海外で研究がすすめられる中、日本で行われていた研究について紹介する。
日本では鳴口充輝(1994)や和田充夫(1998)といったマーケティング論者たちが比較的
早くからリレーションシップ・マーケティングに注目していたという。(南、2006、p.15)
鳴口(1994)では、市場の不透明性、不確実性とサービス化傾向を背景として、顧客やそ
の関係者集団との安定的な関係性構築が、企業成長にとって確実な戦略となるとする。ト
ータルな顧客満足追求や顧客問題解決には、自社の力を補う流通業者、供給業者、その他
関連取引業者とも関係を強化するべきであり、また時には競合他社との戦略的提携という
関係作りによって、顧客主導のシナジーが有効になるとしている。
和田(1998)では、『わが国の多くの市場が成熟しているなかで、従来の環境適合的なマ
ーケティングのパラダイムの有効性が問われる状況が増えつつある。時代は fit(環境適合)
から interact(関係)へと移りつつあり、企業を取り巻く様々な集団との関係性形成の重
要性、つまりリレーション・マーケティングの重要性が高まってきている。』とする。(和
田、1996、p.318)と主張しており、また和田(1996)は『今日の消費者にとって企業のマ
6
ーケティング提供物が自らのニーズにフィットするのかどうかではなく、マーケティング
提供物を消費するプロセスのなかで企業あるいは社会とどのようにインタラクト
(interact)するのかということのほうが重要になってきたのである。
(和田、1996、p.320)』
とも主張している。
B to C におけるマネジリアル・マーケティング(4P マーケティング)の限界が訪れた
のである。このような研究から企業もマネジリアル・マーケティング(4P マーケティング)
からリレーションシップ・マーケティングへと移行するようになった。
2-3、パーソナライゼーション
そしてリレーションシップ・マーケティングの研究が進んだことで、発展した考え方と
して、パーソナライゼーションという考え方も示されるようになった。(南、2006、p.17)
これにより顧客一人一人に応じた製品、サービスやコミュニケーション対応の有効性が主
張されることになる。
戦略論的な顧客志向が台頭してきた背景には、技術開発へ投資し続けるよりも、顧客と
の関係性を高め、顧客から自社製品やサービスを継続して選択し続けてもらうことの有b
意性についての認識が高まっているという状況がある。その背景を具体的に説明すると、
以下のようになる。
①市場の成熟化
市場が成熟したことによって新規顧客の獲得が困難になった。競合他社との顧客の奪い合
うしかないので必然的にマーケティング・コストは上昇する。また、成熟期には買い替え
購買が需要の中心となるが、そのためには顧客のスイッチングコストを上回るメリットが
自社製品になければならない。こうした問題も新規顧客を獲得するためのマーケティン
グ・コストを上昇させる原因である。
このことから、市場シェアの高い企業にとっては潜在的な新規顧客よりもボリュームの大
きい既存顧客との関係を重視したほうが賢明となる。
②アフターマーケットの拡大
アフターマーケットとは、製品・サービスの販売後、それに付随して生じる修理や部品
交換といった保守・点検などの需要を対象として形成される市場のことである。アフター
マーケットは、製品が高度化・複雑化するとともに拡大する傾向にある。さらにアフター
マーケットは、企業が事業を拡大していくためにも非常に重要になってくるので、このア
フターマーケットを拡大させるためにも、顧客との関係を継続させることが重要な課題に
なるのである。
③情報技術の発展
近年、関係性パラダイムが急速に注目を集めるようになったのは、顧客データベースを
構築し、その分析を通じて顧客関係のマネジメントを高度化していこうとするアイディア
が、情報技術の発展によってにわかに現実味を帯びてきたからである。企業と顧客との接
7
点が変化しつつあることも企業が顧客関係に注目する契機になった。
企業にとって、インターネット上での顧客の動向を追跡することができ、購買履歴や性
別や住所などの顧客のプロフィールを直接入手することが可能になったことを、どう戦略
的に生かしていくか、その実践への関心が高まっている。
このように、かつて主流であった製品差別化による製品の競争戦略が有効性を失い、革
新的な技術の欠如や、OEM 供給、市場の飽和状態など、差別化戦略自体困難になりつつある
中、製品を起点として、製品単体を相手先に販売するというより、複雑製品自体をシステ
ム化し、顧客企業にとってのシステムソリューションを売るということに戦略的優位性が
認められているということがいえる。
上記の背景・議論から企業が今日の不況下においてより効率的に利益を上げるために、
よりよい顧客関係の構築に尽力している理由がわかる。さらには顧客関係を企業の資産と
してマネジメントするという考え方にまで発展してきている。
顧客関係のマネジメントとして主流になってきているものの中にポイントプログラムや
電子マネーが挙げられる。ポイントプログラムはポイントのたまり具合によってサービス
を提供するプログラムが主流である。これは優良顧客の識別を行い、効率的に顧客関係を
マネジメントするのに役立っている。またこのポイントプログラムは、消費者にとっても
明確な識別によってサービス提供が行われるため公平性があるというメリットもある。
2-4、先行研究のまとめ
B to B においては双方の関係を構築・維持させることは重要である。
B to C においても市場の成熟化等の要因から4P マーケティングに限界がきているため
リレーションシップ・マーケティングへと移行する流れとなっている。リレーションシッ
プ・マーケティングによって顧客との良好な関係を築き長く続く取引をつづけるために企
業は様々な施策を打っているのが現状である。
そのひとつとして電子マネーがあげられる。電子マネーによって顧客囲い込みが成立し
ているのかどうか、リレーションシップ・マーケティングの視点から電子マネーを分析し
ていく。
3、企業通貨マーケティングの可能性
企業通貨マーケティングとは、先にも述べたようにポイントや電子マネーといった企業
通貨から得られる顧客情報を研究し、より高度なマーケティングを行うことであり、電子
マネー等の企業通貨が普及してきたことに付随して注目され始めたマーケティング手法の
ことである。企業通貨である電子マネーがリレーションシップ・マーケティングの視点か
ら見て意義があるかどうかということを考察する上で、企業通貨マーケティングにおいて
考えられている電子マネーの戦略的意義を捉えることが有効であると考えた。
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そこで本章では企業通貨マーケティングの視点から、電子マネーが開発当初から見込ま
れていた効果と見込まれていなかった効果の 2 種類に分けて説明する。
【期待されている効果】
①顧客の囲い込み
ポイントの付与・サービス特典などによって消費者がそのサービスを利用する可能性を
高めることができるため、顧客の囲い込みが可能になる。
また、電子マネーはそれ自体に情報を蓄積することが可能になるので購買履歴・利用履
歴といった情報を企業が把握することができ、購買頻度の高い顧客=優良顧客が有利にな
るようなサービスを提供するなど優良顧客の囲い込みも可能になると考えられている。
企業通貨マーケティングとは、先にも述べたようにポイントや電子マネーといった企業通
貨から得られる顧客情報を研究し、より高度なマーケティングを行うことである。利用頻
度の多い顧客に対しポイントを手厚く付与するなど優良顧客の囲い込み戦略をとることが
できる。その例としてセブン&アイ・ホールディングス独自電子マネーnanaco 開発の経緯
を紹介する。
【セブン&アイ・ホールディングス独自電子マネーnanaco 開発の経緯】
セブン&アイ・ホールディングスは 2007 年春から独自の電子マネーを発行した。
現在発行枚数 955 万枚(2010 年 1 月末時点)主な利用拠点としてセブンイレブン、イトー
ヨーカドー、デニーズ、ヤマト運輸などが挙げられる。
既存の Suica・Edy などの電子マネーを使うのではなくあえて自社開発にこだわった経緯
には、電子マネーを活用した独自の集客策を展開し、グループ全体の競争力強化につなげ
たいという思惑があったという。『日経流通新聞』、2005 年 12 月 2 日、2 項)
「独自展開することで、(電子マネーは)お客様と直接会話できるツールになる」(セブ
ン&アイ・ホールディングス
氏家忠彦取締役兼最高財務責任者)(
『日経流通新聞』、2005
年 12 月 2 日、2 項)
独自展開を決意させた理由として、エディ、スイカなど外部のマネーでは、どんな人が
どんな使い方をしているかという情報を直接収集できないとの判断があったということで
ある。初年度発行予定の 1 千万枚の電子マネー利用者の情報が集まれば、セブンイレブン
のオリジナル新商品開発に向けた強力な武器になる。
電子マネーから得た顧客情報をマーケティングに生かすという構想も消費者が実際に電
子マネーを使わなければ机上の空論に終わる。他の電子マネーより自社の電子マネーを消
費者に選んでもらうためのサービス特典等が重要になってくる。
(『日経流通新聞』、2005 年
12 月 2 日、2 項)
②顧客の行動履歴情報の収集
これまでのポイントカードでも性別・年齢・居住区等の簡単な顧客情報を収集すること
9
は可能だったが、電子マネーに関しては顧客の属性のみならず行動履歴「いつどこでどの
ような人がどのような商品を買ったか」という情報を収集することが可能になり、そのデ
ータを参考にした商品開発ができるようになると言われていた。
(野村総合研究所企業通貨
プロジェクトチーム、2008、p.3)
【期待されていなかった効果】
①意味的価値の創造による企業競争力の創成
2 章でも述べたように、近年製造業を中心とした多くの企業では市場の成熟化などの要因
から4Pマーケティングの限界が感じられるようになり、リレーションシップ・マーケテ
ィングに移行しつつある。そもそも4Pマーケティングに限界が訪れた原因としてあげら
れるのは市場の成熟化などの社会的環境要因だけではない。
この原因を、延岡(2008)を紹介しながら説明する。
『商品の価値は、機能的価値と意味的価値の合計だと考える。機能的価値とは、商品が持
つ基本機能により直接的にもたらされる価値である。つまり、商品の機能やスペックから
客観的に決まる部分が機能的価値である。一方、意味的価値とは、特定の顧客が商品の特
徴に関して主観的な解釈や意味付けすることによって創り出される価値である。(延岡、
2008、p.1)』
つまり、ただ製品自体の機能を追求するだけでは売れる製品は作れないということであ
る。意味的価値を作り出すにあたってリレーションシップ・マーケティングが必要になり、
電子マネーがその役割を果たすことになるのではないかと考えた。具体的には、顧客の行
動履歴を分析することによってターゲットを細かく限定した商品を限定されたエリアで販
売するといった戦略が考えられる。次章では、本章で挙げた効果が実際に生みだされてい
るのかどうかを、Suica の具体的事例を基に考察していく。
4、Suica の戦略
ここで具体例として取り上げるのは 2001 年導入の Suica、JR 東日本が開発した乗車券・
定期券と一体になった交通系電子マネーである。
4-1、Suica 導入の経緯
JR東日本 Suica サービスが開始されたのは 2001 年 11 月 18 日である。
これまでの磁気式改札機の劣化に伴い新しい出改札システムとして導入されたのが
Suica を使ったICカード式改札機である。手作業による改札業務を自動化することで①人
為的なミスを防止し料金収受を厳正化することで増収を図ること、②国鉄時代の余剰人員
を整理することで人件費を削減するという2つの側面をもった磁気式自動改札機を利用し
ていたが、時期式自動改札機は、改札機自体に定期的なメンテナンスが必要となりそのた
びにコストがかさむという欠点を抱えていた。これを解消するためにICカード式自動改
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札システムが導入されたのである。
(平井、2007、p.115)
4-2、鉄道業界の現状・JR 東日本のポジション
しかし、JR東日本は単純に顧客の利便性向上、メンテナンスコストの削減だけのため
にICカード式改札機を導入したわけではない。(平井、2007、p.115)
ここで注目すべきは鉄道業界の現状である。鉄道業界は現在、モータリゼーションの発
達、航空運賃の値下げ、少子高齢化に伴う人口減少など非常に厳しい経営環境にある。今
や輸送運輸などの本業だけに目を向けていたのでは発展は困難であると考えられる。
こうした鉄道業からの収益の先細りを見越したJR東日本が、2005 年に出した中期経営
構想「ニューフロンティア 2008-新たな発展と創造」を見てみる。
中期経営構想「ニューフロンティア 2008-新たな発展と創造」
◆重要な経営課題①~新たな顧客価値の創造
1. 安全・安定輸送の絶えざる挑戦を続けます
2. 駅を変えます
3. 鉄道事業の利便性・快適性をさらに向上します
4. グループの総力をあげて生活サービス事業のさらなる成長を目指します
5. Suica で新しいライフスタイルを提案します
6. 研究開発に力を入れます
◆重要な経営課題②~グループの総合力の発揮
1. グループ各社が成長戦略を打ち出し、グループ全体の発展を目指します
2. グループ内の意思疎通をよりスムーズにするとともに、働きがいを一層向上させます
3. コストダウンを徹底し効率的な事業運営を行います
4. 企業の社会的責任を果たし、法令遵守と地球環境の保護に一層力を入れます
上記の項目で注目すべきは①の『5.Suica で新しいライフスタイルを提案します』とい
う部分である。この項目では Suica がJR東日本にとってサービスの在り方に変化をもた
らすだけでなく、高いポテンシャルを有していることが言及されている。つまり Suica を
単に利便性のある乗車券としてとらえるのではなく、今後さらに利用店舗の拡大をはじめ
とする施策を行うことにより顧客の生活にとってより便利なものにするということである。
このことからJR東日本にとって Suica とは単なる顧客の利便性の追求・コスト削減の
ためのツールという役割だけでなく、大きなビジネスチャンスとして第3のグループ事業
としてとらえていることが分かる。JR東日本は自社を鉄道事業者から総合的なサービス
事業者への転換を図ることで企業競争力を創成しようとしていたのである。(平井、2007、
p.113)
11
4-3、Suica の普及要因
JR東日本が事業の中核に据えるほど期待されている Suica にはいったいどのような特
徴があるのか、以下では大きく 2 つに分けて見ていく。
‹
拡張性
Suica は従来の磁気式に比べ大容量の情報を蓄積できるICカードの特性を生かし、単
なる乗車券にとどまらず、その機能を拡張することで利用者の利便席の向上がプロジ
ェクト発足当初から目論まれていた。
実際に、電子マネー、クレジット決済、モバイル化などの機能を追加することによっ
てさらなる利便性を実現した。
‹
Suica の拡張性に伴う量的拡大・パーソナルな質的拡大という 2 方向への拡大
2007 年関東私鉄各社による交通系電子マネーPASMO の発売をきっかけに PASMO との相
互利用を可能にした Suica。また利用可能店舗も駅構内のみならず街なかの商店街やな
ど着々と加盟店を増やしていった。これによって Suica の利便性はさらに増加し、こ
れによって利用者も増加した。(拡張性に伴う量的拡大)
また、クレジット決済機能やモバイル化などの機能面でも選択肢がひろがったことに
よって、個人の使いやすいようにカスタマイズできる電子マネーとなった。(パーソナ
ルな質的拡大)
このように 2 方向への拡大をみせたことが Suica 利用者の増加をもたらしたと要因で
あると言える。
4-4、戦略としての Suica(MOT 的考察より)
本節では、JR東日本が企業戦略の中で Suica をどのように位置づけていたかどの程度
の効果を期待していたのかを MOT1の観点から考察する。これは平井(2007)において実際
に JR 東日本が『「サービス」「拡張性」「安全性」
「最新技術の動向」などの要素を総合的に
検討し、MOT の観点から意思決定が下された。』と記述されていたからである。
平井(2007)では延岡(2006)を紹介しながら、
『MOT における価値獲得と価値創造を「技
術・商品に関するマネジメントの視点から、製造企業における長期的な付加価値創造の最
大化を実現することである」と定義している。そして、付加価値を最大化していくために
は「価値創造(value creation)」と「価値獲得(value capture)」の 2 つの要因があると
指摘している。価値創造はさらに「技術・商品価値創造」と「価値創造プロセス」の2つ
に分類される。競争が激しい中では価値創造と価値獲得の両輪が揃わなければ、真の付加
価値の創造はできないとし、その関係を以下のようにまとめている(平井 2007、p.116)。』
1
MOT:management of
technology=技術の市場化
MOTの目的⇒技術投資の費用対効果を最大化する
12
【付加価値創造の 3 つの要素】
(出所)延岡、2006、p.33
ここで延岡(2006)は、
『日本の製造企業の多くは「価値創造を実現できれば、価値獲得
は自然についてくるはずだ」という考え方が強く、価値創造自体が目的化してしまう傾向
にあり、十分な価値獲得ができない事例が少なくない(平井、2007、p.33-34)』と主張し
ている。高い技術力を有していながら利益に結びついていないのは、日本企業には「価値
獲得」という考え方が希薄であるからだと考えられている。
そして、平井(2007)は延岡(2006)の主張をもとに、JR東日本における Suica を中
心とした MOT について検討している。その検討を 4-4-2、Suica における価値創造と 4-4-3、
Suica の価値獲得で紹介する。
4-4-2、Suica における価値創造
SuicaによるIC カード式出改札システムは、革新的な技術による価値の創造であったと
考えられている(平井、2007、p.118)。IC カード式出改札システムは、そのシステムの
要として、IC カードの存在は欠くことができない。1997年、交通システムとしては世界で
はじめてICカードが実用化されたのは香港の「OCTPUS(八達通)」である。このOCTPUS に
はSuicaと同じソニーのFeliCa が採用されている。OCTPUS もFeliCa を採用しているのは
通信速度がはやいという点が挙げられる。交通システムとしてIC カードを利用する場合の
最大の問題点は、リーダー/ライターにIC カードをかざして出入りの可否を判断する際の
スピードである。JR 東日本の出改札システムにおいて、従来の磁気式の場合は、人が切符
13
を投入し改札機の横を通過する際、人の動きにあわせて切符もベルトコンベア内を運ばれ
る。この間に改札機は磁気情報を読み取り出入りの可否を判断する。しかし、IC カード式
の場合は、リーダー/ライターにIC カードをかざすだけなのでベルトコンベアによって運
ばれることはない。つまり、「かざす」という一瞬の動作の時にすばやく出入りの可否を
判断しなければならないのである。JR 東日本はその情報処理の時間を0.2秒と設定した。
この時間を克服することが開発における最大の難関であった。Suicaに採用されたソニーの
FeliCa は非接触型のタイプの中で212kbps と最速であり、IC カード式出改札システムの
技術的困難性を克服するために必要不可欠な技術的要素であった。しかし、FeliCa を採用
するだけでIC カード式出改札システムの技術的困難性を解決できるわけではない。JR 東
日本のIC カード式出改札システムは、「IC カード(Suica)」、「改札機」、「後方シス
テム」の3つが揃ってはじめて機能するものである。IC カード式出改札システムはFeliCa
によって情報の読み書きの速度の問題が解決されてもカード情報を一元管理する「ID 管理
システム」を構築する必要があるなど、様々な技術的困難性を有していた。このように、
JR 東日本はIC カードを軸とした技術イノベーション・革新的な機能によってIC カード式
出改札システムを生み出し、価値創造を実現したと考えられる。(平井、2005、p.118)
4-4-3、Suica における価値獲得
Suicaが単なるIC カード式出改札システムであるならば、従来の磁気式に比べメンテナ
ンスコスト削減とスムーズな改札移動という非常に限定的な付加価値しか生み出さない。
しかし、JR 東日本のIC カード式出改札システムはSuicaを軸として、前述の図1-3に示し
たような経営戦略の展開が検討されていた。JR 東日本はSuicaの機能を乗車券から拡張さ
せ、電子マネー、クレジット決済を可能にすることでSuicaの利用エリアを駅ナカと同様に
街ナカへと拡大させ、生活の様々なシーンで利用できるIC カードを目指していた。現在で
は、ハウスカードであるView カードとSuicaが一体化した「View Suicaカード」を軸に提
携を拡大し、航空会社、コンビニ、ドラッグストア・量販店、家電量販店、金融機関でも
利用することができる。この提携によってSuica自体が利益を生む構造ができあがった。
つまり、Suicaは付加価値・利益の獲得によって新たな事業創造を実現したといえる。こ
のことは、価値創造が目的化してしまうことの多い日本企業において、JR 東日本は価値獲
得のシナリオを描き、企業競争力の創成を果たしたと考えられる。(平井、2005、p.119)
4-5、Suica の活用
4-5-1、範囲の経済
Suicaの主要普及要因のひとつとして、SuicaはSuicaホルダーと電子マネー利用が拡大
していくことで「範囲の経済」を追求できる点を挙げられる。この範囲の経済性の追求は
Suicaの量的拡大によってスケールメリットを享受する戦略であり、その戦略の要点として
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以下の2つを挙げることができる。
① 他交通機関との相互利用における利用エリアの拡大
②Suica利用加盟店の拡大
相互利用はSuicaホルダーの増加を意味している。現在、SuicaはJR 西日本「ICOCA」の
営業エリアである関西圏での利用がすでに実現されている。また、2007年3月には関東の私
鉄・バスの94事業者からなる「PASMO」との相互利用が開始され、JR 東日本の営業エリア
である関東圏の改札のほとんどでSuicaを利用できることになる。JR 東日本ではPASMO と
の相互利用によって、Suicaホルダー数は3,000万人を超えると推測している(平井、2005、
p.119)。相互利用の促進は、JR 東日本の営業エリアにおける他社交通機関の利用者が潜
在的なSuicaホルダーになることを意味している。他社交通機関のIC カード型乗車券より
もJR 東日本のSuicaが競争優位を有しているならば、他社交通機関の利用者でもSuicaを
持つ可能性が生じ、Suicaホルダーの増加につながると考えられる。
そして、利用加盟店の拡大は電子マネー利用の増加にともなう手数料収入の獲得を意味
している。図1-3にて示すようにNEWDAYS などの駅売店といった駅ナカだけではなく、現在
では街ナカへの展開も進められている。2005年のファミリーマートとの提携により、首都
圏沿線に近いファミリーマートのほとんどの店舗でSuicaを利用できるようになった。さら
にビックカメラ、イオンといった量販店だけでなく、JAL、新銀行東京、みずほ銀行など、
ハウスカードであるView カードを軸とした提携戦略によって利用加盟店の拡大を実現し
ている。
このSuica ホルダーと利用加盟店の拡大は相互に関係しており、Suica ホルダーが増加
すれば利用加盟店の増加における営業力が強まり、利用加盟店が増加すればSuica の利便
性を潜在的なSuica ホルダーに訴求できるという状況にある。この規模の経済性の追求は
Suica 事業の基本的な戦略であると考えられる。
4-5-2、パーソナルサービス
規模の経済と同様にSuica の主要成功要因として挙げられるのが、View カードのサービ
スとSuica のモバイル化による「パーソナルサービス」を展開できる点が挙げられる。こ
のパーソナルサービスは規模の経済の対極にあり、より個人のニーズにきめ細かく応える
ことでSuica の利便性を向上させる戦略であり、その戦略の要点として以下の2つを挙げる
ことができる。
① ハウスカードであるView カードの機能を軸に他社との連携を進める
② 携帯電話とSuica を融合することによってモバイル化を実現する
View カードを軸とした他社との提携により、Suica は電子マネー機能だけではなく、ク
レジット決済や提携企業とのポイント交換なども可能になった。このことにより、Suica は
電子マネーの手数料だけでなく、クレジット決済やポイント変換にかかる手数料といった
利益を上げられるようになり収益源が多様化した。また、駅以外の様々な店舗でポイント
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交換なども含めたショッピングができるようになったことで顧客の利便性は格段に向上し
た。そして、顧客はSuica を提携企業との一体化カードにすることで、より自分のライフ
スタイルに合わせたカードにカスタマイズすることができる。このように他社との連携は、
Suica をより個人のニーズに即したパーソナルなカードへと進化させたと考えられる。
また、Suica はモバイル化によって、ネットワークを活用したよりパーソナルな情報コ
ミュニケーションツールとしての側面を有することが可能になった。Suica のモバイル化
による新しいサービスの例として「Suipo」を挙げることができる。Suipoとは、ポスター
の脇に設置されたリーダー/ライターにSuica をタッチすることで、そこでしか得られない
情報を受信できるサービスである。
さらにSuica と携帯電話が融合したモバイルSuica という形態であれば、携帯電話の画
面とネットワークを活用することで、時と場所を選ばずチャージ金額の振込・確認が可能
になった。このことはSuica 利用店舗の拡大と同様にSuica を駅という制約から解放した
という点で非常に大きな意味を有している。モバイル化以前は、Suicaのチャージに駅の券
売機やNEWDAYS(駅売店)を使用しなければならず、駅に立ち寄ることが絶対条件であった。」
このようにSuica は他社との連携やモバイル化によって個人のニーズに即したパーソナル
なサービスが展開できる。パーソナルなサービスはJR 東日本独自のサービスであり、もっ
とも差別化が図れる分野として今後の展開が期待される。規模の経済とパーソナルなサー
ビスの戦略的展開は下図のようにまとめることができる。
【Suica展開戦略】
出所:平井宏典(2007)p.111-122 JR東日本提供資料を著者が図化。
4-5-3、商品開発への活用
これまで、電子マネーに登録されている情報が企業マーケティングに活用することがで
きると期待されていたが、今までのところ情報量が膨大すぎてそれらを分析して実際に商
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品陳列や商品企画といったマーケティング実務に活用するまでに至っていないというのが
実情であった。しかし 2010 年、初めて本格的に電子マネーに登録されている顧客情報を商
品企画に活用した企業が現れた。以下で紹介する JR 東日本ウォータービジネス株式会社で
ある。
2010 年 11 月 22 日、日経流通新聞の 11 頁では以下のように紹介されている。
「JR 東日本の子会社で、
駅構内の自動販売機を運営する JR 東日本ウォータービジネスが、
自動販売機の POS(販売時点情報管理)データの活用を本格化する。
このほど、Suica のポイントをためる会員の性別などのデータ取得を始めた。データを分
析して自販機の品ぞろえや新商品開発に生かす。電子マネーの決済情報をマーケティング
に応用する具体的な取り組みとして注目されている。いつどのような人がどんな商品を買
ったのかがわかるようになる。
2010 年の駅構内自販機の Suica 決済率は 43%と顧客志向を把握するために十分な情報を
収集することができる。
【具体例:品川駅の情報から考案された男性向けリンゴジュース】
JR 東日本ウォータービジネスは、自動販売機から収集したデータをもとに開発したリン
ゴジュース「味わい密閉 青森りんご 100」(280ml、160 円)を発売した。品川駅に設置
した新型販売機の情報に基づき、男性向けの商品にした。開発中のリンゴジュースをした
のは、販売データで女性を主なターゲットにした果汁飲料が、夕方になると男性にも売れ
ているというデータが出たため。「青森県産を訴えるなど、本物感にこだわった」(田村修
社長)パッケージに変え、男性客に訴求した。
(日経流通新聞、2010 年 11 月 22 日、11 頁)」
これを皮切りに電子マネーを導入している各企業で顧客情報がマーケティングに活用され
るようになるであろうと考えられる。
4-6、今後の戦略的課題
成功要因のひとつである量的拡大により、他社との提携によって境界線が曖昧になって
しまったというのが現状である。これにより競争環境の不確実性という課題が出てくる。
他の IC カードにはない利便性という強みを最大限に生かして利用者をつかむ施策が必要に
なってくると考えられる。
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5、分析・考察
本章ではここまで紹介してきた先行研究とケースの分析を行い、理論上では見られなか
った現実の問題点・課題を明らかにしていく。
まず、リレーションシップ・マーケティングでは現在の市場状況を考慮すると企業は顧
客との関係を構築・維持することが今後大変重要になってくるという考えが示されていた。
さらにリレーションシップ・マーケティングを行うことによって顧客を囲い込み低コスト
で効率的な収益が挙げられると考えられていた。
しかし、現実的には電子マネー市場の市場規模こそ大きくなっているものの、首都圏で
は半数近くの人が保有しているものの全国平均でみると保有率は 22.4%とまだまだ普及段
階である。さらにもともと決済時間の節約などといった利便性を評価して利用している人
が圧倒的に多いため、利用可能店舗を増やしても消費者が選択的に利用しない場合も多く、
利用場所が駅構内など限定的な場所になってしまったり、一回の決済金額の小額になって
いたりという現状がある。
また電子マネーなどの企業通貨を使うことによって顧客情報を取得し、優良顧客の識別
を行ったり、顧客の購買行動を分析して商品開発に生かすなど電子マネーを導入した企業
には今後の活路となる施策を打つことができるようになったりするとされていたが、実際
の電子マネー導入企業の現状は電子マネーから得られる顧客情報が膨大すぎるために、そ
れらを分析するだけの情報技術が伴わない等の理由から、せっかく取得した顧客情報が有
効に活用されていないという現状がある。莫大な投資を行って導入した電子マネーを企業
戦略に活かしきれていない企業はまだまだ多い。
そうした中でも、JR 東日本のケースからもわかるように最近になって自動販売機の購買
状況を分析して商品開発に生かすなど実際に顧客情報を企業マーケティングに活用し始め
たという例もある。この試みの成果に期待したい。
また、利便性の追求により提携会社を増加させた結果の弊害というのも明らかになって
きている。それは先ほども述べたように利便性の追求に伴う量的拡大による競争環境の不
確実性である。理論上では顧客の囲い込みが可能になるはずだった電子マネーの利用促進
のためには、普及させることが最大の課題である。そして普及させるためには他社の電子
マネー以上の利便性が求められる。なぜならそもそも電子マネー自体が「現金での決済よ
りも便利に簡単に支払いができる」決済手段として世の中に流通しているからである。自
社電子マネーの普及のために利用可能店舗を増やし、その結果提携会社が増加して競争環
境に不確実性が生まれてしまうというジレンマを抱えているのである。
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6、おわりに
本稿では、リレーションシップ・マーケティングの観点からみた電子マネーの意義を考
えていったが、当初から見込まれていた顧客を囲い込むという効果ではある程度の成果が
上がっている一方で、保有率上昇のために提携会社の増やした結果競争の不確実性を生む
という一長一短の現状が明らかになった。また、地方での普及率の低さや決済金額の小額
性などに関してはまだまだ改善の余地が残されていることが分かった。
しかし、企業通貨独特の顧客の詳細な行動履歴を獲得したことによって、製品に意味的
価値を加えることが可能になるなど今後の戦略次第で電子マネーが企業の強力な武器とな
る一面も秘めていると考えられる。
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13 頁。
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2 日、5 頁、2008 年 12 月 26 日、7 頁、2010 年 8 月 16 日、11 頁、2010 年 11 月 22 日、11
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乗る・買う・話すが一つになった「モバイル Suica」の誕生まで
野村総合研究所 HP:http://www.nri.co.jp/
電子マネーに関するアンケート第 1 回~第 4 回
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