2009年4月1日 門 の み 望 () 2 0 0 9 /4 /1 No. 5 0 発行者:社会福祉法人 ミッドナイトミッションのぞみ会 す。このような状況にあって望みの門に乳児 園を開設するようにとの要請があり、私たち はそれをお引き受けしたわけです。 しかし、これは安易な気持でお受けできる ような事柄ではありません。精神的にも身体 的にも重荷を負った赤ちゃんたちを果たし 理事長 木下 宣世 て 丈 夫 に 育 て て い け る だ ろ う か、 或 は 彼 ら が育っていった時自分たちのアイデンティ 新年度の歩みが始まりました。望みの門で ティーをどのように確立させていけるのだろ は今年度 新しい施設が誕生し ました。「望み うか等々多くの不安を感じます。逡巡する思 の門方舟乳児園」です。児童養護施設「望み いもあります。 の門かずさの里」に隣接する土地に木材をふ 開設式に続いて素晴らしい講演をしてくだ んだんに用いた瀟洒な建物が完成し、去る三 さった明治学院大学の北川清一教授に私は思 月二八日に竣工式並びに開設式が開かれたの わ ず こ の よ う な 質 問 を 致 し ま し た。「 先 生、 です。 親から切り離された子どもたちを他人が育て 開 設 式 に は 百 名 も の 方 々 が 参 列 し て 下 さ ることが できるのでしょうか。」北川教授は り、励ましの御言葉を与えてくださいました。「できま す。」と即座にお答えになりました。 この事業に対する期待と関心の大きさを感じ 私たちが本当に愛情を注いで育てるなら、彼 させられた次第です。 らは育つと言われたのです。 言うまでもなく乳児園は生まれて間もない この言葉は私にとっては救いでした。望み 赤ちゃんを預かり、養育する施設です。本来、 の 門 は 困 難 な 事 業 に 取 組 む こ と に な り ま し この世に生を受けた赤ちゃんは自分を生んで た。しかし、これを神さまから託された使命 くれた両親に育てられるべき存在です。それ と受け止めたいと思います。そして微力なが が彼らの幸せです。 ら精一杯の愛情をこめて幼な子たちの養育に ところが、今日私たちの社会では様々な事 努めたいと思います。私たちがこの重い責任 情から親に育ててもらえない子どもの数が急 を果たして行けるよう、皆様のお祈りと御支 増してきました。現代は子どもたちにとって 援をよろしくお願い申し上げます。 不幸な時代であり、子どもにとっては受難の 時代であると言わざるを得ません。 この千葉県でも乳児園の数が足りなくて待 機している子どもたちが沢山いるとのことで 本 部:〒293―0023 千 葉 県 富 津 市 川 名 1 4 3 6 番 地 婦人保護施設 望みの門学園 法人事務局 事務局長 西尾 建 乳児院 望みの門方舟乳児園 園長 佐野 毅 私が、のぞみ会に就職したのは今から一二 園長 田尻 隆 このたび、四月一日付にて、望みの門学園 年前、介護員等を経て現在の事務局に配属さ 「子どもが育 つということは、未来が育つ 園長の大役を仰せつかりました。 れてから気付けば、のぞみ会での半分の六年 ということだ。おまえはその未来づくりに一 初代園長 木下ドーラ先生、二代目園長 半が過ぎていました。事務局での勤務の中で、 役買ってんだ。いい仕事見つけたな。」 吉田和子先生、三代目園長 坂井順子先生の 近年強く感じていることはのぞみ会の業容が (矢野健太の父の言葉より) 偉業を引き継ぐことの責任の重さを痛感して 急速に拡大し、それに伴って事務量、職員数 このたび、のぞみ会の先人が四七年にわた おります。 も増大してきており、事務局の果たす役割が り東京・富津の地にて積んできた宝を引き継 望 み の 門 学 園 が 創 設 さ れ ま し た の は 昭 和 非常に大きくなってきていることです。 ぐこととなりました。神さまの大きな恵みに 三七年。その年の七月に私がこの世に生を授 そんな中でこの大任に就かせて頂くことは 感謝するとともに畏れをも感じます。これか かりましたことを思えば、私の人生そのもの 非常に大きな責任が伴うことと痛感しており ら出会う幼子にキリストの愛をもって仕え、 が、望みの門学園の歴史と時代背景が一致す ます。 この方舟が新しい神の家族として大きく成長 ることになります。 のぞみ会の施設 事 ・ 業所数は一三、職員数 させて頂きますよう祈る者です。そしてこの 幸いにも、前園長の坂井順子先生が、その は約一六〇名となり、事務的に整備すること 望みの門の働きを正しく次世代に引き継いで まま学園に残られて、従来どおり学園の利用 は山積しています。しかし、これらを処理し いくことが私たちの大切な使命であると考え 者さんの指導ならびに学園職員の良き相談役 ていくことは勿論ですが、理事長 常 ・ 務理事 ます。 となっていただいておりますことに感謝いた を始めとする役員の思い、役員会等での決定 職員は一〇名。うち四名は新社会人という しますとともに、望みの門のはたらきを思え 等を具体的な方策として職員に指し示してい フレッシュな顔ぶれです。お互いに違いを認 て陽に陰にご支援くださる多くの方々に深く く こ と が 重 要 な の で は な い か と 思 っ て い ま め合い、助け合いながら、子どもからいろん 感謝の意を込めまして、就任のご挨拶といた す。のぞみ会の大きなパワーが分散すること なものをもらい「いい仕事見つけた」と胸を します。今後ともご支援ご指導のほどよろし なく、同じ方向に向けられるように。常に法 張って誇れるような運営を目指したいと思い くお願い申しあげます。 人 の 設 立 の 精 神 に 立 っ た 運 営 が な さ れ る よ ます。 うに。 子どもたちは九名。施設と呼ぶにはまこと 人生経験も少なく、未熟な者ではございま に小さな群れです。これまでの施設「らしさ」 すが、今後ともご指導を賜りますようお願い を廃し、方舟独自の「らしさ」を模索してい 申し上げます。 きたいと思います。そこからは新しい香りが 生まれてくることでしょう。それがキリスト の香りとなるようお祈りください。 () 門 の み 望 2009年4月1日 〃 せまる頃に 全て特別 養護老人ホームとなる。)となった なると、発 楽生園は設立当初から老後の終の住処として 光ダイオー 設計され、 今まで家庭で大黒柱 であった方、 ドが美しく 永らくお働きになられた方々の安住の地にと 輝き、幼子 なるように配慮されていて、それは今になる 常務理事 の成長を見 まで喜ばれている。 井本 義孝 守るかのよ 扨て、楽生園も最近は車椅子生活の方が八 うだ。九日 名となった。人は立つより座り、座りより寝 三 月 二 八 日、 県 下 四 番 目 の 乳 児 院 で あ る には東京の る 方 が 楽 に 出 来 て い る。 車 椅 子 に ず っ と 座 「望みの門方舟乳児園」が竣功オープンした。 乳児園に委 りっぱなしでいると当然脚の筋肉がおちてし 昨年一一月に入札、着工した純木造二階建の 託されてい まう。いわゆる㾱用性萎縮なる現象が著明と 木の香やさしいホームである。延床面積は約 た一名が入 なる。おりしも、紫苑荘一階に出来た広いホー 三八〇㎡、ホームエレベーターを設置、二階 園する。対 ルを「介護予防センター」として活用したい ホ ー ル は 応 接 室 予 定 で あ り、 住 込 用 居 室 と する職員は 旨市当局に諮ったところ、時機よく行政ニー ゲ ス ト ハ ウ ス( 各 二 DK) が 設 置 さ れ て い 一〇名。原 ズと合致することとなった。そのため事業予 る。四八五〇㎡の敷地は広々として、眼下に 則二交代制の夜は二名勤務で、少数定員を生 算二五〇万円が用意されるとのこと。従って 浦賀水道を かし、家庭的処遇につとめたい。 今 後 は 地 域 サ ー ビ ス は、「 デ イ セ ン タ ー」 等 望む位置に さて、片や創立四〇周年を迎える「望みの に加わえ、介護予防センターが登場した。こ ある。いづ 門楽生園」は一九六九年四月一五日に開設さ れは職員の福利厚生にも役立てる予定で、現 れ張芝が活 れている、小職が着任した当時、初代園長で 在、自転車二台、ヘルストロン二台、が待機 着すれば緑 あられ、法人創立者のお一人の木下弘人先生 中である。間もなく二年目の田植えがはじま の樹々に囲 がお元気でよくふらりとお立寄りになった。 る。作付面積は昨年と変わりませんが、美味 まれた赤い 開設当時は、現在の職員宿舎前の畑地に二 しい〃お米 をお届けしたく準備中。ついで 屋根の建物 階建の木造だったという。それが塩害と老朽 に新生舎では生活額が一千万円の大台を突破 は美しく調 化により、二二年後の一九九一年現在地に地 したので、消費税が課せられる。心身にハン 和するこ 下一階地上二階建の鉄筋コンクリート造りと デキャップのある人の販売に課税するとは嘆 とであろ して新築されたものであり、特筆すべきは今 かわしい思いで一杯になる。わが祖国日本の う。特筆す では珍しくないが、全室床暖房、利用者居室 ダメ振りを嘆く前に、障害者の方々が健常者 べきは塔屋 全部個室という当時としては思い切った構造 と言われる人々と、同等の扱いをされること の十字架で で 関 係 者 の 見 識 と 英 断 に 感 銘 す る 次 第 で あ を、 喜 ば な け れ ば な ら な い 時 代 な の で あ ろ ある。夕闇 る。千葉県で最後の養護老人ホーム(以後は うか。 2009年4月1日 門 の み 望 () いかにスムー 心から感謝を申し上げ報告とさせていただき ズに工事をす ます。 すめていくか 追伸、是非お気軽にご見学ください。ご用 施設長 簾 昭博 命の際には、案内させていただきます。 ということが さかのぼること、二年、平成一九年二月よ 最も気を使っ り望みの門の近未来構想を練るための五回の た所でもあり 戦略会議がもたれ、その構想の一つとして紫 ますし、実際 苑荘の個室等増築及び避難路耐震についての 苦労した所で 検討が成され、同年九月の第一六回評議員会 も あ り ま し にて事業計画として承認されました。 た。利用者の 主幹 坂井 順子 今回の工事は、増築と避難路の耐震補強と 方々には、騒 わたしは植え、アポロは水を注いだ。しか いうことで、平成八年度耐震診断に対する避 音と幾度とな し、成長させてくださったのは神です。 難スロープの補強改善と増築部へ二人部屋を い居室移動を 聖書 コリント一3・6 四室、個室を一二室が確保されました。結果 強いることになり、その都度ご理解ご協力を 桜の開花が間近な今日、利用者Aさん運転 として望みの門ショートステイサービスが、 いただいてまいりました。当然スタッフの協 の初ドライブを楽しみました。あと数日で学 六名増の一〇名での運営へと拡大されていま 力無くしては成し得なかったことです。 園を退所する彼女の満面の笑みは、入所時に す。 お陰様をもちまして、工事期間中は事故や は考えられないことでした。 工事期間中 災害に見舞われることなく、無事、平成二一 幼児期、両親の虐待によって、つらい生き は、既存の施 年二月二四日に竣工を迎えることができま 方を強いられた彼女が学園に来たのは一年 設と増築部分 し た。 式 典 に は、 佐 久 間 清 治 富 津 市 長 を 始 九ヶ月前でした。人との関わりを避け、学び の接続に際し め、千葉県健康福祉部高齢者福祉課施設福祉 も就労も挫折した彼女が学園での生活をいつ て、利用者の 推進室椎名忠則室長及び近隣高齢者施設、京 まで続けられるかが、関係機関の方たちの心 方々が使用し 葉後援会等の総勢五四名の来賓列席を賜りま 配でした。が、彼女は、ホームヘルパー二級 ている生活空 した。 の資格を取得したことが、自信に繋がりまし 間の一部を工 はじめに、施工中のすべてを見守ってくだ た。スーパーのレジ係りとして、往復六キロ 事エリアとし さ っ た 神 様 に、 感 謝 を 申 し 上 げ ま す。 ま た、 余りの道のりを一日も休まず自転車で通勤。 て明け渡しつ 工事を担当されました施工者の皆様、そして、「将来子供たちの施設で働きたい」と夢を与 つ、限られた それぞれの立場で工事に携わってくださいま えられました。そして四月から乳児園で職員 スペースの中 し た お 一 人 お 一 人 の 方 に 感 謝 を 申 し 上 げ ま として採用されることになりました。高校の で生活環境を す。さらに、工事中多大なご迷惑をおかけし 通信教育も再開する手続きをしています 整 え な が ら、 た利用者の皆様の良き理解とご協力に対し、 私達は、種を蒔き、水をやることしかでき () 門 の み 望 2009年4月1日 ま せ ん が、 正 に 育 て て く だ さ る 神 様 に 感 謝 的および精神的な健全さと若々しさを強調す です。 る価値観が浸透し、逆に不潔なもの健康を損 もう一つ嬉しいことがあります。学園から ねるものが強く忌避されるようになってきま 徒歩十分の所に学園フ�ームが出来ました。 した。さらに病気や老いは全くの負の価値を 利用者の生きがい活動のために広い畑を与え 主幹 田尻 隆 もつだけのものと語られるようになっていま て欲しいとの祈りが応えられて、地元の方々 映画「おくりびと」の第八一回アカデミー す。しかし、完全な無菌社会ができるわけで のご協力により、四百坪の土地を無償で貸し 賞外国語映画賞受賞は、不況で自信喪失気味 もなく、病気や死を完全に避けることができ ていただくことができました。背丈ほどの雑 の日本人に勇気を与えてくれました。就職先 るわけでもないのですから、極端なヘルシズ 草や、大きな松の木などを取り除き、石灰を を探している主人公は「旅のお手伝い」とい ム(健康至上主義)が逆に問題を作り出すと う文句と給料等の条件に惹かれ、旅行代理店 いうことが起こってきています。私たちの文 まいて耕しました。もう直ぐ種まきです。 「とうもろこしを作りたい」「スイカ」「ブ か何かだろうかと考えながら面接に向かった 明は今まで何とかして病気を克服し、老いを ロッコリー」とうるさいこと。「三分の一は、 ところ即日採用となります。しかしその業務 遠ざけようとしてきました。しかし老いを否 花を作って施設中を飾りたい」。「今まではい 内容は納棺であり、社長曰く、広告は誤植で、 定し高齢者を保護すべきものととらえてしま つも人からしてもらってばかりだったけど、 本当は「安らかな旅立ちのお手伝い」のはず う視点では、現実に進行する高齢社会自体を お 花 が 売 れ た ら ピ ー タ ー パ ン 基 金 に 献 げ た だったと聞かされます。「死」という暗いテー 否定しな ければならないということになってし い。何か人のために役立つことをしようよ」 マを取り上げながらも人々の心に強く訴えか まいます。 ける名作で、世界に認められた「日本の実力」 この楽生園に集う利用者・職員が織りなす と話をし と言えるのでしょう。 て い ま 一つひとつの出来事はどれも大切で懐かしい 昨年五月望みの門楽生園に着任しこれまで 思い出です。召された姉妹は自らの思想を語 す。 お二人の姉妹を天国にお送りしました。心の ることも、深い思索をすることもありません 私 達 準備もできぬまま急に旅立たれたお二人から でしたが、まわりに笑いと喜び、安らぎを与 は、多く 残された私たちは「死」の意味を静かに考え えるかけがえのない存在でした。みもとに召 の方に祈 る機会を 与えられたのだと思 います。近年、 された今、姉妹は私たちに何かを語りかけて り支えら 私たちの身の回りでは「無添加・自然」と体 やみません。生命の尊さと、限りある生命を れている に良いことを強調した食品が販売されていま いかに生きるか、それを私たちに問いかけて ことを感 す。街ではウ�ーキングやジョギングをして い る よ う に 思 え ま す。「 は じ め ま し て、 お は じ な が いる人をよく見かけます。抗菌グッズもよく よう、ありがとう、いただきます」そんな何 ら、利用 売られ、空気清浄機などでほこりやダニを除 げない言葉一つひとつが愛おしく感じられま 者への支 去しようと、目に見えないものにまで気を配 す。今日をしっかりと大切に生きよう、明日 援を続け ることが勧められています。これは先進国共 もまた生きていこうと思うこの頃です。 て い ま 通 の 傾 向 の よ う で す。 一 方 そ の 結 果、 肉 体 す。 (三月三一日) 2009年4月1日 門 の み 望 (5) さて、表題の「海外の施設で共感」ですが、 した。考え方や人間性、文化的な違いはあっ 昨年の秋に法人から海外研修に参加する機会 たとしても、福祉において「社会参加」とい を得ました。行き先はオランダ・フィンラン う目標は世界共通。私たち望みの門新生舎の ド・イタリアの三カ国。いずれも福祉文化で 利用者に対する支援や思いというのは間違っ は先駆的な国で、施策や施設の在り方・地域 て い な い と 改 め て 実 感 す る こ と と な り ま し との共存・何より福祉に対する国の考えが伝 た。また、障害者の自立支援に携わる者とし わる様なそんな施設を見学させていただきま て訪問した国の方々も全く同じ思いで携わっ し た。 な か で も ヘ ル シ ン キ に あ る リ ュ ヒ ュ ていることに感動し、私自身に大きな自信と トゥ職業訓練・文化活動施設では私の心を揺 誇りを得 る研修となりました。「一人ひとり さぶるような刺激があったのを鮮明に覚えて の力は小さいけれどみんなで力を合わせれば います。「そ の人が持っている力 を最大限に 大きな力になる。」また、その小さな力を育て、 活かし、社会に参加する」というもので、音 育むことのできる支援者でありたいと考えて 楽活動に特に力を入れ、音楽の世界で働くこ います。最後に、海外研修という貴重な機会 とを目標に様々な技術を学びプロを目指して を与えていただいたことに厚くお礼申し上げ い る そ う で す。 バ ン ド を 結 成 し CD も 販 売 ます。 するほどの腕前を生演奏で聴かせていただき ました。ちょうど研修に出発する当日は、望 みの門新生舎では今年初めて作った稲を刈り 取る豊年感謝祭でした。休耕田を三年かけて 開拓し、五月に初めて田植えをし、ついに収 副主任世話人 樋口 千恵 穫 す る と い う 記 念 す べ き 日 で も あ っ た の で グレースホームでは、一月三日から一月四 す。刈り取った稲を目の前に、利用者が誇ら 日と恒例となっている残留者一泊旅行に行っ し げ に し て い る 姿 が 目 に 浮 か び、 リ ュ ヒ ュ てきました。旅行といっても、場所は市内の トゥ職業訓練施設の利用者が一生懸命に演奏 旅館でゆっくり過ごそうとの趣旨、迎えのバ する姿とオーバーラップして映り、感動して スで一〇分ほどで到着です。 涙が止まりませんでした。フィンランドにお 迎 え て く れ る の は、 す っ か り 顔 見 知 り と ける障害者への職業教育には職員の専門性や なった女 将さん方です。「今年も 元気にお正 努力に高い信頼が置かれているといいます。 月を迎え られて良かったね。」と いう大歓迎 利用者の視点に立ち、焦らず、心にゆとりと をうけ、早速、利用者さんは、お肌スベスベ 広い視野を持った支援を心がけ、私自身、ま になると評判の温泉を満喫していました。ま だまだ努力していかなければと改めて感じま た、宴会で は食べきれないほど のご馳走と、 主任事務員 鈴木 良子 平成一八年四月より自立支援法が施行され 早三年。この間、法の円滑な運営のための特 別対策・障害者自立支援法の抜本的見直しに 向けた緊急措置など、数々の見直しや改正が 行われ、利用者負担の見直しや事業者に対す る激変緩和措置・経営基盤の強化が図られて きました。今年度は「法施行後三年の抜本的 見直し」の年となっており、年度末には制度 改正のための事業所説明会が数回実施される など、新年度を迎えるにあたってその対応に 追われる日々となりました。この「法施行後 三年の抜本的見直し」が利用者やその家族、 また、サー ビス事業 所にとっ て「もっと 判りやす く 」「 も っ と使いやす い 」「 も っ となじみの ある」法制 度に見直さ れること を期待し たい。 () 門 の み 望 2009年4月1日 カラオケで大いに盛り上がり、大満足でした。 この冬、風邪をひかず元気に過ごせた利用 こ の 一 つ 一 つ の 作 品 に は、 不 要 に な っ た ゆっくり過ごしたお正月を終えて、翌日の五 者さんは五名のみ。現在六〇歳以上の方が半 セーターをほどく人、毛糸を巻いて横糸を作 日は仕事始め。それぞれ職場や新生舎、ヨカ 数を占めるグレースホーム。普段、利用者の る人、ビーズの色の選別をする人、チラシを デイへ元気に出かけ新しい年のスタートを切 皆さんは気が若く元気なので、そんなことは きれいに 延ばす人、チラシを巻 く人がいて、 ることができました。年末のクリスマス会・ 感じませんが、利用者さんの体力は、一年ご 出来上がった作品を袋に詰める人、タグを付 忘年会・帰省、新年の残留者一泊旅行と、大 とに低下しつつあることを、痛感した今年の ける人、そのタグに心を込めて絵を描く人が きな行事が続くなか、全員風邪もひかず、元 冬のできごとでした。 います。作品ができるまでを支えている皆さ 気に過ごすことができたのは、これも日頃か これから春を迎え暖かくなりますが、利用 ん一人一人がアーティストです。みんなで力 らの手洗いとうがいの励行が功を奏したと、 者さんの健康を第一に考え、毎日個々の体調 を合わせて一つの芸術作品が生まれます。こ 世話人一同喜んでいたところです。 の変化を見逃さず、明るく楽しい生活を送る の作品は今までの人生を頑張ってきて、今こ …しかし、この後、グレースホームは大変 ことができるように頑張りたいと思います。 こでしっかりと生きている証です。 な状況に陥ることとなったのです…。一月中 最近、新たに「 カラフルアクリルたわし」 旬、恐れていた風邪が流行りだしたのです。 「膝掛け」「帽子」の作品が加わりました。み 一人二人と咳から通院・静養。次の日には別 なさんの心を揺るがす作品があるかもしれま の利用者さんが咳・微熱・通院。その次の日 せん。見に来ていただけると幸いです。 も…。ほぼ毎日の通院で、一九名の利用者さ 新しい年度を迎え、今まで以上に自分らしく んの内、一二名の方がお医者さんから「日中 副主任指導員 南雲いずみ 生きる利用 活動禁止の静養」という指示がだされ、最悪 昨年、一一月末に開催された『南アフリカ 者の皆さん の事態になってしまいました。せめてもの救 と日本の天使たち』に利用者の皆さんが一生 と寄り添っ いは、幸いにもインフルエンザではないとの 懸命に作られた昨品を出品し、大好評でした。 て、人生が 診断がだされたことです。今回の風邪は高熱 作品はリサイクル毛糸の「もこもこマット」、 楽しくなる や嘔吐・下痢といったひどい症状がない代わ チラシで作った「ペン立て」、ビーズの「コー ような活動 りに、とにかく長く続く風邪で、全員が日中 スター」です。それは、ヨカデイサービスセ をして行き 活動復帰できるまで、約三週間を要しました。 ンター開設当初から、利用者の皆さんがこつ たいと思っ 通常、朝と夜を重点的に支援にあたる世話人 こつと作ってきた作品です。どの作品も利用 て い ま す。 ですが、この間は日中も交代で四ヶ所の共同 者さんの感性と想像を超えた偶然が織りなす これからも 生活住居を駆け回り、昼食や通院対応の日中 ハーモニーで、世界に一つだけのアートです。 みなさんの 支援に追われることとなりました。ようやく その作品を、多くの人たちが見て、手にとっ ご支援とご 元気で活気ある毎日に戻ったと思った二月下 て「ステキですね」という言葉を頂いたこと 協力をよろ 旬、再び四名の方が静養…。現在も一名の方 は大変に嬉しいことで、とても励みになりま しくお願い が静養中。 した。 します。 2009年4月1日 門 の み 望 () も、 平 成 一 九 年 四 月 よ り 開 始 す る こ と に な り、現在は五名の要支援の方が利用されてい ます。 望みの門に就職して、ようやく丸八年が過 サービス提供責任者 鈴木 美子 ぎました。長かったような短かったような気 保育士 鈴木 雪江 望 み の 門 ホ ー ム ヘ ル プ サ ー ビ ス に つ い て が す る と 共 に 開 設 当 時 と 現 在 の 状 況 を 見 る 日増しに春らしくなってきた今日この頃、 は、訪問介護事業所として、平成一二年四月 と、昔日の感が致します。 かずさの里にも多くの春が訪れています。高 にスタートしました。私は、平成一三年一月 在宅での生活する利用者の方々と出会い、 校入学者が二名、中学一年生が四名、小学一 に着任しましたが、今でも、頭をよぎること 自 分 ら し く 気 ま ま に 生 活 さ れ て い る 皆 さ ん 年生が三名と、各々の思いは違えど新たなス は、採用時の面接で『あなたは、望みの門の は、どこか心理的な悩みを抱え不安で押しつ タートを迎え、賑やかな毎日となっています。 看板を背負っているのですよ。』の言葉が忘 ぶされそうな気持ちを私たちにぶつけてきま 日々の暮らしの中で、小学生・中高生と過 れられません。 す。人と人の出会い、信頼関係を築き、安心 ご す こ と が 多 い 私 に と り、 春 は 自 身 と の 新 初めて訪問介護で利用者さんのお宅を訪問 して生活できるよう援助していくことがヘル た な 闘 い の 始 ま り で も あ り ま す。 幼 児( 五 した時は、緊張の上に、要領の良く分からず、 パーとして望まれることだと痛感しておりま 名)との関わりとは又異なった自身の覚悟が まごまご、どきどきの連続でした。 す が、 利 用 者 か ら「 あ り が と う、 お 世 話 様 」 そこにあるように感じます。日々の安心・安 当時の状況ですが、私を含めてわずか三人 の言葉をかけていただくことは、本当にヘル 定した暮らしの保障はもちろんですが、一人 の訪問介護員で、訪問介護(活動)をしてお パー冥利に尽きます。 ひとりとの信頼関係をどう築くか大きな仕事 りました。利用者数も一ヶ月一二〜一三人平 訪問介護は、在宅で暮らす高齢者、ご家族 です。 均であり、掃除・買物・調理の生活援助がほ の方にとっては、なくてはならない存在です。 各々の短い人生の中で抱えた事由・背景を、 とんどでした。 今後とも、利用者の人格を尊重し、質の高 私自身の頭と胸にきちんと刻み、子どもたち 現 在、 訪 問 介 護 員 は、 常 勤 ヘ ル パ ー 一 名、 いサービスの提供を心がけ、生活の援助者と の言動の表と裏をどう受け止め・見極め、ど 非常勤登録ヘルパー五名と倍増し、利用者の して、人を思いやる気持ちと、声なき声に耳 う応えるのか、肝っ玉かあさんが望まれます。 月平均利用者数についても二四〜二六名とな を傾け、心の援助ができるよう「望みの門の 「何でそんな事を言うのかな。内 心は違う り、就職した頃のヘルパー・利用者さんの人 看板を背負って」精進していきたいと思って よ ね!」 こ ん な 思 い か ら 始 ま り、「 何 を 受 け 数についても倍増の状況となりました。 おります。 止めてあげれば、どう向き合えば?」また裏 又、当時は、想像もしていなかった事です 腹には「私の伝えたいことをどう受け止めて が、二〇年度より、利用者のニーズに応える いるんだろうか?」との思いが交錯する葛藤 べく、サービス提供時間についても、早朝六 の日々でもあります。 時〜八時、夜間一八時〜二二時の延長サービ 子どもとの暮らしの中で心がけているの スも実施しております。 は、一人ひとりが社会に出たとき、とりわけ 更に、介護予防訪問介護サービスについて 人間関係で困らないように、身近にいる大人 () 門 の み 望 2009年4月1日 として責任を持って関わることです。道徳心 より、小さい頃から養護施設に預けられ、ま を養い、きちんと人と関われる強さ・優しさ た家庭に戻されるなどしていましたが、自立 を身に付けてほしいと願い努めています。 の必要に 迫られ望みの門に来 ました。「モー それゆえ口うるさいおばさんを承知で臨む ニング娘」のオーディションの三次選考まで こ と も 多 々 あ り ま す し、「 解 っ て る よ!」 の 残った経験があったと言うとおり、小さくて 障害児(者)コーディネーター 怒りを含んだ一言で片づけられてしまう場面 可愛い、ピアノと讃美歌が大好きな甘えん坊 大谷 実慧 も少なくありません。子どもの目線を探り、 のYちゃんでしたが、そのあどけない容姿と 中核地域生活支援センター君津ふくしネッ 自身の思春期を思い起こしながら、持ち得た は裏腹に、自分の感情をコントロール出来な トに配属されて約一一ヶ月。 引き出しを全開にしての闘いです。 くなると、リストカットをしたり、物を投げ 相談支援の現場では、見るもの 聞くもの、 「子どもが好き」というだけでは越えられ るなどして暴れたり、警察に補導されたりと、 全て初めてのことばかりで戸惑いの連続の毎 ない難度の高い養育現場を改めて自覚し、許 強烈な存在でした。間もなく、Yちゃんには 日でした。 される範囲での試行錯誤を繰り返しながら、 医療による専門的なケアが必要とわかり、治 地域の多くの方々との関わりから教えてい ただく事も多く、日々新しい出会いに感謝す 子どもたちのために、更に自身と闘いたいと 療を受けるために退寮となりました。 思います。 その後、入退院を繰り返しながらも、一人 ると共に「繋がること」の大切さを実感して で生活出来るようになったYちゃんから久し います。 ぶりに「遊びに行っていいですか?讃美歌を 障がいを抱えた方からの生活相談、DV(ド 一緒に沢山歌いたい」と連絡が来たのは、今 メスティックバ イオレンス)、生活困窮、多 年の初めのことでした。一七歳で寮に来たY 重債務、居場所がない等の「生活のしづらさ」 生活指導員 長原恵理子 ちゃんは二四歳になっていました。キリスト を感じていらっしゃる方、その中でも「制度 二月二二日「東京望みの門」に悲しい知ら 教の養護施設で生活した経験から、讃美歌を の隙間」に落ちてしまい、どの福祉サービス せが届きました。それは、退寮生のYちゃん 沢山覚えており、在寮中は近くの教会の礼拝 にも該当しないで困っている、というご相談 が、亡くなったという知らせでした。持病の にも出席していたYちゃんの一番好きな讃美 も数多く寄せられています。 喘息の発作を起こし救急車で病院に運ばれ、 歌三九一番「ナルドのつぼ〜」を七年ぶりに この一年間の相談支援活動を通じて、ご相 談者のみならず、ご家族も含めて「複合的な 心肺停止になり意識が戻らないまま亡くなっ 一緒に歌うことが出来ました。 たということでした。Yちゃんは、二月三日 あまりにも早すぎるYちゃんの死ですが、 問題」をご家族全体で抱えており、行政機関 に久しぶりに寮に遊びに来て、同じ時期に寮 Yちゃんは今や苦しみや悲しみ寂しさから解 を含めた総合的な支援が必要な方々が多くい 生活を送ったAちゃんとの七年ぶりの再会を き放たれ、神様の御許で平安を得ていること らっしゃる事に気がつかされました。それと 喜んだばかりだったので、私達職員にとって と信じております。復活の主キリストにより 同時に、どんどん事態が悪化していく「状態 は、とても信じ難い知らせでした。 与えられている信仰と希望に支えられ「東京 悪化の悪循環」を繰り返されている方を前に Yちゃんは七年前に、一七歳で「東京望み 望みの門マナの家」の歩みを祈りをもって続 して、「私た ちはどのようにご支援していっ たら良いのか」、やるせなさともどかしさを の門」に入寮しました。家庭の複雑な事情に けて参りたいと願っております。 2009年4月1日 門 の み 望 () 感じる事もありました。 と い う 視 点 も 忘 れ て は な ら な い の だ と 思 い す。まだまだ未熟者で分からない事だらけで 相談支援活動をしていて「これで良かった ます。 すが、「繋がり」を大切にして、これからも日々 の だ ろ う か …。」 と、 自 問 自 答 す る 事 も 多 く 「 笑 顔 が 曇 っ た 時 に は 助 け を 求 め る こ と。 精進して参りたいと思っております。今後と あります。ご相談者の口から発せられる「何 お互い様。」という言葉かけ。「自分を生きる」 もご指導のほど、よろしくお願いいたします。 気ない一言」には、問題解決に結びつく重大 というご本人の思いに寄り添い続ける事が大 なキーワード(意味)をいくつも含んでいる 切なのだ、としみじみと実感している日々で こ と が 多 く、 ま た 私 た ち 支 援 者 側 の 言 動 に よっては、ご相談者の今後の生活の方向性を 大きく左右してしまう事があるのだと痛感さ せられる事もしばしばありました。 春爛漫、あちこちで花見の計画。学園では ご相談者にとって「何がベストな解決方法 生憎強い 風の日にあたった。日 に晴雨あり、 か 」 と 考 え た 時 に、「 正 解 は 一 つ で は な い 」 道に儉易ありだ。新規採用者一五名、内訳大 学院卒二名、大卒一名、短大卒一名、専門学 と感じています。相談支援の過程の中で、ご 校三名、転入者八名であり、職員総数一六二 相談者と私たち支援者とが共に「同じ方向を 名となっ た。福祉業界は景気が 良いとの噂。 目指して」同じ痛みを分かち合いながら、問 景気の好し悪し、好不況は利益追求を第一義 題解決に向かって一歩一歩前進してくことこ とする企 業の世界。福祉は公益 優先であり、 そが大切なのではないかと思っています。 需要に応じて、対応するのが道。利潤は結果 「自分を生きる為に自立する。」これは、あ であるが損失は許されぬ。楽生園は創立四〇 る精神障がいを抱えた方が仰っていた言葉で 周年を迎 えた。一〇人は車椅子 生活である。 す。今まで自分自身のことを受け入れられず、 健康で老いることの難しさ。紫苑荘一階に介 自ら命を絶とうとしたり、薬物等の依存症に 護予防センター開設は内向きにも適切。法人 なった方々。しかし、少しずつではあるけれ も望みの門方舟乳児園スタート。春は正に酣。 ども、また一歩踏み出そうとされている方々。 四月十二日はイースター。学園の手作りラ 「自立」の仕方も様々で、「何か特別なことを ンチを囲んで愛餐会。立派な挨拶をされる学 するのではない。同じ時間を共有し合う。そ 園生。息子 さんや娘さんの進学 を語る母親。 こに居るだけで良い。」という捉え方も、「自 人の情・神の愛は涙を誘う。人を信じ、神を 立」へのステップなのではないかと思います。 信じる群れとして歩みたい。 住み慣れた地域で、その人らしく安心した 本号をもって五十号となる。先人の労を偲 生活を送ることができる基盤作りを進めてい びつつ五十号の意義を噛みしめる。 くためには、地域の方々の理解が不可欠です。 (Y・I) それと同時に「共に支え合って生きている。」 ( 10 ) 門 の み 望 2009年4月1日 このたび、競艇の交付金による日本財団の 2008 年度助成事業の助成金を 受けて、下記の事業を完了いたしました。 ここに事業完了のご報告を申し上げますと共に、日本財団を始め、ご協力 を賜りました関係各位に謹んで感謝の意を表します。 1.事 業 名 乳児院の整備/民家改修 2.事 業 総 額 68,985,000 円(うち助成に係る事業総額 17,000,000 円) 3.助 成 金 額 11,700,000 円 4.施 設 名 称 乳児院 望みの門方舟乳児園 5.施設所在地 千葉県富津市湊 705 番地 6.完了年月日 2009(平成 21)年3月 30 日 社会福祉法人 ミッドナイトミッションのぞみ会 理事長 木 下 宣 世 記
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