宣研ニュースレター

日本バプテスト連盟宣教研究所
宣研ニュースレター
宣研ニュースレター
2008.3.26.
〒 336-0017
No.71
さいたま市南区南浦和
さいたま市南区南浦和1
市南区南浦和1丁目2
丁目2番4号/TEL 048-813-7568
巻頭言
やってきたこと、
そして新しい歩みへ
宣教研究所所長
濱野道雄
れています)といった「線」のプログラ
ムをこの1年で開催しました。こうして
みますと、牧師職への献身をめぐる様々
な共通の課題が見えてまいります。例え
ば、神学校を卒業した後、牧師であり続
ける割合が近年徐々に落ちてきている一
方で、退職後も召命の思いを持ち続けて
いる献身者と教会がいかに向き合うかと
いう課題が他方であります。この二つの
課題に共通して言えることは「教会」の
視点が、個人の召命ではなく教会による
招聘や牧師擁立の視点が、さらに深く考
えられるべきだという点です。バプテス
トの特徴は教会論にあるはずですが、私
たちはまだ途上にあるのでしょう。
なお研修部門を担ってきた榎本譲所員
(筑波教会牧師)が新年度から宣教部、
教会教育および青少年伝道担当室長に就
任することになりました。これまでの働
きに感謝しつつ、今号にこれまでの働き
の「総括」的文章を寄せてもらいました。
新年度からは、西南学院大学神学部大
学院を修了した松見享子氏が新しい所員
として就任します。どうぞよろしくお願
イースターおめでとうございます。主
イエス・キリストの復活の光に導かれた
喜びの時を共にお祝いいたします。また
年度末でもあり、一年をふり返りつつ、
新年度の活動計画などを練る、忙しい時
をお過ごしの事と思います。
宣教研究所のこの1年をふり返ってみ
ましても、様々なことがありました。ま
ず研修、あるいは伝道者サポート部門で
すが、伝道者を「点」ではなく「線」で
サポートする、その線がつながった年で
した。これは2003年の宣教会議でも宣研
の働きとして要望されていたことです。
神学校入学前の「献身者研修会」(宣教
部との共催)、各神学校の神学生が会し
た「実践神学セミナー」(西南大神学部
学生会との共催)、神学校卒業直前の
「新任牧師・主事研修会」(今号に柴田
かおり所員によるレポートが掲載されて
います)、現職の牧師たちによる2回の
グループ研修会、そして牧師職退任前後
の方々が多く参加した「牧師の『退職』
をめぐる宣教シンポジウム」(今号に吉
高叶運営委員長によるレポートが掲載さ
- 1 -
いいたします。
また研究部門でも、昨年の夏まで所長
である私をアメリカに派遣してくださり、
様々な教会研究を学びつつ学位取得がで
きたことを感謝いたします。現在、「礼
拝」をテーマに研究班の活動を開始して
います。神学セミナーや新しい式文の形
成などにこの研究活動が結実していくこ
とを願っています。宣教研究所には以前、
二つの研究班がありましたが、阪神・淡
路大震災が起こり、その関わりに集中し
ていく中でその活動が一旦休止されてい
ました。どのような牧師のサポート・ネ
ットワークを目指すのか、宣研の研修活
動に大きな影響を与えたのも、この震災
でした。
そして情報部門でも、今号にはNCC
日比協議会のレポートを中村信雄公害問
題特別委員に書いていただきましたが、
世界と私たちを、また教会の内外を、福
音と世界をつなぐネットワーク活動が、
ますます広がってきていることを嬉しく
思います。
今年度も宣教研究所をお支え下さり、
心より感謝いたします。皆様と共に、新
しい年度への歩みを踏み出して行きたい
と願います。
(はまのみちお/宣教研究所所長、花
小金井教会協力牧師)
新任牧師・主事研修会報告(2008年2月25~29日)
線の牧会・点の説教
柴田かおり
今年も、今春より各教会・伝道所にお
いて牧師・主事等教会スタッフとして働
き を は じ め ら れ る 方 々 を 対 象 と し て、
「新任牧師・主事研修会」を開催しまし
た。宣教研究所では、「新卒牧師・主事
研修会」として神学校を卒業予定の方々
を対象に研修会を行ってまいりましたが、
神学校を卒業する方の進路が多様になっ
てきたこともあり、本来の研修会の意図
により近い「新任牧師・主事研修会」と
し対象も明確にさせていただきました。
そして、1ヵ月後にはそれぞれ牧師・主事
として教会から委託された働きを担う責
任と緊張感の中で、より具体的にそれぞ
れが課題としていること、不安なこと、
学んでおかなくてはならないことを、同
- 2 -
じ立場で語り合い、励ましあい、同労者
としての交わりを築くことを期待し準備
いたしました。
今年は、5名の参加者(西南1、東京
1、関西1)が与えられました。例年よ
りも少ない人数でしたが、逆にそれぞれ
の具体的な話を十分に話題にすることが
出来ましたし、5名とはいえ20代から
80代と年齢の幅が広いこともありよい
研修の時となりました。特に協力牧師や
主事といった複数スタッフ体制の教会へ
赴任する方が多かったため、チーム牧会
や教会運営、牧師のリーダーシップなど
についての議論が頻繁になされました。
講師には、今年も金子敬先生(古賀教
会牧師)に「役員会の運営と牧師のリー
ダーシップ」をお話していただき、特別
ゲストとして藤沢一清・鈴子夫妻(花小
金井教会員)からそれぞれ牧師、牧師家
族として振り返って思うことを語ってい
ただきました。バプテスト教会において
は、牧師は身分ではなく職分です。です
から、牧師にたてられた人は教会から委
託された職務に対して過不足なく責任を
持つのですが、その職務が多くの場合明
確ではないため牧師・教会双方にストレ
スが生じます。それを理解しながら、い
かになすべきことをなし、なすべきでは
ないことを教会に戻していくか、先輩の
経験から学ぶことは多いです。牧師家族
についても、原則は踏まえつつ現実の赴
任先で想定される事態を考えながら、ど
う考え対処するのか思い巡らすために良
いなげかけをしていただきました。
今年特筆すべきことは、一日をかけて
靖国神社と遊就館、女たちの戦争と平和
資料館を見学、日本キリスト教協議会事
務所、同教育部事務所、日本バプテスト
同盟事務所をそれぞれ訪問したことです。
終日辻子実さん(靖国神社問題特別委員、
恵泉教会員)が同行してくださり、見学
後の話し合いでは、キリスト教の中にあ
る靖国と変わらない宗教性について指摘
くださり、牧師は一体何を語るのかとい
う問いを投げかけてくださいました。そ
れは、牧師は福音をちゃんと伝わること
ばで語れているのかという指摘であり、
説教者としての責任の重大さをあらため
て知らされました。
今回の研修会では、この説教者の語り
のテーマが何度も議論されました。福音
が、本当にどんな人にとっても福音とな
り得ているか、牧師は説教者として「聖
書の言葉」で人を裁いたり、傷つけたり
していないか。牧師が教会に連なる人々
の聖書の読みに聴き、聖書を釈義し、人
々に届く言葉を紡ぎ、語ることの責任と
緊張とおもしろさをも学びました。線の
牧会があっての点の説教、そして一人一
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人の点の物語を繋いだ教会の歴史の物語、
牧師に委託された説教という職務の広が
りと豊かさ、それゆえの厳しさに背筋を
伸ばされた思いです。
そのほか、礼典について、就任式・按
手式をめぐって、セクシュアル・ハラス
メントや牧師のパワーと人間関係の問題、
協力伝道など様々なテーマをめぐっての
話し合いがなされました。多くの方々が
事務的な諸連絡も含めて関わってくださ
り、顔と顔を合わせた交わりがもてたこ
と、特に連盟事務所の職員との交流会で
は楽しい交わりが持たれ、これからのそ
れぞれの働きを覚えて祈るときも持ちま
した。4泊5日という長く思える時間も
終わって見るとまだまだ話しきれない課
題があるのですが、これから始まる長い
働きに宣教研究所が継続的に関わらせて
いただき、その中でまたご一緒に考えて
いきたいと思っています。そのスタート
を同労者としてご一緒させていただいた
ことを嬉しく思います。答えを持つ宣教
研究所ではなく一緒に考える宣教研究所
として、「苦しくなる前に訪ねてくださ
い」とお約束して研修会を終わりました。
(しばたかおり/宣教研究所非常勤
所員・浦和バプテスト教会員)
第10回日比NCC協議会に参加して
日比の温度差(-2℃、30℃)
中村信雄
●はじめに
2008年1月21日から26日、フィリピンの
ミンダナオ島のダバオ市で、第10回日比
NCC協議会が開催された。これはフィリピ
ン教会協議会(NCCP)と日本キリスト教
協議会(NCCJ)とが相互の理解と協力を
深め、双方の課題とその関係性を明らか
にし、次回の協議会までに行う双方の具
体的な行動を考えるために開催されてい
る。日本からは10名が参加し、バプテス
ト連盟からは宣教研究所の濱野道雄所長
と私が参加した。今回は、グローバル化
と軍事化、また日本‐フィリピン経済連
携協定(JPEPA)の問題等を中心に対話が
なされた。
主なプログラムは、フィールドワーク
(バナナ農園、マグロ加工工場、兵隊か
らの被害の証言)、日比双方からの基調
講演、ミンダナオの社会経済的・政治的
な状況の報告、JPEPAの問題点を分かち合
い、分団(憲法9条とアジアの平和、平和
と米軍基地、人権と人間の安全保障法、
平和とバリカタン軍事演習)が持たれ、
共同声明の作成であった。23日の夕食時
には、日本人男性とフィリピン人女性と
の間に生まれた子どもたちが訪ねて来て
下さった。現在、母子は父親からの支援
を受けることができていないそうだ。
ここではバナナ農園、JPEPA、軍事化、
そして政治的殺害の状況について報告し、
最後に感想を述べる。(尚、基調講演と
共同声明はNCCPのホームページに掲載さ
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れているので参照して下さい。)
●バナナ農園
バナナ農園
フィールドワークは3つのグループに
分かれ、私はバナナ農園に行った。コン
ポステラのバナナ農園では、1haに2000
本のバナナの木を植え、そこで一人が作
業するように農園全体の作業する人数も
管理されている。バナナ農園は1つの企業
と契約し、他の企業と契約できない。そ
れにより海外からの企業による搾取が生
じる。驚いたのは農薬を使う頻度だ。実
が成る前のバナナの花にすでに残る注射
の跡が痛々しい。バナナの収穫には約9
ヶ月かかる。その9ヶ月間、週に2回、
農薬を散布している。人がタンクを背負
い散布することもあれば、飛行機によっ
て散布することもある。バナナに農薬が
散布されているということは、当然そこ
で働く人たちにも影響がある。バナナの
葉には白い斑点が付いていた。農薬の跡
だ。農園で働く人たちに目を移せば、そ
のTシャツも農薬によるシミがあった。
バナナのパッキング作業している方々
が、彼らの昼食の休み時間に私たちを訪
問してくれた。彼らの話によると、早朝
から仕事を始めるが、仕事が長引いても
残業代はではないそうだ。1時間の休憩
時間が終わり、彼らが仕事に戻る時には
スコールが降り続いた。せめてその時だ
けでもと思い、一緒にスコールに打たれ
ながら見送った。こちらを何度も振り返
り手を振ってくれた。私たちが口にする
バナナは5本で約160円くらいだろう。日
本で年中入手でき、安価なのはこのよう
な方々の存在があるからだ。
私がここで伝えたいのは、日本企業を
含めた搾取の事実だけではない。農園で
働く方々の優しさである。農薬散布に用
いるタンクを背負い、農園へと消えてい
った黒い瞳を持つ人。農薬から身を守る
ためか、頭と口元を布で覆い、ほとんど
顔を出していなかった。言葉は交わさな
かったが、互いに微笑を交わしたことが、
目の回りのしわで確認できた。彼の目に
私はどのように映ったのだろうか。日本
と異なるフィリピンの気候。少し動くと
汗ばむ。日比の温度差を感じる。
●日本-
日本-フィリピン経済連携協定
フィリピン経済連携協定
Japan-Philippines Economic Partnership
Agreement (JPEPA)
日本では知られていないJPEPA。反対運
動が起こるフィリピン。JPEPAは2006年9
月9日、小泉元首相とアロヨ大統領の間
で署名され、日本では直後の12月の臨時
国会で承認されている。しかしフィリピ
ンでは承認されていない。フィリピンで
は国際協定発行には上院の承認が必要だ
が、野党が多数を占めているため反対さ
れている。
経済連携といえば響はいいが、日本か
らの廃棄物の輸出も含め圧倒的に日本に
有利な協定である。それだけではない。
フィリピン人の看護師や介護師の日本入
国と雇用制限の緩和がある。日本での労
働力を確保するために家族が分断される。
フィリピン政府にとっては、海外移住労
働者を増やし外貨を獲得する国策と一致
しているのだろう。現地の医療はどうな
るのか。離れて暮らすことになる家族は
それでいいのか。日本人とフィリピン人
の看護師と介護師で待遇に差は生じない
のか。
協議会の中で印象に残ったフィリピン
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からの参加者の発言を記したい。
「私たちは総合的なコストで考えなけれ
ばならない。JPEPAで一部の人は多くの利
益を得るかもしれない。しかし、それに
よって文化、自然、資源等が失われてし
まうなら、そこには損失がある。その損
失はどれだけ大きいのか。その損失も含
めた総合的なコストで考えなければなら
ない!」
その通りである。政府開発援助も含め、
一部の者が一時的な利益を得ても、他の
人々や家族の分断を含め総合的なコスト
で考えたときに本当にそれで良いのか考
えなければならない。目に見えないもの
の価値を大事にしたい。
●「テロ対策
テロ対策」
対策」という名
という名の軍事化
1947年に結んだ米比軍事基地協定の期
限切れが迫る1991年、10年の期限付きで
米軍基地を存続させるという米比友好協
力安全条約が調印された。しかしこの国
際条約を上院が拒否したため、クラーク
空軍基地とスービック海軍基地がフィリ
ピンに返還された。ところが1998年には
「派遣米軍に関する協定」が結ばれ上院
も承認 する。 そし て2002 年に「 テロ対
策」の名の下に、フィリピン国軍と米軍
は、「バリカタン02-1」という合同軍事
演習を行った。その後、合同軍事演習は
繰り返されている。
米軍基地撤退後もフィリピンを自由に
用い、人々を踏み躙る米政府と米軍。200
5年、ルソン島にて米兵約4500人、フィリ
ピン国軍約700人が、テロ対策のために合
同軍事演習を行った。その演習に参加し
た沖縄キャンプ・ハンセン所属の米兵5人
がフィリピン人女性を暴行したのだ。
フィリピンの憲法第2条第2節には次
のようにある。
「フィリピン国民は、征服を目的とする、
いかなる戦争を企てることも放棄し、か
ついかなる人民の自由に対して武力を決
して行使しない」。
るほど、正義と平和を取り戻すための活
動は熱を増していく。今、日本ですべき
ことは何か。何を守り、何を取り戻さな
ければならないのか。確かに温度差があ
る。
しかし、「対テロ」という名の下に軍事
化を進めるアメリカとの関係により、そ
の憲法を破る懸念は拭いされない。フィ
リピンは両院制をとっているが、アロヨ
大統領は一院制にしたいようだ。上院24
議席と下院275議席を統合し、与党が多い
下院に上院を吸収したいのだろう。国際
条約・協定の批准の承認は上院にあり、
現在は野党が多数だからである。名目を
変えて存続する米軍基地、改憲の動き、
女性の被害。日本と共通している。
●協議会に
協議会に参加して
参加して
私は協議会に参加が決まるまで、フィ
リピンのことをほとんど知らなかった。
フィリピンで感じた温度差の主語は、実
は私に他ならない。少しずつではあるが、
今 も フ ィ リ ピ ン の こ と を 学 ん で い る。
「戦争は最大の公害である」とし、公害
問題特別委員会では2005年に沖縄を訪問
した。今回の協議会に参加し、共通する
課題が見えつつあるのと同時に、日本で
の暮らしの中で傍観者となっている自分
に改めて気付かされている。それぞれの
課題はとても複雑だ。ただフィリピンに
とって切実な問題は、日本にとっても切
実な問題なのだ。フィリピン側の参加者
には、日本はアメリカと同様な支配者的
立場である、という感覚を持たれている
方もあった。当たっている部分もあるだ
ろう。しかし実際には日本にも多くの米
軍基地があり、沖縄に集中している。そ
れを遠目で見ている傍観者の私が存在し
ているのだ。日本で手遅れとなる前に、
私たちにはやらなきゃならないことがあ
る。いや、「私」が、だ。この「私」が
いて、そこから連帯が始まるように感じ
ている。お読みいただいた皆さんは何を
感じてくださっただろう。皆さんからの
応答を心から期待している。
●政治的な
政治的な殺害
帰国前日に友人からいただいたものが
ある。腰に巻きつけ足元まで覆うフィリ
ピンの民族衣装である。それと共に手渡
してくれたのがバッジである。そこには
STOPと書かれてあり、アルファベットのO
の中にTHE KILLINGS IN THE PHILIPPINES
と書かれている。その文字の上には銃の
照準があり、横たわった人のちょうど心
臓を狙い撃ちしている。
第9回日比協議会は沖縄で開催された
が参加予定だったエジソン・ラプス牧師
が協議会の3週間前に殺害された。2006
年10月には、NCCP元議長であったラメン
ト司教が殺害された。そして、今回の協
議会開催中にレイテ州のマハプラグ合同
教会のフィロミノ・カタムビス牧師が、
オートバイに乗り目出し帽をかぶった者
によって殺害された。その知らせを聞き
会議場が涙と深い悲しみに包まれた。
フィリピン人権連合カラパタンの報告
によると、左派系活動家を含め政治的殺
害はアロヨ政権になった2001年から2007
年10月までの期間、実に887人もの人が犠
牲となっている。脅迫、殺人未遂、行方
不明者も相当な数になっている。その多
くはアロヨ政権下の国軍の関与の可能性
が強いようだ。声を上げる者には、権力
と暴力の脅威によって沈黙させ、時に殺
害する。その現実が今まさに行われてい
る。しかし、リーダー的存在が殺害され
(なかむらのぶお/公害問題特別委
員会委員・浜甲子園教会員)
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「牧師の退職をめぐる宣教シンポジウム」1/28-30
報告・その一
吉高
「『退職』とか『引退』のことでなく、
これからの『宣教』のことを話し合った
らどうか」。
そのような忠告が、集会開催前に届け
られた。「いいえ、牧師の『退職』を牧
師自身が、そして教会がどう捉えていく
のかは優れて宣教の課題です」と、私は
そう答えた。
牧師にとって「退職」とは何なのか。
教会にとって、牧師の退職とは何なのか。
就いたり辞したりする「職分」としての
牧師。それに就こうとするのは何故であ
り、辞そうとする時はいつなのか。それ
らは牧師の健康や情熱や意識の問題なの
か。さらに、牧師がいわゆる「引退」す
るときの直接要因はかならず「老い」な
のか。教会の宣教課題やビジョンに向け
た見取図の中で、牧師の「就」と「辞」、
そして「退」、そういうものがもっと扱
われていいし、一様ではなく教会のミニ
ストリーに則してもっと多様であっても
いいのかもしれない。牧師の献身論や人
生の問題として、「牧師の退職」を論じ
合うこともできるけれど、牧師の問題と
してではなく、まさに教会形成の問題、
信徒の問題としてわいわいと語り合いた
い、そのような想いで「牧師の『退職』
をめぐる宣教シンポジウム」を開催した。
こうした切り口の集いはおそらくバプ
テスト連盟の中では初めてのことで、開
催前から様々な関心や反響が寄せられて
いた。特にシンポジウム準備の一環とし
て、牧師を退職された方々(約90名)
- 7 -
叶
に事前のアンケートをお願いしたところ、
70名の方々から丁寧にびっしりと書き
込まれた回答をいただき、やはり関心が
高く、また深い課題であることを認識さ
せられた。スタッフを含め42名の参加
者の内の多くは「退職」を経験された方
々であったが、夫婦での参加者、中には
親子二代での参加者もあった。
因みに、今回のシンポジウムの目的と
して冒頭に確認したことは下記のとおり
であった。
①バプテストという理念やスタイルの嬉
しさと困惑とが正直に語られる場をつ
くる。
②「バプテスト」「日本の宣教」のこれ
からを見つめながら牧師像・信徒像を
考える。
③伝道者・牧会者として生きてきた喜び
や労苦、そこにあった祝福や慰めを証
し、受けとめ合う。
④いったん「退職」した者たちも、なお
も必要に応じて用いられていく連盟・
連合としての政策の可能性を見つめる。
●セッションⅠ
セッションⅠ
第一のセッションは、三日間のシンポ
ジウムの導入として、開催趣旨の説明を
含めた問題提起を宣教研究所からおこな
った。上述した「なぜ、いつ、どのよう
に」退職するのかという問題に加え、昨
今、諸教会が新卒牧師を招聘せずに、年
金で基本的な生計を立てている(立てる
ことのできる)牧師への需要が強くなっ
ていたり、あるいは、とりあえず近隣の
退職牧師に「リリーフ登板」を願い出る
ケースが増えていることを指摘。また、
最近その必要性が聞こえ始めた「若い牧
師たちに対するへのメンター(相談者・
助言者)制」についても紹介しながら、
もし、新卒牧師が敬遠されつつあるのだ
としたら、その原因を、新卒牧師の「未
熟さ」にだけ帰するのでなく、教会の成
長段階(あるいは衰退段階)の課題とし
て見極めることのが大切であり、さらに、
そうした教会からのリクエストに応えて
赴任するときには、何らかの「わきま
え」(注意点や職務理解)が必要になる
のではないか、もしかしたら、連合や連
盟レベルでのルールさえ必要なのではな
いか、と発題した。
続いて、昨年度末をもって牧師を退職
した松倉治氏から「信徒になってたまる
か」という非常に刺激的なタイトルの発
題をいただいた。
永年、バプテストの理念を心に刻んで
来た松倉氏は、当然「退職後は信徒にな
るのだ」と考えてきたし公言してきた。
しかし、退職し、出席する教会でふと自
分の心にわき上がってきた感情は「信徒
になってたまるか」! これはいったい
何なのか? そんな感情を持つことへの
自らの当惑。そして自問。牧師が信徒に
なるということは、牧師時代に培った教
会への愛情・使命・専門性などをも一緒
に退職させてしまうことなのか。そうで
なければ信徒になれないのか・・・。「牧師
・信徒」をめぐってそのように自問自答
をする中に届けられた恩師の言葉をヒン
トに、堅くなりかけていた想いが氷解し
ていく。そうした退職後の「心のよう
す」を実にユーモラスに紹介してくださ
った。参加者の多くは、その心模様に共
感するところが多くあったようだ。この
発題のおかげで、三日間を「べき論」で
なく率直に語り合うことができたのかも
しれないと感じている。
●セッションⅡ
セッションⅡ
第二のセッションは、「召命と招聘」
というテーマで3人の発題を受けていっ
た。「召命」と「招聘」、この両者を決
して別次元のこととして捉えるのでなく
「100%神からであり、同時に100
%会衆からである」と理解するのが、私
たちバプテストの職制理解だと言われる。
しかし、牧師にとって「召命」というも
のが自分にどう迫り、自分をどう突き動
かし、また「招聘」が自分にどう出会い、
自分をどう働かせるのか、そのことはそ
れぞれの牧師の中で異なった作用をして
きたはずだ。その両者の「違い」が際立
つ場面や、重なる場面が、それぞれの牧
師の中で違った光を放っているのではな
いか。だからとても愉快であり、楽しい。
バプテストの多様性の豊かさとはそうい
うことなのかもしれない。それを三者が
みごとに語って下さった。
井置利男牧師は、一度は国のために死
ぬことを志願し特攻予科練に入隊しなが
らも、発進寸前に敗戦を迎え、生きる支
えを完全に喪失した経験を持つ。何か真
実なるものに自らを投じ人々の幸せのた
めに生きたいと願う情熱は空を切る。そ
のような時にであったキリスト教。衝撃
と感動の中で求めた福音。そして自分の
中に突き入れられた献身への招きとそれ
に応えようとの思い。それは井置師にと
っては、「あの日、あの時」という日付
入りの「神との契約」となって心に刻ま
れ、現在に至るまで、その契約に生きて
おられる。
まっすぐな開拓伝道への思いが、浦和
バプテスト教会、そして故穴井滋牧師と
出会うことになり、そこからバプテスト
連盟との交わりが始まっていくことにな
る。西川口キリスト教会の開拓から教会
形成に38年。いわば「あの日、あの
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時」の神との契約に、一筋に生きた結果
としての道のりであった。70歳で西川
口教会を辞したのも、決して「老い」に
伴う「引退」ではなかった。教会形成の
新たなステージの必要を感じてであり、
そして自分の使命は新たな場所へと更に
進んでいく。7年間の天城山荘のチャプ
レンを経、もう一度、教会現場での説教
・牧会・伝道をと願い、そして示され、
東大阪教会に赴任。現在に至っている。
そのような井置師の証の端々にはやはり
「あの日、あの時」神に召されそれに応
えた、神との契約の元に人生を理解して
いく「召命」に生きる姿を見ることがで
きた。
金子純雄牧師は、牧師の家庭に育ち、
若い頃から周囲より(牧師になるように
との)期待の言葉に接し続けてしまった
こともあり、自分の中に突き込んでくる
ような劇的な召命感は無かったという。
それゆえ神学校へ行ってから大いに混乱
する。しかし、神学校時代も常に仲間た
ちに支えられて歩んだ記憶。召命とか献
身という点では自分の中に不確かさを感
じつつ、しかし、それは自己の中でとい
うより、自分の遣わされた群れの中で、
交わりの中で日ごとに確かにされていっ
たのではなかっただろうか、と振り返る。
金子師にとっては、教会の交わりや課題
というものが現にあり、その課題の中か
らの招きであった点において、献身当初
より、そして常に、「召命」と「招聘」
とは重なり合っていたのだと言えよう。
「ベースは信徒」「牧師もまた、他の職
業 と 同 じ よ う に 一 つ の 職 業 」 と 語 る。
「牧師の信徒性が大切、そして信徒の牧
師性が大切」とも。
杉嶋輝静氏は、昨年65歳で牧師を退
職。現在、かつて仕えた教会のある町に
暮らし、「信徒道」を追求している。入
信当時の若い時代を、伝道熱心・牧師中
心・個人的信仰重視の教会で育った同氏
は、熱い想いを抱いて神学校の門をくぐ
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る。そこで「共同体」形成の大切さに初
めて目が向いた。時は、学園闘争の時代。
キリスト教界も、宣教の内実をめぐって
揺さぶられていた。そのような中、闘争
の渦中にあった母教会へ赴任。歴史性や
隣人性の希薄さが糾弾されていた。問題
提起者たちと恩師(教会)との狭間で揺
れ、教会を去っていく多くの同年代の仲
間たちを見送った。「彼らへの責任」。
それが今まで牧師を続けてきた一つの理
由だと杉嶋氏は言う。そして彼らが退職
する年齢になったから、と、自らが65
歳で牧師を退職することにした理由を語
る。「牧師である前にキリスト者。キリ
スト者である前にひとりのにんげん」。
「まことのキリスト者である信徒で始ま
り、信徒で終わる。そのような信徒によ
る共同体。それがわたしのバプテスト
だ」と。
三人三様。図らずも、80代、70代、
60代と世代も分かれ、「召命」や「献
身」についての切り口を異にする三者の
発言は、それぞれの個性の違いが実に面
白く際立ち、会場が興奮に包まれるほど
に圧巻であった。それゆえ、それぞれの
現在もまたそれぞれである。「生涯現
役」を確信し、事実、現役牧師として働
く井置牧師。「ベースは信徒」という理
解を十分に持ちつつ、いったん退職後も
途切れずにいくつかの教会のニーズに応
えて臨時牧師を担ってきた金子師。そし
て、すっきりと退職され「信徒道」求道
中の杉嶋氏。
牧師の「退職」をめぐるあれこれは、
召命観、教会観(論)、人生観(論)を
含む実に豊かで深いテーマだということ
がわかる。
つづく
よしたかかのう(栗ヶ沢バプテス
ト教会牧師/宣教研究所運営委員長)
牧師の継続研修が目指すもの
榎本
宣教研究所は、牧師が継続研修の機会
をもつことの大事さを思い、この三年間
は今まで以上に「牧師研修」のためのプ
ログラムを企画し、推進してきました。
当初、宣教研究所運営委員会の席上で、
「研修を行う目的は何か」という質問が
ありました。そのとき、研修担当である
私は、「牧師をやめてしまう人が、ひと
りでも少なくなることを祈って」と返答
したのでした。これを受けて、運営委員
会から「牧師さんたちの間に、『研修運
動』を起こそうという企てですね」とい
う積極的な理解をいただいて、もろもろ
の「牧師研修」プログラムが実施される
ことになりました。
バプテストの「各個教会主義」は、孤
立主義の方向に向かうものではなく、ひ
らかれた姿勢で学び合うはずのものでし
ょうから、同労者間で研修する場がある
というのは、喜ばれることはあっても迷
惑がられることはないでしょう。
さて、3年間研修プログラムを推進し
てきての結果はどうであったか。目に見
える実際や数値による評価は、時間をか
けて慎重に見極める必要があると思って
います。日本バプテスト連盟の中長期計
画にある「バプテスト教会を形成する
『人づくり』」とは、鋳型にはめた「信
者づくり」のことではなく、「信教の自
由」を大事にして「民主的教会」を喜ぶ
人が教会に育っていくことへの期待であ
る限り、単純な統計分析によって答えが
出るわけではないからです。
譲
では、何を目指して具体的なプラグラ
ムのねらいを定めたのでしょうか。私自
身の主観的な意見を述べさせていただく
ならば、ひとことで言って「柔軟な人
(牧師)になる」ことです。少々堅苦し
い表現を用いるならば、「ものごとを複
眼的に見ることができる人」と言っても
良いかもしれません。
牧師という職務に就いている人にとっ
て、最も大事なのは、具体的な教会活動
をめぐるさまざまな場面に於いて、「適
材適所」を見極める視点だと思います。
「牧師として、先ず重要な働きは説教
だ」という考えが一般にあるかもしれま
せんが、果たしてそう言い切れるでしょ
うか。バプテストとしての牧師の職務を
考える際に、それは決して自明ではない
と思います。牧師が即説教者ではなく、
ときには、「牧師は、当該教会にとって
ふさわしい説教者を育てるために労す
る」ことだってあるのではないでしょう
か。教会生活の日常において、教会の奉
仕者がいきいきとその働きに向かってい
けるように、多くの場合、牧師は細心の
注意を払って環境づくりすることが求め
られます。そのような「牧会」を抜きに
して、礼拝の講壇から語られる説教にだ
け集中する、などは机上の空論でしょう。
また、初めて教会を訪れる人への対応
をはじめとして、諸集会におけるさまざ
まな質問や意見に対して、牧師には、と
きにはちょっと気の利いたひとことが求
められもすることでしょう。その際、牧
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師のとっさのひとことは、とても重要で
す。牧師は、「自分の語った言葉が、そ
の時々の状況の中で相手にどのように届
くだろうか」という点を敏感に意識する
必要があります。説教者としても、牧会
者としても、そうでしょう。しかも、語
った言葉が相手にどう響くかは、技術的
に制御できるものではありません。ここ
に、難しさがあり、牧会上のデリケート
な問題が生じます。語り手が蓄えている
想像力と相手への配慮の深さが試される
のです。
これらを思いめぐらせながら、牧師研
修の内容に「ことばの広がり」を意識し
体験するようなプログラムを組んでみよ
う、と考えたのでした。実験的な試みで
したが、なんと、絵本をもってきて読ん
でみたりして…。それによって、少しで
も各自が想像力を豊かにすることの大事
さに気づき、「ことばを味わう」体験を
得たかったからです。
従って、研修プログラムに組み入れた
「説教演習」にしても、聖書テキストの
釈義の適切さを批評したり、説教内容を
神学的に吟味したりすることに中心をお
くのではなく、「語られたことばがどの
ように聴衆に届いたか」に着目すること
を心がけました。決して技術的な事柄と
して問うのではなく、「ことば」という
ものをめぐる出来事の偶発性を意識しつ
つ、そこでの語り方や聴き方を問題にす
るのです。そこでは、各人に培われてい
る想像力が否応なく反映するでしょうし、
ものごとに柔軟に対応できる資質がもろ
に問われることになります。
そもそも、牧師さんが一番注意すべき
なのは、かく言う私も自戒を込めて申し
上げるのですが、実に「自意識過剰と信
念にこり固まっている体質」が避け難く
あることです。これは、多かれ少なかれ、
例外なくどの牧師さんにも当てはまるで
しょう。しかも、各自が身につけてきた
神学(信仰理解を論理化する営み)が、
ますます当人を頑固にかつ理屈っぽくさ
せがちです。正義感が加わると、さらに
ひどくなる場合だってあるのです。そも
そも神学は、「対話的」であり、かつ
「自由の神学」を目指すものでなければ
ならないと思います。「正統的」と称す
るキリスト教教理をただ繰返し口にして
いれば済む問題ではないのです。
さて、「複眼的に見る」とは、単純に
ものごとを前後左右や善悪で二分できる
ものではないという視点と感性をきちん
と持つという意味です。あるいは、複雑
な要因を抱えている現実に忍耐強く向き
合う姿勢を保つということでしょう。す
なわち、現実のもつ「あいまいさ」にじ
っと辛抱することです。これがすっかり
欠けているのが、現代社会の傾向ではな
いかと思います。いわゆる「宗教原理主
義」の特徴もまた、そこに見られるとお
りです。疑いもなく自らを善の側に置き、
敵を全面的に悪の側に見るというのが、
「原理主義」の共通した特徴だと言えま
す。しかし、それはわかりやすい構図で
理解する分だけ嘘があり、幻想に包まれ
ています。
現在の社会は、明らかにこうした面で
の混乱に陥っています。強権的なしかた
で善悪を単純に区別し、善だけを残すた
めに悪をバサッと切り落とすことができ
るかのような論調が、人々に魅力的に響
きます。
また一方で、現実が抱えている複雑さ
のゆえに、われわれの態度も「あいま
い」であって良いという言い訳が通用し
がちでもあります。これは、虚無主義・
ニヒリズムに陥った人々による反応でし
ょう。たしかに現実というものは、多く
の「グレーゾーン」を抱えたまま、その
都度、臨機応変な判断を求めながら、し
かも大胆な決断を要求するものなのです。
だからこそ、愛のある配慮が必要でもあ
るのです。ここを読みはずすと、無責任
体質を肯定してしまうことになります。
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現実が複雑であり、善も悪も峻別できな
いほどであるからこそ、むしろ、その都
度、大胆に決断して明瞭に態度表明しな
ければならないのです。そして、決めた
ことに責任を持ちます。絶対の価値では
なく、相対的なものであることを知って
いるからこそ、はっきりと決断すること
ができるのだし、そうすべきなのです。
牧師が、このような決断の姿勢を率先
してあらわすのは、責任を負うという面
で「あいまい」である社会風潮にあって、
大事だと思います。牧師が、教会の諸活
動の場面において逃げ腰で「あいまい」
な態度でいる場合に、教会は混乱します。
反動として、「牧師さんに強いリーダー
シップを求める」という声が大きくなり、
独裁的な運営を歓迎する空気が漂い始め
ることもあります。よく言う「強いリー
ダーシップを求める!」というやつです。
その声を受けて、牧師もその気になる。
できもしないのに、ただ自慢げに発言し、
他の執事メンバーたちに相談することも
なしに独断的にふるまうため、失敗する。
これでは、自滅です。大事なことは、独
裁に繋がるリーダーシップではなくて、
相対的な判断なのであるがゆえに大胆に
決断し、決めたことに責任を持って進む
姿勢にあります。そして、誤りがあれば
素直に「ごめんなさい」が言えることで
す。
こうしたセンスを地道に培うには、性
急な訓練プログラムの実施やマニュアル
化による人材育成の推進では実現しませ
ん。牧師たちが陥りがちな体質を柔らか
くもみほぐす意味でも、牧師には継続的
に「研修する」という心構えが必要不可
欠となります。ものごとの発想や理解の
仕方から各人の物腰に至るまで、「柔軟
性」を培うためです。
もちろん、各教会で、牧師を囲んで教
会メンバーの間での自由な意見が出し合
えるし、ときに率直に注意し合えるよう
な風通しの良い関係づくりや場づくりこ
そが、何より大切な教会形成の柱です。
ただし、そういう環境を整えていく責任
は、ほとんどの場合、牧師自身に課せら
れることになります。しかも、牧師が自
分で自分の体質をチェックし続けるのは
至難の業ですから、同労者が相互に検証
し合える場づくりが求められるわけです。
牧師自身が「柔らかく」あり続けるた
めの工夫として「研修」がさまざまに組
まれるのは、望ましいことです。「ゆっ
くり休んで、心身共にリフレッシュする
時間をもつ」というだけでも、とても大
事な理由となるのです。魂のコリをほぐ
すための重要な手だてとしてこそ、「研
修」は大事な役割を発揮するはずです。
(えのもとゆずる/宣教研究所非
常勤所員・筑波バプテスト教会牧師)
※なお、榎本譲氏は3月末をもって、筑
波バプテスト教会牧師ならびに宣教研究
所所員を辞され、日本バプテスト連盟宣
教部教育室長としての働きに就かれます。
●編集後記
イースターおめでとうございます。キ
リストの復活の力が、私たちの、そして
世界の変革の力となりますように。
今号は、宣教研究所のこの間のプログ
ラムの報告が中心です。紙面の都合で、
牧師の「退職」をめぐる宣教シンポジウ
ムの報告、後半は次号に「つづき」とさ
せていただきます。シリーズ「信仰宣
言」も次号にスキップします。
榎本譲氏の「継続研修」への誘いとも
言える文章。考えさせられています。ご
苦労さまでした。
宣聞子
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