人間性と暴力 - 激動する世界と中国 -現代中国学の構築に向けて

人間性と暴力
ヴィルフリート・ゴットシャルヒ
竹 中 克 英
著
訳
目 次
はじめに
人間性
暴力
加害的および防護的暴力
暴力の諸形式
ひとりでいられる能力と気遣いの能力
情熱と懐疑
はじめに
人間性(Menschlichkeit)とフマニテート(Humanität)をここでは同じ意味で用いることにしま
す。これらは人間を人間たらしめる精神的基準、価値、および態度様式の構成を表わしますが、
同時にまた人間の本性と文化の脆弱性をも表わします。人間の体質的な開放性と非閉鎖性とから
彼の可能性と危険が生じます。もし人間の世界がこれからも保持されるべきものだとすれば、ど
のようにしてそれらと付き合っていけば良いのでしょうか?
その答えは人間性と暴力との関係についての議論を前提としています。人間性という概念と同
じように、暴力という概念もアンビヴァレントなものです。暴力なくして私たちは生きることが
できません。一方では暴力は、女優テレーゼ・ギーゼ Therese Giese がかつて語ったように、好ま
しいものであることもあります。この時に彼女が念頭においていたのは、弱者・子供・女性・老
人たちの必要とする防護的暴力のことでした。暴力はしかしまた、私たちが十分すぎるほど経験
しなければならなかったように、加害的、破滅的でもありえます。
私は二つの概念を実体概念としてではなく、機能概念、関係概念(Cassirer 1910, 1938)として
理解します。「人間とは何か?」という問題よりも、むしろ「人間は何をなし得るか? 外的現実
および内的世界に対する彼の関係はどのようなものであるか? 人間の可能性と限界とは何であ
るか?」という問いについて論じようと思います。この場合に私が取るのは懐疑的態度です。す
なわち、慎重に、忍耐強く、物事を問う態度であり、一方ではヘルムート・プレスナーHelmuth
Plessner やカール・レーヴィット Karl Löwith の哲学的人間学から、他方では救済待望を放棄する
限りでのカール・マルクス Karl Marx の唯物論的歴史理解、マックス・ヴェーバーMax Weber の
理解社会学、ジークムント・フロイト Sigmund Freud の精神分析から容易に推測されるものです。
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人間性と暴力との連関は多様で矛盾したものであるということが明らかになるであろうと、私
は推測しています。私の理解では、人間性と暴力についての探求の目指すところは人間の条件
(Conditio humana)の病理学です。以下において私はドゥヴロ(Devereux 1972)の意味で、相互
補完的方法、すなわち社会学的・歴史的データと心理学的データの相互依存性の考察から出発す
ることにします。
人間性
人間性という概念は人間の創造力を示すものですが、しかしまた彼のもろさと弱さをも示して
います。この概念を用いて、私は人間を自然的類および歴史的現実として把握しようと思います。
この見方は観察的なものです、すなわち、私はまず判断および行動指示といったものを後回しに
することにします。その代わりに、純粋な知的好奇心から来るところの見地と洞察とを働かそう
と思います。観察的という言葉を懐疑的という言葉に置き変えることもできましょう。懐疑家と
は、自分が
見るために生まれてきたものであること、
観察するために任命されたものであること
を知っています。
もちろん彼はゲーテの鐘楼守とは違って、すべての中に「永遠の誉」を見ることなどできませ
ん。懐疑的態度からペシミズムとか懐疑癖が容易に連想されます。懐疑と懐疑主義とは同じでは
ありません。懐疑家は物事を疑いはしますが、しかし絶望はしません。むしろ懐疑とは、徹頭徹
尾期待に胸を膨らませ、世界に心を開いているということだと言えましょう。
おそらく信仰と懐疑とは相容れないものです。キリスト教が好奇心を新しい事物への欲望とし
て退けたのも偶然ではありません。これに対してカール・レーヴィットはヘロドトスのペルシア
史に注意を喚起しています。その中で王クロイソスは賢者ソロンに向かって次のように語ってい
ます。
「聞くところによれば、そなたは哲学しつつ多くの国々をただテオーリア[theoria:見るこ
と]のために巡り歩いたということだが。
」レーヴィット(1960. 316)はこの記述を次のように注
釈しています。
「これは、ソロンが旅行中に哲学の歴史に関するある書物から取ってきた意味深長
な諸問題について思索を巡らしたということを意味しているのではなく、彼が諸国を見ることと
知ることのために旅したということを言っているのである。ヘロドトスも彼なりの仕方で哲学し
つつ探求する旅人であったが、その際にウランとか油田を発見し、技術的に発掘しようとしたわ
けではない。彼が小アジアを巡り歩いたのは、これまで自分が見たこともない事物を見ることに
喜びを感じていたからであり――『好奇心』からと言えば、このテオレイン[theorein:見るとい
う行為]を明確にすることができよう。」
キリスト教は懐疑的・観察的態度というものを敬虔な沈思を重んじるがゆえに退けます。この
態度の気分が驚き見つめるということだからです。同時にキリスト教は、世界を実際に役立ち得
るものへと還元するのです。資本主義の進歩信仰は聖書的立場の一つの帰結であり、社会主義の
救済待望はいまひとつの帰結です。断固かつ決定的に、キリスト教は、人間は自然の最高の所産
であるというギリシア的考えと決別したのです(Löwith 1960, 321)
。私たちが創造したものでは
ない自然世界は、人間によって作られた歴史的世界、技術的世界のために価値を低減されました。
2
ヨーゼフ・シュムペーターJosef Schumpeter は経済発展の理論(1912)で、大いなる成功を収めた
企業的成果を創造的破壊と呼びました。ますます人間の世界は技術的世界と化していったのです。
その際に、超人間的、自然的宇宙は忘れられてしまいました。
「しかし」
、と 1829 年 2 月 13 日に
ゲーテはエッカーマンに語っています。「自然は冗談を解さない、自然は常に真実であり、常にま
じめで、常に厳格で、常に正しい、そして失敗と過ちはいつも人間のものである。
」この言葉を語っ
た時、ゲーテには、無統制な企業によって引き起こされる創造的破壊がいつかこれほどまでも進
み、今日私たちが自分の子供や孫になおもまだ住むことのできる世界を残してやることができる
のかどうか、どれほど残してやることができるのかも分からなくなるほどになるとは、想像もで
きませんでした。
社会科学においても、人間の生の自然的諸条件がないがしろにされています。人間の本性が操
作可能であると思われるところでしか、これに関心が寄せられません。精神分析に対する拒絶反
応が何よりもその本能理論に対して向けられるのも、偶然ではありません。というのも、これは
人間が哺乳動物であるということ、すでにニーチェ(Nietzsche 1886, 623)が知っていたように、
おそらく人間は突き止めがたい動物であるということを思い出させるからです。多くの批評家が
フロイトによる生物学に対する高い評価を「反動的思想」だと告発しています。実際には、それ
は解放的力を強化するものです。「それは[とトリリングは言っています]
、文化の全能に対する
反抗とその修正とを意味する。我々は子供のどこかに、そして大人のどこかに生物学的衝動、生
物学的必然、生物学的原因という強固な還元不可能な反抗的な核といったものが存在することに
気づく。文化がこの核に辿り着くことはできない、この核は、それ自身の方から文化を裁断し、
文化に反抗し、文化に修正を加える権利を留保していて、この権利を遅かれ早かれ実行に移すの
である。」(Trilling 1990, 292)
人間は自然の存在であると同時に歴史へと定められています。レーヴィット(1957, 265)とと
もに私も、
「自然は生きとし生ける存在のすべてを自らの内から生み出し、開花させ、再び衰退さ
せ、滅びさせる」というギリシャ的な考えを正しいと思っています。ここから人間の自然規定性
及び類としての統一性とが来ています。ただ人間のみが人間を生み出すことができるのです、「し
かし、
[彼には]動物を生み出すことも、神を生み出すこともできない」
。
「人間は――肌の色、姿
形、習慣や考え方において――いかにまだ差異があるとしても、動物的存在でもなければ、神的
存在でもなく、人間的存在であるという点については疑問の余地はありえない。
『動物のように』
粗暴化した人間、あるいは単なる『植物と化した』人間もまた、常に人間の可能性のひとつに過
ぎない。」(Löwith 1938 244)
自然の存在として人間ははかないものです。彼の生は、誕生、成長、成熟、老齢、死によって
定められています。これらすべては、早めることもできれば遅らせることもできる自然的過程で
す。人間の不死性ついては私たちは何も知りません。せいぜいそれを信じることができるだけで
す。人間は自然に依存しています。逆は当てはまりません。自然は人間を必要とはしていないの
です。
他の動物たちと人間は直立歩行によって区別され、これによって人間に目と手の領域が開かれ
ます(Plessner 1961, 169ff.)。彼に生来備わっている言語は、問うという語りのすばらしい方法
(Löwith 1957, 284)を可能にし、象徴的世界像の構想(Cassirer 1923)を可能にし、人間に「いっ
さいの自然的与件、彼自身の自然的与件からも距離をとる」
(Löwith ebd. 285)力を与えるのです。
つまり、彼は器質形成の普遍性のゆえに、
「動物とは違って、あらゆる地域で、どのような気候に
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おいても生きることができ、夜を昼となすことができ、……それどころか、鋼鉄のカプセルに乗っ
て月の周りを回ることもできる」
(ders. 1975, 338ff.)のです。しかし、自らの自然規定性から人間
は逃れることはできません。彼は自ら糧を得なければならず、病に脅かされます。彼の生は覚醒
と睡眠の交代のうちに過ぎていくのです。人間の自然規定性というこの根本的現象を明らかにす
るために、レーヴィットはエルヴィン・シュトラウス Erwin Straus(1965, 279ff.)の著書『感覚の
意味について』を引いてきます。この著書でシュトラウスは、私たちが目覚めているということ
は起きていることである、とを強調しています。意識・思考・行動は覚醒状態と結びついていま
す。眠っている時には、やがて目覚めて他者と共有する世界へ戻って行くまでの間、人間は自己
自身の中へと退却し、夢の世界に生きるのです。
これまで人間の本性が変化することはありませんでした、しかし恐らくは人間の環境世界と自
己理解とが変化したのです。この変化は人間自身が引き起こすものです。しかし、それは計画通
りに起こるわけではありません。ほとんどいつも、歴史的主体が生み出すのは、自分が想定した
ものとは別のものです。歴史的主体は自然的・歴史的与件に縛られていて、これら与件の連関と
その矛盾する相互作用を不完全にしか見通すことができません。こうして事象は歴史的主体の手
から再三逃れてしまうのです。彼らは自らが動かされているのに、自分が動かしていると信じて
います。自分が媒介されているのに、媒介しているのだと考えています。計画とか運命が歴史的
過程を決定するのではなく、これを決定するのは複雑に織り成された自然的・心理的そして社会
的諸力です。レーヴィット(1960, 297)は問いかけています。誰がいったい「まだヘーゲル、ディ
ルタイ、クローチェと同じように、歴史を教養人の『最後の宗教』などと信じることができよう
か? この信仰、すなわち進歩信仰の基盤は、まずその超俗的な形式が、次にその世俗的な形式
が粉砕されてしまったというのに。」マルクス主義もまたそれがヘーゲルに由来し、弁証法的・構
成的・神学的志向性を持つ限りにおいて、しかもトレルチ Troeltsch(1922, 25)が言っているよう
に、「哲学的に最も暗い時代に、歴史哲学を……(未来に)希望を抱く国民大衆の慰めとして」高
く掲げた限りにおいて、その説得力を失ったのです。
更にいくつかの点から、自然的世界が一つのシステムであり、一つの構造体であり、それゆえ
に秩序を備えていると言えるとすれば、歴史的世界、人間世界はまったくのカオスに見えます。
人間の知の擁護を義務と感じていた二人の研究者、ジークムント・フロイト(1937, 72)とマック
ス・ヴェーバー(1922 随所で)が、自分たちの学問の課題は世界のカオスに秩序をもたらすこと
である、と考えたのも偶然ではありません。人間はなるほど理性的動物(animal rationale)
、すな
わち理性を備えた動物であります。しかし、彼が理性に導かれることはめったになく、あまりに
もしばしば理性を不合理な性向に奉仕させてしまいます。もし思惟が行為を導くとすれば、それ
は現実を変えることも出来るでしょう。しかし、その(思惟の)指導的力はあまりにもしばしば、
私たちの無意識の本能的欲求や動機といった衝動に比べて、微々たるものにすぎません。
「すべて
……無意識的存在が目指すのは意識化である」と仮定しても(とレーヴィットは言っています)
、
「依然として真実全体の他の一半もまた、これに劣らず真実であることに変わりない。すなわち、
その一半とは、我々が自覚的に覚醒状態の内に生き、実存している間も、大抵のことはそれと自
覚することなしに起こり、ほとんどの場合、肉体を具えた人間の自然性が彼の自覚的な実存の中
へどれほど深く、どれほど遠くにまで達しているかを知らない、という真理である。植物的器官
と動物的器官の諸問題のすべては、人間においても生涯意識されないままに、それゆえに大いな
る確実性をもって起こる」(Löwith 1975, 341)。
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人間の自然規定性のひとつにはまた、彼の人間性、彼のフマニテートがあります。これについ
てヘルダー(1793-1797)は、たとえ我々の種の性格が生来のものであるとしても、これはまず教
養されなければならないものである、と語っています。ヘルダーが問題にしているのは人間の内
なる声、人間のダイモーンのことです。もしこれが人間性を備えたダイモーンでないとすれば、
私たちは人間という名の厄介者(27. Brief)だということになります。彼は人間を理想化すること
を諦め、次のように記しています。
「人間は大地のものであり、壊れやすく、はかない息吹を吹き
込まれた粘土作りの小屋である。生は一つの影であり、地上の労苦がその運命である。
」この洞察
は必然的に人間性へと通じています、
「すなわち、自分の同胞の苦悩を哀れみつつ抱く共感、その
本性の不完全性に対する関心へと(向かい)
、これに先んじ、あるいはこれを除去しようと欲する」
のです。自己保存と並んで、ここから、
「私たちの同胞の弱者のもとに駆けつけ、彼らを自然の悪
に対し、あるいは彼ら自身の種の粗暴な情熱に対して守る」
(28. Brief)という義務が生まれます。
フマニテートおよび人間性についてのヘルダーの思想は、従って、魂の修練に対する要請へと通
じています。
暴力
「暴力、あるいは姦計をもってのみ、人間からなにものかを勝ち取ることができ
る。愛をもってしても、と人は言う、しかし、それはすなわち日の輝きを待てと
いうことであるが、人生は一刻一刻を要する。」
ゲーテ
加害的および防護的暴力
暴力という概念は多義的です。もし私が暴力を、それを喜ぶことのできない何かとして語ると
すれば、その時に私が考えているのは、私たちの誰もがしばしば体験し、見聞きしてきた加害的
暴力のことです。私は、ある日、1942 年頃のことですが、ドイツ少年団の小旗をもってピルナの
ゼミナール通りを行進していた時のことを思い出します。先頭には大旗が運ばれていました。一
人の労働者が歩道を走っていて、当時要求されていた旗への敬礼を怠りました。私たちの小旗隊
隊長は――彼は 18 歳で、その後程なくロシアで戦死しましたが――その労働者に近づいて行くと、
彼にビンタを張ったのです。私は羞恥に襲われました。労働者は自分を守ることも出来ませんで
した、そして、私も彼を助けることが出来なかったのです。その時から旗を持った隊列に出会う
と、私はいつも回り道をするか戸口に身を隠しました。
暴力が防護的であるがゆえに喜ばしものであり得ることを、私は同じように経験したことがあ
ります。11 歳の時、私は一度母をひどく怒らせたことがあります。もともと私たち子供をぶった
りしないで育てようと努力していた母が、私に手をかけたのです。私は寝室に逃げ込みました。
彼女はそこまで私の後を追いかけてきて、父が私を守ろうとして間に入るまで、さらに殴りつづ
けました。私は母のことをとても愛していましたから、すぐに彼女の加害的な暴力のことを忘れ
てしまいました。何十年も経ってから、姉が私にそのことを思い出させました。多分私の記憶の
中に、この事件に対する自分の「罪」がこびりついて残っていたのでしょう。
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とりわけ学校やヒトラーユーゲント、勤労奉仕の時に、私はしばしば加害的暴力を体験しまし
たが、防護的暴力を体験することはまれで、解放的暴力にいたってはほとんど経験したことはあ
りませんでした。そして今日に至るまで、私は常にまた暴力行為の目撃者でもありました。人間
は善であるという信仰を私は自分のものにすることはできませんでした。にもかかわらず、私は
人間嫌いになったわけではありません。むしろ私は、多少とも善良であり、自分自身や他人を気
づかう能力を展開することが、私たちにとってそれほど困難ではなくなるような諸条件を探すよ
うになったのです。
逆転移の分析のために、これだけのことを申し上げておきます。心理分析においてだけでなく
社会研究においても、分析者もしくは研究者が被分析者あるいは研究対象に対して示す情緒的反
応の研究がこう呼ばれています。それらは、もしそうした反応が匿されたままであれば、現実認
知を歪めることにもなりかねません(Devereux 1967, Kap. V)
。逆転移の分析は容易ではありませ
ん、と言うのも、それは常に自分自身の弱点の発見と同時並行的に行われるからです。
暴力の諸形式
私には暴力の形式の豊かさをくまなく呈示することはできません。この探求の認識目的として
は、肉体的・心理的・構造的暴力を区別するだけでさしあたっては十分だと思われます。この節
を始めるにあたって、私は暴力(Gewalt)と攻撃(Aggression)という概念を互に関係づけてみた
いと思います。これらはしばしば同義語として用いられます。Aggression という語は、ラテン語
の aggressio、
「攻撃」から来たものです。これに属する動詞 aggredi は、
「だれか、あるいは何かに
立ち向かう、飛びかかる、掴みかかる、襲いかかる」(Pfeifer)という意味です。「暴力」および
「攻撃」の語場を比較すると、後者ではダイナミックな要素が、前者ではスタティスティックな
要素がどうも支配的らしいということがわかります。人は自らの暴力(Gewalt)、力(Kraft)、権
力(Macht)の内に「安らう」ことができます。攻撃、攻撃者、攻撃的、攻撃性という語から私た
ちが連想するのは、苛立ちの状態です。暴力という概念は社会学とある種の親密関係にあります
が、Aggression という概念の方はむしろ心理学を指し示しています。ここでは Aggression は情緒
ないしは欲求に基づく人間の攻撃態度と定義されています。特に精神分析においては悪意、憎悪、
復讐、他者および自己を苦しめたいといった感情が Aggression に分類されます。私はここでは両
方の概念を用いることにします。暴力を問題にする場合に私がまず第一に注目するのは、社会的
ディメンションです。攻撃性の場合には私は何よりも心理的領域に関わることになります。
Aggression の同義語として、私はまた暴力行為という語も用います。心理的なものと社会的なも
のの力の場は互いに弁証法的な相互関係にあるというのが私の前提です。これがどのような方法
的帰結をもたらすかについては、第三章で論ずることにします。
肉体的暴力:日常語では、暴力という言葉はまず第一に肉体的暴力を想像させます。教育にお
ける鞭打ちの罰、女性及び弱者に対する暴力、世間における暴力、軍隊および警察の暴力などで
す。これは学問にも反映しています。マックス・ヴェーバーの定義を思い起こしてください。「力
(Macht)とはある社会的関係において自分の意志を、たとえ抵抗に会っても貫徹するすべての可
能性を意味し、この可能性が何に基づくかということとは無関係である」
(1993, 38)。Macht のか
わりに、この場合しばしば Gewalt という言葉が用いられます(例えば、Böhnisch u. Winter 1993, 39)
。
しかもこれには、私が指摘したように、語源的に十分根拠があります。マックス・ヴェーバーは
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書いています。
「政治的団体は、その存続およびその規律の妥当性が、行政部門からの物理的強制
力の使用とこの力の威嚇とによって、明確な地理的範囲内で持続的に保証されている場合には、
しかもその場合に限って、支配団体と呼ぶべきである。国家は、もしその行政部門が規律を貫徹
するために合法的・物理的強制力の独占権を首尾よく獲得する、その場合に限って、政治的企業
体と呼ぶべきである」(ebd. 39)。ついでに言いますと、ヴェーバーはここでは権力者が合法的物
理的強制力の独占権をうまく貫徹できなかった封建主義の政治的システムと資本主義的国家とを
区別しています。この区別は、社会を再び封建化しようとする傾向が政治的に重要な意味を持つ
ようになれば、――その兆候として、企業警察、政治諸党派および秘密結社の準軍事的諸団体、
武装化した自衛組織といったものがすでに目につきますが――再び重要性を持つことになるかも
しれません。
マックス・ヴェーバーから出発して、ノルベルト・エリアス Norbert Elias は、
「文明化の過程」
(1939)は社会の内的満足の絶えざる進歩へと向かう、と考えるに至っています。エリアスがそ
の主著を著したのは第二次世界大戦前でした。この戦争で起こったこと――すなわち、ショア―
―は、当時の彼には想像もできないことでした。しかし、多少修正されましたが、彼の『ドイツ
人論』(1989)、特にその第三章「文明と暴力。国家による肉体的暴力の独占と侵犯について」に
おける彼のテーゼの記述は、私には幾分楽観主義的にすぎるように思われます。確かに例えば
1830 年から 1914 年に至る西ヨーロッパのブルジョア法治国家の時代は、言うなれば「歴史の輝
ける時」でした。しかし、その時代は、生えぬきのごろつきどもを植民地へ輸出することによっ
て獲得されたもので、植民地において彼らは被抑圧民族に対して好き勝手に暴れまわったのです。
(サロモン=ドゥラトールが言うように)
「外に向けては略奪国家、内に向けては法治国家、これ
が近代国家世界の合言葉である」
(Salomon-Delatour 1959, 16)。フロイトはすでに 1915 年(329)
に、国家による暴力の独占の否定的側面を指摘しています。彼は書いています。
「国民一人一人は
この戦争において、すでに平和時に時折明らかになろうとしたことであるが、国家が個人に不正
行為を用いることを禁じたのは、それを廃絶しようと望んでいるからではなく、塩や砂糖のよう
に独占しようとしているからだ、と知って驚くかもしれない。戦争を遂行する国家は、個人の場
合であれば名誉失墜ともなりかねないいかなる不正をも、いかなる暴力行為をも躊躇しない。国
家は許されている策略を用いるばかりでなく、自覚的な虚偽、意図的な欺瞞をも敵に対して利用
するものである。しかも、これまでの戦争の慣習を越えるかと思えるほどに、これらのものを利
用するのである。国家は徹底的に従順と犠牲とを国民に要求するが、過度に情報を秘匿し、情報
の伝達および意見の表明を検閲することによって、国民の行為能力を剥奪し、知的に抑圧されて
いる人々の気分をあらゆる不利な状況、あらゆる猥雑な噂に対して無抵抗にする。」つまり、内に
向けても法治国家は依然として未完成だったのです。私たちがブルジョア的法治国家と言う場合、
それはブルジョア精神が国家に浸透したからだけではなく、ブルジョアが国家において優位を確
立することができたからでもあります。ブルジョアはこのために私有財産の保護と公共福祉説を
利用しました。この説はしかし、官僚国家の命がけの嘘です。と言うのも、敵対的な社会にあっ
ては公共福祉に関して意見の一致などありえないからです。にもかかわらず、不利益を蒙る社会
層、俸給に依存する人々の集団、失業者、支配層に属さないその他の少数者も、非法治国家に比
べれば法治国家のほうがうまくやって行けます。ブルジョア法治国家は価値ある成果であり、今
日まだ多少とも無傷でいられるような政治システムに生きる市民は、この法治国家を弁護すべき
でありましょう。我々の連関においては、ただ厳格な法治国家性だけが国家的暴力の独占を十分
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に正当化することができる、という点に注意することが重要であります。法治国家性の基準とし
ては次のような原則があります。すなわち、Nulla poene sine lege「法なき処罰なし」および In dubio
pro reo「疑わしき場合においては被告に有利に」と言うものです。この第二の原則については、
私の考えでは、社会裁判所および行政裁判所の手続においては補足が必要です。すなわち、ここ
では疑わしき場合には社会的弱者の側に立って推定すべきである、と。
法治国家性が保証され得ない場合には、国家による暴力の独占は、確かに、国家機構の決定権
を掌握する権力集団の危険な道具と化すことになります。しかし、法治国家の諸条件下において、
暴力の独占が完全に国民を保護し、しかもその人格的不可侵性だけは侵すことのない機能を有す
ることもありえます。権力者がそれをどのように解釈するか――暴力の独占はもっぱら武装的暴
力にのみ関係し、象徴的暴力とは決して関係しません――しかも、権力者はそれを用いて何をな
すかという問題は、つねに熟考に値する問題です。
心理的暴力:エリアスは『文明化の過程』を比較的楽観的に記述していますが、それは、彼が
実際にはブルジョア法治国家の体質に並行して現われるところの国家による物理的暴力の独占過
程に特に注意を集中しているからだけでなく、心理的暴力の構成要件を無視しているからでもあ
ります。もちろん彼は、文明化過程の社会的起源だけでなく、その心理的起源をも記述しようと
意図したのですが。心理的暴力行為は物理的暴力に比べてそれほど目立たちませんが、しばしば
後者の原因となる場合があります。
すでにカインによるアベルの殺害がこのことを証明しています。
「アダムは妻エヴァを知った。彼女は身ごもって、カインを生み、その時こう言った。私は主の
おかげで、一人の子をもうけた。くわえて彼女はアベルという弟も生んだ。アベルは羊飼いにな
り、カインは地を耕す者となった。時を経て、カインは主への供え物として地の実を捧げた。ア
ベルもまた家畜の初子とその脂を捧げた。主は、アベルとその供え物をご覧になったが、カイン
と彼の供え物には目を向けられなかった。」
神を人間の父親に移しかえれば、恥辱と罪の弁証法の相互心理的な実態について多くのことが
わかります。父親は兄よりも弟をひいきにします。カインは激しい恥辱に襲われます。その時主
はカインに語りました、
「なぜ、腹を立て、目を伏せるのか。お前が正しい行いをしているのなら
ば、顔を上げればよいではないか。そしてもしお前が正しい行いをしているのでなければ、罪と
いう悪魔がおまえの門の前を窺っているのだ。
」父親は、農夫の家系にしばしば見られたことです
が、長男にその座を奪われるのを恐れているのでしょうか? 不信に加えて、主はさらに道徳的
呼びかけを行います。「彼(罪という悪魔)はおまえを征服しようとするが、おまえこそ彼に勝た
ねばなるまい。
」しかし、この呼びかけは何の効果もなく、カインはアベルを殺害します。古代ユ
ダヤ人たちはこうした経験やこれに似た経験から、次のような道徳を導き出しました。
「侮辱は肉
体的な苦痛よりも悪しきものである。
」そしてまた、
「誰かを公然と辱めることは、血を流すこと
と同じである。
」というものです。破壊的暴力の歴史は罪の歴史であるばかりでなく、恥辱の歴史
でもあります。過度の恥辱感・罪悪感は、私たちが特に教育や親密な関係、政治などに見るよう
に、トラウマ起因性の態度を引き起こします。個人および集団が恥辱を受け、尊厳を奪われると
ころでは常に、恥辱は恐怖の道具と化すのです。
性差による暴力の区別といった議論には、ここでは立ち入らないことにしたいと思います。こ
こではただ、私にとっては暴力はかならずしも「男性の顔」を備えているとは思えない、とだけ
述べておきましょう。暴力はヤーヌスの顔を備えています、つまり女性の顔をも備えているので
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す。多くの女性はその「男性的」欲求を自分の息子に投影し、「父権制の代表」(Reinke-Köberer
1978)となります。逆に多くの父親は、その処罰権を母親に委ね、母権制の代表となります。物
理的暴力は、その犠牲となるものに対する肉体的優勢を前提とします。従って、それは男性によっ
て女性および子供たちに対して行使される場合の方が、その逆の場合よりも頻繁です。他方、心
理的暴力はしばしば肉体的弱者の武器であり、女性や子供ばかりでなく、男性、たとえばイデオ
ロギー・哲学・宗教的教義などの告知者としてみずからの政治的・社会的無能を補い、他の人々
を自分たちが絶対的善とみなすものに屈服させ、その犠牲にしようとする男たちの武器でもあり
ます。究極的には、
「全体の支配」を目指すあらゆる試みは、
「軽蔑と絶望の哲学」に向かっただ
けでなく、この哲学に相応しい実践(Camus)へと導いたのです。
構造的暴力:物理的および心理的暴力は、直接人間によって人間に対して行使されます。
[これ
に対して]構造的暴力は間接的に作用します。それは社会的、経済的、文化的状況に左右されま
す。ハインリヒ・ツィレ Heinrich Zille はかつてこう言っています。
「斧を使う代わりに、住居を
用いても人を殺すことはできる。
」これは構造的暴力の具体的な一例です。この[構造的暴力とい
う]言い方は、ヨーハン・ガルトゥング Johan Galtung(1978)によって導入されたものです。彼
は構造的暴力の形式として、支配システムが個人に作用する強制力を分析しました。カール・マ
ルクスは「経済的諸連関の無言の強制力」を、ヴィルヘルム・ディルタイは「事実性の壁」
(1980,
105)を問題にしました。彼はすでにいわば「本能論的」な論証を行っています。「外界の圧力」
という表題で彼は書いています。
「子供は手を椅子にあてて、それを動かそうとすることによって、
自分の力を抵抗力によって計る。自己の生と客体とが共に体験されるのである。ところが、子供
は閉じ込められると、虚しくドアを揺するが、彼の昂奮した意志生命全体は、彼の自己生命に制
動をかけ、これを制限し、いわば押しつぶそうとする圧倒的な外界の圧力に気づく。不快から逃
れ、自分のすべての衝動を満足させようという欲求に続いて、制動、不快、不満の意識が起こる。
子供の経験は、大人になってからの生活全般にわたって持続する。抵抗は圧迫となり、周囲を自
分では突破することのできない事実性の壁で取り囲まれているように我々には思われる。(なん
という事実性の壁が我々の欲求に直接対立していることだろう!それらはどれほどわれわれを圧
迫し、重荷を課していることでだろう!と士官学校の生徒シラーは言っています。)」
アンソニー・ギデンス Anthony Giddens は「社会システムの構成要素……を、個人にとっては
そこから逃れることもできず、その中では行動する者が自由に動き回ることのできる……部屋の
壁」と比較しています。もし「構造論的社会学」が――とギデンスは言います――この「行動の
自由」を残された未解明のカテゴリーとして扱うとすれば、これは自分の構造化理論においては
構造の構成素として現れる(1988, 227)
、と。ギデンスが出発点としているのは「支配の弁証法」
です。これは、服従者に「ある程度の資金を自由に」使わせ、それによって彼らが「自分たちよ
りも優位に立つ人間の活動に影響力を及ぼすことができる」
(67)ようにさせよう、というもので
す。彼が典拠としているデュルケームは、その初期の著作において「社会化の限定要因を特に強
調し(ましたが)
、後年になってしかし……社会化は強制力と可能化を融合すると(考えました)
」
。
この事態を彼は母国語を例にとって説明しています。その習得は主体の「同意」といったものを
前提とするが、
「誰にも自分の母国語を『選択する』ことはできない。いかなる言語も、すでに形
成された、規則に導かれた一連のモデルに基づいて構成される限りにおいて、思考(および行動)
を制限する。それゆえに、言語の習得過程は思考と行動にある種の制限を設けることになる。他
方ではもちろん、言語の習得が個人の認知的・実践的能力を途方もなく拡大する」(224)。
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ギデンスは Macht を強制力の源泉としてだけでなく、物事を実現する手段としても見ています。
(彼は言います)
「Macht は明らかに可能化であると同時に強制でもある。Macht の制限的局面は、
力もしくは暴力の直接的行使、あるいはそれを投入することによる威嚇から拒絶という穏やかな
表現形式に至る、様々な種類の制裁として経験される。」これは正しい。しかし、制裁が、
「それ
に晒されている人間がまったく抵抗することができないような」こうした強制という形式を取る
ことは「実にまれである」
、というのは残念ながら正しくありません。多くの人間は、しばしば、
生か死かといった選択の余地などもはやなく、せいぜい肉体的死か心理的死かという選択の余地
しか持たない極限状況下で生きなければなりませんでしたし、現在も生きなければなりません。
ブルーノ・ベッテルハイム Bruno Bettelheim の極限状況の理論(1979, Teil 1)を思い出してくださ
い。この理論の経験的背景にはナチスの絶滅収容所だけでなく、精神異常をきたした子供たちの
事例報告があります。
ひとりでいられる能力と気遣いの能力
人間は自然規定的であると同時に世界に開かれています。自然的世界の中で、彼は自分自身の
世界を作ることができます、すなわち、人間世界、第二の自然、文化および技術の世界です。彼
の想像力が創造力に拍車をかけます。彼は自分が想像することのできるものを、同時にまた作り
出そうとします。他の哺乳動物と違って、彼はなるほど本能に守られてもいなければ、
(ニーチェ
の言うように)
「確定され」てもいません(Nietzsche)。このことが彼を新たな限界へと誘うばか
りでなく、無制限へと向けて限界を踏み越えさせようとするのです。彼は「自らを神と見なす哺
乳動物」
(Grunberger)であります。彼がこの自己過信に従う時、ギリシア神話の主人公イカロス
のように、破綻の危険に陥るのです。イカロスの父ダイダロスは彼に蝋でできた翼をつけてやり、
あまり高く飛んではならないと忠告しました。天に近づきたいと願って、彼は太陽近くにまで飛
んだために、その翼は太陽の熱で溶け、海に墜落してしまいます。人類が同じような運命に向かっ
て進んでいるのかどうかはわかりません。しかし、それもありえないことではありません。
こうした脅威に何を持って立ち向かうことができるのでしょうか? ここでは、私は、児童分
析家ウィニコット Winnicott の二つの指摘を追うことにします。彼は自分の理論の中で、ひとりで
いられる能力と気遣いの能力を強調しています。
ひとりでいられる能力は相対的な自律性を可能にします。この能力を行使すれば、私たちは時
代精神に敬意を払うことができます。必要な場合には、それに逆らうことによってもです。ウィ
ニコットは「この能力は人間の成長において最も重要な成熟の徴の一つである」
(ebd. 36)という
点から出発しています。この能力は、ひとりでいることをこの上もない貴重な財産として享受す
ることができるという点にあり、
「乳飲み子や幼児の時に母親がいながらひとりでいる」という経
験を通して実現されます。
「ひとりでいられるという能力の根本は、従ってひとつの逆説である。
それは、他の誰かがその場にいながらひとりでいるという経験である」
(ebd. 38)。このひとりで
いられるという能力を孤独感と混同してはなりません。それは、個人が「
『十分に母親の保護』を
受けて、善意に満ちた環境への信頼を築く」
(Winnicott 1958, 40)可能性を得ることのできるとこ
ろでしか生まれません。子供は、従って、母親を善なる客体として体験し、内面化できなければ
なりません。母親は、しかし、彼女自身が内面化された善なる客体を持っていて、大人となった
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人間に対して満足できる関係を持っている場合にしか、自分が十分に善なる客体であることを示
すことはできません。恵まれている場合には、しばしば子供の父親がそうなることがあります。
気遣い能力の発達についてウィニコットは 1963 年に書いています。彼は「否定的には『罪悪感』
(guilt)と呼ばれる現象を、肯定的に表すために」関心(concern)という語を用いています。「罪
とは不安であり、アンビヴァレンツの観念と結びついていて、善なる客体というイマゴ(Imago)
の保持とその破壊表象とを同時に可能にするところの、個人的自我におけるある程度の人格の統
合を前提とする。気遣いは更なる人格の統合、更なる成長を前提とし、それは積極的に個人の責
任感情と関係している。とくに本能に入り込んだ諸関係については。
気遣いは、個人が何ものかに心を煩わすこと、あるいは彼にとって何ものかが『意味を持つ』
ということ、彼が責任を感じ引き受ける」
(1963, 93)という事態を表しています。気を遣ってい
るということは、苦悩を抱え、不安で、喪失を恐れているというだけのことではありません。気
を遣っているということは、また、障害を除去しようと努めること、人に思いやりを抱くことで
もあります。気遣いとは、いまここにおける情緒であるだけでなく、それはまた未来へと向かう
ものでもあります。気遣いとはは思いやりとあらかじめの配慮を意味しています。それは、ある
行動もしくは行動停止の結果を考えて、それに対する責任を引き受けることです。たとえば、た
だ快楽のためばかりでなく、家族の生成あるいは拡大へと至ることのできる性的交渉の場合のよ
うに。ウィニコットは、さらにまた、気を遣うという能力は、建設的な遊びや創造的な活動のす
べての重要な動機である、と考えています。この能力はすでに母親・子供という二元関係におい
て発達し、乳児が多少とも確たる統一的存在となって、母親を完全な人格として感じる時に始ま
ります(ebd. 94)
。この発達は十分に恵まれた環境に左右されます。母親の十分に善意に満ちた世
話がなければ、十分に恵まれた環境は生まれ得ません。気遣いの能力は、従って、
「複雑な成熟過
程に」続くものであり、
「その実現は乳児および子供の十分に善意に満ちた世話にかかっている」
(ebd. 95)
。赤ん坊はすでに、自分の最初の愛の対象について性的経験と攻撃的経験とを関係づけ
る能力を備えているに違いありません。「よい乳房」と「悪い乳房」という分裂状態、日常語で言
うところの、一方では「善そのもの nur gut」と他方では「悪そのもの nur böse」という対立が克
服され、母親が時には善良であることもあれば、悪い時もあり、さらにはまた善良でもありうる
一個の人格として認められ、敬意が払われるようなアンビヴァレンツの状態が達成されていなけ
ればなりません。しかもまた、子供の自我がすでに多少なりとも母親の保護的自我から自立して
いなければなりません。それは、少なくともある程度までは、すでに述べたひとりでいる能力を
身につけていなければなりません。
情熱と懐疑
ヘルムート・プレスナー(1968, 338)と同様に私も、私たち人間はひとつの定言的接続法に依
存している、と考えています。私たちは自我を、そこから私たちの衝動のすべてが生まれ、そこ
へすべての視点が収斂する場所として経験します。私たちは自分を一方ではかけがえのないもの
として、他方では代替可能なものとして体験します。私たちのかけがえのなさゆえに、私たちは
高慢となりがちです。私たちの代替可能性のおかげで、誰もが数知れない多数のうちの一つの事
例にすぎないことを知ることができます。これが私たちの高慢をイローニッシュに打ち砕き、自
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分および他人に対して宥和を進んで求める、慎重でしかも寛大な距離を獲得するチャンスを与え
てくれるのです。
プレスナーは自我の立場のパラドックスを問題にしています。彼がその場合に考えているのは、
社会的立場というものは他人が自分と同じように埋めることのできる空位であるということです。
同時に、すべての人間には、彼のみが所有し、しかも彼そのものであるところの内的ディメンショ
ンが備わっています。精神分析的に言えば、各人の内的世界は絶えず社会的現実と対決せざるを
得ません。
「個人的主観性と一般的主観性すなわち間主観性とは互を含意している。個人として代
替不可能である人間は誰もが、いつ代替されるかもしれないという状態にある。もしかしたら彼
ならばできるかもしれないが、やはり彼にはできない」(ebd. 340)。
自我の主観性と間主観性との間の緊張の結果、いかなる個人も「所詮はいま自分があるような
ものであることには満足できない――成り行きに身を任せ、諦め、自分を放棄するのでなければ」
(ebd.)
。人間が環境拘束性と世界への開放性との間の交差から生ずるこうした不満を回避する仕
方は、実に様々です。私たちの特異な立場のゆえに、私たちは自己を振り返ることができますが、
しかしまたそのために不足感をも抱くのです。この感情は、しかしまた、それがあまり強すぎな
ければ、私たちの創造力(生産力)を挑発します。だから私たちは、
「確かにそうなればいいのだ
が、しかしそうはならない」という諦めに対して、次のような問いを対置するのです。不可能な
ことがそれにもかかわらずもし可能となるために、私たちは何をしなければならないのか? こ
うして定言的接続法は定言的疑問法に変わるのです。
自分の個の自覚が汲み尽くすことのできない計り知れないエネルギーを人間にもたらすことが
あります(vgl. ebd. 342)。かけがえのない存在であるという感情は、多くの人々に全能と無力の
感情を呼び起こします。ドストイェフスキーのラスコーリニコフだけが「俺は一人のナポレオン
なのか、それとも一匹のしらみなのか?」と自問したわけではありません。獣性と天才性とはむ
しろ親密な隣人関係にあります。人類は「ただ自分の義務を果たすだけ」にすぎない幾多の人々、
慎ましやかな人々、心満たされた人々に依存しています、しかしまた、不安を引き起こす人々、
心の満たされない人々、そして改革をめざす人々にも依存しているのも真実です。「むしろ彼ら
に」とヘルムート・プレスナーは書いています、「人類は一層依存している。むしろ人類は彼らを
通して、自らを行為へと駆り立てる情熱という(自己の運命を)決定する力へ至る。彼らはすで
に確立されている秩序を危うくするが、しかし、それは必ずしも個人的な名誉欲からではなく、
むしろ事柄に対する愛情からであり、幻想の魔力に魅了されひとつの着想に呪縛されて、不正に
対する怒りに駆られてである」(ebd. 344)。こうして最後に私は情熱と懐疑の弁証法に思い至るの
です。
情熱と懐疑とは、愛と憎悪と同じように対立的に結びついているように思われます。もちろん、
それらは心理的起源からすれば、後者に較べて互いに異なっています。愛と憎悪という本能的力
はエスに発するものです。情熱についても同じことが言えます。私は懐疑を、物事を見つめ問う
態度として理解していますが、その限りでそれは自我の働きです。しかし、それは必ずしもいつ
も、一方ではエスの本能的欲求に対して、他方では超自我の支配欲に対して守られているわけで
はありません。しかし、懐疑は自我の働きとしては、情熱とよりもむしろ冷静さと結びついてい
るように思われます。他方では、私たちは情熱がなければ懐疑的である必要などまったくないで
しょう。動物は環境に拘束されているがために、懐疑や情熱から免れています。人間は世界への
開放性のゆえに、自らの情熱に身をまかせ、しかもこれを統御せざるを得ないのです、つまり、
12
自己に対しても他者に対しても懐疑的にならざるを得ないのです。論文「本能と情熱」でヘルムー
ト・プレスナーは書いています。
「動物は自らに拒絶されているもの、すなわち飢えと渇きに苦し
み、自らの本能を満足させる可能性が欠如していることに苦しみ、囚われの身であることに苦し
む。[リビドーの]停滞が、人間の場合と同様に、攻撃行動を引き起こすことがある。しかし、た
だ人間のみが、一人の人間のために、あるいは一個の事柄のために情熱に苦しむのである」
(1971,
371)
。本能によって十分に保護されていないために――その限りでは動物に劣ってもいるわけで
すが――肯定的な言いかたをすれば、自らの本能基盤から解放されているがゆえに――人間の本
能的力は反応的強さを失うのです。それはリビドー的燃料に転化されます。これによって人間は
本能的力をかれの情熱に利用することができるのです。もっとも、情熱は他者破壊的および自己
破壊的傾向をあまりにもしばしば持つものであるのですが。
講演「職業としての学問」の中でマックス・ヴェーバーは、なにものも「人間としての人間に
とって、彼が情熱を持たなくともなし得るものは、何らの価値もない」
(1919, 589)と語っていま
す。この点で彼は、情熱とは人がそれを「大いなる病」
、すなわち「アブノーマルなもの」と同じ
ように必要とするものであると考えたニーチェと一致しています。情熱によって私たちは「生に
大きなショックを」与えるのです(Aus dem Nachlaß, 724f.)
。マックス・ヴェーバーは特に学問に
対する情熱に苦しんでいました。彼はまぎれもなくニーチェの言う意味で(vgl. 188b, 1241)情熱
的な思想家でした、すなわち、その思想が「情熱的な魂の歴史」を生み出すところの思想家だっ
たのです。彼の生い立ちを知れば、彼の思索への情熱の中でその生を焼き尽くしかねなかった危
機、破局、死の瞬間を彼の書いたものから察知し、これらを理解することができます。彼の妻マ
リアンネ・ヴェーバーMarianne Weber は彼について書いています。「ヴェーバーはある時、自分自
身にとっての彼の学問の意味を尋ねられた時に、『私は自分がどれくらい耐えることができるの
かを見たいと思っています』と答えた。――彼がそれで言わんとしたことは何だったのか? お
そらくは――生存(Dasein)のアンチノミーに耐えること、さらには冷静さに向けて自分の力を
極端にまで緊張させ、それにもかかわらず自分の諸々の理想の不撓性と理想への献身能力を保持
することが自分の課題であると見ていたということである」(1926, 690)。
情熱と懐疑とは、従って、ほとんど調和できないものだとしても、完全にひとつになり得るも
のです――それどころか、これらの態度は、互いに浸透し合うときにはじめて創造的なものにな
るのです。このことをマックス・ヴェーバーはすでに価値判断論争において明らかにしました。
ヴェーバーは常に、努力するに値すると考えた課題のみを自らに課しました。彼にとっては、何
に取り組むかということはどうでもいい問題などでは決してありませんでした。その限りでは、
彼の信奉者や批判者の多くは彼を誤解しています。情熱的な関心を持って彼は自分の研究対象に
立ち向かったのです。対象の選択にあたって彼は価値評価をしましたが、しかし、研究過程の間
は自分の判断を停止しました。そうせざるを得ないのもやはり知的誠実というものです。これは
決して容易な態度ではありません、恐らくは不可避な学問的態度であります。というのも、いま
一度ニーチェを引用しますが、「情熱から様々な見解が生まれる。精神の怠惰がこうした見解を硬
化させ確信に変える。――だが、自らを自由な休みなく躍動する精神だと感じる者は、不断の変
化によってこの硬化を防ぐことができる……」(1886a, 729)からです。
私がここでこのことを述べるのは、理論においてばかりでなく実践においても必要だと思われ
る一つの態度の特徴を明らかにするためです。情熱なくしては――もっと醒めた言い方をすれば、
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リビドーの備給なくしては――私の考えでは、人は自分の課題を十分に果たすことはできません。
しかし、職業への情熱には危険も含まれています。フロイトは彼の同僚たちに治療熱(furor
sanandi)すなわち治療への熱狂(1915, 320)と禁止熱(furor prohibindi)すなわち保護、干渉、禁
止への熱狂(1926, 268)に対して警告しています。二つの情熱は医者の場合に現われるだけでは
なく、彼が挙げているほかの二つの「ありえない職業」
、すなわち教育家と政治家という職業にお
いても見られます。これらの情熱がそうした職業に頻繁に現われるということは理解できます。
医者・教育家・政治家は、確かに実際に(人を)治癒したり、改善したり、保護したり、干渉し
たり、禁止しなければなりません。しかも、彼らは決して成功を確信できるわけではありません
から、自分の限られた能力と可能性とをしばしば過剰な熱意によって補うのです。私には、彼ら
が自分の過剰な熱意を、しかし同時にまた、痛々しい失望から彼らの間に生まれる諦念・無関心・
冷笑的態度といった破壊的態度を克服しようとしているのだ、と思えるのです。重要なのは、自
らの行動によって生が善であり得ることを示すということ、もし可能でさえあれば、私たちおよ
び私たちの同胞をして善なる生に与らしめるということです。私はまったく言葉の此岸的意味に
おいてこう申し上げているのです。
この講演で取上げた考え・表現は私の以下の研究から来ている。
Wilfried Gottschalch: Männlichkeit und Gewalt. Eine psychoanalytisch und historisch soziologische Reise
in die Abgründe der Männlichkeit. Juventa Verlag, Weinheim und München 1997.
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Mit anderem Blick. Umriß einer skeptischen Pädagogik. Erscheint März/April 2000 im
Psychosozial-Verlag.
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◇ 訳者注記
ここに翻訳したのはヴィルフリート・ゴットシャルヒ教授が1999年10月10日開催の社会思想史学
会における基調講演のために書かれた論文「人間性と暴力」(Menschlichkeit und Gewalt)の全訳です。訳文は
当初通訳原稿として準備されたが、当日時間の都合で講演参加者に印刷配布されることとなったこと、ゴッ
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トシャルヒ教授の許諾の下に、経済学部保住俊彦教授の勧めにより通訳原稿を本誌に掲載することとを付記
しておきます。
ゴットシャルヒ教授のドイツ語原稿における斜体字部分は訳文では太字で、また訳者が文意を理解し易く
するために補った部分は[……]で表わしています。
翻訳草稿に丹念に目を通し、誤訳部分の修正などの作業に支援をいただいた経済学部保住俊彦教授、文学
部海老澤善一教授に深甚なる謝意を表します。(1999年11月10日)
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