る作業研究として発足したのであるが,終戦後においては, 悶

かがくできか
革新は,鉄道技術研究所を中心として早くから推進せられてき
らに機関7JIJ 業 務分類やノルマの 設定 ,鉄道管理局能率 指標等の
たが , さらに昭和 35 年から鉄道技術研究所の整備i 鉱充を行ない ,
業績測定指標の作成にまで発展していった。提案制度の奨励 ,
また技師長室を中心に投術課題制度を 設置 して,技術開発の可
事務の機械化 計画等 いずれもこの 10 年にわたる業務調査活動
能性を探求するための 装礎および応用研究は,鉄道技術研究所
の所 産である。また当時の品質 管理やリニヤ プ ログラ ミン グ等
が 自主的に行ない,新技術の実用化と,現用技術の改善研究は,
の導入も今日の OR への基礎づくりともなったものである。昭
本社主管部が中心となり,研究所および ~il外協力のもとに行な
和 28 年全国主要駅区に配置された能率助役制度も, 当 時とし
いつつある。昭和 37 年以降は計画課題と一般課題に区分 管理
ては,また 函期的なものである。昭和 32 年に至ると ,
し,総合的組織的研 究 体制のもとに, 一 貫性ある研究投資を 行
務運営調査委 員会 も 10 年にわたる活動を 終 了し,能 率管 理研
ない今日に至 って いる 。
しかし,このような純妓術 分 野の 革 新
究所の創設により置き換えられた。そのうち国鉄各部門におい
体制l の裏づけとして,経営管理の革新が,どのような経緯 をた
ても,それぞれ所管事項に l刻する科学的管理の機運 は逐次高ま
どって今 日に至 っているかについて解明するのが し国鉄に おけ
る科学的管理1 の 主題 である。
この業
り,現 在各部 門においては次に述べる科学化への 努力 が試みら
れつつある 。
したがって国 鉄の科学的 管 理とは, 鉄道本来の技術その もの
科 学 的 経~,:;~.管理の 担い手と しての業務近代 化の 国鉄に おける
で扱く ,復雑膨大な 国鉄の経営 活動管理活動を 対象 主し , 新し
展開は,現在事務管理統計部を中心に実施されているが,その
く開発 されつつ ある各種の経営管理の手法を活用し,科 学 的な
初 lUJ にお い ては 単純 な機械化と してと り入れられたものである。
アプロー チによる経営管理 の改善を 目ざすものであり,最 終 的
すなわち 大正 12 年 パ ワ
には,生産諸力の最適結合による生産性の:tì'í大を求めるもので
務に使用したのが最初で,その後逐次増強され,戦時中 一時中
ス式統計会計機を導入し,貨物統計業
ある。この意味に おける 国 鉄の科学的 管理! の芽ばえは,大正の
止されたあと昭和 25 年再開されたが,なお一部統計業務の威を
末期lから 昭和の初期l にかけて,これを 見いだ すこ とができる。
出なか っ た 。一 方昭和 31 年から審議室を中心として設けられ
アメリカに発生した科学的管理法の初 lPJ
た事務近代化委員会は,事務機械化長期計画を立案,経理局審
将入段 階であり, 主とし て作業の科学的管理に限定された。す
査統 計課の 統 計部 門と,同 委員会事 務局を母体に 事務管理統計
なわち大正年間大宮工場におい て,組 織的作業研究が行なわれ,
部が設置された。
しかし,このころは ,
n日和 6 年には山 下 興 家(当 時の本社工作謀長)氏 によって鉄道省
昭和 33 ・ 2 ・ 15 ,ここに 単純な機械化を脱却した本格的事務近
に能不推進委員 会が設 けられて,科学的管理の推進がはかられ
代化が着 手され た。すなわち,
たこ と は,円本能 率年表に よっても明らかである。しかも当時
設置 を終わ っ た後.電 子計算機 を中心とする ハ ー ドウェ ヤー
設 備而では,全国的に PCS の
国鉄におけ る作 業研究は ,民間 企業に対しても先駆 的存 在であ
の著しい発 展に 即応して,昭和 35 ・ 4 本社に最 初の電子計 算機
っ た。既に大正 2 年(1 913 年)本社に技術部を設け,機関車在場
ユニパック・ フ ァイノレ・コ ンピュータ ー CU.F.C.l をi!)".入,続
日数 短縮 について研 究が 開始され,昭和 2 年従 来 28 日を 袈し
いて 38 年末問 機をユニパック 490 型に取り替え,さらに 39 年
ていた機 関車両 修繕 を , わずか 5 日 間に短縮 することが 可能に
度には 支社パンチ カード 式計算機の電 子計算機への取 替え を開
なった。 昭和 5 年 加藤仲治技 師が ,
始し, 急速な充実 をみており,その豊富 な ,かつ優秀なソフ ト
ソビエ ト政府に招かれ 修繕
指導に 当 たり,国鉄の生 産 技術水準を世界に誇った事実もある。
ウェヤーとともにその能力を最大限に発律する条件が整ってき
各鉄道工場に専任の作業研究鉛が配置されたのも ,こ の当時の
た。これ らの設備に より,
ことであった。また井 上 隆根氏が保線作 業の幕 本手/1闘を作 っ た
面にわたる機械化が進行して 成果を 収めている。現在の段階に
のは,昭和 5-10 年ごろであった。その後日撃事変 ・ 大東亜戦
おいては, 事務近 代化を 完成さ せるためのア プ リケーションウ
争と戦争の 進展に伴い ,これらの専門 家たちも分 散し ,
作 業も
ェヤーの開発が急がれ,事務 γ ステム全般の分析体制l の確立と,
経営におけるデシジョンメーキングのための数値 ・ 資料の管理
一時中絶のやむなきに至 っ た。
このように国鉄における科学的管理は,まず鉄道工場におけ
る作 業研究として発足したの であるが,終戦後においては, 悶
鉄業務全般 を対象 とし,事務ま たは 作業の流れを分析し ,
資材 ・経理・貨物 等を は じめ ,各 方
企業
体制l の強化 にカが注がれている。
資材 局 においては,調査 課を中心 に早くから資材 管理 の合理
化,近代化 を計 l司し ,資材 事務の流 れ分析(昭和 32 年)と これに
活動全体を統一 的には あくし ,これを 標準化することによ っ て,
基づく業務の標準化,物品規栴の統一等をはか つ てきた。また
業務運営の 能率 的 システム を確立する方向をた どっ た。この作
資材 事務の機械 化のため に膨大な品 目のコー ド番号の設定 作業
業は主と して業務 運営調査委員会 を中心に,加賀山之雄氏の 支
を完了し, 逐次高度の機械化に進 みつつあ る 。また ABC 分 析
持のもとに立花次郎氏,石田武雄氏等によ っ て始められたもの
の活用による調 達灰分の改ïE cnH 和 34 年)を 行なし、 ,その後も
で,その理念はアメリカ経常理論の 国鉄海入 をはかったもの で ,
問分析による在庫管理ならびに価値分析,企業経常分析による
コ ムス トック・グレサ ー の管理分析論や,岩佐式時間展開図法
業態調査,品質管理手法の 導入 による納入,品質の向 k 等にも
等を参考 に国鉄 式の分析が進められた 。し たがって業務運営調
及び,最 近では総合購売成果のはあくにも及ばんとして ,既に
査委員会の基本 的 合理化態度は ,アメ リカ経営理論の理想(無
実効をあげる段階となりつつある 。
言 の組織管理の数量化)を目ざして,経世T組織すなわち管理組
営業局開発部は,市場調査や・販売促進の科学的リサーチを任
織 ・ 事務組織・作 業組織の 組織的合 理化を 中心とし て進め られ
務とし, 昭和]35 .6 にそ の 設立 をみた。輸送量の 予 測l は国鉄にお
た。し たがって戦後の科学的管理は,む しろ工場以外の 部門 を
けるす べ ての 計画 の根幹をなすものであるが, 今日のめ まぐる
対象に ,常に経営全体の組織 的能率化をね らいと した方 法論が
しい経済変動や景気 動向の 中で,予測 方法が従来 の方法 の墨守
用いられ,期せずして今日いわれている IE の考え方そのもの
でよいはずは なく ,
であ っ た 。
開発部は 2 課 50 余名の組織陣容により,輸送需要の要因分析や
予測体系の革新を必要とする。したがって
このような分析の結果として,戦後の国鉄組織改善や文書分
経営に役だっ需要予測を進め , 新しい法員IJ 式や予測そデルを設
類・業務管理図表・職務明細書等が作成せられた。また作業而
計し,営業 fflï における近代マーケット理念による営業の科学的
でも駅業務を主とした jl<\1 人別総合作業ダイヤの完成となり,さ
開発に 努力しつ つある 。
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したが っ て今後は国民経済の発展に伴