C-2-1の予稿 - 科学技術社会論学会

科学技術社会論学会 2008 年度年次研究大会 予稿集
C-2-1【WS】
科学と法の接点
~
ワークショップ
法廷における科学
C-2-1【WS】科学と法の接点 ~ 法廷における科学
ワークショップ: 科学と法の接点~法廷における科学
オーガナイザー 藤垣裕子(東京大学)
科学と司法の接点ではさまざまな問題がおこる。少なくとも、以下の3つの問題がある。
1. 作動中の科学と責任、そして予防原則
科学をおよび技術研究は常に未知の部分を孕みながら、その未知の解明を続けていく過程であ
るため、その未知の部分は、時々刻々と変化する。そのことは、法律の専門家に正しく認識されてい
るだろうか。時々刻々と変化する事実(作動中の科学)に対応して、ある時点での「事実 A」に基づい
た判断が、数十年後の「事実 B」からみて誤っていた場合、事実 A に基づいた判断のもつ責任は、ど
のように定式化していけばよいのだろうか。たとえばもんじゅ裁判(高裁判決 2003 年 1 月、最高裁判
決 2005 年 5 月)では、1983 年の設置許可のときの安全審査(事実 A)が、現代(2003 年および 2005
年当時)の事実 B からみて看過しがたい過誤があったとみなされるかどうかが問われた。原子力のケ
ースでは、「科学技術が不断に進歩することを考慮して、処分(設置許可)当時問題がなくとも、現在
の科学技術水準に照らして不十分であることがわかれば、設置許可処分は違法であるとして取り消
すべきである(伊方最高裁判決)。」という立場が取られている。つまり事実 B 重視である。それに対し、
薬害エイズ事件の事例では、安部被告の責任が「医師の治療行為については当時の医療水準がい
わばそのときの法律にあたるのであるから、たとえ今日の医療水準からみて誤っていたとしても、これ
に従った医療行為は適法である」という形で免罪になった。ここでは事実 A 重視である。原子力と医
療過誤とでは、事実 A と事実 B が異なったときの責任の扱いが異なっている(藤垣編、2005)。これら
は行政法と刑法との考え方の違いにも起因している。作動中の科学と責任をどう考えるか、予防原則
の議論とあわせて議論が必要である。
2. 科学そのものと、科学に対する法曹および市民がもつイメージとのギャップによって生じる問題
Jasanoff(1990)は、裁判官が「科学の社会学」について知っていなくてはならない事項の1つとし
て状況依存性をあげ、『科学的知見は、状況依存性をもつ(ある事実は、ある条件下で成立する)。
いつでも正しいわけではない 1 』ということを示した 2 。これは、本ワークショップの本堂論文における反
対尋問とあわせて読むと、非常に興味深い考察が可能になる。
さて、法曹界および市民は、次のように考える傾向がある。
科学は常に正しい。
いつでも確実で厳密な答えを用意してくれる。
確実で厳密な科学的知見に基づいて意思決定しないといけない。
確実で厳密な科学的知見がでるまで、環境汚染や健康影響の原因の特定はできない。
このような科学へのイメージが流通している。しかし、現実には、科学的知見は時々刻々更新され、
常に新しいものにとってかわるものである。したがって、
1
原文は、“Scientific claims are never absolutely true but are always contingent on such factors as the
experimental or interpretative conventions that have been agreed to within relevant communities of
scientists.”
2
他の事項として、バウンダリーワーク(科学と非科学の境界をひく作業)、実験者の回帰、脱構築、インス
クリプション、科学の社会的構成などが挙げられている。
C-2-1【WS】科学と法の接点 ~ 法廷における科学
科学的知見は書き換わる。
いますぐ答えのでないものもある。
根拠となる科学的知見がまだ得られていないこともある。
根拠となる科学的知見がでるまで待っていられないこともある。
といったことを考慮しなくてはならない。このことを考慮しないと、「科学的証拠がないというのは、何
の対応策もとらないことの口実として使われている」(Nature誌による日本批判) 3 、あるいは「リスクの
証拠がないのはリスクがない証拠」といった主張につながってしまう。前者のような固い科学観が養成
されてしまう背景として、理科教育で『いつでも確実で厳密な科学』のほうばかり強調しすぎているの
ではないか、科学リテラシーとして、『つくられつつある科学』観をもつ必要があるのではないか、とい
うことが示唆される(藤垣、廣野編、2008)。
3.科学技術の発展の速度と法の対応速度のギャップによって生じる問題
これはたとえば、Winny の裁判のような形で、あらわれる。科学技術(Winny の場合は情報技術)が
時々刻々進展するのに対し、法律の改正は議論がおこってから実際に改正されるまでに何年もかか
る。情報技術の進展にともなって、著作権概念が、従来のモノの著作権からデジタルコンテンツの著
作権へとどんどん変化していているにもかかわらず、法の場面では従来どおりのモノを規範とした著
作権概念のままである。そのために生じるギャップが、科学と法の接点で問題となる。
本ワークショップでは、科学と法の接点のなかでも特に、裁判で用いられる科学的証拠の扱いに
焦点をあてて議論を行う。したがって、上の3つの論点のうち、とくに1と2に焦点があたることになる。
まず中村が、司法手続きで科学的争点が扱われる場面での一般的な問題をまず概括する。例え
ば、前提として全ての科学的事実が開示されることなく議論されていること、専門家証人としての科学
者に対する尋問のルールが未整備であること、科学の更新性(科学的知見は時々刻々更新され、常
に新しいものにとってかわるということ)が司法にうまく生かせないことなどを概括する。その上で、
Precaution としてのリスク判断が突きつけられる中、司法が機能不全を起こしていると思われる状況を
指摘する。続いて本堂は、専門家証人として証人尋問に参加した経験をもとに,法廷における科学リ
テラシーの現状、科学的議論のフェアネスについて問題提起を行う。「将来的な健康被害」が疑われ
る事案で,司法は不確実性下の科学に正面から直面する。それなのに現在の司法が、『一点の疑義
も許されない自然科学的証明』が存在するかのような科学認識を元に議論を行っている現状を問題
視する。さらに中島は、残留農薬裁判とGMイネ裁判のような「将来的な健康被害」が問題になる科
学と法廷の話と、「明らかな健康被害」が問題となった森永やカネミのような事例における科学と法廷
の話の異同を整理し、「法廷と科学」を論ずる際の論点と現実的課題を指摘する。最後に、神戸大学
大学院法学系研究科の 21 世紀 COE「市場化社会の法動態学研究センター(CDAM)」のメンバでも
ある島村が、行政法をめぐる住民との係争問題なども交えて、科学と法の接点についてコメントする。
藤垣裕子編、科学技術社会論の技法、東京大学出版会、2005
藤垣裕子、廣野喜幸編、科学コミュニケーション論、東京大学出版会、2008
Jasanoff,S. What Judge Should Know about the Sociology of Science, Jurimetrics Journal, 32, Spring, 345-359, 1990
Jasanoff,S. Science at the Bar: Law, Science, and technology in America, Harvard University Press, 1995
3
Nature、Vol.413,p33, 27,September, 2001.
C-2-1【WS】科学と法の接点 ~ 法廷における科学
司法と不確実下の科学~電磁波訴訟を通じて
弁護士
1
中村多美子(大分県弁護士会)
問題の所在
法の適用の前提として、正確な事実認定は決定的に重要であるにもかかわらず、実際の裁判で
は、生の具体的事実の全てを法廷に顕出できるわけではない。事実は、一定の証拠手続きに基づ
いた両当事者の主張・立証活動により、司法判断に必要とされる限度で認定される。法学は紛争解
決という実利的な機能を有し、そこでは古典的な真実発見はあくまで相対的であり、適正手続保障
に裁判の正統性は存在する。これに対し、自然科学における知の形成は、生の具体的事実の全て
が明らかにされ、あらゆる研究者により時間超越的にその是非が検討される。Jasanoff が指摘すると
おり、司法は正義によるが、科学は真実による。存在意義のよって立つところを異にするこの二つが
交錯するところで、問題は発生している。すなわち、司法判断過程に、「科学的証拠」が持ち込まれ、
「科学的事実」の認定が争点になる場面である。そして、それは、科学的不確定要素を含む命題に
おいて、より顕著となっている。
2
科学的証拠と司法
我が国の私法系では、確たる証拠規則が整備されておらず、原則として、裁判官は、当事者が自
由に法廷に顕出する証拠を元に、裁判の基礎となる事実を、自由な心証により認定してよい(自由
心証主義)。
ところが、顕出される証拠が、科学的証拠であった場合、自由心証主義は極めて大きな問題をは
らんでいる。少なくとも、科学的事実の認定は、科学的に適正な証拠によってなされねばならないは
ずである。ところが、科学的証拠の採否や評価が適切に行われないまま、科学的事実は、科学的合
理性から乖離し、裁判官の「経験則」によって認定されてしまう。このことを、電磁波と健康影響に関
する各種下級審裁判例を例に以下詳述する*1 。
1)科学的証拠としての適否
裁判所は、少なくとも判決書を読む限り、査読付雑誌に掲載された学術論文と、週刊誌記事と、
裁判所用に提出された学者の意見書を、全く同レベルの証拠として取り扱っている。法律家は、疫
学分野、分子生物学分野、物理分野など横断的に検討せねばならない場面で、要証事実と各学術
知見の科学的関連性を正確に判断できていない。特に、疫学は、証明責任軽減のための一段低い
立証方法と見なされる傾向が強い。
2)科学的誤謬の是正困難
科学者証言や意見書に、明白な科学的誤謬が含まれている場合であっても、これを是正すること
が困難で、科学的誤謬が存在するか否かも、非専門家たる裁判官の「自由心証主義」により判断さ
れる。逆に、科学的に見て、明白な誤謬である事実認定も、是正が極めて困難である。
*1 福島地裁郡山支部 H14.9.30・H15.2.14、福岡地裁久留米支部 H14.6.20・H18.2.24、熊本地裁
H16.6.25・H19.6.25 など
-1-
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3)科学者証人に対する尋問
科学者証人として出廷した本堂氏に詳細を譲るが、ここでは、証人尋問における尋問ルールが、
過去の歴史的事実に関する証言の信憑性を判断するために構築されていることによる問題点を指
摘する。科学者により証言内容が異なったり、同一科学者でも過去の証言と現時点の証言が異なっ
たりすることは、科学的合理性の欠如を必ずしも意味しないが、法律家は、いずれかが誤りであると
いうことを前提として尋問を展開し、裁判所は、科学ではなく、科学者を選択してしまっている。
4)先例拘束
司法判断には先例拘束性がある。そのため、別の訴訟で証拠として重視された科学論文や科学
者は、他の訴訟においても無批判に重視されがちである。これに対し、科学には更新性がある。新し
い科学的知見が集積されているにもかかわらず、それを法廷にフィードバックしていく仕組みがな
い。科学は新規に更新され、司法は先例に拘束され、両者の判断の発想は真逆なのである。
5)ボートカウンティング
法学の議論は、判例、法学者、実務家をメインとする社会のコンセンサスによって形成される。我
が国においては、規範形成における社会学的リサーチの試みが極端に少なく、規範形成の共通の
土台となるべき客観的事実が明示されないことも珍しくはない。ところが、司法は、こうした多数意見
による規範決定の方法論を、科学的事実の認定にも適用する。すなわち、ある科学的命題につい
て、白黒が分れているとき、白とする見解と、黒とする見解のいずれが多いか、という乱暴なボートカ
ウンティングを安易に行う傾向があるのである。しかし、少数説が科学的に正しかったことが後日証明
された例は、枚挙にいとまがない。
6)科学の無謬性の盲信
多くの市民が、司法判断とは客観的真実の認定であると信じ込んでいるように、司法を含む市民も
また、科学によって全てが説明でき真理は明らかになると信じ込んでいる。司法における科学の無謬
性に対する盲信の歴史は長く、ルンバール事件最高裁判決*2 は、「訴訟上の因果関係の立証は、一
点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく」と述べ、一点の疑義もない自然科学的証明があり
うるという科学観を披瀝している。それゆえか、法律家は、未解明な点がある科学的学説は未だ科学
証拠として、証明力を有しないと安易に考える傾向がある。
7)証拠収集手続きの不十分
我が国の民事訴訟手続きにおいて、証拠収集手続きは比較法的に極めて不十分で、証拠の偏
在は著明である。証拠は全てを開示する義務はなく、相手の手元にある証拠を知る術はない。重要
な科学的証拠が隠されたまま、司法は、科学的事実認定を行うのである。
3
科学的事実認定の立証命題と証明度
このように、科学的証拠による心証形成の問題点は少なくないが、さらに、問題を大きくしているの
*2 最判昭50・10・24民集29巻9号1417頁
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が、要証事実の設定とその証明度の問題である。人への健康影響を主張する者は、「危険である」こ
とを「高度の蓋然性」(社会の一般人が日常生活において、安んじてこれに頼って行動する程度)を
もって立証しなければならず、立証できなければ敗訴するだけで、段階的・調整的解決は困難であ
る。ところが、「危険」は、本来社会的文脈により定義・判断されるべきものであるにもかかわらず、法
律家の多くは、科学によって判定しようと試みる。しかも、「高度の蓋然性」とは、どの程度の証明がな
されれば立証されたことになるのかについて、明白なルールはない。そこで、科学的争点を含む場
合、法律家は、こぞってかかる高度の蓋然性があるのかどうかを、科学的証拠によって判断しようと
する。原告と被告が提出したありとあらゆる「科学的証拠」を等分に眺めた裁判官が、自由心証主義
をもって、「危険」の「高度の蓋然性」を専断的・包括的に判断するのである。しかも、裁判官が何をも
って、どのような理由で判断したのかは、多くの判決からは明白ではなく、ただ結論のみが述べられ
ているのみである。そのため、双方の当事者は、裁判官の心証形成に明白な影響を与えるために、
いかに権威のある科学者を法廷に呼び、いかに明白に自己に有利な「結論」を述べさせるかに、汲
々とすることになる。裁判所は、司法判断の excuse として科学者証言を基盤とすることが多く、そこで
司法判断の踏み絵をふまされているのは、まぎれもなく科学者なのである。
4
不確実下の科学の問題と因果関係論
こうした司法における科学的事実判断の問題点を考察すれば、科学的・社会的にコンセンサスの
ある危険を理由とする差し止め(Prevention)はともかく、科学的に未解明な危険性を理由とする差し
止め(Precaution)判断に、司法が対応し得ないことは明白である。なぜなら、Precaution の問題で、
法律家は「危険」の内容を法学的に定義づけることなく、極めて安易に、科学者によるコンセンサス
がないことのみを理由に高度の蓋然性がないことを結論づけるからである。
しかし、技術革新の速度はますます速く、その影響がもたらす社会への影響は、ますます広くなり
つつある今、Prevention を前提として構築されてきた差し止め法理の適用は、リスク管理手段としての
社会的ニーズに応えられてはいない。公害解決・薬害解決の中で、繰り返し、再発の防止を誓いつ
つ、同じ被害を繰り返している一因に、被害が誰の目にも明白になるまで、司法が機能しないという
状況があるであろう。科学者集団が結論を出すまで待つのではなく、司法は、科学のもつ性質(更新
性・時間的超越性・不完全性)を正確に理解した上で、Precaution に関する法理を構築せねばならな
いのである。
5
今後の展望
電磁波訴訟を通じ、科学的争点を含む司法判断の課題のいくつかが明らかになった。一つは、科
学的証拠法則の整備である。アメリカにおけるDaubert Rule*3 などをはじめとする判例法や連邦証拠
規則*4 は一つの参考になるであろう。二つめとして、科学者尋問規則の整備が必要である。鑑定とも
異なる科学者尋問の新たなルールを科学の 性質に考慮して構築する必要があ る。最後に、
Precautionとしての法理の構築である。技術革新に伴い、社会的にどのようなリスク管理を行うことが
妥当なのかは、科学的判断ではない。市民があらゆる階層と分野において、広く議論する必要のあ
*3 Daubert v. Merrell Dow Pharmaceuticals,Inc.,509 U.S. 579(1993)
*4 Rule 403 and 702 of the Federal Rules of Evidence
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ることであり、司法も例外ではない。Preventionとは異なる問題状況が、現代社会に生じていることを
直視し、その処方箋を議論することは、法学者・実務法律家と科学者の協働が殊更に要請されるとこ
ろである。
参考文献
田中成明 1994:法理学講義 有斐閣
伊藤眞 2003:民事訴訟法 有斐閣
藤垣裕子編 2005:科学技術社会論の技法 東京大学出版会
藤垣裕子 2005:専門知と公共性 東京大学出版会
Jasanoff 1995:Science at the Bar, A Twentieth Century Fund Book
Foster and Huber 1997 :Judging Science, Massachusetts Institute of Technology
小林秀之 2007:新証拠法 第2版 弘文堂
小島剛 2007:科学技術とリスクの社会学 お茶の水書房
谷口安平・坂元和夫 編著 1998:裁判とフェアネス 法律文化社
A.カウフマン 2006 上田健二訳:「法哲学」第2版 ミネルヴァ書房
フレチェット 2007 松田毅訳:環境リスクと合理的意思決定 昭和堂
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法廷の科学リテラシー:科学者証人の体験から
本堂 毅(東北大学)
1.はじめに
本講演では,科学者が専門家証人として体験した法廷の科学リテラシーとその問題点を,証人尋
問の速記録を用いて具体的に報告する.その上で,科学技術のシビリアンコントロールや科学的議
論のフェアネス,理科教育の課題などを議論する.
2. 法廷の科学観
本ワークショップで中村氏が言及している最高裁ルンバール判決によると,司法では「自然科学は
一点の疑義もない証明の上に成り立つ」と理解しているらしい.もちろん,数学ならいざ知らず,自然
現象から帰納的に知識体系・理論体系を構築する自然科学にあっては,一点の疑義もない証明な
ど原理的に不可能である 1 .ルンバール判決に代表される司法のナイーブな科学観は,その結果法
廷で,不毛な議論を生んでいる.本講演では,大分地方裁判所における携帯電話基地局裁判(大分
地裁,2008)での反対尋問を具体例にしながら,現状の問題点を浮き彫りにする.反対尋問は,被告
代理人(東京第二弁護士会の横山経通氏.以下Y)の発問に対し,証人である本堂毅(以下H)が答
える一問一答形式で行われた.口述の速記録から引用するため,回りくどい表現等があることを承知
いただきたい.
a) 科学は質問に択一,YES, NO で明確に答えを出せる(尋問項目第 22 項).
(Y)結論だけ答えてください.その批判は正しいですか,正しくないんですか.
(H)いや,正しい正しくないというか,つまり科学ですから,それは正しい正しくないというのは,
どういう意味で正しいか正しくないかというのをお話ししなければいけないことは4月 2 にも
お話ししたとおりでありまして.
じゃ,正しいか正しくないかは答えられないというお答えでよろしいんですか.
違います.
じゃ,どちらですか.
ですから,前提条件がないとお話しができないということです.すなわち,科学というのは,
これは前回4月にお話ししたことを御理解していただいてないということでありまして,つま
り科学に妥当性というものがあります.で,どういう条件で正しいか,どういう条件で正しく
ないかということを言わないことには正確な発言ができない,さきほど裁判長からありまし
たように,私が間違ったことを発言した場合,偽証罪に問われるわけですよね.
ちょっと,いいですか.私の質問,聞いてくださいね.もう一度.英国放射線防護庁のその批判
は正しいですか,誤りですか.それとも,前提条件が分からないと正しいか誤りであるか分から
ないという,その三つのうちのどれですか.
1
医学・生物学等で,統計的有意性を議論することからも明らかであろう.この統計的有意性に
ついても,法廷では根本的勘違い(統計的有意性がない=因果関係がない)が日々繰り返されて
いるようであるが,ここでは深入りしない.
2
反対尋問に先立ち,主尋問が 2008 年 4 月に行われている.
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b) 科学的合理性(evidence)と社会的合理性(価値判断)の混同(第 52 項)
(Y) (主尋問の際の速記録を示しながら)31ページの124項を示します.あなたは,携帯電話基地
局の中継塔を撤去すべきか,しなくていいかと問われても,専門家として判断する何ら根拠を持ち合
わせていません,と述べておられますよね.
(H) それは先ほどお話ししましたように,社会的合理性.
いや,前回そういうふうに述べましたねという質問です.
ですから,その背景についてお話しをしないと,正しく私は答えたことになりません.すなわ
ち文脈なしに答えるということは,これ,私は前回の証言の文脈の中でお答えしていますの
で,それについて若干の補足なしに答えることはできません.
では次の質問ですが,携帯電話ではなく,テレビの中継塔を撤去すべきかしなくていいかと聞かれ
ても,専門家として判断する根拠は持ち合わせていないと,同じ答えになるんですか.
先ほど申しましたように,社会的合理性なしにその判断がつかない話です.で,私は今専
門家としてここに来ていますので,科学的合理性だけでは判断がつかないということは,こ
れは社会の規範であると理解してますので,その意味で専門家という立場だけでは判断が
できないということを申し上げたということです.
c) 批判のある研究結果は誤りである(第 41 項)
(Y)これだけ多くの批判がなされているレフレックス報告を持ち出して,携帯電話の電波が健康に影
響あるかのような議論をすることは,あなたの言う科学リテラシーには合致してるんですか。
(H) 今横山さんがお話しになった,批判があるから適切ではないというその前提は,横山さんは
それは正しいと認識なさってるんでしょうか。
質問,聞いてくださいね.
いや,前提がずれてると正しく回答できないということです。だから,前提がずれてると正し
くお答えできません。
質問は,このレフレックス報告というのはたくさんの批判がなされているわけなんですけれども,そ
ういうレプレックス報告を持ち出して,この裁判であなたが携帯電話の電波が健康に影響があるか
のような議論をすることは,あなたの言う科学リテラシーに合致してるんですかとお尋ねしてるんで
す。イエスかノーかで結構ですから。
いえ,それは最初に4月にもお話ししましたけれども,問題点が,つまり前提を。
はいか,いいえで答える質問だと思うんですが。
いえいえ,私は科学証人として来てるわけですから,科学証人というのは,正しくその事実
を伝えなければいけないわけです。で,今ここにいらっしゃる方が,科学の基礎的なパック
グラウンドがないわけですから,で,それを一言で答えられるような内容でないときに答えた
としたら,それは正に科学リテラシー,科学者の倫理に反する行為になります。したがって,
そのような答えはできないわけです。なぜこういうことを言わなければいけないのかというこ
とをお話ししなければいけないということは,4月にもちゃんと横山さんの前でお話ししたは
ずのことです。
では,次の質問にいきます。
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3.法廷の科学リテラシー:帰納法に基づく自然科学への誤解
上に挙げた尋問例に限らず,関連裁判の証拠書類,調書,判決文などを読むと,法律家の多くは
自然科学に対し「一点の疑義もない証明」が出来ると考えているらしいことが分かる.現実の自然科
学は,未知の自然現象を少しずつ解明する営みである.だから,湯川・朝永・利根川らのノーベル賞
論文でも,未解明な部分,適用限界を率直に記している.未解明な部分を明確に記すことで,「どこ
まで解明されたか」明らかになるからだ.
しかし法廷は,このような自然科学の営み(帰納法による法則の解明)を理解していないから,仮に
湯川・朝永・利根川らの論文が証拠提出された場合には,「自ら問題点を認めざるを得ない程のレベ
ル」とされ,結果,証拠能力を否定されるのだろう.現在の裁判制度における自由心証主義は,裁判
官に良質なリテラシーがあって初めて合理的に機能しうるはずだが,科学リテラシーの根本部分の欠
落は,判決のみならず,その訴訟指揮(訴訟規則)を通して,法廷での議論そのものを,科学的に不
毛なものにする.
特に,precaution こそが問われる「将来的な健康被害」の事例では,確定的に強い証拠は原理的
に存在しない(直接的証明手段である疫学知見も存在しない)ので,現時点で持ちうる科学的知見
は,せいぜい間接的な証拠(動物実験,細胞実験等)だけである.しかし,これらの間接証拠は,メカ
ニズム論を通した推論を経ずしてヒトの健康影響に繋がり得ない以上,科学的に確たる証拠とはなり
難い(IARC, 2006).それゆえ,科学的に確たる証明を司法判断の前提とする限り,司法は原理的に,
将来的な健康被害の歯止めとはなり得ない.こればかりでなく,健康影響の(人体実験を除いた)唯
一の直接的証明である疫学さえ「証明責任軽減のための一段低い立証方法」とされている状況では,
precaution より解明が進んだ状況の prevention さえ,合理的に判断し得ない.
4. シビリアンコントロール(科学的合理性と社会的合理性)
尋問からも分かるとおり,法廷においては,科学的合理性と社会的合理性を混同した議論が行わ
れている.科学技術のシビリアン・コントロールは,民主主義の根幹にかかわるものであり,それゆえ,
研究者が個人的価値判断で社会的合理性を判断することは許されない.専門家倫理である.しかる
に,専門家証人は,社会的合理性についての意見を求められる.法廷において科学者は,専門家
倫理を破ることを強要される.
むろん,裁判所が論点を整理し,社会規範を示した上で証人に問うなら,証人は科学的合理性判
断のみで,その社会規範との適合性を議論できるかもしれない.しかし裁判所は,そのような論点整
理を行なわず,社会的合理性まで含めた判断の根拠を,直接専門家証人に求めさえする(大分地
裁,2008 における神野裁判官の補充尋問を参照).
5.科学的議論のフェアネス
科学者倫理は,科学者に,自らが持つ知識を中立性・客観性を持って,正確に社会に伝えることを
求める.非専門家に説明をする際には,聞き手の持つバックグラウンド(知識背景)を把握した上で,
専門用語に変えて日常語で,喩えを用いながら聞き手の想像力を引き出し,「文脈」を通して語るこ
とで科学的厳密性を補うのである.
一方,法廷の尋問では,証人は裁判官や尋問者のバックグラウンド(知識背景)を知るための質問
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が許されず,説明を行う場合も,どこまで理解されているのか,確認することさえできない(暖簾に腕
押し).さらに代理人は,答えを YES, NO 式の択一で求める誘導尋問を用いることで,「文脈」を意図
的に裁ち切り,科学的知識に本来付帯する前提条件(現場条件)を隠す.そして,尋問の順序構成
により新たな「文脈」を創作し,本来の前提条件とは異なる科学的知見を作り上げる.このような尋問
は,教科書的テクニック(エヴァンス,2000, 特に p.90-91, 115, 125-126)として弁護士が日常実践す
るものであり,横山弁護士の反対尋問も,これを踏襲したものである.エヴァンスが具体例として紹介
している誘導尋問テクニックを様々な科学的命題に適用して頂きたい.一つの命題から,矛盾した複
数の結論を導けるのだ.これは「詭弁術」なのである.
科学は,詭弁や恣意性を排するために方法論の改善に努め,そのフェアネスと普遍性によって,
公共財としての社会的価値を得てきた.しかし,司法は科学的知識を公共財として認め合理的判断
の根拠として利用するにも関わらず,法廷において「詭弁」を許すことにより,科学を公共財たらしめ
る前提であるフェアネスを毀損する.矛盾した行為である.もちろん,科学界ではエヴァンス流の議論
を行うことは許されていない.
6.
日本人の科学観:適用限界を教えない理科教育と科学者の責任
講演者は証人として法廷に赴き,その科学リテラシーに戸惑いを覚えた(被害者である).しかし,
理科教育に携わる大学教員として,この原因が講演者も含めた理科教育界にあることにも気づく(加
害者である).日本の理科教育は,科学に出来ることばかりで,科学の生い立ち,仕組み,適用限界
を正直に伝えてこなかった.不誠実だったのだ.
近年ヨーロッパを中心に,科学をその適用限界と合わせて正直に伝える教育が高校の理科でも行
われるようになっている(ソロモン 1993; オグボーン 2006).講演者も文科系学生を対象に,科学の
適用限界,文化や社会との関係を考えさせる授業を試み(東北大学, 2008),具体例を通し「科学
観」を問うならば,彼らは鋭く反応することを知った.法廷の科学リテラシーは,理科教育の反面教師
としても検証されるべき対象なのである.
IARC 2006: IARC Monograph on the Evaluation of Carcinogenic Risk to Human, IARC.
東北大学 2008: 東北大学文科系のための自然科学総合実験テキスト編集委員会(編), 『文科系
のための自然科学総合実験』東北大学出版会.
エヴァンス 2000: 高野隆訳『弁護のゴールデンルール』大学図書; Evans, K. The GOLDEN RULES
of Advocacy,
Blackstone Press, 1993.
大分地裁, 2008: 大分地方裁判所 平成 17 年(ワ)第 64 号 証人調書(2008).
オグボーン 2006: 笠 耐 他監訳『アドバンシング物理 A2』,シュプリンガー・フェアラーク東京,
2006; Ogborn, J. et al, Advancing Physics A2, Institute of Physics, 2001.
ソロモン 1993: 小川正賢他訳『科学・技術・社会(STS)を考える−シスコン・イン・スクール』東洋館出
版社; Solomon J. THE SCIENCE IN A SOCIAL CONTEXT (How Can Be Sure?), Association for
Science Education (U.K.), 1983.
C-2-1【WS】科学と法の接点 ~ 法廷における科学
戦後日本の食品関連訴訟における科学論争
○中島貴子(東京電機大学)
1.
はじめに
戦後日本の法廷にもちこまれた科学技術関連の訴訟のうち,食品分野の案件は相対的に少数だ
が,それらは食環境の激変に対応して「公害型訴訟」と「不安訴訟」に大別できる.
「公害型訴訟」とは,誰の目にも明示的な被害が現れたのちに,検察もしくは被害者が加害者を提
訴するもので,高度経済成長期を時代背景とする.他方,「不安訴訟」とは,被害実態が明示的とは
いえない段階で,将来的な被害の可能性に対して強い不安感を抱く一般人が,その不安感の源と
なる科学技術の利用を認めた行政を提訴するもので,グローバル経済を時代背景としている.
本発表では,公害型訴訟の典型例として「森永ヒ素ミルク中毒事件」の刑事訴訟 1 と「カネミ油症事
件」の民事訴訟 2 に,不安訴訟の典型例として「残留農薬基準取消し請求訴訟」 3 と「遺伝子組換えイ
ネ野外実験差止め請求訴訟」 4 を取り上げ,各々の訴訟において重要な争点となった科学論争に注
目する.
2.
公害型訴訟と不安訴訟における科学論争の相違点
公害型訴訟と不安訴訟では,時代背景,被害実態の有無,原告・被告の立場が異なるが,重要な
争点となる科学論争の性格も異なる.
1
森永ヒ素ミルク中毒事件とは,森永乳業(株)徳島工場が製造販売した乳児用粉ミルクに工業廃物由
来のヒ素化合物が混入した食中毒事件(死者 131 人,中毒患者1万 2159 人,1956 年 2 月厚生省発表).
徳島工場では事件前から工業用第二燐酸ソーダを乳質安定剤として利用しており 2 年間は無事故だっ
たが,1955 年 4 月,高濃度のヒ素を含む粗悪品が工業用第二リン酸ソーダとして納品され,徳島工場で
はそれを従前どおり,品質検査をせず利用した.本発表では,同事件に関連する訴訟のうち,以下の刑
事訴訟を扱う.徳島地裁・1963 年 10 月 25 日判決,高松高裁・1966 年 3 月 31 日判決,徳島地裁・1973
年 11 月 28 日判決.
2
カネミ油症事件とは,カネミ倉庫(株)が製造販売した食用油に PCB とダイオキシン類が混入した食中
毒事件(届出者 1 万 4627 人,1969 年 7 月厚生省集計,認定患者 1856 人,1986 年 12 月厚生省発表).
PCB は米ぬかから食用油を精製する脱臭工程の熱媒体として利用されていた.食用油に PCB およびダ
イオキシン類が混入していた事実は確認されているが,その経路の真相は不明である.本発表では,同
事件に関連する訴訟のうち,以下の集団民事訴訟を扱う.福岡地裁・1977 年 10 月 5 日判決,福岡地裁
小倉支部・1978 年 3 月 10 日判決,福岡地裁小倉支部・1978 年 3 月 24 日判決,福岡高裁・1982 年 1
月 25 日判決,福岡地裁小倉支部・1982 年 3 月 29 日判決,福岡高裁・1984 年 3 月 16 日判決,福岡地
裁小倉支部 1985 年 2 月 13 日判決,福岡高裁・1986 年 5 月 15 日判決.
3
残留農薬基準取消し請求訴訟とは,厚生省(当時)が 1992 年 10 月 27 日に従来の食品中残留農薬基
準を大幅に緩和した新基準を告示したことに対して消費者 135 人が不安を訴え,新基準の取消しを求め
た行政訴訟.東京地裁・1997 年 4 月 23 日判決,東京高裁・2000 年 9 月 28 日判決.
4
遺伝子組換えイネ野外実験差止め訴訟とは,(独)農業・食品産業技術総合研究機構の北陸研究セン
ターが国家プロジェクトの一環として推進する遺伝子組換えイネの野外実験に対して,近隣のコメ生産農
家ら住民 15 人が差止めを求めた民事訴訟.事態の緊急性に鑑み,仮処分申立てで始まった訴訟は,新
潟地裁高田支部,東京高裁,最高裁のいずれにおいても却下されたため,これを不服とする住民側は 2
年目の野外実験に対し,2005 年 12 月 19 日,新潟地裁高田支部で本訴を起こした(2008 年 8 月現在,
係争中).遺伝子組換えイネ裁判公式サイト,http://ine.saiban/com/.
C-2-1【WS】科学と法の接点 ~ 法廷における科学
公害型訴訟における科学論争とは,刑事責任もしくは賠償責任の追及に必要な限りにおいての
因果関係論争である.したがって,被害の全体像の解明や再発防止を目的とする事故調査とは似て
非なるものである.一方,不安訴訟における科学論争とは,原告が主張する不安の科学的妥当性を,
当該科学技術の利用制限(取消しや差止め)に関する司法判断に必要な限りにおいて争うものであ
る.したがって,将来的な被害の可能性に関する真理の追究ではない.
3.
公害型訴訟と不安訴訟における科学論争の共通点
以上のように,公害型訴訟と不安訴訟では,争点となる科学論争の性格が異なるが,論争の展開
様式には共通性が見出せる.それは,論争の枠組み(問題設定)と証拠収集機能が科学論争の帰
趨を決めているという特徴である.
森永事件の刑事訴訟の原審は,この種の訴訟としては異例中の異例ながら,被害立証を欠いたま
ま結審し,被告の無罪を判じた.その理由は,工業用第二燐酸ソーダのヒ素含有量に関する検察官
の誤った思い込みが,争われるべき被害立証以外のところに論争の枠組みを設定してしまったこと
にある.この過ちは,差戻し第一審の逆転有罪判決が確定したことにより修正されたが,そこに至るま
で 18 年余りを要したことの意味は重い.
カネミ事件の民事訴訟では,いずれの訴訟においても PCB の混入経路が争点となったが,被告側
が新証拠を提出したことによって,裁判所の見解がわかれ,賠償責任の認定にも不一致がみられ
た.
残留農薬訴訟では,論争の枠組みが農薬の毒性学ではなく,農薬の一日許容摂取量の設定過程
に関する国際比較に転換されたことに加え,裁判所の文書提出命令によって原告側に新たな情報
が開示された結果,原告が主張するところの不安感に一定の科学的妥当性が認められることになっ
た.
目下,係争中の遺伝子組換えイネ訴訟では,遺伝子組換えによって導入された抗菌タンパク質に
対する耐性菌出現の可能性が主要な争点のひとつとなっている.具体的には,耐性菌出現の理論
的可能性に関する最先端の科学的知見を迅速かつ正確に証拠として採用する情報収集能力を双
方が競い合った末,当該実験田における耐性菌出現の有無を第三者が鑑定する運びとなってい
る.
4.
「法廷と科学」の論点と現実的課題
本発表では,戦後日本の食品関連の公害型訴訟と不安訴訟の相異点や共通性の含意を考察し,
法曹の科学リテラシー,法曹と科学者・技術者の協力体制,審理過程で可視化された新たな問題の
ゆくえなど,「法廷と科学の接点」をめぐる論点や現実的課題について問題提起をしたい.
主な参考文献
中島貴子 2008:「リスク社会における不安訴訟の役割と課題:残留農薬訴訟と遺伝子組換えイネ
訴訟を例に」城山英明編『政治空間の変容と政策革新 6 科学技術のポリティクス』東京大学出版
会,129-152.
中島貴子 2007:「食品のリスク評価と専門知の陥穽に関する歴史的考察-森永ヒ素ミルク中毒事件
C-2-1【WS】科学と法の接点 ~ 法廷における科学
を中心に」『日本の科学者』42(5),10-15.
中島貴子 2005:「森永ヒ素ミルク中毒事件 50 年目の課題」『社会技術研究論集』3,99-101.
中島貴子 2003:「カネミ油症事件の社会技術的再検討:事故調査の問題点を中心に」『社会技術
研究論集』1,25-37.