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る方にエラーする傾向を持つ)のだとしている.また女性の方がリスク回避的なのでより信心深いという現象と合致し
ていると主張している.宗教の起源については,さらにいろいろな説明が近時なされており,そこにも言及が欲しいと
ころだ.
政治的に微妙なのは,自爆テロがイスラムに多い理由についても言及しているところだ.おそらくこの部分が引っか
かって本書の出版はいくつもの出版社から断られたのだろう.著者の主張は,まずイスラムの自爆テロは他のテロと異
なり明確な目的のない殺戮に近いこと,それはイスラムは一夫多妻を認めており,資源のない男性から見ると配偶機会
を巡る競争が厳しいこと,コーランで殉教者には72人の処女を与えると約束されていることが原因として効いているの
だという.さすがにこれは単純化し過ぎではないか.社会文化の特質や,殉教者の家族が地域からどういう扱いを受け
ると期待できるかなどの論点も重要なのではないかと思う.独身女性が海外旅行好きなのに独身男性がそうでないの
は,地位を示すコストの高いディスプレーが文化が異なると意味を持たなくなるからだという仮説もなかなか面白い.
しかし資源のない男性から見ると逆ではないかという気もする.
最後に,なお進化心理学にとって説明できない難問をいくつか示している.ここは,しかし,私にとってはもっとも納
得感のない部分だった.まず同性愛についてはいくつかの仮説が提示されているが,まだよくわからないと認めてい
る.これは妥当な部分だ.成熟した産業社会になると少子化することを
としているが,ここは疑問だ.著者は理屈で
は繁殖の究極因が意識的でないことを認めているが,この部分では混乱してるように思われる.成熟した産業社会は進
化的な過去にはなかったのだから,
様だ.子供が親を愛することが
かなのだから,
でも何でもないように思う.兵士が国を守るために命をかけることについても同
だとしてるが,ここも理解できない.子供にとっても親があった方が有利なのは明ら
でも何でもないのではないか.そして親から子への愛と子から親への愛では,予想通り,その強度は
異なっているように思う.おそらく進化生物学への造詣が浅く,心理メカニズムが過去環境に適応した無意識のメカニ
ズムであるということがきちんと落ちていないのではないかと思う.
全般的に本書は,仮説と検証された事実をきちんと叙述し分けてはいないので,ある意味で誤解されやすい書物に仕上
がっていると思う.そういう意味で自然科学の啓蒙書としては叙述はかなり大胆で,かつややスロッピーだ.このよう
な印象を持つのは,1つには社会科学では普通なのかもしれないが,なお確証の無い説でも断定的に主張するスタイル
をとっていることにあると思われる.そして残念ながら微妙に進化生物学の理解が浅いと思われるところがある.この
部分をふまえて読めば,本書は最近の進化心理学で議論がなされているトピックについて(通常の著者が避けるような
話題にも)踏み込んだ記述がなされており,どのようなことが議論されているのか,よく議論されている仮説にはどの
ようなものがあるのかを知るには大変参考になる書物である.また引用,参考文献をきちんと収めてあり,恋愛指南書
的な企画の中で良心的な邦訳書の作りだと評価できるだろう.
18. 生態と環境
松本忠夫・長谷川眞理子 シリーズ 21世紀の動物科学11 培風館
978-4-563-08291-8
82
07.09.27
3,800
08/03/02
これはシリーズ「21世紀の動物科学」の一冊.編集が松本忠夫先生と長谷川眞理子先生と言うこ
とで迷わずゲットした本だ.さて,本書は生態と環境について様々な観点から見た5章が,それ
ぞれの専門の研究者によって語られる構成になっている.本書を魅力的にしているのは,それぞ
れの章が,対象動物のミクロな点に密着して描かれており,ナチュラルヒストリーものとしても
十分に深いものになっているところだ.
第1章は
口広芳による鳥の渡りの物語.衛星追跡による渡りのルートを解析していくお話で,
既刊の「鳥たちの旅」の概要のような内容になっている.まず,ロシアと中国を往復するソデグ
ロヅル,出水で越冬するマナヅル,東南アジアを大
トが次々と示され,
回ルートの
回するハチクマ,ヒマラヤ越えのアネハヅルと魅力的な渡りルー
,中継地,季節とルート,年変異,ナビゲーションの仕組み,ミクロな動き,途中
断念するホウロクシギ,親子の別れが語られる.とにかくわかったことを提示してこれからの課題を示すというオーソ
ドックスな構成になっている.
第2章は堀道雄によるタンガニイカ湖の魚類集団と左右性の動態.堀先生は「タンガニイカ湖の魚たち」(1993)とい
うシリーズ「地球共生系」の1冊を編集,執筆されている.なかなか面白かったが,その後の進展が語られていて興味深
い.タンガニイカ湖のシクリッドにはスケールイーターと呼ばれる鱗食専門家がいることで有名だが,それは獲物の左
から襲う専門家と右から襲う専門家が,形態的に分かれていて,きれいな頻度依存淘汰を見せている.この純粋な頻度
依存理論に当てはまるデータも見事に示されている.しかし本章の驚きはここからだ.なんとこの左右性はこの鱗食魚
に限るわけでもタンガニイカ湖のシクリッド特有でもなく,ほとんどすべての魚にみられるというのだ.そしてその形
態分化データは見事な二山を示していて感動的だ.さらに魚食性の捕食魚にはこの形態に合わせて,左からおそうのが
得意のものと逆のもの,エサとなる被捕食魚にも左利きの捕食者から逃げるのが得意なものと逆のものがあって,時間
的に追いかける形の相互作用を頻度依存淘汰にかけて,頻度が振動しているのだ.ナチュラルヒストリーが驚きに満ち
ていることをとてもよく示してくれている.
第3章は石川統先生の弟子にあたる深津武馬による昆虫と微生物の内部共生.昆虫とその内部共生微生物については近
年,ブフネラ,ボルバキアの話が有名だが,期待に違わずそこをしっかり描いてくれている.共生の概念整理のあと,
アブラムシとブフネラの共生をはじめ,様々な内部共生が紹介される.その後,必須共生と任意共生,任意共生の多重
性とその実例・解釈,宿主の生活史への影響,必須生物機能の代替現象にふれ,真打ちとも言うべき共生微生物による
宿主操作の問題に移り,ボルバキアの様々な操作現象が解説される.ここで遺伝子視点からの解釈や包括適応度の議論
が期待されるのだが,そこはあまり議論されていない.ちょっと残念な部分だ.面白いのは,任意共生だが必須共生に
なっているボルバキア感染について,一度感染したら必須物質を生産して宿主をそれに依存させてしまう「中毒」関係
ではないかという解釈だ.また内部共生微生物のゲノム解析からの知見として,A/T蓄積や,ゲノム縮小などの議論が紹
介されている.なかなか面白い章に仕上がっている.
第4章は三浦徹による環境要因による節足動物の表現型改変機構.これは至近メカニズムに焦点を当てた章になってい
て,アブラムシ,ミジンコ,社会性昆虫の環境に応じた表現型多型の発生のスイッチ機構の話が語られる.調べるにつ
れていろいろなことがわかってくることに対する研究者の興奮が伝わってくる内容だ.
最後の第5章は浅見崇比呂によるカタツムリの左右.巻き貝の左右性にかかるとても興味深い論考が収められている.そ
もそも左右性には発生当初からの起源で内臓配置にかかる1次左右性と,その後発達する2次左右性があるそうだ.そし
て巻き貝の左右性は1次左右性であり,かつ単純な(通常右巻き優性の)メンデル遺伝だが,表現型は,その遺伝子型を
持つ母親が産む子供の殻に現れる.(このため左右で交尾困難でも同所的な配偶隔離は生じない)そして観察事実とし
ては右巻きのみ固定しているものが多く,左巻きも一部にあり,左右の多型のある種はまれだ.これにかかる適応的解
釈は,まず左巻きに何らかの不利がある安定的淘汰があるというもの,そして頻度が多い方が有利になる正の頻度依存
淘汰があるというもので,この2説は互いに排他的ではない.そしてそれぞれの解釈を指示する事実が紹介される.読む
限りでは,この中で最も重要なのは,右巻き貝と左巻き貝の間で交尾がしにくいという頻度依存メカニズムのようだ.
だから小集団で浮動により逆転が生じる可能性がある.そして面白いのは,ある種の右巻き貝と左巻き貝がパッチ状に
分断している分布データ,そして,単系統内で系統分析をしてみると,右から左への転換が一度,左から右への転換が
数度現れているというデータは,これまでの解釈と左巻きが劣勢である事実と符合しているという解釈だ.また実際に
右巻きで固定している種で左巻き貝を見つけるのは困難であり,いろいろな操作実験をやりたくてもできないのだが,
偶然あるカタツムリの左巻き貝を入手して,そこから左巻き系統を作れた話は楽しいし,過去興味深い報告があった熱
帯産の陸貝がいくつも絶滅してしまっているという話はもの悲しい.左右が同所的に分布している種は,左右に特化し
た捕食者の存在で負の頻度依存淘汰が生じれば可能になる.ある種のヘビはその候補であり,今後面白そうなテーマ
だ.最後に本章はマレイマイマイにおける左右性の分布状況,系統状況がまだまだ多くの
終えている.ここも味がある.
を残していることを示して
本書は,専門家向けの専門書ではあるが,全体として楽しい玉手箱のような本に仕上がっている.(私としては共編者
の長谷川眞理子先生のコメントが収録されていない点がちょっと残念だったが,)ナチュラルヒストリー好きには答え
られない一冊だろう.
19. ふしぎな生きもの カビ・キノコ
菌学入門
ニコラス・マネー 築地書館
82
07.12.25
2,800 978-4-8067-1357-9
08/04/10
Mr. Bloomfield's Orchard :The Misterious Worls of Mushrooms, Molds, Mycologists Nicholas P. Money
Oxford University Press
2002
小川真
菌類学者の書いた菌類の本だ.主に菌類と菌類学者の生態について淡々と書かれているのだ
が,とても風変わりで味のある書物に仕上がっている.特に英国人特有のとぼけた味わいの
ジョークがちりばめられていて楽しい.訳者も菌類の専門家のようで,邦書のイラストも手
がけているようだ.訳者あとがきでは日本の読者になじみのないジョークはカットしたとあ
るが,それはちょっと残念だ.
菌類についての記述は主にその生態,適応形質の仕組みについてが主体となっている.まず
腹菌類とそのキノコの胞子散布戦略で,胞子散布のメカニカルな仕組みを解説し,人の感染
症たる数々の真菌症の病原菌を次々と紹介して読者を恐怖に陥れる.それにしても免疫が
弱ったときの日和見感染の恐ろしさは格別だ.続いて菌糸とは何かについて詳しく語られ
る.読んでいくと,光合成を行う植物とは異なって,菌類が何か栄養のあるものに取りつい
てそこから栄養を引き出すための仕掛けが菌糸であり,取りつく表面を突破するための化学的な仕組みと潜り込むため
の物理的な仕掛けが重要であることがわかってくる.化学的な仕組みは強力で動物の皮膚でも岩石でも侵入してしまう
のだ.これを読んでしまっては,しばらく使っていないカメラやら双眼鏡のレンズの掃除をあわてて行わざるをえな
い.このあと酵母から冬虫夏草まで含む子嚢菌類の様々な生態を使用してくれる.昆虫との化学的な軍拡競争,同じ菌
が酵母型になったり菌糸型になったりする戦略とそれを巡る学会での論争.トリュフの構造の進化などが次々と紹介さ
れる.
ここで話は一転,過去の偉大な菌類学者の変人振りがたっぷり語られる.菌類への愛に生きた独身主義の学者ブラーや
過激なアマチュア学者ロイド達の逸話は秀逸だ.
後半は,水中で落ち葉をはじめ様々なものを栄養源として繁殖する菌類,水中を泳ぐ胞子の仕組み,有性生殖世代の
様々な戦略が語られる.ちょっと面白いのは著者はキノコ狩りは菌類へ過大な負担をかける恐れがあると反対している
ところだ.続いてキノコの毒についての蘊蓄.人に対して遅効性の効力がある毒は哺乳類の食害に対する防御適応とは
考えにくく,昆虫への防御物質の副産物ではないかとの主張.そのほかいろいろな毒キノコの逸話が楽しく語られてい
る.最後に農作物に対する病原菌としての菌類が紹介されている.
どのページも菌類に対する愛であふれている.究極因を巡る記述はそれほど多くないが,適応形
質のメカニズムについては詳しく語られていて飽きさせない.冒頭にも書いたがとぼけたジョー
クも秀逸で読んでいて楽しい本だ.
なおこの続編とも言える本も出版されていて同じように面白かった.(チョコレートを滅ぼした
カビ・キノコの話)
20. ホモ・フロレシエンシス(上)(下)
1万2000年前に消えた人類
日本放送出版協会 82
マイク・モーウッド,ペニー・ヴァン・オオステルチィ NHKブックス
08.05.30
970
978-4-14-091112-9 970 978-4-14-091113-6 08/06/20
The Discovery of the Hobbit :The Scientific Breakthrough That Changed the Face of Human History
Mike Morwood, Penny van Oosterzee 2007 馬場悠男
仲村明子
2004年にセンセーショナルに発表された南の小島にわずか1万数千年まで生存していた
ホモ・エレクトゥスから派生した矮小種ホモ・フロレシエンシス.その後これに対して
懐疑的な学者との間で論争が生じていると報じられている.確かにオーストラリアに4
万年以上前にホモ・サピエンスが渡っているなかでこのようなことが可能なのだろうか
と第一報を聞いたときには感じたものだ.本書はその発見者(及びサイエンスライ
ター)による記録と主張であり,ホモ・フロレシエンシスに興味のある人にはまさに待
ち望まれた本だと言える.本書は筆者がまずどうしてインドネシアの化石に興味を覚え
るようになったのかから始まり,発掘物語,その学術的な解釈,さらに人類化石発見を
巡る確執の人間ドラマが綴られている.
冒頭はフローレス島の様々な側面について紀行文的に語られるところから始まる.この
島が面白いのはまさにウォーレス線の東側にあり,簡単に陸生動物はアジアから渡れな
い位置にあり,アジアからオーストラリアへの拡散ルートの1つの可能性も持っている
という生物地理的に興味深い特徴を持つところにある.そしてこれまで旧石器時代の石器が発見されており,ホモ・エ
レクトゥスがゾウやオオトカゲと並んでたどり着いているらしいのだ.だからかなり隔絶した環境で数十万年間・エレ
クトゥスがここで進化した可能性は十分あることがわかる.本書は続いて発掘物語にはいる.現地での調査の難しさや
面白さ,作業の特殊性などがいろいろ語られて楽しい物語だ.その片側でこれから始まる科学論争の基礎知識講座もさ
りげなく解説されている.ウォーレス線の意義,プレートテクトニクスから見た東南アジア,古気候,年代測定法,ホ
モ・サピエンスを巡る単一起源説と多地域説,農耕・言語から見る現生人類の歴史などだ.
そしていよいよ問題の化石の登場だ.小さな初期人類の化石が発掘される.頭蓋は小さくアウストラロピテクスなみ
だ.ここで人類化石を巡る様々な考え方や知見が述べられる.最初に化石を調べたピーター・ブラウンはホモ属ではな
いという意見だったが,著者モーウッドはホモだという意見に傾く.ここでこれまで発見された初期人類の化石のあら
ましが説明される.著者はドマニシ化石を重視しているようで,今回発見された化石人類はエレクトゥスから派生した
ものですらなく,その前にさらに古いハビリス的な人類がアジアに広がったのではないか(そしてその共通祖先から
ジャワのエレクトゥス,フロレシエンシスなどが派生した)と考えているようだ.ここで信じられないほど新しい年代
測定値(1万8千年前)がわかる.このときの知的な興奮振りはよくわかる.著者は生物地理学における島の法則,特に
ホモ・サピエンスを含む捕食者の存在にかかる身体の大きさの法則を説明する.島では捕食者がいなければ身体は小さ
くなり,いれば大きいままだということがこのフローレス島におけるステゴドンからもわかるのだという.するとエレ
クトゥス(あるいはハビリス)が島に渡来して,かつサピエンスの渡来前,何十万年も生活するうちに小さくなってい
くことは十分あり得るし,ホモ・サピエンスのオーストラリア渡来ルートが北回りでフローレス島への到着が比較的最
近なら,1万数千年前という時代まで矮小化した人類が島に生存し続けたことはあり得るだろう.著者は発見された化
石がが矮小化進化をした初期人類だという方向にチームをまとめ,ネイチャーに発表することに漕ぎつけるのだ.発見
後は世界のメディアの反響と,化石を巡る政治的な状況,特にインドネシア人類学者の大物ヤコブ教授との化石の占有
を巡る争いが描かれる.人類化石にはよくあるみにくい光景だ.アン・ギボンズの「最初のヒト」あたりに比べるとま
だ穏やかな方だが,どうしても研究材料が特定されていて,掛け金が高いとこうなってしまうのだろう.本書ではヤコ
ブは決定的に悪者に描かれているが,この対立の元には欧米と旧植民地アジアの間の知的発見にかかる南北問題がある
らしい.巻末に馬場悠男教授による中立的な解説があるのがちょっとほっとさせられる.そしてホモ・フロレシエンシ
スの実在を巡る学術的な論争も本書のポイントの1つだ.しかしホモ・フロレシエンシスの実在を否定し,小頭症のホ
モ・サピエンスだとしてがんばっている学者の多くは,実は現生人類多地域進化説支持者であることが明らかにされ
る.彼等にとってはとても都合の悪い化石なのだ.多地域進化説擁護のための主張だとしたらこれはかなり筋悪の議論
だろう.
とにもかくにも発見者による本書はホモ・フロレシエンシスに興味のある人にとっては必読本だろう.もちろん論争の
当事者なのだから自説に有利なことを主に取り上げているが,その根拠についても詳しく述べられているので,読者は
自分でいろいろと考えることができる.私の受け止め方は本書における主張についてかなり肯定的だ.もう一度掲載さ
れている化石の写真をよく見ると素人目にもこれがホモ・サピエンスとまるで異なり,エレクトゥスに近い特徴がある
ことがわかる.特におとがいが発達していないこと,眼窩上の隆起などでそれが顕著だ.また頭蓋以外では12体にもわ
たる同一の特徴を持つ骨の化石が発見されている.エレクトゥスはジャワ島にまでは達しており,石器からはフローレ
ス島に渡っていることがほぼ明らかだ.何十万年という時間は矮小化が生じるには十分であり,サピエンスが最近まで
フローレス島に渡来していなかったなら1万8千年前のフロレシエンシスの存在がありそうもないと考える理由はないだ
ろう.論争は続いているようだが,もう一体頭蓋(の一部でも)化石が発見されれば,決着がつくだろうという強い印
象を持った.
21. 選挙のパラドクス
なぜあの人が選ばれるのか?
978-4-7917-6415-0
ウィリアム・パウンドストーン 青土社
08.07.02
2,400
08/07/21
Gaming the Vote :Why Elections Aren't Fair (and What We Can Do About It)
William Poundstone
82
2008
篠儀直子
ウィリアム・パウンドストーンは「囚人のジレンマ」とか「パラドックス大全」とか「ラ
イフゲームの宇宙」とか「天才数学者はこう
ける」などの著者で,ちょっと面白い数学
の問題と実社会がどうつながっているかをうまく裁いてくれるコラムニスト兼サイエンス
ライターだ.ただ本書はこれまでの本とちょっと雰囲気が違っている.原題は「Gaming
the Vote」.投票者の投票を使ってゲームをする,手玉にとってもてあそぶという感じだろ
うか.出版は今年(2008年)の2月.大統領選挙の年にあわせてリリースされていて,いま
の投票システムに関するかなり先鋭的な問題意識が背後にあるのだ.
また本書は導入部分がなかなか濃い.1970年代から90年代までのルイジアナ州知事選挙を
巡る奇怪な状況を延々と説明するのだ.そしてエドワーズという(著者によると)悪徳政
治家がいかに票を操って知事になり得たかが語られる.そして本書の本題は,通常の「1名
に投票しもっとも得票の多い人が当選する」というシステム(これを相対多数投票と呼
ぶ)がどのような欠陥を持っているのか,そしてどうしたら改善できるのかというところにある.特に問題になるのは
「票割れ」だ.これは米国のような2大政党制では共和党から1人民主党から1人候補が出るのだが,第3の候補がたまた
ま民主党よりだと民主党支持者の票が割れて共和党候補者が有利になってしまうという問題だ.まさに2000年ラルフ・
ネーダーの立候補によりフロリダでゴアがブッシュに敗れたように.本書では冒頭にはこの例を用いずに(後には出て
くる),ルイジアナの醜悪な例を出しているのだが,これはなかなかのお話だ.このあとゲーデル,ノイマンの考えか
ら始まってケネス・アローの不可能性定理が簡単に触れられる.アローが証明したのは,いくつかの常識的な条件を満
たす投票システムを作るのは不可能だということだ.ここではその条件は簡単に述べられているが,証明についてほと
んどふれられずにちょっと不満の残るところだ.恐らく通常の読者には難解だというところで見送られたのだろうが,
少しでも多くのアメリカ人に読んでもらい問題意識を持って欲しいという気持ちがこんなところにも現れているのかも
しれない.
本書はここからとても濃いアメリカの政治史に戻る.票割れの実例が詳細に次々に説明されていくのだ.ちょっとした
数学の話を期待して読み始めた日本の読者はここでたまげてしまうだろう.しかしアメリカの現代政治に,あるいは大
統領選挙に興味があれば,ここは相当面白い.南北戦争前の1844年,1848年,1860年の大統領選挙.ここでは奴隷制
の問題が票割れと結びつき,南北戦争への道にも直結している.1884年,1892年の大統領選と禁酒運動.1912年の大
統領選と共和党のタフトとルーズヴェルトの争いがウィルソンを有利にした古典的票割れ事例,1992年の大統領選とペ
ローの出馬.そして2000年のラルフ・ネーダー(ネーダーはゴアに個人的な恨みがあったのだということがほのめかさ
れている,それで世界の8年間が変わったとすれば確かに何かがおかしいのだろう).おなじ2000年の大統領選関連で
は共和党の予備選でのブッシュとマケインの争い(この事例は票割れではなく,カール・ローヴの「汚い」手口に関す
るものだが)も描かれている.次は政治コンサルタントの実態暴露だ.彼等は相手候補への中傷(ネガティブキャン
ペーン)と票割れの誘導が仕事なのだ.ネガティブキャンペーンに関しては,1960年から1980年代まではテレビの影響
が大きく中傷合戦はやや下火だったが,インターネットの時代になってこれは元に戻っているという.そして票割れの
誘導だが,これは密かにやっていたのがだんだんおおっぴらになっているという.共和党はもはや「敵の敵は味方」と
ばかりほとんど公然と緑の党の候補者に寄付したりしているのだそうだ.2004年大統領選で共和党はひそかにネーダー
に支援の手をさしのべ,民主党はムーアを応援しようとしたのだ.2006年以降この傾向はいよいよ激しくなっていると
して,いくつかの具体例もあげられている.いずれもすさまじい.
ではこれにはどのような対策があり得るのだろうか.本書は後半部分でいろいろな一見うまくいきそうなシステムがな
ぜ完全な解決策になり得ないのかを具体的に解説する.ここはまさに「悪魔は細部に宿る」を地でいく感じだ.まずす
べての候補者をそれぞれ一騎打ちさせてすべての対戦で勝てばそれを当選者とする方法.(これはコンドルセ勝者と呼
ばれる)それからすべての候補書に順位をつけさせて,最下位に1点,上位に行くにしたがって1点ずつ増した得点を与
える.(4人いれば,順位1位が4点,2位が3点という具合)これを合計した得点が最も多いものを当選者とする.(こ
れをボルタ式と呼ぶ)コンドルセ式は循環が生じる可能性がある.ボルタ式はうまくいくように感じるが,実はひいき
の候補者を有利にするためにわざと有力ライバルを最下位におくという戦略的な投票が生じることを防げない.3人の争
いで有力ライバル陣営双方がそうすればもっとも望まれない泡沫候補が当選してしまうのだ.では即時決選投票はどう
か.これは有力ライバル双方が過半数をとれないときは,決選投票を行うという考え方だ.このためには投票時には全
員の順位を投票してもらい,一位の票が最下位だった候補者から脱落させ,その票が第2位にしている候補者に足してい
くというプロセスを繰り返す.これは本当に泡沫候補しかいない場合にはうまくいくが,当選可能性がある3者の争いで
はうまくいかない.これも戦略投票が生じるのを防げないのだ.決選投票で負けるかもしれないある有力候補者の支持
者は,ライバルが決選投票に来ることを阻止するために,第3の候補に一部の1位票を与えることができる.ここまで読
むと何となく力学がわかってくる.票割れ回避のためにどのようなゲームのルールを作っても,3人以上候補者がいると
きに「敵の敵は味方」としてライバルをけ落とすために第3者を支援するという戦略が生じてしまうのだ.原題の
「Gaming the Vote」というのは政治家サイドだけでなくまさに投票者たちの問題だということなのだろう.
次の試みはすべての候補者をOKかNGか決められるというもの(つまりそれぞれに1票いれられる,これを是認投票と呼
ぶ).是認投票は,一見票割れを回避でき,中間候補にも当選のチャンスがありうまくいくように思える.しかし中間
順位の候補者にチェックを入れるかどうかという恣意的な選択が大きな結果の差異をうみ,このためある意味で他の投
票者がどうしているかの読み合いが重要になり,すべての投票者が戦略的にならざるを得ない状況を作る.そして最悪
の戦略投票の問題もやはり回避できない.リベラル2人に保守1人という候補者に対し,過半を占めるリベラル支持派が
票割れを防ぐにはこの両候補をともに是認すればいい.しかしここにいたると突然両リベラル候補者同士の争いにな
り,片方の候補が勝つには,もう片方の是認票を少なくする必要が生じる.そしてこの戦略をやり過ぎると保守派が
勝ってしまうのだ.
その次はコンドルセ勝者を見つける投票だ.これはコンピューターの発達がアイデアを実現可能にした.全候補者に順
位をつけさせて,その順位を元にしらみつぶしにすべての対戦をおこなう.そして循環が生じたときには複雑な方式で
勝者を選ぶ(シュワルツ式耐クローン性逐次消去法などと呼ばれるアルゴリズムがあるそうだ).しかしこれもまたラ
イバルを最下位におくという戦略投票の問題を解決できない.特に循環が生じそうな場合にはその解決アルゴリズム次
第で結果は大きく動き,戦略投票の問題が過激化する.
最後の試みは範囲投票だ.これは各候補者に5点満点(7点でも10点でもよい)でそれぞれ評価点を与え,それを合計す
るというものだ.一見これは投票者に大変な負荷を与えるように思えるが,実はよく考えると全員の順位をつけるより
はずっと易しい課題なのだ.しかしもちろんこのシステムも戦略投票を排除できるわけではない.(完全に戦略的にな
れば,このシステムは是認投票とほぼ同じになる)アローの不可能性定理からわかるように完璧な投票システムはない
のだ.ではどれがもっともましなのだろうか.本書はここでウォーレン・スミスの研究を紹介している.N個の政治的
な焦点がある場合にM人の候補者をN次元にランダム配置し,投票者が正直な場合と戦略的な場合に分けてシミュレー
ションを繰り返したものだ.これによるともっとも望ましくない投票方式は相対多数投票,もっともロバストなのは範
囲投票ということだ.
最後に本書は政治的現実について補足している.相対多数投票を改めようとする動きは2000年の大統領選挙という
ショッキングな選挙があったにもかかわらず大きな動きになっていない.それは,1つは学者間でどの方式が良いかの
論争が続き,お互いに足を引っ張っているからのようだ.しかしそれだけではなく,このような技術的な詳細があまり
大衆の興味を引かないことにもあるのだろう.また著者は現在相対多数投票だから2大政党制になっているのであり,
票割れを防ぐ投票システムになればより多党化するのではないかという指摘もしている.それも真実だろう.本書はし
かし最後にそれでもいまの投票システムがよいものでない以上何らかの一歩を踏み出すべきだというメッセージを送っ
て終わっている.
本書はアメリカの政治状況も面白いし,投票システムの詳細も面白い.しかしやはり純粋におもしろがってばかりいる
べき状況ではないのだろうと思わせてくれる本だ.日本でも衆議院の小選挙区や多くの首長選では相対多数投票方式で
あり,原理的にはまったく同じ問題を抱えているはずだ.次の衆議院選挙では共産党がすべての選挙区に候補者を立て
ることを止めるため,そのような約半分の選挙区では民主党が有利になるといわれている.これは一種のスポイラー
(票割れを起こさせる候補)の裏返しだ.実際に多くの選挙で公認漏れの無所属の立候補が票割れを生じさせて選挙の
行方を変えている.これに対して正しい民主主義の観点からの議論はあまりなされていないのではないだろうか.近い
将来自民党が自候補以外に票割れ目的で環境重視派候補を立候補させようとしたり,民主党が別の保守派を密かに支援
したりすることが生じるのだろうか(あるいは私が知らないだけで既にそうなっているのだろうか).仮に日本で範囲
投票が実施されたらどのような結果が生じるのだろうか.それは今より望ましくなるだろうか.このような票割れ回避
システムは既存政党の公認を通じた議員への締め付けを行う力を減少させるので政党側からは嫌われるのではないだろ
うか.読み終わったあといろいろと考えさせてくれた本であった.
22. 心を生みだす遺伝子
ゲアリー・マーカス
岩波書店
82
05.03.24
2,800 4-00-005389-2
08/07/05
The Birth of the Mind :How a Tiny Numbers of Genes Creates the Complexities of Human Thought Gary Marcus 2004
大隅典子
本書はスティーブン・ピンカーの弟子に当たる言語獲得とコンピュータモデリングを研究する
認知科学者ゲアリー・マーカスによる心と遺伝子に関する本である.原書の出版は2004年,本
書は2005年に出されている.本書も大きなカテゴリーとしては「氏か育ちか」論争に関わる本
であり,その切り口としてはマット・リドレーの「やわらかな遺伝子」と同じであり,遺伝子
が具体的にどう発現していくかを詳しく語ることにより,世の中の「遺伝子か環境か」という
二者択一的な問題のとらえ方にかかる誤解を解こうとするものである.興味深い論点として
は,脳の発達にかかる柔軟性をどう考えるか,遺伝子が3万より少ないことの意味は何か,とい
う問題を本書全体のテーマと設定している.
マーカスはまず赤ちゃんの認知や動物の行動パターンを取り上げ,固定的な行動,学習による
行動,分析・認知を前提にした行動などのいろいろなパターンを取り上げ,学習パターンに多様性があること,これに
は生得性が重要であることを特に強調する.そしていよいよ遺伝子の発現の詳細にかかる.脳は生得的な構造パターン
を発現させるが,発達途中では外部からの情報によって調整できる.これは「遺伝子か環境か」論争において,それぞ
れがそれぞれの論者から都合よく取り上げられるものだが,実際には外部入力によって自己を再構成できる能力が生得
的にあるということだと解説する.そしてその仕組みは「組み立て手順」であり,神経系の場合ニューロンの軸索が相
手を探して伸びていき,その目的領域は目的を示すシグナルを送るのだ.そして遺伝子と形質について,それは1対1で
対応しているものではないし,単に酵素に対応しているということでも説明できない.酵素も含めて他の遺伝子の発現
をコントロールする制御遺伝子がネットワーク状に働いているのだと解説している.このあたりはマット・リドレーの
本の中心テーマと同一である.
ここから脳と心についての詳しい解説にはいる.脳の形成とニューロン細胞の分裂,分化,その制御,遺伝子が心や行
動に影響を与えていると考えられる多くの証拠を吟味しながら,他の身体における形質と同じく,心の形成について複
雑に多くの遺伝子が影響を与えあっていることを解説している.ここで遺伝子が複雑に関連しているのだから心がモ
ジュールの集合体であるはずがないというモジュール説に対するよくある批判(なぜそれで批判になりうるのか理解し
にくいが実際に多いのだろう)に,それはモジュールが単一の遺伝子で形成されるという誤解によるもので,複雑な多
くの遺伝子ネットワークにより形成されるモジュールがあっておかしくないのだと答えている.脳の特殊性は,ニュー
ロンの配線によるもので,配線にかかるニューロンが目的地に伸びていくメカニズムの詳細を述べ,それが可塑性を持
つメカニズムは,成長が何らかの信号によって制御されていて,それが外部入力でもよいという形で進化することに
よって得られることを解説する.また記憶の問題も取り上げ,それに分子的な基礎があることを,長期記憶と短期記憶
のメカニズムなどを紹介して説明している.そして進化の文脈ではDNAの冗長性が重要な役割を果たすことを述べ,機
能が重複し分化していく様をクラゲから哺乳類に渡って説明している.
また専門の言語について少し詳しくふれていて興味深い部分になっている.まず言語と思考が異なることについて触れ
たのち,しかし言語は思考の枠組みを決め,復唱を可能にすることで記憶の増強に役立ち,カテゴリー化にも有用で,
複雑な情報のエンコードも可能にしていて,思考に大きな影響を与えているだろうとコメントしている.このあたりは
サピア=ワーフ仮説に対するマーカスの解答であるようだ.何故ヒトのみに言語が進化したのかについては多くの説が
あるがまだよくわかっていないとさらりと流している.
言語と脳のモジュール性については,近年のMRIのリサーチから従来の「ブローカ域=統語法,ウェルニッケ域=語彙」
というのが間違いであることを指摘し,言語はそれまでに進化したいろいろなモジュールをその場限りの工夫で利用す
る形で進化してきた間に合わせのシステムとして理解すべきである(だからいろいろなモジュールを複雑に利用してい
る,つまり言語のMRIデータがモジュール説に矛盾するわけではないと)と解説している.このあたりは近刊の「ク
リュージ:Kluge」においてより深く議論されているようだ.言語についてなかなか面白い考え方で説得力があるように
思う.
言語が進化できた理由については恐らく複数のファクターがあるのだろうと説明している.社会的な心や他人の意図へ
の関心も重要だっただろうが,恐らく必須ではないだろう,最も重要な何かを1つあげるならそれは再帰性だろうとコ
メントしている.ジャッケンドフの言語進化12の段階説については,よくできた話だが,表現型が必ずしも連続的とは
限らないのでまだわからないとコメントしている.また言語を作る遺伝子については恐らく非常に多くの遺伝子が関
わっており,その多くがチンパンジーと共通の遺伝子だろうと述べている.FOXP2遺伝子については,これが制御タン
パク質のコード領域であること,文法のほかに顔の筋肉の制御に関わっていること,チンパンジーに相同遺伝子がある
ことがわかっていることであり,言語の基礎の説明に重要かもしれないし,重要でないかもしれないとコメントしてい
る.
ここまで述べてからマーカスは脳の発達の柔軟性と遺伝子数の少なさという
に答える.まず自己組織化と再組織化
(可塑性)はコインの裏表であり,遺伝子が完璧に仕事をするからこそ,外部入力によって調整,再生が可能になるの
だ.そしてそのような仕組みは有利であり,進化し得たのだろうとコメントしている.遺伝子数の少なさについては
(これはグールドが遺伝子数の少なさから進化心理学に批判的だったのを受けているのだと思われる.恐らくそれを真
に受けて批判する人たちが後を絶たないのだろう)ゲノムの情報はコンピュータファイルでいう圧縮された情報だとい
う比喩を使っている.これはDNA情報が冗長だとよく強調されるのの逆をついていて面白い.生物の身体の隅々を細か
く記述しているのではなく,生物を作る一般的な手順を記述しているのだ.制御情報をあわせた組み合わせ数は巨大で
あり,さらに拡張性のある書式を使っているからだと説明している.なかなか面白い説明だ.マーカスはもう一度よく
ある批判の誤解について丁寧に説明したあとで,心が遺伝子によって影響を受けることの倫理的な帰結についても少し
触れている.身体の形成と同じ仕組みで脳は形成されているのだから,治療も同じようにできる.そして遺伝子治療の
先には遺伝子操作によるゲノムの向上の問題がある.現時点ではそれはリスクが高すぎてとても実用的ではないが,い
ずれ技術の進歩とともに真剣に考えざるを得なくなるだろうと(ある意味では踏み込まずにさらっとかわす形で)結ん
でいる.
全体として本書は,乾いた明るい調子でうまく遺伝子と環境の相互作用について解説した本に仕上がっている.分量も
多くなく,またピンカー譲りのユーモアある部分も随所に見られ,楽しく読める.前半はマット・リドレーの本と同じ
趣旨だが,後半はより心と言語について詳しくふれていていろいろと参考になる.個人的には冗長性のある間に合わせ
システムとしての言語機能という説明と圧縮ファイルとしての遺伝子情報という説明が興味深かった.
23. 先史時代と心の進化
コリン・レンフルー
クロノス選書
978-4-270-00407-4
08/12/07
Prehistory :Making of the Human Mind
ランダムハウス講談社
82
08.09.18
2,300
Colin Renfrew
2007 溝口孝司
小林朋則
原題はPrehistory.歴史以前の歴史ということであり,「先史時代」,そしてそれを解明
しようとする 「先史時代学」の両方の意味があるようだ.著者はインド=ヨーロッパ語
の拡散と農耕を結びつけて論じて著名なコリン・レンフルーであり,書店で手に取った
ときは言語の話が中心かと思ったのだが,読んでみるともっと広いスコープの本だ.本
書では,最初にこの先史時代学の成立の歴史が語られ,その後現在の先史時代学のレン
フルーの考える課題(先史時代学はただ生じたことを並べ立てる学問であってはならな
い,ヒトの心の起源についてアプローチできるはずだ),それへのアプローチが語られ
るという構成になっている.
まず先史時代学の歴史は学説史として大変面白い.そもそも人類に書かれた歴史以前の
歴史があると理解され始めたのはガリレオにはじまる科学革命以降であり,はっきり認
識されるようになったのは19世紀半ばあたりだという.そのころ古代の遺物の発掘から
(これもそもそもは古代の歴史記録が正しいことの証明が動機だという.まさにシュ
リーマンの世界だ)石器・青銅器・鉄器の時代区分が認められるようになり,片方で地質学が発達し,そしてダーウィ
ンの進化理論が世に出てきたのだ.これ以降初めて歴史以前の人類についての学問が成立するようになったのだ.この
あたりの記述ではフリント製の打製石器が雷によって形成されたとまじめに論じられていたなどというエピソードが満
載で楽しいところだ.
いったん成立した先史学は,1940年まで緩やかに発展する.文字以前の古代文明,氷河期の人類(クロマニヨン人や洞
窟壁画)などが理解され,各地における利器の発達や農耕の開始などが解釈・体系化されるようになった.現在から見
ると当時の解釈には絶対年代が不明なことから来る制限,各地で並行的に生じていることをどう捉えるかについての考
察が浅いこと,民族的な偏見などの限界があったということになる.そして放射性炭素革命が生じる.これにより遺跡
の絶対年代が正確にわかるようになった.これは考古学の理論や解釈に幅広い科学的根拠を求めるアプローチを生む.
これらは微量元素分析,民族植物学,動物考古学,気候変動調査などなどの新しいリサーチと一体になり,先史時代の
研究は膨大な量の科学的技法の上に成り立つようになった.
ここまでが先史学の歴史である.そしてここからレンフルーの問題意識となる.現代の先史学は膨大な量の正確な事実
をひたすら記述していく学問になってしまっている.しかし先史学はもっと
を解き,理解を深める仕事をすべきだと
いうのだ.片方で人類進化,拡散についての最近の知見を紹介しつつ,レンフルーの提示する解くべき
は「現生人類
がホモ・サピエンスとして成立した20-15万年前から,1万年前の新石器革命までの時間差は何を意味するのか」だ.要
するに農業革命はなぜ生じたかということだろう.これにあたっては,ヒトの心の起源に迫らなければならないとし,
認知考古学のアプローチが望ましいというのが本書におけるレンフルーの主要な主張だ.レンフルーは15万年前以降ヒ
トの認知における大きな遺伝的な変化はないのだから,これはダーウィン的進化学では捉えられないとし,ミームや文
化進化のアプローチも不適切だという.なぜミーム的な分析が不適切なのかについてはあまり書かれていないが,要す
るに「もの」との関係においてヒトの心,認知を考えるというアプローチ(認知考古学)のほうがより適切だと考えて
いるということだろう.
ここから認知考古学の理論的なフレーム,そしてなぜそれがよいのかが示されるが,象徴や記号などの議論が続いて
ちょっと読みにくいところだ.どうやらレンフルーはヒトの心は複雑なものであり,それを考えるには認知が何か「も
の」に積極的に働きかけている局面を捉えるのが有効ではないか,であれば「人類と物質世界の間で作用する『関与』
と呼ぶべきプロセス」を通して認知を考えるのがよいと主張しているようだ.
そこから西アジアにおける定住の開始,農耕の開始などについて具体的に説明されている.ちょっと面白いのは,「象
徴は物質化することにより強力になり宗教が永続した基礎にもなっているのではないか」という示唆だ.そして初期農
耕社会の中には平等主義的な文化とそうでないものがあるが,平等主義的な文化においても巨大構築物が見つかること
があることをその延長で解釈している.またさらに進んで記念物がより強い共同体をつくるという機能をもつだろう,
そして最終的には支配者の権力の象徴になるし,宇宙を理解したいという関心が産む記念物は宗教と結びつく,とも考
察している.実証は難しそうだが,これにはインダス文明という注目すべき例外という事実もあって面白い論点のよう
に思う.また不平等の起源と財貨の発生が,誇示的消費,金銭の象徴性,計量システムとあわせて議論されている.こ
のあたりは原因と結果がいりくっているような解釈ではないかとも思えるところだが,興味深い議論だと考える人も多
いだろう.
本書は最後に文字の発明とそれが心に与えた影響を考察して終わっている.言語のサピア=ウォーフ仮説の議論とも似て
いるし,さらにここでは,表音文字と表意文字の違いも議論されていてちょっと面白い.レンフルーは,文字は様々な
物質的現実,制度的現実とあわせてヒトの心に影響を与えているはずだと主張しているようだ.このあたりは議論の残
るところのように思う.
全体としては老大家による大きな学説史の総説に加え,現状の行き詰まりと今後の展望が描かれていて,その「後世に
伝えたい」という思いがよく伝わってくるスケールの大きな書物に仕上がっている.一部同意できない議論もあるが,
興味深い議論もあって,なかなか独創的な本だと思う.
24. 飛び道具の人類史
火を投げるサルが宇宙を飛ぶまで
2,800 4-314-01004-5
アルフレッド・W. クロスビー 紀伊國屋書店
82
08/08/0 Throwing Fire :Projectile Technology Through History
Alfred W. Crosby 2002
小沢千重子
06.05.11