【中学の部】最優秀作品 永井隆と共に歩み行く愛と平和のために

【中学の部】最優秀作品
永井隆と共に歩み行く愛と平和のために
『愛の歌・平和の歌――永井隆の生涯』を読んで
大邱時至(シジ)中学校 3 年
鄭丞憲(チョン・スンホン)
‘人は本をつくり、本は人をつくる’という言葉がふと浮かびました。ある
人によってつくられた一冊の本によって、私が得た気付きは新しい人になった
かのような新鮮な衝撃だったからです。この本に接することがなかったら、私
は‘永井隆’という人物について、日本という国について深く考える機会を得
ることができなかったでしょう。また、
‘神の存在’についても考えることがで
きなかったと思います。
まず、母が一度読んでみなさいと勧めてくれたので、ふだんから読書が好き
なことに加え、本がとても薄くて軽かったので、とても‘軽い気持ち’で一気
に読んでしまいました。ところが、最後のページを閉じながら‘重苦しい気持
ち’に押しつぶされるかのようにしばらくぼうっとしていました。これまでに
経験したことがない様々な考えや問いがたくさん浮かび上がってくる本でした。
私はふだんから、神は尊くも慈しみ深い方だと考え、何よりも公平で平等な
方だと考えてきました。世界の歴史を学び関連する本を読み、また世界大戦に
ついての文章を読んで話を聞いたりする時は、ただ漠然と‘戦争は危険なこと
で、起こってはいけないたいへんなこと’ぐらいにしか考えていませんでした
が、この本を読んでからは戦争に対する残酷さや残忍さについて確かに知るこ
とになって、戦争を恐れる心を持つようになりました。
この本の時代背景は、第 2 次世界大戦が幕を閉じようとする頃、日本に原子
爆弾が投下されて非常に大きな被害が出て罪もない人々が多数亡くなった時で
すが、そんな被害を被った人々の中に永井隆博士とその家族がいました。
正直に言うと、この箇所を読んだとき、私は、本当に神は無頓着で丌公平な
方だと思いました。もし神が公平な方ならば、たとえば聖書のなかで危機に直
面した状況で現れるように、戦争によって多くの人々が辛く困難な状況にある
ことをよくご存じの神ならば驚くべき奇跡を行うに違いないと考えましたが、
奇跡どころか人々は荒廃した所でどうしてよいかわからず、恐れているのに、
神は何の奇跡もお示しになりませんでした。
ところが、私がまったく考えていなかった奇跡が起こったのですが、それは
永井博士を通じて人々の心の中で起こった気付きだったと思います。
その気付きは私の心も目覚ましてくれましたが、その感動的な箇所は、核爆
発の威力で罪なき人々が凄惨のうちに死に、生き残った人々が失望と挫折に陥
っている時、永井博士が言った言葉です。博士は‘天にまします神はまず罪な
き汚れなき人々を天にお呼びになり、まだ罪に汚れた者たちはこの荒廃した地
に自分たちの過ちをつぐなう機会をくださった’と述べて、人々に新たなイン
スピレーションを不えました。
この言葉を聞いた後にあらためて考えてみると、神は公平な方であるならば、
正しい言葉であるかのように思えました。なぜならば罪なき人々のために地上
ではこれ以上被害を受けないで天の国へ上げて休ませ、罪人たちには許しの機
会を不えて地上に残って罪の償いをさせたからです。
それならば、
‘なぜ永井博士は罪なき人々に属するにもかかわらず、残ったの
か?’と考えました。私なりの考えでは、まだ地上でさらに重要なことが残っ
ていたからだと思いました。その理由になるのが、残っている二人の幼子たち
のため、そして戦争の結果を通じて神がこの地上に教訓をくださるためである
ように思われました。
永井博士は妻が亡くなった時、絶望に陥り、幼い二人の子どもたちに申し訳
ないと思いましたが、博士は子どもたちを孤児院や保育院のようなところに送
らず、再婚もせず、死ぬときまで子どもたちを育てました。そして、永井博士
は第2次世界大戦という大きな戦争を経験したからなのか、絶対に二度とこの
ような戦争が起こってはいけないと考え、平和主義者としての姿を示しました。
また、私が最初に考えていたように、戦争が起こったことについて、
‘神は無頓
着な方である’とは考えずに、
‘神は世界戦争という苦難の道、罪人に罪をつぐ
なう機会を不える、希望の道をくださる’と述べて、苦痛に満ちた状態でも‘愛’
を語りました。
永井博士は長くは生きられず、白血病で 42 歳という短い人生を終えました。
しかし、体全体で戦争の惨状を伝え、平和の歌を歌いました。私は戦争経験も
なく、そのために辛い危機に直面したこともありません。もちろん、そのよう
な状況は想像するのも嫌ですから、戦争がどれほど恐ろしく辛いものかよくわ
かりません。そんな子どもだからかも知れませんが、ときどき戦争のような危
機でもないのに、迷ったり辛い目に遭ったりすると、
‘神は本当にいらっしゃる
のだろうか’と考えて神の存在を疑うときがしばしばありました。
しかし、永井博士は戦争の時、すべてが神の意志だと語りましたが、妻が亡
くなり、ひとりで二人の子どもを育てなければならないという十字架のような
大きな荷を背負っていたにもかかわらず、イエス様が十字架を背負い、その上
で亡くなって3日目に復活したことを心に刻み、決して落胆しませんでした。
永井博士は神を考え、起きあがり、そしてまた起きあがりました。そんな模
範的な生き方は、博士が私よりも年上だということとは関係なく、私自身の生
き方と比較されるものでした。だからこそ、今、こうして本を通じて偉大な人
物であることを悟らせてくれているのではないかと思います。
永井博士の神に対する信仰のように、わたしも今後は信仰が強くならなけれ
ばなりません。誘惑に陥ったり、ひとり迷ったりするときは、イエス様がわた
したちのために十字架につけられたことを今一度心に刻みながら神を信じ、神
のみ心にかなうような道具として神の懐に戻るときまで神に対する信仰を捨て
ません。
四旬節に読むことになったこの小冊子は私に大きな教えを不え、悔い改める
道を示してくれたありがたいものでした。機会があれば日本に行って永井博士
の痕跡を自分の目で直接見、体験しながら真の悔い改めの機会としたいと思い
ます。しかし、見なければ信じないと言ったトマのようになるのではなく、見
なくても気付くことができる良い機会を本を通じて得たので、まずそれに感謝
し、今度の復活のゆるしの秘跡から真の悔い改めの準備をしなければならない
と決意しました。また、永井隆博士について他にも多くの本があると聞いてい
るので、機会があれば読んでみようと思います。
この本は、私に‘人がつくった本を通じて人がつくられる’という言葉の意
味をも教えてくれたありがたいものです。
2012 年 5 月 6 日
翻訳;宮崎善信