日本語中級・上級文法構築の提案-指示語を例として

日本語中級・上級文法構築の提案
-指示語を例として-
吉
田
一 彦
(宇都宮大学)
1.上級到達後も習得されない基本文法項目-日本語上級者の言語使
用から
1.1
問題の所在と学習者向け文法に関する議論
現行の日本語教育カリキュラムでは、易から難へと配列された文法項目が提
示されるのは初級終了の頃までである。その後は技能別学習や実際のコミュニ
ケーション活動に近いかたちの複合的な学習に切り替わることが多く、教える
側にも学ぶ側にも「文法は初級で学び終えるもの」という印象が強い。この状
況 の 中 、実 際 少 な か ら ぬ 数 の 基 本 文 法 項 目 が 、
「 結 局 よ く 分 か ら な い 」と い う 印
象 と と も に 解 決 す べ き 問 題 点 と し て 学 習 者 の 側 に 残 さ れ て い る ( 1 )。 そ し て 、
この好ましくない状況の背景には、a)よく使うから初級段階で教えなければ
ならない、b)しかし、注意深い教授・練習に時間をかければカリキュラム全
体のバランスをこわしてしまう、c)だからといって簡単に扱ってしまえば結
局習得されない、というカリキュラムデザイン上のジレンマがあるが、この状
況 が 十 分 に 省 み ら れ て い る と は 言 い 難 い ( 2 )。 と こ ろ が 、 外 国 語 教 育 全 般 を 見
渡してみれば一目瞭然なように、文法の学習活動を初級に押し込めることに必
然性はなく、現に英語やフランス語のようにさかんに外国語として教えられる
言語ほど、学習者向けの中級文法や上級文法が体系化され利用されやすいかた
ちで提供されている。
本研究は、上述の状況を改善することを目指し、一人の学習者がたどる日本
語学習過程の総体の中に狭義の文法(=形態論的知識+構文論的知識)の学習
をどう位置づけるべきか問いなおす。中級や上級の学習者さえも誤用をする文
257
法学習項目としてよく知られる指示語を材料として、この問題の再考の必要性
を 明 ら か に す る ( 3 )。 ま た 、 こ の 学 習 項 目 の 中 級 文 法 や 上 級 文 法 に お け る 扱 い
に関して具体的な提案を行う。
日本語教育においては文法の学習が必要悪のように語られたり、極力簡略に
行うべきものという消極的な扱いを受けたりすることがしばしばある。たとえ
ば 白 川( 2005 )は 、 学 習 者 向 け の 文 法 を 考 え る う え で 次 の 2 点 が チ ェ ッ ク ポ イ
ントだとする。
( i) チ ェ ッ ク ポ イ ン ト 1 :「 日 本 語 の 使 い 方 で は な く 、 日 本 語 の 文 法 を 勉 強 さ
せ ら れ て い る 」 と い う 印 象 を 学 習 者 に 与 え て い な い か 。( 白 川 2005 :45 )
( ii ) チ ェ ッ ク ポ イ ン ト 2 : 初 級 で 何 も か も 教 え よ う と し て い な い か 。 初 級 の
段 階 か ら 細 部 の 正 確 さ を 必 要 以 上 に 求 め て い な い か 。( 白 川 2 005 :46 )
しかし、勉強させられたり完璧な理解を強要されたりすることが弊害を生じ
る の は 何 も 文 法 に 限 っ た こ と で は な い 。発 音 や 語 彙 の 学 習 に し て も 同 じ で あ る 。
また、経験的に言えば、多くの外国語学習者は、文法を学ぶことを成人の学習
において効率を上げる手段として積極的にとらえているし、
「 細 部 の 正 確 さ 」も
求 め て い る ( 4 )。
検討すべきなのは、話を文法に限るのでなく、初級学習項目を全体としてど
う構成するか、ということである。また、内容を充実させようとするあまり学
習者に過度の負担を強いてはいけないのは、文法のみならず、教育一般に言え
ることである。本研究は文法学習の問題に関し、次の提言を行う。
( iii ) 日 本 語 教 育 に お け る 文 法 項 目 の 扱 い に 関 す る 提 言 :
a)理解語彙と使用語彙の区別があるように、文法項目についても、理解文
法項目と使用文法項目の区別をしていくべきである。
b)初級において文法項目の学習を簡略化したのなら、どこかの段階でその
整理や修正を必ずすべきである。
c)習得が困難な学習項目に関しては、段階を踏んで、巧みに操れるように
徐々に使い慣らしていく言語使用者のための規則を提示すべきである。
258
1.2
上級学習者にみられる基本文法項目の習得の失敗
上級学習者が基本項目の習得に失敗している例として代表的なものは、次の
タイプの指示語の誤用である。母語が何かに関係なく、文脈指示のソが正しく
使 え な い 上 級 学 習 者 は 非 常 に 多 い ( 5 )。
( iv) 教 師 : S さ ん 、 新 し い 研 究 生 が 来 る 話 、 も う 話 し た か な あ 。
学 生 : # あ れ /そ れ な ら 、 先 週 聞 き ま し た 。
( v)
学 生 : 昨 日 は 留 学 生 の A さ ん と い う 人 と 会 っ て 、#あ の /そ の 人 と 食 事 し
ました。
学習者が母語とする多くの言語において場面指示の指示詞が文脈指示の機能を
も担っている。そして、その言語の遠称指示詞に対応するものとして日本語の
ソとアの2つが存在している。単にソとアの区別が困難ならば、アと言うべき
と こ ろ で ソ と 言 う 誤 用 も 出 て く る は ず だ が 、 そ れ は ま れ で あ る ( 6 )。 だ と す れ
ば、学習者は、ソの用法を理解しておらず、アの用法には誤解があるのではな
いか。これを解くべき課題として論を先へ進める。
2.教科書等における従来の扱いの問題点
場面指示については、話し手と聞き手とが離れて対面している場合の用法を
説明する人称区分説と、二者が非常に接近した位置にいて同一方向を向いてい
る場合の用法を説明する距離区分説があり、教科書やコースによって、どちら
か 片 方 、あ る い は 両 方 が 教 え ら れ て い る 。こ の こ と は よ く 知 ら れ た こ と で あ り 、
ここではこれ以上論じない。一方、文脈指示の用法の扱いについては、ここで
再確認しておくことに意味がある。教科書に用例が示されながら文法項目とし
て取り上げられないことが多く、したがって、学習者は提示されてはいても、
言語使用者として自立するための情報が与えられていない、という状況が生じ
ている。たとえば、非常に普及している教科書であるスリーエーネットワーク
( 1998 ) で は 、 比 較 的 早 期 に 初 出 す る が 、 言 語 別 学 習 者 用 文 法 解 説 書 に あ る 翻
訳以外に学習者が手がかりとして利用できるものがなく、しかも、翻訳された
259
言語での用法が日本語に比して単純である場合には、その訳自体が学習者の理
解 を 妨 げ 誤 用 の 原 因 に な ら な い と も 限 ら な い ( 7 )。
( vi ) ミ ラ ー : き ょ う の
木
映画は
村:ええ。特に
あの
よかったですね。
お父さんは
よかったですね。
( ス リ ー エ ー ネ ッ ト ワ ー ク( 19 98 :123 )第 15 課 )
( vii ) 図 書 館 の 人 : は い 、 み ど り 図 書 館 で す 。
カリナ
:あのう、そちらまでどうやって行きますか。
(中略)
図 書 館 の 人 : え え 、降 り る と 、前 に 公 園 が あ り ま す 。図 書 館 は そ の 公 園
の中の白い建物です。
( ス リ ー エ ー ネ ッ ト ワ ー ク( 19 98 :191 )第 23 課 )
文脈指示用法の重要性自体は多くの日本語教育関係者に認識されており、
教科書で学習項目として取り上げているかどうかを問わずぜひ教えるべきだと
い う 主 張 も 行 わ れ て き た 。 新 屋 ・ 姫 野 ・ 守 屋 ( 1999 ) は 、 授 業 に お い て 学 習 者
に 提 示 す べ き 規 則 の ポ イ ン ト を 次 の よ う に ま と め る 。( 同 書 : 74)
( vii i) 1 . 文 脈 指 示 は 、 基 本 的 に は 「 そ 」 を 使 っ て お く の が 無 難
2 .書 き 手 独 自 の 知 識 や 経 験 を 書 く 場 合 、話 題 に 直 結 し た 、要 所 部 分 に
は「こ」を使う。
3.文脈指示には「あ」を使わない。
また、数は少ないが実際に学習項目として取り上げている教科書もある。た
と え ば 、 発 表 者 自 身 も 開 発 に 関 与 し た ラ オ ハ ブ ラ ナ キ ッ ト ( 2 002) は 、 初 級 の
文法学習を補完し文法項目の理解を深めることを目的とした教科書であり、文
脈 指 示 の ソ と ア を 学 習 項 目 と し て い る ( 8 )。 そ れ か ら 、 中 級 で 学 習 項 目 と し て
い る も の と し て は 、 財 団 法 人 海 外 技 術 者 研 修 協 会 ( 2 002 )、 土 岐 他 ( 1 999 ) 等
が あ る 。 注 目 す べ き は 、 名 古 屋 大 学 日 本 語 教 育 研 究 グ ル ー プ (編 )( 200 2 ) で あ
り 、初 期 の 学 習 で 場 面 指 示 用 法 を 扱 っ た 後 、初 級 の 早 い 段 階 で 照 応 の ソ( 同 書 :
103、 4 課 ) と 話 し 手 ・ 聞 き 手 が 共 通 に 知 る 事 物 を 指 す ア ( 同 書 : 2 62 、 10 課 )
260
を学習項目として明示的に扱っている。こうした先人の努力に関しては、4 節
での現象自体の再検討の後、5 節2項に対案を示す。
3.教授すべき文法項目の機能をどう捉えるべきか
発表者は、自然言語における機能語の機能を把握する方法に関し採るべき観
点 を 主 張 し 、 そ の 妥 当 性 に 関 し て 吉 田 ( 2 002 、 200 6a ) で 検 討 を 進 め て き た 。
それは、次のように要約できる。
( ix) 機 能 語 の 機 能 と は 何 か を 明 ら か に す る た め の 説 明 原 理 と し て ,「 操 作
(ope rati on)」と い う 概 念 を 導 入 す る 。言 語 の 発 信 者 が 当 該 機 能 語 を 使 用
す る こ と に よ っ て ,そ れ が 付 せ ら れ た 内 容 語 が 伝 え る 情 報 や ,発 話 の 場
面 で 既 に 知 覚 さ れ て い る 状 況・文 脈 内 の 情 報 に 対 し て ど の よ う な 変 更 を
行 う か を ,「 操 作 」 と 呼 ぶ 。 そ し て , 特 定 の 機 能 語 と そ の 使 用 に よ っ て
行 わ れ る 「 操 作 」 と の 間 に は ,〈 こ の 語 を 使 う か ら こ の 操 作 が 行 わ れ る
のだ〉という「規則」としての一対一の対応関係があると見る。
( 吉 田 20 06a:62)
この機能の把握の仕方は、言語の発信者(話し手・書き手)の行為としての言
語使用と、そこで(原則的には受信者(聞き手・読み手)を相手として)実際
に期待される効果(ただし、直接的な効果のみで、状況とのインタラクション
に起因する副次的なものは含まれない)との両方を内に含み、言語現象の記述
的研究と外国語教育などの応用的研究の両方に有用なものを目指すものである。
4.指示語の諸問題とその解決策
4.0
言語現象自体に関する本研究の主張
前節に示した機能語の機能の把握の仕方にもとづき、指示語の現象としての
記 述 を こ こ で 行 う 。 庵 ( 2 00 2 )、 堤 ( 200 5 )、 馬 場 ( 200 6 ) 等 、 近 年 の 諸 研 究
の 議 論 を ふ ま え な が ら も 、 基 本 的 に は 金 水 ( 199 9 ) の 指 示 詞 の 用 法 全 体 に 関 す
る統一的説明の試みを出発点とする。これには、母語話者としての内省から得
261
られる、コ・ソ・アには同音意義の形式が複数存在するのではなく、場面指示
か文脈指示かに関わらず同一の言語形式ではないか、という直観に応える、と
い う 積 極 的 ・ 本 質 的 な 意 義 が あ る ( 9 )。 金 水 論 文 と の 見 解 の 相 違 を 述 べ る こ と
によって、本研究の主張を明らかにする。
ま ず 、 金 水 ( 199 9 ) と は 異 な る 著 作 に 論 じ ら れ る 同 研 究 者 の 提 案 す る 次 の 原
則を、健全な論証によって導かれた原則として受け入れる。
( x)
聞 き 手 知 識 に 関 す る 原 則 ( 田 窪 ・ 金 水 2 0 00: 25 2-253):
言 語 形 式 の 使 用 法 の 記 述 は 、そ の 中 に 聞 き 手 の 知 識 の 想 定 を 含 ん で は い
けない。
しかし、少なくとも同一の事物の特定が可能な程度には、聞き手の行う認識に
関 し て 話 し 手 は 類 推 ( ana logy ) を す る こ と が で き る 、 と い う こ と は 認 め ざ る
を得ないと考える。この実際に観察される事実をどのように位置づけるか、研
究者によって見解の相違が見られる点であるが、本研究は、指示語という言語
形式に固有の機能の中に組み込むべきであると主張する。
次に、ア・ソ・コの順で、各言語形式の特徴をみていく。
ア に 関 す る 金 水 ( 199 9) の 次 の 記 述 を 、 母 語 話 者 の 直 観 に 合 致 し 妥 当 な も の
と評価する。
( xi ) 直 示 に お け る ア の 領 域 は ,眼 前 の 空 間 に お い て ,コ と 対 立 す る 形 で ,話
し 手 が 直 接 操 作 で き な い 遠 方 の 空 間 を 指 差 し ,眼 差 し 等 の 行 為 に よ っ て
焦点化することによって形成される.いわゆる遠称である./さらに,
ア系列は話し手の出来事記憶中の場面を領域として焦点化する用法を
持 つ .( 金 水 1999 : 7 1)
しかしながら、出来事記憶あるいは長期記憶の参照は、アを使用するか否かに
関係なく、言語使用において頻繁に行われることである。既知の事物や出来事
について語るときに通常起きることであろうし、新しい事物を認識した際にも
その形状を既知のものと比較して評価するならば起きることである。言語現象
の 記 述 と し て は さ ら に 厳 密 化 す る 必 要 が あ る 。ま た 、
「 記 憶 を 参 照 す る 」と か「 記
262
憶を指示する」いうだけでは、当該言語形式の使用により聞き手が語義として
知 る 意 味 内 容 を 言 い 尽 く す こ と は で き な い 。お そ ら く 聞 き 手 は 、
「 あ あ 、話 し 手
は 既 存 の 知 識 や 過 去 の こ と を 思 い 出 し て い る 」と い う 解 釈 し か し な い で あ ろ う 。
金 水 ( 19 99 ) は ソ の 文 脈 指 示 用 法 、 す な わ ち 、 照 応 用 法 を 次 の よ う に 説 明 す
る。
( xii )
ソ系列は言語的文脈によって形成され,発話によって焦点化された状
況 を 領 域 と す る .( 同 論 文 : 80 )
後に詳述するとおり、この記述は、照応用法に限られたものではなく、場面指
示 の 用 法 に も 適 用 可 能 で あ る 。ソ の 場 面 指 示 用 法 を 、
「コミュニケーション上の
要 請 に よ り 隙 間 を 埋 め る 充 填 剤 的 な 手 段 と し て 適 用 さ れ て い る ( 同 論 文 : 86 )」
の よ う に 、消 去 法 的 に 位 置 づ け る 必 然 性 は な く 、
「現代語のソ系列は多義である
( 同 論 文 : 87 )」 と さ れ て い る と お り に 仮 に 言 い 切 る と す れ ば 、 そ れ は 不 適 切
だと思われる。
ソ と ア に 関 し 、 金 水 ( 1999 ) は 次 の 原 則 を 立 て る 。
( xii i) 直 示 優 先 の 原 則 ( 同 論 文 : 76):
直示を優先せよ.
こ れ は 、 久 野 暲 ( 1 97 3)『 日 本 文 法 研 究 』( 大 修 館 書 店 ) に あ る 次 の よ う な 用 例
の説明のためである。
( xi v) A : 昨 日 , 山 田 さ ん に は じ め て 会 い ま し た . {あ の / * そ の }人 ず い ぶ ん 変
わった人ですね.
B : え え , {あ の / * そ の }人 は 変 人 で す よ .
これは、ソとアが話者の心中に競合しそこからアが選ばれるわけではない、と
いう意味で心理的実在性を欠いている。アにもソにもそれぞれ固有に表現のた
めの言語形式として選ばれるだけの存在意義がある。このような原則は不要で
ある。
コ の 文 脈 用 法 に つ い て 、 金 水 ( 1 999 ) は 次 の よ う な 考 え 方 を す る 。
( xv) コ の 文 脈 照 応 用 法 で は , マ ッ チ 箱 で 店 を 代 表 し て 直 示 す る よ う に ,( 中
263
略 ),言 語 的 表 現 を 手 が か り と し て 対 象 を 直 示 し て い る と 考 え る .
(中略)
言 語 で 対 象 を 導 入 す る こ と に よ っ て ,あ た か も そ の 対 象 が 目 の 前 に 存 在
し て い る か の よ う に 振 舞 う の で あ る .( 同 論 文 : 77 )
「マッチ箱で店を代表して直示する」とは同論文に示された「バーのマッチ箱
を 取 り 出 し て『 こ の 店 に 行 こ う 』と 言 っ た り( 同 論 文 : 77)」す る こ と で あ る 。
この用法については、コかどうかに関わらず、従来からあるメトニミーという
概 念 を 使 っ た 説 明 が 可 能 で あ る 。た だ し 、
「目の前に存在しているかのように振
舞う」という説明は、用法の本質をよく言い表していると考える。
4.1
場面指示と文脈指示の統一的説明
コ・ソ・ア の 用 法 に 統 一 的 な 説 明 を 試 み る に あ た っ て 、
「言語コミュニケーシ
ョ ン は 、話 し 手 と 聞 き 手 の 間 に 、そ し て 、書 き 手 と 読 み 手 の 間 に 展 開 す る も の 」
という、月並みな言語観をここであえて提示したい。その中で、言語の発信に
よ る コ ・ ソ ・ ア の 使 用 は 、 受 信 者 に 対 す る 次 の よ う な 操 作 (o perati ons )を す る
こ と で あ る 、と 位 置 づ け る こ と が で き る 。
( 吉 田( 20 06b )に 示 し た も の を 修 正 )
( xvi)コ:発 信 者 が 受 信 者 に 対 し て 自 分 の 属 す る 領 域 だ と 主 張 で き る 領 域 に あ
る事物へ、受信者の注意を向ける
ソ:言 う こ と に よ っ て 受 信 者 と 共 通 に 認 識 で き る( と 発 信 者 が 想 像 す る )
事物へ受信者の注意を向ける
ア : 受 信 者 が 意 識 的 に 努 力 す れ ば 思 い 至 れ る( と 発 信 者 が 想 像 す る )事
物へ注意を向ける
そして、発信者と受信者との間で交わされる情報が、物理的に眼前に存在し視
覚によってその存在を確認できるものであれ、両者の間に観念的に位置づけら
れ知力によって存在が確認できるものであれ、日本語使用者はそのような質的
相違を言語形式によって言い分けるべきものとはせず、同一の言語形式、すな
わちコ・ソ・アを用いて操作を明示的に示すのである。
264
4.2
ソの用法の統合的扱い
統合的扱いを試みるのに先立ち、ソの場面指示用法に関する1つの言語事実
を再確認する必要がある。すなわち人称区分の用法とも距離区分の用法とも言
い 難 い 次 の よ う な 用 例 の 存 在 で あ る ( 1 0 )。
( xvii)
( 作 例:授 業 を し て い る 教 師 が 、授 業 に 遅 刻 し て 来 た 学 生 に 対 し て 言 う 。)
はい、急いで。そこに座りなさい。
通常、このような場合に教師は、遅れてきた学生たちが講義の話をさえぎり、
すでに着席している学生たちの勉強を邪魔したりすることがなるべくないよう
に、あらかじめ空席の位置を確認しておき、場所を指定して問答無用で座らせ
るのである。その位置は、通常の努力で周りを見渡して確認できる程度の距離
にある任意の地点ならば、話し手・聞き手の前であろうが横であろうが後ろで
あろうがかまわない。コミュニケーションの当事者である両者が容易に確認で
き る 場 所 で あ る な ら ど こ を 指 し て も こ の よ う に 言 え る の で あ る 。同 種 の 用 法 は 、
よく知られた文学作品にも見られる。
( xviii ) 巨 き な 桜 の 街 路 樹 の 下 を あ る い て 行 っ て 、 警 察 の 赤 い 煉 瓦 造 り の 前 に
立ちましたら、さすがにわたくしもすこしどきどきしました。けれど
も何も悪いことはないのだからと、じぶんでじぶんをはげまして勢い
よく玄関の正面の受付にたずねました。
「 お 呼 び が あ り ま し た の で 参 り ま し た が 、レ オ ー ノ・キ ュ ー ス ト で ご ざ
い ま す 。」
すると受付の巡査はだまって帳面を五六枚繰っていましたが、
「 あ あ 失 踪 者 の 件 だ ね 、人 事 係 の と こ へ 、そ の 左 の 方 の 入 口 か ら は い っ
て 待 っ て い た ま え 。」 と 云 い ま し た 。
( 宮 沢 賢 治 「 ポ ラ ー ノ の 広 場 」、 下 線 は 発 表 者 )
この例の「その」で指し示される入り口が受付の前に立つ聞き手の領域に存在
するなどということはありえない。入り口は、どこか特定できないが、話し手
がこのように言い表すことによって初めて聞き手の認識するところとなるので
265
ある。こうした用例は、特殊であるとか周辺的であるとして片付けてしまって
はいけない程度に日常の言語使用に出現している。こうした用例も含めてソの
用 法 を 一 般 化 す る に は 、( xii ) の 「 発 話 に よ っ て 焦 点 化 さ れ た 状 況 を 領 域 と す
る 」と い う 分 析 が 有 用 で あ る 。
( た だ し 場 面 指 示 に 続 く 文 脈 指 示 の 場 合 に は 、言
語が伴わなくても指差し等により情報の受信者によって認識された事物は、そ
の後の文脈において照応のソによっても指示され得る。したがって、ソの文脈
指 示 用 法 に 関 し て 「 言 語 的 な 先 行 文 脈 に の み 依 存 ( 金 水 199 9 : 72 )」 と い う 限
定 は 採 る こ と は で き な い 。)本 研 究 は 、以 上 の 考 察 か ら 、
( xvi )と し て 既 に 挙 げ
た と お り 、 ソ の 用 法 の 一 般 化 を 提 案 す る ( 1 1 )。
4.3
照応用法のソの独立的な特徴付けと用法としての重視
ソの文脈照応用法は、おそらくソ全体の用法の中でもっとも頻繁に用いられ
るもので、文章理解に供するきわめて重要な標識である。だからこそ、他の機
能語の用法とは独立に、用法の規定がなされるべきであった。ところが、これ
まで日本語教育の場においては、学習者にとって文脈指示のコとの使い分けの
基 準 が 不 明 確 で あ っ た こ と が 主 な 理 由 と な っ て 、 前 掲 ( viii ) に 見 ら れ る よ う
に 、コ が 使 わ れ る べ き 場 合 以 外 の 照 応 の 用 法 と し て 消 去 法 的 に 規 定 さ れ て き た 。
本 研 究 は 、照 応 用 法 の ソ を( xvi )に 示 し た 用 法 の 一 般 化 か ら 導 く こ と を 提 案
する。すなわち、言語使用の場面において、発信者と受信者との間で共通の認
識のもとに一度位置づけられた事物は、ソの使用によって、コミュニケーショ
ン上の必要に応じて何度でも言及され得るものである、と考えるのである。
4.4
文脈指示のコの明確な特徴付け
コの文脈指示用法に関しても、前項のソの場合とちょうど反対に、ソの用法
とは独立に説明される必要がある。場面指示にも文脈指示にも共通のこととし
て 、こ れ は( フ ラ ン ス 語 の 表 現 を 用 い て )
「 moi( 私 )/ i ci( こ こ )/ main tenan t
( 今 )」と い う 発 信 者 の 意 識 と と も に 、話 し 手 自 身 の 位 置 と 関 連 付 け ら れ る 本 来
266
の 意 味 の 直 示 表 現 (dei cti c e xpressi ons)の 代 表 的 な も の と し て 、き っ ち り と ら え
る 必 要 が あ る 。 そ し て 、 こ の 特 徴 ひ と つ か ら 、 前 掲 ( viii ) に 示 さ れ た よ う な
教育の場で行われる特徴づけが、すべて出てくるのである。
4.5
文脈指示のアと共有知識の問題について
前 述 の 一 般 化( xvi )は 、話 し 手 ・ 聞 き 手 の 両 者 が 知 っ て い る 事 物 を 指 示 す る
アも、次の2例のような聞き手が知り得ない事物を指示するアも、等しく説明
するものである。このことをここで確認する。
( xi x) あ さ 子 此 の 間 、 慥 え た 人 形 ね 。 収 さ ん が 持 っ て 帰 っ た の よ 。 あ れ が 一
等出来が悪いんだのに。
真紀
どうして、そんなのを持って帰るのだい、あの人。
あ さ 子 し ら な い わ 。 変 な 恰 好 し て る の よ 、 そ り ゃ 。( 後 略 )
( 森 本 薫 「 み ご と な 女 」、 下 線 は 発 表 者 )
( xx) き の う 母 と 買 い も の に 行 っ た ら 、あ た し よ り も 若 い 女 が 一 人 、邦 文 タ イ
プ ラ イ タ ア を 叩 い て い た の 。あ の 人 さ え あ た し に 比 べ れ ば 、ど の く ら い
仕合せだろうと思ったりしたわ。
( 芥 川 龍 之 介「 文 放 古 」、下 線 は 発 表 者 )
こ の 種 の 用 例 は 阪 田 ( 1 971 ) の 指 摘 に よ り 知 ら れ る よ う に な っ た が 、 言 語 研
究においても日本語教育においてしばしば例外的な用法として扱われる。しか
しながら、例外的・周辺的なものとして片付けてはならない程度に頻出してお
り 、ア の 機 能 を 一 般 化 す る 際 に は 考 慮 さ れ る べ き も の で あ る( 1 2 )。す な わ ち 、
( x)
を採るべき原則とし、アという形式に固有の機能には、聞き手との共有知識の
存在に関する話し手のいかなる前提も含まれない。しかし一方で、発信者は、
日本語使用者(あえて「日本語母語話者」とは言わない)という同種の人間の
グループに自身も受信者も属することをコミュニケーションにおける発信行為
の前提とするのであり、受信者の事物認識能力に関し、自身の事物認識能力に
関する意識を根拠とした類推を行っているのである。そして、この類推の実在
267
が ア と い う 言 語 形 式 の 使 用 に 不 可 避 の も の で あ る 以 上 、( xvi ) に 記 述 し た と お
り、それは、アの機能の中にあるものとして記述されなければならない。
5.提案:中級・上級カリキュラムにおける文法の扱い
5.1
学習者が直面する指示語の用法の再確認
ここで紙数の許す限り、日本語の中級・上級学習者たちが実際に目にし解釈
し理解することを求められている日本語使用の実例を検討してみよう。以下の
5 例は、いずれも日本語能力試験、あるいは、日本留学試験に出題された問題
で あ る 。( 下 線 は 発 表 者 に よ る 。 ル ビ を 削 除 。 穴 埋 め 問 題 解 答 を 記 入 。)
( xxi)作 家 に と っ て 、言 葉 は 表 現 と い う 作 業 の 唯 一 の 道 具 な の だ か ら 、こ の 道
具が信じられなければもう一字も書けない。これは困る。
言葉が信じられない。どうしてこんなことになったのか。
( 平 成 1 4 年 度 日 本 留 学 試 験 第 1 回 、 問 18 )
この例の中で照応にコを用いることで表現されるものは、書き手自身と事物と
の関連性というよりはむしろ、テクストが読まれるまさにそのときに書き手が
読み手との間に展開しようと企図しているコミュニケーションにおける今であ
る。このことが、コが付せられた事物の重大さを言い表しているのである。こ
のコの用法や効果が日本語学習者に明示的に教えられることはまれであろう。
( xxii )「 な ぜ 山 に 登 る の か 」 と 問 わ れ て 、「 そ こ に 山 が あ る か ら 」 と 答 え た 登
山家がいたと聞いた。この答えの深い意味は私は知らない。が、なかな
かおもしろい言葉だと思う。確かに、美しく、しかも高い山があれば、
見ているだけではつまらなくなり、あの頂上には何があるのか、山頂に
上ったらどんな景色が見えるのかと、きっと登ってみたくなるだろう。
( 平 成 14 年 度 日 本 留 学 試 験 第 2 回 、問 6)
この例のソとアの用法は、書き手が読み手に対し、あたかも山を前に立つよう
な物理的位置関係の想定を要求するものである。
「 心 の 中 の 場 面 指 示 」と 呼 ん で
もいいだろう。照応のソや共通知識のアだけが学習項目として教えられる状況
268
で、このような用法を学習者に理解しろと要求するのには無理がある。
( xxiii) 先 日 、 手 術 を な さ っ た と の こ と で す が 、 そ の 後 お 加 減 は い か が で し ょ
うか?こちらはみんな変わりなくやっています。
上の娘が修学旅行で京都に行ってきました。あちらは今、ちょうど紅
葉真っ盛りのようで、嵐山が美しかったそうです。
覚 え て い ま す か ? 私 た ち も 高 校 生 の 修 学 旅 行 で 、京 都 に 行 き ま し た ね 。
( 200 2 年 度 日 本 語 能 力 試 験 2 級 、読 解・ 文 法 、問 題 III)
波状の下線を付した指示語には慣用性がある。別扱いにして(しかし、表現の
成り立ちの問題としては関連付けて)教えるべきものであり、学習者にソやコ
一般の用法に関する知識を用いた理解を求めてはならないものの例である。ま
た、
「 あ ち ら 」の ア の 用 法 に 関 し 、京 都 は 誰 で も 知 っ て い る 町 だ か ら と か 、書 き
手も読み手も行ったことがある町だからとかいった、共通知識を根拠にした説
明を学習者に対し行うのは、明らかに不適当なことである。書き手が読み手に
対しアで指す事物に注意を向けてほしいという心情を表現している、というこ
とこそ、学習者に理解してもらうべきことである。
( xxi v) 初 め て 腕 時 計 を し た の は 、 小 学 校 六 年 の と き だ っ た 。 進 学 教 室 に 通 う
の に 時 計 が な い と 不 便 だ と い っ て 、 母 の を 借 り て 出 か け た 。( 中 略 )
実際、友達のものとくらべると、およそ機能的でない。おとなっぽす
ぎて、自分には似合っていないような気がした。ところが、いつのまに
か好きになっていた。その時計をしていると、母がそばにいるような安
心 感 が あ っ た し 、試 験 中 は い つ も 、
「 ま だ 時 間 は あ る 。頑 張 り な さ い 」と
励 ま さ れ て い る 温 か み を 感 じ た 。( 中 略 )
そういえばあの時計はどこにいっただろう。
( 平 成 14 年 度 日 本 留 学 試 験 第 2 回、問 6)
同一の時計に対し一方でソで指示し他方でアで指示するということは、学習者
には理解され難いことであるに違いない。こうした用例を教育の場において適
切 に 扱 う た め に は 、( xvi) の 一 般 化 を 中 級 ・ 上 級 学 習 者 に 対 し て 提 示 し 、 そ こ
269
から当該場面で使用されてどのような解釈が生じ得るのかを説明する、という
方法が有用であろう。
( xxv)( 前 略 ) た と え ば 現 代 の 自 動 車 工 場 で は 、 日 々 、 ロ ボ ッ ト を 使 っ て 自 動
車が製造されている。この様子は、極端に言えば、まるでロボットが自
動車をつくり続け、人間の労働者は、あたかもそのロボットの補佐役の
ようであるとも言える。そして、この工場のシステム全体を見ると、そ
れがひとつの生き物のようである。これは、機械が機械を生んでいる、
動物で言えば「世代交代」をしているかのように思える光景だ。
( 200 3 年 度 日 本 語 能 力 試 験 1 級 、 読 解 ・ 文 法 、 問 題 I I(2))
一般に、書き手が描き出す事物や出来事は、読み手との間に、共通に認識され
るべき話題として差し出される。それら自体、あるいは、それらを構成する要
素や、そこへの関連性が連想され得る事物にそのまま言及する場合に、ソが標
識として明示的に選ばれることがあるのであり、一方、それらに対し、書き手
自 身 と の 特 別 な 関 係 で あ る と か 、先 に( xxi )の 検 討 の と こ ろ で 述 べ た「 コ ミ ュ
ニ ケ ー シ ョ ン に お け る 今 」 と い っ た 直 示 的 (dei cti c) 重 要 性 を 示 す べ き と き に 、
コ が 明 示 的 に 選 ば れ る こ と が あ る の で あ る 。 上 の ( xxv ) の よ う に 、 書 き 手 は
上記の2つの表現法を、自らの表現意図に合わせて自由に使い分けているので
ある。こうした能力も、中級・上級学習者には意識的に教授されるべきもので
あ る と 考 え る ( 1 3 )。
5.2
本研究の提案
以上の考察をもとに、日本語教育カリキュラム全体の問題として指示語をど
のように扱うべきか、本研究の考えを述べる。
文 脈 指 示 の 用 法 に 関 し て 必 ず 考 慮 す べ き 要 点 を 再 確 認 し て お き た い 。第 一 に 、
アの用法に関する話し手・聞き手の共通知識にもとづく説明自体、誤用の原因
ともなるものであるから破棄してしまうべきである。第二に、ソの照応用法を
ひとつの重要学習項目として取り上げ、初級後半でテクストの解釈を始める頃
270
に教えるべきである。第三に、コの照応用法もその直示的特徴が十分に理解さ
れるよう、どこかの段階で明示的に教えられるべきである。
一方、場面指示の用法に関しては、従来どおりの人称区分説や距離区分説に
もとづく説明を廃し、コとアにより発信者に近いものと遠いものとが区別され
る用法の学習から始め、その後にソの用法の独自性に着目した現場指示用法の
学習を行うべきである。これは、4 節 2 項に述べたことから分かるように、用
法として重要なソの照応用法を理解をするための基礎情報となる。
中級レベル以上になると、指示語を手がかりにして解釈や能動的な読みを行
う技能が求められる。したがって、中級のある段階でコ・ソ・ア各形式の用法
に関する統一的説明を行った後、そうした方法を身につけるための知識の伝授
と練習が行われるべきである。また、この技能は、学習者が解読すべき文章や
算出する文章が複雑化すればするほど高度なものが要求されてくる。したがっ
て、中級から上級までかけた、継続的な学習活動が求められる。
これらの議論をふまえ、次のとおりのカリキュラムへの学習項目の組み入れ
を提案したい。
( xxvi )
5.3
初級文法:
中級文法:
上級文法:
場面指示
文脈指示のコ・ア
コ・ソを手掛りとした
談話解釈・理解
(ソ の 統 一 的 扱 い を 含
む)
各形式固有の機能の統
一的理解
ソ・アを手掛りとした
談話解釈・理解
文脈指示(照応)のソ
指示語から派生した接
続詞
今後の研究に向けて
本発表で扱ったトピックに関連し、今後行っていくべき言語研究の課題を以
下に挙げたい。
・ 接続詞を文章の中で使用する意義、使用しないことの意義の探求
・ 接 続 詞 ・ 接 続 表 現 (「 こ れ は 」「 こ の よ う に 」「 そ う し て 」 等 ) と の 関 係 性
271
の解明
・ 指 示 語 か ら 派 生 し た 表 現 ( 「そ の 場 で 」 「 そ う こ う す る う ち に 」「 あ あ 言 え
ばこう言う」等)との関連性の探求
・ タイ語との対照研究:
指 示 代 名 詞 n ii( 近 称 )、 nan ( 遠 称 )、 no o n( 遠 称 よ り も 遠 い も の ) と の
比 較 対 照 だ け で は 、 十 分 な 議 論 は で き な い 。 rɯa ŋ nii 、 r ɯa ŋ nan な ど 類
別 詞 を 伴 う も の 、 代 名 詞 man な ど の 用 法 、 さ ら に は 、 使 用 ・ 不 使 用 の 問
題なども考えていく必要があろう。
また、このような基礎的研究をもとに教授法を改善していくべきである。そ
の 際 、当 然 の こ と な が ら 、既 存 の 教 授 方 法 の 保 全 の た め に あ え て( xxi)~( xxv)
のような用法を学習者の目から覆い隠すようなことはあってはならない。
今後の研究においては、タイ語を母語とする日本語研究者との共同作業に期
待したい。なぜなら、初級終了以降の文法学習を学習者任せにしない教授法に
こそ、本発表の冒頭に述べた初級文法学習のジレンマを解消する可能性がある
のであり、初級から上級までのカリキュラム全体を見渡した教授法の改善は、
タ イ の よ う な 日 本 語 教 育 が 成 熟 し た 社 会 に こ そ 、需 要 が あ る も の だ か ら で あ る 。
【注】
(1)たとえば、助詞「は」と「が」の使い分けについて、日本の大学院におい
て日本語で書いた論文の審査を経て博士号を取得した日本語を母語としな
い言語学者 2 名から、発表者はこの印象を聞いたことがある。
(2)初級と中級以降の学習の連続性を保つことを目的とした教科書や、多くの
学習者が容易に使いこなせない項目を取り上げて復習し深めるための学習
課題をを含んだ中級教科書が、確かに数点出版されている。このことから
も分かるように、本研究が指摘する問題点は実際よく知られている。しか
し 、こ れ ら の 出 版 物 を も っ て し て も 問 題 の 解 決 に は 至 っ て い な い の で あ る 。
(3)当日の発表では、指示語以外にやはり検討すべきこととして、意志表現の
272
文末形式「しようと思います/するつもりです」と条件表現「と/ば/た
ら/なら」の問題に触れた。
(4)たとえば、発表者が担当する初級クラスの学習者から、次のような疑問が
出されたことがある。これらの質問は英語で行われた。
質問1: ナ形容詞の普通体・現在否定形は、たとえば「元気ではない/
元 気 じ ゃ な い 」 と 習 い ま し た 。 で は 、「 元 気 で な い 」 と い う 形 は 何 で す
か。
質 問 2:条 件 表 現 の「 ば 」の 前 に 名 詞 や ナ 形 容 詞 が 来 て 肯 定 形 の と き 、
「ば」
が な く な っ て 「 学 生 な ら 」「 元 気 な ら 」 と い う 形 に な る と 習 い ま し た 。
ま た 、「 ば 」 と 「 な ら 」 の 違 い も 習 い ま し た が 、 そ れ で は 、「 ば 」 が 使
わ れ て い る「 学 生 な ら 」
「 元 気 な ら 」と 、名 詞 や ナ 形 容 詞 の 後 に「 な ら 」
が 付 い て で き た 「 学 生 な ら 」「 元 気 な ら 」 と 、 ど う や っ て 区 別 し た ら い
いですか。
また逆に、日本語上級者が文法の詳細を学ぶ機会を持たないことは、次の
ような、文法的に適格であることに疑いを挟む余地がないけれども初級文
法の規則からは逸脱している文の存在を、日本語上級者にとって受け入れ
難いものにしている。これらは、非母語話者日本語教師対象の研修におい
て発表者が担当した文法の授業で、研修生が適格であることを信じなかっ
た文の例である。もっとも、ここには、非母語話者日本語教師が知識とし
て学んだ文法のみ信じ自ら実際の言語使用を観察して事実を確認しようと
はしない、というもう 1 つの教師教育上の問題があるのだが。
「存在文の主語は格助詞「が」によって標示される」という規則からの逸脱
例:すみません。この近くに郵便局はありますか。
「他動詞テ形+「あります」という文型では他動詞で表される動作の対象は
「が」で標示される」という規則からの逸脱
例:黒板を消してあります。
273
(5)
( iv )や( v )と 同 じ の 文 脈 で ア が 使 わ れ た か ら と い っ て 必 ず し も 誤 用 と は 言
え な い 。あ え て ア を 使 う こ と に よ っ て 伝 達 さ れ 得 る ニ ュ ア ン ス が あ る の で 、
発言者にそのようなニュアンスを伝える意志がないことを確認し、誤用と
認定している。
( 6 ) 迫 田 ( 20 0 1 : 1 3 ) に も 、 使 用 頻 度 の 調 査 に も と づ く 同 趣 旨 の 指 摘 が あ る 。
( 7 )本 発 表 に 対 し て 、石 橋 玲 子 氏( チ ュ ラ ー ロ ン コ ー ン 大 学 )よ り 、M i zu t a n i a n d
M i zu t a n i( 1 9 7 7 : 20 、 第 三 課 ) に あ る 次 の 会 話 文 を 例 と し て 、 教 育 に お い て
どのように扱うべきかという問題提起があった。発言に感謝する。
A:あそこに
喫茶店が
ありますね。
B:ええ。
A:その
となりに
しろい
たてものが
ありますね。あれは
なん
ですか。
これも、当該文法項目に対するまったく同様の扱いであると言える。同書
には、
「その
と な り に 」に ”n e x t to t h a t ” の 訳 が あ て ら れ て い る だ け で 説 明
は な い 。 ひ と つ の 解 決 策 は 、「 あ の
となりに」に替え文脈指示の用法のみ
を提示することであろう。しかし、質問者の指摘どおり、会話文として通
りの悪いものになってしまうというリスクがある。かといって、説明もな
く 学 習 者 に 聞 か せ る 、あ る い は 、機 械 的 に 口 馴 ら し さ せ る だ け の 活 動 で は 、
理解されると期待することはできない。
(8)発表者が本研究を開始する前の仕事であり、単に照応にはソを、話し手・
聞き手がともに知るものにはアを、という従来の説明を踏襲している。
( 9 ) 吉 田 ( 20 0 6 b ) に て 、 こ の 点 を よ り 詳 し く 検 討 し て い る 。
( 10) こ の 種 の 用 例 に 関 し 先 行 研 究 に す で に 指 摘 が あ る こ と を 、 発 表 の 後 に 知 っ
た 。 高 橋 ( 1956: 56) に 、 次 の 記 述 が あ る 。
話し手と聞き手とが部屋の中で立ち話をしているとき,話し手が手を後
ろ へ や っ て 机 を 指 し ,「 そ の 机 を ご ら ん 」 と 言 う 場 合 を 例 に と る と , 距 離 に
おいても方向においても話し手の側にあるものがソ系で発言されることに
274
なる。
その後の研究では見落とされてきたが、考慮すべき重要な用法であると考
える。
( 1 1 ) こ の 一 般 化 で 例 外 と な る の が 次 の よ う な 用 例 で あ る ( 吉 田 2 0 0 6 b)。
作 例 ( タ イ か ら 日 本 に 住 ん で い る 友 人 に 電 話 を し て ):
そっちはどう。雪降ってる。
このような用例の場合、ソの使用により聞き手の領域への指示であること
が自動的に決定する。ただし、次の2つの制約が観察される。1)視覚情
報 が ぜ ん ぜ ん な い 場 合 に 限 ら れ 、2 )
「そこ」
「 そ っ ち 」は 良 い が「 そ の( 電
話 / 町 / ア パ ー ト )」 な ど は 使 い に く い 。 表 現 に 慣 用 性 を 認 め る べ き か と い
う議論とともに、今後の検討課題としたい。
また、本発表に対して、依田悠介氏(大阪外国語大学大学院)より、本研
究の主張するソの用法の一般化によって、後方照応のソの用法が説明可能
であるかという質問があった。発言に感謝する。発表者は、質問に対し後
方照応のソを慣用表現と認定しそれを特別扱いすべきであると回答した。
確かに先行文脈に指示されるべき事物が特定できない場合に聞き手は決ま
って後続文脈に指示物を求めるのである、として慣用性を認定できなくも
ないだろうが、最良の回答ではなかったと言うべきである。この問題は、
発信者が受信者とともに共通の認識のもとに置くべきだと考える事物に対
する言及をソの後続文脈において行うという予想を、受信者に行わせる表
現ということで、後方照応に関する一般化とコ・ソ・アの用法に関する一
般化とを結合させて説明するべきだと考える。
( 1 2 ) こ の こ と か ら 、 ア の 機 能 を 「 共 有 知 識 領 域 」 の 指 示 と す る 東 郷 ( 20 00 ) の
説には賛成できない。
( 13) こ の よ う に 、 少 な く と も 指 示 語 に 関 し て は 、 日 本 語 母 語 話 者 の 用 い る 表 現
方法と日本語を外国語として学ぶ学習者が習得すべき表現方法との間に、
あ え て 違 い を 設 け る こ と の 合 理 性 は な い と 考 え る 。研 究 努 力 に よ り 言 語 事 実
275
に 接 近 す る と と も に 教 授 法 上 の 工 夫 を 行 い 、母 語 話 者 が 行 う 方 法 を 学 習 者 に
直接伝授することを目指すのが本筋ではないだろうか。したがって、庵
( 2002 ) 等 に 主 張 さ れ る 「 母 語 話 者 に 対 す る 説 明 と 非 母 語 話 者 に 対 す る 説 明
の違い」の強調には、賛成し難い。
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