林 洋子(京都造形芸術大学) 藤田嗣治の「油彩への衝動」 19 世紀半ばからの日本における油彩画技法の受容は、高橋由一などに見られるように、 対象の「再現性」「迫真性」を目指し、西欧の伝統的な技法の習得を志向していた。1889 年に 開校した東京美術学校に 1896 年に新設された「西洋画科」では、十年近くパリで基礎から学 んで帰国した黒田清輝が教鞭をとることで、印象派の影響を受けたアカデミズム、「外光派」 といわれる折衷的な表現が席巻する。だが、1910 年前後以降の卒業生からあらたな志向が 見え始める。ひとつにはポスト印象派の受容だが、一方でより絵画技法や画材に関心を持 つ者が出てくる。藤田嗣治、小出楢重、佐伯祐三、岡鹿之助らは、モティーフやスタイル の選択だけでなく、技法のひとつとしての油彩の扱いに個性を求めたのである。20 年代に パリ経験を持った彼らは、あえて市販の画材に手を加えるなどして独自の表現を試みた。 小出や岡が刊行した技法書はその後、長らく国内で影響を持つことになる。 本セッションでは、1913 年以降パリに定住して、日本の画材や表現を油彩画に取り入れ ることで 20 年代パリのサロンで名声を得た藤田嗣治の「乳白色の下地」について報告した い。墨や膠といった画材や面相筆などの伝統絵画用の絵筆を油彩に取り入れて、黒く繊細 な線描と背景の余白を生かして日本性、もしくはエキゾティズムを強調しつつ、モティー フ自体は西洋的な裸婦や静物に限定して、本場でも斬新に映る油彩画を描いた。 しかしながら、若き時代にある種の前衛性を持って和洋折衷の油彩表現に取り組んだこ の画家は、1950 年代以降は古典技法を研究して聖書をテーマに描き(洗礼名には自ら望んで、 ダ・ヴィンチにちなみ「レオナール」を受ける)、最終的には 70 歳代後半にフレスコ技術 を学んで自らが埋葬されるべき礼拝堂を装飾することになる。20 世紀に西洋の絵画技法の 歴史を遡っていった稀有な例といえるだろう。
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