クルーツィスと 実験の権利

ロシア語ロシア文学研究 39 (日本ロシア文学会,2007)
クルーツィスと 実験の権利
大 武 由紀子
目次
イメージの統合がめざされている。この新種のポス
1.クルーツィスの 作活動と 実験の権利
2.社会主義リアリズム的芸術を求めて
ターは,国家を挙げての大工業化政策を推進するエン
ジ ン と なった。ク ルーツィス は 1929 年,イ ゾ ギ ズ
2.
1.反アヴァンギャルドの闘い
2.
2.反 アフル の闘い
(国立出版所)における 5ヵ年計画 のためのポス
ター制作部門の長になり,30 年代初めには,スター
2.
3.社会主義リアリズムのための実験
3.おわりに
リン翼賛ポスターの第一人者になっている。
5ヵ年計画 が終了に近づき,5 年にわたる計画の
目標であり,民衆がその到来を待ち望んでいた期待さ
1.クルーツィスの
作活動と
れる未来社会(ユートピア)が目前にあると感じられ
実験の権利
た 1932 年, 社会主義リアリズム のテーゼが,党に
マレーヴィチ,タトリ ン,ロ ト チェン コ と いった
よって定立された( 文学・芸術団体の改組について
アヴァンギャルドを代表する芸術家たちと活動をとも
の決議 8)
。この決議が一つの要因となってポスター
にし,自身の経歴においても非の打ち所のないアヴァ
描写における主要なテーマは 指導者賛美 と ユー
ンギャルド芸術家であるラトビア人,グスタフ・ク
トピア描写 へと変化して行く。写真をモチーフにし
1
)は,ペ レ ス ト
て現実を映し出すフォトモンタージュ,特に画面を大
ロイカ以後,冒頭の芸術家たちの研究が格段に進むな
胆に 断しながら,画面全体を統合することによって
かにあって,その再評価の作業はなお途上である 2。
民衆を鼓舞することを最重要な目的とする アジテー
アヴァンギャルド芸術家であり,同時にスターリン翼
ション政治フォトモンタージュ は,時代と相容れな
賛ポスターの第一人者であったという二重性が評価の
いものになり,次第に 社会主義リアリズム のテー
作業を困難にし,またそのことがクルーツィスの 作
ゼと齟齬をきたすようになった。手法としてのフォト
活動の主要な特徴にもなっている。
モンタージュそのものも,アヴァンギャルドの一手法
ルーツィス(
-
として激しい フォルマリズム批判 の対象となり,
クルーツィスは革命直後,マレーヴィチによる無対
象画(シュプレマティズム)の強い影響の下に自らの
第 1 次 5ヵ年 計 画 の 終 了 と と も に 次 第 に 勢 力 を
作活動を開始している(図 1)3。さらに 20 年代前
失って,30 年半ばにはポスターの上から姿を消して
いく。
半には,構成主義グループの一員として 芸術を生活
生産芸術 をスローガンに,特にアジテーショ
代わって 社会主義リアリズム の様式として主流
ン芸術の 野において 芸術による革命 を志向した
になったものが, 移動展派 (写実主義)の系譜を引
に
(図 2)4。彼の
く美術団体 アフル
作における特徴は,その開始から粛
9
による手法である。それは,
清 による終焉まで一貫して写真をモチーフにし,そ
明るさ・ 康的な笑顔・未来への夢などをモチーフに
れらをアヴァンギャルド特有の手法であるモンター
し,写真を用いず,手によって写実的に描かれた古典
ジュ法と結合させながら,諸イメージの統合によって
的 な 描 写 法 を 特 徴 と す る も の で あった(図 5)10
新たなイメージをつくり出す手法(フォトモンター
(図 6)11。このような時代状況のなかにあってクルー
ジュ)を追及したことである。この手法は 第 1 次
ツィス自身も, 社会主義リアリズム とフォトモン
5ヵ年計画 という大工業化プロジェクトによる時代
タージュの調和の可能性をもとめて様々な実験を行
的な需要に見事に合致し,クルーツィスはここに自ら
なって い る(図 7)12 ∼
(図 10)
。し か し フォト モ ン
アジテーション政治フォトモンタージュ と名づけ
タージュの 復 権 は 及 ば ず,30 年 代 半 ば に は ク ルー
5
た新様式を
6
ツィスは,党からのポスター注文をほぼ失っている。
7
りあげている(図 3)(図 4)。切り抜
フォトモンタージュ・ポスターが 落の途にあり,
いた写真を突合せ,衝突させて差異を強調させながら,
構成においては全画面にわたる対角線と背景の赤,そ
社会主義リアリズムの画家たちが隆盛を極めるこの時
してスローガンの文字列によって画面全体の活性化と
代に,クルーツィスはフォトモンタージュに関して 2
76
クルーツィスと
つの記述を残している。一つは 大ソヴィエト百科事
典 の フォトモンタージュ
13
実験の権利
うに変化・発展させたのかという問題について,社会
の項である。ここで
的政治的状況を視野に入れながら整理を試みるもので
は当然ながら,理路整然とフォトモンタージュの定義,
ある。
理論,出現までの歴 ,そして世界的な動向を記して
2.社会主義リアリズム的芸術を求めて
いる。この理論的記述と表裏一体をなすようにして記
されたものが未完手稿 実験の権利
14
(1935-36)で
ある。イラスト,メモ書き,新聞の切抜きなどが乱雑
実験の権利 における社会主義リアリズムに関す
に入れられ,時に感情的な表現や本音が散見する裏表
る記述は,二様の目的に捧げられている。1 つはク
に書かれた 13 枚からなるこの手稿は,その約半
ルーツィスが自らの 作の原点であるアヴァンギャル
が
フォトモンタージュの擁護に当てられている。ここで
ドから成長発展し,最終的にそこを脱して独自の
ア
クルーツィスは,文学,音楽,演劇,映画など の 他
ジテーション政治フォトモンタージュ
ジャンルにおけるモンタージュ法の具体的例を挙げ,
程を示すことによって, アジテーション政治フォト
そこから法則性を抽出し,その法則性にのっとって
モンタージュ と ア ヴァン ギャル ド(フォル マ リ ズ
フォトモンタージュの正当性の論理付けを試みている。
ム)を峻別し,前者の救済をめざすことである。もう
残る半 には,社会主義リアリズムの路線に対するク
1 つは,当時隆盛をみていた社会主義リアリズム画家
ルーツィスの え,つまり社会主義リアリズムにふさ
の作風と手法を批判することである。ここではこれら
わしい芸術様式を模索するための 実験の権利 が戦
の 2 つの問題に けて論じたい。
に到達した過
闘的な言葉で語られている。
クルーツィスの粛清によって本手稿は完成を見てい
2.1.反アヴァンギャルドの闘い
ない。しかし同時期に執筆された 大ソヴィエト百科
本資料の冒頭を見てみよう(引用 1)
。クルーツィ
事典 の記述を補完することで,この時代のクルー
スは小見出しに 一般的な状況 と記し,これから展
ツィスの社会主義リアリズム理解の全体を把握するこ
開しようとする論の拠って立つ基盤として, プラウ
とが可能である。
ダ に載せられた画家レーベジェフに対するフォルマ
ク ルーツィス 研 究 の 第 一 人 者 で あ る M.トゥピー
リズム批判文 ヘボ画家たちについて
16
(1936 年 3
ツィンは,クルーツィス研究に関して次のように述べ
月 1 日付け プラウダ )を掲げている。そこでレー
ている。 ソヴィエト・アヴァンギャルドは,1917 年
ベジェフの絵本は 自然なもの,素朴な喜び,明るさ,
に始まり,32 年に突然終結した単一的現象ではけっ
日々の日常〔…〕などに汚点を残すもの として批判
してなかった。アヴァンギャルドは多くの異なった方
されている。フォルマリズム批判はクルーツィスに
向性からなっており,その中で最もラジカルなものが,
とって造形芸術における自明な 一般的な状況
革命のメッセージを広めるために新しく効果的な視覚
あった。フォルマリズム批判の内容を土台にして,真
的形式を発明しようとした。ポスターというメディア
のソヴィエト芸術を求める闘いを開始することを表明
においてクルーツィスが写真とモンタージュを結合し
している。
で
たことは,この方面におけるアヴァンギャルドの最後
の大きな実験であった。
〔…〕20 年代のアヴァンギャ
17
引用 1〔1 表/13〕
ルド芸術家たちの多くを 30 年代スターリン体制に近
一般的な状況
接して制作せしめた状況は,さらに厳密に検証なされ
造形芸術の課題に
ねばならない , 検証が必要である箇所は,純粋な抽
画家たちについて…… を検討することは,芸術の高い
象的芸術の実践が 20 年代半ば以後に異なる形式と内
質を求めての闘いを意味する。
って, プラウダ 上の論文 ヘボ
ここで私が言いたい事はソヴィエト芸術の妨げとなるあ
15
容に置き換えられ始めたその道筋である 。
らゆる原因を排除することである。
本論は,本資料の後者の部 ,つまり社会主義リア
リズム論に焦点を当て, 大ソヴィエト百科事典 で
その不足を補いながら,フォトモンタージュが 落し
さらに引用 2 において,フォルマリズム批判と全く同
社会主義リアリズム画家が跋 する時代,その事実を
じ視点,つまりアヴァンギャルドは専門家による研究
クルーツィスはどのように捉えたのか,さらに社会主
者的努力によって獲得された様式であり,大衆の要求
義リアリズムのテーゼのもとで,自身の手法である
に応えるものではないとして,マレーヴィチとマヤコ
アジテーション政治フォトモンタージュ をどのよ
フスキーを弾劾している。
77
大武由紀子
ト モ ン タージュ (図 3)
(図 4)の 原 点 が ア ヴァン
引用 2−
〔5 表/13〕
根本的な誤りは何にあるのか
(それは)内容から隔
ギャルドであることは認めざるを得ない事実である。
絶されて形式が 作されたこと。
クルーツィスは自らもかつて熱狂的にアヴァンギャル
疑いなく,マヤコフスキーとマレーヴィチの影響である。
ド運動に加担していたことを認め,後悔しながら,し
〔…〕誤りは専門家による研究者的努力により獲得され
た様式にあり,
〔…〕新しい芸術構成を必要とする大衆
かし自らの過誤を肯定的に捉えなおし,より高い芸術
の要求にこたえるものとして自然に出現した様式ではな
を求めて闘うことを決意している(引用 3)
。
いということにあるのだ。
クルーツィスの
引用 3−〔5 裏/13〕
作活動の原点はマレーヴィチによる
自 について
シュプ レ マ ティズ ム で あ り(図 1)
,マ ヤ コ フ ス
後悔する必要があるとは えない,それは〔…〕無駄で
キーは 20 年代の構成主義運動(図 2)における同志
であった。自ら
り出した
ある。
アジテーション政治フォ
〔…〕
,自 の誤りと不足を排除することが必要である。
抽象的なフォルマリズム
フォルマリズム的な曲芸
図1
図2
社会主義アジテーションの手段
図3
図4
78
クルーツィスと
クルーツィスは,自らの アジテーション政治フォト
き,次のような解釈が可能である。
モンタージュ をアヴァンギャルドから切り離すこと,
さらにそれは, 5ヵ年計画
実験の権利
第 1 次 5ヵ年計画 を経て国家は大きく成長し,
を成就させ,実現させよ
階級はすでに過去のものになった。ポスターの観衆は,
うとする大衆の強い要求に押されて出現した真の社会
もはや労働者でも農民でもない。ソヴィエト国民であ
主義芸術であること,それらのことを証明するために
る。国家と国民の成長に比べて芸術家は成長しておら
アジテーション政治フォトモンタージュ がいかに
ず,社会主義 設に於ける国家の変化を的確に描写し
長い実験の道のりを経て り出されたかということに
ていない。そのようなやっつけ仕事をしているのが
ついて, 大ソヴィエト百科事典 のなかで段階的な
アフル の画家たちであり,彼らは当然受けるべき
理論付けを試みている(引用 4)
。
フォルマリズム批判 を受けていない。〔…〕ポス
ター描写に最も必要なものは 単純さ
引用 4− フォトモンタージュ
と 国民性
であり,それは旧弊な写実主義を信奉する アフル
大ソヴィエト百科事典
による 民衆的 なものでも ロシア的 なものでも
(1936 年,クルーツィス)
フォトモンタージュの基本的土台は思想である〔…〕
ない。
ソヴィエトに於いてフォトモンタージュの最初の萌芽は,
5ヵ年計画 から 社会主義リアリズム へと社会
最も過激な革新的芸術潮流の中に出現した(無対象芸術,
全体がシフトしていくことを,クルーツィスは 社会
キュビズム,未来主義)。〔…〕戦時共産主義時代の抽象
主義の 設 と捉えている。そして アフル を初め
的なフォルマリズムから出発し複雑な道のりを経て(最
初のフォトモンタージュは画家クルーツィスによる
とする社会主義リアリズム画家達が,この発展にふさ
突
わしい描写手法を 造していないことを批判している。
撃 (1918 年)と ダイナミック・シティー である)
,
次 第 に フォル マ リ ズ ム 的 な 曲 芸( レーニ ン・ポ ス
さらに引用 6 では,社会主義リアリズム画家として跋
設のための闘いに於
している者たちを,批判の俎上にのせている。 ア
ける党の政治アジテーションの強力な手段へと変化し
フル の典型的画家 2 人(ブロツキー,カツマン)の
た。
作品を
ター )から開放され,社会主義
い古された写実主義の伝統の限界 とし,
同じイゾギズ(国立出版所)で働く同僚ポスター画家
たちの作品を 独 性のない紋切り型
ここで,抽象的なフォルマリズムから抜け出し,真
として切り捨
の芸術である アジテーション政治フォトモンター
て,最後に両者を 政治的ごまかし と 括している。
ジュ
すでに引用 4 において, フォトモンタージュの基本
へと発展する過程を,作品図 1∼図 4 の上で見
的な土台は思想性である と記されていることから,
てみよう。
政治的ごまかし とは, 思想性の欠如 を意味する
と推察可能である。
2.
2.反 アフル の闘い
第 1 次 5ヵ年計画 が終了し,社会が大きく変動
した際の,社会変化に伴う芸術の諸問題について,ク
ルーツィスは 社会主義の
引用 6−〔7 表.4 表/13〕
自然主義
設 と小見出しをつけて
踏み固められた道―自然主義的細部拘泥の道,鈍い経験
次のように記している(引用 5)
。
主義的限界性の道。
引用 5−
〔1 裏/13〕
社会主義の
設
ブロツキー
第 2 回コミンテルン大会
カツマン
ヴォロシーロフの肖像
ポスターにおいて
わが国には少なからずやっつけ仕事がある。それらは受
デニ,モール,〔…〕,デイネカ―様式化,奇形な空想,
けるべき攻撃をうけていない。
〔…〕
低俗な自然主義,紋切り型,やっつけ仕事……
国家は成長し,見る者も成長している。しかし我々芸術
他人の成果を売り買いしているいんちき追随者〔…〕
。
家は遅々として成長せず,〔…〕まずい仕事しかなされ
政治的ごまかし(大文字)
ていない。集結しよう。最前線へと向かおう。
最も必要とされることは,単純さと国民性である。〔…〕
それは民衆を模倣した単純なものでもなければ ロシア
さらに, 真の芸術とは,(人民の)敵を倒すための銃
風 なも の で も な い。〔…〕マ ヤ コ フ ス キーの 作 品 に
や弾丸のような強力な作品を
よって特長づけられるような単純さである。
い とし, アフル も,イゾギズのポスター画家も
作しなければならな
共に,(人民の)敵を倒す に足る芸術を り出して
当時の社会的背景を視野に入れてこの引用文を読むと
おらず,またそのための十 な思想性も備えていない
79
大武由紀子
と確信している。それに対してクルーツィスは,自身
テーゼをフォトモンタージュによってどのように描写
の 作における指針として
したのだろうか。クルーツィスと社会主義リアリズム
インターナショナル の
詞を記している(引用 7)
。
画家による作品を比較し検討を試みる。
2.3.社会主義リアリズムのための実験
引用 7−
〔5 表/13〕
敵を倒すために,銃や弾丸のように,新しく強力で鋭い
指導者賛美 をテーマにする アフル による作
ものを 作しなければならない。
品(図 5)と,クルーツィスの作品(図 7)
(図 8)を
何を指針としてきたのか
偉大な言葉を
検討する。図 5 において,その主要なモチーフは,指
我々は圧制のあらゆる世界を
その根底に至るまで破壊し,そしてそのあとに
導者と子供たちのまなざしによる画面全体の一体感の
我々は,我々の新しい世界を打ちたて
描出である。子供たちのまなざしは,直に指導者に向
何者でもない人がそこではすべてになるのだ。
けられている。しかし指導者のそれは,視点が明確に
描かれておらず,それゆえに子供たちに,さらに画面
最後にクルーツィスは, フォルマリズム批判 の批
外にいる観衆,つまりソヴィエト国民すべてに向けら
判のあり方そのものに目を 向 け て い る(引 用 8)。
れる。指導者は国民を慈しむ
フォルマリズム批判にはウソが多く,雑駁な批判に留
ワーある人間として描かれ,そのパワーを保障するも
まって い る と 断 定 し て い る。 ア ジ テーション 政 治
のとして後方中央にクレムリンのシルエットが描かれ
フォトモンタージュ が社会主義リアリズムの一手法
る。
,国民を統率するパ
として正当に評価されない原因は,批判のあり方も一
クルーツィス作品を見てみよう。図 7,図 8 におい
因であると え,さらに言外に,もし批評が正当なも
て強調されるものは,民衆と指導者との間の隔離であ
のであれば, アジテーョン政治フォトモンージュ
る。民衆は 集団の一部 としてではなく,ソヴィエ
は社会主義リアリズムのテーマを十全に描写しうる正
ト国民の 一個人 として描かれ,そのまなざしも上
統な手法であると認められて当然である,と確信して
方を見上げながら,視点はバラバラであり,指導者に
いる。
直に向ける者はみあたらない。指導者は,人間を超越
する者のように画面から浮き出され,その超越者のイ
メージとして,虚空に向けられたような独特なまなざ
引用 8−
〔6 表/13〕
批判
しと特有な型をもつ手が与えられている。しかし,民
大多数の場合読者の方向を誤らせる全くのウソが書か
衆と指導者の間の隔離は,円環(宇宙・世界)をイ
れている。
〔…〕作家の育成の問題において,批判は
メージさせるゆるやかな曲線によって繫げられている。
非常に重要な意味を持っている。しばしば芸術作品の
長所と短所を注意深く見 ける代わりに,十羽一絡げ
図 7 において,それは二重の手すりとして,図 8 にお
に褒め称えたり,十羽一絡げにこき下したりすること
いては,たなびく赤旗の曲線として表出されている。
に留まっている。
さらに図 8 では,天を指差す手の上方には,画面を
活性化 するためではなく,むしろ 神聖さ を表
以上の論
現するかのような 赤 が用いられ,そこに水平にス
から,クルーツィスは 5ヵ年計画 か
ローガン カドルはすべてを解決する
ら 社会主義リアリズム へと時代が変化することを
社会主義の
で入れられている。クルーツィスは,指導者のイメー
設 と受け取り,国家の発展にふさわ
しい芸術を り出すことが,芸術家の
が瀟洒な字体
ジ描写において人間としての 賛美 よりも神として
命であると
えていると言える。そして社会主義リアリズム画家た
の 崇拝 の要素をより強く打ち出しながら,一つの
ちが,真の社会主義芸術を
宇宙を司る超越者として描出することを目指している。
造していないことを指弾
し,彼らこそ フォルマリズム批判 を受けるべきで
手法としては, アジテーション政治フォトモンター
あり, フォトモンタージュ は社会主義リアリズム
ジュ の諸要素を全体として弱め,しかし新たな手法
のテーマを十全に描写し得る手法であり,それゆえ忌
を加えながら, 超越者 としてのイメージ描写に一
避されることなく認められるべきであると主張してい
定の成功をもたらしている。
次に ユートピア をテーマにする
る。その上で,社会主義リアリズム芸術にふさわしい
アフル によ
る作品(図 6)とクルーツィスの作品(図 7)
(図 9 )
フォトモンタージュ様式を追求するための 実験の権
(図 10)を見てみよう。
利 を要求しているのである。
図 6 では,赤いスカーフをたなびかせる短髪の若い
それではクルーツィスは,社会主義リアリズムの
80
クルーツィスと
実験の権利
図5
図6
図7
81
大武由紀子
女性を先頭に,現代的な家族は期待に満ち れ,遠い
タージュされた二人の人物の足元には,ユートピアと
未来のユートピアから吹いてくる風に向かって一体と
しての工場が描かれている。すべてが自動化された工
なって進んでいく。背景には美しく整備された近未来
場では人影さえもまばらで,工場の煙突も 5ヵ年計
の農村ユートピアが広がっている。現実は絵画によっ
画 の時代のように力強く煙を吐いてはいない。構図
て遮
においても水平線による安定感が強調されている。写
され,ユートピアは自在に演出されている。
クルーツィスの作品を見てみよう。 社会主義リア
真に写る工場群は,絵画に似せて修正され,上から彩
リズム 定立(32 年)以後の作品中,農村をテーマ
色され,現実性は減少させられている。図 10 は,前
にする作品は図 7 の一枚だけである。しかしここでは,
述の アフル
中央を占める指導者のイメージ描写だけにフォトモン
とほぼ同じテーマが描かれている。近未来のユートピ
タージュが用いられ,左右に位置される美しい農村を
アとしての美しい農村の代わりに飛行機と落下傘が,
背景にした小奇麗な身なりの女性たちは,完全に絵画
遠い未来のユートピアに向かう家族の代わりに,無重
によって描写され,写真は放棄されている。
力の未来空間へ一歩踏み出すようなパイロットたちが
農業以外の 野において,ユートピアはどのように
によるユートピア描写の作品(図 6)
描かれている。明澄な色彩も画面の安定感も類似して
描かれているだろうか。図 9 において,大きくモン
いる。クルーツィスのユートピア描写の実験において,
図9
図8
図 10
82
クルーツィスと
実験の権利
フォトモンタージュの両要素,つまり写真とモンター
び作品が世に出されたのは スターリン批判 後の 1959
ジュの要素の必要性は限りなく縮小されている。全体
年(国立ラトビア美術館)と 1961 年(国立マヤコフス
としてこれらの作品群は, 写真による絵画
キー美術館)の各展覧会である。しかし本格的研究は,
の状況
ドイツ人美術 家 H.ガスネルによる企画展 芸術を生活
にあり,手法においても アフル の方向性に並行し
へ;ロシア構成主義芸術 (1985 年,アメリカ,ワシン
ていると言うことができる。
トン大学)が一つの契機となっている。クルーツィス研
究の主要な著作及び論集には以下のものがある。
3.おわりに
Hubertus Gasner. Gustav Klucis (verlag Gerd Hatje,1991),
pp. 395.
M argarita Tupityn, Gustav Klutsis and Valentina
クルーツィスは 実験の権利 において,社会主義
リアリズムのテーゼ 指導者賛美 と
K ulag ina: Photog ra ph y a n d M on ta g e A fter
Constructivism (New York, 2004), pp. 255:クルーツィス
ユートピア描
写 をフォトモンタージュによって描出する 実験の
権利
の妻クラーギナから譲渡された家族蔵の資料(クルー
を主張した。その実験の結果,どのような結論
ツィスの手紙及びクラーギナの日記)と著者の論文を収
録。
に達したのだろうか。ここまでの論 から次のことが
指摘可能である。
前 者 の テーマ
:マヤコフスキー美術館学芸員であったオギンスカヤ
による唯一のクルーツィス伝。
指 導 者 賛 美 に つ い て は, ア ジ
テーション政治フォトモンタージュ の手法の要素を
最新の展覧会として,2005 年 11 月∼2006 年 2 月にフラ
ンスのストラスブルグ現代美術館において国立ラトビア
一定程度継承しつつ,さらに新規の手法を取り込みな
がら,新たなイメージ描写にある意味で成功を収めて
美術館蔵の 100 余点のクルーツィス作品が展示された。
3
いる。しかしそれは人間としての 賛美 より神とし
ての
崇拝 に重きを置くイメージ描写であり,当時
4
の時代が要請する指導者を
とみなす家族の一体感と
してのそれとは方向を異にするものであった。
5
他方, ユートピア描写 においては,クルーツィ
(図 1) ダ イ ナ ミック・シ ティー 1919 年,37.5×25.8
cm
(図 2) ロシア共産党
レーニン・シリーズ
雑誌
若
き親衛隊 No2-3,1924 年,21×15cm
1937 年 12 月,ニューヨークで開催される国際展覧会へ
の出発直前に逮捕,翌年 1 月に銃殺されている。クルー
スの熱意と努力とは裏腹に,フォトモンタージュの両
ツィスは 36 年 2 月にウクライナ在住のラトビア人団体の
要因,つまり写真とモンタージュの要素は大きく減少
依頼をうけ,ルズダク名称大コルホーズにあるラトビア
している。写真はもはや必須のモチーフではなく,
郷人会を訪問し,制作している。このことが粛清の原因
と えられる。
断・衝突・差異の強調というフォトモンタージュ特有
6
の手法はすでに描写上の障害物として除去されている。
(図 3) ソヴィエト連邦は全世界のプロレタリアートの
突撃部隊
写真は次第に絵画化され,最終的に写真版 アフル
5ヵ年 計 画 の た め の 闘 い ,1931 年,145×
104cm
絵画の様相を呈している。
7
クルーツィスは,フォトモンタージュによる 指導
者賛美 と ユートピア描写 の描出の実験において,
以上の 2 つの事実を認めざるを得なかったのではない
か。 実験の権利
8
がメモのような下書きの状態のま
芸術家団体の統合に関して,ポスターのジャンルは社会
に 関 連 し て ク ルーツィス は,自 身 の フォト モ ン ター
ジュ・ポスターが問題にされ,31 年 6 月 6-7 日に 共産
党アカデミー文学・芸術・言語研究所 において審議が
(おおたけ ゆきこ,北海道大学大学院生)
企画された。本審議のなかでクルーツィスは,報告
注
ア
ジテーションとプロパガンダの手段としてのフォトモン
クルーツィスはヴフテマス(国立高等芸術・技術工房)
タージュ を行ない,その功によりフォトモンタージュ
時代にマレーヴィチに師事し,マレーヴィチを中心とす
が 決議 に適った手法であることが承認されている。
る若い芸術家集団 ウノヴィス と一時期活動を共にし
本審議の議長マッツァは,その結語のなかで, 決議
ている。また,妻クラーギ ナ の 日 記(1930 年 5 月 20 日
主要な描写要素として, 明澄さ
付け)には,マレーヴィチがレニングラードで逮捕・投
手で描くこと
とともにコルホーズ・ソフホーズも描くこと
獄の後,モスクワのクルーツィス宅を訪問し,2 年ぶり
の
工業
人民の敵
をえがくこと 等を挙げている。しかし描写法の詳細に
に旧 を温めたことが記されている。
粛清後,クルーツィスの作品は
-
制作に関する決議 によって行なわれている。この決議
のではないか。
2
5ヵ年計画のための
主義リアリズム定立に先立って,1931 年 3 月 ポスター
ま 2 年間放置されたことは,このことを物語っている
1
(図 4) 5 カ年計画 3 年目の突撃へ
闘 い , 1930 年, 103× 74.5cm
ついては全く指示していない。
衆から閉ざされた。再
83
大武由紀子
//
cm
(図 10) 若 者 よ,飛 行 機 へ
9
アフル
13
(
14
:革命ロシア美術家協会)
10
19 34 年, 139 × 9 8cm
(図 5) スターリン,幸せな子供時代ありがとう 1939
年 , 60× 89 cm。
前述オ
ギンスカヤは,本資料について著書 グスタフ・クルー
//
ツィス の中で, 実験の権利 とタイトルして 3 頁にわ
たって論じている。しかし年代的制約もあり,全体的な
説明に終始し,詳細な
11
(図 6) 広 大 な る 我 が 祖 国 1938 年,71×150cm
15
12
(図 7)ナタリア・ピヌス,クルーツィス共同制作
農場の女性は一つの主要な勢力である
析や解読による見解は見られな
い。本資料に焦点を当てた論文は現時点ではない。
集団
Margarita Tupitsyn, The Soviet Photograph 1924-1937
(New Haven &London: Yale University Press, 1996), p.
1933年
144.
16
クルー
:レーベジェフ(
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ツィスが属する旧構成主義芸術家団体 10 月 協会の
フォトモンタージュ・グループの一員である女性画家ピ
る絵本 童話・歌・なぞなぞ (サムイル・マルシャーク
ヌスとの合作。左右の農村の描写はピヌスによるもの。
作)に対する新聞 プラウダ に載せられたフォルマリ
(図 8) カ ド ル は 全 て を 決 定 す る
1935 年,
:画家・ポスター画家)の挿絵によ
ズム批判。
17
引用番号後の〔 〕は,全 13 頁中の頁番号およびその
表・裏の別を記す。
(図 9 ) 燃料 と 金 属 の た め の 闘 い 1933 年,44.5×32.5
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