呪術・宗教・科学 人間精神は

「宗教学通論」ハンドアウト(5)
「宗教学通論」授業用ハンドアウト(5):
初期宗教学(宗教民族学・宗教人類学)の試み(2):「呪術」・「宗教」・「科学」
──ビデオ「部族宗教」の鑑賞に基づいて──
Ⅰ
フレーザーの呪術論
Ⅱ
フレーザー以後の諸学説
Ⅲ
「呪術・宗教・科学」に関するまとめ
Ⅳ
マリノフスキー以後の宗教人類学における呪術と宗教
参考文献)
教科書、第 5 章「宗教学を学ぶ人のための基本文献」pp.238-239
小口偉一・堀一郎(監修)『宗教学辞典』東京大学出版会、1973 年
脇本平也『宗教学入門』講談社、1997 年
Ⅰ
フレーザーの呪術論
呪術:日本語で「まじない」や「占い」と呼ばれる現象の総称。英語で magic。ゾロア
スター教の司祭者を「マギ」と呼ぶところから、と言われている。
つまり、何か不思議な「マナ」的力の働きによって、何らかの目的を達成しようとする
儀礼的行為、およびこの行為に関連する信念の体系のこと。
しかし、フレーザー(James Frazer, 1851-1941)ら初期の宗教研究者は、これを「宗教」
の前段階と考え、鑑賞したビデオにもあったように、先住民族を「宗教」をもたない「未
開人」と見なした。(「呪術」の段階→「宗教」の段階→「科学」の段階)
1.J.フレーザーによる呪術の原理と類型論
主著『金枝篇 』(The Golden Bough)1890-1936《岩波文庫版、全 5 巻》
呪術の二原理
(1)「類似の原理」:似たものは似たものを生む。結果は原因に似ている。
(2)「接触の原理」:かつて互いに接触していたものは物理的接触がなくなった後でも、
遠く距離を隔てて依然として相互に影響を及ぼしあう。
呪術の二類型
(1)「類感呪術(模倣呪術)」homeopathic/imitative magic
「類似の原理」に従い、ある結果が起こって欲しいとき、予めその結果に似たことを行
えばよいと考え、模倣することで欲する結果が得られるという信念に基づく呪術儀礼。
例)○雨乞いの願いを込めた降雨儀礼。
○クリスマスツリーの原初形態。
-1-
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(2)「感染呪術(伝染呪術)」contagious magic
「接触の原理」に従い、かつて接触していたが現在は距離を隔てて存在するものに影響
を与えることによって、欲する結果を得られるという信念に基づく呪術儀礼。
例)○原始社会の狩猟民族が狩りに出かけるとまず動物の足跡を探し、見つけると、そ
の足跡に向かって慎重な構えで槍を突き刺す。
○髪の毛、爪、へその緒を粗末に扱ってはならないとするタブーの発生。
(3)もう一つの区別:「積極的呪術」と「消極的呪術」
(4)フレーザーによれば、(2)「感染呪術(伝染呪術)」は(1)「類感呪術(模倣呪術)」を
前提として含んでいることが多い。
例:日本の古いしきたり:「ネズミの歯とかえてくれ」
「類感呪術」的側面:ネズミの歯と類似した強い歯
「感染呪術」的側面:ネズミ・抜けた歯・子どもの歯茎の接触
(5)(1)∼(3)の組み合わせで、合計 4 つの類型ができる。
現実の呪術はこれらのどれかにぴったり納まらない。4 つのタイプは複雑に絡み合って
呪術的世界を構成する。
(6)フレーザーはこれらの呪術を総称して「共感呪術」と呼んでいる。
2.フレーザーの呪術論における「呪術」と「科学」
フレーザーは、「呪術」と「科学」は基本的に同じ原理に基づいており、「呪術」は「科
学」と比較すると幼稚で方法の適用を誤っている、いわば「疑似科学」であると考える。
というのも、フレーザーによると「共感呪術」の基礎になっている「類似」と「接触」
という二つの原理は、そのまま「観念連合 association of ideas」の法則とまったく同じで
ある。この「観念連合」というのは、英語圏の経験論哲学以来の伝統に立って、人間の近
くや思考を心理学的に分析する際に持ち出される考えである。つまり、人間がものを考え
るというのは、知覚を媒介として成立した諸々の観念が複雑に連合して組織的な体系を作
り上げていく過程に他ならない。フレーザーはこの「観念連合」の根本法則が正しく用い
られると「科学」が生まれ、誤って用いられると「呪術」が生まれると考える。つまり、
「呪術」も「科学」もともに因果必然という自然法則的な世界観を共有している。ただこ
の因果法則が客観的に妥当するものが「科学」で、単に主観の世界だけで信じられ思いこ
まれているにすぎないのが「呪術」である。
3.フレーザーの呪術論における「呪術」と「宗教」
フレーザーによる「宗教」の定義:「宗教」とは自然および人間生活のコースを左右し
支配すると信じられている、人間以上の力に対する宥和・慰撫である。
-2-
「宗教学通論」ハンドアウト(5)
→「宗教」の背景にある世界観は、人生のコース、自然のコースとも、変更のきかない
必然性によって決定されるのではなく、ある程度の伸縮性・可変性をもっているという見
方を前提していることになる。「宗教」は「科学」や「呪術」とは異なる世界観に基づく
わけである。
フレーザーは、「宗教」と「呪術」の違いを2つの点から整理する。
(1)対象:
「宗教」の場合は、人格的・意識的な存在(人間の頼みを聞いて応答する存在)
「呪術」の場合は、非人格的・非意識的な力(いわば機械的に働く力)
(2)対象に向かう人間の態度:
「宗教」の場合は、人間以上の力と認めて、謙遜にへりくだって随順する態度
「呪術」の場合は、非人格的な力を、自分の思いのままに操作するという態度
(ただし、(1)は必ずしも厳格な区別ではない。「呪術」が人格的・霊的存在を対象に
することもあるとされる。)
─→《「呪術」の時代→「宗教」の時代→「科学」の時代》という発展史の構想
Ⅱ
フレーザー以後の諸学説
1.「呪術」の類型
フレーザーの提唱した「共感呪術」の重要性は否定されないが、これとは異なるタイプ
の呪術の存在も指摘されるようになる。
「反復呪術」
「直接呪術」(「意志呪術」)
「ホワイト・マジック」
「ブラック・マジック」
「邪術 sorcery」
「妖術 witchcraft」
2.「呪術」の原理
マレット(Robert Ranulph Marett, 1866-1943)のフレーザー批判:
「呪術」の原理は「観念連合」のような知的・観念的なものではない。むしろ非合理的な
激しい意欲や感情の動きが呪術的行動を生み出す原理になっている。止みがたい激情を端
的に表出・表現する無意識的な行動が「呪術」の原型だという。そこでは、
「接触の原理」
や「模倣の原理」などが知的に冷静に考えられているわけではない。
-3-
「宗教学通論」ハンドアウト(5)
─→「原型的呪術」と「発達した呪術」の区別。
「原型的呪術」とは上述のような表出/表現の行動であるが、それはやがて単なる感情表
現というより以上に、現実を動かす力を持つと思いこまれ、シンボルとしての意味を担う
ようになる。さらに目的や効果の観念が付け加わり、強力な信念がこれを支えるようにな
り、その結果、慣習的に定型化・定式化されることになった。「発達した呪術」、すなわ
ち、当の社会の呪術儀礼の体系はこうして成立する。
ただし、激情は本来、理性では片付かない非合理的な性格を有し、この激情の非合理性
が源となって「呪術」の神秘性・超自然性が生じているのだとマレットは考える。
Ⅲ
「呪術・宗教・科学」に関するまとめ
1.「科学」と「呪術」
以上のように考えるマレットの立場では、フレーザーのように「呪術」を原始社会の「疑
似科学」と見なすことはできない。「呪術」は「科学」とは根本的に異なるもの、原理を
異にするものということになる。
むしろ「呪術」は、人間の営みの中で、原理的に「科学」を超えた超科学的な、自然的
常識を越えた超自然的領域に属するものと見られる。この点で、「呪術」は「科学」とで
はなく、「宗教」と姉妹であると考えられることになる。
マレットは、合理的な「科学」の領域から明確に区別されるものとして非合理的・超自
然的な「呪術」・「宗教」的儀礼の領域を考える。
マリノフスキー(Bronislaw Kasper Malinowski, 1884-1942)の主張:
主著『西太平洋の遠洋航海者』(1922 年)。トロブリアンド島民は危険な航海に出る前
に「呪術」を行うが、安全な潟での漁撈の際にはこれを行わない。つまり「呪術」によっ
て恐怖や不安を取り除いている。
人間の生活現象の中にははっきりと区別される性格の異なる二つの領域がある。
(1)「俗」なる領域:「科学」が属する。
(2)「聖」なる領域:「呪術」と「宗教」が属する。
マリノフスキーはフレーザーが「聖」と「俗」とを混同しており、根本的に間違ってい
ると主張する。
(1)原始の人間であっても経験的・合理的な知識や技術、私たちの「科学」や科学技術
に相当するような、経験によって鍛えられ合理的に組み立てられた知識や技術を既に身に
つけており、それをもとに環境世界を合理的に支配し、できるだけ裕に生活を切り開いて
いく。これが原始人たちの生活の「俗」なる領域である。つまり原型的ではあるが真正の
「科学」が存在した。彼らは「呪術」を「科学」の代用としていたわけではない。
(2)しかし、この原型的「科学」はまだ貧弱であり、その力には限界があるので、彼ら
が生活で直面する危険や困難は現代のそれよりも遙かに大きい。危険がせまり不安が高ま
るとき、彼らは俗から一転して「聖」の領域に入る。つまり「呪術」や「宗教」に拠り所
を求めようとする。
-4-
「宗教学通論」ハンドアウト(5)
2.「呪術」と「宗教」
「呪術」と「宗教」の区別:
○「呪術」:目的を達成するための手段、現世利益的な側面をもつ、これから何かが起
こるという事の始まる前に行われることが多い。
○「宗教」:儀礼の遂行そのものが目的、その意味で自足的、事が終わった後に行われ
ることが多い。
Ⅳ
マリノフスキー以後の宗教人類学における「呪術」と「宗教」
(1)「宗教」と「呪術」との共通点・類似点(同じく「聖」に関わるものとして)
○西欧の合理的学問、経験科学と明確に区別される立場に立つ。
○非経験的な問題に関わり、非合理的・超自然的な性格をもつ。
○事実ではなく、意味を問題にし、教義や儀礼といった象徴体系として構成し表現する。
○教義や儀礼を取り扱う専門家階層(呪術師、司祭)がいて、特別の役割を担う。
○人々はこれを承認し、これに従って、価値観や態度を共有する社会集団を形成する。
(2)「呪術」と「宗教」に差異について(M・ウェーバーの「理念型」を構成する試み)
純粋な呪術
←──────────────────────────→
(概念としてのみ存在)
純粋な宗教
(概念としてのみ存在)
現実の呪術や宗教
より呪術的
例 1)
より宗教的
実際的・特殊目的に関わる─→相対的に「呪術」の局に近い
一般的な目的に向かう─→相対的に「宗教」の局に近い
例 2)
利己的・反社会的目的を持つ─→相対的に「呪術」の局に近い
公共的・社会的目的をもつ─→相対的に「宗教」の局に近い
例 3)
強制的な操作の態度─→相対的に「呪術」の局に近い
謙遜な祈願の態度─→相対的に「宗教」の局に近い
例 4)
儀礼実施の是非と時期を当事者が任意に決める─→相対的に「呪術」の局に近い
一定の時が来れば儀礼を行うことに決まっている─→相対的に「宗教」の局に近い
(ビデオの監修者 H・キュンクは、本来の「宗教」を「呪術」と区別し、
「呪術」を「迷
信」に含める。それゆえ、彼は部族(先住民族)社会の諸儀礼を目的達成のためにのみ行
われる「呪術」として見ることに反対する。しかしながら、何れにせよ、人類の歴史にお
いて「呪術」が「宗教」に先行し、先住民たちが営んでいたのがこの「宗教」ならぬ「呪
術」に他ならないという考え方は、今日、ほとんど受け入れられていない。キュンクもま
た「宗教」を「呪術」から区別しつつ、先住民族も本来の「宗教」を有していたと考えて
おり、その上で「宗教」が「呪術」と混同される危険性を警告していると考えられる。)
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