姉妹都市 ポルトガル共和国 アベイロ

姉妹都市 ポルトガル共和国 アベイロ(Aveiro
アベイロ(Aveiro)市
Aveiro)市 昭和 53 年(1978)年 10 月 10 日提携
ⅰ アベイロ市概要
アベイロ市はポルトガルの首都リスボンの北方約 200㎞に位置する大西洋に面した人口約 7 万
8 千人、面積は約 197㎢の町です。気候が穏やかで、また海が入り江まで入り込み、運河となっ
て四方に流れ込む地形から、ポルトガルのベニスと呼ばれており、観光地として世界各国から
観光客が訪れています。歴史ある町で、郊外には中世の城や修道院の遺跡といった文化的遺産
も数多く残っています。
産業は、卸売業や観光産業が中心で、石油化学工業や製鉄業も盛んです。重要な漁港もあり、
また、塩の生産地としても有名です。
平成 21 年(2009 年)には、市政 250 周年を迎えました。
ⅱ 調印経緯
昭和 52 年(1977 年)10 月に、大分日本ポルトガル協会が設立された際に、アンドラーデ駐日ポ
ルトガル大使からアベイロ市との姉妹都市提携の申し入れを受けました。
大分市は約 460 年前の大友宗麟公の時代から、ポルトガルとの交流を通じて貿易、宗教にと
どまらず、医学、音楽、教育等幅広い分野で西洋文化が花開きました。現在、市の木であるホ
ルトノキもポルトガル人により移植されたものであるといわれています。大分市がポルトガル
とゆかりのある都市であることとアベイロ市が海岸に面し、観光、商業都市で類似点も多い都
市でありましたことから、昭和 53 年(1978 年)1 月に、大分市長名の書簡を大分日本ポルトガル
協会会長羽田野孝貴氏(株式会社大分放送取締役社長)に託し駐日ポルトガル大使館において、
手渡し、大分市の意向を伝えました。
昭和 53 年第 1 回大分市議会定例会において、姉妹都市提携を進める旨の報告を行いました。
同年 5 月には、学会の出席のために渡欧した大分市在住の古沢毅医師に、アベイロ市長あて
の姉妹都市提携促進方についての大分市長のメッセージと市勢要覧、3 月議会の市長提案理由説
明を託しました。同年 6 月に、アベイロ市長が古沢医師に口頭で積極的な賛意を表しました。
また、駐日ポルトガル大使館を通じて、アベイロ市より「アベイロ千年の歩み」「アベイロ
の守護神サンタ・ジョアンナ王女の像」「アベイロの運河で使われるモリセイロ(舟)の模
型」「観光パンフレット」が届けられました。同年 8 月には、アベイロ市長からアベイロ市の
幹部会が全員一致で姉妹都市提携を望んでいる旨の書簡を受理しました。
昭和 53 年 10 月、佐藤大分市長を団長とする大分市姉妹都市提携訪問団( 29 名)がアベイロ
市を訪問し、同月 10 日、佐藤市長とペレイラアベイロ市長が姉妹都市提携共同宣言に署名し、
正式に姉妹都市の提携を行いました。
ⅲ 交流経過
年
アベイロ市長
アベイロ市へ
大分市へ
その他の交流
10月 大分日本ポルトガル協会発足
S52
1977
S53
1978
ジョゼ・ジラウン
・ペレイラ
10月 姉妹都市提携訪問団
(市長29名)
姉妹都市提携共同宣言に署名
11月 鶴崎踊り保存会(45名)
S54
1979
姉妹都市提携記念バス乗車券の
発売
1月
アベイロ市議会議員(2名)
4月
駐日ポルトガル大使館を通じ、
花嫁衣裳を贈る
11月 アベイロ地域病院長一行(2名)
大分市医師会立アルメイダ病院開
院10周年記念式典に参加
11月 アベイロ市から民族衣装が贈ら
れる
10月 第1次親善訪問団(市長38名)
10月 アベイロライオンズクラブと鶴
崎ライオンズクラブ、鶴崎臨海
ライオンズクラブが姉妹クラブ
提携
S55
1980
S56
1981
3月
アベイロ市大分センターに展示
する資料(ガイドブック、スラ
イド等)を送付
4月
市民課ロビーにアベイロ市紹介
コーナーを設置
S57
1982
8月
S58
1983
大分県知事
大分市長よりアベイロ市長宛て
のメッセージを託す
11月 星野大分放送相談役がインファ
ンテ・ドン・エンリッケ勲章受
賞、吉川大分医師会会長がコメ
ンタドル・ダ・オルデン・ダ・
ベネメレンシア勲章受賞
S59
1984
S60
1985
S61
1986
9月
大分市史上巻を贈呈
2月
大分市史中巻を贈呈
4月
大分市史下巻を贈呈
8月
マヌエル・ヴィラリーニョ大航
海時代記念事業マカオ委員会委
員長一行(2名)
8月
大分日本ポルトガル協会再建総
会(会長 疋田 功)
S62
1987
10月 吉川大分市医師会会長
S63
1988
10月 第2次親善訪問団(市長31名)
姉妹都市提携10周年を記念して
アベイロ市長が記念講演を行う
H1
1989
5月
H2
1990
第2次親善訪問団(市長24名)
年
アベイロ市長
アベイロ市へ
大分市へ
その他の交流
2月
リスボン市議会議員(助役)が
市長訪問
6月
吉川大分市医師会会長がポルト
ガル名誉領事に就任
市医師会事務局が名誉領事館と
なる
H3
1991
10月 国際交流講演会開催
H4
1992
6月
大分県ポルトガル訪問団に収入
役が団員として参加
7月
ポルトガル国立文化センター
訪日団来市
8月
「プロジェクト南蛮」
日本訪問団が市長訪問
12月 日ポ友好450周年祝賀委員会
委員長、事務局長が市長訪問
H5
1993
1月
大分市民合唱団ウィステリア・
コール(44名)
アベイロ市の合唱団と合唱交流
を行う
6月
鶴崎踊り保存会(35名)
アベイロ市で鶴崎踊りを披露、
リスボン祭にも参加
9月
ポルトガル独立史学会が大分市
訪問
9月 日本ポルトガル友好450周年記念
~10月 行事の開催
10月 ソアレスポルトガル大統領夫妻
一行来市
H6
1994
6月~
セルソ・アウグス
ト・ドス・サント
ス
3月
日本ポルトガル友好450周年草の
根交流事業に大分市から4名参加
アベイロ市を訪問
3月
カルヴァーリョ在ポルト名誉総
領事が市長訪問
4月
大分市議会議員一行(6名)
4月
サルゲイロ駐日ポルトガル大使
夫妻を招き、日本ポルトガル友
好450周年記念ポルトガル帆船モ
ニュメント竣工式実施
6月
環境月間にアベイロ市の児童か
ら環境ポスターの出展
10月 第3次親善訪問団(市長56名)
H7
1995
H8
1996
7月
第3次親善訪問団(市長16名)
大分七夕祭りに参加
H9
1997
モリセイロを寄贈される
コンピュータを贈呈する
1月~
アルベルト・ソウ
ト・ミランダ
H10
1998
H11
1999
7月
第4次親善訪問団(助役65名)
11月 茶道表千家グループ
リスボンで「日本文化の祭典」
に参加
12月 大分市出身の工藤和男画伯がア
ベイロ市長訪問
大分市長の親書を手渡す
8月
H12
2000
第4次親善訪問団(議長9名)
大分七夕祭りに参加
6月
環境月間にアベイロ市の児童か
ら環境ポスターの出展
年
アベイロ市長
アベイロ市へ
大分市へ
その他の交流
6月
環境月間にアベイロ市の児童か
ら環境ポスターの出展
1月
大分日本ポルトガル協会主催
「ポルトガルの食文化にふれる
夕べ」開催
4月
「アベイロ市姉妹都市の日」に
展示する大分市関係資料を送付
4月
ポルトガル・日本友好協会日本
旅行団(23名)来市
7月
大分日本ポルトガル協会主催
「ポルトガルワインの夕べ」
初開催
3月
マーチフェアに大分市の資料を
提供
2月
「アニメウィークエンドアベイ
ロ2006」へ日本文化の資料を提
供
3月
マーチフェアに大分市の資料を
提供
「アニメウィークエンドアベイ
ロ2007」へ日本文化の資料を提
供
H13
2001
H14
2002
H15
2003
H16
2004
H17
2005
10月~
エリオ・デルガド
・マイア
H18
2006
2月
姉妹都市提携30周年事前協議
(2名)
3月
8月
大分シンフォニック・ウインド
・オーケストラ(33名)
吹奏楽公演を行う
10月 コインブラ大学OB合唱団
(44名)大分公演
9月
市職員インターンシップ
(1名)
海外派遣自主研修
7月
第5次親善訪問団(市長25名)
30周年共同宣言に調印
30周年記念品として雛人形セッ
トを贈呈
7月
後藤智江モダンダンススタジオ
親善公演団(36名)
アベイロ、レイリアにて公演
H19
2007
H20
2008
10月 第5次親善訪問団(評議員8名)
30周年共同宣言の交換
市民交流イベント「ポルトガル
“アベイロの夕べ”」へ参加
6月
H21
2009
10月 駐日ポルトガル大使夫妻が市長
訪問
8月
H22
2010
アベイロ市姉妹友好都市「中学生
環境フォーラム」訪問団
(4名)
10月 大分市誕生100年記念式典にアベ
イロ市長から祝賀書簡が届く
H23
2011
9月
H24
2012
アベイロ市制誕生250周年祝賀書
簡を市長に送付
コインブラ大学大学院生(2名)
大分における南蛮文化の調査・研
究を行う
9月
30周年記念品としてアベイロ市
よりアズレージョタイル画が届
く
年
H25
2013
H26
2014
アベイロ市長
10月~
ホセ・リバウ・エ
ステベス
アベイロ市へ
大分市へ
7月
第6次親善訪問団(副市長4名)
ホルトホール大分開館記念式典、
アズレージョタイル除幕式等出席
その他の交流
3月
アズレージョタイル画「Canal
Central」をホルトホール大分に
設置
ⅳ 分野別交流
行
政
交
流
◇ 大分市親善訪問団アベイロ市訪問(78年・90年・95年・98年・08年)
◇ アベイロ市親善訪問団来訪(80年・88年・97年・00年・08年・13年)
◇ 大分市議会代表団アベイロ市訪問(94年)
◇ アベイロ市議会議員来訪(79年)
◇ 交流協議等職員派遣(07年)
◇ 海外派遣自主研修職員派遣(07年)
文化芸術交流
◇ 鶴崎踊り保存会アベイロ市訪問(79年・93年)
◇ 大分市民合唱団ウィステリア・コール アベイロ市訪問(93年)
◇ 茶道表千家訪問団アベイロ市訪問(98年)
◇ 大分シンフォニック・ウインド・オーケストラ アベイロ市訪問(07年)
◇ 後藤智江モダンダンススタジオ親善公演団アベイロ市訪問(08年)
医
療
交
流
◇ アベイロ地域病院長一行来訪(79年)
◇ 大分市医師会アベイロ市訪問(88年・08年)
◇ アベイロ市親善訪問団 大分市医師会立アルメイダ病院訪問(08年・13年)
その他の交流
◇ 大分県知事アベイロ市訪問(83年)
◇ 日本・ポルトガル友好450周年を記念して、ポルトガル帆船モニュメントを
ガレリア竹町に設置(93年)
◇ 日本・ポルトガル友好450周年草の根交流事業(94年)
◇ 「ポルトガル“アベイロの夕べ”」開催(08年)
◇ アベイロ市姉妹友好都市「中学生環境フォーラム」訪問団来訪(10年)
◇ コインブラ大学大学院生受入(12年)
◇ アベイロ市から寄贈されたアズレージョタイル画「Canal Central(中央運河)」を
ホルトホール大分に設置(13年)
ⅴ
ⅵ
ⅶ 資料 大分とポルトガル
天 文 14 年
(1545)
ポルトガル人が中国船に乗り府内に来る
天 文 20 年
(1551)
7月 ポルトガル船、豊後(日出沖)に来る
8月19日 キリスト教布教のため滞日中の宣教師フランシスコ・ザビエルが山口から
府内に来る(キリスト教の布教を許す)
10月24日 大友義鎮(宗麟)はフランシスコ・ザビエルのインド帰国に際し使者をたて
ポルトガル国王及びポルトガル領インド総督宛て友好締結の書簡、一揃えの具足と
宣教師派遣方の書簡を送る(国王宛書簡、具足は1553年5月17日にリスボンに着く)
天 文 21 年
(1552)
8月19日 神父バルテザル・ガゴ一行と使者がポルトガル領インド総督からの返書、贈り物を
たずさえ府内に帰着
天 文 22 年
(1553)
6月11日 バルテザル・ガゴにより府内協会が設立される
ポルトガルの商人兼医師ルイス・アルメイダにより日本で初めての社会福祉施設、育児院が
開設される
弘 治 2 年
(1555)
7月 ポルトガル領インド総督から天文22年(1553年)同総督に送った書簡に基づき、
フェルナン・メンデス・ピントが答礼の使者として来る
トルレス神父ら山口から府内に移る(日本普及の中心地)
弘 治 3 年
(1556)
秋、ルイス・デ・アルメイダが府内に病院を建てる
永 禄 元 年
(1558)
ポルトガル船、府内に来航
3月16日付でポルトガル王ドン・セバスティアンから親書が送られる
その前にポルトガル領インド総督からポルトガル王ジョアン3世の名により武具等が贈られる
永 禄 2 年
(1559)
ポルトガル船、府内に来航
永 禄 3 年
(1560)
ポルトガル船、府内に来航
10月 バルテザル・ガゴ神父の帰国に際し、義鎮はポルトガル王ドン・セバスティアンに短剣、
ポルトガル領インド総督に太刀を託した
永 禄 5 年
(1562)
ポルトガル領インド総督に甲鎧(かっちゅう)、槍を贈る
天 正 5 年
(1577)
1月11日 肥前高瀬津に到着したポルトガルの石火矢(大砲)運送を城蔵人太夫に命じる
天 正 9 年
(1581)
1月 巡察使ヴァリニャーノ、府内にコレジオを設立
天 正 10 年
(1582)
1月28日 天正遣欧少年使節、ヴァリニャーノに伴われて長崎を出発
天 正 12 年
(1584)
10月12日 遣欧使節、スペイン・ポルトガル国王フェリペ2世に謁見
天 正 13 年
(1585)
2月22日 遣欧使節、教皇グレゴリオ13世に謁見
現在に息づく南蛮文化
○
○ホルトノキ
大分市八幡にある柞原神社には 400 年余り前、交易のために渡航したポルトガル人が持っ
てきて植えたと伝えられるホルトノキ(ポルトガルの木の意味)の大木があります。このよ
うなことから、大分市ではホルトノキを市の木として指定し、庁舎の庭や街路樹にこの木が
植えられています。
○
○アルメイダ病院
大分市医師会は、ルイス・デ・アルメイダの偉業を受け継ぐため、医師会立病院をアルメ
イダ病院と名付けました。平成元(1989)年、20 周年記念事業として、ルイス・デ・アルメ
イダの偉業を永遠に顕彰する場として、ポルトガル国とアベイロ市の協力を得てアルメイダ
メモリアルホールを設置し、往時の治療の様子などが展示されています。 なお、ホール内の壁画タイルはポルトガルの巨匠ヴァスコブランコの作品です。
○
○キリシタン文化を記念する銅像
市内にはポルトガル人によってもたらされたキリシタン文化を記念する銅像や記念碑が設
置されています。大分駅前の「大友宗麟公像」をはじめ、遊歩公園には、「聖フランシス
コ・ザビエル像」「伊東ドン・マンショ像(天正の少年遣欧使節の正使)」「西洋医術発祥
記念像」「西洋音楽発祥記念碑」「西洋劇発祥記念碑」「育児院と牛乳の記念碑」、神宮寺
浦公園(勢家町 4 丁目)には「南蛮貿易場阯記念碑」があり、市内葛木には「キリシタン殉
教記念公園」があります。
○
○南瓜(カボチャ)
南瓜はポルトガル人を通じて、日本で最初に大分に渡来した野菜であると伝えられていま
す。経世家で農政学者である佐藤信淵(1769-1850)が著した『草木六部耕種法』の巻一七に、
「南瓜は最初東印度亜(インデン)・東披塞(カンバチャ)國に生じたる物也、故に又カンボチ
ヤとも名く、此物の日本に渡たるは、西瓜の渡りたるより百年程以前、天文年中西洋人始め
て豊後の國に来舶し、國主大友宗麟に種々の物を献じ、大友の許しを得て其後毎年来れり、
其時代に蛮人等此の南瓜のみならず、数種作物の種子を持ち来れりと云ふ、此物は菓子には
成らざれども、諸魚・諸鳥、及び豕・猪等の肉と共に煮て食らふときは無類の美味なりと、
漢土人甚だ此物を賞す、故に西國にては此を作る者多し、然れども京都近邊にては、寛文年
中より植ると云ふ、…」とある。(復刻版 佐藤信淵家学全集 下巻 ㈱岩波書店)
○
○国際貿易港―府内沖の浜
近年の大友氏館跡や中世府内町の発掘調査によると、陶磁器に代表される海外からの品々
が中世の府内町に満ちあふれていたようすがわかってきました。府内の港であった「沖の
浜」を通じてもたらされたと考えられます。しかしながら、府内の繁栄をもたらしたその港
町も、文禄 5 年(1596)閏(うるう)7 月に起きた大地震(同年 10 月 27 日に慶長と改元された
ため。慶長の大地震ともいわれている)と津波によって海底に沈みました。
「沖の浜」の名を記した最も古い記録は、弘治元年(1555)倭寇(わこう)対策のために来
豊し、同 5 年に帰国した鄭舜(ていしゅん)功(こう)の著した『日本(にほん)一鑑(いっか
ん)』という本です。そこには「襖浜(おきのはま)」の港から陸路、府内の大友宗麟のもとを
訪ねたと書かれています。イエズス会の宣教師の記録では同地について「(府内)市(まち)
から半里離れたところにある、船の碇泊地」(『フロイス日本史』)、また「府内近く」の
「大きな村」で「多くの船の寄港地であり、揚陸地」(『イエズス会日本年報』)として紹
介されています。同港は、天文 20 年(1551)ポルトガル船が来航し、フランシスコ・ザビエ
ルが同年インドのゴアに向けて旅立った場所とされるなど、豊後最大の都市「府内」の外港、
および国際港として広く海外にまで知られていました。
沖の浜を窓口とした南蛮貿易は、主に中国のジャンク船などを通じておこなわれたと考え
られていますが、ポルトガル船来航の記録もいくつか確認されます。
天文 20 年(1551)8 月末、沖の浜に入港したポルトガル船の船長は、ドゥアルテ・ダ・ガ
マというザビエルの友人であり、当時山口で布教活動をおこなっていたザビエルの府内訪問
の大きなきっかけとなりました。その後、4 回程度のポルトガル船来航の記録があります。ポ
ルトガル船は、インドのゴアやコーチンなどを拠点に広く南蛮貿易をおこないました。近年、
ポルトガル近海で発見された 1606 年にインドコーチンを出航した沈没船の積荷の中には大量
のコショウとともに、多くの中国や東南アジアの陶磁器が積載されていました。陶磁器の中
には中国南部で焼かれた華南三彩貼花文五耳壷(かなんさんさいてんかもんごじこ)やミャン
マー産の黒軸三耳壷(こくゆうさんじこ)など、豊後府内の発掘調査によって発見される出土
品と共通するものも数多くあり、東南アジアを通じて結ばれた豊後府内とポルトガルとの深
い関係を知ることができます。