ベトナム人留学生とハノイの日本語学校

intelligence & investigation
情報と調査
速報・解説
NO: 96
2014 年 1、2 月合併号
〈誌上レポート>
ベトナム人留学生とハノイの日本語学校
急増の背景と問題点
坂内
正
中国からアジア新興国へ
少子高齢化が急速に進む日本では、特に介護や看護の現場での、深刻かつ慢性的な人手不
足が喫緊の課題として指摘され続けてきました。本誌でも特に EPA(経済連携協定)にもと
づくインドネシアやフィリピンからの看・介護士の来日と、受入れをめぐる政策上の問題点
を再三にわたり取りあげてきました。看・介護士の現場に限らず、若者の減少が止まらない
日本は、近い将来さまざまな分野で人手不足が懸念されています。
また、毎年のように新設されてきた大学や短大もここにきて、学生数の絶対的な減少で、
経営危機に陥る学校も出てきました。この少なくない部分を補ってきたのが、主にアジアか
らの外国人留学生です。以前はその多くが中国からの留学生でしたが、所得の増加による欧
米志向や自国の少子化のなかで次第にその比率は低下してきています。今では他のアジア新
興国からの留学生がその穴を埋めるかのように急増しています。
福田内閣の時に揭げた「留学生30万人」政策は、見方を変えれば入学者の急減に悩む大
学や短大へのいわば「救済等」でもあったのです。しかし、今だその半分の15万人にも達
していない現状で、特に「新設、地方、女子、単科」といった三重苦、四重苦の学校にとっ
て新入生(留学生)の減少は、死活問題ともなってきています。そのため前段階ともいえる
日本語学校共々、日本への留学をめざす若者の獲得のために海外まで PR に出かけたり、仲
介業者に頼んだりと必死の営業活動までやっているのです。
かくして遅々として進まない看・介護士現場への外国人労働者の受け入れの現状を尻目に、
大学や日本語学校の外国人学生獲得熱はヒートアップしており、その流れのなかで来日した
学生たちは、授業料や生活費を稼ぐために、レストランや居酒屋さらに最近では新聞配達の
現場などで、アルバイトに精を出しているのです。ここに、もはや、彼らなしには居酒屋も
新聞配達も成り立たないという現実ができあがってきています。
このほかにも、3年間を限度として企業で働くことを主眼とした、外国人技能実習生制度
(研修生)などがあります。さまざまに形態や名称は異なりながらも、海外とりわけアジア
からの若者たちが、日本の若者たちの穴を埋めるように来日してきているといえます。
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2種類ある
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日本語学校
ところで、相対的には日本は他の先進国に比べてまだ厳しい入国制限を敷いています。希
望すれば誰でも来日できるというわけではもちろんありません。
まずは、日本語の能力です。来日して日本語を勉強するといっても基礎的な日本語能力は
どの学校、企業でも求められます。ほかにそれまでの学校の成績や親の資力などが問われる
ものも、ビザの種類によってはありますが、主力は日本語の能力です。
この日本語というのは、現地の日本語学校で学ぶというのが中心になります。先ほど大学
と日本語学校が海外に学生を求めると紹介したのは、来日した外国人に日本語を教える日本
の日本語学校です。今ここで対象にしているのは、来日するための初級から中級の日本語を
教える現地の日本語学校です。
ですから日本語学校は送り出す側(外国)と受入れる側(日本)の2種類あるということ
になります。一般的には、外国の日本語学校で学び簡単な会話ができる N4(旧3級レベル)
や N5といったレベルに合格し、日本をめざすことになります。まれに N3(旧2級レベル)
や N2といった日常会話に不自由のないレベルに達する人もいますが、ごくわずかです。送
り出す学校としては、少しでも上のレベルに合格させ、日本の学校や企業にも受入れてもら
える若者の教育に熱を入れれば、次の年次の若者たちからの応募も増えることが期待される
だけに力も入ろうというものです。
ハノイの一心・日本語学校
そんな送り出す側を取材すべくベトナムの首都ハノイの一心(いっしん)という日本語学
校を訪問しました。ベトナムの日本語学校については、本誌上でも何回か紹介していますが、
主にはホーチミン市が中心でした。今回一心を選んだのはハノイという地域バランスにとど
まりません。まだ設立3年と歴史が浅いのに、こ
の学校から日本の学校や企業に行く若者が増えて
おり、受け入れ側の評判も概ね好評だと聞いたか
らです。ベトナムでの日本語熱は高く、歴史の古
い日本語学校も少なくないなかで、わずか3年で
伸びてきたのは何故かといったあたりが知りたく
て、昨年2013年12月下旬に訪問しました。
まず笑顔で出迎えてくれたのはこの学校のズ
ン・トアン・アン校長。アン校長自身はハノイで
も難関といわれるハノイ貿易大で日本語を学んだ
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新進気鋭のアン校長は 36 歳
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後、日系企業に3年間勤務し、来日。日本の企業でさらに8年間働いた後、帰国し今の一心・
日本語学校を立ち上げました。まだ36歳という若さですが、才気走ったところもなく、し
っかりとした日本語で丁寧に説明してくれます。モットーは貧しい若者に訪日して学ぶ機会
を与えることなのだそうです。
現在教職員数は大学の同窓生という奥様も含め15名、学生数は約100名(収容人員は
150名)です。主には高校を卒業した後、この学校で約半年間、日本語を学び、日本の日
本語学校や実習生として、訪日をめざす若者たちが対象です。このなかには、これも以前、
何度本誌で紹介した新聞奨学生をめざす若者も含まれています。
「一心」という校名の由来は、心を1つにしてとか、初心を忘れずにという願いを込めて
つけたのだそうです。
学生の出身地を尋ねたところ、ハノイ周辺にとどまらず、全国に及んでいます。このあた
りはホーチミン市の日本学語学校の学生の多くが同市の周辺やメコンデルタに集中してい
るのと際立った違いです。
貧しくても向学心のあ る
若者、それも都会よりも地
方の志のある若者を応 援
したいと いうアン校長の
方針だからといいます。そ
のためには、優秀かどうか
もさることながら、人柄を
みたいので、地方の学校や
親のところまで何時間 も
かけて出向くのだとも い
います。そこまですれば、
訪日してからの登校拒 否
や逃亡といったトラブ ル
そろいのセーターで規律正しく受講するのがベトナム流
は極力防げるのだそう で
す。
軍隊並みの規律
授業風景も見せてもらいました。みんなおそろいのグレーのセーターを着てかしこまった
感じです。実は、私はベトナムの日本語学校はこれまでに10数ヶ所授業風景も見学してい
るのですが、必ずといっていいほどどこも、ほぼ統一した制服で、一斉に起立してあいさつ
するといった場面に出くわしています。ここも例外ではありません。大きな声で一斉にあい
さつされます。初めてだと、緊張してしまうかもしれません。まるで軍隊みたい、などとい
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つも思いながら、あえてアン校長に質問しました。
教育方針については個性的だと思いますが、このあたりの授業方針はベトナムはどこもほ
ぼ同じですね。―――「18~20歳代ぐらいの若者に半年で簡単な日本語の読み書きから、
会話まで覚えさせようというんですから、ある程度、規律でしばらないと難しいと思います。
そのために全寮制にして、日本語だけでなくゴミの分別から日本の習慣まで身につけてもら
うように徹底させるんです。彼らもまた、日本で学びたいという目的があるから頑張れるん
です。20歳前後といえば、まだ破目をはずして遊びたい年代です。それをこらえて必死に
勉強して、日本に行こうと頑張っているんです。それでも、約3分の1の人はついてこれず
に脱落しますし、我が校は健康診断も受診させていますが、これでアウトという若者も出て
きます。こんな時は私自身も本当につらいですが、これを乗り超えられなければ、日本に行
っても続かないと思うからやむを得ないと思います。」 この辺りまでくると絞り出すように
語るアン校長ですが、この方針は変えられないとあくまで明快です。
学生と教師の声
学生さんや日本語の先生にも聞いてみました。
話をうかがったのは、中部・バンメトート出身のホアイ・フウンさんと北部・デイエンビ
エンフ―出身のグエン・トアン・アン君、共に高校を卒業したての18歳。
アン君(左)もフウンさんも、共に 18 歳
フウンさんは、家族と自分のために日本で学び日系企業で働きたいといいます。漢字は難
しいけど、日本語を学ぶのは楽しいし、日本は発達した勤勉な国なので不安はないときっぱ
り。ちなみにこのフウンさん、高校時代の成績はトップだったと後からアン校長が教えてく
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れました。
まだあどけなさの残るアン君は、日本の大学に入り、将来の夢はエンジニアとか。時々眠
くなるけど目標があるから頑張ります、とニッコリ。彼らもそうですが、事前に各地の高校
などに募集案内を出し、その中から推薦してもらうのだそうです。なかには大学に合格して
もそれを辞退してこの学校に入ってくる若者もいるとのこと。
2人共、日本語を学びはじめてからまだ5ヶ月足らずですが、ちゃんと私との会話は成立
します。
このやりとりを脇で見ていたのが日本語教師
の桜井百合子先生。政府系機関に勤務するご主
人の転勤で一緒にハノイに来たのだそうです。
今ではこの教える仕事が楽しくて、仮に主人が
日本に戻ることになってもここで日本語教師を
続けたいくらいだ、と笑いながら言います。日
本で英語教師の資格も有する桜井先生ですが、
何がそんなに引きつけるのかという質問に「彼
らはシャイですが、一度向き合うとすごくフレ
ンドリーになるし、それでいて目上の人や親を
敬う心があります。あらためて、日本の事がよ
くわかるようになりました。それもこの仕事に
就いたおかげです」とすごぶる前向きです。
ちなみにカリキュラムは、平日の場合、朝5
時半に起床し、午前8時~午後5時まで、1コ
マ50分の講義を午前・午後各4コマずつやり、
午後8時~10時までは自習で、10時半には消灯とのこと。
学 生 だ け で なく
いついつも笑顔の桜井先生
教 師 も こ の 仕 事が
好 き で な い と 続か
ないが、桜井先生は
本 当 に こ の 仕 事が
好き―――とは、開
校 以 来 続 け て いる
彼 女 に 対 す る アン
校 長 の 賛 辞 のよう
でもありました。
それにしても、何
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一番楽しみの夕食代は 1 食 80 円
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気に話を聞いた学生の出身地が、あのベトナム戦争の地上戦の最激戦地バンメトートであっ
たり、はたまた抗仏戦争でベトナム軍が勝利したデイエンビエンフーであったりと、現代史
に関心がある人には聞いたことのある地名が出てくるのもベトナムならではといったとこ
ろです。
急増する「私費留学生」とトラブル
ところで、今、ベトナム人留学生を語るうえで、避けて通れない問題が浮上してきていま
す。
昨年2013年8月から9月にかけて、私自身来日した留学生らの話を聞いているなかで
「私費留学」で日本に来てはみたものの、アルバイトもなく食費にも事欠く有様で、何とか
助けてもらえないかという若者らに出会いました。大要はこうです。
日本に留学する場合、実習生や奨学生のように日本の企業側がその費用を支弁してくれる
ケースと、自分の親などに負担してもらって来る私費に大別されます。仮にこれを「支弁留
学生」と「私費留学生」と呼びます。支弁はほとんど学生や親の負担はありませんが、選抜
試験や面接に合格しなければなりません。ここでの問題は後者つまり私費留学生です。
自分で払って来日するのですから問題ないようですが、現実は違います。日本に比べ総じ
てまだ所得の低いベトナムなどの新興国では親の収入もせいせい月額15,000~20,
000円ほどです。
ところで来日するには直接的な費用だけで約100万円近くかかります。その内訳はざっ
と以下の通りです。
① 渡航費用(航空運賃など)
約
② 日本語学校授業料(月額5万円×12 ヶ月・分割可)
100,000円
600,000
③ 同入学諸費用・経費
④ 部屋代(ルームシエア・当面)3.3万円×3ヶ月
⑤ 紹介業者への仲介手数料
100,000
100,000
200,000
合計:約1,100,000円
日本へ入国するためのビザ(審査)を取得するには実際にこの全額を用意するだけでは足り
ず、これだけの負担能力があることを示すため、この2倍つまり200万円くらいの預金
残高証明書も必要になります。
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しかし、もとより日本なら、2,000万円くらいに相当するお金など用意できる家はご
く限られます。それに N4程度の学力も求められます。かくして、子供のために駆けずり回
って親類縁者だけでは足りず高利貸しにまで頼んでお金を作ることと併せて、時に偽造も含
む書類が必要になってきます。上記⑤の紹介業者の手数料が高い所以です。
ベトナムからの実習生が10数年かかってようやく1万人に達するといわれているなか
で私費留学生がそれに迫る勢いで急増したのは、日越友好40周年や留学生30万人計画だ
けでなく、上記のような私費留学生を集めて日本に送るブローカーの存在も大きいのです。
私が事情を聞いた留学生らによれば、来日すればすぐアルバイトは見つかるから、お金も
返せるといわれたが、なかったといいます。しかも日本語がほとんど話せないのに N5の合
格証を作ってもらってきたという留学生は私に会う場所への電車賃にも事欠く有様でした。
ちなみにこの留学生は8畳+6畳に9人同居し、屋賃が毎月3万円、ほかに光熱費を払って
います。
さらに追い討ちをかけるような話もあります。在日ベトナム人らが運営しているフェイス
ブック等で3~4万円払えばすぐにアルバイトを紹介するというサイトがあるそうです。こ
の留学生も、なけなしの3万円を払って応募したものの仕事にはありつけなかったとのこと。
いや正確にいえば、同様の「手口」を信じて応募したであろうベトナム人何人かと、教えら
た求人先にぞろぞろ尋ねたけれど相手にされなかったということです。応募をうけたという
オーナーの一人にも聞きましたが、近隣の同業者のところにも来たようだが、日本語のレベ
ルが低すぎで雇えなかったとのことでした。
ベトナムの TV でも問題視
一部の留学生の現状がこんなですから、ベトナムで問題にならないはずがありません。は
たして11月26日の VTV3(ベトナム放送)は「日本の私費留学への警告」といったタイ
トルの特集番組でこの問題をとりあげました。中国人が来日しなくなったこともあり、空い
た人数を埋めるべくベトナム人私費留学生がここ1年で1,000人から6,000人くら
いにまで急増しているとしています。そして、線路沿いのアパートを背景にベトナム人レポ
ーターが「1LDKに8人、日本に来たら2~3ヶ月で稼げるので私費留学でも返せるとい
う、ブローカーの甘い言葉に騙されるベトナム人が多い」と声を張り上げていました。
さらに今年2014年1月6日の毎日新聞も海外から人材を、といった戦略の陰で貧困失
踪留学生が増えていると指摘しました。
こうした動きもあってでしょうか。ここにきて当局側も残高証明に変えて、納税証明番号
を記載するようにといった手直しで、特に私費留学生を制限する姿勢をみせてきています。
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一律制限は疑問
この話を聞いた時に、中国からの留学生が多かった頃のことが浮かんできました。つい何
年か前まで、福建省出身者(福建人)の中には、ほかの省の出身に、戸籍や証明書を偽造す
るといったケースが相次ぎました。福建人というだけで、極端にビザを厳しくしたからです。
限られた人員でトラブルの懸念のある人を入国させないようにするというのは大変です
が、そうしたこととは全く無縁で純粋に日本で学ぼうと思っていた福建人にとってはたまら
ない話です。こうした話がひろがって、日本以外の先進国へ留学先を変えたというケースも
少なくなかったのです。
広東省、海南島と並んで華僑(華人)を最も多く輩出した福建省は進取の気性においても
情報発信力においても、他の省より抜きん出ています。来日する中国人の減少を昨今の「反
日ムード」で説明されがちですが、必ずしも的を射てはいません。来日中国人の減少はそれ
以前からなのです。その時期はあたかも福建人に反日ならぬ「嫌日ムード」が広がって欧米
に転じた頃と時を同じくするかのようです。
相対的に所得が上がり、欧米志向が強まるなかで、一人っ子や昨今の反日が加わった今と
なっては「中国人留学生やーい」などという声すら、ほとんど聞こえてきません。あつもの
に懲りてなますを吹くような一時しのぎの政策が直の友好と無縁であろうことは明白です。
×
×
×
×
私費留学生を中心とした、これらの問題について前出のアン校長は言います。「ブローカ
ーに高額の仲介料を払ったり偽造書類で訪日しようなどという若者はもとより一心にはい
ません。ただこうした報道のあおりで、一律に私費留学生はダメだとばかり、ベトナム人留
学生のイメージが下がったり、本来なら訪日できるはずの若者ができなくなるといったこと
のないよう切に願います。そうでないと、日越友好40周年は何だったのか、ということに
もなりかねません。」
それまで淡々と話していたトーンがこの時ばかりは、少し強くなりました。
一片の書類の変更で、若者の将来を一律に制限するといった前轍を踏まないで欲しい――
私にはそんな感じにも聞こえてきました。
〈文・写真〉
Profile
坂内 正 ( ばんない ただし )
ファイナンシャルプランナー、総合旅行業務取扱管理者。 元政府系金融機関で中小企業金融を担当。
退職後、旅行会社の経営に携わり、400回以上の渡航経験を持つ。 ロングステイ詐欺疑惑など、
主にシニアのリタイアメントライフをめぐる数々のレポートを著す。 著書に『年金&ロングステイ
海外生活 海外年金生活は可能か?』
(世界書院)
ミンダナオ国際大学客員教授 『情報と調査』編集委員
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