成人学習および成人教育に関する世界報告書の要約 i ユネスコ生涯学習研究所 谷 和明訳 この初めての「成人学習および成人教育に関する世界報告書」は、ユネスコに提出された 154 加盟国の成人学習・教育の状態に関する国別報告書(National Report) 、5 つの地域別総括報告 書 iiおよび二次的文献に基づいて作成された。 本報告書の目的は、成人学習・教育の動向に関する概観を提示するとともに、打開すべき重要 問題点を明らかにすることにある。本報告書が議論の典拠、提言の道具として役立つとともに、 第 6 回CONFINTEAの討論素材 iiiとして利用されることを願っている。 本報告書は 6 章から構成され、各章で別個の重要問題を取り上げている。 第 1 章では、成人教育が国際的な教育政策や開発政策の行動計画等でどう扱われているかを検 証する。ここで提示されるのは、成人教育を生涯学習という観点から位置付けること、潜在能力 アプローチを採用することの必要性である。第2章では政策とガバナンスの発展が示され、第3 章では成人教育の事業の範囲を記述しつつ、この分野での事業の多様性を理解するための類型論 を提示する。第4章では成人教育への参加とアクセスの諸形態を考察し、第5章では成人教育の 質の問題を取り扱う。第6章では成人教育の財源確保の現状を評価する。そして、結論部におい て傾向と問題点を概観する iv。 第 1 章 成人学習・教育の現状 1 全世界的な教育政策・発展政策の行動計画における成人教育 「万人のための教育」 (EFA)目標 vの達成に向けての進展には目標間の不均等がみられる。進 展しているのは普通初等教育(UPE)に関わる目標ならびに男女不平等縮減に関する目標である。 進展の遅れが顕著なのは、成人教育に直接関係したEFA目標、すなわちすべての青年・成人層の 学習ニーズが公平に満たされることを保障するという目標や成人未識字率を 2015 年までに 50% にまで引き下げるという目標である。 EFA 行動計画が国際的に合意されているにも関わらず進展の遅れや不均等があることは、特定 の目標が他の目標より重視され優先されてきたことを示している。実際にはすべての目標が相互 に結合しており、並行的に取り組まれる必要があるのにである。 UPEが重点目標とされ続けていることは、EFA行動計画への参加率あるいはミレニアム開発目 標(MDGs)の達成率からも明らかであるが、これは青年・成人の識字と生涯学習という課題が、 全体的な成功には不可欠であるにもかかわらず、軽視されていることを示している。このような 軽視傾向はMDG目標達成のためには成人が新しい能力、新しい情報、新しい価値観を学習するこ とが必要であるにもかかわらず、成人教育がMDG戦略に組み込まれていないことにも示されてい る。成人教育の事業、参加、質を改善することによってミレニアム開発目標の 8 目標 viすべてに 向けての前進を加速できることを、自明の真理として強調しておきたい。 2 生涯学習という観点からみた成人教育 成人教育の簡潔な歴史およびそれに関連した枠組と概念を考えてみよう。そこには二つの対比 的な観点が存在する。人権としての成人教育、個人あるいはコミュニティや社会の変容の手段と しての成人教育という観点と、経済発展の手段としての成人教育という観点である。現時点では 後者の観点がより優勢ではあるが、われわれの社会のためには主体的力量を強化するという論拠 と道具として役立つという論拠の両方ともが必要である。成人教育および生涯学習の領域が存続 できるのは、混合的な原理、政策、実践によってである。 成人教育を生涯学習の内部に再配置するためには、成人学習の目標と便益に関する哲学を共有 することが必要である。そのような哲学がアマルティア・セン(Amartya Sen)の潜在能力アプ ローチ(capability approach)のなかで展開されている。それは人間の潜在能力の拡大を単なる 経済発展より以上のもの、発展政策の究極の対象だと考えるものである。このアプローチは経済 的次元を超え、単なる幸福の追求を超えた視野を備えており、社会的に相互作用しあう能力、政 治的に参加する能力のような帰属性の観念を含んでいる。 1 3 成人教育強化の必要 第 5 回 CONFINTEA は成人が基礎的教育と基礎的能力への権利を持つこと、ならびに成人学 習・教育の発展・維持のための国家、市民社会、民間セクター間の連携・協力の重要性を再確認 した。ところが、1997 年以降の各国の報告が示しているのは、多くの教育政策や社会政策で、成 人学習・教育がハンブルク宣言から期待されたような優先順位を与えられてこなかったことであ る。 これらの問題のいくつかは『第 5 回 CNFINTEA の中間考察』 (UNESCO 2003)で指摘されて いる。成人学習に関する共通理解の欠如により政策論議の分裂が生じているのである。北側諸国 では生涯学習論の操作主義化が押し進められ、南側諸国では基礎教育に重点を置いている。成人 教育が発展に貢献できることは認知も認識もされないままなのである。 第 2 章 成人教育の政策環境とガバナンスの枠組み 1 成人教育における政策発展 第 6 回 CONFINTEA の準備のために提出された 154 か国の国別報告書のうち、126(82%) は成人教育を直接的ないしは間接的にカバーする何らかの政府の政策があると述べている。これ には地域差があり、このような政策があるのはヨーロッパ諸国では 92%だが、アラブ地域の諸国 では 68%となっている。とはいえ「政策」という概念の解釈には、憲法レベルのものから、政府 命令や法制化のレベル、さらには中期的開発計画や教育 10 か年計画のレベルに過ぎないものまで、 大きな差がある。 1997 年以降に特別な成人教育政策を導入したと答えているのは、わずか 56 か国(36%)に過 ぎない。これらの国々の半数(27)はヨーロッパ地域であり、1/3(19)はブラックアフリカ地 域である。ヨーロッパ地域の比率が高いのは、2000 年以降、リスボン戦略で生涯学習がヨーロッ パを世界で最も競争力のある地域にするための決定的手段として位置づけているからだと考えら れる。成人教育のための特別な政策を導入したと報告しているアフリカ諸国のうち 8 か国は、詳 しく見てみると、その政策が実際は識字の改善を重点にしていることがわかる。 世界的分析を通じて指摘できるのは、政策目標に 5 つの傾向があることである。 *枠組の構築(通常は生涯学習の観点からの) *識字とノンフォーマル教育の振興 *職業教育あるいは成人教育の法制化 *専門的機関の創設 *特殊なプログラムを実行するための事業 成人教育政策の形成には関連する様々な要因、たとえば国の社会経済的背景や外的な要因(金 融危機、地域機構・団体や国際機構・団体の働きかけ)が関わっている。 2 成人教育の協力調整と規制―いくつかのガバナンス問題 当事者のすべてが成人教育のガバナンスに参加することは決定的問題点である。成人教育のガ バナンス構造として 3 つの形態が生じている。 *教育省庁内部の部局(あるいはそれに相当するもの) *相対的に独立した公共事業体(特定の省庁の直接の公的管轄下に置かれる場合と置かれな い場合がある) 。 *地方事業機関に責任をもつ代表者の集団 ほとんどの国別報告書では成人教育ガバナンスが地方分権化していると述べられている。成人 教育に対する責務を政府から市民に身近な組織へと権限委譲することにより、地域的なニーズや 状況によりよく対応することが可能となるのである。とはいえ、このような権限移譲に伴って成 人教育政策・実践を計画し、実行し、監視する活動へのこの組織以外の当事者たちの制度的で強 固な参加が自動的に進むわけではない。世界的に見ると成人教育ガバナンスは依然として発展途 2 上である。この分野での目標と運営原則を打ち立てる特別な立法が存在する国は少数である。計 画、財源確保、事業提供のための全体的責任構造を明確に規定した枠組みを持つ国はさらに少な い。 その結果として生じるのは「ファジー」なガバナンス形態である。このようなガバナンスは、 たしかに健全な多様性を可能にし、地域的な革新に余地を与えるかもしれないが、説明責任の所 在を特定することや責任体制を明確にすることは困難となる。だから教育政策の内部で、さらに 大きくは社会の内部での成人教育分野の存在が見えにくくなってしまうのである。 3 結論 決定的に重要な課題は成人教育政策を統合的な生涯学習の枠組内部に組み入れ、そこでの成人 教育の目的と展望を明細に規定することである。そこには基礎的識字に始まり、職業訓練、人材 開発、さらに継続的専門能力開発へと連なる全ての目的を含める必要がある。 公共政策にとって必要なのは、フォーマルな成人学習、ノンフォーマルな成人学習、インフォ ーマルな成人学習を包括的システムへと結合することをより効果的になし得る法的、財政的、ガ バナンス的な構造へと転換することである。それが意味するのは、政策形成の構造と過程のさら なる統合性、さらなる接近可能性、さらなる適切性、さらなる説明責任を要求することにより、 上述したような教育的政策形成を立ち上げていくタイプのガバナンスである。 第 3 章 成人教育の事業 1 広大な領域にひろがる成人教育 成人教育の目的をすべて列挙してみるならば、成人教育事業が広範多岐に及ぶのも当然だと理 解できる。世界的に見れば、基礎教育(主に成人識字プログラム)が依然として成人教育の支配 的形態であり、127 国(82%)がこのプログラムを実施していると報告している。職業教育およ び労働に関連した教育は 117 国(76%)で実施されている。生活スキルや生活知識を産み出す活 動も多くの国で重視されている(表 3.1 参照) vii。 これには地域的な相違がある。基礎教育を主要な形態としているのは、ブラックアフリカ地域 (93%) 、アラブ地域(84%) 、そして特に多いのがラテンアメリカおよびカリブ地域(96%)で ある。この地域では 7 億 7400 万人の多数が基礎的な読み書き能力なしに生活していることを考 えれば、これは驚くに当たらない。雇用を見つけ、確保することは世界どこでも優先事項である が、職業教育および労働に関連した教育の活動はアジア地域(83%)およびヨーロッパ地域(89%) で優勢だという傾向がみられる。労働のための能力(skills)形成は、様々な能力(competences) への需要が目まぐるしく変化する今日にあって、まさに不可欠の課題である。 成人教育プログラムの提供主体も地域ごとに相違する。世界の大半において政府は依然として 第 1 の提供主体であり、その他の当事者たちは連合して地域ごとに個性ある形態の成人教育を提 供している。全般的にいって、基礎的能力や識字のプログラムは公的セクターと NGO の努力で 提供されている。民間セクターは多様な事業形態のなかでも継続職業教育・訓練(CVET)や職 場内学習をより選好して従事している。 2 成人教育を理解するための国際的類型論 国ごとの状態を明確化するのではなく、むしろ全般的傾向を掴むために提示されたのが国際的 類型論(typology) viiiである。この類型論からは、成人教育の事業提供には社会的・経済的発展 と相関的に変化する傾向のあることがわかる。 国の発展が進むに応じて、成人教育事業は拡大し、ますます広範な内容、目的、プログラムを 提供するようになる。この乗数的発展過程において、成人教育の既存の枠組は廃棄されるのでは なく、新しい枠組よって補強されていく。一般的に見て、この 10 年間に民間セクターの成人教育 事業は、(雇用主や会社のニーズに対応して)絶対的にも、(公的支出の削減と対比して)相対的 にも拡張してきている。特定の種類のプログラムの民営化と商業化が進んだ結果、成人教育にお ける事業の相貌は劇的に変化している。このような趨勢の推進力となっているのは、民間資金に よる事業提供は市場の需要により柔軟に対応でき、公的資金による事業は職場で必要とされる能 力に適合できないという広範に流布した信念である。同時に、市民社会の事業参加も増加しつつ 3 ある。 3 結論 多くの国での事業提供は、ますます以下のような性格を持つようになっている。 *公的な事業提供は最低レベル向けのミニマムな目的に限定される。 *「ミニマム」な公的供給を超えた事業提供は民間セクター、すなわち営利事業者あるいは NGO に委ねられるが、これらの事業提供は需要と供給の法則に支配されている。 *その結果、事業提供は短期的なもの、社会的必要性の低いもの、利用可能なリソースに左 右されるものになってくる。そして、 *成人学習・教育の事業提供のために入念に構成された確固たるガバナンス制度を支持する 論拠が弱められてしまう。 成人教育の事業提供はますます多様化し、分権化していく。だからこそ、リソースを確保し、 政策にインパクトを与え、公的支援を得るための協力調整の必要性もより増大しているのである。 第 4 章 成人教育への参加と公平性 1 全般的に低い参加率 1990 年中期以降のほぼ信頼できかつ比較可能なデータが利用できるのは、高所得の国と若干の 途上国に過ぎない。全般的に見て、第 5 回 CONFINTEA 以降の成人教育参加率には若干の向上 が見られるとはいえ、大部分の国における参加率は許容できないほど低いままである。初等学校 教育あるいはそれに相当する教育を修了できずにいる成人の比率の高さは、成人基礎教育に対す る満たされていない需要の大きさを示している。ヨーロッパと北米では成人教育調査によって参 加の形態を確認することができる。初めて行われたヨーロッパ規模の成人教育調査は 2005-6 年に わたり 29 国を対象にして実施されたが、それによると参加率の平均は 35.7%となっている。国 別の差異も大きく、スウェーデンの参加率は 73.4%もある。 一般的に言って、成人教育参加率は一人当たり GDP で表した国の経済発展レベルと正比例関 係にある。概して、国が豊かであればあるほど参加率も高いのである。 2 参加の不公平 各国の内部においても、参加の程度は社会・経済的要因、人口構造的要因、地域的要因によっ て差異があり、これは成人教育へのアクセスに制度的欠陥があることを示している。全体として 参加率の低い集団内部にも不公平がある。その原因となっているのは、性差、地理的条件、年齢、 社会・経済上の地位などである。 3 重層的かつ構造的な原因が成人学習・教育へのアクセスの低さと不公平を産み出す 参加障壁として特定できるのは3種類、制度的障壁、境遇的障壁、素質的障壁である。参加を 増大し、不公平に対処する方策の例として挙げられているのは、政策に対象層別政策を含める、 特定集団のためのプログラムを開発する、学習するコミュニティを形成する、である。 4 結論 国別報告書には気になる論法がみられる。成人教育における参加と公平性をめぐる多くの論点 を支配している固定観念を示す論法である。それは要するに、少ししか教育を受けなかった人は そのあともずっと少ししか学べない、というものである。これは「悪魔の論点」であり、成人教 育はこれと闘わねばならない。一般向けの政策で格差が矯正できないのは自明のことである。勿 論、国民一般のアクセスのための活動は継続しなければならない。が、少ししか持たない人々に 充分なリソースを集中する必要がある。 第 5 章 成人教育における質 1 質の尺度としての現実対応性 本章では成人教育における質の 2 つの次元に焦点を当てる。それは現実対応性と有効性である。 4 最も大切なことは成人教育事業提供が学習者の現実への対応性を持っていることである。現実 対応性の達成が容易になるのは、成人教育政策とそのプログラムがその他の教育セクター、つま り幼児期教育から高等教育までの、そしてフォーマル教育、ノンフォーマル教育、インフォーマ ル教育の全体に及ぶ教育セクターに全面的に統合された場合である。 学習への熱意を産み出し、持続させることは成人教育プログラムの中心的課題であるのだが、 この学習への動機付けは、成人学習者の状況や希望に合わせた現実対応的な学習内容を提供でき るか否かに懸かっている。大部分の成人教育は支配的文化に関係している。今や多くの人が、学 習者の文化に特化した対応によって成人の向上心に触れることができ、その生涯学習戦略をつく りだせることを認識するようになってきている。学習機会が―とりわけ成人識字と基礎能力プロ グラムの場合に―、最善のものとなるのは、学習者にとって最も気楽に自己を表現し、情報や思 考を伝達することのできる言語で為される場合である。 2 質の尺度としての有効性 成人教育における有効性ということが一般的に表すのは、学習者にとっての教育成果のかたち で考察できる手段と結果の関係、ならびにプログラム目的を達成するのに要する時間のことであ る。けれども基盤となる条件も重要である。つまり建物、教室、教材が不適切であったり、破損 していたり、旧式である場合、このような状態で働く教職員や学習する成人にとって、自分自身 や自分の努力に価値があると感じるのが困難となろう。 修了率と到達度とが有効性を測定する確固たる尺度とされる。しかしながら成績評価や資格認 定の手続きと成果判定に関しては、その形式と実践を改善する余地が広く残されている。他方で、 国家的な資格制度は各人の到達度を認定する多様な形態を提供するものであり、さらなる資格向 上への道を開くことを可能にするものである。 3 質の認証 成人教育の質を改善するためには効果的な監視と質の認証が必要となるが、それらの業務はで きれば代表として選出された非官僚的で自律的な成人教育評議体が担うのがよい。質の認証を実 行する過程は単純ではない。というのも質そのものが絶対的ではなく相対的だからである。成人 学習のプログラムや活動は相互に比較する(規範的評価 normative evaluation)こともできるし、 外部的な目標課題や基準と対比する(基準的評価 criterion evaluation)こともできる。 4 質を保証する鍵となる成人教育職員 他の教育領域と同様に、教員、ファシリテーター、訓練指導員は成人教育における質を作り上 げるうえで最重要の要因である。ところが実に多くの場合、成人教育の教育者たちは不適切な養 成訓練しか受けておらず、最低限の資格しか持たず、低賃金かつ教育上好ましくない状況下で勤 務している。50 の国別報告書が、成人教育人材の質を解決すべき決定的課題として挙げている。 成人教育人材の採用資格や雇用期間には雲泥の差がある。若干の国では大学院レベルの資格と数 年間の経験が必要である。ところが多くの国では中等教育あるいはそれ以下でも十分とされてい る。 5 結論 質の良い成人教育では、学習者の既存の知識や価値観を糸口にして教育活動が開始される。つ まり、教員と学習者の関係が中心問題である。教員や訓練指導員は、学習者がどんな境遇・背景 で生活しているのか、その生活を自身でどう感じているのかを理解する必要がある。だから、学 習者中心主義、例えば教授過程や学習過程の形成に学習者を全面的に参加させることは、成人教 育者にとって非常に重要な質の判定要素である。ところが資金提供者、政策形成者、政府には概 して、認定や資格として表されることの多い具体的な学習成果を重視する傾向がある。質をめぐ るこれら2つの観点は必ずしも矛盾するものではないが、時によっては緊張関係に陥らざるを得 ない。この緊張関係の解決策の一つは、学習者参加型で地域に適合したプログラムや活動を提唱 し、それを公開的で専門的に準備された土俵上で実践して、提供側と参加者側の双方にとって説 得的な成果を上げることである。 5 人的資源の投資、換言すれば教育人材を適切な契約条件、活動や専門性を発展させる条件の下 で、量的、質的に供給することは、おそらく成人教育の質を測定する最重要尺度である。この課 題を教育政策の中心に据えるべきである。 第6章 成人教育の財政 1 成人教育財政の現状―データの概要 成人教育に関する解釈の相違があり、さらに多様な公的および民間の当事者が関与している ことにより、成人教育財政に関する信頼性と比較可能性をもつデータを得ることは困難となって いる。154 の国別報告書中、57 国(37%)だけが成人教育への配分額に関する情報を記している。 それらのうち、ある国々は成人教育支出が国内総生産(GDP)の何パーセントであるかを記し、 別の国々は国家予算における比率を記し、さらに別の国々は教育予算に占める成人教育支出の比 率を記している。それに加え、成人教育の異なった内容(識字教育、ノンフォーマル教育、職業 教育、義務教育後教育等が)が一括りにされている。このように国別報告書の数値データが不足 しているので、第5回 CNFINTEA で合意された、GDP の 6%を教育に支出し、さらにそのうち 「適正な」比率を成人教育に配分するという到達基準に到達している国がどれだけあるかを総合 的に評価することは不可能である。いずれにせよ、成人教育プログラムの財政について勧告され たこの目標値をほぼ達成しているのは若干の先進国だけである。世界全体で計算してみると、上 記の成人教育への支出目標を実現するためには 720 億ドルが不足していることは間違いない。支 出の不足は国民所得の水準に関わりなく、ほとんどの国でみられる。データの不足に注意する必 要があるにせよ、一般的な評価として明白に言えるのは、大部分の国において現在のリソースは 信頼できる成人教育政策を支えるには全く不適切な水準に止まっているということである。国別 報告書の 44%で成人教育への財源を増加する必要性が明記されている。 2 成人教育への過少投資 世界的に顕著なのは成人教育への過少投資という傾向である。成人教育の費用と便益に関する データの不足や情報システムの不備により、情報に裏付けされた政策形成の能力が低下し、過少 投資が発生することになる。 学習者個人や雇用者が成人教育に対して過少な投資しかしない理由には、市場動向に関係した ものがある。 政府が過少な投資しかしないのは、成人教育が社会に与える広範な便益を全面的に測定できな いからであろう。教育への投資が全体として実体的な成果(少なくとも物質的インフラへの投資 に匹敵する成果)を産み出すこと、さらに、より公平な教育参加が経済的発展全体を向上させる ことは明白な事実である。それにもかかわらず、教育のこのような便益の性格と範囲に関しては 多くの未解決の論争がある。これらの論争でとりわけ厄介な問題は、成人学習・教育の産み出す 金銭的便益および非金銭的便益を測定することの困難性ということにある。教育分野にどれだけ リソースを配分し、それをどう分配し、どのように利用するかの決定に利用できる情報は不備だ らけである。多くの政府にとって、この情報不足が意味することは、優先順位を確定して適切な リソースを配分すること、さらに成人教育分野への投資を正当化することが不可能となることで ある。同様に、確実なデータの不足により企業や個人が費用と便益を評価することも困難となり、 結果として動機の低下と過少投資を引き起こしているのである。 3 当事者の寄与-費用負担者の決定をめぐる経験と問題 誰が費用を負担するかという問題は、獲得されるはずの価値が人格的価値か、社会的価値か、 それとも経済的価値かによって、さらにこの付加的価値の便益の受益者が誰かによって決められ る。残念ながらこのような一般原則は、成人教育事業の費用を協力者間でどう分担すべきかに関 する脆弱な根拠にしかならない。多くの場合、各プログラムの便益を確定することは容易ではな い。それが可能だとしても、各協力者間の適切かつ公平な分担率を特定することは困難である。 教育を受け、能力と社会参加性に満ちた市民の金銭的価値をどう測定するか、あるいは成人教 育への公平なアクセスを達成することが社会的結束にとって果たす金銭的価値をどう測定するの か、という問題もある 6 国別報告書から分かるのは、成人教育の財源が重層的かつ多様だということである。財源に関 する情報を提示している 108 国のうち、単一の財源だけに言及しているのは 26 国(24%)のみ である。 政府は依然として主要な財源提供者であるが、その一方で民間セクター、市民社会、国際的援 助機関、さらに個人も実質的な貢献をしている。国別報告書には財源提供者と教育プログラムの 種類の間に存する相関関係についても記述されている。 4 リソースの機動的利用に向けた前進 資源を機動的に利用するための方法として以下のようなものが確定され、記述されている。 *必要な情報基盤を供給する *成人教育の価値評価を高める *公平性を達成することにより大きな関心を向ける *協力当事者―民間セクターと市民社会―からのリソースを機動的に利用する *国際的支援の水準を高める 5 結論 未来の前進にとって必要となるのは、現実世界で生じている出来事をより良いデータを蓄積し てより正確に認識することであり、費用と便益に関する研究を経済的、社会的な意義が理解され るかたちで量的、質的に発展させることであり、連携・協力関係を良好にし、各協力者がどの点 で最上の貢献ができるかを明確にしていくことである。これらは効果的な成人教育事業の財政事 例を形成するのに有益となる。 訳注 以下は、Global Report on Adult Learning and Education. Executive Summary. UNESCO Institute for Lifelong Learning 2009 の全訳である。この『要約』は正本といえる『成人学習 および成人教育に関する世界報告書』 (以下『報告書』)に含まれる多くの図表、写真、注記を割 愛し、さらに叙述を1/10 以下に縮約したものである。 『報告書』、 『要約』とも原文テキストは、 ユネスコ生涯学習研究所の以下の URL で入手することができる (http://www.unesco.org/en/confinteavi/grale/) 。 ii 5つの地域とは、アジア太平洋、アフリカ(非アラブ) 、ヨーロッパ・北米・イスラエル、中南 米、アラブ諸国である。 iii 第 6 回 CONFINTEA では、この『要約』が討議資料として参加者に配布され、『報告書』の 配布は最終日であった。 iv 「結論部」は『報告書』にはあるが、 『要約』では割愛されている。 v 2000 年の「ダカール行動枠組み(Dakar Framework for Action) 」では以下の 6 つの EFA 目 標を掲げている。①就学前保育、教育の拡充、②2015 年までにすべての子供に無償義務教育を実 現、③青年・成人の学習ニーズへの公平な対応、④2015 年までに成人識字率 50%を達成、⑤教 育の男女平等(2005 年までに初等・中等教育。2015 年までに全教育)、⑥識字教育、生活技能教 育のため教育の質の改善。 vi 2000 年の国連ミレニアム・サミットで定められた 2015 年までの目標は以下である。①極度の 貧困と飢餓の撲滅、②初等教育の完全普及の達成、③ジェンダー平等推進と女性の地位向上、④ 乳幼児死亡率の削減、⑤妊産婦の健康の改善、⑥HIV/エイズ、マラリア、その他の疾病の蔓延 の防止、⑦環境の持続可能性確保、⑧開発のためのグローバルなパートナーシップの推進。 vii 表 3.1 は『要約』では割愛されている。 『報告書』pp.44-5 に掲載されているが、A3 版見開き の大きな表で、成人教育の内容を実施率の高いものから「基礎教育」、 「職業教育」、「生活能力・ 健康」 、 「知識の形成・更新」 、 「人権・市民教育」、 「教養・人格教育」、 「継続教育」、 「再教育」、 「教 員研修」 、 「中等教育」の順に並べ、5 つの地域ごとにそれぞれの実施国、実施率などを整理した ものである。 viii この類型論は『要約』で割愛された図 3.1( 『報告書』p.54)に纏められている。この類型論は、 i 7 EFA 目標の達成度をもとにした EDI 指数により世界の国を「Ⅰ型=低 EDI 国」 「Ⅱ型=中 EDI 国」 「Ⅲ型=高 EDI 国」の3類型に区分し(これらは途上国、中進国、先進国の区別にほぼ等し い) 、 「成人教育の論点」 「成人教育の定義」「主要な事業主体」 「公共・民間のバランス」 「成人教 育と生涯学習の関係」という項目ごとに各類型の特徴を列挙したものである。ちなみに、 「公共・ 民間のバランス」を例にとると、Ⅰ型は「公と国際支援機構の分担」,Ⅱ型は「民間市場の拡大」 、 Ⅲ型は「 (疑似)市場化の下での公と民間の分担」とされている。 8
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