光の山

たなか醫院診聞 152 号
2013.8.1 発行
光の山
今月はかなり遅れ気味にこの稿を書き始めています。全国的にはとんでもない猛暑
と大雨。当三八地区だけが日本の地図から取り残されたように、つい先日まで湿度の
高い低温の日が続いていました。1週間ほど前、往診の車から流れるRABラジオで
は「オホーツク海高気圧低温警報がようやく解除された」、と放送。インターネット
で調べても、そのような警報は見つからないのですが。アナウンサーの造語か、しか
し言い得て妙。ともかく肌寒く身体のみならず心までも蝕む。そう思っていたら、昨
日2日、梅雨明け。空はカンピー。湿度 50%。陽にあたるとかっと熱くなり極めて爽
感。待ち遠しかった!生まれてから名古屋に長くいた私としては、丁度八月から九月
頃、急に高くなった空にすじ雲が見え、5 月半ばから続いた湿度の高い夏の前半が終
わろうとしていた時の開放感に似ています。
今月も原発の話です。以前紹介した井戸川さんから故郷の双葉町に一時帰宅が許さ
れ、その時のメール。
先月は私自身初めての実家(双葉町)への一時帰宅をしてきました。国道沿いの横道には
バリケードが張られ、侵入の際は許可証を提示するような事になっておりました。自宅の
方は思ったほど地震による被害はなく、ある程度補修すれば住めるのではという状況でし
た。庭には見た事もないような大きな雑草が生えており、多少刈り取ってきましたが相当
残ってしまいました。家の中はネズミの糞があちらこちらに散乱しており、駆除剤をばら
まいてきました。滞在時間は5時間以内という制限でしたが、あっという間に時間が経過
してしまいました。機会があればまた行ってきたいと思います。感想としては復興はほと
んど進んでいない。いつになったら終わるのか、メドすら立っていないという感想です。
破壊した福島原発から汚染水が海に流れ出、ようやく参議院選挙終了の翌日東電
は、その事実を報告。それに関する記事が 7 月から 8 月、新聞をにぎわせました。一
日1リットル当たり海に流れ出る放射性トリチウムが 50-60 万ベクレル。この2年少
しの間で、総量が 40 兆ベクレル、とのこと。ピンと来ないので生体への被ばく量を
表すシーベルトに置き換えてみました。1 ベクレルは約 0.00018 ミリシーベルト。50
万ベクレルは 90 ミリシーベルト。これは 1 リットル当たりの量ですから、400 トン近
くの汚染水が毎日溜まり続けていることから、その半分、いや一割に当たる 40 トン
の汚染水が海に流れ出るとすると、その 40 万倍で 36000 シーベルト。2 年間総量 40
兆ベクレルは 720 万シーベルト(1シーベルトは 1000 ミリシーベルト)
。桁数が大き
包み込むような紫色のオーラが、いつまでも闇を圧し戻しながら光っとった。まるで
く間違ってはいけないと何度も計算してみました。生体が被爆して 100%死に至るの
阿弥陀さんが乗ってる雲が、目の前に降り立ったみたいじゃった。
」残留した放射能
が、7シーベルトと言われています。とんでもない数字であることが分かります。こ
が、いつか昇華され、その中から救済が生まれてほしいとの願いか。
の目に見えない怪物が、東日本太平洋の海に垂れ流されている。今後、イワシ、さん
ま、カツオ等の、この沿岸で捕れる魚はどうなる。ヒト、生物、自然への汚染が音も
私の一工夫
なく広がっています。
きゅうり、セロリ、チーズの豚まき オイスターソース
震災以後、ノンフィクションのものを読みながら、いつか文学者の眼でこの現実を
書き表す人が出てくるだろうと思っていた矢先、一冊の本と出合いました。玄有宗久
焼き
(げんゆう そうきゅう)福島在住の僧侶作家。震災以後何度もTVでお顔は拝見し
少し紙面が残りました。美味しいロース豚を頂いたので、ちょっと変わり料理を作っ
た方。本の題名「光の山」
。本は6つの短編から成り立っています。一つ一つは異な
てみました。中に巻く材料はすべて細切り。とろけるチーズを短冊状に。大きな皿に
った人物達が描かれていますが、地震、津波、遺体の発見、葬儀、家族の別れ、そし
小麦粉をひき、豚をひろげ、先の材料をのせ巻くだけ。中火で焼きます。焦げ目がつ
て未来。この六つの構成から出来ています。読み解けないままですが、蟋蟀(コオロ
くように。最後に、少量の酒と、オイスターソースをかけて、醤油の色がついたら出
ギ)
、アメンボ、拝み虫と作品の小題名に虫の名前がつけてあります。初めの一章は
来上がり。
「あなたの影をひきずりながら」森進一の『港町ブルース』から始まります。
「だま
そうと、だますまいと、男も女も、年寄りも子供も、みんなみんな津波に流されてし
まった。
『港、宮古、釜石、気仙沼』♪。発電所勤務の息子に、父は言う「あの娘と
はどうなってるんだ?」
「つきあえるわげねぇべ。
・・・・こっちはたっぷり被爆して
るって」
。第四章では、避難先の札幌から親子で帰省した友人(夫は福島に残り別居
中)との再会。自分の家族も含め一夜の宴を楽しみ友人夫婦の今後を心配していた。
そして翌朝、離婚届けにハンを押し、また帰ってゆく、別れ。最後の作品は、30 年後
の世界。一人の変わり者の爺さんの話。仮置き場が決まらない中、5000 坪の自分の土
地に、汚染されたごみ、枯葉、木材、砂利、土をせっせと運びこむ。そして、とんで
もない山が出来上がる。この作品の語り部である息子は、父親が 95 歳で亡くなった
後、山に登り、犬とお袋の墓を見つけ、30mの山の頂から見える隣町のネオン、無数
の空の星の美しさにみとれ、両親の声を聞き、父の生きがいを知る。葬式の夜、山が
燃え、
「暮れなずむ辺りの空気が何となく透明に底光りしてる。ふとみるとあの山が
薄紫の蛍光色を発していたんじゃ。ときどき炎が見え、煙も上がったが、その全体を