原点は,島 - 公益社団法人 地域医療振興協会

I N T E RV I E W
沖縄県立中部病院 離島医療支援室
田仲 斉 先生
「原点は,島」
聞き手:山田隆司 社団法人地域医療振興協会 地域医療研究所所長
支援する立場として
山田 隆司(聞き手) 今日は沖縄県立中部病院に田仲
時それを少し延ばして,離島にさらに1年長くいても
斉先生をお訪ねしました.田仲先生は中部病院の救
いいかなという先生が増えてはきていましたが,私の
急に所属しながら,沖縄の離島支援を中心的に行っ
ようにずっと離島にいるという先生はいなくて,周囲か
ていらっしゃいます.そしてまたここでは地域医療研
らはローテーションが崩れるということで,あまりいい
修にも力を入れていますので,その辺のところをお
顔はされませんでしたね.
聞きしたいと思います.
先生はここに来られる前は離島の診療所にいらし
たのですね.
田仲
斉 離島は2ヵ所,
通算8年行っていました.自治
医大の卒業後の義務で1回目は座間味の阿嘉島へ
行き,2回目は粟国島,
そしてまたそのまま阿嘉島に
行きました.
山田
先生が阿嘉島にいらっしゃるときにお会いしました
ね.先生が離島の診療,
島の医療に大変熱意を持
たれていて,義務を越えても島にいらしたということ
を覚えています.
田仲
546(2)
沖縄は離島の義務が4年あるのですが,その当
山田
私も似たような経験をしました.診療所に残りたい
と言ったときに,ローテーションが崩れるからやめた
ほうがいいという助言はありましたが,留まることをサ
ポートしてくれる人はほとんどいませんでした.先生は
どうして離島の診療所に残られたのですか.
田仲
病院が嫌で
(笑),診療所が自分に合っていると
思っていました.
山田
先生が診療所のほうがいいと思われたところは
どういうところですか.
田仲 山田先生がいらしたのは島ではなく,久瀬村とい
う山間部ですが,多分感覚的には先生と同じものだ
と思います.私はそういうところに自分のオリジンがあ
月刊地域医学 Vol.20 No.7 2006
INTERVIEW/「原点は,島」
ると思っていましたので.
山田
先生が確かNTTの通信システムの記事広告で
ります.医師不足という沖縄の現状ですから,専門
のプールされたドクターがいるわけではありませんが,
週刊誌に掲載されたのが「島の医者」という感じで
同じような考えを持つドクターが,自分の仕事の合間
格好いいなと思いました.
を使って,専門性を生かしながら,離島に応援に行っ
田仲 そんなこともありましたね.
たり,巡回診療に行ったりするという形もできつつあり
山田 島にあまり長く留まる先生はいないと先ほどのお話
ます.
にありましたが,先生はもう少し長くいてもいいという
ような感じでしたか.
田仲 そうですね.今でも戻りたいという気持ちがあり
ます.
山田 先生が島の診療所をやめて,こちらへ異動された
経緯をお話しいただけますか.
山田
先生たちの働きを見ていて私はとても親近感を持
ちます.離島支援やへき地支援というと,支援側に立
つと,支援を受ける側のことは頭から切り離されて,
病院の医者として振る舞ってしまいがちなところがあ
ります.へき地支援はエキストラワークという感じであ
くまで本来の仕事の余裕の範囲で行われているよ
田仲 私は以前からドクタープールというシステムを作りた
うな感さえあります.全国のへき地支援システムを見
いと考えていました.政策的にもちょうど時流が合っ
ても,病院が主体になってやるのはいいのですが,病
ていたのだと思うのですが,そのころへき地医療支
院にいる先生たちに,へき地にいた感覚が薄れてき
援機構が動き出し,崎原永作先生が県庁職員とし
てしまっていることが多いのではないかと思うのです.
て支援の仕組みづくりをされていて,崎原先生から
先生たちは病院にいても,お互いの立場を理解し
中部病院で救急をしながら,島の支援もしてほしい
て,同志という気持ちで,島の先生たちもいずれはこ
とお呼びがかかったのです.
ちらへ来るかもしれないし,反対にこちらの先生たち
山田
そうだったのですね.先生個人としては,
本当は島
の医療にもう少し従事したかった?
田仲 はい.神島の奥野正孝先生が自分のロールモデ
ルだと思っています.
もいずれはまた島へ行くかもしれないというような,支
援する側とされる側が,一つのネットワークになってい
るのではないかという印象を受けました.
東京都などは大きな都立病院に支援する側のシ
山田 わかります.それを支援する側に立ってみないかと
ステムがあって,そこに携わる人は実は離島経験が
崎原先生にだまされ(笑)……最初は本意ではな
ないということが多かったりします.島医者の立場
かったけれど,島を離れて,こちらへ来られた.
を慮った支援が求められるなか,
沖縄のシステムは,
田仲 半分は本意ではありました.自分が若いころから
受け手側と支援する側が同じ立場にあるという,そ
唱えていた,離島を全体でシステムとしてカバーした
んな同胞的な文化があるのではないかと感じてい
いということの実現でもありましたので.
ます.
山田
こちらへ来られてからは,離島支援の仕事は思う
ように行っていますか?
田仲 できるだけ近い,現場の雰囲気を知っているメン
バーが応援に行くというものを作っていきたいと思っ
田仲 卒業生の中でも似たような考えを持っているメン
ていますし,むしろこちらから行くドクターも義務では
バーも集まりはじめ,自分たちが離島にいるときに受
なく,
仕事に疲れて島の空気を感じたいという時に,
1
けた支援を,今度は自分たちの手でということで,支
週間,
2週間という感じで応援してもらえています.
援の循環というのでしょうか.そういう形になりつつあ
月刊地域医学 Vol.20 No.7 2006
山田 ここでは支援の側に立っている先生も,ほとんど離
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島経験があるということですね.
田仲 そうです.自治医大の出身でなくても,システムとし
すが,
ここでは沖縄本島も含めてみんなで支えあっ
ている感じですね.
て,沖縄の県立中部病院などで研修したドクターが
田仲 スタートがそういうスタートだったせいかも知れま
宮古島や八重山諸島などの離島の中核病院へ行く
せん.まず離島があって,そこに人を供給するという
ローテーションシステムがあります.沖縄では独自の
のが,まずここの病院のスタートです.私たちは小さ
「ファーストクラス」
というネットで治療の相談をするコ
い離島へ行き,他の異なるコースから来た人は宮古
ンサルティングシステムがあり,宮古に行った経験の
とか八重山という大きな離島へ行くというのを経験し
あるドクターが小児科にいるのですが,そのドクター
て.よく理念がないとは言われ,5年先の見通しもな
が,離島の思いがわかったから,自分も小児科の範
いのですが,とにかく人を欠かさないようにと思って
囲で返したいと協力してくれています.その先生のお
います.確かに理念なき動きではあるのですが.
かげで今まで低調だった小児科の書き込みや投稿
山田 でもニーズに支えられて,現場の人たちと交流しな
がワッと広がりました.
山田 それはすごいですね.沖縄全体の風土かもしれま
がら,常に変化しているということのほうが重要だと
思います.
せんね.他の地域では,離島は特別という雰囲気で
生きた教科書となるように
山田 ところで,先ほどお話に出たファーストクラスの概要
どと送られてくる症例の画像に対して「少し似てい
ますが,これは○○です」
というように返信をする.
を説明していただけますか.
田仲
はじめは麻酔科の嘉手川先生がサーバーを立ち
これは沖縄本島に送ったほうがいいのか,島で診る
上げて,そのころはいわゆるNiftyのようなパソコン通
ことはできるのか.送るとしたら,どのタイミングで送る
信を使って自分で管理していました.現在はフリー
のかなど,ずっと蓄積されていって,新しく来た若いド
のソフトを使って,中部病院にサーバーを置いて,メ
クターの教科書的データになっています.非常にロー
ンバーにフリーのクライアントを持ってもらい,中部病
テクで,大した遠隔医療とはいえませんが,これなら
院にログインしてもう会議システムです.ひと言でいえ
デジタルカメラと人のネットワークさえあればある程度
ば簡単なバーチャルな医局のようなものです.愚痴も
有効に活用できるかなという感じですね.
出れば「こういう症例はどうしたらいいか」
という相談
のやりとりをすることも狙いとしたそうです.
よく使われているのが,エデュケーションというペー
ジです.外科や皮膚科,
救急などの診療科ごとに分
548(4)
山田 参加している診療所の先生たちはいつでも見られ
るのですか.
田仲
見られます.これにまたレスがつくかどうかは,ここ
のドクターの仕事の状況などによりますが.
かれています.例えば皮膚科では宮崎医大出身の
山田 診療所の先生が,例えば皮膚科の症例の相談を
先生が,離島から「これは帯状疱疹でしょうか?」な
今日の5時に書いた場合,平均的にどのくらいで返
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INTERVIEW/「原点は,島」
信が書かれますか.
田仲
皮膚科の先生は早いです.大体翌日には書いて
いますね.
山田 すごいですね.
田仲 整形は,
こちらの病院が忙しいですから,
2日ぐらい
ているということが大きいと思います.
「 先生は何年
目?」とか「沖縄出身なのね」など声をかけてくれま
す.地域にきちんと根ざして,地域の患者さんに育て
られているということがあります.
山田
やはり病院の理念のなかに,離島支援というのが
経ってしまったりしますが,周りから「早くレスしろよ」
あるというのは,離島にいる側にとってはとてもありが
という声がかかります.
たいことですし重要なことですね.こういった症例の
山田
皮膚科や整形の先生たちは,離島経験があるの
ですか.
田仲
皮膚科の先生はないのですが,先生自身離島が
積み重ねこそ離島の医師にとっては生きた教科書の
ようなものだと思います.この画面を通して会議をし
たりはしないのですか.
好きでよく旅行に行かれていて「診療所を1人でやっ
田仲 定例会議は年に2,3回,県庁主催で開いています
ていくのは大変でしょう.私でよければお手伝いしま
が,テレビ会議を利用して症例検討会をやろうという
す」
とボランティアでやってくれています.
話は出ていてまだ実現していません.
いつかはやりた
山田 私たちがこういうジェネラルな立場でやっていくとき
に,一番問題なのはスペシャリストの支援が得られる
いと思っています.
山田
この症例の積み重ねはまとめて本にしたらいかが
かどうかだと思います.地域のジェネラリストに対して
ですか.結構コモンな病気や,病初期の判断を要す
スペシャリストの先生たちが必ずしも十分な理解が
る病気が網羅されているわけですから,千人,二千
なく,そういう症例は診なくてもいい,あるいは中途半
人の島ならこれだけ知っておけば8割以上は診られ
端な診断をつけるぐらいなら,早く専門医に送りなさ
る,
という仮想的な体験ができる生きた教科書になる
いと言われることが多いのです.とはいっても陸続き
と思うのですね.書籍ではなく,電子媒体でもいい
のところならすぐに送ることもできますが,離島のよう
と思いますので,ぜひまとめて出版していただきたい
な最後まで自分で責任を持たなければならない状況
ですね.
のところでは,やらざるを得ないと.そういう時に,その
田仲
毎年アップデートされていきますしね.いつも問題
皮膚科の先生のような存在がわれわれにとっては重
になるのは,例えば何年研修したら1人でできるように
要で,
ありがたいですね.
なるかということですが,たぶん永遠にそう言える時
そういう枠組みがここで現に存在しているのは,県
は来ないのです.ですからきちんとコンサルトできるよ
立中部病院が,離島の医師を育てなければいけな
うなシステムをつくっておくことが,より不安が少なく,
い,あるいはそういうことを支援しなければいけない
離島に行ってもらえる一歩かなと.
ということが,病院理念の重要な位置を占めている
ためでしょうか.
田仲
山田
結局学べる環境,生涯学習ができるシステムとい
うことなのでしょうね.
そうですね.あとは地域の患者さんも分かってくれ
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インセンティブは島医者であること
田仲
沖縄は卒業生が行かなければならないところがた
くさんありますが,卒業生は少ない.いわば促成栽培
田仲
2年間はスーパーローテートで残りの1年間は離島
的にどんどん前線に送り出されるのですけれどね.他
を見据えてでもいいし,ある程度専科を決めてやっ
府県だったら5年目ぐらいのところも,ここでは以前
てもいいということになっています.自治医大の卒業
は2年で,いまは3年で研修して出されるというのが
生もその枠に入ってやっています.
県の事情でもあります.
山田
そうですね.私のところは海なし県で内地の山間
地だけですから,状況は全く違っていて,救急車を頼
めばことは済んでしまうということが多くて,究極の決
山田 今プライマリコースには何人いるのですか.
田仲 現在,3年次が自治医大も含め3名,2年次が10
名,
1年次が5名です.
山田
それはすごい力ですね.自治医大以外から来て
断を迫られるというのはそれほどありませんでした.そ
いる研修医たちは,どういうことを志向して入ってき
ういう意味で離島医療というのは大変だなと実感し
ていますか.
ます.先生にとって,忘れられない経験はありますか.
田仲
田仲
いろいろですね.離島でできる島医者を目指した
脳出血の患者さんで,いつヘルニアを起こすので
いという人もいるし,専門科に進む前にジェネラルな
はないかという状態で,台風が来ている中,
72時間ぐ
ことを修めたいという人もいますし,ファミリープラク
らい患者さんと寝起きをともにしたことがあります.そ
ティスを志向してきたドクターもいます.
ういう時にヘリコプターが雲の合間をついて飛んで
きてくれた時には,ありがたいなと思いました.
山田
そういう体験をしていると,サポートするシステム全
山田
その人たちは4年目に1年間離島に行き,へき地
勤務をするわけですよね.その人たちが離島に行っ
てる1年間には,どういうサポートがあるのですか.
体のことを考えようということになるのでしょうね.一般
田仲 そうですね,こういったネットワーク的なものや,あと
的な支援の枠組みというのは必ずしもへき地の経験
は研修に出られるように,
こちらから私たちが応援に
がない人が考えている場合もあって,単なる画像転
出向き研修に行っている間はカバーするという感じ
送やヘリ搬送などという一方向的な支援が主体に
ですね.またここの専門家のメンバーが専門家巡回
なってしまいがちです.支援を受ける立場から形づ
のような形で現地での実地指導をしたいなと考えて
くっていかないと,実際にへき地医師にとって有用な
います.
支援システムは構築できないと思います.
田仲
例えばハードウェアなどが予算を取りやすいという
山田 原則的には,1人診療所ですか.
田仲
全部1人診療所です.それを知らないで研修に
のはたしかにありますが,最終的にはソフト,つまり
入ってくるものもいますが,でも逆にそれを言うと本人
マインドやネットワークが大きな鍵なのです.
のモチベーションがむしろグッと上がって,1人でやる
山田
中部病院では,研修医の枠組みはどのようになっ
ているのですか.
田仲
プライマリコースというのが3年研修して,1年離島
に実地研修にいくという形のセットです.
550(6)
山田 3年間はスーパーローテートですか.
ということで気が引き締まったということもあります.
山田
私が思うには,自治医大というのは義務と称しな
がら,一方では地域で研修しているようなもので,そ
の私たちでさえへき地の過酷な条件に打ちのめされ
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て,アイデンティティが保てなくなりドロップアウトして,
ジェネラルを志向するのをやめて専門を志向してし
まう卒業生が大勢います.そういうふうにならないよう
な工夫というのは……?
田仲 先日もインセンティブをどう付加するかという議論を
したのですが,狭い意味のインセンティブというのは,
たぶんあまり有効ではない,最後はモチベーションで
はないかと.島医者でいることがインセンティブだと言
い切った先生もいらっしゃいます.私自身もそういう形
で,島医者をやっていることが一種の報酬であると
思っていました.私たちのそういう姿を見せて,それ
でもいい,やりたいというドクターが来てくれるように,
アピールしていくことがいちばん大事だと思います.沖
縄は貧乏ですから,サラリーがついてくるわけでもな
いし,なにか保証されるわけでもないし,労働は過酷
聞き手:地域医療研究所所長・
「月刊地域医学」編集長 山田隆司
だし,決していい条件ではありませんが,やってること
自体は非常に原始的ですが医療の原点に近いとこ
なものが結構決め手になるのではないかと思います.
ろがあるのかなと思います.
山田
また島でやってきたという実績が評価されることも
とても共感できるお話で,インセンティブをつけるの
必要だと思います.
普通なら開業した医院の待合室
ではなくて,その仕事の豊かさのようなものを伝えて,
に
「∼学会認定専門医」
「∼大学病院部長を経て」
それを味わってもらう.それが少しでもうまく伝われば
などというのが掲げてあると患者さんは一般的に
「す
いいと思うのです.
沖縄は自然にも恵まれているので,
ごいなあ」
と思うのでしょうが,私たちの尺度からす
離島へ行っても,単に医療だけではなく,環境や風
ると
「○○島に2年行っていました」
と書いてあった
景,空気,文化,雰囲気など島の豊かさが感じられる
らすごいと思うのですね.離島経験が5年以上ある
という気がします.
人の診療経験や学会発表を聴いていると本当に壮
田仲
奥野先生も書いていらっしゃいましたよね.島の空
絶で,実際,能力を持ち合わせていないと5年も離
気だとか雰囲気だとか,やっぱり最後は島の人だと.
島で続けられません.ですから離島勤務終了バッジ
山田 島医者,あるいは地域医療医など,そういう価値観
とか,正しい評価が生きるようなことができないかな
と思っています.
を持った医者がもっと増えると,そんなに背伸びしな
くてもそういうことが伝わると思うのですが,
うまく伝
離島の医者は格好いいですよね.離島医療という
えようと思うとなかなか難しいものがありますね.実
のはよりドラマチックというか,そういう感じがするな.
際に体験してみないとわからない部分が最も重要で
先生は今は研修医を指導する立場でがんばってい
すが,それではほっぽり投げて体験さえさせればいい
ますが,やはり島へ戻りたい?
のかというとそれだけでも困るわけで,悩んだ時にす
ぐにでも相談相手になるきめの細かいサポートのよう
月刊地域医学 Vol.20 No.7 2006
田仲
ですね(笑)
.医者の相手をしているよりは,やっぱ
り患者さんを診るほうがいいですよね.
551(7)
次の人たちへつないで行く
山田
先生の中部病院での診療の部分は,救急ですよ
ね.救急の現場というのは,いつも横断的に重症の
山田
中部病院というのは離島医療支援もしながら,救
患者さんを診る.長いケアにかかわるわけではないの
急もこれだけしっかりやっていて.研修医にとっては
で,患者さんと信頼関係を培っていけるわけではな
それがすごく魅力になっているのですね.
い.地域医療の尺度からすると,非常に制約された
田仲 ここを卒業した研修医はパッときた救急の患者さん
場所というか,地域医療をやりたい人がやる現場とし
に,頭が真っ白になることはなく,体が動くのですね.
ては,むしろ非常に対極的な現場ではないかなとい
沖縄の研修医はへき地へ行かなければならないと
う感じがしますが,それはいかがですか.
いう事情があるため,まずパッと初期対応ができて,
田仲
自分の存在意義がこの病院で得られたとしたら,
そのあとで初めてさてどうしようか?と考えなくてはな
それは研修医の教育ですね.日々伸びていく研修
らないという背景があるので,そういうトレーニングを
医を目の当たりにしていること.また救急の現場でも
しています.
ジェネラリストの視点を生かせる場面もあると思うの
ですね.
山田 そうですね.おっしゃるとおり,ジェネラリストは単に
山田
先生はこれからどんな活動をしていきたいと考え
ていますか.このまま研修医の教育をずっと続けて
いく?
継続的に自分たちの顧客,限られた患者さんたちを
田仲 どうでしょうか.
ケアすればいいかというとそうではない.離島へ行っ
山田 離島に帰りたいという思いも若干あったり……?
て時間をかけておだやかな家庭医療をやっていれ
田仲 大いにありますね
(笑)
.
ばいいかというと,救急の現場での能力がないかぎ
山田
沖縄は,自治医大の卒業生のネットワークの中で
り,
「なんだ1人も救えないじゃないか」
と地域の人た
も他県には例にないような,質の高い仕組みができ
ちに入り口のところで認めてもらえない.
「この子を
つつあるのではないかと思います.地域医療振興協
救ってほしい」
と言われたら,その時に持てる力を
会では今年も新しく20名を超すジュニアレジデントが
幅広く集約して腕がふるえないと,ジェネラリストとし
入ってきましたが,離島やへき地に興味を持っている
ては初めから問題にならない.地域の現場ではまず
人がとても多いのです.ぜひ何か一緒に支援してい
第一に初期の総合臨床能力が問われるわけです.
けるような,お互いに学べるような連携ができるといい
自治医大の卒業生は地域の現場に出て行くから,
ですね.ジェネラル,
あるいは地域医療,離島医療,
痛いほどそんな状況がわかっていますが,そういう意
へき地医療という枠組みに興味を持っている人たち
味で現場に出て行く研修医に,先生がここでジェネ
が広がって,そういうネットワークを広げていければさ
ラリストの見方を伝えていくことにはとても価値がある
らにいいのではないかと思います.札幌医大の山本
と思います.ただ,私がここで働けと言われたら,すご
和利先生のところでも後期研修として地域医療型プ
いストレスになるだろうなと思いますが.
ログラムが組まれていますので,協会ではそこと組ん
田仲 私も救急は嫌いですよ.救急は研修の時から嫌い
でした.明日が当直だというと,その朝からもう,ああ,
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嫌だなと思っています.
で交換プログラムも計画予定ですが,例えば沖縄
とも一緒に組めれば,北海道で3ヵ月,沖縄で3ヵ月と
月刊地域医学 Vol.20 No.7 2006
INTERVIEW/「原点は,島」
北と南で研修できるような連携ができると面白いなと
だから自分たちの組織の狭い枠組みだけでなく,
思います.
色々なチャンスを与えてあげられるようにしたい.うちの
田仲
プライマリコースの人たちも離島へ行ったあとは
本土に戻るというだけではなく,また沖縄に戻ってき
て研修をしたいというドクターも増えていますし,お手
研修医たちは田仲先生に出会うことで,惹かれるも
のを感じるのではないかと思うのです.
田仲
ぜひプライマリに興味のある人は連絡くださいとい
伝いしてもいいよと言ってくれるドクターもいますので,
うことで,
メールアドレスを載せていただけますか.
そういったメンバーも取り込んで先生のところと何か
山田 ぜひ沖縄に興味のある皆さん,
メールして下さい.
していければいいですね.
山田
田仲先生,今日はありがとうございました.
この世界はなにを教わるかよりも,だれに教わると
か,どんなロールモデルに出会うかということがすご
く大事で,だれと出会ったかということで決まってくる
部分がある.専門医を育てるよりもジェネラリストを育
メールアドレス
[email protected]
てる際には,
よりそういった要素が重要だと思います.
沖縄県立中部病院 離島医療支援室の前にて
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