ニューリベラルとは何か

平成 13 年 6 月 13 日(水)
ニューリベラルとは何か
寺島
実郎
三井物産戦略研究所所長
3 日前まで、欧州を回って帰ってきたところ。パリで OECDの会議や、労働党が大勝し
た総選挙のイギリスで、労働党のブレーンといわれる人達と会ってきた。
イギリスのガソリンスタンドでも売っている、2001 年の労働党のマニフェストを持って
きた。これ自体や、この作り方は民主党にとって、非常に参考になると思うので、一冊置
いていくこととしたい。
当然ながら、小泉さんを想定しながらであるが、私の一貫したテーマは、この国にとっ
て、選択軸がないことだとおもっている。ニューリベラルの基軸は一体何かということを、
皆さんと一緒に考える、そのプロセスとして、こういう会を引き受けさせていただいてい
る。
「第三の道」とアメリカの内向
欧州での印象のひとつは、OECD でも耳にしたが、ブレアのキーワードが出てきている
ことだ。それは、
「ガバナンス」という言葉である。
アンソニー・ギデンズという方がいる。ロンドン・スクール・オブ・エコノミックスの
教授で、ブレア登場の思想的な基軸を形成した。
「ビヨンド・レフト・アンド・ライト」
(左
も右も越えて)を 25 年に出した。それを思想的なバックボーンにして、ブレアが「第三の
道」というのを作った。この「第三の道」という言葉を作ったのも、ギデンズである。
98 年に「ザ・サード・ウェイ」というギデンズの編著の「オン・ザ・エッジ」が出回り
初めた。
「グローバル・キャピタリズムとどう共生するか」という視点である。非常に不思
議な本で、ジョージ・ソロスからグリーンスパンまで寄稿している。この本が、政治思想
を欧州で語るときの、キーになる本として取り扱いはじめられている。本の中の最終章が、
重要であるが、その「キーワード」として登場しているのが、
「ガバナンス」である。「ガ
バナンス」とは、どのように、グローバル・キャピタリズムの光と影を制御するのかとい
う視点である。
「第三の道」というのは、イギリス国内の競争主義と社会的公正のバランス論というこ
とで、展開されてきた。
「インターナショナル・サード・ウェイ」という国際的な視点まで
拡大していく。世界におけるグローバル・キャピタリズムのもたらす影の部分を、制御し
ていく視点として、第三の道をグローバルに拡大させていくことが、出始めてきた。
欧州における国際会議の最大の悩みは何かというと、アメリカの「内向」が、傲慢にな
り国会をぎらぎらさせている、ブッシュ新政権に対する、「制御」が、まさに、この「ガバ
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ナンス」であるのだが。
アメリカは、このところ、
「エンゲージメント・ポリシー」(寛容政策)となっている。
たとえば中国を孤立させずに、WTO 等に加盟させて、国際社会の責任ある「寛容者」にし
ていかねばならないときに、
「エンゲージ」させていくというときに使う。北朝鮮を孤立さ
せないで、
「ならず者国家」にしないために、国際社会に関与させるために、エンゲージポ
リシーが使われる。
「太陽政策」という、金大中大統領が使っている言葉は、英語では「エ
ンゲージメント・ポリシー」である。
北朝鮮とか、中国に向かって使われていたのだが、まさにこの言葉こそ、アメリカに使
われなければならない。そのような冗談が使われているほど、アメリカの「内向」に、悩
んでいるのが欧州の状況である。
ブッシュが欧州を回り始めている。まもなくプーチンとも会おうとしているのだが、単
にNMD問題で、欧州とアメリカとの温度差というだけではない。たとえば、この政権だ
けでなく、CTBTを議会が批准を拒否するような動きとか、WTOにおける、国連にお
けるアメリカの「エコセントリズム」すなわち自国利害中心主義というか、自分中心主義
が際立っている。そのしっぺ返しとして人権監視委員会の委員が落選するということまで
なって、ふてくされているような事態になっている。
「ワシントン・コンセンサス」という言葉がある。IMFとか世銀だとか、ワシントン
に本部のある国際機関と欧州に本部のある機関(WTO、OECDなど)があるが、ワシ
ントンコンセンサスの国際機関は、アメリカの思うがままになるという、意味合いにおい
て、非常にコミットメントが深い。欧州に本部のある機関では、アメリカは言っているこ
とは間違っていると理論的に叩かれる。嫌気がさして、もう OECD から辞めようかという
ぐらいになり、出ている人のレベルもどんどん下がってくる。
WTOもしかり。しかも国連のように、「大国主義=不愉快な拒否権発動の世界」ではな
く一票は一票で、アメリカの力は相対化され、思うに任せられない機関である。であるが
ゆえに、逆に本音のところが見えてきて、日本にとって重要である。
いずれにしても、極め付きの「内向」、京都議定書からのドロップアウトまでもおこり、
アメリカのエゴというものが、最近非常に際立ってきている。
その背景にあるのは、ブッシュ政権の特質ということではなく、10 年続いてきた経済の
構造変化(あとで、議論したいが)
、金融主導型の資本主義に変質していって、マネーゲー
ムの中に、どっぷり浸かっていることである。アメリカ人は、国際社会に責任ある形で関
与するよりも、自分達のマネーゲーム的世界の中に、関心が行ってしまっている。世界の
出来事から距離をとるようになってきている。
今のブッシュ新政権、外交の理論の基軸は、古い冷戦時代の外交を成功体験として総括
している。軍人出身の(パウエル、トーケル・パターソン)パワーポリテッィクス的視点、
キッシンジャー的成功外交を基礎としており、冷戦後の外交としては、非常に古い。
かつて、ウィルソンが提唱した国際連盟、第二次世界大戦後のFDR、将来世界がどの
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方向に向かうべきかというある種の見識はあった。今回冷戦が終わってからの世界は、国
民国家、グローバリズム等のテーマが浮上している。全員参加型秩序、すなわち大国主義
だけでは図れない考えがでているのに、外交理論の基軸が非常に古い。依然として、冷戦
時代のパワーポリティックス論をもって、再構想しようとしている。新しい世界を予感さ
せない、危うい部分がある。
欧州の政治思想は、成熟しているというのが、私の印象である。「第 3 の道」にしても、
「インターナショナル・サード・ウェイ」にしても、新しい世界秩序をどう制御していく
かという、目線の高く、かつ深い議論をし始めている点において、注目しなければいけな
い。
ニューリベラルとは何かー経済産業の視点からー
「ニューリベラルとは何か」を経済産業の視点から、自分なりに整理してみたい。
「正義の経済学
ふたたび」は、中央公論に書いた私の論文を基軸にして、半分程度書
き下ろして、自分なりの考え方をまとめたものである。
小泉新政権を取り巻く経済学者、および小泉さん自身の経済政策の最大の弱点は、骨の
髄まで、市場原理主義に立脚している点である。市場原理主義に立っていることの弱さが
いずれ、にじみ出てくるだろうと思う。市場原理主義を貫くことが改革なのだという考え
は、欧州の実験などとは、似ても似つかないものになっていくだろう。
「正義の経済学」というキーワードは、世界の経済学を振り返ってみれば、常識にも近
い話だが、経済学とは、貧困、分配の不公正など、不条理に対して立ち向かう学問だったは
ず。ところが、この 10 年間、MBAなどのカリキュラムを見れば分かるが、効率だとか、
金儲けだとかいうことのためだけに、向かってしまった。
政治というものの、経済に対する役割・重要性は何かと聞かれれば、僕は「価値の問題」
を問いたい。世の中はどうあるべきなのかという、価値の問題が経済の世界を考え直す。
それが、
「正義の経済学」の基本的な視点である。
IT革命×グローバリズム
今われわれが立っている所は、まさにグローバル・キャピタリズム=吹き荒れる資本主
義。新資本主義ということについて、いろんな人の議論がある。が、複雑ではない。枕詞
のように、「変化の時代だから・・・」「変革の時代だから・・・」というが、何が変化し
ているのですかと聞いたら、口ごもってしまう人が多い。つきつめると、「IT革命×グロ
ーバリズム」の中で、大概の人は時代を認識している。つまり、情報技術革新の進行とい
う潮流と、国境を越えて、人、物、カネ、技術、情報が自由に移動するという時代を目指す
という時代認識である。
ところが、IT革命の本質とは何かについては、90 年代以降の最大のIT革命は、イン
ターネットに象徴されるような、ネットワーク化である。コンピュータの情報処理能力が
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1000 倍になった。10 年前に一台 10 億円したIBMの中型汎用コンピュータが、今 30 万
円で同じ能力のパソコンになった。今、これは限りなく 10 万円に近づいている。これから
10 年で、情報処理能力は、専門家の間で論争があるが、少なくとも 1000 倍になるだろう
といわれている。今、そういう潮流の真っ只中にある。
一台一台のコンピュータ能力が高まったというだけでなく、さらにネットワーク化によ
って、潜在能力が爆発的に意味を持ち始めた。そのシンボルマークが「インターネット」
である。1964 年に、ペンタゴンが、インターネットの研究開発をスタートした。冷戦後の
展開として、民生転換が行われた。商業ネットワークとインターネットの基盤技術である
アーパネットがリンクしたのが、93 年すなわち、わずか 8 年前である。この 8 年の間に怒
涛のような潮流になってきた。
IT革命を将来総括する歴史家は、こう言うでしょう。「IT革命とは、アメリカが主導
した冷戦後の軍事技術のパラダイム転換であった」と。
IT革命の現在我々が直面している認識として、このことは非常に重要である。「アメリ
カが主導してきた」ということを、頭においてほしい。グローバル化は、過去 10 年間、売
れ筋の経済評論家が、
「大競争の時代」とか、「市場主義・競争主義の時代」とか「規制緩
和」とか言ってきた。じっくり考えると、我々10 年間大事にして来たものの背後にある価
値観は何かといえば、冷戦が終わって、東西の壁が崩れ、国境を越えて、もの、金、技術、
情報が自由に動き回る世界をつくることが、我々が実現すべき時代であるという価値観で
ある。大競争、規制緩和、参入障壁を低くすることが改革・開放なのだという価値観であ
る。その価値観の震源地は、いうまでもなくアメリカである。
社会主義政党
欧州でないというのは良く分かる。欧州のユーロ社民主義が根強く吹き荒れているかと
いえば、イギリス労働党の勝利ということもあるが、欧州は 20 世紀から 21 世紀に変わる
瞬間、EU15 カ国の内 11 カ国が、かつて社会主義政党といわれたところが政権について 21
世紀をむかえた。
日本人の古い歴史観を持っている人にしてみれば、
「社会主義なんて、19 世紀の産物」で
はないのか、欧州は、一体何を背負い込んでいるのかと、首をかしげるはずです。イタリ
ア、スペインの選挙で、かつての中道左派政権の二つ政権が変わったので、今度のイギリ
ス労働党の選挙は非常に重要であった。いわゆるユーロ社民主義が崩れて行くのではない
かという展望のなかで、中核のイギリスの労働党が持ちこたえたどころか、2 期目に迎えて
大変自信を深めて、サーチャーリズムを断ち切る形で 2 期目に入っていったという点で重
要である。イギリスは労働党政権、フランスはジョスパン率いる左翼連合政権で、共産党
までが政権に参加している。ドイツは社民党と緑の党の連立政権、EUの中心国は、かつ
て社会主義政党が政権についている。これは社会主義の復活という潮流ではなく、ユーロ
社会主義という言葉さえ、現実的な路線の中で、「成熟」してきたのだ。
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イギリス労働党 1 期の時の策は、サッチャー政権の踏襲である。ブレアはサッチャーの
息子といわれる部分もある。欧州は、どういう目線で経済政策思想を考えているのか。欧
州の人は、アメリカに対して、
「資本原理主義の総本山」とからかって言うが、これは、骨
の髄まで資本主義ということを言っている。20 世紀の米欧の歴史を比べればよく分かる。
アメリカは、ただの一度も社会主義政党を育てたこともなく、社会主義政権を作ったこと
もない。
欧州の主要国は、ことごとく、社会主義政党にのめりこんで、イギリスなどは 6 回も社
会主義政権を作った。産業国有化政策までやってみて、経済の競争力・効率性を損ねて、
サッチャーが登場した。サッチャーのやったことは、イギリス経済に米国流の競争主義を
導入しようとするもので、ビッグバン、規制緩和をやった。我々が国際会議に出て、日本
は 20 年遅れのサッチャー主義ですねといわれるのは、まさにこの文脈からです。
サッチャー革命は 18 年続いたが、イギリス国民はサッチャー路線の継続に NO と言って、
ブレアが登場した。ブレアは社会主義の復活は言っていない。第三の道は、一言でいえば、
市場競争という大きな潮流は許容するが、社会政策によるバランス論である。ただ、競争
主義・市場主義を貫けばよいというものではない。
競争主義・市場主義を貫いた場合、二極分割が起こる。強いものはより強く、弱いものは
より弱くなる。イギリスは、なるほどサッチャー革命によって、競争力が高まり、元気に
はなってきたけれど、やはり社会的な不条理というものが、いろいろ見えてくる。その不
安感に、社会政策によるバランス、たとえば分配の公正、雇用の安定、環境の保全、福祉の
充実など、スパーッと玉を投げ込んだのが、ブレアの第三の道であった。そういう視点の
なかから、欧州は、アメリカの市場原理的なところから一線を画して、悩みながら 21世紀
に入ってきている。
「今、再びアメリカ化」か
今我々が直面している、吹き荒れる資本主義というものは、IT×グローバル化、新資
本主義などという、訳のわからない言葉が行き交っているが、つきつめれば、「今、再びアメ
リカ化」と言い換えていいぐらいである。つまり、アメリカ的なシステム、価値のようなも
のを、普遍的な世界の潮流だと思い込んで、懸命に走ってきたというのが、この日本の 10
年間である。
OECD の未来フォーラムで、ある非常に思慮深い議論をする人が、
「アメリカのような国
になりたいのですか」という究極的な質問をしてきた。まさに、この言葉に象徴されてい
る。本当に我々はアメリカのような国になりたいのだろうか。
私は、欧州モデルの方が正しいなどと思っているなどと誤解されたくはないが、世界には
アメリカ型モデルを探求することは唯一の選択肢ではない、様々な出来事が進行している
ということを知っておかねばならない。その中で、新資本主義がもたらしている「影」の
部分とは、一体何かということである。
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次回には資料をお配りして、私の議論を体系化したものを、ニューリベラルとは何かを
明快に基軸化したものを出してみようと思っているのだが、要するに新資本主義がもたら
している最大の不条理の一つは、「金融主導型の経済への変質」ということである。
「マネ
ーゲームの自己目的化」と言い換えてもいい。
2000 年を基点にした過去 10 年間に、アメリカのGDPは 122 ヶ月連続成長をやってい
るのだから、名目で 1.7 倍になっている。その間にダウは 2.4 倍になった。ナスダック
は 9.2 倍になった。名目経済をはるかに上回る株価形成、90 年代に「デジタルエコノミー」
という商務省の出している本の中に、いかにアメリカの産業が、たとえば流通がITによっ
ていかに効率化されたかとか、生産性が高まったとか、あるいは製造業の工程がITによ
って、効率化されたか述べられている。IT革命推進論者が必ず引用する説得力のあるシ
ナリオということになっているが、アメリカの全産業セクターのなかで、90 年代を通じて
もっともしたたかにIT革命の成果を吸収して、付加価値を肥大化させている産業セクタ
ーは一体どこかといえば、金融である。しかも直接金融である。銀行でない金融機関とい
うことだ。
401K など日本でも議論されるようになったが、年金資金についても株式で運用する
ようになった投資信託とか、あるいは、ヘッジファンド、ディリバティブでの運用してい
る機関、直接金融に携わっている機関がITで武装することによって、急速に付加価値を
肥大化させたというのが、アメリカ経済が90年代に進行したもっとも大きな変化である。
軍事産業→ITで武装した金融ビジネス
分かり易くいえば、80年代まではアメリカ人は軍事産業で飯を食っているといえば、当
たらずとも遠からずという状態だった。産軍複合体という言葉が、アメリカの産業を語る
とき必ず語られていた。アメリカの虎の子の産業は軍事産業と言って、間違いはなかった。
宇宙航空産業に象徴される。日本が逆立ちしてもただの一台のジェット機を作ってはいな
い。世界を移動するときは、ボーイングやダグラス社、エアバスのご厄介になっている。
昨晩、H2 ロケットのドキュメンタリーがNHKであったが、なるほど部品とかは非常にい
いものを作ってはいるが、日本もいつでも作れるのだという人もいるが、そうでもないだ
ろうという気もする。総合システム産業としての宇宙航空産業ということを考えたら、ア
メリカは冷戦の時代に累積200兆という軍事予算を積み上げ、軍事産業の基盤を作り上
げた。その中から、前述のインターネット技術も出てきている。
軍事産業は虎の子産業だったが、90年代に入って冷戦が終わったということが、アメ
リカにどれほどのインパクトを与えたか。クリントン政権になって、財政が黒字化したとい
いながら、3分の一軍事予算をカットした。そのことによって、軍事産業がものすごい勢
いで合従連衡の嵐に入っていった。マクドナルド・ダグラス社は、ボーイング社に吸収合併、
ロッキードとマーチン・マリエッタが合併して、ロッキード・マーチンになった。グラマン
は、月着陸船まで作った栄光のブランドだったが、ノースロップに吸収された。日本の今
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の金融どころではない、合従連衡の嵐になった。
そこで、何が起きたか。以下の数字で一発でわかる。80年代までは、大学の理工科系
を卒業した学生の8割が広い意味での軍事産業に雇用吸収されていた。90年代になって、
理工科系の計数に明るい学生は、金融とくに直接金融に雇用吸収された。最近特にITで
武装した金融という流れが出来てきた。その行き着いた先がヘッジファンドであり、ディ
リバティブである。コンピュータのオンライン革命が進行しなければ成り立たなかったよ
うな金融派生型商品、数学を駆使した新しいタイプのビジネスモデルである。
要するに、ITで武装した金融ビジネスが、金融派生型商品として、ものすごい勢いで
肥大化し始めた。コンピュータの中を短期の資金が駆け巡るようなビジネスモデルが行き
着いた先が、一日の世界貿易の額が 180 億ドル。ものの動きは一日 180 億ドルに対して、
一日の為替の動きは 100 倍をこえた。
ものの動きの 100 倍の為替の動きがなければ、経済は回らないものだろうか。正にそれ
が、グローバル・キャピタリズムの行き着いたところ=「究極のマネーゲーム状況」とい
う、金融肥大型経済になっていったということである。
そういう中で何が進行したかといえば、国際間・一国の中での分配の不公正である。富
の二極分解。強いものはより強く、弱いものはより弱くなり、90 年代アメリカの労働分配
率の引き下げというデータを見れば、驚くべきである。
一昨年まで、失われた 10 年ということで、企業収益が低迷していたので、労働分配が硬
直していた。アメリカほど労働分配の引き下げが生じていなかったが、去年あたりから、
いよいよアメリカ型のものに近づき始めている。複雑な要素がからみついて、IT革命が
進行するにつれて、昔は「アトム化」という言葉があったが、ネットワークでつながると
いう部分はあるが、効率化、市場主義の徹底の中で、ITで武装した雇用環境は、労働の
中身を平準化して、だれでもシステムに対応できる形として、経営をしていこうという流
れが出来てきている。
「スピード経営」
今、経営の究極の形は「スピード経営」ということが言われている。日本型経営の対極
にあるものだと考えればいいが、経営のシステムのなかに、「年功」「熟練」など何もいら
ない。コンビニエントストアのレジを見ればわかる。要するに、引継ぎ書もマニュアルも
研修を受けなくとも、バーコードをなぞるくらいは誰でもできることで、現場が引継ぎで
きるというしくみである。金融から流通にいたるまで、さまざまなところで、ITを使っ
た労働の平準化ということが、次第次第に入り込んできている。
それが、前提になってアウトソーシング経営とか(アウトソーシングができるぐらいに
労働が平準化しているということである)だれがやっても同じだから、長い間会社にいる
かいないかは、IT革命のなかで、定着していくことになる。
労働組合的な労働者の統合は、理論的に不可能になる。雇用の流動化でくくってしまえ
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ば簡単だが、雇用の現場に、誰がやっても同じという仕組みを定着させれば、そうなる。
10 年前の日本企業の現場と今の現場を比較してみると、連合の人と議論していても、様変
わりしていることは明らかである。10 年前には、
「職場集会」などは、簡単にできたが、今
は、できない。半分アウトソーシング、出向の受け入れ、パートタイマー、など半分はそ
の会社の社員でないという職場環境にどんどんなっている。IT化によって、ますますそ
の傾向は強まるだろう。
そんななかで、アルバイトの人を刺激しても悪いから、別のところで集会をこっそりや
ろうとか、そうなってくるうちに、労働組合すら液状化してくる。
そのなかで、何が起こっているかといえば、労働分配率の引き下げである。アトム化す
ることによって、交渉力の基点を失ってしまう。現実にアメリカにおいて、進行している
のは、分配の格差であり、90 年代に究極の形となっている。
フォーチュン 500 社のトップ経営者と従業員の年収格差は 400 倍になった。日本では、
まだ 7 倍だといわれている。過剰に格差のある国と過剰に平準化している国であろう。私
は、我々のバランス感覚が問われていると思う。ストックオプションだとかキャピタルゲ
インなどで、マネーゲーム的な潮流のなかで、ますます分配の格差が開いていくアメリカ。
日本の場合は極端に平準化しているので、トップ経営者とフリーターの娘とが可処分所得
が同じという笑い話が出てくる。
そういう日本に嫌気がさして、かなぐり捨てるように「アメリカ的仕組み=格差の資本
主義」を目指し始めているというのが、今の日本の状況である。
私の本の、前半二つの論文に書いているが、資本主義のなかにもいろいろな価値があり、
格差の資本主義だけを目指していけばいいというものではない。中間層を確実に育てる資
本主義を、ひとつのあり方としてあっていいのではないかということを、書いている。
「売り抜く資本主義」と「育てる資本主義」
もうひとつ、「売り抜く資本主義」と「育てる資本主義」の分け方をしている。「売り抜
く資本主義」とは、マネーゲーム化する資本主義の嵐のなかで、時価総額主義などという
言葉が、白昼堂々とメディアを跋扈している。会社の価値については、株価の高い会社が
いい会社であるということが蔓延していた。要するに、今、日本の経営が目指している、
コーポレートガバナンス理論は、アメリカ流のコーポレートガバナンス理論である。株主
資本主義である。株主にとっていい経営が、いい経営である。株価が高くて、配当が多く
て、情報公開=説明責任を果たしている、今日本で、こういう経営がいいと議論されてい
る。
OECDのような、欧州に基盤のある機関の出している、コーポレートガバナンス論と
いうのは、まるで違う。欧州のユーロ社民主義を背景にした「いい経営」とは、「バランス
よく付加価値を利害関係者に配分する経営だ」という考え方になっている。株主もステー
クホルダーだが、それだけではない。会社は株主だけのために、汗を流しているわけでは
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ない。従業員、地域社会、国家、地球環境、などにバランスよく、付加価値を配分する経
営を目指さなければならない。とりわけ、従業員への配分にこだわり続けているのが、欧
州である。フランスの週労働時間 35 時間、ドイツは 37 時間などとやっている。
日本はどうするのか。日本は今、必死になって、アメリカ流のコーポレートガバナンス
理論を追っかけている。今までの日本のやりかたを、すべてかなぐり捨てて、アメリカ流
のやり方をやらねばならないということになっている。将来の歴史家は、こう言うだろう。
「日本の戦後は、保守政権下で社会民主主義的政策を展開していた国だ」と。日本くらい
分配が平準化している国はない。55 体制という枠組みの中で、保守に対する牽制機能が、
労働組合の機能などが、一定以上の役割を果たしていて、労働分配率の引き上げに機能し
ていた。経営にとってみれば、それは、必ずしもプラスの意味だけではなかったかもしれ
ないが、日本こそ、富の平準化している典型的な国家であった。
それをかなぐり捨てて、アメリカ型の格差の資本主義を目指そうとしている。欧州の人
が、
「アメリカのような国を目指したいのですか」と問い掛ける問題意識につながってくる。
「育てる資本主義」と「売り抜く資本主義」の違いは、ベンチャーブームが繰り広げら
れてきたが、IPOをかけて、資金を調達することが、自己目的化してくる。事業を育て
るというのは、本来、研究開発、マーチャンダイジングまで血のにじむような努力の集積
により、その延長上に資本主義が成り立っていた。ところが、ゆがんできて、育てる視点
よりも、高値で事業を売り抜く視点のほうが、自己目的化し、マネーゲーム化した資本主
義に、この 10 年間で、じわっと変わってきた。
ひたすら、米国流を追及してきたのが、この 10 年間で、さらに、今の小泉内閣で追求さ
れている、「改革」というものに対して、本質的に市場主義の貫徹のようなものがあって、
別の言い方をすれば、それは米国にとって望ましい改革と理解すれば非常に分かり易い。
参入障壁を下げ、日本が一番弱く、アメリカが一番強い分野、すなわち,ITと金融、
その部分で自信を喪失させ、参入していくというのが、ひとつのパターンとなっている。
まず金融という分野で、実現した。
「はげたか」ファンドで、この 10 年でいままでの絵図
柄がどんなに変わってきたかを見ればわかる。これからは、ITとエネルギーで、間違い
なくやってくる。
つまり、改革は、グローバルに透明性を高めるとか、公正な参入障壁だとかを構成する
ことによって、アメリカにとって望ましい方向へ、リフォームすることだと言い換えた方
が分かり易い。市場原理主義的な風流の不条理、については、本のなかで詳しく述べてい
るので、ここでは、端折ることとしたい。
あるべき社会の視点―「ネット共同体」
我々の経済政策思想を混乱させてはいけないということで、話のエッセンスというべき
部分に入っていきたい。先ほど、欧州の思想は深いということで、ブレアをささえる第三
の道が、ますます成熟を見せ始めて、労働党政権を変えていくことに、注目をしていると
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述べた。
2 つ、申し上げたい。資本主義の影の部分、不条理の部分に対して、かつて 20 世紀の人
類史は、
「階級共同体」というキーワードで、戦ってきた。1867 年にマルクスが資本論を書
き、1917 年にロシア革命が起こって、20 世紀の人類史はこの社会主義というものに、悩み
つづけてきた。マルクスの目撃した、ビクトリア時代の腐敗など、様々なもののなかで最
大のものは貧困である。共同体による資本主義の矛盾などの視点によって、戦った。しか
し 90 年代に入って、ソ連邦が自壊していった。究極の官僚主義、非効率にはまり込んで、
自壊していった。階級共同体という実験が一敗地にまみれた。
欧州の国のほとんどが、社会主義政権に迷い込んだ歴史をもっていたが、衝撃であった
し、苦悩をもたらした。社会主義は失敗に終わったかもしれないが、社会主義の本質の理
念、すなわち資本主義の荒廃、矛盾に対する睨みとしての理念に、ユーロ社民主義にこだ
わりつづけている。
21 世紀の欧州が見せ始めている、あるいは、我々が見せなければいけない新資本主義の
荒廃、矛盾に対するキーワードとは何かといったら、「階級共同体の再興」では、とても戦
えない。多分、間違いなく言えるのは、「市民共同体」である。
「ネット共同体」と言い換
えてもいいと思うが、IT革命の成果を、「ネット共同体」という形であらわすことができ
るかは、ポイントだと思う。
この本の中で、ネット共同体の現実に対する、寒々とした認識というのが書いてある。
というのは、現実にネットワークなるものを掲げて、興奮している人たちを、真面目にト
レースしてみると、今のネット共同体は、まだ「おしゃべり」の共同体のようなもので、
ネットを使った市民の連帯などというものが、社会を変革していく力になるようなところ
まで成熟しているとは、思えない。
これをどういう方向にしていくかということが、非常に重要であろうかと思う。
ユーロ社民主義からユーロ市民主義へというか、欧州が見せ始めている、新しい実験的
な出来事がある。このITの潮流、EUの統合という潮流、が掛け合わさって、欧州は、
新しいものを見せ始めている。
たとえば、大学などでは、ひとつの大学に 4 年間いるのではなくて、イギリス、フラン
スといて、その口座が全て認定されて、卒業できる仕組みができ、それをIT技術が支え
る。いろいろな口座にアクセスできるような形で、自分のアイデンティティは、イギリス
人だが、欧州という大きな枠組みの中で生きている、生かされている。そのような認識が
されるような、ネットワークが次第次第にできあがってくる。流れが、実感されるし、予
感される。
したがって、これからネットというものをどのように、実体化させていくか。かつて資
本主義の矛盾を、階級共同体によって克服していこうとした幻想を、一歩前に展開して、
いわゆる市民のネットによる共同体というものを、どういうふうに作り上げていくのか。
最近、日本でもフリーターの労働組合がネットを基礎に出来上がってくるなどの話題が出
10
始めているが、こういうものに、どういう方向付けを与えていくか。非常に重要だ。これ
が、一点である。
「グローバルガバナンス」
2 点目は、グローバルガバナンスです。
アメリカ流の市場主義をどう制御していくかという、新しいシステム設計、制度設計が
必要だという声が出ている。マレーシアのマハティールなどは、「アジアの未来」という講
座で、アジアの単一通貨などという極端な議論を展開していますが、これから必要なもの
は、グローバルガバナンスに関する知恵であると思う。
日本が良く考えて、アメリカ型の金融主導型のマネーゲームをどう制御していくかにつ
いて、しっかりした識見を持たねばならない。
新しいタックス、国際的な税制については、たとえば多国籍企業の金融活動に対して、
国際的なタックスをかけて、環境保全のためのファンドにしていこうなどという、新しい
発想。そのような、グローバリズムを制御していく新しいシステム設計について、議論の
レベルが高まっていかねばならない。
経済産業におけるニューリベラルの政策基軸について
「市場原理主義との訣別」が、ここでのキーワードだと思う。イギリス労働党的に言え
ば、
「富と機会の広範な拡大」
。
第一の柱は、
「分配の基軸の鮮明化」
今の、道路財源の問題にしても、地方財源の問題でも、骨太の方針でも、根本的な矛盾
は、政策思想が混乱していることである。つまり分配の基軸を根本的に考え直して、組み
立てられているのではなく、思いつき型の「分配の微修正」であるから、つきつめると矛
盾が起こる。
今、2つの極の考え方が明らかに出始めている。一つは、かつて竹下さんが「ふるさと
創生」などということで展開した分配論、シンボル的な「戦後自民党型の分配論」です。
全国一律3200の地方公共団体に 1 億円づつばら撒くという典型的竹下流分配論が、可
能だった時代がある。
その対極に、石原慎太郎がいう「外形標準型分配論」がある。東京に人口・産業が集中
していて、事業を展開している会社から税金をとって何が悪い。東京の東京による東京の
ための政治である。
ニューリベラルの分配論とは、その両極端の考え方の中から、しっかりとバランスをと
って考えなければならない。
小泉さんの展開しようとしている分配論に、地方の首長が一斉に反対しているというこ
とは、必ずしも地方のエゴとはいえない。なぜかといえば、宮城県の浅野知事と話をする
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ので良く分かるのだが、視界の狭い地域エゴではなく、市場原理主義的な分配論に偏って
いけば、都会による都会のための政治だけになっていく危険性である。
自民党の自己矛盾ともいえるもので、一票の格差の矛盾と地方の後援会組織に支えられ
て成り立っていた仕組みなのだから、その仕組み自体に手をつけていくということは、自
己崩壊にもつながりかねない。重要なのは、分配の基軸というものを、どこにとるかとい
うことである。つまり、単に国と地方ということだけではなく、都市と田舎、この国の国
土全体をバランスよく生かしていくために、どういう分配論が正しいのか。
しかも政治というのは、価値の権威的配分のことをいうが、誰が負担して誰に分配する
かということを、権威的に分配論を展開するのが政治である。プロの見識が問われる。い
まこそ、負担と配分の両方をにらんだ、分配の再設計が重要になってくる。
社会的なコスト負担の公正化、民主党がこの間の選挙のときに話題になった、課税最低
限の引き下げ問題などがあったが、どういう思想をもって社会的なコスト負担の公正化に
踏み込むかということである。英国のブレアは、企業に対する最高税率を50%に抑制す
るという、むしろ産業活性化のために下げる一方で、広くみんなで負担するという参画型
の分配論を組み立てた。
私が、民主党の議論の中で関心を持ち、正しい方向だと思っているのは、課税最低限の
引き下げで、広く浅く税金を取っていくような流れを作っていく点。「現代の租庸調」とい
うキーワードで申し上げているが、たとえば、今 300 万の収入の人を 10%の税金、30 万を
税金として取ることが正しいのかという議論に対して、30 万円払う余力のない人から、
「み
んな負担すべきである」といって、奪い取ることが正しいかとも思えない。
選択肢を与えるのが、現代の租庸調ということである。お金で税金を払えないという人
は、社会的に参画することによって、認めてあげる。たとえば、土日に夫婦で地域社会の
ボランティア活動かなどに参加することに対して、クーポンを発行して、お金 30 万の代わ
りの責任として、労役や自分の得意なことで貢献するという、そのポイントが重要なわけ
である。
パブリックというコンセプトを育てていくところに、課税最低限の引き上げという問題
の意義がある。選択肢を広げながら社会責任を、社会人なら広く浅く負担していくという
ような政策思想をしっかりさせていく。
分配に関しても、公共事業の優先順位を見直しし、中央から地方へ分配する仕組みを、
地方の自主財源を拡大していく方向にもっていかねばならないことは間違いない。大きな
流れとして、国のビジョンを明解にして、分配の基軸を明解にする中から、税制総合見直
しのなかで分配論を組み立てないとだめだ。
道路財源、交付税など局所的に議論しても、たぶんダメ。おおきな、あるべき社会モデ
ルをきちっと形成するなかから、分配の基軸を鮮明にしていくことが、公党の責任であろ
う。
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2つめが、成長のプラットホーム論
本の中の、エンジニアリング論を見ていただきたいが、8 月の状態は僕らが予想していた
よりも悲劇的な状況になってきている。参議院選挙の前後にはもっと落ち込んでいる状況
のなかで選挙に入っていくと思われる。
日本の産業構造の再認識ということを述べたい。
さきほど、アメリカの金融主導型の産業に対する批判を展開したが、その背後にある問
題意識は、日本の虎の子産業は一体何かということである。
先日、きわめてストレンジな数字が財務省から発表になった。日本のネット対外純資産
133 兆円。失われた 10 年というイメージを引きずっている日本人からすれば、この数字は
どう理解すればいいのか。グロスでいえば、350 兆もの純資産を持っている。第二位のスイ
スが 35 兆円である。ぶっちぎりのお金持ち国家である。
誰かが外貨を稼いでいるからだが、誰かといえば、極めて明快。去年 4800 億ドルの輸出
を実現している。失われた 10 年の間に 2000 億ドル輸出を増やしている。信じられないく
らいに、ダブルスコア的に増やしている。
問題は、産業間がゆがんでいることである。
メデイアの責任もある。金融エコノミストだけが、テレビ番組に登場して、不良債権処
理がどうしたの、アメリカが日本の金融についてこう言っている等との話ばかりしている。
全員の頭の中が金融になっている。10 年前までは、
「アメリカ経済はどうなっているか」と
いう話をするとき、鉱工業生産がどうなっているか、消費、設備投資はどうかということ
を議論していた。しかし、今はアメリカ経済といったら、ダウはどうなっているか、ナス
ダックがどうなっているかという「株価」の話が最初にくる。何か、この 10 年間の変化を
象徴している。
日本の産業構造を考えたら、4800 億ドルの輸出をして、外貨を稼いでいる産業は何かと
いったら、金融でもなんでもない。上位 10 品目を見たら、この国が何で飯を食っているの
かよくわかる。上位 10 品目で 4800 億ドルの 5 割を支えている。一位、自動車。二位半導
体等電子部品。20 品目で 7 割稼いでいる。極端に言えば、日本は 20 品目の産業構造であ
る。
全般に産業競争力がついてきたのだと、多くの人は誤解している。産業セクターおしな
べて、力をつけてきたと思い込んでいる。しかし、実は、極端な二重構造国家である。「産
業別為替競争力」という分析がある。1 ドルいくらだったら、その産業が国際社会で競争し
ていけるかという分析である。上位 20 品目は、多分一ドル 70 円くらいであっても、戦え
るくらいの激しい研究開発とマーケティング・マーチャンダイジング戦略を展開して、生
き延びている産業である。しかし、1 ドル 300 円になっても、戦えないと思えるような、大
部分のサービス産業と農業分野を、二重構造として引きずっているということが、この国
の現実である。
この国の虎の子産業は何かという、問題意識を忘れてはいけない。金融ではない。銀行
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の不良債権のその先にあるもの。誰がその不良債権を作った原点なのか。製造業が作った
不良債権なんて、まずないといっていい。ほとんどは、この国の 1 ドル 300 円でも競争で
きない分野の人たちが、虚構のゲームのなかで作り上げた不良債権です。
製造業の人は、国際競争の厳しさを知っているから、そんな馬鹿げたことはしない。
一番力をいれて議論しなければならないのは、「虎の子産業である製造業の分野にITの戦
果を生かして、さらなる競争力を持った企業に作り上げていくこと」が最大のテーマであ
る。
不良債権を処理するかしないかなどは、大切ではないとは言わないが、ランクは低い。
ものを作る分野における日本人の生真面目さという、最大の宝を生かして、どうやって内
需拡大型の産業構造を構想していくかが、21 世紀の産業構造政策の最大の課題であるべき
だ。
つい最近まで、日本型成功モデルということで、通商国家モデル、海外から技術を入れ、
優秀な労働力を駆使して売れ筋の商品をつくるという話をすれば、拍手が起こった。
今は、その話だけはやめてくれという時代になってきた。今の、私の虎の子産業論も、国
内の議論のために、認識を深めるために言っているが、その話を世界に言って歩いたら、
嫌われる原点になる。なぜなら、通商国家モデルといのは、人の懐を当てにして、自分が
豊かになるモデルであるからである。つまり、外需依存型の構造だからである。
8 月まで追い詰められている日本経済で、真面目に議論されているのは、ふたたび輸出ド
ライブである。何とか円安に持っていき、輸出ドライブをかけて生き長らえる、などとい
う話にすぐに戻る。
世界が、今日本に期待しているのは、内外需バランス型の産業国家を作ってくれという
ことである。だとすれば、やらねばならないことは、はっきりしている。
間違っても、公共投資をばら撒いて活性化すべきだと誤解しないで欲しい。「重点的なプ
ロジェクト、内需拡大型の成長のプラットホームをどうやって構想するか」という議論が、
極めて問われてくる。
「首都圏第 3 空港」や「首都機能移転」などを、この本の中で言っているが、これは「公
共投資の大型投資をやれ」といっているのではない。いわゆる波及効果の高い、優先度の
高い、選別的なプロジェクトは一体何かというということであって、公共投資一切やるな
という話ではない。選別的に投資していくことは、極めて大事なことで、ブレアのミレニ
アムのときに何をやったかといえば、政府主導型の大きなプロジェクト、ロンドンの再開
発などを展開していったわけである。
「成長のプラットホームは何だ」と考えているかということ、潜在成長力だといわれて
いることを、きちっと出していくことが、国際責任であって、間違っても、
「痛みに耐えて」
などと言っている場合ではない。要するに成長のプラットホームをきちんと作っていくこ
とが、政治の責任だと思う。
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3 番目にNPO型の公共政策の重視
民主党がこれまで、展開している柱でもありますが。
ブレアの第二期政権のシナリオが展開されている中で、注目したいと思っているものの
一つが、
「ボランティア活用型の小さな政府実現」という言葉が出始めているということで
ある。アメリカでは 12 万団体、1000 万人の人がNPOで飯を食っているといわれている。
NPOの価値は3つある。
1つは、失業率を下げている。1000 万人もの人が、お金を貰って公的な世界に足を踏み
入れている。
2 つ目は、公共政策のコストを下げている。福祉とか介護とか地域社会での活動、教育等
の分野に税金だけで賄っていくことを考えたら、幾何級数的にやりきれなくなる。NPO
型の仕組みをビルトインすることによって、「ボランティア活用の小さな政府実現と」いう
キーワードにもつながっている。
3 つ目は、中間管理職が,IT革命の中で、順次必要ないという雇用体系になってくるこ
とである。先の労働力の平準化の話のなかで、究極の経営形態は戦略的企画力をもったト
ップ経営者とそのまわりを情報システムの設計者(カーキカラー)が取り巻いて、中間管
理職をゼロにして、ストラテジック・ビジネス・ユニットと呼ばれる、目的を明確にした、
戦闘ビジネスユニットをダイレクトにマネジメントしていく態勢が、スピード経営の極限
形態だと言われている。
ということは、中間管理職は要らなくなってくる。アメリカの雇用統計では、数字で明
確に出てきているが、
「中間管理職なき経営」ということは、誇張でもなんでもない。新し
い中高年に達した人たち、いままでの年功序列の体系の中で、中間管理職の階段を上れば、
部下が増え、給料が増えというしくみに安住してきた人たちが、これから直面しなくては
ならないのは、限りなく中間管理職は要らなくなるという流れである。
その精神不安は非常に大きくなっている。NPO的なシステムがいかに重要かといえば、
アメリカで 1000 万人の人がNPOで飯をくっているということは、社会的に誇りが持てる
ような仕事を作り出しているということである。つまり、時間を切り売りして、お金さえ
貰えばいいという話ではない。バーコードをなぞって、人生の喜びを見出せといっても、
見出せないし、先輩を尊敬することさえできない。職場における先輩というものが、成り
立たなくなってきているという構図は何故なのかといったら、ITがどんどん入ってくれ
ば、年功とか熟練というものが意味を持たなくなるからである。
製造業の現場で起こっている話を一つだけ申し上げれば、金型の設計 20 年といういぶし
銀のような先輩が、会社の価値だったのが、入社 3 ヶ月のコンピュータ工学をやってきた
女の子が、瞬く間にキャッチアップしてしまうというのが、IT革命の本質である。「俺の
20 年はなんだったのか」という思いをしながら、生きていかざるを得ないのが、IT革命
における中間管理職の位置付けである。
そういうなかでNPOと結びつけて考えてほしいのは、誇り高く社会に参加できるとい
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う仕組みを提供できるプラットホームになっていることである。
民主党が頑張って,NPO法が推進されたということも知っているが、ああいうものを
しっかり立ち上げていかなければならない。
日本のNPOも4000を超えたと言われているが、一つ例をいえば、日本貿易会で 1
年半かけてNPOを作った。「国際貢献センター」。商社マンとして、定年退職に近づいて
いる人たちに対して、第二の人生を設定して、3 年でも 5 年でも、たいしたお金にはならな
いけれども、派遣プログラムで世の中に役に立つことで、第二の人生を設計したい人は手
を挙げろといって、働く場のプラットホームを作った。驚くべきことに、900 人の商社マン
が手を挙げ、登録されている。日本も変わってきている。NPO法などの流れのなかで、
そのようなプラットホームができつつある。
NPO型の参画型公共政策のプラットホームを作り、働き甲斐のある仕事を社会的に創
出していかないと、まずいという状況にだんだん差し掛かっているということである。
ブレアの労働党は、やっている。実質的にはブレアというよりは、ブラウン蔵相が知恵
袋という状況になっている。失業者を訓練して就職させていく仕組みなどを、実体化して
きている。ブラウンが進めているなかで、面白いと思うのは、少子高齢化が進み、生まれ
た赤ちゃんに 2000 ポンドのファンドをつけて、5%で18歳まで運用するという構想が提
示されてきている。
それを見習えという話ではないが、社会政策に非常に知恵が出てきている。その知恵を
この国にふさわしいように変えていく。
分配の基軸と成長のプラットホームとNPO型の公共政策をしっかりさせることによっ
て、市場原理主義的な改革論に一線を画すということが、この国におけるニューリベラル
の政策基軸として重要なポイントなのではないかと考えている。
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