インドネシアにおける飲料水と乳児死亡に関する 実証分析

ここで、i はインドネシアにおける州であり、t は年次
インドネシアにおける飲料水と乳児死亡に関する
実証分析
を表す。被説明変数は乳児死亡率であり、出生 1,000 人
に占める死亡乳児数である。𝑥は焦点を当てる飲み水の
質に関する変数であり、𝒛はそれ以外の説明変数である。
An empirical analysis of drinking water and infant mortality
in Indonesia
𝑢は州の個別効果、𝑣は年次効果、𝜖は誤差項である。
3.2 データ
本論文では、インドネシア統計庁(BPS)による調査に
公共システムプログラム
基 づ く イ ン ド ネ シ ア 統 計 年 鑑 (Statistical Year-book of
11_02719 井上達樹 Tatsuki Inoue
指導教員 山室恭子 Adviser Kyoko Yamamuro
Indonesia, SYI)と、アメリカ国際開発庁(USAID)による調
査 に 基 づ く IDHS(Indonesia Demographic and Health
Survey)から得られるデータを用いた。データの欠損等が
1.
目的と背景
あっため、以下の分析では、2002, 2007, 2012 年における
今日の開発途上国において、乳児死亡率の削減は急務
インドネシア 33 州のパネル・データを利用した。本論文
の課題となっている。乳児死亡の原因のなかで強調すべ
が焦点を当てる飲料水に関する変数は、その州の飲料水
きは、汚染された飲料水が原因となる予防可能な下痢
におけるポンプ水の割合(PUMP)、水道水の割合(PIPE)及
(diarrhea)である。安全な飲料水の確保は下痢の予防に直
びボトル水の割合(PACKAGED WATER, PW)と、それら
結するため、乳児死亡リスクの低下に大きな効果がある
か ら 作 成 し た WATER1(PUMP+PIPE)、 WATER2(PIPE+
と考えられており、清潔な飲料水の普及が死亡リスクを
PW)及び WATER3(PUMP+PIPE+PW)である。また、被説
減じることを明らかにした研究も散見される。
明変数としては乳児死亡率(IMR)を用いた。
このような背景を踏まえ、本論文は、インドネシアに
おける飲料水の質的改善が、乳児死亡率の低下に与える
4.
推定結果
4.1 基準となるモデルの推定
影響を定量的に分析することを目的とする。さらに本論
表 1:推定結果
文では、定量分析から得た結果に基づいて、開発途上国
における乳児死亡問題に関しての提言を試みた。
2.
本研究の貢献点
水道の普及が乳児死亡に与える影響を定量的に分析
した先行研究の 1 つとして、Gamper-Rabindran et al. (2010)
がある。彼らは、1970 年から 2000 年におけるブラジル
のデータを用いて、水道の普及率の上昇が乳児死亡率を
抑制することを示している。この先行研究に対する本論
文の独自性は、まずインドネシアを対象地域としている
点である。この理由については、データの客観性の確保
が可能であった点と、州ごとの独立性が高いという点が
挙げられる。次に、水道の普及率ではなく飲料水として
の使用率を用いたことで、より正確な水道の効果の分析
表 1 は、基準となる固定効果モデルの推定結果を示してい
を可能とした。さらに、本論文では、水道以外の飲料水
る。まず、飲料水の質に関する 6 つの変数それぞれについて、
についても分析したことで、水道との効果の違いを明ら
年次ダミー以外のコントロール変数を除いたモデルで推定し
かにした。
た結果が、(1)から(6)式である。表から明らかなように、PUMP,
3.
分析の枠組み
3.1 モデル
PIPE, 及 び そ れ ら を 足 し 合 わ せ た 割 合 を 表 す 変 数 で あ る
WATER1 の係数は、統計的に有意な結果を得られていない。
分析するにあたり、本論文では、固定効果モデル(fixed–
一方で、PW, WATER2, WATER3 の係数の符号は負を示してお
effects approach)を採用した。これは、一般に水道の普及
り、統計的にも有意である。これは、水質の高い飲料水が感
は、その地域の自然環境や州の政策に対する選好といっ
染症のリスクを減じる可能性を示唆している(Cutler and Miller
た、観測不可能な個別効果(individual–effects)と強く相関
2005, pp.14-15)。
す る こ と が 知 ら れ て い る か ら で あ る (e.g., Culter and
(7)から(9)式は、(1)から(6)式のモデルで有意な結果を得ら
Miller 2005)。本論文で分析に用いる推定式は次の通りで
れた PW と WATER2,WATER3 について、所得水準(GRDPPC)
ある。
と教育水準(LITERACY)の影響に配慮した推計の結果を示し
y𝑖,𝑡 = 𝛼 + 𝛽𝑥𝑖,𝑡 + 𝒛′𝑖,𝑡 𝜸 + 𝑢𝑖 + 𝑣𝑡 + 𝜖𝑖,𝑡
ている。PW の係数は、10%の水準ではあるが統計的に有意で
あり、所得と教育に関する変数をコントロールしてもなお、
ボトル水の利用が乳児死亡を抑制することが分かる。また、
WATER2 についても PW と同様の結果が得られているが、比
表から明らかなように、各変数の係数の符号は PIPE について
較的水質の低い PUMP を含む WATER3 については、係数の符
は負、PIPE×GRDP については正であり、双方とも統計的にも
号は負を示すものの、統計的に有意な結果は得られなかった。
有意であった。これらの結果は、水道水には乳児死亡を減少
このことは、水道よりも水質の低い飲料水には、感染症を防
させる効果があり、より質の良いボトル水を飲用するように
止する効果がない可能性を示唆する。
なるという行動の変化は所得水準に依存するとした、先の仮
以上の結果は、飲料水の質の改善が感染症リスクの低下を
説を支持するものである。
通じて乳児死亡を抑制する可能性を示唆するものである。し
(2) か ら (4) 式 は 、 PUMP, PIPE, WATER1 及 び そ れ ら と
かし、予測に反し PIPE については有意な結果が得られなかっ
GRDPPC の交差項について、
出生率(TFR)、
識字率(LITERACY)、
た。これは、本論文で用いた PIPE の変数が、次の 2 通りの経
医療従事者が立ち会った出産の割合(ASSISTANT)の影響を配
路で変動するためだと考えられる。1 つ目は、水道水よりも質
慮したモデルによる推定結果を示している。(2)式から、飲料
の悪い水を飲料水としていた世帯が、水道水を使用するよう
水以外に関する変数をコントロールしても、水道水を使用す
になることである(この場合、PIPE の値は大きくなる)。2 つ目
ることには乳児死亡を減少させる効果があることが分かる。
は、水道水を使用していた世帯が、より質の良いボトル水を
一方、PUMP, WATER1 については、統計的に有意な結果は得
飲むようになることである(PIPE の値は小さくなる)。この 2
られなかった。これは、ポンプ以下の水質の飲料水には乳児
つの状況において、PIPE の値の動きは逆であるにも関わらず、
死亡を抑制する効果がない可能性を改めて示唆している。な
どちらの状況でも飲料水の質は良くなっているため、互いの
お、飲料水の質に関する各変数と所得との交差項については、
効果が相殺し合う可能性があり、有意な結果が得られること
係数はすべて有意に正であった。この結果は(1)式の推定結果
は期待できない。
と同様、ボトル水の利用が所得に依存することを示唆するも
4.2 所得を考慮しての推定
のである。
この問題を解決するために、以下では PIPE と所得水準を表
す GRDPPC との交差項(PIPE×GRDP)を含むモデルを推定した。
5.
結論と今後の課題
本論文では、インドネシアにおける飲料水の質的改善が乳
これは、飲料水を水道水よりも質の良いボトル水に代えると
児死亡率に与える影響を定量的に分析した。その結果、ポン
いう行動の変化が、その家計の所得水準に大きく依存すると
プ水には乳児死亡を減少させる有意な効果はなく、水道水と
推察されるからである。この場合、所得が上昇するとボトル
ボトル水には乳児死亡を減少させる効果があることが分かっ
水を購入することが可能となり、結果的に水道水の効果は薄
た。これに加えて、水道水については所得水準が上昇するこ
められるため、PIPE×GRDP の係数は正になると予想される。
とでその効果は薄められるということが明らかとなった。
表 2 は、交差項を入れたモデルの推定結果を示している。PIPE
乳児死亡率削減の手立てとして、水道の普及は政府による
と の 水 質 の 違 い に よ る 効 果 の 比 較 の た め に 、 PUMP と
公共事業として展開でき、短期間で乳児死亡率減少の効果を
WATER1 についても推定を行った。
期待できる。本論文の分析結果が示すように、特に所得水準
表 2:所得との交差項を用いた推定結果
が低い場合における水道水が乳児死亡率を減少させる効果は
大きく、水道の普及は乳児死亡率の地域間格差を解消するこ
とに貢献する。例えば、インドネシアの最貧地域であるゴロ
ンタロ州(Gorontalo)においては、水道水を飲料水として用い
る世帯が 10%増えれば、乳児死亡率は 5.5‰減少すると推定さ
れる。2012 年の同州の乳児死亡率が 45‰であることを考えれ
ば、この効果は非常に大きいと言える。この推定は、所得水
準が低い開発途上国全般において、水道の普及が乳児死亡率
を減少させる大きな効果を持つことを示唆している。
なお、本論文は、PIPE や PUMP などとして同一の水源はす
べて一律に扱っているが、現実には同じ水源であっても地域
によりその水質が異なるということは十分に考えられる。こ
の点については、今後考慮する必要がある。
主要参考文献
(1)式は、PIPE と PIPE×GRDP について、年次ダミー以外の
コントロール変数を除いたモデルにより推定した結果である。
[1]David Cutler and Grant Miller. 2005. “ The role of public health
improvements in health advances: The twentieth-century United States.”
Demography 42(1), pp.1-22.
[2]Shanti Gamper-Rabindram, Shakeeb Khan and Christopher Timmins.
2010.“The impact of piped water provision on infant mortality in Brazil:
A quantile panel data approach.” Journal of Development Economics
92(2), pp.188-200