夜のホームにて(ギル×駅員臣) たたたたん、たたたたん、たたたたん。 冬の日。旅行鞄一つ携えて、ホームに降りたったのは早々と夜が訪れた頃だった。時折、無性に 旅に出たくなることがある。 少しばかり古びた作りのホームを眺め回し、ギルガメッシュはほう、と一息ついた。久々の電車 旅も悪くないものだ、と思う。夜が更けきるには未だ猶予があるが、もう後続の列車は来ないと 知っている。そのくらいに、ここは都会から遠く離れた場所だ。派手な場所も好ましいが、こう した鄙びた場所を訪れるのも風情があっていい。 並ぶ蛍光灯に白々と照らされ、がらん、と閑散とした駅はどこまでも夜の静けさに満ちている 。しばらくそのまま動かずに、澄んだ夜の空気を肌で楽しむ。絹糸の髪を夜風がよぎった。 「あの」 どれほどの間そうしていただろうか、ふいに声を掛けられる。とぷりと暗い夜によく似合う、 低くおだやかな声だった。くる、と振り返り―― (美しい、) と思ったのは、どちらの方だろうか。 声を掛けてきたのはひとりの駅員だった。塵取りと箒を携えてすこし離れたところに立ち、ギ ルガメッシュの方をじっと見ている。ボルドーの制服をまとって花の茎のように伸びた背筋、き っちりと被った制帽。ギルガメッシュの姿をよく見ようと思ったのか、きゅ、と駅員の手が制帽 のつばをかるく押し上げる。その奥に、またたく瞳を見た。一等星の輝きと湖底の青。しずかな 色はさかなの棲まぬ澄んだ水。 たたったたん、たたたたん。たたたたん。 急行列車がホームを通過する。ばらばらばら、と窓明かりがホームにフィルムのような模様を 作った。駅員の青い眼も、ランプの灯りを返して水面のようにさざめく。そうして見つめ合って いた。 たたたたん、たたたた………… しかしあっという間に列車は去り、ふたたびの静寂がふたりのあいだに満ち満ちる。 「――っあ。あの、失礼致しました。先程お客様がお降りになった列車ですが、当駅での他線へ の接続はしばらくございませんが――」 は、と我に返り、あわてたような様子で、駅員は駆け足の口調でそういった。じっとホームに 立っているギルガメッシュのことを、乗り換えの列車を待つ客とでも思ったのだろうか。とかく 便の悪い地であることはもとより承知で、喧騒を避けてあえてこのような田舎びたまちを訪れた のだが、そのことはいわなかった。 かつかつ、と革靴をならし、ギルガメッシュは駅員に歩みよる。じっと真正面から見据えれば 、さえざえと満月に似たギルガメッシュの容姿に、駅員はすこし気圧されている。ギルガメッシ ュはゆっくりと口をひらき、夜の空気に声をとかす。 「お前、名前は」 「え、遠坂です、遠坂時臣」 ときおみ、口の中で転がす名前の響きは心地よかった。たまらなく、欲しくなる。 「時臣、今日はまだ仕事か」 「いいえ、このように小さな駅ですので私はじき退勤致しますが……」 それはよかった、と小さく零した声は、時臣には届かなかったようだった。束の間考え込むよ うな仕草だけしてみせて、ギルガメッシュは駅員――時臣に向けてかるく微笑んでみせる。眼窩 に収まる大粒のルビーがきゅうと細められた。時臣は何もいえずに目を丸くしている。もしかし たら、見とれているのかもしれない。 「なあ時臣、降りる駅を間違えてしまってな。急な話ではあるが一晩泊めてくれ」 鞄の中にしまわれた、宿泊先までの地図は盛大に記憶の外に追いやった。 時臣はえ、だのあの、だのと口ごもっている。不測の事態にはうまく対応できない性質であるら しい。ギルガメッシュはさらにたたみかけるように、笑みをひそめて、柳眉をす、と下げ、いか にも困ったような顔をしてみせる。 「どうだ? それともやはり迷惑な話であったか」 すこしばかりずるい問いかけだ。わかっていて、そう言っている。 「い、いえ、もうしばらく、お待ちいただければあがりますので、その」 「ああ、いくらでも待つ」 さらにもう三歩。時臣の目の前まで近づけば、その瞳はますます美しかった。くい、と顎を持 ち上げ、整えられた髭、そこから至る唇に肌と、その異なる感触を楽しむ。驚きにまるく見開か れた瞳。ホームを照らす少し黄ばんだ蛍光灯の光をなめらかに照り返し、その眼はギルガメッシ ュひとりきりを映している。 「此度の旅路、収穫はお前としようではないか」 おまけ リビングルームの大半を占拠し、でん、と置かれたジオラマ。ちいさな街や山に巡る毛糸のよ うに細い線路に、おなじく小さな列車がかしゃかしゃと音を立てながらせわしなく走っていた。 壁にずらりと据えられた棚にはいくつもそうした小さな列車が並べられ、妙な圧迫感さえおぼえ る。 「な、なんだこの家は……」 「鉄道模型です、こればかりが趣味でして……」 癖毛の襟足をかいて、照れくさそうに時臣は笑った。それはそれで、愛でようのある顔だ。な らば、とギルガメッシュは口を開く。 「……時臣よ、もっと広い家でこれを楽しみたくはないか」
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