Martha Washing Hotel マーサワシントンホテル NYの思い出 1988年秋から 1989年春まで Uma Sarees Oldest and Largest Sali Organization in North America 532-1385 ( こ の 数 字 の 意 味 不 明 ) という、彫り物が入口にある百年余を経た建築、11階建ての旧いホテルが、NY滞在の5 力月、私の住まいにしたところでした。ホテルはマジソンAVとパークAVの間にれ、30S T、29STに面して出入口がありました。NYは、碁盤の目のような街並みで迷うことはな いのですが、この2つの出入口は慣れないうちは、出口を出たところで左右の方向を錯覚、反 対方向に歩いてしまうことが度々ありました。30STのアーチ型玄関は上部に彫り物がある だけで何の飾りもなく、夜になると薄赤色ネオンが点かなければ、うっかりして通り過ぎてし まいそうな造りでした。第1のドアーを入り、6、7米で第2のドアー(夜間はドアーはロッ ク第1ドアーはインターホンコール、第2ドアーはフロントが人物確認しオープン)それから ホール。現代のホテルとは全く異質な、アメリカの旧き時代の映画の場面に出てくるようなフ ロント。高い天井と壁に描かれた18世紀頃?の服装の夫人達と風景のくすんだ絵。半間接照 明のような雰囲気は、若い人には、うわあ、陰気くさくて嫌だ!と一蹴されそうですけど、私 には旧いアメリカがあるようで大いに気に入りました。 フロントのクラ-クは男女二人の白人で、エレベ-ター横には警備ボックス、エレベーター 前には警備員が立っていました。フロントに行き尋ねると、日本人で学生ビザのあることを確 認し、こちらの要望に即して説明してくれました。女性専用で比処なら絶対に安全とのクラー ク達の言葉にホッとしながら適当な部屋が空いていれば・・・と説明を聞いていました。 ベッドだけの部屋から、全て整った2LDKまでのランクがあり、アパートメントホテルと いつた方が切なシステムでした。懐具台と相談の範囲が、運良く一つ空いていました。トイレ 洗 面 所 つ き の 部 屋 を 借 り る こ と に し ま し た 。( バ ス ル ー ム つ き を 希 望 し た の で す が 空 室 な し で した) ・共同バスルームは部屋の近く、コインランドリ一、アイロンルームは2階。 ・ベッドメイク、掃除、タオル交換は毎日。シーツ交換は週一度。 ・メイドのチップ25¢~50¢(ベッドメイクなどに対して判らないので訊ねました) ・宿泊料金1週間126ドル Tax4種(NYTX‐CYTX‐ACTX‐○CTX〉22 ドル 合計148ドル フロントで手続きを終えると、黒人のポ-ターがいつのまにか来ていて、私の荷物を持ち5階 の角部屋に案内してくれました。ドアーを開けて部屋に入ると、一転してそこには明るいアメ リカの色がありました。花柄のブルーのカーテンは薄べ-ジユ色の壁にマッチし、スチームの きいた部屋は快適。若しこの部屋が気に入らなければチェンジしてもらえるからなどと、ポー ターの愛想良いニコニコ顔に、チップを弾みました。日本人はチップを弾むので、日本人には 特別愛想良くするのだと後から知って・・・ うへえ!。このようにして540号室の住人となった私でした。早速荷物の整理を始めた我が 部屋は、 ベッドル-ム 10畳くらい出入ロドア一まで1.5畳ほどのスペースつき 電話 机と椅子 デスクスタン ドクローゼット 鏡 洗面所とトイレ 3畳くらい 何でも載せられる頑丈な棚と開かずの窓つき ステイーム暖房 一定の時間がくると、カチンコチンという音がパイプから伝わってき て、暖房が入りました。スティ-ム暖房のやわらかい温かさは快適で -1- した。 そこはコの字になった建物の突き出たところの角部屋で、北側にずれてる方角の東と南に旧 式な洒落た窓、木枠の格子桟にガラスがパテで止めてあり、開閉は上下にスライドざせるよう になってました。木枠の桟は、塗りたくり塗りたくりした白ペンキがぶちっていたり、窓を開 けようとするとガタビシとスムーズにスライドしなかったりするのが、かえって私をアットホ ームな気分にしてくれました。窓外の眺めはビル裏の谷間というのでしょうが誠に寂しく、陽 を遮る高い薄汚れたビル、その裏に隠れるうな低く古い建物のうらぶれた屋上に、何やら取り 散らかしたゴミらしき物が見え、都会の殺伐とした生活を連想する暗さ。大都会の孤独の溜り 場?のような気がしました。そんな暗さも目を上に向けると快晴のNYは碧空の椅麗なこと椅 麗なこと、心が吸い込まれるような思いで胸をふくらませ、窓から見上げていたものでした。 7時頃に明るくなり、ビルに遮られてた昇る朝日が9時ごろには、次の高いビルに遮られるま での暫らくの間、部屋に陽が入るのは嬉しいことでした。束の間の太陽の差し込むNYの我が 5階の部屋でした。此処を起点として何処へ行くのにも誠に便利なことも判り、それに夫、息 子 と い え ど も 男 性 は 全 て 、 入 れ る の は 1 階 ホ ー ル ま で ( そ れ も 昼 間 の み 〉、 エ レ ベ ー タ ー 前 に は警備員、ガードは厳重。外出から戻るとホッとする安らぎが其処には何時もありました。メ イ ド は が っ し り し た 体 格 の 温 和 し そ う な 黒 人 で し た 。私 は 毎 日 の ベ ッ ト メ イ ク は 煩 わ し い の で 、 シーツ交換の日のみにしてもらい、チッブはその日に纏めて枕の下に置くことにしました。 シヤワー無し部屋の私は、早速共同浴場?を調べに行きました。右側にシャワ-ルームが6 つ、カーテンで区切られ、左側はトイレ。カーテンを引きシヤワータッブを見ると誰かの使用 後で、自分で掃除しないと駄目なの?と思ったのは、アチラ式は朝シヤワーが多く、まだ清掃 前 だ っ た よ う で し た 。私 は 日 本 式 夜 型 、タ ブ に 沢 山 お 湯 を 入 れ て お 風 呂 を 楽 し ん だ も の で し た 。 シャワ-ルームはお世辞にも心地よいとは言えませんでしたが・・・。その頃のNYは、ピス トルで撃たれて死んだ(日本人の若い男性も)ということが日常茶飯事のようでしたから、こ のホテルの厳重なガードが何よりのものでした。 1 1 月 に 入 る と 急 激 な 寒 い 日 が 時 折 や っ て く る よ う に な り 、氷 点 下 の 日 が 多 い と き か さ れ て 、 東京と違う鋭い冷たざに、いよいよNYの冬の到来!と覚悟。外出から戻ると、暖かい部屋で カーテンを開けはなち、語学校のツラーイツラーイ宿題をしたり、読書をしたり、飽きると窓 外に目を走らせたものでした。コの宇型の角部屋なので、ホテルの薄茶色の建物がちょうど外 から眺める角度になり、部屋の窓が沢山見えました。だんだん見慣れていくうちに、幾つかの 窓枠から何やらぶら下っているのが見えました。ビニール袋のようでした。あの中身は何だろ う?と不思議に思ううこと数日、ハタ!と思い当りました。私のような冷蔵庫なし部屋では、 スチームの入る季節の室内の心地よい暖かさは、食物のキープは不可能だったのです。 必 要 は 発 明 の 母 ! 知 恵 の 究 極 ! ぶ ら 下 り 天 然 冷 蔵 庫 ! の 風 景 で し た .早 速 わ が 窓 辺 を 調 べ る と 、 ありましたありました!先住民の遺物!釘のようなものが幾つも残っていました。 私は、コーヒーやお茶のお湯だけなら室内で沸かしても良いとフロントから許可を得ていたの で、小ざい電熱器とアルミのミルク沸かし鍋を買い、サバイバルNYを決めこんでいましたか ら、天然冷蔵庫には大変お世話になりました。しかし、役立つ天然冷蔵庫にも失敗はありまし た。日本と違ってスーパ-の品物は1パックの量がとても多いので、サンドウイッチを作つて も沢山出来てしまうので、幾つかに分けて陽の当たらぬ側の窓下にぶら下げて快調に使ってい たところ、11月下旬のある朝、コーヒーを煎れサンドウィッチにかぶりついた途端ジャリッ と異様な歯ざわり、何かと見ればレタスもどき(日本で見たことのない葉っば)とハムがしっ か り と 凍 っ て い た の で す 。パ ッ ク の 牛 乳 も 奇 妙 な シ ヤ ー ベ ッ ト 、で も こ れ は 部 量 が 暖 か い の で 、 ガシユガシユ齧るのはなかなか乙なものでした。そんな失敗もありましたが厳しい寒さに順応 ざせながら利用する天然冷蔵庫は、シヤンソンでもハミングしたい、大都会の裏窓ならではの ものでした。スーパーの食品は豊富で廉価、お米は日本では考えられない安さでした。 ごくごくたまにミルク鍋でご飯炊いてしまいました。湯沸かしの許可だけだったので、良心 がチクチクしながら炊いたご飯でしたがとても美味しかったです。スーパーの食品類の値段を 見ると、東京もこれくらだったらなあ・・・と思う日本の主婦でした。冷蔵庫をそろそろ必要 としなくなった三月中旬、カルフオルニアに住む私の命の恩人ジョージァ ミラーさんの家族 を訪ねるため、NYの天然冷蔵庫に別れを告げたのでした。21世紀の今も、きっと沢山な袋 -2- がぶら下っているであろう窓、あの冬の窓が私の脳裏に浮かんできます。やわらかい、心和ま せる懐かしさと共に・・・。 語学校に行く道にも慣れて、あちらのAV、こちらのSTと散策しながら、金ビカビカの現 代建築、トランプタワービルがあるかと思うと、100年以上も前の時代のなかに自分が居る ような、旧時代のデコレイションのあるベランダつきの建物等など、メルテイングポットのよ うなバラエテイーに富んだ新旧の建物群には、目を奪われました。高級店のショウウインドー には(それも割られたことがあり治安の不安を実感)デパート、スーパー、書店の小売り店に 入って見ると、どこも日本の店より雑然としている処が多いようで入りやすさがありました。 栗鼠が遊んでいるスクエァーと呼ばれる公園の犬を連れた人、ホームレスらしき老人など、そ してさまざまな人種が押し奇せるように歩いているAVやST等どれもこれも興味津々、キョ ロキョロと、一つ一つNYを識っていきました。 ホテル出た一寸先に、尖塔建築の教会があるのを見て、NYでの日曜礼拝に参加してみるこ と に し ま し た 。1 1 月 1 3 日 と 2 0 日 の パ ン フ レ ッ ト が 残 っ て い る の で 2 度 は 行 っ た よ う で す 。 MARBLE COLLEGIATE CHURCHというその教会は、ChurCh f o unded in 1628・・Presente difice in 1854 の13 0年前に建てられたものでした。尖塔が象徴しているようにやはりカソリックの教会でした。 大勢の信者の方々に交じり、大自然のお恵みに感謝し、無事息災をお願いしました。 5番AVのE50STにある、ST‐パトリックス キャセドラルは、ケネディ大統領の葬 儀が行なわれたことで有名ですが、高く聳える2つの尖塔、大理石でゴシック様式建築の、壮 麗な教会の前を通るたびに見学したいと願っていました。クリスマスイブの翌朝、前日の雨も 止み晴天の目曜日9時30分、クリスマスの礼拝に行きました。息をのむような大きざ高さの 礼拝堂でした◇美しいステンドグニ ス・見事なパイプオルガン・ゴージャスで荘厳な礼拝堂には大勢の信者達で、少ない空席を探 し腰を掛けました。クリスマスの礼拝は、説教の細かい意味は何やら判らなくても、セレモニ ー、パイプオルガン、コーラスなどから厳粛なものが伝わり、信者でない私も心から感謝の祈 りを捧げることが出来ました。セレモニーが済むと前の入から順々に、法王のような服装の牧 師?から祝福を受け、白い薄いお煎餅ふうなものを口に入れて下さり、それでクリスマス礼拝 は終わりました。心爽やかに教会を退出。5番街の上には天国に行けそうな、NYの美しい碧 空がありました。 教会で思い出すのは、咋秋テロで消失したW‐Tセンタ-ビルの近くにトリニテイ教会とい う N Y で 最 古 の 教 会 が あ る と 聞 い て 、ピ ク ニ ッ ク 気 分 で 出 掛 け ま し た 。5 番 A V か ら テ ク テ ク 、 ワシントンスクエアー、ソーホーを越え、ウオール街WTセンタービル近くの、チャーチST に到着。探すのは大変ですから、通りすがりの年輩の白人に訊ねるとすぐそこの距離でした。 高層ビルが立ち並び世界の経済の回転してるウオール街で、基地のある教会を見たときは、其 処だけ時間が止まっているような気がしました。ウィークデーで教会の扉をあけるのは躊躇が あり、ノックしませんでした。墓地はそんなに広くはなく、見た墓碑は古色蒼然としたものが 殆どでした。細かい記億は失いましたが、誰もいない墓地でなんとも言えない、時のないよう な不思議な思いで立っていたことだけは今でも鮮やかに思い出します。教会は、1697年ウ イリアム3世か英国・国教会して建ててたもので、1776年火災で消失。現在の教会は18 46年3度目の建築だそうです。 マーサワシントンホテルに縁があったことは、大変ラッキーでした。マンハッタンなら、何 処 へ 行 く の に も 歩 い て 行 け る と い う ( 健 脚 で し た か ら )、 マ ン ハ ッ タ ン の ほ ぼ 中 心 に あ り 、 私 の行動半径を広げることが出来ました。一人住まいのなかでこんなこともありました。語学校 の隣のクラスの日本人の若いお嬢さん、看護婦さんと、フルートを学んでる2人が、早朝出発 のフロリダ旅行で、私の処だと遅刻の心配がないと、泊りにきたことがありました。一枚の毛 布を二入でかけて床の上にゴロン、翌朝早く行ってまいりまーすと 元気に出発。今は名前も -3- 顔も思い出せませんが、確か横浜の出身だったように記憶してます。素晴らしかった!と笑顔 で戻ったお土産のフロリダ手帳は、今でも大切に持っています。あれから14年、多分、2人 ともよい家庭を一生懸命築いておられることでしょう。 私は、若し又NYへ行く機会があれば、懐かしいマーサワシントンホテルの、あの部屋に泊 まりたいと願っています。 (小泉首相新官邸開舘のテーブカット 季節で美味しい旬世界では 慎太郎旬というのが永田町近辺に?…と、ヒソヒソ、ガヤガヤ もっぱらの、噂とか・・・ 2002年卯月下旬) -4-
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