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権利としての社会保障
資本主義のなかで生まれた社会保障
2012 年 9 月 10 日号 民主青年新聞より
立命館大学教授 唐鎌直義
社会保障はなぜ必要なのか
現在のような社会保障制度がイギリスで誕生したのは、今から約 100 年前にさかのぼります。こ
の時期は、経済史の上では、産業資本主義段階から独占資本主義段階への過渡期にあたります。社会
保障制度は、資本主義のスタート時点から存在していたのではありません。資本主義の矛盾が次第に
大きくなったためにその矛盾の解消もしくは緩和を求めた労働者の主体的な運動によって生まれまし
た。
資本主義の発展がすべての国民の幸福の増進につながれば矛盾は生じないのですが、、独占(実際は
寡占)的大企業の成立は、社会の富が大企業に集中する結果をもたらしました。アメリカのスタンダー
ド・オイル・カンパニー(ロックフェラー財団、1913 年設立)などがその代表例です。その大極には社
会の豊かさから取り残された貧しい労働者の大群が生み出されました。それでも景気が良くて雇用の
場が確保されていれば、労働者家族はなんとか生活していくことは可能だったでしょう。しかし、生
産と公益を通じた資本主義のグローバルな拡大により、ひとたび過剰生産から恐慌へ、そしてそれに
続く長い不況のトンネルにいると、その影響は一国の範囲を超えて広く深く、
「世界恐慌」と呼ばれる
甚大なものになりました。こうして失業中の労働者の生活を支えねしくみ(失業保険制度)が必要にな
ったのです。
資本主義の発展は科学技術の資本主義的応用による「生産合理化」として進みます。新しい技術や
機械の操作方法を習得した労働者は、最先端の職に就くことができ、高い賃金を得ることも不可能で
はありません。職業教育を受けることが労働者の生活安定にとって重要になりました。しかし、個人
的に自費で教育を受けることは費用負担の点で無理がありました。こうして無償の公教育の必要性が
浮上しました。明治維新以降の日本の急速な経済発展を支えた一番の理由は、世界でも早い時期に義
務教育制度を採用したことにあったとアマルティア・センは指摘しています。大久保利通の功績は大
ですね。
また、自然科学は医学を急速に発展させ、人類にとっての悲願であった伝染病の克服が可能になり
ました。病院への入院治療によって、人命が助かる時代が訪れたのです。入院治療を受けることが労
働者の強い要求になりました。しかし、医療サービスはもともと希少財で非常に高価です。費用の点
からも、戦前までは、多くの人が医者に診てもらうのは一生の間に 1 回か 2 回といったありさまでし
た。医療保険制度を創設して、社会の構成員全体で保険料を負担し合い、病気になった人の治療費に
当てる方法をつくり上げれば、労働者は治療費の心配から解放されます。
さらに、資本主義の発展は人々の長寿化をもたらしました。日本で 55 歳定年制が導入された大正
期、日本人の平均寿命は 55 歳でした。だから「終身雇用制」と呼ばれたのです。栄養状態の改善、医
学の発展、医療保障制度の創設は日本人の寿命を伸ばしました。そうなると、伸びた平均寿命と固定
された定年年齢との差が徐々に開いていき、定年退職したけれど所得がない時期が(老後生活期)が長
くなっていきます。定年後の高齢労働者の所得を公的年金の給付というかたちで保障する必要が生じ
ました。
社会保障制度の成立は、以上のように、資本主義の発展と矛盾の深化に大きくかかわっています。
上に上げた失業、疾病、老齢等は「社会的事故」とも呼ばれます。これらの事故は労働者に等しく降
りかかるものではありませんが、社会の構成員全員で負担しあうことにより不運にも事故に遭遇した
人に対して「少ない費用で大きな安心」を保障することができます。企業の適切な負担と国庫負担(税
からの拠出)が加わることにより、その運営は一層安定化します。社会保障は「人類の英知」としてこ
の世に誕生したのです。企業に雇われて働く以外に所得を得る道がない労働者にとって、社会保障制
度は絶対に必要不可欠なものなのです。
社会保障は民主主義の発展と同義
残念ながら、この世には社会保障を必要としない人々が少数ですが存在しています。金融資産 10
億円以上の富裕層です。日本には現在 147 万人いるといわれているので、総人口の 1.2%弱にあたり
ます。この比率は、アメリカの富裕層比率とほぼ同じで、近年急増しています。
こうした人々は、仕事を失っても食べていけるので、失業保険制度を必要としません。どうして保
険料を支払わなければならないのだろうと思っています。全く同じ理由で、老後の心配もないので、
公的年金の保険料もなぜ支払わなければいけないのだろうと考えています。また、病気になっても、
一般患者と同じ 6 人部屋に入院することを「横並び医療」といって嫌います。
「1 泊数万円出してもい
いから語かな個室に入院したい。金ならばいくらでも払うから、自分だけは助けてほしい。医療は縦
並び(格差医療)がいい」と考えています。また、義務教育に関しても自分たちには不要だと考えてい
ます。子どもは小学校から私立に入れて、一貫校で有名な次第を卒業させ、卒業したら●電力になど
に入社させようという考えです。自民党所属の二世議員とか三世議員は、大体こういう考え方の人々
とみなして間違いないでしょう。小泉時代に年金未納問題が浮上したとき、政権を担う大臣のほとん
どが未納期間ありとなっていて、驚いた経験があります。一番未納期間が長かったのは故中川昭一氏
で 21 年間でした。年金が不要なほどお金持ちだったから、加入する必要性がなかったのです。政権末
期の福田康夫元首相が思わず記者に捨てぜりふを吐いた時のように「あなたとは違うんです」とう生
き方をしている人々です。
こうした人々の主張が強まると、社会保障はその基盤が危うくなってきます。アメリカは先進工業
国中、国民一般を対象とした公的医療保険制度がいまだにない唯一の国です。公的な医療保障制度と
いえば、高齢者を対象とした「メディケア」と貧困者を対象とした「メディケイド」しかありません。
一般国民は民間医療保険会社が経営する私的医療保険に加入して、医療の必要に備えています。中間
層に所属する大部分の人々が「貧困者の医療まで自分たちが負担するのはいや。自己責任でしょう」
と考えているのです。これを「中間層の反乱」というそうですが、二極分解してずり落ちていく中間
層の不安感の裏返しではないでしょうか。しかし、貧困者でも中間層でもない低所得者を中心に 5 千
万人もの民間医療保険非加入者(無保険者)がいて、救急車で入院しても病院に捨てられるという事態
が後を絶ちません。民主党のオバマ大統領は、公的医療保険制度の創設を公約に掲げて大統領になり
ましたが、結局、各方面から強く反対されて、今まで民間医療保険に加入できなかった低所得者でも、
政府が保険料の一部を肩代わりすることにより民間医療保険に加入できるようにしました。何のこと
はありません。公的医療保険制度はできず、政府の補助金付きで民間医療保険が拡大しただけの話で
す。
お金は、間違いなく権力の一部です。貧富の格差が拡大すると、それは国民の間に利害の対立を生
じさせ、国民を分断してしまう結果を招きます。社会保障制度は「格差是正=平等化」を目指す社会
において、その真価が発揮されます。貧困・低所得者、社会的弱者に救済の手を差し伸べることは、
これらの人々の生活を保障することを通じて、これらの人々が社会に参加しやすい環境を整えること
になります。つまりは民主主義の推進に大きく貢献します。
病気という危険に対して、アメリカの民主主義は、本物の民主主義といえるのでしょうか。世の中
にないものの例えとして「ドイツのコメディアン」
「アメリカの哲学者」「イギリスの音楽家」がよく
挙げられますが、アメリカ人は自国の民主主義について哲学する必要があるようです。
貧困の除去を忘れた日本の社会保障
障害
労災
家族
失業
積極的
労働政策
住宅
生活保護
その他
計
スウェーデン
7.22
4.47
0.89
1.46
0.63
0.79
16.46
フ ラ ン ス
2.55
4.02
1.82
1.21
1.02
0.46
11.08
ド
ツ
3.87
2.49
1.83
0.96
0.80
0.22
10.17
イ ギ リ ス
3.14
4.12
0.49
0.40
1.82
0.21
10.18
ア メ リ カ
1.79
0.80
0.41
0.14
−
0.67
3.81
日
1.30
1.07
0.42
0.22
−
0.36
3.37
イ
本
参考)日本における住宅に対する社会支出として生活保護分野の住宅扶助があるが、その年間給付総額(3590 億 1 千
万円弱)の対国民所得比は 0.05%に過ぎない。
これを住宅分野に計上すると生活保護分野の対国民所得比が 0.31%に下がる。
資料) 「社会保障統計年報」(平成 24 年版、法研、2012 年間)p.77 より作成。
本稿の締めくくりとして、いかに日本の社会保障制度が貧困に関心を払っていないかを証明しよう
と思います。
上表は、2007 年の 1 年間の「社会支出」(社会保険給付に設備整備費等を加えた金額)を分野別に対
国民所得比としてあらわし、国際比較したものです。表に示した 6 分野以外に高齢(老齢年金と介護保
険)、遺族(遺族年金)、保健(医療サービスの現物給付)という 3 分野があるのですが、日本の場合、こ
の 3 分野だけで「社会支出」全体の 86%以上を使っています。
ご存知のように、公的年金の分野では複数の制度が分立していて「人生いろいろ、年金いろいろ」
という状況を生み出しています。国民年金受給者の中には貧困・低所得者が多数含まれていて、生活
保護の最低生活費に満たない年金額で苦しい老後生活を送っている高齢者が大勢います。また、保健
の分野では、国民健康保険加入者に集中しているのですが、月々の保険料を納められず、病気になっ
たときに保険証がないという人が少なくありません。年金制度も医療保障制度も、貧困への対応がほ
とんどできていないのです。
表に示した 6 分野は、年金や医療に比べると貧困への対応機能がかなり高いはずの分野ですが、こ
ちらは、その支出額そのものが低レベルという問題を抱えています。6 分野の合計で、対国民所得比
は 3.37%という低さです。スウェーデンの 16.46%には遠く及ばず、2 ケタ台に達しているフランス、
ドイツ、イギリスは対国民所得比で、日本の 3 倍のレベルにあります。あの低福祉国アメリカよりも
低いのが日本の実情なのです。
日本の社会保障制度の課題は、
財政難でも少子高齢化でもありません。
社会保障本来の役割を踏まえて、貧困への対応を今すぐにきちんと行わなくてはならないということ
です。
どこか先進的な福祉国家の制度改革を取り入れようなどという牧歌的なレベルではないのです。
社会保障とは一体何のためにあるのか。
「3.11」以降、問われているのは、戦後日本という国歌のあり
方そのものであり、社会保障もその一環に位置しているのです。
(終わり)