水泳競技おけるレース分析の利用法 楽泳会コーチ 1.はじめに 寺田 雅裕 選手権、そして 2007 年冬にアメリカ(メリーランド) で行われた US パラリンピックでのヘッドコーチ、そ 楽泳会 20 周年、おめでとうございます。これまで して、今回の北京パラリンピックのコーチとして選 にも、様々なことを重ねてたどり着いた年月だと思 出されるようになったのです。 います。このような機会に、本稿を書かせていただ けることを光栄に思います。また、これからも益々 国際大会のコーチとして派遣される以前から、仕 の繁栄を祈念するとともに、私自身も楽泳会に貢献 事柄、日本代表合宿で泳法指導や講習会を行ったり、 していきたいと思っております。 科学スタッフとしてレース分析や動作解析を行った りして、障害者水泳の記録向上への手助けをしてき さて、楽泳会のコーチとしての活動は、早 9 年に ました。しかし残念ながら、これらの活動は、なか なりました。私が障害者の水泳に関わるようになっ なか楽泳会全体への寄与となっていないのが現状で た理由は、コーチング能力を買われ、シドニーオリ す。これから記す内容は、日本代表メンバーに行っ ンピックに行く選手たちへのアドバイスと指導を依 てきたレース分析であり、その利用法です。楽泳会 頼されたことからです。最初のころは、試合などで のメンバーで日本代表候補に選出された選手は、何 泳法や改善点を指導するだけでしたが、知らず知ら らかの形で指導を受けているものです。このレース ずのうちに練習会場に足を向け教えるようになって 分析は、科学的に客観的に捉えているものであり、 いました。根っからの水泳好きではないはずなのに、 このレース分析だけが記録向上への貢献をしている 今ではどっぷりと足を踏み入れている状態です。 のではなく、栄養指導、メンタル指導など様々な活 おおよそ 5 年ほど前になりますが、偶然にも昔に 動が、記録への貢献をしているものと考えられます。 水泳部の顧問として教えことのある選手が楽泳会に しかし、記録向上への一つの方策です。今後の選手 入会しました。私はその選手が障害者であることな 生活の参考になると思います。 ど、全く知りませんでした。その選手も私が楽泳会 のコーチをしていることなど知らず、HP で見つけて 練習に参加しに来ていました。その再開は、今後の 私を大きく変えました。その選手を一番理解してい るということで、その選手が出場する国際大会のコ ーチとして派遣されるようになり、楽泳会のメンバ ーの指導だけではなくなりました。2005 年夏にアメ リカ(コロラドスプリングス)で行われた IBSA ユー ス世界大会、2006 年冬に南アフリカで行われた世界 写真 1 楽泳会での練習風景 2.レース分析とは 3.レースの局面分類 レース分析は、オリンピックや世界選手権などで 健常者と違い、障害者のレースは大会によってル 各国が実施しており、日本においても、1987 年より ールが違うケースがあり、局面分類しても分析する 日本水泳連盟医・科学委員会の一事業として実施さ 際には、厄介な問題が起こることが幾度かありまし れています。しかし、これまでのレース分析は、障 た。例えば、同じ選手でも試合によってはスタート 害の無い選手を対象としているものであったため、 台から飛び込んだり、水中からスタートしたりする 2004 年から障害者のためのレース分析を始めました。 ことがあり、同じ距離を泳いでもその区間を客観的 分析方法は、レースをスタート局面、ストローク 局面(泳ぎの局面)、ターン局面およびフィニッシ ュ局面の 4 局面に分類し、各局面における所要時間 やストローク局面における泳速度、ストローク頻度 (ピッチの速さ、1 分間あたりのストローク数)、ス トローク長(泳ぎの大きさ、1 ストローク・サイクル に進む距離)などのレース情報を集め、レースを客 観的に評価することを目的としています。その結果 は、コーチや選手に提供され、記録の変化の要因が に評価することができないのです。また、健常者に おいては、同じ条件で泳ぎ同じ局面分類が行えるた め、選手同士の比較が行えるのですが、障害者の場 合は、障害の部位が違うため局面の定義を変更せざ る得ない状態であり、そのため選手同士の比較は容 易には行えません。これらのことを勘案し、水中か らスタート行う選手とスタート台から飛び込む選手 については、スタート局面とターン局面をそれぞれ のように定義しました。 泳スピードやレースペースなど、泳ぎに起因してい 水中からスタートする選手は、スタートから 5m通 るのか、あるいは、スタートやターン、ゴールタッ 過までをスタート局面、ターン前 5mからターン後 5 チなどの泳ぎの関与が少ない局面に起因しているの mをターン局面としました。また、飛び込み台から かを数値情報として得ることができ、レースを客観 のスタートをする選手は、スタートから 15m通過ま 的に振り返ることが可能となります。そのうえで、 でをスタート局面、ターン前 5mからターン後 15m 今後の目標設定やトレーニングの計画あるいはレー までの 20m区間をターン局面としました。フィニッ スペースの組み立てなどに活用されています。 シュ局面は、共通してゴール前 5m区間とし、スター ト、ターン及びフィニッシュ以外の局面をストロー ク局面としました。(図 1)通過時間の測定には、1 人の選手のレースに対して 1 台の家庭用ビデオカメ ラを使用し、レース開始から終了まで追従撮影した 映像を用い、その映像をパーソナルコンピューター に取り込み、コースロープのマークを距離基準とし て、選手の頭部が測定地点に到達した時点のフレー ムを画像ソフトで読み取り、様々なデータをレース 写真 2 レース分析のワンシーン 情報として個人ごとのシートに作成しました。 5.レース情報の活用事例 0m 5m 15m 25m 45m 50m 水中スタート 表 1 は AK 選手の個人シートを示しています。全て 台上スタート 所要時間 所要時間 フィニッシュ局面 ターン局面 スタート局面 ストローク局面(前半) 泳速度 ストローク頻度 ストローク長 2008 年に行われたレースです。記録からわかること 所 要 時 間 ストローク局面(後半) は、北京パラリンピックの予選と決勝とジャパンパ ラリンピックを比べると、明らかに北京での両レー スがスタート時から優れており、その後も前半同様 上回る記録で泳いでおり、トータルで2秒ほど速く 100m 95m 75m 65m 55m 50m 図1.100m種目におけるレースの局面分類と測定項目 なっています。北京での両レースを比較すると、決 勝の方が 75mまでは予選の上回っているものの、そ の後は予選のタイムが上回る結果となっています。 4.レース情報の活用 記録だけを見ると、今までのデータを用いないコー 先にも述べましたが、レース情報を競技力向上に チングであれば、この段階で北京の予選と決勝につ 活用する方法には、「過去の自分との比較」や「他 いてコメントを求めると、「決勝は、気負いすぎて 者との比較」がありますが、障害者の場合は「過去 後半にバテてしまった結果だ」であったり、「オー の自分との比較」に焦点を絞って行っています。ま バーペースだったのが記録の低下につながった」で た、個人シートには、時間情報とストローク・スタ あったり、簡単に後半の遅れであると結論づけられ ート・ターン・フィニッシュ情報が示されています。 てしまいます。しかし、実際に後半に疲れてしまっ たのかどうかは、現段階では客観的な判断とはいえ 時間情報には、通過時間とストロークタイムを示 しています。大会ごとの通過時間の差を求めれば、 記録の差がレース進行に伴い、どの地点で生まれた のかを知ることができます。 ストローク・スタート・ターン・フィニッシュ情 ません。少し話題からはずれますが、レースの局面 分類でも述べましたが、障害者の選手を分析する際 には、厄介な問題が起こることが幾度かあります。 例えばこのケースでも、視覚障害者の選手にたまに 起こることですが、後半に問題があった訳ではなく、 報からは、それぞれの大会における記録の差が、ど 見えないというハンディーが蛇行しながら泳いでい の局面で生まれたのかを知ることができます。特に、 たり、コースロープに手が引っかかったりすること スタート局面・ターン局面・フィニッシュ局面の所 があります。確かに、後半体力を消耗し、体幹を維 要時間については図示し、視覚的に差がわかりやす 持することができなくなったことによる「身体のブ いようにしています。さらに、泳速度やストローク レ」が蛇行であったり、引っかかったりすることに 頻度およびストローク長の変化についても図示し、 なるのかもしれませんが、先ほど書いたような「後 泳速度が変化した要因がストローク頻度の増減に起 半のバテ」「オーバーペース」でないことは理解し 因しているのか、ストローク長に起因しているのか てもらえると思います。このように、個人シートは 判断しやすく、レースの反省や練習成果の評価など 単なるデータを記したものですが、結果の記録だけ ができるように工夫されています。 で判断するとアドバイスや今後の反省点も間違った AK 選手名: 100m背泳 種 目: クラス: 1.時間情報 大会 レース 記録 15m 25m 45m 50m 65m 75m 95m 100m ストローク ストローク ストローク ストローク 通過 通過 通過 通過 通過 通過 通過 記録 タイム1 タイム2 タイム3 タイム4 08北京決勝 1'14.85 '09.11 '16.32 '31.63 '36.03 '46.11 '53.99 1'10.57 1'14.85 1.369 1.432 1.395 08北京予選 1'14.59 '09.21 '16.42 '31.70 '36.18 '46.21 '54.05 1'10.17 1'14.59 1.409 1.450 1.449 1.369 1.452 08JP 1'16.71 '09.34 '16.70 '32.35 '36.94 '47.38 '55.61 1'12.37 1'16.71 1.362 1.315 1.545 1.533 2.ストローク・スタート・ターン・フィニッシュ情報 記録 泳 泳 泳 泳 ストローク ストローク ストローク ストローク ストローク ストローク ストローク ストローク 速度1 速度2 速度3 速度4 頻度1 頻度2 頻度3 頻度4 長1 長2 長3 長4 大会 レース 08北京決勝 0 1'14.85 1.388 1.306 1.270 1.206 43.83 41.90 43.01 43.83 1.899 1.870 1.772 08北京予選 0 1'14.59 1.388 1.309 1.275 1.241 42.58 41.38 41.41 41.32 1.955 1.898 1.848 1.802 08JP 0 1'16.71 1.359 1.278 1.216 1.193 44.05 45.63 38.83 39.14 1.851 1.681 1.878 1.829 大会 レース 08北京決勝 0 1'14.85 9.11 14.48 4.40 10.08 08北京予選 0 1'14.59 9.21 14.51 4.48 10.03 4.42 08JP 0 1'16.71 9.34 15.03 4.59 10.44 4.34 記録 スタート ターン ターンイン ターンアウト フィニッシュ 15m 20m 5m 15m 5m 4.28 1.651 ことになるケースもあります。大切なことは、しっ 6.おわりに かりとレースの映像を残しておくことと、個人シー 競泳のレースは、同じ距離をより少ない記録で泳 トから何が問題でそのような結果になったのかを客 いだかが勝敗に関係し、その差は 1/100 秒で決まり 観的に判断することです。 ます。この 1/100 秒とは、スピードがある選手であ さて、本題に戻ります。今回は活用事例ですから れば、爪の差ほどであるとも言われます。しかし、 これ以後は、北京の予選と決勝の2レースについて この記録を短縮するために、多くの指導者や選手は、 比較していくこととします。 泳力の向上に重点を置きトレーニングが行われてい 次に、ストローク局面を除く3つの局面について るのが現状です。 みると、スタート局面で 0.1 秒、ターン局面で 0.03 1/100 秒を縮めるために、泳力をつけるということ 秒、フィニッシュ局面で 0.14 秒と決勝の方が3局面 に反対はしません。しかしながら、レースにおいて で 0.27 秒も上回っていました。つまり、この3局面 は、本稿が述べてきたようにスタート局面、ターン を合わせた 40m区間では予選よりも上回っていたの 局面、フィニッシュ局面とストローク局面から構成 に、全体の記録としては予選の方が 0.26 秒上回って され、記録を縮める=泳力をつける=ストローク局 いることから、決勝ではレースの半分以上の 60m区 面の強化だけではないことが理解していただけたと 間を占めるストローク局面、すなわち「泳ぎ」に問 思います。スタートが人よりも劣る選手は、スター 題があったと言えます。 ト局面を強化することにより、今までよりも早く泳 ぐ可能性が出てきます。ターンやゴールタッチで失 最後に、ストローク局面について検討を加えてみ 敗し、タッチの差で負けたことのある選手は、「タ ると、泳速度の比較から、両レースとも進行に伴い ーンやタッチさえ上手くいっていれば・・・」と反省を 泳速度の低下がみられますが、決勝では最後の泳速 するはずです。このように、レースで良い結果を生 度4で低下が著しい結果となりました。ストローク むには、スタート・ターン・タッチに関する技術向 頻度およびストローク長の比較から、決勝は予選よ 上も必要です。そのためには、今回紹介したレース りも全てにおいてストローク頻度(ピッチ)が高く、 分析を利用し、レースについて客観的にみることが ストローク長が短くなっています。予選では逆に、 必要であり、そこからみられるレース情報を一人ひ ストローク頻度が低く、ストローク長も長く、なお とりの課題を発見するデータとして活用しながら、 かつ、泳速度を決勝のレースとは変わらない状態を トレーニングに取り組んでいくことが非常に大切だ 維持していることから、決勝では、一般的にいわれ と思います。 る「ピッチを上げると泳ぎが小さくなり空回り状態」 になったものと思われます。それでも前半は僅かな 様々な障害や障壁がある中、より効果的な練習を がら泳速度をピッチで維持することができていまし 模索することは、自己の負担軽減にもつながるもの たが、後半、特にレース終盤は、序盤のようにピッ です。この機会に、自らのレースをビデオ撮影し、 チだけでは泳速度を持続できていないことを示して 客観的な角度で泳ぎを見直してみることから始めて おり、この点が今後の練習課題となると思います。 みることをお勧めします。
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