温泉新時代の本質Ⅰ 吉田 春生* The purpose of this study is to clarify the diverse use of spas. In fact, the use of spas is divided into hot spring cure (so called “Toji” in Japanese), rest for health care intention, leisure and so on. Toji is local culture, especially in Tohoku District. Hot spring as leisure is a part of tourism. Often in Japan, some spas were changed from a Toji place to a tourist spa. Recently people took notice of the quality of each hot spring, because over 300 persons were infected with Legionnaires’ disease in 2002, and after that, fake hot spring affair followed. Today a lover of hot spring likes to go to a genuine spa, while a group- tourist likes to stay at a large-scale Ryokan in a tourist spa. But, generally speaking, people are very sensitive to the quality of hot spring. The guidebook specialized in spas has been changed since 2000, that is, the information about spas has been written in detail. Undoubtedly a new age of hot spring has begun. はじめに 温泉をめぐって新しい時代が始まった。これが最近の旅行会社のパンフレット,温泉専門のガイドブッ ク,(社)日本温泉協会の毎年行っているアンケート調査などから私たちが感受すべきことがらである。 かつて,1982年ごろから秘湯ブームがあった。それは,いわば温泉の外形に関しての嗜好の変化という べきものだった。そこでは人里離れた山奥といった場所が重視され,その地形を利用した露天風呂の外観 が話題となった。しかし今日私たちが直面するのは,そのような意匠を凝らした外形に関する変化ではな く,温泉そのものの質について,観光客や観光媒体(旅行会社やガイドブックなど)の見方が従来とは異 なってきたという意味での,より本質的な変化である。 そうした本質的な変化が生まれることになったきっかけは,2002年に宮崎県日向市の温泉施設サンパー クで起きたレジオネラ属菌感染による7名の死者,疑いのある患者を含め295名の感染(同年9月15日宮 崎県発表)という事件,そしてその2年後,長野県白骨温泉における入浴剤混入事件,及びそれに続く各 地での偽温泉騒動であろう。温泉を愛好する人たちが温泉の質に関して敏感になったのは当然だった。健 康志向の社会的風潮もあった。しかし,実は,それに先立って,温泉宿泊客の意識はすでに変わっていた のである。その方がより大きな底流だったと考えなければならない。 私たちは観光を観光客,観光対象,観光媒体,地域社会という四つの構成要素が相互・複合的に関係す ることで生まれる社会現象だと考えている。本論は温泉地に出かける観光客,観光対象となる温泉そのも の,それをビジネスとして生かそうとする宿泊施設・観光施設,旅行会社,ガイドブックなど観光媒体, キーワード:源泉かけ流し,循環ろ過方式,温泉用途の多様化,城崎方式 *本学福祉社会学部教授 ― 13 ― 地域総合研究 第36巻 第1・2号合併号(2009年) 温泉そのものも包含される当の地域社会というそれぞれの視点から今日の温泉地のあり方を分析・考察 し,将来のあり方をさまざまなケースにおいて見通そうとするものである。さまざまなケースというのは, 筆者が『エコツーリズムとマス・ツーリズム』(2003)で提示したツーリズムの様態――マス・ツーリズ ムを目指すのか,スモール・ツーリズムを目指すのか――を明確にするということであるし,『観光と地 域社会』(2006)で検証したように,観光と地域社会の関係を精密に考えることを意味する。 予め筆者の立場・論点を明らかにしておくと,本物の温泉にこだわるあまり「源泉かけ流し主義」とい う狭い領域に議論を収束させるものではない,ということになる。もちろん,偽温泉騒動以来,温泉の質 に敏感となった温泉愛好者の求める源泉かけ流し志向,ないしは本物の温泉の究極のかたちである湯治場 の伝統の再評価という現実は直視すべきだと思われるが,一方では,加水・加温,掘削・動力揚湯,循環 ろ過方式という人工的な処置を必要とする多くの,比較的規模の大きな温泉旅館の観光において果たす役 割も無視できない。社会が温泉をさまざまな用途において活用しようとする現実が存在するからである。 あくまで観光を社会現象と考える立場から,それぞれ性格の違う温泉地・温泉旅館を筆者の方法論である 旅行形態論やツーリズムの様態の分析から見つめてゆきたい。それは,客室数10室以内の旅館と,50室を 超える大規模旅館の可能性を同一に論じるのでなく,それぞれが別な可能性を持つことを理論的に明らか にする作業になるはずである。さらに,『観光と地域社会』で論じたように,地域文化である温泉――特 に湯治場として機能する温泉――がそのまま地域文化の特性を活かしながら観光という現象と向き合う ケースと,本来の特性を変更しても観光客を迎えるのだというケースではまったく異なる原理で考えなけ ればならない。いずれにしろ,そうした考察を通じて,地域社会にとっても重要な資源である温泉地や, そこで機能する温泉旅館のさまざまなあり方を再生の可能性を明示するかたちで論じてゆきたい。 1 温泉とは何か――用途の多様性に向けて 温泉の定義と現状 温泉法により温泉とは,「地中からゆう出する温水,鉱水及び水蒸気その他のガス(炭化水素を主成分 とする天然ガスを除く)」で,①温泉源から採取されるときの温度が25℃以上か,②1kg 中の溶存物質(ガ ス性のものは除く)の総量が1g以上含まれているか,③遊離炭酸(CO2),ラドン(Rn)など定められ た18物質の内のどれかを一定量以上有するものだとされている(日本温泉科学会2005:1–2)。 温泉は,もともとその漢字が示すように,「大地から自然に湧出する温かい水」を意味していた(日本 温泉協会2006:4)。辞書等でも普通,「地中から,わき出すあたたかい水」(『漢字源』)とされている。し かし,温泉法ではその定義により,温度が25℃未満でも,先の②か③の条件を満たせば温泉となる。珍し い例としては,14℃の冷泉である大分県寒の地獄温泉がよく知られている。また,今日では掘削技術の進 展により,自然という要素が稀薄となり,人工的に地下1,000m以上の深さからポンプで汲み上げている ものも温泉となる。テクノロジーの新展開は循環ろ過装置による温泉という新しい事態も生み出してい る。この循環ろ過方式による温泉の利用については,温泉法第2条に基づく温泉とはいえないとの根強い 見解もある1。いずれにしろ,このような流れは,本来,何らかの効能があって「温泉」であろうと冷泉で あろうと人々に重宝されてきた温泉が,さまざまな技術の開発,入浴客(=観光客)の嗜好の変化によっ て用途を多様化してきたのだと見ることができる。 まず,温泉の湧出形態からは①自然湧出,②掘削・自噴泉,③掘削・動力揚湯,の三つに分けることが できる。その特色は次の通りである。 1 例えば,源泉湯宿を守る会会長の平野富雄は観光経済新聞2007年4月7日付の「ニッポンの温泉 検証⑲」においてそのよう な考えを述べている。 ― 14 ― 温泉新時代の本質Ⅰ ①自然湧出…地形や火山活動など自然そのままの反映。湯道が自然に開いたものであり,「地中におけ る天水の供給・熱の蓄積・地殻成分の溶解と温泉水のゆう出との間で自然のバランスが成り立ってい る」 (環境省2004:7)ケースである。湯治場や外湯として地域の文化(=生活のあり方)として定着。 一方で,自然観光資源として観光客を引き寄せる。須川高原温泉(岩手県)や玉川温泉(秋田県)の ように一軒宿の湧出量が毎分6,000ℓや9,000ℓという特殊な例を除けば,小規模,スモール ・ ツーリ ズムというかたちをとるのが普通である。また,別府や草津のように,自然湧出であってもマス・ツー リズムにさらされるのが宿命であるようなケースも見られる。 ②掘削・自噴泉…自然へのテクノロジーによる刺激を起因としての自噴であり,人工的に湯道を開いた もの。自噴という部分では自然任せの部分を残しており,まだ自然観光資源と見ることもできる。地 域文化と,観光客の流入による地域振興が併存しうるケースだと考えられる。 ③掘削・動力揚湯…掘削技術とポンプを用いて湯を吸い上げる方式であり,テクノロジーの賜物という べき温泉である。能動主義による自然への働きかけであり,人間の思い通りにするという観点からは テクノロジーによる支配のかたちと見ることもできる。1965年と2002年で比較してみると,源泉総数, 温泉湧出量とも自噴泉の場合はあまり変わらないのに対し,動力揚湯の場合は前者で2.3倍,後者で2.7 倍となっている(環境省2004:3)。近代以降の特徴である産業主義の思想によっており,必然として マス・ツーリズムにつながっていく可能性が高い。 自然なかたちとしての①から,②や③が生まれてきたのは,それだけの需要があったからである。テク ノロジーの発展がそれに呼応したのである。温泉の利用形態についても同じことがいえる。 温泉の利用形態 温泉の利用形態はさまざまだが,そのすべての情報が開示されてはおらず,現状では私たちが入浴する 浴槽の湯がどのような状態であるのかについては不分明である。利用形態として考えられるのは次のよう な方法である。 ①自家源泉を持つ場合の源泉かけ流し(=完全放流式)…「源泉かけ流し」自体は,JAF の『源泉の 湯宿めぐり』(JAF2004:24)の定義に従えば, 「入浴時間中,原則として常に源泉が浴槽に給湯され, かつ浴槽にろ過や加温のための循環装置が設置されていない(作動していない)」ケースである。た だし,源泉の温度が高いために加水するケースは源泉かけ流しに含まれる。ここまでの条件でいうな らば,引湯しているケースでも源泉かけ流しとなる。JAF では,加水も加温も施されていない場合 については,「源泉そのままのかけ流し」という表現が使われている。ここでいう自家源泉は,先に 見た三つの湧出形態(自然湧出,掘削 ・ 自噴,掘削 ・ 動力揚湯)とも該当するものと考えられる。湯 量が豊富でなければできない利用方法であり,特に自然湧出の場合,湯は新鮮で温泉の効能も高いと 考えられている。 ②引湯…自家源泉を持たない旅館は,他から給湯を受ける必要があり,引湯と呼ばれる。例えば,湯量 豊富な青森県猿倉温泉(湧出量毎分1000ℓ)は,奥入瀬渓流グランドホテル,十和田湖温泉郷のいく つかの温泉旅館に給湯している。これは複数の源泉を有する一つの温泉旅館からいくつかの温泉旅館 が引湯するケースだが,兵庫県城崎温泉や,山形県の銀山温泉,湯田川温泉をはじめとするいくつか の温泉地では,各旅館が源泉を所有するのではなく,温泉資源保護の観点から,集中管理方式が用い られている。引湯する場合には,その距離によって泉質が影響を受けることも考えられ,現在ではこ うしたことまで意識されつつある。また,集中管理方式による給湯方式の場合には,複数泉源の湯を 混ぜることも多いため,泉質の変化という観点から問題とする声もある。 ③加水・加温…文字通り,泉温が高いため水を加えて温度を下げたり,逆に低すぎて加熱するケースで ― 15 ― 地域総合研究 第36巻 第1・2号合併号(2009年) ある。泉質によっては成分の変化が起こるのではないかとの懸念もある。この利用方法についてはさ まざまなケースが考えられる。また旅館主の思想――温泉に対する思いがあらわになるケースでもあ る。青森県蔦温泉では浴槽のぶなの底板の隙間からこんこんと湯が湧いているスタイルであるため, 46.9℃の泉温であるものの水が絶えず注がれている。熊本県の赤川温泉赤川荘では源泉は26℃である が,加温すると冷泉時ほどの効能が期待できないためそのまま提供されている湯船と,加熱した湯船 が隣り合わせに用意されており,交互に入ることを館主は勧めている。湯量が少ないため,大量に加 水し,なおかつそれを加熱するというような悪質なケースを除けば,それぞれの温泉旅館の工夫のか たちであり,温泉に対する旅館主の思いの顕現である。 *加水しないケース 秋田県玉川温泉の源泉温度は98℃であるが加水をしない。熱交換装置で温度を下げているといわれ る。熊本県黒川温泉でも源泉温度は70℃~から90℃であるが,加水はせず,川底を管で通すことで 温度を下げている旅館もある。加水を避けた方が好ましいと考えるところが多く,湧出量の調節や 引湯距離の長さ,外気に触れさせることなどさまざまな工夫で低温化を図っている。蔦温泉の湯の 評価が高いことからも分かるように,加水することが一概に悪いわけではなく,温泉成分の変化が どうか,用途の多様化がどのように温泉のあり方に関係しているかなど,検討すべき課題が多い。 ④循環ろ過方式…今日,最も課題を含む利用形態であり,マス・ツーリズムにおいてはこの利用形態な くして存立なし,といえるほどの影響力を持つ。この方式は,一度使用した湯をろ過・消毒した上で 何度も循環して使うというもので,これが広く世間に知られることとなったのは,2002年宮崎県日向 市に始まり,同年,鹿児島県東郷町(現:薩摩川内市)の「東郷温泉ゆったり館」など循環ろ過方式 を採用している公共温泉施設で次々に入浴客がレジオネラ属菌に感染するという事件が問題となった からである。もともとは高度経済成長期に大型化した温泉旅館において,団体客受け入れのため導入 されたともいわれるが(松田2002a:178,山村2006:222),その起源については,温泉水の分析と水 質管理が専門である甘露寺泰雄によれば,「別府などの温泉を使った公衆浴場では浴槽に菌がウヨウ ヨいた」ために循環ろ過方式や塩素投入が始まったとされる(松田 ・ 阿岸 ・ 大河内 ・ 甘露寺2005: 84)。いずれにせよ,常に源泉が浴槽に給湯される源泉かけ流しの風呂であっても,そこに大量の人 間が特定の時間帯に一度に入れば,温泉の湧出量にもよるが,湯は汚れるため循環ろ過方式の採用は 必然の流れとなる。したがって,これはマス・ツーリズムにおける特徴的な問題だということになる。 ともあれ,「本物の温泉」という観点からは大きな疑問を突きつけられており,どのような方向に今 後の活路を見出すかが重要な課題となる。 ⑤放流循環併用式…自家源泉を持つ場合であれ,引湯する場合であれ,源泉が常に給湯され,なおかつ 循環装置も作動している場合である。これは源泉を比較的湯量豊富に確保できる温泉旅館が,中規模 化 ・ 大規模化していく過程で――すなわちマス・ツーリズムにおいて機能を果たそうと意思する場合 ――必然的に辿る道である。もちろん湧出量,引湯の場合であれば給湯量にも左右されることはいう までもない。研究者の見解,もしくは任意団体「源泉湯宿を守る会」が規約で出している基準では, 宿泊収容定員で一人当たり毎分1ℓの温泉湧出量(もしくは給湯量)が必要だとされている(松田 2001:120–121,山村2006:223)。この方式は適切に運用されれば,マス・ツーリズムにおいて温泉 地での名旅館を生む有力な手段となる。 以上の利用形態は,2005年の温泉法施行規則の改正によって,もし該当する場合には掲示しなければな らないことになった。加水,加温,循環ろ過,入浴剤・消毒の名称もしくは方法,の四点である。こうし た展開はレジオネラ属菌感染事件や偽温泉騒動をきっかけとして,消費者の目が厳しくなったことを反映 している。この経緯の中では公正取引委員会の勧告の果たした役割も大きかったと思われる。すなわち, ― 16 ― 温泉新時代の本質Ⅰ 公取委は旅行会社のパンフレットなどで「天然温泉」とか「本物の温泉」という表示が安易に使われてい ることに警告を発したのである。 もっとも,多くの研究者・専門家が指摘するように,環境省が温泉法施行規則改正によって実施しよう としている現在の情報開示のありようはとても満足のいくものではない。約1,700の会員を擁する日本温 泉協会が出している温泉利用証(表示看板)では,毎分の湧出量,引湯方法とその距離,新湯の毎分当た りの注入量と浴槽が満たされるまでの時間,湯の入替頻度なども明示されている。また,環境省の指示す る最低限の情報しか開示しない自治体もあれば,熊本県のように加水する場合,源泉7,井戸水3のよう にその比率まで明示し,浴槽の清掃状況についても「毎日,完全にお湯を抜いて清掃」とか,水質検査の 頻度についても掲示している県が存在する。消費者(温泉入浴客)が求める情報開示のあり方は,地方自 治体や温泉旅館が思っている以上に進展しているのかもしれない。 さて,湧出形態が自然湧出から掘削・自噴,掘削・動力揚湯へと拡大してきたのは,テクノロジーの発 展と相俟って,それだけの需要があったからだと先に述べたが,ここでも,利用形態が引湯から循環ろ過 方式にまで来たのは,需要拡大のせいだと見ることができる。ただ,ここに至っては,より厳密に――と いうより,温泉が社会現象の磁場となっている今日においては――マス・ツーリズムが進展することで用 途が多様化したのだと理解することが肝要である。要するに,温泉の質を重視する「源泉かけ流し主義」 と,治療・療養から観光目的まで多様化する用途に応じた循環ろ過方式を対比しつつ,社会現象として考 察を加えなければならない。そうした考察の前提として,泉質の変化についてまず整理してみる。 泉質の変化 温泉旅館における浴槽での泉質の変化については,すでに多くの研究者から懸念が表明されている。例 えば,山村順次は次のように書いている。 (……)温泉は地中から地表に出たときから成分に変化を起こし,老化する特性がある。特に,放射 能泉や二酸化炭素泉などは成分の放出が著しく,変化した後の分析が必要である。また,多量に加水 をしたり,循環装置を使って塩素殺菌をすると,泉質が変化することは当然である。温泉の医療効果 を期待するのであれば,なおさら浴槽での泉質が何であるかを明らかにする必要がある。(山村 2006:111) これは温泉法に定める成分分析の掲示が,源泉についてであり,実際に私たちが入る浴槽についてはそ の成分分析がまったくなされていないことに関して言われている。源泉から引湯する際の距離や方法に よって,あるいは温泉に人間がさまざまな処理――加温・加水や,循環ろ過方式における塩素消毒――を 施すことで,化学成分・泉質に変化が起こるのではないかという懸念である。 甘露寺泰雄は次のような基本的な観点を提示している。 「化学成分(含量)の変化は必ずしも泉質の変化を意味しない」。泉質は硫黄泉,塩化物泉,鉄泉など温 泉の質を示すものだが,それは化学成分の含量・組成によって決まる。逆に,泉質名から多種の化学成分 の予測は困難である。化学成分には安定成分と不安定成分とがあり,鉄,二酸化炭素,硫化水素,ラドン, 炭酸水素イオン,pH等の不安定成分は,温泉水を泉源から浴槽まで輸送,引湯する間に,あるいは過熱, 循環ろ過により変化する。不安定成分が泉質名に直結する鉄泉,二酸化炭素泉,硫化水素泉(単純硫黄泉), 放射能泉(ラドン泉)は変化を起こしやすく,浴槽では泉質名がつけられないケースもある。一方,塩素, ふっ素,臭素,ナトリウム,カリウム,カルシウム,マグネシウム各イオン等の安定成分は,加水や蒸発 がない限り,変化はしない。(甘露寺2006:16) ― 17 ― 地域総合研究 第36巻 第1・2号合併号(2009年) 甘露寺はまた,塩素剤の添加によって硫化水素,鉄,ヒ素,亜硝酸などが変化して還元性の環境が破壊 されることにも言及している(甘露寺2006:17)。これは道後温泉本館の塩素消毒についての微妙な結果 を適切に理解する鍵となるべき言及である。レジオネラ属菌騒動以降,かけ流しの温泉であるはずの道後 温泉本館の浴槽にも塩素系薬剤が投入されるようになった。塩素投入によっても泉質の変化は見られな かったと松山市は発表したのだが,それは道後温泉がもともと成分の濃度が低いため変わりようのない単 純温泉だからだった。しかし,温泉はそれ以前には還元系だったものの,塩素投入後は酸化系となってい た(松田・阿岸・大河内・甘露寺2005:77–78)。大河内正一らのグループが塩素消毒の弊害――温泉が還 元系から酸化系に変化すること――を調査・分析しているが,それによれば次のごとくである。 酸化と還元は,前者が物質が酸素と結びついた状態で,金属の錆を促進させる作用だとされ,後者は物 質が酸素を失った状態で,金属の錆を抑制,元に戻す作用だとされる。人間の皮膚への作用ということで いうと,酸化は皮膚の酸化(老化)を促進させる作用,還元が皮膚の酸化(老化)を抑制する作用だとい うことになる。温泉は還元系であり,塩素消毒された水道水,プール,温泉,銭湯はいずれも酸化系だと される(同前:11–25)。 以上のような事情からすれば,温泉を愛好する人たちの間で,やはり温泉は源泉かけ流しに限るという 流れが生まれるのも当然といえるので,それを次に検討する。もちろん,本論は今日における温泉の用途 の多様性をテーマとしているため,後に循環ろ過方式が有する意味・意義についても検証する予定である。 源泉かけ流しをめぐって 源泉かけ流しは循環ろ過方式の温泉との対比でクローズアップされてきた。2002年のレジオネラ属菌感 染事件は,その傾向がより強くなる象徴的な出来事だった。ただ,こうした傾向が生まれるについては, その1年前の12月に出版された松田忠徳著『温泉教授の温泉ゼミナール』の影響も無視できない。松田の 記述内容には多くの誤りのあることも指摘されているが2,その著書が新書というかたちで出版されたた め,広く一般に温泉に関する知識が普及していったことも否定できない事実であろう。 ところで,源泉かけ流しという表現はいつごろから使われるようになったのだろうか。「源泉」はもと もとは法律用語で,法社会学において温泉権との関連で定義されてきた(石川2006:2)。また「掛け流し」 は古い用語であり,『大辞林』(第2版)によれば,近世は1731年に初演された人形浄瑠璃『鬼一法眼三略 巻』にも用例があるという。二つの語が結合した「源泉かけ流し」については,1993年に「ほんものの温 泉」の選択基準として,「第一に,源泉を大切にし,豊かな源泉を私たちが利用できる」ことを挙げ,そ れが温泉の原点だとしていた石川理夫が,99年以降,「源泉をかけ流しにする」という表現を用いるよう になったとされる(石川2006:4)。 松田自身は,2001年時点では「源泉かけ流し」という表現は使っておらず,「ほんものの温泉」「生きた 温泉」「温泉の素質のある温泉」というような表現をしていた。むしろそこでは,全国に広がっていた循 環ろ過方式の温泉に対する批判が中心だった。その方式がシャワーの必要性(塩素消毒の塩素を洗い流す ため)を生んだのだが,副作用として,若い女性客の要望に応えるかたちで源泉かけ流しの温泉旅館まで もがシャワーを備える風潮に松田は苛立ったのである(松田2001)。 後に詳しく紹介する,源泉であることを意識した温泉専門ガイドブック野口悦男著『源泉の宿』(東日 本編・西日本編)が2000年に出版されているが,そこでは源泉風呂というのが共通した用語の使い方であ り,まえがきや一部旅館についての自由記述の部分で「循環風呂」と対比しての「かけ流し」であること に言及されている。おそらく,多くの宿が今日なら源泉かけ流しと表現されるべきものだった。 2 石川理夫はその論文(石川2006)において,松田忠徳の記述が正確さを欠くことや,松田の著書には,それ以前に刊行された 石川の著書における表現と類似したケースが多数あることを具体例を挙げて批判している。 ― 18 ― 温泉新時代の本質Ⅰ 「旅行読売」2003年2月号の特集「天然100%の湯につかる自家源泉の宿」では,記者によって表現はま ちまちだが,「源泉かけ流し」,もしくは「源泉がかけ流し」という表現も散見される。また,「自家源泉 2本から合計で200~250ℓもの温泉が掛け流しにされている」という宮城県峩々温泉の紹介文に見られ るように,実質的に源泉かけ流しの説明になっているケースも多い。なお,「旅行読売」のこの特集では, 自家源泉の本数,温度,毎分湧出量の他,源泉の利用方法として,加熱・加水に加えて一度タンクなどに 保管して温度を下げる「貯蔵」や,湯舟に流す源泉の量を制御しての「調整」という区分も使っており, 温泉好き読者の要望がどの辺りまで来ているか想像できて興味深い。ただ,残念ながら,この貯蔵・調整 という表記については,現在のところガイドブックではあまり使われていない。 「旅行読売」は2005年2月号の特集「個人客を大切にする小さな湯宿」では,源泉かけ流しという統一 した表示を使い,「団体客は受け入れない」というポリシーを明示した温泉宿紹介をするに至る。この特 集の意義は大きく,温泉をゆっくり楽しむことがどのような旅行形態において可能か,にまで立ち入った 案内となっている。観光カリスマにも認定された熊本県黒川温泉新明館の後藤哲也は,「風呂めぐりに団 体で来て何がいいかということなんです。お客さんに申し訳ないです。今は少人数のグループなどでゆっ くりと風呂を楽しむのが醍醐味なんです。それを団体で押しかけてこられるのは,黒川にとって決してい いことではありません」(松田2004:224)と語っているが,そうした感覚が温泉好きの人たちにも一般化 したのだと見ることができる。「旅行読売」の特集はその反映なのである。 この温泉宿泊客の嗜好変化については別に述べるとして,ここでは温泉について新たなステージにやっ て来ているのだということを確認しておきたい。すなわち,温泉の環境についてである。それは「源泉か け流し主義」への擁護となる一方,別方向に新たな可能性をひらく認識へとつながる。 おそらく,温泉の快適さ――玉川温泉に代表されるように,薬効ということを考えれば温泉の効果とい うべきか――は泉質によるとばかりはいえない。もし泉質だけによるというのなら,先に見たように化学 成分の変化ということもあり,循環ろ過方式だけでなく,引湯や加熱・加水も泉質によっては温泉たり得 なくなってしまうケースも出る。源泉そのままのかけ流しでなければ温泉の効果は期待できないというこ とになる。これが,「客の求めるものは源泉そのままの湯と温かいもてなしである」(松田2002b:163)と する松田忠徳のような「源泉かけ流し主義」の論拠となる。もちろん,この発想が今日の温泉の用途の多 様性を説明するのには不都合であることは明白である。しかしここでは,温泉の環境ということに絞って まず明らかにしておきたい。つまり,温泉の社会的有用性という観点からだけでなく,その環境からも, 源泉にのみこだわるのではない論理の展開が必要とされるのである。 温泉の効果については,1982年,当時の環境庁自然保護局長名で出された「温泉法第14条の運用につい て」という通知において,次のような考え方が示されている。「温泉の医治効用は,その温度その他の物 理的因子,化学的成分,温泉地の地勢,気候,利用者の生活状態の変化その他諸般の総合作用に対する生 体反応によるもので,温泉の成分によってのみ各温泉の効用を確定することは困難である(……)」((社) 日本温泉協会温泉研究会1957/2004:106,109),との文言である。これは温泉の禁忌症と適応症双方の決 定基準の説明箇所で登場するが,温泉そのものの力ばかりでなく,周囲の自然環境までもが考慮の対象と なっている。 温泉地とは,ごく一般的な常識としていえば,山・谷・川・海・湖といった自然豊かな場所にある。そ こでは,アメリカの旅行ガイドブックで Sea Breeze として好感される潮風や,川のせせらぎ,滝のシャ ワー,樹木の緑などの作用が特に保養上は有効であろう。そこに設けられている遊歩道などは,その歩行 が温泉につかることで相乗的な効果を生み出すことは疑いがない。先の環境庁の通知にある「利用者の生 活状態の変化」とは俗に転地効果と呼ばれるものであろうが,それは泉質以前の,温泉地を訪れるという 行為自体において発生する。また,泉質云々でなく,家庭の風呂にあっても,肌への湯の圧力自体に健康 ― 19 ― 地域総合研究 第36巻 第1・2号合併号(2009年) 上の効用があるともされる。 温泉における環境とは,どのような旅行形態でそこを訪れるかによっても決まる。一人で療養のため湯 治をすることや,保養のためゆっくり温泉に一人でつかったり,同じ趣旨の入浴客と談笑したりすること もあろうが,グループや団体で,同行の人たちと温泉に入るというところに効用が見出せる旅行形態も存 在する。実は,薬効のある温泉を重視する「源泉かけ流し主義」の松田忠徳ですら,循環ろ過方式を採用 していることの多い公共温泉施設を,病院の待合室をサロン代わりにしていた老人が集まる「地域の人々 と触れ合い安らぐ場」として機能する一面を認めている(松田2001:111–113)。温泉がそのような場とし て機能しているとするならば,旅行形態によっては,当然,日頃顔を会わせる仲間が温泉旅行をしたり, 何年ぶりかで顔を合わす同級生が同じ宿に泊まることで温泉の心地よさが生まれているとも考えられる。 いわば,源泉かけ流しに由来しない快適さがそこでは生まれているのだと見ることができる。これが循環 ろ過方式の温泉旅館の存在意義に結びついていく。 見直される循環ろ過方式① 循環ろ過方式の見直し,あるいはもっと有り体に言えば,循環ろ過方式推奨の根拠としては次の二点が 強調されている。 ①温泉資源を有効かつ持続可能なかたちで利用するため ②湯を清潔に保つため ①は1972年のローマクラブ『成長の限界』による限られた資源を次世代のことも考えて使うという発想 や,同年にスウェーデンのストックホルムで開かれた国連の人間環境会議(通称:ストックホルム会議) におけるテーマ設定,さらには80年に IUCN(国際自然保護連合),UNEP(国連環境計画),WWF(世 界自然保護基金)によって出版された『世界環境保全戦略』における「自然と自然資源が保全されなけれ ば人間に未来はない」という考え方などから生まれた「持続可能な開発」につながるものである(吉田 2003:20–24)。こうした資源の有効利用という観点からは,城崎温泉や山形県のいくつかの温泉地などの ように集中管理方式を取る方がより有効だといえる。とはいうものの,循環ろ過方式は,やはり温泉を自 然資源とはかけ離れた状態で利用しているのではないかという疑問が払拭できない,というのが多くの人 の実感だろう。 ②については,一定の説得力はあるものの,それは効率主義によるものだという一面も否定できない。 例えば,宮城県においては,2003年10月1日から施行された改正旅館業法施行条例・施行細則で,レジオ ネラ属菌の発生・増殖を防止するための清掃に関して次のように定められていた。浴槽の換水・清掃は1 日に1回以上だが,循環ろ過方式の浴槽では1週間に1回以上でよいこと――要するに,清掃に関しては 循環ろ過方式の方が手間がかからないということになる。もちろん近代以降の社会において,合理的な判 断に基づいて効率性が重視されること自体はなんら批判されるべきことではない。しかしながら,2000年 の厚生労働省健康局長名による通知,さらには01年の同局生活衛生課長名による「循環式浴槽におけるレ ジオネラ症防止対策マニュアルについて」という通知において,循環ろ過方式の浴槽についての管理方法 は詳細に述べられていた。1週間に1回以上定期的に完全換水し,浴槽を消毒・清掃することや,浴槽水 の消毒に使う塩素系薬剤の水中遊離残留塩素濃度は1日2時間以上0.2∼0.4mg に保つこと,ろ過装置自 体の消毒を1週間に1回以上実施すること,などである。宮崎県日向市のケースでは,このマニュアルを 入手していたにもかかわらず,防止対策を協議してこなかった。プレオープン,オープンとも温泉水は約 1週間放置されたものを使っており,そのレジオネラ属菌の量は厚生労働省の定める基準量の15万倍だっ た。また,消毒のための塩素はまったく検出されなかった。 おそらく,ここでは湯を清潔に保つということでいうならば,それは源泉かけ流しでも循環ろ過方式で ― 20 ― 温泉新時代の本質Ⅰ も,もちろん引湯,加水・加温などすべての利用形態に共通することだといわねばならない。どの方式が 湯を清潔に保つためには有効か,という問題の立て方ではなく,それぞれの利用形態においてどのような 方法が湯を清潔に保つには有効かという問題の立て方でなければならないのである。したがって,「本来 問題なのは,かけ流しか循環かではなく,浴槽の容積,それに注がれる湯量と,浴槽に加わる汚れの量, つまり利用者数の関係です。湯量が少なく,利用者数の多い浴槽なら,衛生面を維持するためにも,むし 3 ろ循環の方が利用者にも親切な場合もあるのです」 ,という②の理由を補強する論理は筆者には適切でな いように思える。 湯の清潔さを保つことは,それぞれの利用形態ごとに適切な方法によって必要とされるものであり,循 環ろ過方式だけが湯を清潔に保つ方法であるなどという論理は成立しない。実際に,湯を清潔にするどこ ろか,適切な清掃・消毒をしていないために循環ろ過方式の温泉施設・温浴施設でレジオネラ属菌感染は 起こっている。もちろん,源泉かけ流しが無条件に清潔であり,体に良いともいえない。宮城県は毎年調 査・研究の論文を収めた『宮城県保健環境センター年報』を刊行しているが,そこには必ず温泉に関する 調査・研究も入っている。特に注目すべきは2006年度,07年度年報で報告されたかけ流し式温泉における 微生物状況,衛生管理に関する調査・研究である。 循環ろ過方式の温泉では,ろ過器,ヘアキャッチャー,配管などの循環系統が主に微生物の温床となり, レジオネラ属菌を発生させていた。一方,かけ流しでは感染事例の報告もなく,汚染源となる配管等を備 えていないため安全だと思われていた。しかし,宮城県で調査したところ,かけ流し式温泉施設22箇所の うち6浴槽(27%)からレジオネラ属菌が検出され,浴槽周辺のぬめりからは5件中2件(40%)で検出 された。これは2001年に循環ろ過方式の温泉を調査した際の40%に比べれば低いものの,かけ流しであっ ても感染の危険が皆無ではないことが明らかになった。源泉かけ流しの温泉にあっても,ぬめりの除去な どレジオネラ属菌の汚染防止を徹底する必要はある。(佐々木他2006:55–57) 2007年度年報では,引き続き循環系統を持たないかけ流し式温泉11施設の注湯口と浴槽のそれぞれにつ いてレジオネラ属菌やアメーバの調査報告がなされている。結果はレジオネラ属菌が注湯口で11件中2件 (18%),浴槽11件中5件(32%)から検出され,アメーバはそれぞれ1件(9%),4件(36%)が分離 された。2年にわたる調査の結果,「かけ流し式温泉においても同様にレジオネラ属菌とアメーバがバイ オフィルムに生息していた」と結論づけている。また源泉温度が低い場合や,源泉から浴槽までの配管の 長さが300m を超えるような場合において,短い間隔での配管清掃が必要であるとも指摘されている。源 泉かけ流しの温泉の場合,塩素消毒を行なわないケースが多いため,それに変わる管理方法の確立が必要 だとされている。(佐々木他2007:38–40) 循環ろ過方式は浴槽の清掃などの手間が省けるという利点もあるものの,湯を清潔に保つためには一定 の配慮が必要だということである。象徴的であったのは,循環ろ過方式を採用していた温泉旅館では比較 的事故が起こらず,温泉の取り扱いにはほとんど素人であった公共施設で事故が起きたという点である。 浴槽の清掃が週1回になったといっても,その分,循環系統のさまざまな部分についての清掃が必要とさ れるのである。公共温泉施設のように,業者の甘言に乗せられて,ただ省力化のためにだけ循環ろ過を考 えるとしたら,それは倒錯した事態だといわざるを得ない。 以上見てきたように,循環ろ過方式推奨の根拠とされる理由は二つとも,私たちを納得させるものでな かった。私たちはむしろ,旅行形態やツーリズムの様態との関連で――すなわち,温泉を社会現象の中で 考えるという立場から――循環ろ過方式,もしくは放流循環併用式の存在意義を考えてみなければならな い。 3 これは『最新温泉法で選ぶ宿の本(東日本編)』 (2005 マガジントップ)に掲載された「いま, 『温泉偽装表示騒動』を振り返る」 と題するインタビュー記事における甘露寺泰雄の発言である。 ― 21 ― 地域総合研究 第36巻 第1・2号合併号(2009年) 社会現象としての温泉 社会現象として温泉を考えるというとき,まず考慮すべきは次のような事情である。 (……)観光温泉地は,その機能が多岐にわたるが,要するに観光活動の宿泊拠点としての役割を強 め,現在では療養・保養温泉地と比較して,温泉の質や効能などの意義は2次的なものとなっている (山村1995:92)。 温泉の質や効能が2次的なものとなったのは,裏を返せば,温泉の用途が多様化したということである。 ここでは用途の多様性がどのように始まったかについて考えてみよう。 温泉は古代から知られていた。『古事記』(712年成立),『日本書紀』(720年成立),『出雲風土記』(733 年完成)などに各地の温泉の存在が記されているからである。歴史に早く表われたのは,奈良や京都とい う政治の中心地に比較的近い伊予の湯(道後),有間の湯(有馬),牟婁の湯(白浜)や出雲の玉造といっ た温泉だった。温泉の自然湧出地に人々が集い,その周囲が開拓されて集落ができるというかたちでの温 泉集落も,平安時代末期には熱海と別府において成立していた。江戸時代には温泉地での湯治が広く全国 的に盛んとなり,温泉宿を配した今日の温泉町の基本形が確立された。(山村1998:17,21,26) 江戸時代前期の資料によれば,温泉町の集落構造は,中央に地元民や湯治客の利用する共同浴場があっ てその周りに有力な宿が並び,さらにその外側に一般の宿,続いて民家がずらっと並ぶというものだった。 熱海,道後,山中,有馬など有力な温泉地においても,その時代,宿は温泉を持っているのでなく,中央 にある共同浴場に出かけたのである。(日本温泉協会2006:64) 江戸時代においては,温泉は病気を治したい湯治客にとってありがたいものであっただけでなく,藩領 主にとっても収入が得られる貴重な資源だった。その時代における温泉の所有形態は伊香保,草津,熱海, 別府のように少数の有力者が独占的に所有し,内湯を引いていたケースと,道後,城崎,山中など多くの 温泉地に見られる総湯(共同浴場)の外湯を利用していたケースに分かれる(山村1998:34)。後者の総 湯は,道後がそうであるように,今日でも地域文化として温泉地が観光客を誘引する大きな要素となって いる。 ところで,温泉の用途の多様化はすでに江戸時代に始まったと見ることができる。 新城常三は古代からの庶民の旅について詳述している。そこで新城は,庶民の旅を紀元前2~3世紀ま での狩猟・漁撈の時代における生きるための内部強制の旅から,古代国家の成立によって租税である庸・ 調の貢納のためや平城京・平安京建設のため,さらには東国の武士が防人として九州北部まで出かけた外 部強制の旅,中世の鎌倉・室町時代には宿屋の発達や貨幣の流通など旅をめぐる環境が整備され,江戸時 代に入って楽しみのための旅が成立したと指摘している(新城1971)。そして新城は次のような興味深い 文章を引用する。 近ごろ,とりわけ心得ぬはやり病がある。それは閑と金との自由にあかせて,湯治といい立てて, 毎年毎年遊山旅をするものが多いことである。これも男ばかりか,婦人も湯治にかこつけて,夫に留 守番をさせ,その上金を出させて,物見遊山にあちこち歩くものが多い。(新城1971:66) これは新城によれば,1771年(明和8年)に刊行された『教訓万病回春』に述べられている言葉だとい う。受け入れ地(= 温泉町)での体制が江戸時代に整ってきたことを先に見たが,ここでは,温泉に出か ける側の事情がどうであったかについて興味深い言及がなされている。温泉の効果についてはすでに古代 ― 22 ― 温泉新時代の本質Ⅰ でも知られていたため,温泉への旅は古代から貴族の間では行なわれていたが,引用文は江戸時代には庶 民にも温泉への旅が広まっていたというに留まらず,というよりそれを唯一の目的とするのではなく, 「物 見遊山」(= 観光)という別な目的の比重が大きくなっていたことを明らかにしている。もちろん,都市 の裕福な商人がその中心であったろうが, 『東海道中膝栗毛』などが典型的に示すように,ごく普通の庶 民においても,伊勢参宮という本来は崇高な宗教的動機に基づく旅が,享楽性の強い旅となっていた。何 よりも,外宮と内宮を結ぶ参宮道沿いに位置した古市が,参宮客の精進落としの場として,江戸の吉原, 京都の島原と並ぶ三大遊郭地の一つになっていたことがその証左であろう。近世において,さまざまな目 的の旅がレクレーション化していたのであり,温泉への旅もその文脈で考えることができる。テクノロ ジーの発展という要素とは関係なく,温泉の用途の多様化は江戸時代において始まったのである。 時代はぐっと下がって昭和初期の刊行物によっても,テクノロジーの進展にはよらない温泉用途の多様 化が社会現象としてどのように起きるかが了解される。 1930年(昭和5年)刊行の『藤原村郷土ノ研究』は,東武鉄道の開通により鬼怒川温泉郷が東京上野か ら日帰りの行楽地になったことで,将来は療養地としてよりはむしろ「遊楽地」として発展するだろうと 当時において予測されていた,と記している。山間の渓谷へ来ているのにその景観を味わうことなく,都 会の延長を求めているとも指摘されている。すでにカフェ,バー,撞球場もあれば,芸者,女給もいると いった具合に享楽的な受け皿が出来上がっていたからである。(山村1998:64) 私たちはこの鬼怒川温泉郷で起きた社会現象としての推移を,今日では旅行形態やツーリズムの様態を 研究することでより明快に分析できる。 1960年代の高度経済成長期から,温泉の用途の多様性は次のような『旅行読売』2006年1月号の「ああ, なつかしの社員旅行」という北海道滝川市在住の読者の投稿によっても知られる。 いまから35年前,社員総勢170人で北海道から青森県の古牧温泉に行った思い出です。/北海道内 は,お座敷列車で約5時間。マージャン,将棋,以後,酒飲みなどで各自が好き放題に過ごしました。 夜は温泉で大宴会。盛り上がりました。 日本人の旅行形態は,日本社会の構造がそのまま反映されたものがかなりある。上記の時期の社員旅行 はその代表例である。社員が盛り上がり,親睦を深めること――会社との一体感を醸成する最高の場面と して社員旅行(慰安旅行,あるいは職場旅行とも呼ばれる)は位置づけられていた。60年代,70年代はま だ旅行のありがたみのあった頃である。お座敷列車は単なる運輸機関として機能しているのではない。同 じように温泉もまたここでは何らかの治癒・保養効果を求められているのではない。お座敷列車と温泉は, 大宴会とともに社員旅行の目的を達成するために機能しているにすぎない。 招待旅行という旅行形態も,日本社会にあってはかつて無視できないシェアを占めていた。これはメー カーが問屋・小売店,問屋が小売店,小売店が消費者といった具合にその仕入額・購入額に応じて旅行へ 招待するものである。前2者にあってはリベートの旅行への振替えというべき側面を持ったし,消費者に とっては販売価格の割引可能分を旅行に振替えられているという側面を持った。招待旅行は日本社会にお ける取引上のタテ関係を反映するものでもある。ただ,温泉旅館を舞台としていたこの形態の旅行は, 1964年の海外旅行の自由化(観光渡航の許可)以降,海外へと転換される。67年時点ですでに公正取引委 員会からその行過ぎた招待旅行が問題視されており,結局,旅行費10万円以内という限度額が設けられる に至る。 地方議会の議員後援会旅行,医師会などを含む同業者の組合における親睦旅行,優秀な営業社員を報奨 として行かせる報奨旅行などいずれも集団・組織としての旅行目的をもっており,温泉は直接の旅行目的 ― 23 ― 地域総合研究 第36巻 第1・2号合併号(2009年) ではなくなってしまう。(吉田2003:103–117) 見直される循環ろ過方式② いま,温泉の目的が江戸時代においてすでに湯治から一連の「物見遊山」を構成する要素の一つに過ぎ なくなったことや,高度経済成長期において旅行形態の必然性から用途が多様化していった点を見てきた が,それは主として,社会現象として観光を考える際の四つの構成要素のうち,観光客に当たる入浴客に 着目しての用途の多様化だった。ここでは先の昭和初期の鬼怒川温泉郷の変貌にもつながる観光対象,も しくは観光媒体として機能する温泉旅館に,あるいは温泉地自体に着目して,温泉の用途が多様化したこ とでどのような変化が訪れたか,そこでの循環ろ過方式,もしくは放流循環併用式の採用の意義などにつ いて考えてみたい。 循環ろ過方式の導入のきっかけについては,先に,高度経済成長期における温泉旅館大型化にともなう とする説と,公衆浴場に菌がウヨウヨいたため始まったという説の二つを紹介した。温泉旅館に限ってい えば,やはり多くの団体客を迎え入れるための大型化(旅館そのものの規模と大浴場設置),湯量の問題 と,特定の時間に集中的に団体客が入浴することでの湯の汚れ,といったことで循環ろ過方式が導入され たと考えるのが常識的であろう。 泉質に関して良心的なケースとしては,岩手県大沢温泉山水閣の,加水・加温はなく,「常時,源泉を 掛け流しておりますが,温泉資源の保護と衛生管理のため,ごくわずかながら一部温泉水の循環ろ過を 行っております」,そして消毒処理については,「温泉水の衛生管理のため必要最小限の塩素系薬剤を添加 し,消毒を行う場合があります」(大浴場山水の湯における掲示)というような放流循環併用式の例があ る。山水閣は和室50,洋室7の業界の水準では中規模とされる旅館である。もちろんマス・ツーリズム対 応型であり,大浴場は50人ほどの団体が同じ時間帯に入浴可能な広さである。湧出量が動力揚湯で毎分 400ℓ近くとも,おそらく,この旅館が循環ろ過方式を採用していないとすれば,浴槽の泉質に関して私 たちは疑問を抱くことになるだろう。因みに,この旅館は客室数57の自炊部(=湯治部)と,客室数17の, どちらかといえばスモール・ツーリズム対応型の菊水館も併設している。それらが有する浴室は源泉かけ 流しであり,山水閣の大浴場のような人数が入ることはできないスモール・ツーリズム対応型である。(た だし,山水閣の宿泊客はそれらの風呂にも入ることはできる。) 全国には,山水閣よりも湧出量が少ないのに客室数が多い大規模旅館も存在する。収容人員が大きくな り,風呂の数も増えれば,放流循環併用式では間に合わず,循環ろ過方式のみで浴槽が維持されるところ も当然出てくる。高度経済成長期やバブル期に増築,ないしは新館・別館を建てた旅館については,当然, 湯量不足,循環ろ過方式の採用とならざるを得ない。先に挙げたような旅行形態の団体客にあってはそれ で一向に構わない。温泉による療養・保養を求めるよりは,観光ルートの中で便宜上,その温泉旅館に泊 まっているだけかもしれないからである。あるいは,宴会で盛り上がることの方に目的があるかもしれな いからである。 日本の社会構造を反映するこうした旅行形態ばかりでなく,自覚的に旅行先を自ら選んでいる個人・グ ループ客においても,温泉の用途の多様化は進んでいる。 旅行会社の出している個人向け温泉旅館のパンフレットを見るとどのような要望に応えようとしている のかよく分かる。例えば,設備面での願望の実現は全国さまざまである。庭と露天風呂付き離れ,ランプ で明かりを取るノスタルジックな宿を謳いながら露天風呂とプール付きの客室,緑あふれる1万坪の敷地 にわずか10室の宿,富士山を眺める大浴場,日本海特有の舟屋を模した(露天風呂付き)客室,数寄屋造 りの落ち着いた和室,芦ノ湖を眺望できる開放感あふれる露天風呂,檜の露天風呂付き客室,エステサロ ンの設置,等々意匠には尽きるところがない。ここでは泉質や利用形態よりも,設備・環境面で人工的に ― 24 ― 温泉新時代の本質Ⅰ 宿泊客に満足してもらおうとという発想が濃厚である。 設備面ばかりではない。旬の食材を活かした会席料理が目当ての宿泊客は温泉の利用形態にはさほど重 点を置いていないかもしれない。兵庫,島根,鳥取の日本海側でカニが水揚げされる地域の温泉旅館では, カニ漁解禁の11月初旬から宿泊代金が1万円高くなる。旬のものをその土地で食べることの方が温泉の利 用形態よりも,季節的には重要視されるケースである。宿泊客がそのような意向を持っており,旅館側も それに応える高額の食事メニューを提供する。温泉の誘引力よりもカニの誘引力の方が優勢なのである。 このように温泉の用途が分散・多様化してくるとき,源泉そのままのかけ流しにばかりこだわり,その ような入浴客しか想定しないとすれば,全国のかなりの数の温泉旅館は立ち行かなくなってしまう。甘露 寺泰雄の次のような比喩が筆者には適切であると思える。 (……)温泉には使い方によってある程度のバリエーションがある。たとえば魚だって生で食べるだ けでなく煮るなり焼くなりと人間はいろいろなバリエーションを生み出してきた。これは天然物を利 用することに対して,人間がとってきた一つの流れであるという大前提です。温泉はどちらかといえ ば,自然湧出そのままの風呂に入るのが一番ですが,社会の実際においてはそれだけで済ませられる 問題ではない。だから,バリエーションのなかで選択しながら,いろいろと考えてみて下さいよと。 そういう立場を僕はとっています。(松田 ・ 阿岸 ・ 大河内 ・ 甘露寺2005:73) 温泉旅館のみではなく,温泉地自体にとっても源泉かけ流しを売り物にするのではない著名温泉地は存 在する。その代表例は城崎温泉である。(もちろん,逆に,2008年に第4回源泉かけ流し全国温泉サミッ トを開催した長野県野沢温泉のように,自然湧出の源泉かけ流しをアピールする温泉地もある。奈良県十 津川温泉のように,新たに地域ぐるみで源泉かけ流しを宣言するケースもある。) 城崎でも,もともとは伝統的な温泉集落の構造となっていた。中央に共同浴場があり,その周囲に有力 旅館ができるという構造である。その形式が大正14年5月の大地震によって変化を蒙ることになった。 「震 災で恒産の全部を失った」旅館三木屋の当主が,多くの従業員の家族を扶養しなければならないからとい う理由で,内湯の設置を宣言したからである。その後の経緯はここでは省略するが,最終的には,城崎温 泉は新泉源の発見により,温泉の利用権は湯島財産区で管理し,湯は一カ所に集めて配湯するという,権 利と湯の両面の集中管理方式(=城崎方式と呼ばれる)を採用する。共同浴場である外湯も,旅館の内湯 もそこから給湯される。1965年には外湯7カ所,旅館67軒へ給湯していた。この時点では,給湯は一方通 行で,客が少なく湯量がそれほど必要でないときは,不要な分を垂れ流していた。しかし,82年には循環 方式による給湯が開始される。180トンの貯湯タンクから出る総延長4.4キロの配湯管はタンクにまた戻る ようになっており,各旅館は必要なときには水道水を出すように浴槽に湯を入れ,必要でないとき湯は貯 湯タンクに戻る。この方式により,それまで1日1,200トン使っていた湯量は700トン余りで済むように なったという。(神戸新聞但馬総局2005:166–167,192–194) この城崎の方式に対しては,地域資源として必ずしも豊かではない温泉を有効活用するものとして高い 評価がある一方で,「源泉かけ流し主義」の立場から松田忠徳による厳しい批判が出た(松田2001)。複数 泉源の湯を混ぜたり,循環方式で入れた湯を,外湯がその施設自体でも循環ろ過方式で使っているからで ある。塩素系薬剤も当然ながら投入される。松田の立場からすれば,それは本物の温泉とは言いがたいも のとなる。もちろんこれに対しては,先に検証した「泉質の変化」の項との関連でいえば,「炭酸泉やラ ドン泉は泉源に近い湯へのこだわりが求められるものの,城崎のような食塩泉は集中管理で泉質変化はほ とんどなく,泉源ごとの泉質に大きな差はない」(神戸新聞但馬総局2005:238),との見方もできる。 おそらく,城崎を泉質という観点からのみ論ずることは適切ではない。城崎を観光という社会現象が発 ― 25 ― 地域総合研究 第36巻 第1・2号合併号(2009年) 生する場として捉えなおすと,まったく異なる様相が見えるからである。そうした視点からは,城崎は ゆっくり歩いてみたい町並み景観に優れた町,だということになる。旅行会社のパンフレットやガイド ブックは,例外なく大谿川沿いの景観を載せている。「浴衣の似合う町」という定評もある。こうした外 観の魅力は,その形成過程が情報発信されることでより魅力を増すはずである。そのことはすでに全国各 地で立証されている。湯布院(現:由布市),長浜,黒川温泉,越谷…いずれも現在ある地域の形成過程 が広く知られることでその観光的魅力を増した所である。 城崎の町並みがスッキリしているのは,有志による電柱・電線の地中化運動の成果によるところが大き い。しかしそれ以上に歴史として城崎が誇るべき,内湯騒動・裁判を経た和解という経過が存在する。そ のことが新泉源の発掘から,現在の外湯と旅館の内湯への給湯という集中管理システム完成につながって いくのである。地域の有力観光企業が地域社会とのつながりを適切なものにし得なかったため,その地域 全体が観光地として沈滞するという例は珍しくない。内湯設置は正当だという裁判に勝った旅館が,その 主張を強引に進めるのではないかたちで和解したことは,いま城崎が誇るべき歴史として観光的に価値を 生み出すはずである。城崎については別な機会に詳細に論ずることとするが,ここでは,温泉観光地のあ り方として,源泉かけ流しに頼るだけが方法ではないのだということを確認しておきたい。 (以下次号) 参考文献 石川理夫 2006「温泉教授本のパッチワーク的温泉言説と湯治“文化論”の陥穽」『温泉地域研究』7号 pp1–14 環境省 2004『温泉の保護と利用に関する課題について』環境省 甘露寺泰雄 2006「源泉主義――泉質の本当の意味を知ろう――」『温泉』2006年6月号 神戸新聞但馬総局 2005『城崎物語 改訂版』神戸新聞総合出版センター 佐々木美江 ・ 田村広子 ・ 畠山敬 ・ 谷津寿郎 ・ 秋山和夫 2006「掛け流し式温泉における微生物生息状況」『宮城県保 健環境センター年報』第24号 pp55–57 佐々木美江 ・ 高橋惠美 ・ 三品道子 ・ 畠山敬 ・ 上村弘 ・ 谷津寿郎 ・ 齋藤紀行 2007「レジオネラ属菌の衛生管理に関す る研究」『宮城県保健環境センター年報』第25号 pp38–40 JAF 2004『源泉の湯宿めぐり』(北海道・東北編)JAF 出版社 新城常三 1971『庶民と旅の歴史』日本放送出版協 日本温泉科学会編 2005『温泉学入門』コロナ社 (社)日本温泉協会 2006『温泉 自然と文化』(社)日本温泉協会 (社)日本温泉協会温泉研究会 1957/2004『温泉必携』(社)日本温泉協会 野口悦男 2000『日本百名湯 源泉の宿』(東日本編・西日本編)山と渓谷社 松田忠徳 2001『温泉教授の温泉ゼミナール』光文社 2002a『温泉力』集英社 2002b『温泉教授の日本全国温泉ガイド』光文社 2004『検証 黒川と由布院』熊本日日新聞社 松田忠徳・阿岸祐幸・大河内正一・甘露寺泰雄 2005『温泉の未来』くまざさ出版社 山村順次 1995『新観光地理学』大明堂 1998『新版 日本の温泉地』(社)日本温泉協会 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