全肢P連(熊本大会)報告(PDF)

第58回 全国肢体不自由特別支援学校
PTA 連合会総会および PTA・校長会合同研修会
「熊本大会」報告書
期日
会場
平成 27 年 8 月 20 日(木)~8 月 22 日(土)
ANAクラウンプラザホテル熊本ニュースカイ
熊本県で行われた全肢P連熊本大会に参加して
きました。九州新幹線が開通したおかげで、徳山か
ら 1 時間半ぐらいで到着でき、日帰り参加も可能で、
熊本がとても近くなったなと感じました。
本校は、進路についての分科会で「発表」とその後
の「研究協議の司会」いう大役を引き受けていました。
当日は発表もきちんとでき、話し合いも充実したものと
なり、その責任を果たすことができました。これも、発
表に向けた準備段階でのアンケートをはじめ、発表に
協力していただいたPTAの皆様のおかげだと思いま
す。ありがとうございました。
大会での楽しい土産話もたくさんあります。また、
いろいろな機会でお話ししたいと思います。
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特別支援教育の動向と
肢体不自由教育の課題
文部科学省初等中等教育局特別支援教育課
特別支援教育調査官 分藤賢之
感想
2 日目の基調講演から参加しました。
文部科学省初等中等教育局特別支援教育課 特別支援教育調査官 分藤賢之
氏を講師に迎え、「特別支援教育の動向と肢体不自由教育の課題」をテーマに
講演していただきました。
変化の激しい世の中をどの様に生きていくのか、学校、家庭にどの様な役割
があるのか。
6・3・3 の 12 年間はあっと言う間。保護者と学校の連携の大切さなど、卒業
してからの進路選択を親と子と学校と、どのように進めて行けば良いのかな
ど、とても、身につまされるお話でした。
後半は障害者の権利や条約など、普段耳にしない法律の事を詳しく説明して
くださり、とても勉強になりました。
全肢 P 連という事で、とても多くの人が来場されていて、圧倒されてしまい
ましたが、有意義な 1 時間を過ごす事が出来ました。
PTA副会長
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第4分科会(進路)
本校発表中
我が校の発表の前に、指導助言者の講話がありました。
厚生労働省職業安定局障害者雇用対策課地域就労支援室障害者雇用専門官
名倉彰子氏を迎え、
「子供達の社会参加と自立の実現を目指しライフステージに合
わせた支援をどのように行っていくのか」をテーマに講演して下さいました。
雇用の現状やこの先の見通しについて、法律を交えたとてもリアルな数字やグ
ラフで紹介していただきました。
「就学中の職業訓練や実習は、企業にとっても本人にとっても、とても大切。」と
いうことが心に残りました。我が子に何が出来るのか、何をすべきか、真剣に考
えなくてはいけないと改めて感じました。
その後、いよいよ発表となりました。
講話の時の雰囲気とは一変し、発表内容についての質問や、他県、他校の取組
について、活発な意見交換がなされました。
本校での取組もしっかり紹介する事ができました。他校からいただいた意見な
ど、今後の進路選択の際に少しでも生かせていければと思います。
PTA副会長
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講演「夢のたからばこ」
保護者
柴田直美
九州ルーテル学院大学3年
柴田美優
この講演は、お母さんと美優さんによる夢に向けての今日までの成長の記録です。
美優さんは生後4ヶ月の時にウイルス性脳炎を発症し、後遺症で重度の四肢麻痺、
そして発話障害となり、言葉での会話が難しく、現在は指を利用して手のひらに文
字を書いて相手に意思を伝える「指文字」で講演してくださいました。
また、指文字の支援に熊本県立松橋支援
学校時代にお世話になった先生方2名も
協力に来られました。
○美優さん指文字にて
「みなさん、おはようございます。
柴田美優と言います。今日はお集まり
いただいてありがとうございます。
たくさん話をして、みなさんの元気
のもとになれば嬉しいです。よろし
くお願いします。」
○美優さんの経歴
小学部、中学部、高等部と熊本県立
松橋支援学校にてお世話になり、
現在、九州ルーテル学院大学3年生
○直美さん(お母さんの言葉)
美優は、生後4ヶ月ごろ、体調に異変があらわれ、病院に行き、風邪と診断され
ました。その5日後には危篤状態となり、4件目の病院で「ウイルス性脳炎」と診
断されました。
「子どもは元気に育つのがあたりまえ。」と考えていた家族はショッ
クで言葉になりませんでした。しかし、ICU室で一生懸命に生きようとする娘の
姿を見て、「どのような状態でもいいから生きて!」と切に願い、3日後に「もう
大丈夫ですよ。」と主治医に言われた時は、手を取り合って喜びました。ICU室
から一般病床に移るときには、看護士さんに「お母さん、これからが大変ですよ。」
と言われました。当時の私は、その言葉の本当の意味がよく分かっていなかったの
だと思います。
娘の状態は、首座りがとれてしまい、手を固く握ったまま泣いてばかり・・・。
健常児のころは、熟睡できていたのに、どうして寝ないのだろう?・・・。
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脳が損傷してしまうと、睡眠にも影響がでることを、初めて知りました。それ
くらい障害に対して無知な私でした。仕事をしていた私は、娘を他の人に任せら
れる状態ではなかったので、仕事を辞めました。しかし、どのような状態になっ
ても、「娘がかわいい。」という気持ちは全く変わりませんでした。当時、まだ乳
児だったので、
「まだリハビリを頑張ればどうにかなる。」
・・・という希望の方が
大きかったように思います。
そんな中、まず私が最初にやったことは、図書館通いでした。図書館で「障害」、
「後遺症」
「脳性マヒ」等を探しました。すると、その中には「完治しない」
「長生
きできない」等、絶望的な事ばかりが書いてありました。もともと楽観的な私は、
それらの言葉は頭の隅に追いやって、「NO」という言葉を探し始めました。する
と希望を持てる言葉がたくさんでてきました。それと私はテレビの「脳関連」のも
のをひたすら探して観ました。何故そこまでしたかというと、娘が危篤状態の時、
私ができる事が全く無く、とても悔しい思いをしたからです。
いろいろな本を読む中で、まず自分の娘の障害の状況を知るという事が一番大事
ということが、わかってきました。これとプラス、病院のリハビリを続けながら知
的な部分を伸ばすことにしました。絵カード、文字カード、絵本等を見せはじめた
のは生後9ヶ月ごろだったと思います。毎日絵本は3冊以上、カードはかぞえる事
ができないくらい見せてきました。これを6歳ころまで続けました。言葉を話せる
保証はありませんでしたが、たくさんの情報を入力しておけば、いつか出力できる
ようになる、絶対に役立つ、と考えました。このころ、私が子育てをしながら気を
つけていた事が2つあります。
1つ目は、「できない」という言葉をなるべく娘の前で使わないことです。でき
ないと言葉にする事で娘があきらめてしまうからです。できない事を教えるより、
できる事を教える。その方が毎日を楽しく過ごせる。とにかく、私は可能性を信じ
て生きていたように思います。
2つ目は、「選択肢を与える」ということです。洋服を選ばせたり、買い物に行
く?行かない?…等、簡単なことばかりです。娘が笑顔や視線で合図をしてくれま
した。学校選びの時も、娘が松橋支援学校に一番の笑顔をしてくれたのが決め手で
す。今でも娘が松橋支援学校を選んでくれたと思います。松橋支援学校にして先生
方の協力のもと、娘はぐんぐんと成長していきました。パソコンを使っての文字入
力方法、先生方にアドバイスをもらい、入力一行に一時間以上かけて一生懸命がん
ばりました。
そして指文字も・・・。最初は「れ」と「わ」を先生方が読み取れず苦労もあり
ました。でも、美優は自分の思いが相手に通じる喜びが生まれ、勉強も人一倍頑張
り、小学校5年生の時には、遅れがちだったのが、同学年と同じくらいまで追いつ
きました。自分の思いや感情が相手に伝わり、その喜びとともに希望の道が開き、
毎日を大事に前向きな気持ちを持ち続け、今現在「心理カウンセラー」になる夢に
向かい頑張っています。
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○感想
美優さんは、この大きな夢に向けて日々自己研鑽にはげみ、努力されています。
この講演で美優さんは生きていく上で大切にしていることが3つあるとお話くだ
さいました。
① いつも夢を持つこと
② 周りの人に感謝を忘れないこと
③ 出会いを大切にすること
これを聞いて思いました。
「夢を持つことは誰にもできる。しかし、それを現実にするための努力!そして実
際に少しずつ現実に近づいている。」それに対していつも協力してくれているお母
さん達、周りへの感謝の気持ち・・・簡単なようでなかなかできることではありま
せん。美優さんは、そんな気持ちを心に持ちつつ、一歩ずつ夢に向かい前進されて
います。
自分の子どもも脳室周囲白質軟化症(PVL)により足に障害をかかえています。
自分なりに今日まで、できる可能性に向けて頑張ってきました。でも、これは自分
一人の思いや感情を子どもにやらせていただけのように思えてきました。これから
は、子どもともっとしっかり会話をし、夢を発見し、それに向けて親と子が力を合
わせ、たくさんのことにチャレンジしつつ、周りの人たちにも感謝の気持ちを忘れ
ず、前進していこうと思いました。
お母様の娘に対する前向きな思いと苦労を感じさせない頑張り、そして美優さん
の素晴らしい夢に向かっての頑張り。とても素敵なお話を聞かせていただきまし
た。
最後にスペシャルゲスト「くまもん」登場!
「夢のたからばこ」
美優さんと記念の一枚
初の全肢P連、非常に良い勉強になりました。
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PTA役員