第 回 わか む しゃ え 一 枚 の 若 武 者 絵 を このお話をお聞きになられ心を痛められ た 門 祖 聖 人 。 し か し 、 出 家︵ 僧 侶 ︶ の 身 で あ る た め 、 家 老 の 元 成 の お 願い に 応 じ る こ とが出来なかったんだ。 永 二 十 三 年︵ 一 四 一 六 ︶、 門 祖 日 さて応 そ こ で 一 枚 の﹁ 若 武 者 絵 ﹂ を 取 り 出 し、 隆 聖 人 が 三 十 二 歳 の 時、 門 祖 聖 人 の 故 郷 それを家老の元成に手渡されたんだ。その 絵は、門祖聖人が、まだ出家する前の十二 ▼1支 大津・佛立寺 気をつけて! 会館1階の玄関と食堂 の掃き出し戸、事務所の ▼5支 千葉・歓照寺 お墓の買い方 当山の責任役員の小林 隆氏が、 ﹁はじめてのお 墓の買い方﹂という本を 氏が受賞された。多年に 執筆した。 例の失敗事 わたり、政治・経済・司 例からお墓購入の落とし 法・教育・福祉・民間等 穴を学ぶよう説明された の分野において指導教育 本。この本が講談社出版 外窓と小窓、本堂への出 された功績を讃えられた より1冊1200円で発 には、地震時のガラス飛 の越中︵富山県︶の生家︵桃井家︶に悲劇 歳の時の姿 を 描かれたもので、鎧 兜 に 身 を ▼2支 大阪・信光寺 サマースクールを開催 8月 ・ 日に第3回 サマースクールイン信光 ながら、言葉は通じない ︵妙玉寺通信・7月号︶ ブラジル巡教の写真を見 んで随喜申し上げる。 き7年前の小山御講尊の りをご有志下さった。謹 参詣後、お供養をいただ 人が、催事用テント2張 ︵佛立寺報・8月号︶ 期参詣にお参りされた。 治氏と池田雅春氏のお2 ︵乗泉寺通信・8月号︶ は。参考になりますよ。 が 起 こるんだ。これを﹁桃井 騒 動 ﹂ と 言 う 入り口のガラス戸の内側 賞。お祝い申し上げる。 売された。購入してみて んだけど、今回はこの﹁桃井騒動﹂につい なんだよ。 固 め、馬 に 跨 った、勇 ま し い 若 武 者 姿 の 絵 て見てみよう。 門 祖 聖 人 は ﹁ こ の 絵 を 私 の 身代 わ り と 思 いなさい。そして、これを越中に持ち帰り 桃井家を復興しなさい。たくさんの兵が集 ま り、 反 乱 者 を 治 め る こ と が 出 来 ま す よ ﹂ と家老の元成に言ったんだ。 気をつけて! 散防止のため多重層フィ ▼5支 東京・清雄寺 ︵歓照寺報・8月号︶ ブラジルから夏期参詣 ▼6支 埼玉・妙玉寺 ルムが施工された。掃除 ブラジルの如蓮寺より 時には、このフィルムに 催事用テントのご有志 このたび﹁無事勤務成 傷が付かないよう十分に グラサニー・サントスさ ん一家4名が、当山の夏 就﹂の御礼として関根敬 元成という人だったんだ。 こ の 故 郷 の 家臣 の 突然 の 訪問 に 、 門 祖 聖 人が﹁どうしたのか?﹂とお尋ね に な ら れ 元成は、喜びいさんで国に帰り、門祖聖 人の﹁若武者絵﹂を皆に見せ、たくさんの メディアカンパニー ると、家臣の中村元成は、こんなふうに言 〒604-0847 京都市中京区烏丸通二条下ル秋野々町 518 番地 (代) TEL:(075)254-7899 ったんだ⋮ 一族を集め、反乱者の元助を無事に退治す 創業明治元年─お客様の要望に技術で応える。 騒 動 らい 喜んで承ります。 桃 井 け 昔 の 家 来 が 訪 れ る ることが出来たんだよ。 寺を開催する。今年も信 が身振り手振りでコミュ ▼ 支 神戸・大法寺 行練習、お習字、焼き板 ニケーションを取った。 水彩画のご有志 づくり等、楽しい企画が 一家は日本に2週間滞在 国画会会員の工藤秀策 いっぱい。もちろん夏休 し、日本の各地の寺院に 氏が 号の大きな水彩画 をご有志下さった。当山 ︵清雄寺通信・8月号︶ の開導会で奥さんの賀代 みの宿題もやるので多く 参詣されるそうだ。 の参加を。 ホームページ制作まで。 26 ︵信光寺報・8月号︶ ▼5支 東京・立正寺 子さんに感謝状を授与さ ▼3支 名古屋・佛立寺 お花のご有志を! せていただいた。早速、 気温が上がってくると 本堂階段に飾らさせてい 門祖550のご有志 本堂の釣灯籠が老朽化 お花が傷みやすくなる。 ただいたのでご覧あれ! のため落下した。また花 本堂御宝前のお花をいつ ︵大法寺報・8月号︶ 立も損傷しているので、 もキレイにさせていただ 門祖550記念報恩ご奉 くため、ご有志を募って 公として新調させていた いる。当寺ではお花のご だくことになった。①目 有志は女性信徒がさせて 万円、 ている。小さな子から年 H ・7月∼ 月末。③ ご有志に気張らせていた ︵立正寺通信・7月号︶ 奉納方法は1口1万円。 だこう。 1人でも多くの奉納を。 ︵天華・8月号︶ ▼5支 東京・信泉寺 ▼5支 東京・乗泉寺 トマトが実りました 門祖会で新1年生が植 東久邇宮記念賞を受賞 4月 日、新宿京王プ えたミニトマト。壮年会 ラザで東久邇宮記念賞授 や婦人会の日々の手入れ 宮記念賞とは、皇族の3 山つけてくれた。只今、 大記念賞の内の1つと言 チョットした喜びの輪が ︵信泉寺報・8月号︶ われる栄えある賞だが、 広がっている。 その賞を当山の山田純造 京都 大阪 東京 名古屋 11 30 ﹁ 今、 日 隆 さ ま の ご 生 家 の 桃 井 家 は、 家 臣 の 中 村 元 助 と い う 者 が 反 乱 を 起こし、当 この時の家老の中村元成は、門祖聖人の勧 この 様 に 桃 井 家の反 乱︵ 桃 井 騒 動 ︶は、 主︵桃井家の主︶を追い払い、屋敷も奪い、 門 祖 聖 人 の お 陰 で 無 事 に 落 着 く ん だ け ど、 大 切 な 土 地 も 奪ってしまった。恥 ず か し な めにより、後 に出家され﹁日 永 ﹂ と 名 乗 ら 先 君︵ 門 祖 聖 人 の お 父 さ ん ︶ か ら 預 か っ た い姿の一人の男がやって来たんだ。そして、 こんな姿となってしまった﹂ がらこの私も、反乱者の元助に追い出され、 ある日、京都・本応寺︵本能寺︶にいら し た 門 祖 聖 人 の も と に、 大 変 み す ぼ ら し 門祖聖人にぜひともお目にかかりたいと言 れ る ん だ。 そ し て 桃 井 家 の 館 に 元 成 寺 と うんだよ。 いうお寺を創建したと言われているんだよ。 が創建されたと伝えられている。 ※ こ の 元 成 寺 は や が て 高岡 市 に 移 り 本光 の 皆が元気を取り戻し、兵 力も集まり、反 寺 に 改 名 し、 そ の 元 成 寺 の 跡 地 に 誕 生 寺 乱者の元助を直 ち に 退 治 す る こ と が 出 来 る でしょう﹂ と涙を流しながら訴えられたんだ。 万円、花立 標金額150万円︵釣灯 いただくのが伝統となっ 籠 50 ビデオのデザイン印刷から、 12 10 与式が行われた。東久邇 の成果で真っ赤な実を沢 18 パンフレット・機関紙・社史 9 門祖聖人が、この男に会ってみると、そ ﹁ ど う ぞ 日 隆 さ ま! 故 郷 に お 帰 り 下 さ れ は 何 と 、 門 祖 聖 人 の 越 中︵ 富 山 県 ︶ の 生 い。日隆さまさえお戻りいただけば、一 族 家︵桃井家︶で家老として仕えていた中村 家老の中村元成が門祖聖人を訪れて… 11 消費税︶ 。②奉納期間は 配の方まで、女性信徒は 90 24 桃井騒動を治めるために門祖聖人が渡された若武者絵。 (これは開導聖人が安政六年にお描き写しなされたもの) 平成 24 年9月1日 土曜日 (毎月 1 回 1 日発行) (8) 聞 新 立 佛 第 6 3 3 号 (昭和 41 年 6 月 17 日第三種郵便物認可)
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