古代地中海世界のヘレニズム期の家型墓に関する研究 ―墓室の位置と

古代地中海世界のヘレニズム期の家型墓に関する研究
―墓室の位置とポディウムの使用に着目した家型墓の地域性と時代性―
星
1
3
はじめに
ギリシア建築は、統一性を主体とした建築であるとい
彩佳(黒澤研究室)
ヘレニズム期の家型墓の形態的特徴の整理
3-1 家型墓の分布状況とファサードの方位
われてきた。しかし、地中海世界におけるヘレニズム期
現時点における家型墓の報告数は 36 基で、東はバク
の墓は、自由な設計に基づく、豊富な建築形態を持って
トリア、西はマウレタニアに至るまで広範囲に亘って確
いる。このヘレニズム期の墓によって、育まれた豊富な
認されている。最も報告数が多い地域は、小アジアのカ
建築形態は、その後のローマ建築の成立へと大きな影響
リアやリキア、そしてキュレナイカである。
家型墓は、紀元前3世紀以前には、主に小アジアやコ
を及ぼしたことは想像に難くない。
しかしながら、ヘレニズム期の墓を網羅的に扱った研
究は 1990 年のフェダック
1)
と、2005 年の武田
2)
による
ス島、ギリシア本土、マケドニア、キュレナイカ、トリ
ポリタニア、エジプトとバクトリアで建造が確認されて
ものしかない。フェダックは、「ヘレニズム期の墓には、
いる。紀元前2世紀以降になると、これらの地域では少
地域性や時代性が認められ、その形態に確かな傾向と偏
なくなり、イタリア、シリア、ヌミディアやマウレタニ
りを見出すことが出来る。」と結論付けている 3) が、そ
アでの建造が確認されるようになる。ヘレニズム期の家
の形態の傾向や偏りがどのようなものであるかは、具体
型墓の建造は、紀元前3∼2世紀を境に、その中心地を
的に示されていない。この結論を受け、武田は、円柱の
変化させていると見ることが出来る。
使用に見られる家型墓の地域性と時代性を明らかにした。
このように、ヘレニズム期の墓に関する研究は初期段
また、家型墓のファサードの方位に着目すると、方位
が確認できた 19 基6)のうち、11 基が東を向き、西を向
階にある。そのため、現時点でヘレニズム期の墓を体系
いている墓の報告は全くなかった。ヒポクラテス7)は、
化し、建築史の流れの中に組み込むことは難しい。そこ
町の方位に関する記述として「東向きの町は、健康的で
で、本研究では、先述のフェダックの結論を受けて、形
清潔であり、西向きの町は不潔で不健康。」であるとし、
態的特徴の整理を行うこととする。ただし、へレニズム
またヴィトルヴィウスも、神殿の方位を東向きとする必
期の墓は、その正確な数は完全に把握されていないが、
要性を伝えている8)。これらに見られるように、古代地
少なくとも 130 基以上は存在し、多種多様な外観を持っ
中海世界の人々は、方位に対する意識を明確に持ってい
ている。従って、闇雲に形態的な特徴を捉えようとして
たので、墓の設計の際にも何かしらの理由、例えば「西
も、その作業は困難なものとなる。よって本稿では、次
は不浄で、東は清浄」として、西向きを避けて、主に東
項に述べる形態分類によって扱う墓の数を絞り込み、墓
向きを選択した可能性がある。
室の位置とポディウムの使用にみられる家型墓の地域性
と時代性を明らかにすることを目的とする。
3-2 墓室の位置とポディウムの使用に着目した家型
墓の地域性と時代性
2
ヘレニズム期の墓の形態分類と家型墓の定義
家型墓は通常、地上に壁に囲まれた室を持つので、埋
ヘレニズム期の墓の形態分類は、暫定的なものとしな
葬はその地上に設けられた室で行われるのが自然である
がらも、フェダックによって提案されている4)。氏の分
ように思われる。しかし、家型墓には、地上に墓室を持
類は、構造を基準に「家型墓、墳墓、磨崖墓、複合墓」
つもの(18 基)と地下に墓室を持つもの(11 基)があ
の4つに分類し、それを更に形態に拠って分類するとい
る9)。この家型墓の墓室の位置の違いに以下のような地
うものであり、構造を基準にした分類は、個人の主観に
域性を見出すことができる。
拠らずに墓を分類できるものとなっている。そこで本稿
紀元前3世紀以前は、地上に墓室を持つ家型墓が建設
では、フェダックの構造を基準とした4つの分類を採用
されたのは、小アジアとキュレナイカのみである。また、
し、家型墓の地域性と時代性について検討を行う。なお、
地下に墓室を持つ家型墓は、ギリシア、ギリシアの移民
家型墓とは、
「地上に切石積みで建造された墓」を指す5)。
都市のあるコス島、エジプトやバクトリア、トリポリタ
ニアで報告されている。小アジアのリキアでは、ペルシ
アの影響を受け、特別な宗教理由により地上に埋葬する
ということが支配的な習慣であった
10) と伝えられてお
り、石棺を地上に持ち上げるリキア式石棺墓が伝統的に
建造されてきた。それに対して、ギリシア人は、死者の
霊を落ち着かせるという意味で、埋葬は地下で行う習慣
図1 形態分類の例(左から家型墓、墳墓、磨崖墓、複合墓)
があった 11)。小アジアのリキア以外の地域、キュレナイ
地域
番号
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
25
24
26
27
28
29
30
31
32
33
34
35
36
ギリシア本土
マケドニア
コス島
リキア
リュディア
小アジア
カリア
キリキア
イタリア
シシリー
エジプト
キュレナイカ
トリポリタニア
ヌミディア
マウレタニア
シリア
バクトリア
表1
ヘレニズム期の家型墓 表内記号(○;有、×;無、−;不明、*;現地調査により)
墓名
建設場所
建設年代
方角
The Tomb at Kallithea
Grave Monument Ⅰ
Grave MonumentalⅡ
Grave Monumental Ⅲ
Lion Tomb
Charmyleion
Nereid Monument
Heroon at Limyra
Tower Tomb
monumental tomb at Alinda
The Belevi Mausoleum
Mausoleum
monumental tomb
Ta Marmara
heroon on the theater hill
partly rebuilt tomb
Lion Tomb at Knidos
tower tomb
tomb of C.P.Bibulus
tomb of M.Vergilius Eurysaces
tomb of Theron
Lighthouse Tomb
Tomb E19
tomb N180
temple tomb
temple tomb
monumental elevated sarophagl
tower tomb
Mausoleum B
tomb of Ateban
Es Souma
tomb of Massylian King
tomb of Hamrath
monumental tomb
commemorative/funerary monument
temple tomb
Kallithea
Messene
Messene
Messene
Amphipolis
Island of Kos
Xanthos
Limyra
Golbasi-Trysa
Alinda
Ephesos
Halikarnassos
Labraynda
Dydima
Miletos
Turgut
Knidos
Diocaesarea
Rome
Rome
Akragas
Taposiris Magna
Cyrene
Cyrene
Zawani
Zawani
Gasr Gebra
Ptolemais
Sabratha
Dugga
El khroub
Siga
Sweida
Hermel
Kalat Fakra
AI-Khanoum
紀元前4世紀後半
紀元前4世紀∼3世紀初頭
紀元前3世紀
紀元前200年頃
紀元前4世紀後半∼3世紀初期
紀元前300年頃
紀元前4世紀初期
紀元前4世紀
紀元前360年ごろ
紀元前4世紀
紀元前3∼2世紀
紀元前4世紀
紀元前4世紀
紀元前2世紀以降
紀元前4世紀後半
紀元前4世紀後半∼3世紀初期
紀元前1世紀初期
紀元前2世紀前半
紀元前30年ごろ
紀元前3∼1世紀
紀元前3世紀初期
紀元前4∼3世紀
紀元前3世紀以降
紀元前4∼3世紀
紀元前4∼3世紀
紀元前4∼3世紀
紀元前2世紀前半
紀元前3世紀以内
3世紀以降
紀元前3世紀∼2世紀
紀元前1世紀
紀元前41−56年
紀元前3世紀初期
東
東
東
北
北
東
南
東
北
東
東
南
東
南
南*
北
東
東
東
墓室の位置 ポディウム
地下
地下
地下
地下
地下
地上
地上
地上
地上
地上
地上
地上
地上
地上
地上
地上
地上
地下
地上
地上
地上
地上
地上
地上
地下
地下
地下
地下
地下
○
×
×
×
○
○
○
○
○
○
○
○
○
×
○
○
○
○
○
○
×
×
×
×
×
○
○
×
○
×
○
×
○
○
出典12)
Fedak1990,pp.103-104
伊藤2002,pp.4-15
伊藤2002,pp.16-20
伊藤2002,pp.21-56
Broneer1941,pp.14-41
Fedak1990,pp.82-83
Fedak1990,pp.66-68
Fedak1990,pp.68-71
Fedak1990,pp.88-91
Fedak1990,p.78
Fedak1990,pp.79-82
Fedak1990,pp.71-74
Fedak1990,pp.74-76
Fedak1990,p.87
Fedak1990,pp.92-94
Fedak1990,p.78
Fedak1990,pp.76-78
Fedak1990,p.88
Fedak1990,pp.124-125
Fedak1990,p.126
Fedak1990,pp.125-126
Fedak1990,p.133
Fedak1990,p.127
Fedak1990,p.127
Fedak1990,pp.126-127
Fedak1990,pp.126-127
Fedak1990,p.127
Fedak1990,pp.128-129
Fedak1990,p.134
Fedak1990,pp.135-136
Fedak1990,pp.136-137
Fedak1990,pp.134-135
Fedak1990,pp.148-149
Fedak1990,pp.149-150
Fedak1990,p.150
Fedak1990,pp.158-159
カ、バクトリア、エジプトのタポシリス・マグナの埋葬
ヌミディア、マウレタニアへと、その中心地を変化さ
習慣については詳しい調査を行う必要があるが、今のと
せているといえる。
ころ、これら以外の地域では、家型墓の墓室の位置と埋
葬習慣に相関を見ることができる。
2)
家型墓の多く(11/19 基)は、東向きのファサード
を持ち、西向きのものは報告されていない。
紀元前3世紀以降になると、シシリーやヌミディア、
3) 家型墓には、地上に墓室を持つ家型墓と地下に墓室
シリア、マウレタニアで、伝統的な埋葬習慣に反する位
を持つものがあり、墓室の位置の違いに地域性と時代
置に墓室を持つ家型墓の使用が見られるようになる。こ
性を見出すことができる。
れらの墓は、時代が降って他地域との文化や人の交流が
4) 紀元前3世紀以前は、ギリシア本土、コス島、リキ
益々盛んになったため、埋葬に対する考え方に変化が生
アの家型墓で、墓室の位置と埋葬習慣に相関を見るこ
じ、その新しい考え方に基づいて建造されたか、あるい
とができる。
はその土地の人ではなく、他地域から移民した人の墓で
5) ポディウムの使用の観点からも地域性を見出すこと
あるといった可能性もある。いずれにせよ、紀元前3世
ができるが、紀元前3世紀を境に、その地域性は崩れ
紀を過ぎると、墓室の位置に見られる地域性は依然とし
ることとなる。
て保たれるものの、墓室の位置と埋葬習慣の相関は崩れ
ることとなる。
本研究では、ポディウムの使用の観点からも家型墓の
地域性と時代性について検討した。その結果、紀元前3
世紀以前においては、ポディウムを使用する小アジアと
コス島、マケドニア、トリポリタニア、エジプト、バク
トリア、ポディウムを使用しないメッセニアやキュレナ
イカと明確に分けられる地域性を見出すことができた。
ただし、ポディウムの使用に見られる地域性は、紀元前
3世紀以降崩れることとなる。
4
まとめ
以上、墓室の位置とポディウムの使用の観点から、家
型墓の地域性と時代性について検討した。その検討結果
を以下にまとめる。
1)
ヘレニズム期の家型墓の建設は、紀元前3世紀を境
に小アジアやコス島、マケドニア、キュレナイカ、ト
リポリタニア、バクトリアから、イタリア、シリア、
注釈
1) Fedak1990;Janos Fedak/”Monumental Tombs of the Hellenistic
Age”/TORONTO/1990
2) 武田 2005;武田明純/円柱の使用に着目した家型墓の地域性と時代
性に関する考察 ヘレニズム期の墓の地域性と時代性に関する研究
(1)/日本建築学会計画系論文集/2005
3) Fedak1990,pp.160-164
4) Fedak1990,pp.18-22
5) 武田 2005,pp.190-191;その他の3つの分類の定義は、墳墓(土を
盛った墓)、磨崖墓(岩壁に彫り込んで造られた墓)、複合墓(岩を彫
り込んで造られた部分と切石積みで造られた部分で構成される墓)で
ある。
6) 報告書にファサードの方位についての記載がない場合や、墓の倒壊
によりファサードの向きが確認できないものがあった。また、4 面が
同じ立面を持つ墓は、何れの面がファサードであるかを決定すること
ができなかった。
7) 古代ギリシアのコス島出身の医者である。
8) ウィトルーウィウス著、森田慶一訳/ウィトルーウィウス建築書/
東海大学出版会/1969,pp.191-192
9)7基の家型墓は墓室の位置が不明である。
10) Fedak1990,p.65
11) 太田秀通/ポリスの市民生活/河出書房新社/1975,p.334
12)表を作成するにあたって次のような文献を参考にした。
伊藤 2002;伊藤重剛/「ギリシア古代都市メッセネのギムナシオンにお
ける家型墓の研究」/平成 13 年度科学研究費補助金報告書/2002 、
Fedak1990 、 Broneer1941;Oscar Broneer/”The Lion Monument at
Amphipolis”/Harvard University Press/1941