同窓会報100号発刊を祝う

/阪大歯学部 H19同窓会報 100号/100号に際して カ
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阪大歯学部同窓会報
(8)第1
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0号
平成1
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0日
同窓会報100号発刊を祝う
委員長挨拶
広報委員会委員長・星ヶ丘厚生年金病院 歯科部長
増
田
典
男(19回生)
「同 窓 会 報100号」発 刊
大阪大学の学部の中では一番小さな学部ですが、
に際し、広報委員会を代表し
同窓会会員の結束力・行動力はどの学部にも負けな
てご挨拶申し上げます。
いという誇りを感じます。全国各地で活躍される会
昭 和43年「同 窓 会 ニ ュ ー
員にとって「同窓会報」は強い「絆」になっている
ス」として第1号がスタート
と信じています。情報メディアがあふれる中で、こ
し、昭和54年の3
0号から「同
の会報は表紙のタイトル字風こそ「古典的」ではあ
窓会報」と改称され、今号で
りますが、この誇るべき「大阪大学歯学部同窓会」
「100号」となりました。
大正1
5年の弓倉先生の「歯科学教室」の誕生、1
の今後の活動に少しでもお役に立てばと願う次第で
す。
回生の卒業された昭和29年春、そして今日の「新研
会員あっての会報ですので、原稿依頼など無理を
究棟・新診療棟建設」までの歯学部の歴史は80年に
お願いすることもあろうかと思いますが、皆様の同
もなります。会報の歴史はその半分の40年近くでは
窓会ですので、格別のご理解、ご協力を賜りますよ
ありますが、様々な情報を同窓会員に伝え続けた「同
うお願い申し上げます。
窓会報」の役割は非常に大きいと思います。その礎
となられた先人に対し心より敬意を表します。
最後になりますが、会員諸兄の益々のご健勝、ご
発展を心よりお祈り申し上げます。
1
0
0号に際して
元同窓会報後方支援部隊長・同窓会監事・京都市開業
平成18年1
2月初旬、増田典
男編集長から一通の封書が届
糸
井
昭
一(8回生)
でのんびりした気分で後輩と会えるのをいつも楽し
みにしていた。
いた。内容は1
00号記念号に
S36年大学を卒業してすぐ京大(医)口腔外科に
「広報委員会の先輩」として
入局した私にとって、先輩はともかく後輩と会う機
執 筆 せ よ と の こ と、大 い に
会は殆ど無かったがS52年春から同窓会の仕事をす
困 っ た。確 か に 同 窓 会 報 を
るようになって後輩とも繋がりが広がり大いに喜ん
繰って見ると最後の頁の広報
でいた。
委員欄にS56年から名を連ねていた、しかもトップ
京大時代、同じ研究グループで共に苦労した7回
に。しかし実はなにもしない委員で、当初は9回生
生の森山平八郎先生が平成元年に朝日新聞社主催の
の岡本吉照編集長に全てお願いして、私は広報の後
第6回「日本の自然フォトコンテスト」で見事最優
方支援部員みたいなものだった。S60年からは同窓
秀賞を受賞され「21世紀に残したい日本の自然」と
会副会長として広報担当ということだったが、これ
いう写真集の表紙を飾られたが、早速同窓会報60号
また実務は12回生の福西啓八編集長に頼み楽をさせ
(H1.11.3
0発刊)の表紙にも「雲海に浮かぶ石
てもらった。一番の仕事は忘年会で挨拶して部員を
鎚」として載せて頂けたことは思い出に残るうれし
慰労することであり、従って苦労した思い出は皆無
いことだった。
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0号(9)
同窓会にとって学術活動と会誌発行は二大柱とな
います。私を含め多くの会員が次号も楽しみに待っ
る重要な事業です。10
0号到達誠におめでとうござ
ていますので今後ともよろしくお願いいたします。
会館建設と共に
元同窓会報編集長・吹田市開業
岡
本
吉
照(9回生)
私が編集を担当したのが№
毎号発行日ぎりぎり間に合うよう現場の写真を撮り
3
6∼4
6(昭56.
7∼60.
3)だっ
に通ったものだった。全体が把握できるようにと薬
た。№36の表紙は「同窓会館
学部も工学部も屋上に上がらせてもらったものだ。
建設実現へ」であり、№42は
我が開業地は吹田で、工事現場まで1
0分という地の
「会館完成記念式典挙行」№
利があったから出来たことかもしれない。表紙の写
4
6は
「特集・記念会館」とあっ
真は確かに私が受け持ったが、編集作業のために診
て、完成から1年余「座談会
療研究のあと集まってもらった学内委員、或いは移
・今、会館は」でどういう様に使われているかが語
転後、足場の遠くなった吹田キャンパスへ通っても
られている。将に私の同窓会報史は会館建設と共に
らった学外委員のご苦労も忘れてはなるまい。
あった。
私の担当した最後の号(昭60.3)は会館を正面
昭5
3に学部吹田移転の計画にあわせ、同窓会館の
に据えた写真だ。冬とはいえ、植栽もまだ裸の状態
必要性が問われ、昭5
4.
1準備委員会設立、昭56.2
だ。今、同じ場所から撮れば、樹木が大きくなり、
の臨時評議委員会で実行委員会が立ち上げられた。
茂った枝に建物も半分隠されてしまうかもしれない。
これで一挙に会館建設に向けて走り出した。歯学部
20年経った今、吹田キャンパスに緑があふれている。
の吹田キャンパス移転に伴い、同窓会館を持つには
今回の100号記念原稿のため、第1号から保存し
このチャンスしかないという強い意気込みが同窓会
てある会報を引張りだした。「50号記念特集号」で
にみなぎっていた。一番の目標が資金が集められる
記念座談会があり、私も出席していた。その席で
「次
かということ。これが届かなければ同窓会の面目が
の100号には是非投稿したい」なんて言っていたら
立たない。
しい。そんなこと、まるっきり憶えていない。20年
さればキャンペーンを張るのは会報の役割と、広
も経っているんだから、自発的投稿でなかったこと
報委員会も張り切ったものだった。百聞は一見にし
はご勘弁願おう。20年なら、人を殺しても100億盗
かずと、表紙に歯学部完成予想図を掲げ、地方の同
んでも時効だ。
窓会員にも工事の進捗状況が分ってもらえればと、
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会報の更なる発展を願って
元広報担当副会長・寝屋川市開業
同窓会報が、1
00号発行と
云う事で大変素晴らしく、又
感無量の思いがあります。
竹
内
英
一(12回生)
の同窓会員の皆様に溶け込んでいると思います。
会報を隅から隅まで全部目を通す会員は、恐らく
そんなに多く無いと思います。会員の皆様も、立場
当時の同窓会柳田会長の意
や考え方が異なり会報に目を通す箇所や部分もそれ
向により、同窓会ニュースか
ぞれ異なると思われます。その様な観点から現会報
ら会報に名称変更になったの
を見ますと、非常に完成度の高い物になっておりま
が、3
0号からですが、たまた
す。しかし、時代の変化も早く大きくそれと共に会
ま広報担当常務と云う事で会報作成に携わっており
ました。
員の考え方も同様に変化しております。
又会員数の増加、女性会員の増加、更には歯科医
広報委員の皆さんと、少しでも同窓会の会員の皆
療界や大学自体の変化など、同窓会や会報を取り巻
さんに興味を持って戴き、又愛される会報にと意気
く環境も大変変って来ております。その様な観点か
込んだ事が懐かしく思い出されます。
らしますと、会報も時代に即応しながら変化又進化
現在、会報は、質量共に大変立派な物になってお
ります。これも偏に、歴代の広報関係者と現広報を
する事が必要ですし、その意味からは、まだまだ発
展途上にあると思われます。
担当されている増田常務をはじめとする広報委員会
更により良き会報にレベルアップするには、これ
の皆さんの気概と努力、そして会員の皆様の御協力
までに倍する会員の皆様の御協力と御支援が欠かせ
の賜物であると思います。
無いと思われますので、これからも会報を愛し可愛
さて、阪大歯学部同窓会報について客観的に視て
がって戴く事を心から願っております。
みますと、大変バランスがとれて片寄りが無く多く
会報50号当時の編集長として100号発刊を祝す
前同窓会報編集長・大阪市開業
福
西
啓
八(12回生)
同窓会報が1
00号を迎えた
を得られたからで、今もうれしく思い出されます。
とのこと、会報50号記念特集
そして初めて、「カラー化しますので、表紙の写真
号当時の編集長として、お祝
を」と、本学歯学部創設に立ち会われた永井
いを申し上げると共に、私の
生(S11年入・名誉会員)―故人―にお電話で依頼
跡を継いでいただいた増田典
したのが、まさに、昨日のことのように思い出され
男編集長以下、100号までの
る。「うん、いいのを送ってやるよ。少し時間がか
編集に携さわられた広報委員
かるよ。」とご快諾いただいた。そうして、数回に
の諸先生方に厚く敬意と御礼を申し上げます。
巌先
渡り長野の「あんずの里」へ出向かれ、萌え出ずる
今、改めて会報50号を手元に取り出して来ました。 春の風景を『春の息吹』と題して送っていただき、
昭和61(1
986)年6月20日発行とあり、もう、20年
巻頭を飾らせていただいた。本当に見事な表紙でし
以上前になります。金文字が「会報50号記念特集号」
た。
と輝やいております。そうして、この号だけ、表紙
創刊から50号までは、著しい変遷を見た。その辺
はカラー刷りです。それは私が、当時、広報担当常
の事情は歴代編集長らが集っていただいた5
0号記念
務理事として、本部同窓会理事会において、「会報
座談会―『同窓会報の過去・現在・未来を語る』に
が5
0号を迎えるので『会報50号記念特集号』を発刊
詳しい。「16頁を越えると費用がないと苦労したが、
したい。ついては表紙はカラー化したいので」と、
今は4
0ページを越えている」とある。そして、20年
広報予算の増額を提案し、亀田会長(当時)の了承
後の直近号(99号)では、表紙は毎号カラー化し、
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96ページと容量もほぼ倍増している。
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1)
して、多くの意見が出て歓んでいたが、やはり“マ
会報の未来を語るの件では、「テレビやインター
ンネリ化”して、しまいに、打切りましょうという
ネット(さすがにこれは掲載されていないが)と科
企画となった。同様の趣旨で『ききかじり』という
学が進んでも、生活が変っても『活字』は永遠です。
広報委員会が集めて来たニュース欄も設けたが、こ
5
0号の次の記念号は10
0号でしょう、会報はますま
れも消滅したようだ。『頑張ってます我が講座』は、
す立派なものになるでしょう」と、今日の100号が
全国各地の大学に在籍の同窓会員向けにと意図した
あるのを喝破しておられる。
頁で、『大学ニュース』とタイトルこそ異ったが、
「現在の会報はかなり完成度が高い」という意見
同じ主旨で健在である。
も出ている。5
0号と9
9号とを比較して、検証してみ
同じく同窓会員が益々増え、全国相互間での学術
よう。巻頭のカラー写真はどちらも同じ(上述)。
書や不要・必要機器の交換や、求人、求職、子息・
写真の下のもくじも同じ。次いて病院長就任の挨拶
息女間での縁談等々…と意図し、会員も2世代目の
も、叙勲祝賀会も同じ。新入会員への担任の挨拶、
方々も多いし、続くのではないかと思ったが、案外、
新入会員歓迎会、新入会員の挨拶も同じ。学術研修
これも長続きはしなかった方である。
合同講演会(99号)も同じ。臨床談
50号当時と10
0号時代と全くの様変りは、当時の
話会報告、本部の動き、支部だより、母校講座短信
増田副編集長以下広報委員の手をずい分とわずらわ
母校教室短信(99号)も同じ。われら
せた“貼校”と、今の“コンピューター編集”の違
クラス会だより(99号)、自由
いであろう。学外の広報委員の先生方は診療でお疲
席、竹節、追悼文、会員異動、広報委員だよりも同
れの所遠路はるばる北千里の歯学部記念会館に、学
じである。こうみると、かなり完成度が高いと20年
内では研究の手を止めて午後8
:
0
0からの編集会議に
も前にこれ又、喝破しておられる。
ご参加いただいた西尾、古郷、今里、村上…先生方
会(50号)
(50号)
同期生(50号)
私が前任、岡本吉照前編集長と交代してから、同
窓会も益々発展しており、執筆者の顔写真を掲載す
のご苦労が思い起されます。無償の奉仕活動に唯々、
感謝の思いです。
るように変えたのですが、「執筆者の顔写真は実に
私も年金世代、次の150号記念には、幽明を異に
いいことですねえ」と賛同を得ている。「多くの会
していると思いますが、みてきた如く、『活字文化
員が意見を述べるのは大切で、『ミニ自由席』のよ
としての同窓会報』の不滅と、更なる飛躍・発展を
うな内容を」との意見に応えて、毎号に、広報委員
願い、引き続く広報委員のご苦労に敬意と深謝の念
会宛の綴じ込み葉書をはさんだ。これも、大ヒット
を込めて、筆を擱きます。
同窓会次期会長に
尾上好申先生
(1
9回生)
選出される
平成1
8年度同窓会総会の評議員会にて次期同窓会会長の選出が行われ、現学術担当副会長の尾
上好申先生に決定し、総会にて承認されました。
玉利行夫現会長(9回生)は8期16年にわたって会長を務められました。「100号記念」行事と
して、「玉利会長から次世代への伝言」というタイトルで座談会を開催し、これからの同窓会
活動へのアドバイスをいただきました。
玉利会長の16年間の業績、尾上新会長の就任の挨拶、新執行部の紹介は次号に掲載いたします。
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同窓会報100号記念座談会
「玉利同窓会会長から次世代への伝言」
大阪大学歯学部同窓会が大阪大学同窓会連合会の中でひときわ高い結束力を発揮し、種々の活動を続け
ているのは、ひとえに先人の努力のおかげです。この春に同窓会会長が玉利行夫先生から尾上好申先生
にバトンタッチされます。時を同じくして「同窓会報」が「100号」を迎えます。16年(8期)の長き
に亘って会長を務められた玉利会長と体制を支えてこられた先生方から、同窓会運営の礎とされてきた
事項について、次世代へのアドバイスを伝えていただく座談会を開催し「100号記念行事」としました。
日時:平成1
9年1月2
1日(日)午前1
0時∼
出席者
司
記
会
録
玉利 行夫
梅田 忠邦
川越健一郎
黒田 拓治
尾上 好申
増田 典男
山下 博一
奥田 眞夫
中川富希雄
石田
武
山賀
保
東
智
会場:中之島センター 特別会議室
会長(9回生)
監事(8回生)
副会長(1
3回生)
専務理事(1
4回生)
学術委員会委員長(副会長)
(1
9回生)
広報委員会委員長(1
9回生)
会計常務理事(2
1回生)
学術常務理事(3
0回生)
学術理事(3
7回生)
副会長(1
3回生)
広報常務理事(2
2回生)
広報常務理事(2
5回生)
はじめに
増田:「同窓会報100号」発刊記念として、玉利会長とその体制を支えてこられた先生方
から尾上次期会長を代表とする次世代へ同窓会活動についてのアドバイスをいただ
く座談会を企画いたしました。多くの方にご参加いただきたかったのですが、会員
・役員を代表して新旧の皆様にお集まりいただきました。永年会長と二人三脚で同
窓会活動を続けてこられた石田
ご発言をお願いいたします。
武副会長に司会をお願いしました。皆様の活発な
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3)
司会:よろしくお願いいたします。玉利会長は亀田
寛前会長(4回生)の後任として8
期16年にわたって会長職を務められました。この間、阪大歯学部同窓会としての立
場と尊厳を保ちながら、同窓会内部はもちろん、歯学部同窓会の代表として、歯学
部・歯学部附属病院、大阪大学後援会、大阪大学同窓会連合会、歯科医師会、全国
歯科大学同窓・校友会懇話会(全歯懇)、新設国立大学歯学部同窓会連絡協議会(国
歯協)などで獅子奮迅の活躍をされました。同窓会運営には多くのノウハウが必要
です。次世代に伝えるべき歴史と貴重なご経験を、ぜひこの機会にお聞かせいただ
きたいと思います。玉利先生は会長就任前は学術委員長をされていましたが、後任
は藤原
顕先生(13回生)、現在の尾上好申先生(19回生)、広報委員長は黒田拓治
(14回生)・岡本吉照(9回生)・福西啓八(12回生)先生、そして現在の増田典
男先生(19回生)
。庶務・総務は私と黒田拓治先生、監事は今井
・伊崎信雄(S23年入)・滝内春雄(4回生)・福田
章(S23年入)
健(6回生)先生、そして
現在の糸井昭一(8回生)・梅田忠邦(8回生)先生と代々会長を支えてこられま
した。これからの同窓会活動へのアドバイスを伝えていただけたらと思います。ま
ず玉利先生からご挨拶をお願いいたします。
玉利:本日はお忙しい中を集まっていただいてありがとうございます。会報100号記念の
座談会を開いていただいて感謝します。これまで私を応援してくださった同窓会員、
全国支部の役員そして本部役員の皆様にまずお礼申し上げます。大森
回生)、柳田藤吉先生(2回生)亀田
清先生(1
寛先生(4回生)の後を引き継いで、今日
まで8期16年同窓会会長を務めてきました。同窓会の歴史も半世紀を越え、大阪大
学の中では小さな学部ですが輝かしい歴史を残してきました。ここに岡本吉照先生
がまとめてくださった「同窓会記念会館完成記念誌」〔1983年刊(昭和5
8年刊)
〕と
石田
武先生・増田典男先生らがまとめられた「学部創立50周年記念誌」〔20
01年
刊(平成13年刊)
〕がありますが、これはぜひ会員の皆様に読んでいただいて同窓
会の歴史を知っていただきたいと思います。特に次期会長の尾上先生には5回も6
回も読んで欲しいと思います。歴史を振り返り、今後の活動にお役に立ちそうな話
や、記録には残らない様々なエピソードなんかもご披露できたらと思います。
自己紹介
司会:ありがとうございました。記録には残せない話は、ここにお集まりの方々の記憶に
残して欲しいと思います。それではご出席の皆様の自己紹介と玉利先生との思い出、
これからの同窓会への期待や抱負などをお願いいたします。
梅田:玉利先生とは学生時代から野球部でご一緒した仲です。大阪府歯科医師会の役をし
ていていましたので、同窓会との付き合いは大阪府支部長をした頃からです。記念
会館建設のころはあまり大きな役割はしていませんでしたが、同窓会役員の熱意に
は心から敬意を表します。大阪大学歯学部同窓会を全国的なレベルにしてくださっ
たのはひとえに玉利会長のご尽力です。長い間本当にご苦労様でした。近年の同窓
会活動を見守って来た立場からこの座談会でお話できることがあればと思います。
川越:大学院を卒業後九州大学に3年いました。帰ってきたとき同期の藤原
顕先生が学
術委員長をされていて、彼を助けてやって欲しいと玉利会長から言われ学術委員に
なりました。兵庫県歯科医師会の仕事が忙しくてあまり役にはたたなかったのです
が、県歯の役員をやめた時に暇だろうからとお誘いを受け、玉利執行部の後半に参
加しました。同窓会兵庫県支部長の時、学術担当副会長という大役にも就かせてい
ただきました。大阪府歯の副会長から現在も、日歯の代議員として数々の鋭い質問
を日歯執行部に発言しておられる玉利会長のファイトには敬意を表します。次期会
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長の尾上先生にはその意志を継続していただきたいと期待いたします。玉利先生本
当にご苦労様でした。
黒田:玉利先生は学生時代全学のバレー部の先輩でしたので45年以上のお付き合いです。
同窓会は卒業後40年間、専務理事は18年務めました。私の前は村田石雄先生(8回
生)という名専務がおられました。何かあると村田先生を待ち受けて指示を受けま
した。最近は大学の先生方の同窓会への参加が少ないのですが、昔は何かあれば石
田先生と私でやっていました。大学には同窓会員がたくさんおられますから積極的
に動いてくださる方が欲しいですね。昔の同窓会は「仲良しクラブ」でしたから「医
政」とのかかわりはほとんどありませんでした。玉利先生が会長になられた頃から
全歯懇・国歯協との付き合いも始まり、昔どおりではいかなくなりました。石田先
生も私も歯科医師会との関係が薄く、同窓会の役員として他の大学からみると不思
議に見えたと思いますが、これも阪大の特徴かもしれません。そういった姿勢が良
いか悪いかわかりませんが、尾上次期会長には大いに期待しています。新しい時代
にふさわしいリーダーシップを発揮してがんばっていただきたいと思います。
尾上:4月から玉利先生のあと、大役を引き受けることになりました。皆様のご協力、ご
支援をお願いいたします。玉利先生は私にとって同窓会活動の父であり兄でした。
学術委員になった頃は、講演会場探しに大阪市内を奔走しました。古座谷
隆先生
(1
2回生)が体調を壊された時に「談話会」を担当しました。以来、玉利先生、藤
原先生らのご指導があって今日にいたります。学術をしていて一番の想い出は「国
際セミナー」での団結力です。昭和53年の京都国際会議場で泊り込みで取り組んだ
「ランフォード講演会」は現在の私のルーツです。あの時先輩・後輩が一丸となっ
てがんばり「同窓会って楽しいな」と心から感動しました。会員の血と汗の結晶で
ある記念会館完成のおかげで講演会場探しから解放されたことも大きな喜びでした。
次期会長を引き受けましたが、阪大は国立大学歯学部同窓会のリード役をする立場
だと思います。玉利会長の尽力・実績をけがさないようにして、縦長になってきた
同窓会を、若い会員にも魅力を感じてもらえるようにがんばりたいと思います。玉
利先生にはこれからも相談役・ご意見番役として、引き続き同窓会のためにご協力
をぜひお願いいたします。
増田:卒業当初は学術委員でしたが、留学する時に同じ講座の谷口
学先生(2
4回生)に
委ねましたので、帰国後行き場に困って広報委員になりました。尾上先生と同じく
玉利先生大好き人間でしたので、「会長が代われば辞めような」を合言葉にしてい
ましたが、8期もされている間に広報委員長になってしまい15年も経ちました。
「50
号記念座談会」の記録係をしましたが、まさか「100号記念」に参加できるとは感
無量です。活字は苦手でしたのでいろんな間違いもありましたが、嫌々でなく好き
でやれるようになったのは会長をはじめ先輩諸氏の同窓会への「燃える炎」を感じ
たからです。石田先生を中心に「歯学部創立50周年記念誌―緑風」を作れたことは
最大の思い出です。同期の尾上先生とともにがんばりたいと思います。
山下:教室の先輩の藤原先生に「日計表」を手伝って欲しいという言葉に乗せられたのが
始まりです。当時の柳田会長を初め、会計の武田矩夫(6回生)・砂川一夫(12回
生)両先生の同窓会への熱意に驚きました。玉利先生が会長になられた時はそのパ
ワフルな姿に圧倒され、ご一緒に仕事ができることがうれしく誇りに思いましたし、
開業医としての生き方についても多くのことを学びました。同窓会の会計は、「血
の通った仲間の集まり」の会計です。会員から負託された貴重なお金ですので、大
切に、生きた使い方をしてほしいと願ってきました。事務局員の給与や講師謝礼な
ど税金と関わる部分もこれまでは素人のわれわれが扱ってきましたが、規模も大き
くなってきましたのでそろそろ専門家にも手伝っていただく時期かなと思います。
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会計の話ではないのですが、女性会員も増えてきましたので、女性も理事として参
加していただきたいと思います。玉利会長本当にお疲れ様でした。
奥田:中之島地区最後の卒業生です。一補入局時に学術委員となり、企画、運営に携わり
ながら、講演する機会も与えられました。また、50周年記念事業では国際セミナー
の企画にも参加することができました。いつしか理事に、そして常務理事にと、肩
書きばかり立派になり学術事務局で学術会計を担当する立場になりました。学術は
記念会館の使用頻度が高く、設備の拡充、施設の改修など多くの面で学部との関係
における難しさを体験しました。大学新棟の完成に際して同窓会と学部のより一層
の親密な関係を切望します。役員として忙しくなりそうですが、これまで先輩諸氏
の同窓会への「熱き心」を見てきましたので、少しでも近づけたらと思います。今
日は貴重なご意見を聞かせていただきたいと思います。
中川:今日の参加者の中では一番若輩です。卒後すぐ学術委員長をされていた藤原
顕先
生の医院に同窓会委員になることを当然のように就職しました。最初は広報委員で
したが、その後学術委員に無償トレードされ十数年になります。もともと引っ込み
思案(?)な性格でしたが、委員会のおかげでずいぶん社交性も出てきたと喜んで
います。卒後すでに17年になりますが、若い会員や委員とはいろんな面でずいぶん
年齢差を感じます。同窓会の素晴らしさをぜひ若い会員に伝えるべく、今日は貴重
なご意見をたくさんお聞かせいただきたいと思います。
山賀:大学時代にも一時期広報委員をしていましたが、開業後機会があって再び広報委員
となりました。歯学会の役員もさせていただいており、先日大学の新棟を見学する
機会がありました。大学と同窓会との一層の協力が双方の発展に結びつくと思いま
す。広報委員として尽力したいと思っています。
東
:私は開業後広報委員になりましたので、最初は同窓会活動についてはあまり知りま
せんでした。広報委員をしていてずいぶん理解できてきました。最近強く感じるの
は、大学におられる若い会員がもっと同窓会活動に参加して欲しいということです。
お話を聞くと、今日参加されている方々の多くは、大学を卒業してすぐに委員とし
て参加されているようです。どうして今の若い会員が参加されないのか、参加して
もすぐ消えていかれるのでしょうか。若い会員の参加で「若い命」が「新しい感性」
を生み出すと思います。
同窓会創立記念日について
司会:どうもありがとうございました。では最初に学部創立50周年記念の際に同窓会創立
日を決められたいきさつについてお聞きしたいと思います。歯学部の創立は昭和2
6
年で、1回生卒業の昭和29年3月2
5日を同窓会の創立日とされましたが。
玉利:永く選科生の歴史があったのですが、昭和29年3月2
5日に1回生が「大阪大学歯学
部」を卒業され、初めてのクラス会をされ、それがいわば「第1回同窓会」でこの
日を創立の日としました。選科生の方々は全国6大学より試験を受け、厳しい教育
・研修を受けられ、歯学部創立の礎となられたわけですが、同窓会として明確にす
る意味でも歯学部1回生卒業の日を「同窓会創立の日」と決めさせていただきまし
た。
司会:創立のころの歯学部や同窓会はどのようなものだったのですか。
玉利:1回生の方は「医学部」に入学され、昭和26年に「歯学部」が創設され編入されま
した。2回生からは「歯学部」入学です。1回生と2回生は1
0人、3回生はたった
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4人で3学年あわせても24人でした。7回生までは教養課程を別の大学で受けられ、
専門課程から歯学部へ入学された方々も多くおられました。8回生から教養部を含
め6年制となりました。私は9回生ですが、当時の阪大はスポーツクラブだけが
「体
育会」として全学的な組織でした。テニスのデ杯候補の堀内
寛先生(4回生)
、
ボート部の本所邦男先生(8回生)、バレー部の村田石雄・黒田拓治先生らが活躍
されていました。正田健冶郎総長(美智子皇后陛下のおじさん)が総長をされてい
たころ、「学部対抗運動会」なんかがありましたが、歯学部は参加者も少なく、永
井歯学部長が角帽をかぶって飛び入り参加された一幕もありました。
司会:初期のころの同窓会活動はどのようなものでしたか。
玉利:学部を卒業したのだから「歯学部同窓会」も作ろうと、昭和30年に入会金一人1,
0
0
0
円で始まりました。昭和31年に「同窓会だより」か発行され、昭和3
3年には最初の
「同窓会会則」が出されました。学部創立記念にあわせて、35年には10周年記念祝
賀会をテントと紅白の幕を張って旧中之島校舎A棟の庭でやりました。この時は学
生自治会も協力しました。私は5年生でしたが、急ごしらえの楽団を作って8回生
の磯崎孜騎先生が歌手をされたのが思い出されます。昭和40年の1
5周年記念祝賀会
は1回生の津留宏道先生を実行委員長にロイヤルホテルで開催し40
0人も集まり、
歯学部関係者の結束の強さに感激したものでした。昭和41年からは会費制度がはじ
まり、年500円の会費を徴収しました。昭和42年には歯学会・教室連合会・弓倉記
念文庫と同窓会の4団体で部屋を一つもらいました。昭和43年に
「同窓会ニュース」
が創刊され、現在の「同窓会報」の第1号になります。当時は学部があっての同窓
会でしたね。初期の頃の同窓会会長は歯学部長が就任され、幹部も助教授や講師の
先生方がされていました。卒業生の多くが大学に残っておられたからですが、大学
を出て開業された卒業生が同窓会会長になられたのは昭和47年の大森
清会長から
です。
記念事業
司会:同窓会の記念行事は学部創立記念と歩調
を合わせてされたようですが、その後の
記念事業などについて聞かせてください。
玉利:昭和4
5年の創立20周年には弓倉繁家先生
の業績を顕彰したいということで、パ
ワーのある川勝賢作教授を会長にお願い
して、今は歯学部玄関前に掲げてあるレ
リーフ像を野口清隆先生(S21年入)の
ご紹介で、日本芸術員会員の清水多嘉示
先生にお願いして製作していただきまし
た。ロイヤルホテルでの祝賀会には左藤
大阪府知事、釜洞大阪大学総長も参列さ
れご祝辞をいただきました。昭和50年に
柳田藤吉新会長のもとに、25周年祝賀会
が中之島ロイヤルNCB会館で開催され、
記念事業として「会員章」が作成されま
した。初めての「ゴルフ大会」も前日に開催され、村田石雄先生が優勝されました。
「第1回国際セミナー」の開催、「同窓会員名簿初版」が発行されたのもこの年で
す。昭和55年の30周年には万博記念公園迎賓館で総会・祝賀会を開催し、山村総長
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による「免疫学の200年」の特別講演があり、「30周年記念アルバム」を福田
健先
生を中心に、八木俊雄教授(1回生)、黒田康子先生(14回生)らがまとめられま
した。昭和58年の記念会館完成記念の時には、岡本吉照先生が「記念会館完成記念
誌」、松代浩明先生(15回生)が「記念講演会」、黒田拓治先生が「記念名簿の発行」
をそれぞれ担当されました。この時の記念誌で「同窓会の歩み・歴史」を初めてま
とめました。平成3年の40周年には同窓会の後援で盛大なパーティーを万博公園内
・オオサカサンパレスで開催し、平成13年の50周年記念では同窓会独自の祝賀会も
オオサカサンパレスにて開催し、記念誌「緑風」を発行しました。
川越:学部の創立は文部省が発令した昭和26年4月1日、同窓会の創立は1回生が卒業し
た昭和29年3月2
5日ということなのですね。学部と同窓会の記念事業にずれが生じ
ますが、それについてはどう考えられましたか。
玉利:平成13年に学部創立50周年記念事業を同窓会でもしましたが、同窓会創立5
0周年記
念事業をしなかったのは、母校の記念事業を優先すべきと判断したからです。同窓
会の歴史で記念事業をされる大学もあるようですが、母校あっての同窓会ですから、
大学の記念事業を優先し、それに協力するのが同窓会のあるべき姿だと私は思いま
す。
会員章について
司会:昭和50年の2
5周年記念に「同窓会員章」
を作成し、総会出席者にお渡しするとと
もに、その時卒業の23回生から配りまし
た。それまでの会員には会報でお知らせ
して希望者にお送りしました。紛失され
た方には実費(当初1,
500円、現在2,
000
円)でお渡ししてきました。会員章の再
発行について明確にしておきたいのですが、事務局から私に連絡があり、事情を聞
いてお分けしてきました。今後は事務員でなく誰かがチェックして欲しいです。昭
和61年までの「入会員」は退会を認めていますが、退会時には返却してもらうのが
本来です。本学卒業生は退会を認めていません。
玉利:退会のできない組織はないはずです。同窓会は任意団体ですから今後は退会も認め
るべきでしょうね。同窓会は強制入会でやってきましたが、卒業生にも色々の考え
方もおられますので、今後の検討が必要でしょうね。
黒田:同窓会名簿に名前や住所を掲載して欲しくないという方もおられますね。
川越:
「会員章」をお渡しする時に再発行できないので大切にして欲しいと言うべきでしょ
うね。再発行しないということでいいと思いますが。
司会:2ヶ所で開業しているからとか、兄弟の診療所も手伝っているからという場合はお
断りしました。しかし卒業時にお渡ししますので、いざ開業の時見つからないとい
うケースも多いようです。
増田:2,
000円は安すぎます。大事な会員章ですから額を上げるべきです。額が上がれば
大事にされるはずです。
玉利:日本歯科医師会のバッジには通し番号は入っていましたが、でも失ってもすぐ再発
行してくれます。よく検討してください。
司会:同窓会事務局の宛名住所シールサービスですが、クラス連絡の場合や2
1世紀COE
プログラム(最先端研究拠点)関係は同窓会活動の一環として協力しています。し
かし退官記念事業の案内などプライベートな場合は断っています。今後もその方針
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でいいと思います。
税務・会計
司会:先ほど山下先生から税務処理などについて顧問税理士を入れるべしとのお話があり
ましたが。
尾上:友人に税理士がいまして引き受けてくれそうです。しかし事務員の労働条件や給与
体制については社会労務士にお願いしなければならないようです。
司会:ずいぶん前ですが、福西啓八先生が作ってくださった服務規程があるはずです。国
民年金保険についても調べてください。
川越:税理士さんにお願いするなら同窓会の決算会計もして、収支をはっきりした方がい
いと思いますが。
玉利:私が会長になった時、最初にしたのが吹田税務署通いでした。同窓会活動が営利事
業と思われたのでしょう。学術活動だと納得されてから税務署は来ませんでした。
事務員の給与明細と講師謝礼の源泉徴収だけしっかりしておけば十分です。事務員
の給与についてですが、同窓会は民間企業レベルですから、公務員なみの給与体系
はとても無理です。新しい事務員を採用する時は、条件を示して確認すべきでしょ
う。
山下:税理士への謝礼額も明確にしておいてください。年間契約でなく相談一回につきい
くらというのでもいいかと思います。
クラス代表・クラス評議員の役割について
黒田:玉利会長の時から各学年には「クラス代表」と「クラス評議員」という役をお願い
しています。名称的には似ていますが、役割はまったく異なります。
「クラス代表」
は本部からの連絡を速やかに同級生に伝えられる方になって欲しい「連絡係・世話
係」といったニュアンスのつもりです。永続的で、本部に近く、いつでも来られる
方にお願いしたいです。クラス評議員はクラスの代表として、総会時の評議員会な
どで意見を言っていただく方という立場です。評議員会の議決権を持っておられる
方ですので、同窓会役員との兼任はできないことになっています。
増田:会報で追悼文のお願いなどは基本的にクラス代表の方に連絡してきました。ほとん
どは「ご苦労様です。執筆者を選んで依頼しておきます」とうまくいくのですが、
中には「何でそんな事、俺がせんといかんねん。他の人に頼んでくれ」とぼろくそ
に言われたことが何回もありました。掲載しないと「なんで記事がないのか」って
文句を言われます。クラスのことでどうして怒られるのか訳がわかりませんが、腹
が立っても先輩ですから。
玉利:クラスによって事情が違うのは仕方がないですが、名前だけで実質動いてくださら
ない方がクラス代表や評議員では困りますね。いつでも動ける方がいいですね。
「評
議員」だけでは実務的ではないので、事務的なことをしていただくということで
「ク
ラス代表」という役をお願いしているわけです。クラスをまとめる人になっていた
だきたいですね。
司会:最近の卒業生には「人をまとめるのがうまい」ということで、学生時代に「教務委
員」をされていた学生さんにお願いしています。しかし、卒後しばらくは仕事がな
く、数年たって必要な時にはその方はおられない場合が多いですね。世話好きで責
任感の強い方が適任なのですが、若い会員に同窓会に関心を持ってもらうのはなか
なか難しいですね。
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大学との連携・記念会館の運営
司会:記念会館の利用との関連で当初は年間50万円程度計上していましたが、最近は会館
使用料、事務室年間使用料を支払いますので、年間3
0万円を「学部病院研究助成金」
として寄付しています。その他に「オールデンタル」など学生の課外活動を支援す
るために、学部教務委員長を通じて毎年10万円寄付してきましたので、会計は引き
継いでください。
玉利:学部との繋がりは非常に重要です。記念会館は同窓会で建設しましたが、国に寄付
しましたので好き勝手には使えません。これまで学部と同窓会相互の長いお付き合
いで出来上がった関係です。いろいろ経緯があります。大学とはうまくつきあって
いかねばなりません。これまでは石田先生が上手にやってきてくださいました。こ
れからもお付き合いを上手にやってほしいと願います。
司会:福田
健先生をはじめ、多くの方々の協力を得て、事務方とも適切な関係を築いて
これたと思っています。
会館裏の倉庫部分(ピロティー)に新しい部屋を増築する案はずいぶん以前から出
ています。今の会議室は理事会開催には狭く、もう少し広い会議室が必要です。さ
らに記念会館一階ラウンジの椅子など什器が古くなったり壊れたりしてきています。
改装してもう少し有効に使用したいですね。また入館時には土足のままのほうが便
利でしょうね。学内の学生さんの溜まり場がなくなるそうですし、一階を学生の憩
いの場に提供できたらと思います。記念会館全体の見直しの時期だと思います。
奥田:学部としても有効利用を検討されているようです。
玉利:大学の建物ですから文句を言える立場ではありません。現在まで同窓会の使用を優
先させてもらっていますが、今後もいままでどおりの使用ができるように、親密な
関係を維持していかねばなりません。
梅田:同窓会のお金で改装して、同窓会の優先的な使用を認めていただくしかないでしょ
うね。
司会:記念会館は同窓会が建設したのですから、修理や改装をするのは同窓会の仕事と思
い込みすぎかもしれません。持ちつ持たれつで相互に助け合えばいいのです。学部
にお願い出来ることも十分あるはずです。
玉利:今までの実績から学部や大学本部とはうまくやってきました。歯学部事務の方々も
同窓会のために実に気持ちよくやってくださいました。相談してお互いに仲良く
やっていこうとする気持ちが大切です。
司会:ここは同窓会、ここは学部と上手に動いていけばいいと思います。大学本部も含め
て大学との親密なお付き合いが大事ですね。新棟が完成しても、同窓会としてはや
はり記念会館が城であり、利用価値が高いと思います。同窓会から積極的に会館の
改修、増築、改築などの計画を提示し、大学との親密な関係を維持しながら相談し
ていくべきだと思います。そのために必要な資金はかなり大きな額になりますから、
「基金の充実」を会員にしっかりご理解いただけるよう、図面を添えた将来計画を
示していくことが必要です。
玉利:大学とのお付き合いといえば、同窓会記念会館建設時のことを思い出します。当時
の山村雄一総長に記念会館建設のお願いをした時、「歯学部のような小さい学部の
同窓会がそんなに熱心に生涯研修会をしているのか」と驚かれ、協力を約束してく
ださいました。歯学部玄関前の「石碑」が山村総長の筆で書かれた銘であるのはそ
ういういきさつです。文部省教育課や大阪大学本部への申請の際には、小谷尚三学
部長(口腔細菌学講座教授)と辻本事務長が同行してくださいました。国有地に同
窓会記念会館を建てるのですから、学外に同窓会館を持つ工学部などは反対の声も
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聞かれました。山村総長の後押しなど関係各位のご尽力のお陰で実現しましたが、
大学と病院の移転だけでも大変な時期に、膨大な量の事務手続きの書類作成など事
務局をあげて協力してくださいました。飯田事務長、後任の辻本事務長、斎藤・根
来事務官、福技官ら事務職員の公私にわたるご協力、ご支援に深甚の敬意と謝意を
表したいです。ですから事務をふくめて大学と同窓会はいい関係でなくてはならな
いのです。人間関係の構築は本当に大切です。最近の「卒直後研修制度」でも学部
・病院の方にとっては同窓会員の積極的な協力が必要であり、そんな時も「同窓会
が後押ししていますよ」という姿勢が通じれば、学部、事務、ひいては大学本部と
のつながりもできてくるのです。
梅田:同窓会役員の年齢層を考えると、私からみれば大学教授はずいぶん若い方がされて
います。歴史をよく知っている我々に比べて、教授をはじめ大学の先生方は、どの
ように同窓会と関係を持つべきかよく分からないのが実情ではないでしょうか。大
学あっての同窓会ですので、「学術講演」、「教授会との懇親会」などを通じてもっ
と親交を深めるべきだと思います。
対外交流
司会:全歯懇、国歯協、同窓会連合会など対外的なお付き合いも多くなってきましたが、
他大学との交流についてはいかがでしょうか。
玉利:同窓会としての対外的な大人の付き合いは、昭和49年、大森
清会長の時代に東京
歯科大学出身の鹿島俊雄参議院議員が郵政大臣に就任され、その祝賀激励会に招か
れて、会長・柳田藤吉副会長らが参加したのが最初です。その後同じ国立大学であ
る東京医科歯科大学同窓会の野村順之助会長のお世話で「全歯懇」にも参加するこ
とができました。第1回の国際セミナーは昭和50年の東京医科歯科大学・九州歯科
大学と協賛した「オルバン講演会」でした。徳永喜正先生(5回生)が実行委員長
をされましたが、終わってみれば大阪だけが黒字で、赤字であった東京の補填を求
められた時は約束が違うと驚きました。第2回は昭和51年の九州歯科大学が主催さ
れた「シップ講演会」でした。これも徳永先生が実行委員長でした。大阪の前に九
州で開催されましたが、講演内容が理解しにくく、モデレーター役の作田正義先生
(9回生)と石田
武先生に大阪講演むけの「パンフレット」を急遽一週間で作成
してもらって成功に導きました。そのパンフレットはそのまま医科歯科大学も使わ
れました。第3回は昭和53年に阪大が企画し、西川
亨先生(4回生)が実行委員
長の「ランフォード講演会」でしたが、医科歯科大学は都合がつかず九州歯科大と
2校でやり大成功を収めました。この時はモデレーターの岩山幸雄先生(9回生)
と丸山剛郎先生(11回生)には打ち合わせのために米国ミシガン州まで出張してい
ただきました。3回のセミナーで他大学との共催の難しさを痛感しましたね。
梅田:先日開催された「全国歯科大学同窓・校友会学術担当者連絡会第1回合同講演会」
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の開催には感動を覚えました。尾上先生をはじめ学術委員会の先生方には本当にご
苦労様でした。最初に大阪歯科大学の黒川先生が挨拶された時は感激しました。や
り方次第では、あんな立派なこともできるのですね。
玉利:大阪歯科大学とも何回か講演会を共催したことがありました。二つの大学で講演会
をするってことは結構難しく、残念ながら自然消滅してしまいましたが、梅田先生
はそんなことを思い出されたのでしょうか。講演会といえば忘れられないのは昭和
55年のロイヤルホテルで開催されたIADR(国際歯科研究会)総会です。河村洋
二郎教授が名誉会長・組織委員長をされ、日本人開業医を対象とする特別講演会を
していただきました。専門的な国際学会の中でこのような臨床家向けの講演会のご
配慮をしていただいて非常に感動したことを思い出します。
梅田:学術の活動には感心させられますが、監事としてぜひ次期会長に伝えたいことがあ
ります。学術講演会など学術委員会は大変がんばっていただいていますが、学術の
予算を使っていただいても終わると余剰金は雑収入として必ず戻されます。年度末
にはほとんど予算を使っていないというほどの決算となります。だからといって予
算案の時に少なく見積もると、学術は黒字だから予算が要らないだろうと営利事業
のように見えてしまいます。記念会館の改装など今後も多額の出資が必要となるで
しょうから、学術会計には特別な配慮が必要かと思います。
司会:会館の改装、改築のためには基金のお金を増やさねばなりませんが、ただ増やせば
いいのではなく、ビジョンをもって計画的に進めていくべきだと思います。
玉利:計画がしっかりしていれば、もし税務的な問題が生じても大丈夫です。同窓会活動
にとって施設の拡充は必要であり、国立大学独立法人化となり国からの予算が少な
くなっているのですから、同窓会からの資金的協力は意味深いものであるはずです。
山下:会計的には同窓会会計収支・学術委員会収支・基金収支の3つを年度ごとに決算し
ています。学術の収支は独自にしていただいて、その最終結果を全体決算の際に決
済しています。学術活動が営利目的ではなく、同窓会員の研修のためであることを
明確にしています。基金は記念会館改築など大きな出資のための準備金ですが、一
気に増えるものではなく、同窓会全体の努力で少しずつ貯めていかねばなりません。
そんなに備蓄があるなら会費を値下げしろとか支部活動に回して欲しいとか耳にし
ますが、会員の皆様にはその趣旨を理解いただだきたいと思います。
終りに
玉利:この短い時間ですべてを伝えることはとうてい無理なことです。4月からの尾上執
行部には新しい世代としてがんばってもらいたいと期待しています。ただ「同窓会
の歴史」というか、先輩が築いてきたこの「同窓会の精神」は大事にして欲しいと
思います。これから先、様々な難局を乗り越えていかねばなりませんが、新しいパ
ワーを結集してがんばってください。私でよければいつでも協力させていただきま
す。同窓会の発展を心から願っています。
司会:まだまだ玉利会長から伝えていただきたいことはたくさんあると思いますが、この
あたりで座談会を終えたいと思います。玉利会長には同窓会の相談役として今後も
ご尽力いただきたいと思います。同窓会のために新執行部の方々、そして同窓会会
員の皆様のより一層のご協力をお願いしたいと思います。本日は本当にありがとう
ございました。
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0号記念表紙写真アルバム
会報の表紙を飾る写真をアルバムにしました。表紙は会報の「顔」
です。一枚一枚全国各地の会員の先生方にお願いして掲載してきま
したので、思い出がつまっています。プロ級の写真、ほのぼのとす
る写真、ふるさとの情景を見事に表現した写真。一枚の写真が全国
の会員にご覧いただけます。これからも力作をお待ちしています。
№58 マッターホーンとリッフェル湖 竹内豊次郎(S11年入)
№5
0 春の息吹 永井巖
(名誉会員)
№59 初夏の河童橋と梓川の清流 可児瑞夫(S30年入)
№54 港から続く長い坂道を上って行くと今は主のいないその館
は在った窓辺にこぼれる晩秋の午後の日差しに時はゆっくり華やか
な集いの日々へと逆廻りし始めそして停った 平木建史(29回生)
№5
1 木曽御岳遠望 寺倉進
(2
0回生)
№60 雲海に浮かぶ石鎚 森山平八郎(7回生)
№55 米国ワシントン州シアトルの夜景。タコマ富士の愛称で呼ばれるレニア山を背景に
すみきった夜空にダウンタウンの美しい夜景がうかびあがっている 三木靖夫(26回生) №61 吉野宮滝、阪大万葉旅行の会にて 森山功(8回生)
№5
2 爛漫の桜花 渋川幸次
(1
5回生)
№56 すいれんの花 森山平八郎(7回生) №62「生きる」私達はミラーとピンセットで、彼女達はピンセット一本で。小サギの美技。中山賀久亮(6回生)
№53 スイス、レマン湖東畔の、バイロンの詩で有名なシオン城 西川亨(4回生) №57 古墳公園「風土記の丘」
(大阪府) 岡田宏(9回生) №6
3 祝賀パーティーでの乾盃 永井巌
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№6
4 新学章
№7
0 博物館
「The Carnegie」
にて
(S5
0年入)
№6
5 主のないラクダの群れ−雨上がりモンゴルの大平原 今西秀明
№7
1 ロンドン・ケンジントンガーデンズにて 杉山勝
(2
6回生)
№6
6 石油採掘機第1号
「サンタ・リタ」 埴岡隆
(2
8回生)
№7
2 早春のタバコ畑
№6
7 陽光の中の花嫁
№7
3 大西洋の潮騒は勇者にやさしく新原秀人
(4
1回生)
三原丞二
(3
0回生)
№6
8 ボストン市内・パブリックガーデンの午後 島内英俊
(2
8回生)
№7
4 ロスのアイスクリーム屋さん
№6
9 晩秋のケイプコッド
「父と息子」 大谷順子(3
9回生)
№7
5 明日香の春
舘村卓
(2
8回生)
森山平八郎
(7回生)
岩壷克哉
(8回生)
辻本雅哉
(S5
4年入)
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№7
6 秋によせるバラード
松浦英夫
(1
1回生)
№8
2 蓼科の秋を訪ねて
№7
7 無題
溝川信子
(1
6回生)
(1
9回生)
№8
3 ノーベル賞受賞式会場からの風景 大嶋隆
岩壷克哉(8回生)
№8
4 モニュメント・バレーの夕映え 木ノ本喜史
(3
4回生)
中原寛和
(3
6回生)
№8
5 標高1982m、西日本最高峰、石鎚山の夜明けです。森山平八郎
(7回生)
№7
8 椰子の木のある校庭
№7
9 無題
寺倉進
(2
0回生)
№86 幸せを呼ぶ花・胡蝶蘭
河村洋二郎
(名誉会員)
№8
0 湖水の輝きに惹かれて
池澤一彦
(3
6回生)
アイリーンドナン城 今里聡
(3
3回生)
№8
1 スコットランドの輝き、
№8
7 長白瀑布
森昌彦
(名誉会員)
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№8
8 花、
花……とふたりっ子
山野智要之亮
(1
1回生)
№8
9 緑風
森山平八郎
(7回生)
№9
4 春未だ
第1
0
0号(2
5)
堀井常彰
(1
3回生)
(3
0回生)
№9
5 石垣島−台風一過の米原ビーチ 森岡成行
田定宏
(名誉会員)
№9
6 めがね橋
斉藤勝也
(1
7回生)
№9
1 アカショウビン
三村保
(1
1回生)
№9
7 来島大橋
森山平八郎
(7回生)
№9
2 春爛漫‐歯学部玄関前
石田武
(1
3回生)
№9
8 睦月の諏訪湖
溝口幸二
(7回生)
仲野和彦
(4
3回生)
№9
9 嵐山の鵜飼い
稲川泰康
(2
5回生)
№9
0 漁港の午後
№9
3 国境の街コンスタンツー駅前広場