vol.74 隣り人はどこ ‥ 田村三保子 東京多摩いのちの電話研修スタッフ 隣り人はどこに 一孤独を見つめる一 田村 三保子 電車のホームで出会った孤独 昼間、ある電車に乗るために駅でボンヤリと待っていました。長いホームに は数人しか居らずベンチには私と1人の老人だけが座っていました。アナウン スがあって「間もなく○○行きの電車が到着します。白線より下がってお待ち 下さい」と。するとその老人は、はっきりと「ハイ分かりました。ありがとう ございました」と言ったのです。私はびっくりしてその人を見てしまい、思わ ず笑顔を送りました。その方は私に「すいません、つい人の声がすると応えち ゃって・・。家でもタイマーが声で報せてくれるとやっぱり応えてしまうんで す。1人なもんで・・」と頭をかいていました。駅のアナウンスというモノト ーンな声にも、この方は何か親近感を覚えて反射的に声を出して対応していた わけです。この方は健康そうではありましたが、やさしい老顔はとても寂しそ うでした。何か笑えない今を感じました。 小説にみる孤独 芥川龍之介が大正5年(1916年)に書いた「孤独地獄」というタイトル の短編があります。昭和2年36歳で自死する10年程前に書かれたものです。 自分の大叔父の話を母を介して聞いたと記してあります。遊郭・吉原を訪れる 禅寺の僧・禅超が酒色も女色もほしいままにしていたが、ある時しんみりした 様子で話したという内容です。それは<仏説によると地獄には大きく三つに分 かつ事が出来るらしいと。(略)この中の孤独地獄はどこへでも忽然と現れ、 目前の境界がすぐそのまま地獄の苦難を現前する。自分は二三年前から、この 地獄へ堕ちた。その日の苦しみを忘れるような生活をしていくが、しまいには 苦しくなると死んでしまうより外はない・・>というものです。芥川は僧の言 葉を受けて「一日の大部分を書斎で暮らしている白分は、この禅僧とは全然没 交渉な世界に住んでいる。(略)が、或る意味で白分も孤独地獄に苦しめられ ている1人である・・」と。天才芥川が自分の身辺におきる様々な出来事の申 で、独りどれ程苦しんでいたかが想像されます。(放火疑惑で自死した義兄の 件などあった由 日本現代文学全集56芥川龍之介集講談社版) 映画にみられた孤独 過日、シャンソンの歌姫の生涯を描いた映画「エディット・ピアフ愛の賛歌」 (オリビエ・ダアン監督)を観ました。“あなたの燃える手で、あたしを抱き しめて・・”というおなじみの歌です。この歌手の主人公エディット・ピアフ (本名・エディット・ショヴァンナ・ガション)は1915年パリで生まれま したが、両親の愛に恵まれないスタートを切っ て生きていました。成人してからも、殺人事件の容疑者、薬物中毒、交通事故、 恋人の死など数々の苦難に直面の日々でした。が、歌うことだけは生涯を通じ て一度も止めなかったという歌への情熱に生きた人でした。こうした境遇の中、 47歳で死を間近にして吐いた言葉「死ぬことより孤独が一番こわい」という セリフがずっと私の耳に残っています。苦しかった、悲しかった・・でもなく 死ぬことより孤独がこわい・・と。私たちが愛を込めて口ずさむ歌の歌姫が抱 えている秘められた恐ろしい程の重みを思いました。 多忙な日々の中で仕事に追われている人々は、白分1人の時間、1人の世界を もつということは誰もが望む至福の時でありましょう。孤独の楽しみです。孤 独について、英国の精神分析医ウィニコット(D.W.Wimicott)は “孤独を楽しむことのできるのは大人の能力”と発達のサインとして、子ども が親から自立して1人になれる証しとして伝えています。親の支えを前提にし た言葉ですが、これは大変大事なことです。しかし、自立し成人した私たちは、 1人孤立して孤独を楽しむことだけに浸れないのです。常に誰かと共に生きて いるという実感を確かめ合う生き物なのです。自分のまわりに誰もいないと感 じたとき、無性の寂しさ、心細さに陥り、やがて不安や恐怖にまで至ってしま うのです。私たち人間という生物は“ひとりの満喫”と“人との共存”で生き ています。“自立”と“依存”のバランスで生きているのです。 最近、大人の玩具がよく売れているようです。若い人が愛玩用に買う一方で、 中・高年の人が意外に多く求めていくとのことです。その玩具は殆ど人形か動 物の縫いぐるみで愛らしくつくってあり、声や動作で人間に反応してくれてい ます。私が頭をなでると可愛い目を動かしたり、体を傾けて情を交換し合える 感じです。この玩具が売れる現象を店の人は「この玩具と同居しているんです ね」「孫を手元において可愛がっている感じなんでしょうね」と分析していま した。 寂しさを誰かに癒してほしいと叫びたい程の衝動にかられる時は誰にでもあ ります。人々はそれなりにクリアーしています。寂しさの兆しが予想される時、 ペットや可愛い玩具の同居策も頭をよぎります。それも一つの方法でしょう。 特に戦後の日本は、社会の構造が変化し、老人も若者も選んで核家族化を求 めたわけです。互いの干渉や気遣いを嫌い、夫々の主張をかかげて生きる方向 に流れました。この流れが時を経て、今、高齢者は若者の助けを必要とし、若 者は育児や生活の知恵に高齢者を求めるということになってきました。生活形 態を分離してスタートしたこの流れは、かつての自然のありかたを制度として 設定することに動きました。介護制度、子育て支援グループの誕生です。過去 の人々の自然な営みを制度として懸命に再現させることになったわけです。 今年の初め、東洋大学・広報課が“現代学生百人一首”を募集していた中で、 惹かれる歌がありました。<ケータイやインターネット友達で さみしくない か 君の人生>という歌で、都内の中学2年男子生徒の作でした。応募作品は どれも現代をよく詠んでいて感心しました(ホームページに掲載)が、私はこ の歌が身に滲みました。 子どもや若者たちはケータイやメールという介在物を通して人との交流をは かる一方で、“KY(空気が読めない)現象”に敏感です。“他人が自分をど う見ているか”を非常に気にしています。それは“周囲から白分が孤立したり、 無視されること”を恐れているからだといわれています。 本来、避けることの出来ない人間の寂しい孤独感を、今という時代はこれまで とちがった社会のありようで、子どもも若者も老人も夫々のサインで示してい ます。それらを互いに受けとめられる人々であり、社会の仕組みが望まれます。 様々な病を負った人々、避けられない状況におかれている人々は、或いは“死 よりこわい孤独”にさいなまれているかもしれません。“いのちの電話”の向 こう側の方々に私たちの“生の声”に接することで、玩具やペットで埋め切れ ない孤独感を少しでも楽にするという“隣りびと”の働きができることを祈り たいと思います。 プロフイール 田村三保子(たむらみほこ) ・東京女子大学文学部心理学科卒 ・慶磨義塾大学医学部精神 ・神経科助手 病院臨床心理士として精神科医療に従事 ・東京都立教育研究所、都章多摩教育研究所にて 臨床心理士として教育相談 に従事 ・現在・公立教育相談所(区、市)、学校内研修、大学などで教育現場や後輩 の応援にあたる ・東京多摩いのちの電話研修スタッフ
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