「数」ってなんだろう 伊澤 達夫 8 December 2003 我々は、小学校に入学してから中学校を卒業するまでに、自然数(即 ち、1,2,3,4,5,· · · のように個数や順序を表す数)に始まって、有理整数、 有理数、次に実数を学び、理解する「数」の範囲を拡げてきました。中 学校では、実数全体が直線上の点の全体と1対1に対応しており、各点 が実数と1対1に対応されている直線を数直線とよぶこと等を学びまし た。我々は、ここまでを前提として、高校で学ぶ複素数の概念を復習す ることから出発することにしましょう。 最初に、今日の話しの中でよく使われる数学的対象を表す記号を纏めて おきます。 Z= 有理整数全体の集合= {0, ±1, ±2, ±3, · · · } Q = 有理数全体の集合 = { ab | a, b ∈ Z, b 6= 0, ただし、ab = dc ⇔ ad − bc = 0} R = 実数全体の集合 C = 複素数全体の集合 Rn = {(x1 , x2 , · · · , xn ) | 各 xi は実数 } M2 (R) = 実数を成分とする2次の正方行列全体の集合 定義 1 [複素数の定義] a + bi, ここで a, b は実数で、i は i2 = −1 を満 たす記号、の形の記号の集まりを考え、以下のように約束と算法(演算) を定める。 1. a + bi = c + di となるのは、a = c かつ b = d のとき、かつそのとき に限る。 2. (a + bi) + (c + di) = (a + c) + (b + d)i (複素数の加法) 3. (a + bi)(c + di) = (ac − bd) + (ad + bc)i (複素数の乗法) このとき、一つ一つの記号 a + bi を複素数とよび、i は虚数単位とよば 1 れる。 定義2 (複素数平面の定義) 平面に直交座標軸を考えて、平面上の点 を2つの実数の組 (a, b) で表すとき、複素数 a + bi にこの点を対応させれ ば、複素数全体の集合と平面上の点全体とが1対1に対応する。このよ うに、複素数と1対1に対応付けられた平面を複素数平面またはガウス 平面とよぶ。 問1 つぎの計算をせよ。 √ √ (1) (2 + 3i)(3 − 2i) (2) i3 + i4 + i5 + i6 「数」の体系である Z, Q, R, C 等がその算法に関して共通に持って いる構造を調べてみよう。そこから、我々は近代代数学において最も基 本的な概念である「群」と「環」とを導入することができるのである。 定義3 (群の定義) 算法・が定められている集合 G が、この算法・に関 して群であるとは、以下の3つの条件が成り立つことである。 (1) (a・b)・c = a・(b・c) (a, b, c ∈ G) (2) a・e = e・a = a (∀a ∈ G) を満たす元 e が存在する。 (3) G の任意の元 a に対して、a・b = b・a = e を満たす元 b が存在する。 (2) の条件を満たす元 e を群 G の単位元、(3) の条件を満たす元 b を a の 逆元とよんで普通 a−1 とかく。群 G は、さらにつぎの条件 (4) を満たすと き、可換群(アーベル群)とよばれる。 (4) G の任意の2元 a, b に対して、等式 a・b = b・a が成り立つ。 群の例 (1) Z, Q, R, C 等は加法 + という算法の下で可換群である。 (2) M2 (R) は行列の加法の下で可換群である。 (3) 集合 G = {(a, b)|a, b は実数で a 6= 0} において、算法を (a, b)・(c, d) = (ac, bc + d) と定めると群となる。これは可換群ではない。 (4) Q∗ = {0 以外のすべての有理数 }, R∗ = {0 以外のすべての実 数 }, C∗ = {0 以外のすべての複素数 } 等は乗法の下で群となる。 2 問2 上の群の例 (3) を確かめよ。この群の単位元は何か。また、G の 元 (a, b) の逆元を求めよ。 定義4 (環の定義) 加法と乗法の2つの算法が集合 R に定められていて、 即ち、R の任意の2元 a, b に対して a + b および ab が R の元として定め られていて、以下の条件を満たすとき、R は環 (ring) であるとよばれる。 (1) (a + b) + c = a + (b + c) (2) a + 0 = 0 + a = a (a, b, c ∈ R) (∀a ∈ R) を満たす R の元 0 がある。 (3) R の任意の元 a に対して、a + b = b + a = 0 を満たす元 b がある。 この元 b を −a とかく。 (4) R の任意の2元 a, b に対して、等式 a + b = b + a が成り立つ。 (5) R の任意の3元 a, b, c に対して、等式 (ab)c = a(bc) が成り立つ。 (6) R の任意の元 a に対して、a1 = 1a = a を満たす R の元 1 が存在す る。この元 1 を R の単位元とよぶ。 (7) R の元 a, b, c に対して、等式 a(b + c) = ab + ac (a + b)c = ac + bc が成り立つ。これを分配律という。 さらに、環 R が次の条件 (8) を満たすとき、可換環であると云われる。 (8) R の任意の2元 a, b に対して、等式 ab = ba が成り立つ。 環の例 Z, Q, R, C, M2 (R) 等は通常の加法と乗法に関してすべて環 であり、M2 (R) 以外はすべて可換環である。 問3 Z[i] = {a + bi | a, b ∈ Z} は可換環であることを示せ。 Z, Q, R, C 等においては、a 6= 0, b 6= 0 なる a, b に対しては常に ab 6= 0 であるが、M2 (R) ではこれが成り立たない。 定義5 環 R の2元 a, b に対して、a 6= 0 かつ b 6= 0 であるが、ab = 0 3 になるとき、a, b をそれぞれ左零因子、右零因子とよぶ。可換環が零因子 を持たないとき、即ち、ab = 0 ならば、a = 0 または b = 0 であるとき、 整域とよばれる。 整域の例 を持つ。 Z, Q, R, C, Z[i] 等はすべて整域であるが、M2 (R) は零因子 定義6 (体の定義) 環において、0 以外の任意の元 a が逆元を持つとき、 その環は斜体であると云われる。可換な斜体は単に体とよばれる。 体の例 Q, R, C, Q[i] = {a + bi | a, b ∈ Q} はすべて体である。斜体 の例は後で挙げる。 問4 C と Q[i] が体であることを示せ。 定義7 (環の同型) 2つの環 R と S に対して、全単射写像 f : R −→ S で f (x + y) = f (x) + f (y) (x, y ∈ R) f (xy) = f (x)f (y) (x, y ∈ R) f (1R ) = 1S を満たすものを環同型写像とよび、R から S への同型写像が存在すると き、R と S は同型な環であると云われる。 同型な環は、同じ環の別の表現と考えられる。つぎに、ハミルトンによ る複素数体の表現 (1833 年) を紹介します。 集合 R2 = {(a, b) | a, b ∈ R} に算法を以下のように定める。 (a, b) = (c, d) ⇐⇒ a = c, b = d (a, b) + (c, d) = (a + c, b + d) (a, b)(c, d) = (ac − bd, ad + bc) このとき、R2 は環となり、(1, 0) が単位元である。また、(0, 1)2 = (0, 1)(0, 1) = (−1, 0), (a, b) = (a, 0) + (0, b) = (a, 0) + (b, 0)(0, 1) が成り立つことに 4 注意すると、写像 f : R2 −→ C, f ((a, b)) = a + bi は R2 から C への同 型写像となる。特に、f ((a, 0)) = a, f ((0, 1)) = i となる。 問5 上に与えた算法により、R2 は体になることを確かめよ。 C のもう1つの表現 M2 (R) の部分集合 Ã F={ a b −b a ! | a, b ∈ R} Ã は、行列の加法と乗法の下で環となり、さらに写像 g : a b −b a ! −→ a + bi は F から C への同型写像となる。 問6 上に与えた算法により、F は体となることを直接確かめよ。 以上のように、R2 と行列の集合 F に適当に算法を定めると複素数体と 同型な体となることが分かった。よって、R2 の各元 (a, b) を、または行 Ã ! a b 列 を複素数とよんでも差し支えない。 −b a そこで、R3 , R4 , R5 , · · · 等に適当に算法を定義して「数」の体系とよべ るものが作れないだろうか、という問題が生ずる。 「数」の体系としては どんな条件が求められるだろうか。最低、環であることが要求されるだ ろう。そして、零因子を持たないことも要求されるだろう。さらに、斜 体、できれば体であることが望ましい。このような体系が R3 , R4 , · · · 等 につくれないか、という研究が19世紀になされました。 Rn における環構造 (1) Rn に算法を (x1 , x2 , · · · , xn ) + (y1 , y2 , · · · , yn ) = (x1 + y1 , x2 + y2 , · · · , xn + yn ) (x1 , x2 , · · · , xn )(y1 , y2 , · · · , yn ) = (x1 y1 , x2 y2 , · · · , xn yn ) と定めると、Rn は環となるが、零因子を持ち、整域にもならない。 (2) R7 に加法は (1) と同じように定義し、乗法を (x1 , x2 , x3 , x4 , x5 , x6 , x7 )(y1 , y2 , y3 , y4 , y5 , y6 , y7 ) = (x1 y1 , x2 y2 , x3 y3 , x1 y4 + x4 y2 , x3 y5 + x5 y3 , x2 y6 + x6 y1 , x1 y7 + x7 y1 ) 5 と定めると、R7 は (1, 1, 1, 0, 0, 0, 0) を単位元とする環となるが、これ も零因子を持つ。 問7 上のことを確かめよ。 しかし、1843年ハミルトンはある大発見をしました。 定義8 (ハミルトンの4元数体) R4 において、基本ベクトル e1 = (1, 0, 0, 0), e2 = (0, 1, 0, 0), e3 = (0, 0, 1, 0), e4 = (0, 0, 0, 1) をとると、 R4 の任意の元 x = (x1 , x2 , x3 , x4 ) は x = x1 e1 + x2 e2 + x3 e3 + x4 e4 と一意 的に表される。よって、積 ei ej が確定すれば、y = y1 e1 + y2 e2 + y3 e3 + y4 e4 との積を xy = 4 X xi yj ei ej i,j=1 によって定めることができる。先ず、e1 は単位元として e1 ej = ej e1 = ej (2 ≤ j ≤ 4) と定め、e2 , e3 , e4 は虚数単位として e2j = −e1 (2 ≤ j ≤ 4) とする。さらに、 e2 e3 = −e3 e2 = e4 , e3 e4 = −e4 e3 = e2 , e4 e2 = −e2 e4 = e3 P と定める。加法は、x + y = 4i=1 (xi + yi )ei で定めると、R4 は斜体とな る。これを普通 H とかき、ハミルトンの4元数体とよぶ。また、H の元 をハミルトンの4元数とよぶ。H の部分集合 {xi e1 + x2 e2 | x1 , x2 ∈ R} は C と同型な体となる。複素数 a + bi と ae1 + be2 とを同一視すれば、H は C を含むとみてよい。 問8 ハミルトンの4元数 x = ae1 + be2 + ce3 + de4 の逆元 (逆数)を求 めよ。 「数」の概念の拡張については、以下のような結果が証明されています。 定理1 (フロベニウス) Rn に斜体の構造が定義できるのは、n が 1 か 2 6 か 4 のいずれかのときに限る。 定義9 (ケイリーの8元数) 対して、算法を R8 において基本ベクトル e1 , e2 , · · · , e8 に e1 ej = ej e1 = ej (1 ≤ j ≤ 8), e2j = −e1 (2 ≤ j ≤ 8) ei ej = −ej ei (2 ≤ i, j ≤ 8, i 6= j), e2 e3 = e4 , e2 e5 = e6 , e2 e7 = e8 e3 e5 = e8 , e3 e6 = e7 , e4 e5 = e7 P P P と定め、2つの元 x = 8i=1 xi ei と y = 8j=1 yj ej の積を xy = 8i, j=1 xi yj ei ej と定義する。このとき、R8 を O とかき、O の元をケイリーの8元数とよ ぶ。O は乗法の結合律と可換性を満たさないが、分配律を満たす。また、 零因子を持たない。 問9 O において、e2 e4 = −e3 , e2 e8 = −e7 が成り立つことを示せ。 定理2 (ボット-ミルノア、1958年) Rn に零因子を持たず、分配律を 満たすように乗法が定義できるのは、n が 1, 2, 4 または 8 のいずれかに 限る。 7
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